大和物語 第4章(第26段〜第38段)
右京のかみ宗于と堤の中納言
人目を忍ぶ桂のみこの歌、出家した戒仙と親や客人とのやりとり、女郎花をかざす三条の右大臣、不遇を嘆く右京大夫源宗于の歌の数々、大内山の宇多法皇を訪ねる堤の中納言兼輔、斎宮への勅使、出雲の兄弟、壱岐守の妻となった一条の君まで、十三の段。
- 1桂桂かつらのみこのみこのみこ、、、みそかにみそかにみそかにふまじきふまじきうまじき人人ひとにあひにあひにあい給給たまひたりけりひたりけりいたりけり。。。男男おとこののの許許もとににに詠詠よみておこせみておこせみておこせ給給たまへりけりへりけりえりけり。。。
- 2「「「それそれそれをををだにだにだに思思おもふことゝてふことゝてうこととて我我わががが宿宿やどををを見見みきとないひそきとないひそきとないいそ人人ひとのきかくにのきかくにのきかくに」」」
- 3となむありけるとなむありけるとなむありける。。。
- 4かいせうといふかいせうといふかいしょうという人人ひと法師法師ほうしになりてになりてになりて山山やまににに住住すむあひだにむあひだにむあいだに、、、人人ひとのなかりければのなかりければのなかりければ、、、親親おやののの許許もとにきぬにきぬにきぬをををなむなむなん洗洗あらひにおこせたりけるひにおこせたりけるいにおこせたりけるををを、、、いかなるいかなるいかなる折折おりにかありけむにかありけむにかありけむ、、、むつかりてむつかりてむつかりて、、、「「「親親おやらからのいふらからのいふらからのいう事事ことももも聞聞きかでかでかで法師法師ほうしになりぬるになりぬるになりぬる人人ひとはははかくうるさきかくうるさきかくうるさき事事こといふものかいふものかいうものか」」」ととと言言いひければひければいければ、、、詠詠よみてみてみて遣遣やりけるりけるりける。。。
- 5「「「今今いまはははわれいづちわれいづちわれいずち行行ゆかましかましかまし山山やまにてもにてもにても世世よのののうきことうきことうきことはははなほもなほもなおも絕絕たえぬかえぬかえぬか」」」。。。
- 6同同おなじじじ人人ひと、、、かのかのかの父父ちちののの兵衞佐兵衞佐ひょうえのすけうせにけるうせにけるうせにける年年としののの秋秋あき家家いえにこれかれにこれかれにこれかれ集集あつまりてりてりて宵宵よいよりよりより酒酒さけ飮飮のみなどすみなどすみなどす。。。いますからぬことのいますからぬことのいますからぬことの哀哀あわれなるなるなる事事ことをををまらうどもあるじもまらうどもあるじもまろうどもあるじも戀戀こひけりひけりひけり。。。朝朝あさぼらけにぼらけにぼらけに霧霧きり立立たちちち渡渡わたれりけりれりけりれりけり。。。客人客人まろうど、、、
- 7「「「朝霧朝霧あさぎりののの中中なかににに君君きみますものならばますものならばますものならば晴晴はるゝまにまにるゝまにまにるるまにまにうれしからましうれしからましうれしからまし」」」
- 8ととと言言いひけりひけりいけり。。。、、、かへしかへしかへし、、、
- 9「「「ことならばことならばことならば晴晴はれずもあらなむあきれずもあらなむあきれずもあらなむあき霧霧きりのまぎれにのまぎれにのまぎれに見見みえぬえぬえぬ君君きみととと思思おもはむはむわむ」」」。。。
- 10ははは友則友則とものりなどになむありけるなどになむありけるなどになむありける。。。
