大和物語 第1章(第1段〜第4段)
亭子院の退位と寛蓮大徳
宇多天皇(亭子院)の退位にあたって伊勢の御が弘徽殿の壁に書きつけた歌に始まり、出家した院の山歩きに付き従った橘良利(寛蓮)、京極御息所の御賀の捧げ物を染めたとし子と源大納言の贈答、純友の乱に下った小野好古が昇進を案じて受け取った歌まで、宇多院の周辺の四つの段。
- 1院院いんののの帝帝みかど今今いまはははおりおりおり居居い給給たまひなむとするころひなむとするころいなむとするころののの壁壁かべにににののの御御ごののの書書かきつけゝるきつけゝるきつけける、、、
- 2「「「わかるれどあひもわかるれどあひもわかるれどあいもをををしまぬしまぬしまぬををを見見みざらむことのなにかざらむことのなにかざらむことのなにか悲悲かなしきしきしき」」」
- 3とありければとありければとありければ、、、帝帝みかど御覽御覽ごらんじてそのじてそのじてその傍傍かたわらににに書書かきつけさせきつけさせきつけさせ給給たもうけるうけるうける、、、
- 4「「「身一身一みひとつにあらぬばかりつにあらぬばかりつにあらぬばかりをををおしなべておしなべておしなべて行行ゆきめぐりてもきめぐりてもきめぐりても何何なにかかか見見みざらむざらむざらむ」」」
- 5となむありけるとなむありけるとなむありける。。。
- 6帝帝みかどおりおりおり居居い給給たも、、、又又またののの年年としののの秋秋あき、、、給給たもうてうてうて、、、給給たもうてうてうて行行おこなひひい給給たもうけりうけりうけり。。。肥前肥前ひぜんのののにてにてにて橘橘たちばなのののといひけるといひけるといいける人人ひと、、、うちにおはしけるうちにおはしけるうちにおわしける時時とき、、、殿上殿上てんじょうにさぶらひてにさぶらひてにさぶらいて、、、御御おんぐしおろしぐしおろしぐしおろし給給たもうければやがてうければやがてうければやがて御御おんともにかしらおろしてけりともにかしらおろしてけりともにかしらおろしてけり。。。
- 7人人ひとにもにもにも知知しられたまられたまられたまはははでありきでありきでありき給給たもうけるうけるうける御供御供おおんともににに、、、これなむこれなむこれなむ後後おくれれれ奉奉たてまつらでさぶらひけるらでさぶらひけるらでさぶらいける。。。かゝるかゝるかかる御御おんありきしありきしありきし給給たまふいとふいとういと惡惡あしきしきしき事事ことなりとてなりとてなりとて、、、うちよりうちよりうちより少將少將しょうしょう中將中將ちゅうじょうなどこれかれさぶらへとてなどこれかれさぶらへとてなどこれかれさぶらえとて奉奉たてまつらせらせらせ給給たまひけれどひけれどいけれど、、、たがひつゝありきたがひつゝありきたがいつつありき給給たまふふう。。。
- 8和泉和泉いずみののの國國くにににに至至いたりりり給給たもうてうてうて、、、所所ところにおはしますにおはしますにおわします夜夜よありありあり。。。いといといと心心こころぼそうかすかにておはしますぼそうかすかにておはしますぼそうかすかにておわします事事ことををを思思おもひてひていて悲悲かなしかりけりしかりけりしかりけり。。。さてさてさて「「「ひねといふことひねといふことひねということををを歌歌うたににに詠詠ながめめめ」」」ととと仰仰おおせせせ事事ことありければこのありければこのありければこの良利良利よしとし、、、
- 9「「「故鄕故鄕ふるさとのたびねののたびねののたびねの夢夢ゆめににに見見みえつるえつるえつるはははうらみやすらむまたとうらみやすらむまたとうらみやすらむまたと訪訪とはははねばねばねば」」」
