古典ライブラリー

大和物語 第9章(第76段〜第87段)

右近と忘らるる身

門を閉ざされて夜通し立ちつくした喜種と桂のみこ、弾正の皇子に見そめられた監の命婦、宇多院の花の宴、季縄の少将の娘右近と権中納言敦忠の恋と「忘らるる身をば思はず」の歌、兼盛と大納言の若菜の贈答、但馬の女との別れまで、十二の段。

  1. 1のみこののみこののみこの御許もと御許もともとにににががが來き來ききたりけるたりけるたりけるををを、、、みやすみやすみやす所ところ所ところところ聞き聞きききつけきつけきつけ給たま給たまたもうてうてうて門もん門もんもんをををさゝせさゝせささせ給たま給たまたもうければうければうければ、、、夜よ夜よよひとよひとよひとよ立た立たたちちち煩わづら煩わづらわずらひてひていて、、、かへるとてかへるとてかえるとて「「「かくかくかく聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえ」」」とてとてとて門もん門もんもんのののはざまよりいひいれけるはざまよりいひいれけるはざまよりいいいれける、、、
  2. 2「「「こよひこそこよひこそこよいこそ涙なみだ涙なみだなみだののの河かは河かはかわにゐるにゐるにいる千鳥ちどり千鳥ちどりちどりなきてかへるとなきてかへるとなきてかえると君きみ君きみきみははは知し知ししらずやらずやらずや」」」。。。
  3. 3これもこれもこれも同おな同おなおなじみこにじみこにじみこに、、、おなじおなじおなじ男をとこ男をとこおとこ、、、
  4. 4「「「長なが長ながながききき夜よ夜よよををを浦うら浦うらうらににに燒や燒ややくくく鹽しほ鹽しほしおのけぶりのけぶりのけぶりははは空そら空そらそらににに立た立たたちやのぼらむちやのぼらむちやのぼらむ」」」。。。
  5. 5かくてかくてかくて忍しの忍しのしのびてあひびてあひびてあい給たま給たまたもうけるにうけるにうけるに、、、院ゐん院ゐんいんににに十五夜じふごや十五夜じふごやじゅうごやせられけるにせられけるにせられけるに「「「參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへへえ」」」とありければとありければとありければ、、、參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふにふにうに、、、「「「院ゐん院ゐんいんにてにてにてははは逢あ逢ああふまじければふまじければうまじければ、、、せめてせめてせめて今宵こよひ今宵こよひこよいはははななな參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたもうそうそうそ」」」ととゞめけりととゞめけりととどめけり。。。
  6. 6されどめしなりければえとゞまらでいそぎされどめしなりければえとゞまらでいそぎされどめしなりければえとどまらでいそぎ參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたもうけれうけれうけれははは、、、よしたねよしたねよしたね、、、
  7. 7「「「泣な泣ななきつゝとゞめけむきつゝとゞめけむきつつとどめけむ君きみ君きみきみはははきみにとこよひしもきみにとこよひしもきみにとこよいしも行ゆ行ゆゆくくく」」」。。。
  8. 8監けん監けんけんののの命婦みやうぶ命婦みやうぶみょうぶ、、、のののののの命婦みやうぶ命婦みやうぶみょうぶにてにてにて出い出いいでたりけるでたりけるでたりけるををを、、、のみこのみこのみこ見み見みみ給たま給たまたもうてうてうて俄にはか俄にはかにわかににに惑まど惑まどまどひひい懸か懸かか想さう想さうそうしまどひしまどひしまどい給たま給たまたもうけりうけりうけり。。。御文ふみ御文ふみふみありけるありけるありける御おん御おんおん返事へんじ返事へんじへんじににに、、、
  9. 9「「「うちつけにうちつけにうちつけに惑まど惑まどまどふふう心こころ心こころこころととと聞き聞ききくからにくからにくからに慰なぐさ慰なぐさなぐさめやすくおもほゆるかなめやすくおもほゆるかなめやすくおもおゆるかな」」」。。。
  10. 10みこのみこのみこの御歌みうた御歌みうたみゅうたはははいかゞありけむいかゞありけむいかがありけむ、、、忘わす忘わすわすれにけりれにけりれにけり。。。
  11. 11またまたまた同おな同おなおなじみこにじみこにじみこに、、、おなじおなじおなじ女をんな女をんなおんな、、、
  12. 12「「「浦うら浦うらうらははは浪なみ浪なみなみさわがしくありこそさわがしくありこそさわがしくありこそはせめはせめはせめ」」」。。。