- 11故故こ式部卿式部卿しきぶきょうののの宮宮みやににに、、、ののの右右みぎのおとゞのおとゞのおとど、、、ことことこと上達部上達部かんだちめなどるゐしてなどるゐしてなどるいして參參まいりりり給給たまひてひていて棊棊ごうちみうちみうちみ遊遊あそびなどしなどしなどし給給たもうてうてうて、、、夜更夜更よふけぬればこれかれけぬればこれかれけぬればこれかれ醉醉えひひい給給たもうてうてうて物物ものがたりしがたりしがたりし、、、物物ものなどせらるなどせらるなどせらる。。。をををかさしかさしかさし給給たもうてうてうて右右みぎのおとゞのおとゞのおとど、、、
- 12「「「女郞花女郞花おみなえし折折おるるる手手てにかゝるしらにかゝるしらにかかるしら露露つゆははは昔昔むかしののの今日今日きょうにあらぬにあらぬにあらぬ涙涙なみだかかか」」」
- 13となむありけるとなむありけるとなむありける。。。ことことこと人々人々ひとびとののの多多おおかれどよからぬかれどよからぬかれどよからぬははは忘忘わすれにけりれにけりれにけり。。。
- 14故故このかみのかみのかみ宗于宗于むねゆきののの君君きみ、、、なりいづべきなりいづべきなりいずべき程程ほどににに、、、我我わががが身身みのえなりのえなりのえなり出出いでぬことでぬことでぬことををを思思おもひひい給給たまひけるころほひひけるころほひいけるころおい、、、亭子亭子ていじののの帝帝ていににに紀伊國紀伊國きのくによりよりより石石いしをををなむなむなん奉奉たてまつりたりけるりたりけるりたりけるををを題題だいにてにてにて人々人々ひとびと歌歌うた詠詠よみけるにみけるにみけるに、、、右京右京うきょうのかみのかみのかみ、、、
- 15「「「沖沖おきつつつ風風かぜ浦浦うらににに立立たつつつ浪浪なみのののなごりなごりなごりにににさへさへさへやややわれわれわれはははしづまむしづまむしずまむ」」」。。。
- 16おなじおなじおなじ右京右京うきょうのかみのかみのかみ、、、監監けんののの命婦命婦みょうぶににに、、、
- 17「「「よそながらよそながらよそながら思思おもひしよりもひしよりもいしよりも夏夏なつののの夜夜よののの見見みはははてぬてぬてぬ夢夢ゆめぞぞぞはははかなかりけるかなかりけるかなかりける」」」。。。
- 18亭子亭子ていじののの帝帝ていににに右京右京うきょうのかみよみてのかみよみてのかみよみて奉奉たてまつりけるりけるりける、、、
- 19「「「あはれてあはれてあわれてふふふ人人ひともあるべくもあるべくもあるべくののの草草くさとだにこそとだにこそとだにこそ生生おふべかりけれふべかりけれふべかりけれ」」」。。。
- 20またまたまた、、、
- 21「「「時雨時雨しぐれのみのみのみふるふるふる山里山里やまざとのこののこののこの下下しもははは居居おるるる人人ひとがらやもりすぎぬらむがらやもりすぎぬらむがらやもりすぎぬらむ」」」
- 22とありければとありければとありければ顧顧かえりみみみ給給たまはぬはぬわぬ心心こころばへなりけりばへなりけりばえなりけり。。。帝帝みかど御覽御覽ごらんじてじてじて「「「何事何事なにごとぞぞぞ。。。これこれこれををを心得心得こころえぬぬぬとてとてとてののの君君きみににに見見みせせせ給給たもうけるとうけるとうけると聞聞ききしかばかひなくなむありしきしかばかひなくなむありしきしかばかいなくなむありし」」」ととと語語かたりりり給給たもうけるうけるうける。。。
- 23ががが院院いんににに詠詠よみてみてみて奉奉たてまつりけるりけるりける、、、
- 24「「「立立たちちち寄寄よらむこのもともなきらむこのもともなきらむこのもともなき蔦蔦つたののの身身みはははときときときはははながらにながらにながらに秋秋あきぞかなしきぞかなしきぞかなしき」」」。。。
- 25右京右京うきょうのかみののかみののかみの許許もとににに、、、女女おんな、、、