- 10とありけるにとありけるにとありけるに皆人皆人みなひと泣泣なきてえきてえきてえ詠詠ながまずなりにけりまずなりにけりまずなりにけり。。。そのそのその名名なをををなむなむなん寬寬かん蓮蓮れんだいとくといひてだいとくといひてだいとくといいて、、、後後のちまでもさぶらひけりまでもさぶらひけりまでもさぶらいけり。。。
- 11故故こ大納言大納言だいなごん宰相宰相さいしょうにおはしけるにおはしけるにおわしける時時とき、、、のみやすんどころよりのみやすんどころよりのみやすんどころより亭子亭子ていじ院院いんののの御御おん賀賀が仕仕つこうまつりうまつりうまつり給給たまふとてふとてうとて、、、「「「かゝるかゝるかかる事事ことをををなむせむとなむせむとなむせむと思思おもふふう。。。一一ひとえだえだえだ二二にえだせさせてえだせさせてえだせさせて賜賜たまへへえ」」」ととと聞聞きこえええ給給たもうければうければうければ、、、をををあまたせさせあまたせさせあまたせさせ給給たもうてうてうて、、、子子こににに色々色々いろいろににに染染そめさせめさせめさせ給給たもうけりうけりうけり。。。
- 12しきしきしき物物ものののの織物織物おりものどもどもども色々色々いろいろににに染染そめよりくみめよりくみめよりくみ何何なにかとかとかと皆皆みなあづけてせさせあづけてせさせあずけてせさせ給給たもうけりうけりうけり。。。そのものどもそのものどもそのものどもをををながつきつごもりにながつきつごもりにながつきつごもりに皆皆みないそぎいそぎいそぎはははてゝけりてゝけりててけり。。。さてそのかみなさてそのかみなさてそのかみな月月つきついたちのついたちのついたちの日日ひ、、、このものいそぎこのものいそぎこのものいそぎ給給たもうけるうけるうける人人ひとののの許許もとにおこせたりけるにおこせたりけるにおこせたりける、、、
- 13「「「千々千々ちぢののの色色いろにいそぎしにいそぎしにいそぎし秋秋あきははは過過すぎにけりぎにけりぎにけり今今いまははは時雨時雨しぐれににに何何なにををを染染そめましめましめまし」」」。。。
- 14そのそのその物物もの急急いそぎぎぎ給給たもうけるうけるうける時時ときははは、、、まもなくこれよりもまもなくこれよりもまもなくこれよりも彼彼かよりもよりもよりも言言いひかはしひかはしいかわし給給たもうけるうけるうけるををを、、、それよりそれよりそれより後後のちはははそのこととやなかりけむそのこととやなかりけむそのこととやなかりけむ、、、せうそこもいせうそこもいしょうそこもいはははでしはすのつごもりになりにければでしはすのつごもりになりにければでしわすのつごもりになりにければ、、、
- 15「「「船船ふねにやにやにや乘乘のりしりしりし白浪白浪しらなみののの騷騷さわぐぐぐ時時ときのみのみのみ思思おもひひい出出いづるづるずる君君きみ」」」
- 16となむいへりけるとなむいへりけるとなむいえりけるををを、、、そのそのその返返かえしししをもをもをもせでせでせで年年とし越越こえにけりえにけりえにけり。。。さてきさらぎばかりにさてきさらぎばかりにさてきさらぎばかりに、、、柳柳やなぎのしなひのしなひのしない物物ものよりけによりけによりけに長長ながきなむこのきなむこのきなむこの家家いえにありけるにありけるにありけるををを折折おりてりてりて、、、
- 17「「「靑柳靑柳あおやぎのいとのいとのいとうちうちうちはははへてのどかなるへてのどかなるへてのどかなる春日春日かすがしもこそしもこそしもこそ思思おもひひい出出いでけれでけれでけれ」」」
- 18とてなむとてなむとてなむ遣遣やりりり給給たまへりければへりければえりければ、、、いとになくめでゝいとになくめでゝいとになくめでて後後のちまでなむまでなむまでなむ語語かたりけるりけるりける。。。