  13. 13院ゐん院ゐんいんののの花ばな花ばなばなおもしろかりけるころおもしろかりけるころおもしろかりけるころ、、、南みなみ南みなみみなみ院ゐん院ゐんいんののの君きみ君きみきみだちこれかれだちこれかれだちこれかれ集あつ集あつあつまりてまりてまりて歌うた歌うたうたよみなどしけりよみなどしけりよみなどしけり。。。右京うきやう右京うきやううきょうのかみむねゆきのかみむねゆきのかみむねゆき、、、
  14. 14「「「來き來ききててて見み見みみれどれどれど心こころ心こころこころもゆかずもゆかずもゆかず故鄕ふるさと故鄕ふるさとふるさとははは昔むかし昔むかしむかしながらのながらのながらの花はな花はなはなははは散ち散ちちれどもれどもれども」」」。。。
  15. 15ことことこと人ひと人ひとひとのもありけらしのもありけらしのもありけらし。。。
  16. 16繩なは繩なはなわののの少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうのむすめのむすめのむすめ、、、故こ故ここ宮みや宮みやみやにさぶらひけるころにさぶらひけるころにさぶらいけるころ、、、故こ故ここののの君きみ君きみきみおはしけるおはしけるおわしける。。。たのめたのめたのめ給たま給たまたまふふう事こと事ことことなどありけるなどありけるなどありけるををを、、、宮みや宮みやみやににに參まゐ參まゐまいるるる事こと事ことこと絕た絕たたえてえてえて里さと里さとさとにありけるににありけるににありけるに更さら更さらさらににに訪と訪ととひひい給たま給たまたまはざりけりはざりけりわざりけり。。。
  17. 17うちわたりのうちわたりのうちわたりの人ひと人ひとひと來き來ききたりけるにたりけるにたりけるに「「「いかにぞいかにぞいかにぞ參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふやふやうや」」」ととと問と問ととひければひければいければ「「「常つね常つねつねにさぶらひにさぶらひにさぶらい給たま給たまたまふふう」」」といひければといひければといいければ、、、御文おほんふみ御文おほんふみおおんふみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりけるりけるりける、、、
  18. 18「「「忘わす忘わすわすれじとたのめしれじとたのめしれじとたのめし人ひと人ひとひとはははありとありとありと聞き聞ききくいひしくいひしくいいし言ごん言ごんごんののの葉は葉ははいづちいづちいずちいにいにいにけむけむけん」」」
  19. 19となむありけるとなむありけるとなむありける。。。
  20. 20同おな同おなおなじじじ女をんな女をんなおんなののの許もと許もともとににに、、、更さら更さらさらににに音おと音おとおともせでもせでもせで雉子きじ雉子きじきじをををなむおこせなむおこせなむおこせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける。。。返事へんじ返事へんじへんじににに、、、
  21. 21「「「こまのこまのこまの山やま山やまやまににに朝あさ朝あさあさたつきじよりもかりにたつきじよりもかりにたつきじよりもかりにはははあはじとあはじとあわじと思おも思おもおもひしものひしものいしものををを」」」。。。
  22. 22同おな同おなおなじじじ女をんな女をんなおんなうちのうちのうちの曹子ざうし曹子ざうしぞうしにすみけるにすみけるにすみける時とき時ときとき、、、忍しの忍しのしのびてびてびて通かよ通かよかよひひひ給たま給たまたまふふう人ひと人ひとひとありけりありけりありけり。。。なりければなりければなりければ殿上てんじやう殿上てんじやうてんじょうににに常つね常つねつねにありけりにありけりにありけり。。。雨あめ雨あめあめののの降ふ降ふふるるる夜よ夜よよ、、、曹子ざうし曹子ざうしぞうしののののつらにのつらにのつらに立た立たたちよりちよりちより給たま給たまたまへりけるもへりけるもえりけるも知し知ししらでらでらで、、、雨あめ雨あめあめののの漏も漏ももりければりければりければ筵えん筵えんえんををを引ひ引ひひきかへすとてきかへすとてきかえすとて、、、
  23. 23「「「思おも思おもおもふふう人ひと人ひとひと雨あめ雨あめあめととと降ふ降ふふりくるものならばわがもるりくるものならばわがもるりくるものならばわがもる床とこ床とことこはははかへさゞらましかへさゞらましかえさざらまし」」」
  24. 24となむうちとなむうちとなむうち言い言いいひければいとひければいといければいと哀あはれ哀あはれあわれととと聞き聞ききききき給たま給たまたもうてうてうてふとふとふとはひはひはい入い入いいりりり給たま給たまたまひにけりひにけりいにけり。。。