- 26「「「色色いろぞとぞとぞとはははおもほえずともこのおもほえずともこのおもおえずともこの花花はなははは時時ときにつけつゝにつけつゝにつけつつ思思おもひひい出出いでなむでなむでなむ」」」。。。
- 27ののの中納言中納言ちゅうなごんうちのうちのうちの御使御使みつかいにてにてにて、、、ににに院院いんのみかどおはしますにのみかどおはしますにのみかどおわしますに參參まいりりり給給たまへりへりえり。。。物心物心ものこころ細細ぼそげにておはしますいとあはれなりげにておはしますいとあはれなりげにておわしますいとあわれなり。。。高高たかききき所所ところなればなればなれば雲雲くもはははしもよりいとしもよりいとしもよりいと多多おおくくく立立たちちち昇昇のぼるやうにるやうにるように見見みえければかくなむえければかくなむえければかくなむ、、、
- 28「「「白白しろ雲雲くものののににに立立たつつつ峰峰みねなればおほうちなればおほうちなればおおうち山山やまといふにぞありけるといふにぞありけるというにぞありける」」」。。。
- 29伊勢伊勢いせののの國國くにににに前前ぜんのののおはしましけるおはしましけるおわしましける時時ときににに、、、堤堤つつみののの中納言中納言ちゅうなごん勅使勅使ちょくしにてにてにて下下くだりたまうてりたまうてりたもうて、、、
- 30「「「くれくれくれ竹竹たけのよゝののよゝののよよの都都ずととと聞聞きくからにくからにくからに君君きみははは千年千年ちとせのののうたがひもなしうたがひもなしうたがいもなし」」」。。。
- 31御御おんかへしかへしかえしははは聞聞きかずかずかず。。。かのかのかの齋宮齋宮さいぐうのおはしますところのおはしますところのおわしますところははは都都ずとなむいひけるとなむいひけるとなむいいける。。。
- 32がはらからがはらからがわらから、、、一人一人ひとりははは殿上殿上てんじょうしてしてして我我われはははえせざりけるえせざりけるえせざりける時時ときににに詠詠よみたりけるみたりけるみたりける、、、
- 33「「「かくかくかく咲咲さけるけるける花花はなもこそあれわがためにおなじもこそあれわがためにおなじもこそあれわがためにおなじ春春はるとやいふべかりけるとやいふべかりけるとやいうべかりける」」」。。。
- 34先帝先帝せんだいののの五五ごのみこののみこののみこの御御おんむすめむすめむすめはははののの君君きみといひてといひてといいて京極京極きょうごくののの御御おんやすやすやす所所ところののの御許御許もとにさぶらひたまうけりにさぶらひたまうけりにさぶらいたもうけり。。。よくもあらぬよくもあらぬよくもあらぬ事事ことありてまかでありてまかでありてまかで給給たもうてうてうて、、、守守かみのめにていますかりてのめにていますかりてのめにていますかりて、、、
- 35「「「たまさかにとふたまさかにとふたまさかにとう人人ひとあらばわたのあらばわたのあらばわたの原原わらなげきほにあげていぬとなげきほにあげていぬとなげきおにあげていぬと答答こたへよへよえよ」」」。。。
現代語訳
〔第26段〕桂のみこは、ひそかに、逢ってはならない人とお逢いになった。男のもとに、よんでお贈りになった歌、
「せめてそのことだけでも、わたしを思う心のしるしとして、わたしの家を見たなどと言わないでください。人が聞きますから」
ということであった。
〔第27段〕戒仙という人が法師になって山に住んでいたころ、洗濯などしてくれる人がいなかったので、親のもとに着物を洗ってもらおうと送ってきたのを、どういう折であったのか、親が機嫌をそこねて、「親兄弟の言うことも聞かずに法師になった人が、こんなうるさいことを言ってよこすものか」と言ったので、よんで送った歌。
