大和物語 第2章(第5段〜第13段)
前坊の君と監の命婦
亡き前坊を悲しむ大輔、任国へ下る恋人を見送る朝忠の中将、方違えを口実にした中務の宮と監の命婦のやりとり、桃園の兵部卿の宮の一周忌、源大納言清蔭と妻たち、夫を亡くしたとし子を見舞わない一条の君など、別れと恨みをめぐる九つの段。
- 1ののの君君きみ亡亡うせせせ給給たまひにければひにければいにければ限限かぎりなくなくなく悲悲かなしくのみおぼゆるにしくのみおぼゆるにしくのみおぼゆるに、、、宮宮みやきさきにきさきにきさきに立立たちちち給給たまふふう日日ひになりにければになりにければになりにければ、、、隱隱かくしけりしけりしけり。。。さりければさりければさりければ詠詠よみてみてみて出出いだしけるしけるしける、、、
- 2「「「わびぬればわびぬればわびぬれば今今いまはははととと物物ものををを思思おもへどもへどもえども心心こころににに似似にぬぬぬははは涙涙なみだなりけりなりけりなりけり」」」。。。
- 3中將中將ちゅうじょう、、、人人ひとのめにてありけるのめにてありけるのめにてありける人人ひとににに忍忍しのびてあひわたりけるびてあひわたりけるびてあいわたりけるををを、、、女女おんなももも思思おもひかはしてすみけるひかはしてすみけるいかわしてすみける程程ほどににに、、、かのかのかの男男おとこ國國くにののの守守かみになりてになりてになりて下下くだりければりければりければ、、、これもかれもいとあはれとこれもかれもいとあはれとこれもかれもいとあわれと思思おもひけりひけりいけり。。。さてさてさて詠詠よみてみてみて遣遣つかわしけるしけるしける、、、
- 4「「「たぐへやるわがたましひたぐへやるわがたましひたぐえやるわがたましいをををいかにしていかにしていかにしてはははかなきかなきかなき空空そらにもてにもてにもて離離はなるらむるらむるらむ」」」
- 5となむとなむとなむ下下くだりけるりけるりける日日ひいひやりけるいひやりけるいいやりける。。。
- 6男女男女なんにょ、、、相知相知あいしりてりてりて年年とし經經へけるけるけるをををいさゝかなるいさゝかなるいささかなる事事ことによりてによりてによりて離離はなれにけりれにけりれにけり。。。飽飽あくとしもなくてくとしもなくてくとしもなくて止止やみにしかばにやあらむみにしかばにやあらむみにしかばにやあらむ、、、男男おとこももも哀哀あわれととと思思おもひけりひけりいけり。。。かくなむかくなむかくなむ言言いひひい遣遣やりけるりけるりける、、、
- 7「「「逢逢あふことふことうことははは今今いまははは限限かぎりととと思思おもへどもへどもえども涙涙なみだははは絕絕たえぬものにぞありけるえぬものにぞありけるえぬものにぞありける」」」。。。
- 8女女おんないとあはれといとあはれといとあわれと思思おもひけりひけりいけり。。。
- 9ののの命婦命婦みょうぶののの許許もとにににののの宮宮みやおはしましおはしましおわしまし通通かよひけるひけるひけるををを、、、「「「のののふたがればふたがればふたがれば、、、今宵今宵こよいはははえなむまうでぬえなむまうでぬえなむもうでぬ」」」とのたまへりければそのとのたまへりければそのとのたまえりければその御御おん返返かえりごとにりごとにりごとに、、、
- 10「「「逢逢あふふう事事ことのかたのかたのかたはははさのみぞさのみぞさのみぞふたがらむふたがらむふたがらむめぐりのめぐりのめぐりの君君きみとなれゝばとなれゝばとなれれば」」」