  25. 25同おな同おなおなじじじ女をんな女をんなおんな、、、男をとこ男をとこおとこのわすれじとのわすれじとのわすれじと萬よろづ萬よろづよろずののの事こと事ことことをををかけてかけてかけて誓ちか誓ちかちかひけれどひけれどいけれど、、、忘わす忘わすわすれにけるれにけるれにける後のち後のちのちにいひやりけるにいひやりけるにいいやりける、、、
  26. 26「「「忘わす忘わすわすらるゝらるゝらるる身み身みみをばをばをば思おも思おもおもはずちかひてしはずちかひてしわずちかいてし人ひと人ひとひとののの命みこと命みことみことののの惜を惜をおしくもあるかなしくもあるかなしくもあるかな」」」。。。
  27. 27かへしかへしかへしはははえええ聞き聞ききかずかずかず。。。
  28. 28同おな同おなおなじじじ右近うこん右近うこんうこん、、、ののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうののの君きみ君きみきみなむすみなむすみなむすみ給たま給たまたまふなどふなどうなど言い言いいひのゝしりけれどそらごとなりければひのゝしりけれどそらごとなりければいののしりけれどそらごとなりければ、、、かのかのかの君きみ君きみきみににに詠よ詠よよみてみてみて奉たてまつ奉たてまつたてまつりけるりけるりける、、、
  29. 29「「「よしよしよし思おも思おもおもへへえ海士あま海士あまあまののの貝かひ貝かひかい空むな空むなむなしきしきしき名な名ななをばをばをばたつべしやたつべしやたつべしや君きみ君きみきみ」」」。。。
  30. 30むつきのついたちごろむつきのついたちごろむつきのついたちごろ、、、殿どの殿どのどのににに兼かね兼かねかね盛もり盛もりもり參まゐ參まゐまいりたりけるにりたりけるにりたりけるに物もの物ものものなどのたまはせてなどのたまはせてなどのたまわせて、、、すゞろにすゞろにすずろに「「「歌うた歌うたうたよめよめよめ」」」とのとのとの給たま給たまたまひければひければいければふとふとふと詠よ詠よよみたりけるみたりけるみたりける、、、
  31. 31「「「今日けふ今日けふきょうよりよりよりはははぎのぎのぎの燒や燒やや原はら原はらはらかきかきかき分わ分わわけてけてけて若菜わかな若菜わかなわかなつまむとたれつまむとたれつまむとたれをををさそはむさそはむさそわむ」」」
  32. 32とよみたりければになくめでとよみたりければになくめでとよみたりければになくめで給たま給たまたもうてうてうて、、、御おん御おんおんかへしかへしかえし、、、
  33. 33「「「片岡かたをか片岡かたをかかたおかにわらびにわらびにわらび萠も萠ももえずばたづねつゝえずばたづねつゝえずばたずねつつ心こころ心こころこころやりにややりにややりにや若菜わかな若菜わかなわかなつまゝしつまゝしつままし」」」
  34. 34となむよみとなむよみとなむよみ給たま給たまたまひけるひけるいける。。。
  35. 35但馬たぢま但馬たぢまたじまののの國くに國くにくにににに通かよ通かよかよひけるひけるひける庫ご庫ごごのかみなりけるのかみなりけるのかみなりける男をとこ男をとこおとこののの、、、かのかのかの國くに國くにくになりけるなりけるなりける女をんな女をんなおんなをををおきておきておきて京きやう京きやうきょうへへへ上のぼ上のぼのぼりければりければりければ、、、雪ゆき雪ゆきゆきののの降ふ降ふふりけるにりけるにりけるに言い言いいひおこせたりけるひおこせたりけるいおこせたりける、、、
  36. 36「「「山里やまざと山里やまざとやまざとににに我われ我われわれをををとゞめてわかれとゞめてわかれとどめてわかれ路ぢ路ぢじのゆきのまにまにのゆきのまにまにのゆきのまにまに深ふか深ふかふかくなるらむくなるらむくなるらむ」」」
  37. 37ととと言い言いいひたりければひたりければいたりければ、、、
  38. 38「「「やまざとにやまざとにやまざとに通かよ通かよかよふふふ心こころ心こころこころももも絕た絕たたえぬべしえぬべしえぬべし行ゆ行ゆゆくもとまるもくもとまるもくもとまるも心細こころぼそ心細こころぼそこころぼそさにさにさに」」」
  39. 39となむとなむとなむ返かへ返かへかえしたりけるしたりけるしたりける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔第76段〕桂のみこのもとに喜種がやって来たのを、母の御息所が聞きつけなさって門を閉めさせなさったので、喜種は一晩じゅう立ちつくして困りはて、帰るときに「こう申し上げてください」と言って、門のすきまから言い入れた歌、