- 19大貳大貳だいに、、、友友ともがさわぎのがさわぎのがさわぎの時時ときうてのうてのうての使使つかいにさゝれてにさゝれてにさされて少將少將しょうしょうにてくだりけりにてくだりけりにてくだりけり。。。おほやけにもつかうまつりおほやけにもつかうまつりおおやけにもつこうまつり四位四位しいにもなりぬべきにもなりぬべきにもなりぬべき年年ねんににに當當あたりければりければりければ睦睦むつ月月つきのののたうばりのことたうばりのこととうばりのこと、、、いとゆかしうおぼえけれどいとゆかしうおぼえけれどいとゆかしゅうおぼえけれど京京きょうよりよりより下下くだるるる人人ひともももをををさささをををさささ聞聞きこえずえずえず。。。
- 20或人或人あるひとににに問問とへどへどえど「「「四位四位しいになりたりになりたりになりたり」」」ともいふともいふともいう。。。或人或人あるひとははは「「「さもあらずさもあらずさもあらず」」」ともいふともいふともいう。。。さだかなるさだかなるさだかなる事事こといかでいかでいかで聞聞きかむとかむとかむと思思おもふふう程程ほどににに、、、京京きょうのたよりあるにのたよりあるにのたよりあるに、、、近江近江おうみ守守かみののの君君きみののの文文ふみをををなむもてなむもてなむもて來來きたりけりりけりりけり。。。
- 21いとゆかしういとゆかしういとゆかしゅう嬉嬉うれしうてあけてしうてあけてしゅうてあけて見見みればよろづのればよろづのればよろずの事事ことどもどもども書書かきもていきてきもていきてきもていきて月日月日つきひなどかきてなどかきてなどかきて、、、奧奧おくににに、、、
- 22「「「匣匣くしげふたとせふたとせふたとせ逢逢あはぬはぬわぬ君君きみががが身身みをををあけながらやあけながらやあけながらやはははあらむとおもひしあらむとおもひしあらむとおもいし」」」。。。
- 23これこれこれををを見見みててて限限かぎりなくなくなく悲悲かなしくてなむしくてなむしくてなむ泣泣なきけるきけるきける。。。四位四位しいにならぬよしにならぬよしにならぬよし文文ふみののの詞詞ことばにににはははなくてなくてなくて唯唯ただかくなむありけるかくなむありけるかくなむありける。。。
現代語訳
〔第1段〕亭子院の帝(宇多天皇)が、いよいよ退位なさろうとするころ、弘徽殿の壁に伊勢の御が書きつけた歌、
「お別れはしますのに、別れを惜しむ様子もないこの宮中を、これからは見ないことになるのが、どうして悲しいことがありましょう」
とあったので、帝がご覧になって、その傍らに書きつけさせなさった歌、
「宮中はわたし一人のものではないというだけのことだ。わたしがあちこち行きめぐっても、おまえを見ないことなどあろうか」
ということであった。
〔第2段〕帝は退位なさって、翌年の秋に髪をおろされ、あちこちの山をめぐって修行なさった。肥前の掾で橘良利という人は、帝が在位中のころ殿上に仕えていたが、帝がご出家なさったので、すぐにお供として自分も頭をそった。人にも知られずにお歩きになるお供に、この人だけが遅れずにお仕えしていた。「こうした御出歩きをなさるのはたいへん良くないことだ」というので、内裏(醍醐天皇)から少将・中将などを誰彼となくお仕えせよと差し向けなさったけれども、院はその人々を避けては歩きなさる。和泉の国に着きなさって、日根という所にお泊まりになる夜があった。ひどく心細く、ひっそりとしておいでになることを思って、良利は悲しかった。さて院から「日根ということを歌によめ」とおおせごとがあったので、この良利大徳が、
「故郷で旅寝の夢に見えたのは、恨んでいるのだろうか。二度と訪れないものだから」
とよんだところ、人々は皆泣いて、誰も歌をよめなくなってしまった。この人の名を寛蓮大徳といって、のちのちまでお仕えしていた。