「今となっては、わたしはどこへ行ったらよいのでしょう。山にいても、世の中のつらいことは、やはり絶えないのですね」。
〔第28段〕同じ人(戒仙)の家で、父の兵衛佐が亡くなった年の秋、人々が集まって宵から酒を飲んだりしていた。亡くなった人のしみじみとしたことを、客も主人も恋しく語り合った。明け方に霧が一面に立ちこめていた。客の一人が、
「朝霧の中に亡き父君がいらっしゃるのなら、霧が晴れていくにつれて、うれしいことでしょうに」
と言った。戒仙の返し、
「同じことなら、霧は晴れずにいてほしい。秋霧にまぎれて見えないだけの父だと思っていたいから」。
客は貫之や友則などであった。
〔第29段〕故式部卿の宮(敦慶親王)のもとに、三条の右大臣(藤原定方)や、ほかの上達部などが連れだって参上なさって、碁を打ったり管絃の遊びをなさったりして、夜が更けたので、人々は酔って語り合い、禄(かずけ物)などを賜った。女郎花を冠にかざして、右大臣が、
「女郎花を折る手にかかる白露は、昔の今日(亡き方々がいらした日)とは違う、今の涙なのだろうか」
とおよみになった。ほかの人々の歌も多かったが、よくないものは忘れてしまった。
〔第30段〕故右京大夫源宗于の君は、出世してもよいころなのに、思うように昇進できないことを嘆いていらっしゃったころ、亭子の帝に紀伊国から石の付いた海松(みる)をさし上げたのを題にして、人々が歌をよんだ時に、右京大夫が、
「沖からの風が吹く吹飯の浦に立つ波のなごり――その引いたあとの波の名残にまで、わたしは沈んでしまうのだろうか」。
〔第31段〕同じ右京大夫が、監の命婦に、
「よそながら思っていた時よりも、夏の夜の、見終わらない短い夢のような逢瀬のほうが、はかないものでした」。
〔第32段〕亭子の帝に右京大夫がよんでさし上げた歌、
「かわいそうにと言ってくれる人もあるように、せめて武蔵野の草(紫草)にでも生まれるべきでした」。
また、
「時雨ばかりが降る山里の木の下は、住む人の人柄のせいで、雨がもれ過ぎる――御恩の雨がわたしには届かないのでしょうか」
とあったが、帝はお顧みにならないご様子であった。帝はご覧になって、「何のことだ。これが分からないといって僧都の君に見せなさったと聞いたので、甲斐もなかった」とお話しになった。
〔第33段〕躬恒が院(宇多法皇)によんでさし上げた歌、
「立ち寄る木の下もない蔦の身は、常緑の木のように変わらぬまま――色づくこともなく、秋が悲しいことです」。
〔第34段〕右京大夫のもとに、女が、
「色は変わらぬものとは思われなくても、この花のように、時節が来るたびに、わたしを思い出してください」。
〔第35段〕堤の中納言(藤原兼輔)が、内裏の御使いとして、大内山に院の帝(宇多法皇)がいらっしゃる所へ参上なさった。法皇は何となく心細そうにしていらっしゃって、たいへんしみじみとした様子である。高い所なので、雲が下からたいそう多く立ちのぼるように見えたので、こうよんだ。
「白雲が幾重にも立つ峰なので、九重(宮中)にちなんで大内山というのだなあ」。
〔第36段〕伊勢の国に前の斎宮(柔子内親王)がいらっしゃった時に、堤の中納言が勅使として下りなさって、
「呉竹の節(よ)のように代々続く竹の都と聞くと、あなたのお命が千年続くことは疑いもありません」。
御返歌は聞いていない。その斎宮のいらっしゃる所は、竹の都と言った。
〔第37段〕出雲の兄弟で、一人は殿上を許されたが、自分は許されなかった時によんだ歌、
「こんなに咲いている花もあるのに、わたしにとっては、同じ春だと言うべきだったのでしょうか」。