- 11とありければとありければとありければ方方かた。。。かくてかくてかくて又又また久久ひさしくしくしく音音おともしもしもし給給たまはざりけるにはざりけるにわざりけるに「「「ののの院院いんににに狩狩かりすとてなむすとてなむすとてなむ久久ひさしくせうそこなどもしくせうそこなどもしくしょうそこなども物物ものせざりけるせざりけるせざりける。。。いかにいかにいかに覺束覺束おぼつかなくなくなく思思おもひつらむひつらむいつらむ」」」などのたまへりけるなどのたまへりけるなどのたまえりける御御おんかへしにかへしにかえしに、、、
- 12「「「澤澤さわのいけののいけののいけのぐきぐきぐき絕絕たえぬともえぬともえぬとも何何なにかかかうらみむさがのつらさうらみむさがのつらさうらみむさがのつらさははは」」」。。。
- 13御御おんかへしかへしかえしはははこれにやこれにやこれにや劣劣おとりけむりけむりけむ、、、人人ひと忘忘わすれにけりれにけりれにけり。。。
- 14ののの兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの宮宮みやうせうせうせ給給たもうてうてうて、、、はははててて長月長月ながつきつごもりにしつごもりにしつごもりにし給給たもうけるにうけるにうけるに、、、としとしとし子子ごかのかのかの宮宮みやののの北北きたののの方方かたににに奉奉たてまつりけるりけるりける、、、
- 15「「「大大おおかたのかたのかたの秋秋あきのののはははてだにてだにてだに悲悲かなしきにしきにしきに今日今日きょうはははいかでかいかでかいかでか君君きみくらすらむくらすらむくらすらむ」」」。。。
- 16限限かぎりなくなくなく悲悲かなしとしとしと思思おもひてひていて泣泣なききき居居い給給たまへりけるにへりけるにえりけるに、、、かくいへりければかくいへりければかくいえりければ、、、
- 17「「「あらばこそあらばこそあらばこそ始始はじめもももはははてもおもほえめてもおもほえめてもおもおえめ今日今日きょうにもあにもあにもあはははででで消消きえにしものえにしものえにしものををを」」」
- 18となむかへしとなむかへしとなむかえし給給たまひけるひけるいける。。。
- 19監監けんののの命婦命婦みょうぶ、、、にありけるにありけるにありける家家いえををを人人ひとににに賣賣めりてりてりて後後のちといふといふという所所ところにいきけるににいきけるににいきけるに、、、そのそのその家家けののの前前まえををを渡渡わたりければりければりければ詠詠よみたりけるみたりけるみたりける、、、
- 20「「「ふるさとふるさとふるさとををを川川がわととと見見みつゝもつゝもつつも渡渡わたるかなるかなるかな淵瀨淵瀨ふちせありとありとありとはははうべもいひけりうべもいひけりうべもいいけり」」」。。。
- 21故故こ源源げん大納言大納言だいなごんののの君君きみ、、、房房ぼうのぬしののぬしののぬしの御御おんむすめむすめむすめ、、、ののの方方かたををを年頃年頃としごろ思思おもひてひていて住住すみみみ渡渡わたりりり給給たもうけるうけるうけるををを、、、亭子亭子ていじ院院いんのののにつきにつきにつき奉奉たてまつりりり給給たもうてうてうて程程ほど經經へにけりにけりにけり。。。子子こどもなどありければどもなどありければどもなどありければ事事ことももも絕絕たえずえずえず同同おなじじじ所所ところになむになむになむ住住すみみみ給給たもうけるうけるうける。。。さてさてさて詠詠よみてやりみてやりみてやり給給たもうけるうけるうける、、、
- 22「「「ののの江江えののの松松まつならなくにならなくにならなくにひさしくもひさしくもひさしくも君君きみとねぬとねぬとねぬ夜夜よのなりにけるかなのなりにけるかなのなりにけるかな」」」
- 23とありければとありければとありければ、、、かへしかへしかへし、、、
- 24「「「久久ひさしくしくしくはははおもほえねどもおもほえねどもおもおえねども住住すみののの江江えののの松松まつやややふたゝびふたゝびふたたび生生おひかはるらむひかはるらむひかわるらむ」」」