〔第3段〕故源大納言(源清蔭)が宰相でいらっしゃった時、京極御息所(藤原褒子)から、亭子院の御賀をお催しになるというので、「こういうことをしようと思います。捧げ物の枝を一枝、二枝作らせてください」と申し上げなさったので、大納言はひげ籠をたくさん作らせて、とし子に色とりどりに染めさせなさった。敷物の織物なども色とりどりに染め、組紐を組むなど、何もかもすべて任せて作らせなさった。とし子はその品々を九月の末にはすっかり仕上げてしまった。さて十月一日に、この品を急いで作らせなさった人(大納言)のもとに贈った歌、
「色とりどりに急いで染めた秋は過ぎてしまいました。今は時雨の季節ですが、何を染めたらよいでしょう」。
品物を急いで作らせなさっていたころは、絶え間なくあちらからもこちらからも便りを交わしなさったのに、それ以後は用事がないとでもいうのか、便りもなくて十二月の末になってしまったので、
「片帆をかけた船に乗っていらっしゃるのでしょうか。白波が騒ぐように、騒がしい時だけ思い出してくださるあなた」
とよんだのに、大納言はその返しもしないで年が明けてしまった。さて二月ごろに、柳のしなやかな枝がほかの木よりも格別に長いのがこの家にあったのを折って、
「青柳の糸が長くのびているように、のどかな春の日にこそ、あなたを思い出したのです」
と贈りなさったので、とし子はこのうえなく感心して、のちのちまで語り草にしていた。
〔第4段〕野大弐(小野好古)は、藤原純友の乱の時に追討使に任じられて、少将として下っていた。朝廷によく仕えて、四位にも昇るはずの年にあたっていたので、正月の加階を賜ったかどうかがたいへん気がかりであったが、京から下ってくる人もほとんど噂を伝えない。ある人に尋ねると「四位になった」と言う。別の人は「そうではない」と言う。確かなことを何とかして聞きたいと思っているうちに、京からの便りに、近江守公忠の君の手紙を持って来た。たいへん待ち遠しく、うれしく思って開けて見ると、いろいろな事を書き連ねて、日付などを書いて、終わりに、
「玉櫛笥の蓋ではないが、二年会わずにいるあなたの身が、まだ緋色の衣(五位)のままでいようとは思いもしませんでした」。
これを見て、限りなく悲しくて泣いた。四位にならなかったということは、手紙の文面にはなくて、ただこの歌だけがあったのである。
意訳
〔第1段〕退位を前にした宇多天皇の御所で、伊勢は「宮中を見なくなっても悲しくなんかない」と、わざと強がりの歌を壁に書きつけた。本心は惜しくてたまらないのである。帝はそれを見抜いて、「宮中はわたし一人のものではない。どこへ行こうと、おまえに会わないことなどあるものか」と、別れを打ち消してなぐさめた。主従の、気心の知れたやりとりである。
〔第2段〕出家した上皇は、お供を嫌って山野を歩き回った。ただ一人ついて歩いた良利は、日根という地名をよめと言われて、「旅寝」に「日根」を響かせ、「故郷に残してきた人が、二度と訪ねてこないあなたを恨んで夢に出てきたのでしょう」とよんだ。院の身の上と自分たちの境遇が重なり、居合わせた人々は涙で歌が続かなかった。
〔第3段〕仕事で頼られている間は毎日のように連絡があったのに、用が済むとぱったり音沙汰がない。とし子は「時雨の季節になったら、もう染めるものもありません」「騒がしい時だけ思い出すのね」と、恨みを軽い冗談に包んで送った。大納言はしばらく黙っていたが、春になって長い柳の枝に「のどかな今こそあなたを思い出す」と添えて返した。上手な切り返しに、とし子はすっかり機嫌を直した。
〔第4段〕遠い九州の戦地で、昇進の知らせを待ちわびる好古。友人の公忠は、昇進できなかったとは書かず、「玉櫛笥」の「ふた」「あけ」に、二年会わないことと、五位の緋色の衣(あけ)のままであることを掛けた歌を一首だけ添えた。言いにくいことを歌に託した、心づかいの手紙である。