「今夜こそ、涙の川にいる千鳥のように、泣いて帰っていくのだと、あなたはご存じないのですか」。

〔第77段〕これも同じ皇女に、同じ男が、

「長い夜を明かす明石の浦で焼く塩の煙――わたしの思いの煙は、空に立ちのぼっているでしょうか」。

こうして人目を忍んでお逢いになっていたが、院(宇多法皇)で八月十五夜の宴が催された時、「参上なさい」とのお召しがあったので、皇女が参上なさろうとすると、喜種が「院では逢うことができないでしょうから、せめて今夜は参上なさらないでください」と引きとめた。けれども、お召しなので、とどまることもできず、急いで参上なさったので、喜種が、

「高鳥(たかとり)が夜通し泣きながら引きとめたというのに、あなたは院のおそばにと、今夜にかぎって行ってしまうのですね」。

〔第78段〕監の命婦が、朝拝の儀式の威儀の命婦として出ていたのを、弾正の皇子がご覧になって、たちまち心を乱して恋いこがれなさった。お手紙があった、その御返事に、

「急に心が乱れたとお聞きすると、そのお心は、かえって慰めやすいように思われます」。

皇子の御歌はどんなだったか、忘れてしまった。

〔第79段〕また、同じ皇子に、同じ女(監の命婦)が、

「懲りもせずに須磨の浦にもぐって取ろうとする、つらい海松布(みるめ)――逢瀬は、波(うわさ)が騒がしくても、あってほしいものです」。

〔第80段〕宇多院の花が美しかったころ、南院の君たちが誰彼となく集まって、歌をよんだりした。右京大夫宗于が、

「来て見ても心は晴れない。故郷(ここ)では、花は昔のまま散っているけれど」。

ほかの人の歌もあったらしい。

〔第81段〕季縄の少将の娘の右近が、故后の宮(穏子)にお仕えしていたころ、故権中納言(藤原敦忠)の君が通っていらっしゃった。将来を約束なさることなどがあったのに、右近が宮に参ることがなくなって里にいた間、全くお訪ねにならなかった。内裏のあたりの人が来た時に「(権中納言は)どうしていらっしゃる。参内なさるか」と尋ねると、「いつもお仕えしていらっしゃる」と言ったので、お手紙をさし上げた歌、