- 25となむありけるとなむありけるとなむありける。。。
- 26同同おなじおとゞかのじおとゞかのじおとどかの宮宮みやをををえええ奉奉たてまつりりり給給たもうてうてうて帝帝みかどのあはせのあはせのあわせ奉奉たてまつりりり給給たまへりけれどへりけれどえりけれど、、、はじめごろはじめごろはじめごろ忍忍しのびてよるよるびてよるよるびてよるよる通通かよひひひ給給たもうけるころうけるころうけるころ、、、かへりてかへりてかえりて、、、
- 27「「「あくといへばしづあくといへばしづあくといえばしず心心こころなきなきなき春春はるののの夜夜よののの夢夢ゆめとやとやとや君君きみをををよるのみよるのみよるのみははは見見みむむむ」」」。。。
- 28馬馬うまののの藤原藤原ふじわらのののかねといふかねといふかねという人人ひとのめにのめにのめにはははとしとしとし子子こといふといふという人人ひとなむありけるなむありけるなむありける。。。子子こどもあまたいできてどもあまたいできてどもあまたいできて思思おもひてひていて住住すみけるみけるみける程程ほどににに、、、なくなりにければなくなりにければなくなりにければ悲悲かなしくのみしくのみしくのみ思思おもひありくひありくいありくほどにほどにほどに、、、うちのうちのうちの藏人藏人くろうどにてありけるにてありけるにてありけるののの君君きみといひけるといひけるといいける人人ひとはははとしとしとし子子こをををいとよくいとよくいとよく知知しれりけるれりけるれりける人人ひとなりけりなりけりなりけり。。。
- 29かくなりにけるかくなりにけるかくなりにける程程ほどにしもにしもにしも訪訪とはざりければはざりければわざりければ、、、怪怪あやしとしとしと思思おもひありくひありくいありくほどにとはぬほどにとはぬほどにとわぬ人人ひと女女おんななむなむなむ逢逢あひたりけるひたりけるいたりけるををを見見みててて、、、かくなむかくなむかくなむ、、、
- 30「「「思思おもひきやひきやいきや過過すぎにしぎにしぎにし人人ひとののの悲悲かなしきにしきにしきに君君きみさへつらくならむものとさへつらくならむものとさえつらくならむものとはははととと聞聞きこえよえよえよ」」」といひければといひければといいければ、、、かへしかへしかへし、、、
- 31「「「なきなきなき人人ひとををを君君きみがきかくにかけじとてなくなくがきかくにかけじとてなくなくがきかくにかけじとてなくなく忍忍しのぶぶぶほどなほどなほどなうらみうらみうらみそそそ」」」。。。
現代語訳
〔第5段〕前坊の君(皇太子保明親王)がお亡くなりになったので、大輔は限りなく悲しいとばかり思っていたが、后の宮(穏子)が皇后にお立ちになる日になってしまったので、涙は不吉だというので悲しみを隠していた。そこでよんで差し出した歌、
「つらさにうちひしがれて、今はもうこれまでと思い切ろうとしているのに、心のとおりにならないのは涙でした」。
〔第6段〕朝忠の中将は、人の妻であった人とひそかに逢い続けていたが、女も思いを寄せて通じ合っているうちに、女の夫がよその国の守になって下ったので、こちらもあちらも、たいへん悲しいと思った。そこで中将がよんで贈った歌、
「あなたに添えてやるわたしの魂を、どうして、はかない空の果てに連れて離れて行ってしまうのでしょう」
と、女が下った日に言い送った。
〔第7段〕男と女が、互いに知り合って年月を経ていたのに、ちょっとしたことで離れてしまった。飽きて別れたわけでもなく、それきりになってしまったからであろうか、男もしみじみ悲しく思った。そこでこうよんで送った歌、
「逢うことは、今はもうこれまでと思うけれども、涙は絶えないものでした」。
女はたいへん心を動かされた。