語釈・文法注
- 亭子院の帝
- 宇多天皇(867〜931、在位887〜897)。退位後に住んだ亭子院の名で呼ぶ。『大和物語』には、この院と周辺の人々の話が多い。
- 伊勢の御
- 歌人の伊勢(872ごろ〜938ごろ)。宇多天皇の中宮温子に仕え、天皇の寵愛も受けた。「御」は女房への敬称。
- 弘徽殿
- 内裏の後宮の殿舎の一つ。
- 百敷
- 「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞で、転じて宮中のこと。
- みぐしおろし
- 髪をそって出家すること。宇多上皇は昌泰二年(899)に出家した。
- やまぶみ
- 山を歩きまわること。ここでは修行のための山めぐり。
- 椽
- 国司の三等官の「掾(じょう)」。底本は「椽」と書く。
- 橘の良利
- 宇多上皇に従って出家し、寛蓮と名のった。碁の名手として知られる。
- ひね
- 和泉国日根郡(今の大阪府泉佐野市・泉南市のあたり)。
- だいとく
- 大徳。徳の高い僧の敬称。
- 故源大納言
- 源清蔭(884〜950)。陽成天皇の皇子。
- 京極のみやすんどころ
- 藤原褒子。藤原時平の娘で、宇多上皇の寵愛を受けた。
- さゝげもの
- 捧げ物。賀の祝いに献上する品で、作り物の枝に品物を付けて差し出した。
- ひげこ
- 鬚籠。編み残した竹の端をひげのように出した籠で、贈り物を入れた。
- とし子
- 『大和物語』前半にたびたび登場する女性。藤原千兼の妻。歌に巧みで、宮廷の人々と親しく交わった。
- かたかけの船
- 片帆(帆を一方に傾けて張ること)をかけた船。風を受けて走る船で、白波が騒ぐ。
- 野大貳
- 小野好古(884〜968)。大宰大弐をつとめたので、小野の「野」をとってこう呼ぶ。小野道風の兄。
- 純友がさわぎ
- 藤原純友の乱(939〜941)。瀬戸内海の海賊を率いて朝廷に背いた。
- うての使
- 討手の使。反乱を鎮めるために派遣される使者。好古は追捕山陽南海両道凶賊使に任じられた。
- 加階
- 位階を上げること。正月の叙位で行われた。
- 近江守公忠
- 源公忠(889〜948)。三十六歌仙の一人。
- 玉匣
- 玉櫛笥。櫛などを入れる美しい箱。「ふた」「あけ」「身」は箱の縁語。
文法
- おり居給ひなむとする
- 「おり居」は退位すること。「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は意志で、「いよいよ退位なさろうとする」。
- 書きつけゝる
- 「ゝ」は「け」のくり返しで「書きつけける」。下に「歌」を補って読む連体止め。
- 給うける
- 「給ひける」のウ音便。『大和物語』に多い形。
- 見ざらむことのなにか悲しき
- 「なにか」は反語で、「どうして悲しいだろうか、悲しくはない」。伊勢の強がりを表す。
- ひねといふ所
- 底本は「ひね」とかなで書く。地名の日根。
- 後れ奉らで
- 「で」は打消の接続助詞。「お遅れ申さずに」。
- 見えつるは
- 「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形。下に「人」を補う。
- 四位にもなりぬべき年
- 「ぬべき」は強意+推量で、「きっと四位になるはずの年」。
- あけながらやはあらむ
- 「やは」は反語。「緋色の衣のままでいるだろうか、いや、いるはずがないと思っていた」。
和歌
わかるれど あひもをしまぬ 百敷を 見ざらむことの なにか悲しき
- 詠者
- 伊勢
- 状況
- 宇多天皇の退位を前に、弘徽殿の壁に書きつけた歌。『後撰和歌集』雑一にも入る。
修辞
- 反語