「忘れまいと約束した人は、無事でいると聞きます。それでは、あの約束の言葉はどこへ行ってしまったのでしょう」

ということであった。

〔第82段〕同じ女のもとに、全く便りもしないで、雉子をおよこしになった。その返事に、

「栗駒の山で朝飛び立つ雉子よりも、仮初めの――狩りの――逢瀬などにはあうまいと思っていましたのに」。

〔第83段〕同じ女が、内裏の局に住んでいた時、ひそかに通っていらっしゃる人がいた。蔵人頭であったので、いつも殿上にいた。雨の降る夜、その人が局の蔀のそばに立ち寄っていらっしゃったのも知らずに、雨が漏ったので筵を裏返すといって、

「恋しい人が雨になって降ってくるのなら、わたしの雨の漏る寝床を裏返したりはしないでしょうに」

とつぶやいたので、男はたいへんいとしいと聞きなさって、さっと這い入っていらっしゃった。

〔第84段〕同じ女が、男が「忘れまい」と、いろいろなものにかけて誓ったのに、忘れてしまったあとに言いやった歌、

「忘れられるわが身のことは何とも思いません。ただ、神かけて誓ったあの人の命が、罰を受けて失われはしないかと、惜しまれることです」。

返歌は聞いていない。

〔第85段〕同じ右近が、桃園の宰相の君が通っていらっしゃるなどと言いはやされたが、うそであったので、その君によんでさし上げた歌、

「どうぞお考えください。海人も拾わない空の貝のように、身に覚えのない空しいうわさを立ててよいものでしょうか、あなた」。

〔第86段〕正月の初めごろ、大納言殿に兼盛が参上した時に、大納言が話をなさって、ふと「歌をよめ」とおっしゃったので、すぐによんだ歌、

「今日からは、荻の焼け野原をかき分けて、若菜を摘もうと、誰を誘いましょう」

とよんだので、大納言はこのうえなく感心なさって、御返歌に、

「片岡に蕨が芽を出していなければ、訪ねて行って、気晴らしに若菜を摘みましょうか」

とおよみになった。

〔第87段〕但馬の国に通っていた兵庫頭であった男が、その国の女を残して京へ上ったので、雪の降った日に女が言ってよこした歌、

「山里にわたしを残して、別れて行く道の雪は、行くにつれて深くなるのでしょう」

と言ったので、

「山里に通う心も絶えてしまいそうです。行く者も留まる者も、心細さにくれるのですから」

と返した。

意訳

〔第76・77段〕桂のみこと喜種の忍ぶ恋。母に門を閉ざされた喜種は、夜通し立ちつくして「涙の川の千鳥のように泣いて帰る」とよみ、八月十五夜には「今夜だけは院へ行かないで」と引きとめる。皇女の身分の重さが、二人の恋をいつもさまたげている。

〔第78・79段〕儀式の場で見そめられた監の命婦は、「急に乱れた心なら、すぐ慰められるでしょう」と、一目惚れの軽さを見抜いた返事をした。それでも次の歌では、「うわさが騒がしくても逢いたい」と、自分から誘うような歌をよんでいる。

〔第80段〕宗于の「来て見ても心は晴れない」。花は昔のままなのに、自分の境遇は昔とちがう――宗于の嘆きは、ここでも変わらない。

〔第81〜85段〕右近の恋。約束しながら訪れなくなった藤原敦忠に、右近は歌を送り続ける。雨漏りの寝床で「恋しい人が雨になって降ってくるなら」とつぶやいた独り言を、ちょうど外にいた男に聞かれる第83段は、偶然が恋を動かすほほえましい場面である。第85段の「忘らるる身をば思はず」は、自分を捨てた男の身を案じる歌として、百人一首にも選ばれた名歌である。