〔第8段〕監の命婦のもとに中務の宮(敦慶親王)が通っていらっしゃったが、「方角がふさがっているので、今夜は参れない」とおっしゃったので、その御返事に、
「わたしに逢うという方角だけは、そのように、いつもふさがっているのでしょう。あなたは一夜ごとにめぐる天一神のように、女のもとを一夜ずつめぐるお方ですから」
とあったので、方角はふさがっていたけれども、おいでになっておやすみになった。こうしてまた長いあいだ便りもなさらなかったが、「嵯峨の院に狩をするということで、長らく便りもしなかった。どんなに気がかりに思っていただろう」などとおっしゃった、その御返事に、
「大沢の池の水が絶えるように、お手紙が絶えてしまっても、どうして恨みましょう。嵯峨でのことですもの――あなたのつれなさなど恨みません」。
宮の御返事はこの歌に劣っていたのだろうか、人は忘れてしまった。
〔第9段〕桃園の兵部卿の宮(克明親王)がお亡くなりになって、一周忌の法事を九月の末になさった時に、とし子がその宮の北の方にさし上げた歌、
「ただでさえ秋の終わりは悲しいものですのに、宮の御はての今日を、あなたはどのようにお過ごしでしょう」。
北の方が限りなく悲しいと思って泣いていらっしゃったところに、このように言ってきたので、
「宮が生きておいでなら、秋の始めも終わりも感じられましょう。あの方は今日という日にもめぐり会わずに消えてしまったのですから」
とお返しになった。
〔第10段〕監の命婦は、堤にあった家を人に売ったあと、粟田という所に移ったが、その家の前を通った時によんだ歌、
「かつて住んだ家を、今は川の向こうのものと見ながら渡ることよ。飛鳥川の淵が瀬に変わるように、世の中は移り変わるものだとは、なるほどよく言ったものです」。
〔第11段〕故源大納言(清蔭)の君は、忠房の主の御娘の東の方を長年愛して暮らしていらっしゃったが、亭子院の若宮(依子内親王)にお仕えするようになって、しばらく時がたった。子どもなどもいたので、縁も絶えず、同じ所に住んでいらっしゃった。さてよんで送りなさった歌、
「住吉の松でもないのに、ずいぶん長く、あなたと共寝しない夜が重なったことです」
とあったので、返し、
「それほど長いとも思いませんが、住吉の松が枯れて二度目に生え替わるほど、たってしまったのでしょうか」
ということであった。
〔第12段〕同じ大納言は、その若宮を帝がめあわせなさって妻としてお迎えになったが、初めのころ人目を忍んで夜ごと通いなさったころ、帰ってから、
「夜が明けるというと心が落ち着かない、短い春の夜の夢のように、あなたを夜だけ見るのでしょうか」。
〔第13段〕馬の丞藤原千兼という人の妻に、とし子という人がいた。子どももたくさん生まれて仲よく暮らしていたが、その子が亡くなってしまったので、とし子が悲しいとばかり思って過ごしていたころ、内裏の蔵人であった一条の君という人は、とし子をたいへんよく知っている人であった。ところがこうした不幸のあった時に限って見舞いにも来なかったので、とし子が不審に思っていると、見舞いに来ないその人の従者の女に出会ったので、それを見てこう言った。
「「思いもかけませんでした。亡くなった子が悲しいうえに、あなたまでが薄情になろうとは」と申し上げておくれ」と言ったので、返し、
「亡くなった人のことを、あなたのお耳に入れまいと、泣く泣く遠慮していたのです。その心を恨まないでください」。
意訳
〔第5段〕皇太子の死を悲しむ大輔は、立后の祝いの日には涙を見せてはならないと、悲しみをこらえていた。「もう嘆くまいと思っても、涙だけは言うことを聞かない」という歌に、喪の悲しみと晴れの日の慎みとの板ばさみがにじむ。