- 「なにか悲しき」で、悲しくはないと言い切りながら、実は惜別の思いの深さを裏返しに表している。
身一つに あらぬばかりを おしなべて 行きめぐりても 何か見ざらむ
- 詠者
- 宇多天皇
- 状況
- 伊勢の歌の傍らに書きつけさせた返歌。
修辞
- 反語
- 「何か見ざらむ」で、どこへ行こうとも会わないことがあろうか、と別れの悲しみを打ち消す。
故鄕の たびねの夢に 見えつるは うらみやすらむ またと訪はねば
- 詠者
- 橘良利(寛蓮)
- 状況
- 出家した宇多上皇のお供で和泉国日根に泊まった夜、地名の「ひね」を詠みこむよう命じられて。
修辞
- 物名
- 「たびね」の中に地名「ひね」を詠みこむ。
千々の色に いそぎし秋は 過ぎにけり 今は時雨に 何を染めまし
- 詠者
- とし子
- 状況
- 御賀の捧げ物を染め終えた十月一日に、源清蔭へ。
修辞
- 縁語
- 「色」「染め」「時雨」。時雨は木の葉を染めるものとされた。
かたかけの 船にや乘りし 白浪の 騷ぐ時のみ 思ひ出づる君
- 詠者
- とし子
- 状況
- 用事が済むと便りをよこさなくなった源清蔭に、年の暮れに贈った歌。
修辞
- 比喩
- 片帆の船が白波の立つ時だけ進むように、忙しい時だけ自分を思い出す相手をなじる。
靑柳の いとうちはへて のどかなる 春日しもこそ 思ひ出でけれ
- 詠者
- 源清蔭
- 状況
- 翌年の二月、長い柳の枝を折って添えた返し。
修辞
- 掛詞
- 「いと」に柳の「糸」と副詞「いと」を掛ける。
- 序詞
- 「靑柳のいとうちはへて」が「のどかなる」を導く。
玉匣 ふたとせ逢はぬ 君が身を あけながらやは あらむとおもひし
- 詠者
- 源公忠
- 状況
- 純友の乱で九州に下っていた小野好古に、四位に昇らなかったことを伝えた歌。
修辞
- 掛詞
- 「ふた」に箱の「蓋」と「二(年)」、「あけ」に「開け」と五位の袍の「緋(あけ)」を掛ける。
- 縁語
- 「玉匣」「ふた」「身」「あけ」は箱の縁語。
解説
『大和物語』は、十世紀半ば(天暦五年〈951〉ごろ)に原形ができ、その後に書き足されて今の形になったと考えられる歌物語である。作者は分からない。宇多天皇の周辺の宮廷社会で語られた和歌の逸話を集めたもので、『伊勢物語』のように一人の主人公の一代記にはなっていない。実在の人物が実名で登場し、ひとつひとつの段は短い。
冒頭の四段は、いずれも宇多院(亭子院)とその周辺の話である。第1段は宇多天皇の譲位(寛平九年〈897〉)の際の伊勢と天皇の贈答で、作品全体の幕開けにふさわしく、宮廷の中心にいる帝と女房歌人を描く。第2段は、出家した上皇の山歩きにただ一人従った橘良利の話で、のちに碁の名手「寛蓮」として知られる人物である。
第3段のとし子は、『大和物語』前半を彩る女性の一人で、宮廷の人々と気軽に歌を交わす機知に富んだ人として描かれる。第4段は、天慶の乱(藤原純友の乱)の時代の話で、小野好古と源公忠の友情が、昇進という現実的な話題を通して語られる。好古が四位に昇ったのは、乱の鎮圧後のことであった。
このように、『大和物語』前半の章段は、実在の人物の歌と、その歌がよまれた事情を伝える「歌語り」の性格が強い。一つの段に登場した人物が、すぐ次の段にも名を変えて現れるなど、話から話へと人のつながりで連なっていくのも特色である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部四 雑下(大和物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、1〜3頁(コマ4–5)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日