〔第86段〕新年の席で、即座に「若菜を摘みに誰を誘おう」とよんだ兼盛。大納言も「蕨が出ていなければ、わたしが行こう」と応じる。宴の場の即興の歌のやりとりである。

〔第87段〕任期を終えて都へ帰る男と、土地の女の別れ。「行くにつれて雪が深くなる」という女の歌に、別れの道の遠さと、思いの深まりが重なる。

語釈・文法注

喜種
人名。桂のみこ(孚子内親王)の恋人。
桂のみこ
孚子内親王。第20段参照。
母みやす所
孚子内親王の母、宇多天皇の更衣(女御)。
あかしの浦
明石の浦。播磨国の歌枕。「明かし」を掛ける。
八月十五夜
中秋の名月。宮中や院で月見の宴が催された。
たかとり
鷹(高鳥)か。未詳。
朝拜
元日に、天皇が大極殿で群臣の拝賀を受ける儀式。
威儀の命婦
朝拝などの儀式で、天皇の左右に並んで威儀を整える役の命婦。
彈正のみこ
弾正尹であった親王。宇多天皇の皇子、斉世親王とも、敦固親王とも言われる。
こりずまの浦
「懲りずま」(懲りもせず)に、須磨の浦を掛けた言い方。
うきみる
「浮き海松」に「憂き見る」を掛ける。「みる」は逢う機会(見る目)。
宇多院
宇多法皇の御所の一つ。
季繩の少將
藤原季縄(?〜919)。右近の父。
右近
季縄の娘。穏子に仕えた女房歌人。百人一首に「忘らるる身をば思はず」がある。
故きさいの宮
醍醐天皇の中宮、藤原穏子。
故權中納言
藤原敦忠(906〜943)。時平の子。三十六歌仙の一人。百人一首に「逢ひ見ての後の心にくらぶれば」がある。
栗こまの山
栗駒山。陸奥国の山とも、山城国の栗隈山とも言われる。
頭
蔵人頭。
蔀
格子の裏に板を張った戸。
桃園の宰相
藤原師氏(913〜970)か。桃園に住んだ。
うつせ貝
中身のない空の貝。「空しき」を導く。
大納言殿
藤原実頼などが考えられ、未詳。
をぎの燒原
荻の焼け野原。春先に野焼きをしたあとの野。
兵庫のかみ
兵庫寮の長官。

文法

かく聞え給へ
「聞ゆ」は「言ふ」の謙譲語。取り次ぎの人に「こう申し上げてください」と頼む。
立ちやのぼらむ
「や」は疑問の係助詞、結びは「む」。
な參り給うそ
「な…そ」の禁止。「参り給ひそ」のウ音便。
參り給うけれは
底本は「給うけれは」と刷る。「給うければ」の意。
ありこそはせめ
「こそ」の結びで「め」。「あってほしい、あるだろう」。
ありけらし
「けらし」は「けるらし」の縮まった形。…であったらしい。
いづちいにけむ
「けむ」は過去推量。どこへ行ってしまったのだろう。
かへさゞらまし
「ならば…まし」の反実仮想。
ちかひてし
「て」は完了「つ」の連用形、「し」は過去「き」の連体形。
たつべしや君
「や」は反語。立ててよいでしょうか、いいえ。
若菜つまゝし
「ずば…まし」の反実仮想。底本は「つまゝし」と踊り字で書く。
深くなるらむ
「らむ」は現在推量。