〔第6段〕人妻との恋。夫の任国へ下っていく女に、朝忠は「わたしの魂をあなたに添えてやったのに、それごと遠くへ連れていくのか」と嘆く。魂が恋しい人のもとへ抜け出していくという、当時の考え方をふまえた歌である。
〔第7段〕嫌いになって別れたのではない二人。男の「もう逢えないと思っても涙は尽きない」という歌に、女の心も動く。短い段だが、ことばの少なさが別れの余韻を深くしている。
〔第8段〕「方角が悪いので行けない」という言い訳に、命婦は「わたしの所へ来る方角だけが、いつもふさがっているのね。一夜ずつ女のもとをめぐるあなたですもの」と、天一神の「一夜めぐり」にかけて皮肉を返した。宮はその機知に負けて、忌みを破ってやって来た。次の「嵯峨のつらさ」の歌も、「さが(性分)」を地名に掛けた、恨まぬふりの恨み言である。
〔第9段〕夫を亡くした北の方へ、とし子は「秋の終わりでさえ悲しいのに、一周忌の今日はどれほどでしょう」と見舞った。北の方は「あの人は今日を迎えることもなく消えてしまった」と返す。季節のめぐりを感じることさえ、亡き人にはもうできないのである。
〔第10段〕売った家の前を、川を渡りながら見る命婦。「淵瀬」の歌をふまえて、世の移り変わりと自分の暮らしの変化をよんだ。「瀬」に、家を売って得た「銭(せに)」を響かせた戯れとみる説もある。
〔第11・12段〕清蔭は、皇女を新しい妻に迎えたため、もとの妻と疎遠になった。それでも同じ屋敷に住んでいるので、「長いこと共寝していない」と歌を贈ると、妻は「住吉の松が生え替わるほどでしょうか」と、長すぎる無沙汰をやんわりとがめる。一方、新しい妻のもとへは、夜明けを惜しんで夜ごと通っていた。二人の妻に向き合う男の姿が、並べて語られている。
〔第13段〕子を亡くしたとし子を、親しかった一条の君は見舞わなかった。とし子は道で会った相手の召使いに伝言を託してなじる。一条の君は「悲しみを思い出させまいと遠慮していたのだ」と答えた。見舞わないことも、ひとつの思いやりでありうるという返しである。
語釈・文法注
- 前坊の君
- 醍醐天皇の皇太子、保明親王(903〜923)。即位しないまま亡くなった。「前坊」は前の東宮の意。
- 大輔
- 保明親王に仕えた女房歌人。
- きさいの宮
- 醍醐天皇の中宮、藤原穏子。保明親王の母。延長元年(923)、親王の死の直後に皇后に立った。
- ゆゝし
- 不吉だ、忌まわしい。めでたい日に涙を見せるのは忌まれた。
- あさたゞの中將
- 藤原朝忠(910〜966)。三十六歌仙の一人。百人一首に「逢ふことの絶えてしなくは」がある。
- ひとの國の守
- よその国の国司の長官。女の夫が任じられて、女も一緒に下った。
- 監の命婦
- 宮中に仕えた女房。『大和物語』前半にたびたび登場し、多くの男性と歌を交わす。
- 中務の宮
- 宇多天皇の皇子、敦慶親王(887〜930)。容姿にすぐれ、「玉光る宮」と呼ばれた。
- 方のふたがれば
- 陰陽道で、行く先の方角に天一神などがいて凶とされること。「方ふたがり」の時は方違えをした。
- 一夜めぐり
- 天一神が一定の日数ごとに方角を移っていくことを「めぐり」と言った。ここでは、一夜ずつ女のもとをめぐる宮の浮気を言う。
- おほとのごもり
- 「寝る」の尊敬語。おやすみになる。
- 嵯峨の院
- 嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院(今の大覚寺)。そばに大沢池がある。
- 大澤のいけ
- 嵯峨院の大沢池。
- 水ぐき
- 筆跡、手紙。「水」は池の縁語。
- 桃園の兵部卿の宮
- 清和天皇の皇子、克明親王(903〜927)か。
- 御はて
- 一周忌の法事。「はて」は喪の終わり。
- 堤
- 京の鴨川の堤のあたり。
- 粟田
- 京の東、今の京都市東山区粟田口のあたり。
- 忠房のぬし