〔第38段〕先帝の五の皇子の御娘は一条の君といって、京極の御息所のもとにお仕えしていらっしゃった。好ましくないことがあって退出なさって、壱岐守の妻となっていらっしゃって、
「たまにわたしを訪ねてくる人があったら、大海原に帆を上げるように、嘆きを表に出して去ったと答えてください」。
意訳
〔第26段〕身分違いの、許されない恋。桂のみこは「わたしを思うなら、せめて『家を見た』とは人に言わないで」と口止めする。恋のうわさが何より恐ろしい宮廷の空気が伝わる。
〔第27・28段〕戒仙は、親の反対を押し切って出家した息子。洗濯物を送って叱られると、「山にいても世のつらさは絶えない」と、出家の身の不自由さを嘆く。父の死後の集まりでは、客が「霧が晴れれば父君が見えるならうれしいのに」とよむと、戒仙は「霧が晴れずにいれば、父は霧に隠れているだけだと思えるのに」と返した。死を認めたくない子の心が、霧のたとえに表れている。貫之・友則という名高い歌人の名が添えられ、話に重みを与えている。
〔第29段〕敦慶親王邸での宴。女郎花をかざした定方の「この露は昔の今日とは違う涙か」は、かつての華やかな集まりを思い出しての感慨である。語り手は「よくない歌は忘れた」とあっさり言う。
〔第30〜32・34段〕源宗于は光孝天皇の孫だが、思うように出世できなかった。波の「なごり」にまで沈む身、武蔵野の草のように哀れんでほしい身、雨漏りのように恩恵のもれる身――宗于の歌は、どれも不遇の訴えである。宇多法皇はその訴えを取り合わず、「何のことか分からない」とはぐらかした。
〔第33段〕躬恒も、身分の低い歌人であった。寄る木もない蔦は、紅葉もせず秋を悲しむ――引き立ててくれる人のいない身の嘆きである。
〔第35・36段〕藤原兼輔(堤の中納言)は、醍醐天皇の使いとして法皇や斎宮を訪ねる。大内山の雲を「九重」の宮中に結びつけ、竹の都の斎宮には千年の長寿を祝う。使者としての歌の務めを果たした、きちんとした歌である。
〔第37・38段〕兄だけが殿上を許された出雲は、同じ春なのに自分にだけ花がないと嘆いた。一条の君は、身分の高い家に生まれながら地方官の妻となり、都の人に「嘆きを帆に上げて去ったと伝えて」とよんだ。どちらも、思いどおりにならない身の上を歌に託している。
語釈・文法注
- 逢ふまじき人
- 逢ってはならない人。身分違いや、人目をはばかる相手。
- かいせう
- 戒仙。比叡山の僧で、歌人。通行本文は「戒仙」と書く。
- あらはひ
- 洗い濯ぎ。洗濯。
- はらから
- 兄弟姉妹。
- まらうど
- 客人。
- 貫之友則
- 紀貫之と紀友則。『古今和歌集』の撰者。
- 三條の右のおとゞ
- 藤原定方(873〜932)。右大臣。百人一首に「名にし負はば逢坂山のさねかづら」がある。
- かづけ物
- 褒美として与える衣服など。肩にかけて与えた。
- 女郞花
- 秋の七草の一つ。
- 右京のかみ宗于
- 源宗于(?〜939)。光孝天皇の孫。三十六歌仙の一人。百人一首に「山里は冬ぞさびしさまさりける」がある。
- みる
- 海松。浅い海の岩に生える海藻。
- ふけひの浦
- 吹飯の浦。和泉国(今の大阪府泉南郡岬町のあたり)の歌枕。紀伊との国境に近い。
- 武藏野
- 紫草の生える野として知られる。「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(古今集)をふまえる。
- そうづの君
- 僧都の君。宇多法皇の近くにいた僧。
- 躬恒
- 凡河内躬恒。『古今和歌集』の撰者の一人。
- 堤の中納言
- 藤原兼輔(877〜933)。屋敷が鴨川の堤にあったのでこう呼ぶ。紫式部の曽祖父。百人一首に「みかの原わきて流るる泉川」がある。
- 大內山