和歌

こよひこそ 涙の河に ゐる千鳥 なきてかへると 君は知らずや

詠者
喜種
状況
桂のみこの母に門を閉められ、夜通し立ちつくして帰る時に。

修辞

掛詞
「なき」に千鳥が「鳴き」と「泣き」を掛ける。

長き夜を あかしの浦に 燒く鹽の けぶりは空に 立ちやのぼらむ

詠者
喜種
状況
桂のみこに。

修辞

掛詞
「あかし」に地名「明石」と「明かし」を掛ける。
縁語
「焼く」「塩」「けぶり」。

たかとりが よゝに泣きつゝ とゞめけむ 君はきみにと こよひしも行く

詠者
喜種
状況
八月十五夜、院に召された桂のみこを引きとめられず。

修辞

掛詞
「君はきみに」に、恋人の「君」と、院(宇多法皇)の「君」を重ねる。

うちつけに 惑ふ心と 聞くからに 慰めやすく おもほゆるかな

詠者
監の命婦
状況
朝拝の儀で自分を見そめた弾正の皇子の手紙への返事。

こりずまの 浦にかづかむ うきみるは 浪さわがしく ありこそはせめ

詠者
監の命婦
状況
弾正の皇子に。

修辞

掛詞
「こりずま」に「懲りずま」と「須磨」、「うきみる」に「浮き海松」と「憂き見る」を掛ける。
縁語
「浦」「かづく」「みる」「浪」。

來て見れど 心もゆかず 故鄕は 昔ながらの 花は散れども

詠者
源宗于
状況
宇多院の花の宴で。

忘れじと たのめし人は ありと聞く いひし言の葉 いづちいにけむ

詠者
右近
状況
里にいる間、訪れなくなった藤原敦忠に。

修辞

縁語
「言の葉」の「葉」と「散る」(いにけむ)。

栗こまの 山に朝たつ きじよりも かりにはあはじと 思ひしものを

詠者
右近
状況
便りもないまま雉子をよこした敦忠に。

修辞

掛詞
「かり」に「狩」と「仮(かりそめ)」を掛ける。

思ふ人 雨と降りくる ものならば わがもる床は かへさゞらまし

詠者
右近
状況
雨漏りのする局で、筵を裏返しながらのひとりごと。

修辞

反実仮想
「ならば…まし」。
掛詞
「もる」に「漏る」と「守る」を響かせる。

忘らるゝ 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるかな

詠者
右近
状況
「忘れない」と誓った男に忘れられて。『拾遺和歌集』恋四に入り、百人一首にも選ばれた。

修辞

発想
誓いを破った者は神罰を受けるという考えをふまえ、自分を捨てた男の命を案じる。

よし思へ 海士のひろはぬ うつせ貝 空しき名をば たつべしや君

詠者
右近
状況
桃園の宰相との身に覚えのないうわさを立てられて、その宰相に。

修辞

序詞
「海士のひろはぬうつせ貝」が「空しき」を導く。

今日よりは をぎの燒原 かき分けて 若菜つまむと たれをさそはむ

詠者
平兼盛
状況
正月、大納言に歌を所望されて即座に。

片岡に わらび萠えずば たづねつゝ 心やりにや 若菜つまゝし

詠者
大納言
状況
兼盛の歌への返し。

修辞

反実仮想
「ずば…まし」。

山里に 我をとゞめて わかれ路の ゆきのまにまに 深くなるらむ

詠者
但馬の女
状況
京へ上る男に、雪の日に。

修辞

掛詞
「ゆき」に「雪」と「行き」を掛ける。

やまざとに 通ふ心も 絕えぬべし 行くもとまるも 心細さに

詠者
兵庫頭の男
状況
但馬の女の歌への返し。

解説

この章の中心は、右近の一連の話(第81〜85段)である。右近は藤原季縄の娘で、醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房歌人。恋の相手の「故権中納言」は藤原敦忠で、時平の子、美男で歌と管絃にすぐれた人であった。第84段の「忘らるる身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな」は『拾遺和歌集』に入り、藤原定家の百人一首にも選ばれた。

この歌は、捨てられた恨みの歌とも、なお相手を思う歌とも読める。神に誓って約束を破った者は罰を受けるとされた時代に、「自分のことはいいが、あなたの命が心配だ」と言うのは、皮肉とも、深い愛情とも受け取れる。『大和物語』は、この歌の背景を具体的な恋のいきさつとして伝えており、百人一首の歌の理解にも欠かせない。

第83段の右近の独り言の歌は、偶然聞いた男の心を動かし、その場で恋が成就するという、歌物語らしい一場面である。歌が相手に届くことで状況が変わるという話は、『大和物語』に多い型の一つである。

第76・77段の桂のみこと喜種の話は、皇女という高い身分の女性の恋を描いている。皇女の結婚は厳しく制限されており、身分の低い男との恋は人目を忍ぶものとならざるをえなかった。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、22〜25頁(コマ15–16)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日