- 藤原忠房。管絃にすぐれた歌人。「ぬし」は敬称。
- 東の方
- 清蔭の妻。屋敷の東の対に住んでいたのでこう呼ぶ。
- 亭子院の若宮
- 宇多天皇の皇女、依子内親王(895〜936)。
- 住の江の松
- 摂津国住吉の浜の松。長寿のものとされ、「久し」をいう枕詞のように使う。
- 馬の丞
- 馬寮の三等官。
- 藤原の千かね
- 藤原千兼。とし子の夫。
- 一條の君
- 蔵人であった人。第38段の一条の君(女性)とは別人。
- ずさ
- 従者。供の者。
文法
- 立ち給ふ日になりにければ
- 「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「けれ」は過去。「皇后にお立ちになる日になってしまったので」。
- 心に似ぬは涙なりけり
- 「似ぬ」は「似る」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形。思うとおりにならないのは涙だった、という気づきの「けり」。
- たぐへやるわがたましひを
- 「たぐふ」は連れ添わせる。思う人のもとへ自分の魂を添わせてやるという言い方。
- 飽くとしもなくて止みにしかばにやあらむ
- 「にやあらむ」は「…であろうか」と原因を推しはかる挿入句。
- えなむまうでぬ
- 「え…ぬ」は不可能。「なむ」は強意の係助詞で、結びは打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」。
- ふたがらむ
- 「らむ」は現在推量の助動詞。「さのみぞ」の「ぞ」の結びで連体形。
- 御かへしはこれにや劣りけむ
- 「や」は疑問の係助詞、結びは「けむ」(過去推量の連体形)。語り手が宮の返歌を伝えない理由を推しはかる、歌物語らしい言い方。
- あらばこそ…おもほえめ
- 「こそ」の係り結びで「め」(推量「む」の已然形)。「生きていればこそ感じられようが」。逆接で下に続く。
- うべもいひけり
- 「うべ」はなるほど、もっともだ。
- 松ならなくに
- 「なくに」は打消の「ず」のク語法「なく」+助詞「に」で、「…でもないのに」。
- ものとはと聞えよ
- 底本は、歌の終わりに「」」を置かず、「と聞えよ」までを一続きの言葉として括弧に入れる。歌を伝言として従者に託した形。
- ほどなうらみそ
- 「な…そ」は禁止。「恨まないでください」。
和歌
わびぬれば 今はと物を 思へども 心に似ぬは 涙なりけり
- 詠者
- 大輔
- 状況
- 保明親王の死を悲しみながら、穏子の立后の日に涙をこらえて。
たぐへやる わがたましひを いかにして はかなき空に もて離るらむ
- 詠者
- 藤原朝忠
- 状況
- 夫の任国へ下る恋人に、その出立の日に贈った歌。
修辞
- 発想
- 恋しさのあまり魂が身から抜け出し、相手に寄り添うという考え方による。
逢ふことは 今は限と 思へども 涙は絕えぬ ものにぞありける
- 詠者
- 男
- 状況
- ちょっとしたことで別れた女に贈った歌。
修辞
- 対照
- 「限り」と「絶えぬ」を対照させ、関係は終わっても思いは終わらないことを言う。
逢ふ事の かたはさのみぞ ふたがらむ 一夜めぐりの 君となれゝば
- 詠者
- 監の命婦
- 状況
- 方ふたがりを理由に来ないと言ってきた中務の宮への返事。
修辞
- 掛詞
- 「かた」に「方(角)」と「難(かた)」を掛ける。
- 見立て
- 天一神の「一夜めぐり」に、女のもとを一夜ずつめぐる宮の浮気を重ねる。
大澤の いけの水ぐき 絕えぬとも 何かうらみむ さがのつらさは
- 詠者
- 監の命婦
- 状況
- 嵯峨に狩に出て便りをしなかったと言い訳する宮への返事。
修辞
- 掛詞