- 京都の仁和寺の北の山。宇多法皇の御所があった。
- こゝのへ
- 九重。宮中のこと。
- 前の齋宮
- 宇多天皇の皇女、柔子内親王。醍醐天皇の代の伊勢の斎宮。
- たけの都
- 竹の都。伊勢の斎宮のあった多気(たけ)の地名にちなむ。
- 出雲
- 人名。出雲の名をもつ兄弟の一人。未詳。
- 一條の君
- 先帝(醍醐天皇か)の五の皇子の娘。京極御息所に仕えた。第13段の一条の君(男性)とは別人。
- ゆきの守
- 壱岐の守。「ゆき」は壱岐。
文法
- 見きとないひそ
- 「な…そ」は禁止。「見た」と言わないでください。
- いづち行かまし
- 「まし」はためらいの意志。「どこへ行ったらよいだろう」。
- 君ますものならば…うれしからまし
- 「ます」は「あり」の尊敬語。「ならば…まし」で、事実に反する仮定。
- ことならば
- 同じことなら。どうせなら。
- 晴れずもあらなむ
- 「なむ」はあつらえ望む終助詞。「晴れずにいてほしい」。
- よからぬは忘れにけり
- 語り手の評言。歌の出来ばえで語り伝えるかどうかを決めている。
- なごりにさへやわれはしづまむ
- 「や」は疑問の係助詞、結びは「む」(連体形)。
- 生ふべかりけれ
- 「こそ」の結びで已然形。「生えるべきであった」。
- 顧み給はぬ心ばへなりけり
- 底本の本文。通行本文は「とありけるを」とつづけ、帝の言葉に続く。
- 見せ給うけると聞きしかば
- 「し」は直接経験の過去の助動詞「き」の連体形。帝自身が聞いたことを言う。
- いふべかりける
- 「や」の結びで連体形。「言うべきであったのだろうか」。
和歌
それをだに 思ふことゝて 我が宿を 見きとないひそ 人のきかくに
- 詠者
- 桂のみこ(孚子内親王)
- 状況
- 逢ってはならない男に、口止めの歌を贈って。
今はわれ いづち行かまし 山にても 世のうきことは なほも絕えぬか
- 詠者
- 戒仙
- 状況
- 洗濯物を送って親に叱られて。
修辞
- 本歌
- 「世の中のうきたびごとに身を投げば」など、山に入っても憂さを逃れられないという類想。
朝霧の 中に君ます ものならば 晴るゝまにまに うれしからまし
- 詠者
- 客人(貫之・友則ら)
- 状況
- 戒仙の父の死後、明け方の霧を見て。
修辞
- 反実仮想
- 「ならば…まし」。
ことならば 晴れずもあらなむ あき霧の まぎれに見えぬ 君と思はむ
- 詠者
- 戒仙
- 状況
- 客の歌への返し。
修辞
- 発想の転換
- 霧が晴れても父は見えない現実を避け、霧に隠れているだけだと思おうとする。
女郞花 折る手にかゝる しら露は 昔の今日に あらぬ涙か
- 詠者
- 藤原定方
- 状況
- 敦慶親王邸での宴で、女郎花をかざして。
修辞
- 見立て
- 白露を涙に見立てる。
沖つ風 ふけひの浦に 立つ浪の なごりにさへや われはしづまむ
- 詠者
- 源宗于
- 状況
- 石の付いた海松を題にした歌会で、不遇を嘆いて。
修辞
- 掛詞
- 「ふけひ」に地名「吹飯」と「吹け」を響かせる。
- 序詞
- 「沖つ風ふけひの浦に立つ浪の」が「なごり」を導く。
- 縁語
- 「浪」「なごり」「しづむ」。
よそながら 思ひしよりも 夏の夜の 見はてぬ夢ぞ はかなかりける
- 詠者
- 源宗于
- 状況
- 監の命婦に。逢瀬のあとに贈った歌。
修辞
- 比喩
- 短い夏の夜の夢に、あっけない逢瀬をたとえる。
あはれてふ 人もあるべく 武藏野の 草とだにこそ 生ふべかりけれ
- 詠者
- 源宗于
- 状況
- 宇多法皇に、不遇を訴えて。
修辞
- 本歌
- 「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(古今集)をふまえる。
時雨のみ ふる山里の この下は 居る人がらや もりすぎぬらむ
- 詠者
- 源宗于
- 状況
- 同じく、宇多法皇に。
修辞
- 掛詞
- 「ふる」に「降る」と「古る」、「この下」に「木の下」と「この下(わたし)」、「もり」に「漏り」と「守り」を響かせる。
- 比喩
- 時雨(恵み)が木の下にもれて届かないことに、自分にだけ恩恵が及ばないことをたとえる。
立ち寄らむ このもともなき 蔦の身は ときはながらに 秋ぞかなしき
- 詠者
- 凡河内躬恒
- 状況
- 宇多法皇に、頼るべき人のない身を嘆いて。
修辞
- 掛詞
- 「このもと」に「木の下」と「此の許」を掛ける。
- 比喩
- 寄る木のない蔦は、紅葉もせずに秋を迎える。
色ぞとは おもほえずとも この花は 時につけつゝ 思ひ出でなむ
- 詠者
- 女
- 状況
- 源宗于に、花を添えて。
白雲の こゝのへに立つ 峰なれば おほうち山と いふにぞありける
- 詠者
- 藤原兼輔
- 状況
- 醍醐天皇の使いとして、大内山の宇多法皇を訪ねて。
修辞
- 掛詞
- 「こゝのへ」に「幾重にも」と「宮中(九重)」を掛け、「大内山」の名の由来とする。
くれ竹の よゝの都と 聞くからに 君は千年の うたがひもなし
- 詠者
- 藤原兼輔
- 状況
- 勅使として伊勢の斎宮を訪ねて。
修辞
- 掛詞
- 「よ」に竹の「節(よ)」と「代」を掛ける。
- 縁語
- 「くれ竹」「よ」「都(竹の都)」。
かく咲ける 花もこそあれ わがために おなじ春とや いふべかりける
- 詠者
- 出雲
- 状況
- 兄弟のうち自分だけが殿上を許されなかった時に。
修辞
- 比喩
- 「咲ける花」に昇進した兄をたとえる。
たまさかに とふ人あらば わたの原 なげきほにあげて いぬと答へよ
- 詠者
- 一条の君
- 状況
- 宮仕えを退き、壱岐守の妻となって。
修辞
- 掛詞
- 「ほ」に船の「帆」と「秀(ほ)=表に出る」を掛ける。
- 本歌
- 「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ」(在原行平、古今集)をふまえる。
解説
この章の中心は、右京大夫源宗于の歌である。宗于は光孝天皇の皇子是忠親王の子で、皇孫でありながら臣籍に下り、官位は思うように上がらなかった。第30・32段の歌は、いずれも宇多法皇に自分の不遇を訴えたもので、波の「なごり」、武蔵野の「草」、雨の「もる」木の下と、たとえを変えながら同じ嘆きをくり返している。
法皇は「何のことか分からない」と、宗于の訴えを取り合わなかった。歌によって昇進を願う「述懐」の歌は、平安時代の宮廷でよく見られたが、必ずしも聞き届けられたわけではない。この段には、歌のやりとりの裏にある宮廷の厳しい現実がのぞいている。
第27・28段の戒仙は、親の反対を押し切って出家した人で、世を捨てても親子の情や世間のわずらわしさからは逃れられない。第28段の客人として紀貫之・紀友則の名が挙がるのは、『古今和歌集』の撰者たちが活躍した時代と、この物語の時代とが近いことを示している。
第35・36段の藤原兼輔(堤の中納言)は、紫式部の曽祖父にあたる歌人で、醍醐天皇の信任が厚かった。第45段の「人の親の心は闇にあらねども」の歌でも知られ、この物語には何度も登場する。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、9〜12頁(コマ8–10)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日