- 「さが」に地名「嵯峨」と「性(さが)」を掛ける。「水ぐき」に池の「水」と筆跡の「水茎」を掛ける。
- 縁語
- 「池」「水」「絶え」。
大かたの 秋のはてだに 悲しきに 今日はいかでか 君くらすらむ
- 詠者
- とし子
- 状況
- 桃園の兵部卿の宮の一周忌に、宮の北の方へ。
修辞
- 掛詞
- 「はて」に秋の「果て」と一周忌の「御はて」を掛ける。
あらばこそ 始もはても おもほえめ 今日にもあはで 消えにしものを
- 詠者
- 桃園の兵部卿の宮の北の方
- 状況
- とし子の見舞いの歌への返し。
修辞
- 縁語
- 「はて」「消え」。
ふるさとを 川と見つゝも 渡るかな 淵瀨ありとは うべもいひけり
- 詠者
- 監の命婦
- 状況
- 売った堤の家の前を通り過ぎた時に。
修辞
- 本歌
- 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集)をふまえる。
- 掛詞
- 「瀬」に、家を売った代金の「銭(せに)」を響かせるとする説がある。
住の江の 松ならなくに ひさしくも 君とねぬ夜の なりにけるかな
- 詠者
- 源清蔭
- 状況
- 皇女を妻に迎えて疎遠になったもとの妻、東の方へ。
修辞
- 序
- 「住の江の松」は長く久しいもののたとえ。
久しくは おもほえねども 住の江の 松やふたゝび 生ひかはるらむ
- 詠者
- 東の方
- 状況
- 清蔭の歌への返し。
修辞
- 皮肉
- 長寿の松が生え替わるほどの時がたったのでしょうかと、相手の言葉を逆手にとってとがめる。
あくといへば しづ心なき 春の夜の 夢とや君を よるのみは見む
- 詠者
- 源清蔭
- 状況
- 依子内親王のもとに忍んで通っていたころ、帰ってから贈った歌。
修辞
- 掛詞
- 「あく」に「明く」と「飽く」を響かせる。
思ひきや 過ぎにし人の 悲しきに 君さへつらく ならむものとは
- 詠者
- とし子
- 状況
- 子を亡くしたのに見舞いに来ない一条の君へ、その従者に託した伝言。
修辞
- 倒置
- 「思ひきや…ものとは」と、初句で驚きを示し、末句でその内容を明かす。
なき人を 君がきかくに かけじとて なくなく忍ぶ ほどなうらみそ
- 詠者
- 一条の君
- 状況
- とし子の伝言への返し。
修辞
- 同音のくり返し
- 「なき人」「なくなく」「な恨みそ」と「な」の音を重ねる。
解説
この章の九つの段は、死別・別離・疎遠など、さまざまな「別れ」を語る。第5段の大輔は、保明親王の死と、その母穏子の立后という、喪と慶事が重なる宮廷の現実の中で涙をこらえる。延長元年(923)の出来事で、物語の成立よりおよそ三十年前のことである。
第8段の監の命婦は、『大和物語』前半に最も多く登場する女性の一人で、敦慶親王(中務の宮)をはじめ、良少将(良岑義方)、忠文の子など多くの男性と歌を交わす。恋人の言い訳を機知で切り返すその歌は、恨みを笑いに変える軽やかさがあり、宮廷の女房の歌の典型を示している。
第11・12段の源清蔭は、陽成天皇の皇子で、宇多天皇の皇女依子内親王を妻に迎えた。もとの妻を同じ屋敷に住まわせたまま新しい妻のもとへ通う姿は、一夫多妻の貴族社会ではめずらしくなかったが、その間で交わされた歌に、それぞれの立場の思いが表れている。
第13段のとし子は、第3段にも登場した女性で、夫の藤原千兼との話は、のちの第66・67段にも見える。『大和物語』は、このように同じ人物をくり返し登場させることで、ゆるやかな人物の輪を作り出している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、3〜6頁(コマ5–7)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日