徒然草 第40章(第238段〜第239段)
近友が自讃にならひて
随身近友の「自讃」七か条にならって、兼好自身の自慢話を七つ書きとめた第238段――落馬を予言したこと、論語の一節の所在を即答したこと、鐘の銘の誤りを指摘したこと、額の筆者を裏書で見分けたこと、千本の寺の念仏で言い寄る女を避けたことなど――と、八月十五日・九月十三日の月が美しいわけを記す第239段を収める。

- 1近友近友ちかともがががとてとてとて、、、七箇條七箇條しちかじょうかきとゞめたることありかきとゞめたることありかきとどめたることあり。。。みなみなみな馬藝馬藝うまげいさせることなきさせることなきさせることなき事事ことどもなりどもなりどもなり。。。そのためしそのためしそのためしををを思思おもひてひていて、、、自讚自讚じさんのことのことのこと七七ななつありつありつあり。。。
- 2一人一人ひとりあまたつれてあまたつれてあまたつれて花花はな見見みありきしにありきしにありきしに、、、ののの邊邊べにてにてにて、、、をのこをのこおのこ馬馬うまをををはしらしむるはしらしむるはしらしむるををを見見みててて、、、「「「いまいまいま一度馬一度馬いちどうまをををはするものならばはするものならばはするものならば、、、馬馬うまたふれたふれたおれててて落落おつべしつべしつべし。。。しばししばししばし見見み給給たまへへえ」」」とてとてとて立立たちとまりたるにまたちとまりたるにまたちとまりたるにまた馬馬うまををを馳馳はすすす。。。
- 3とゞむるとゞむるとどむる所所ところにてにてにて馬馬うまををを引引ひきたふしてきたふしてきたうして、、、乘乘のれるれるれる人泥土人泥土ひとでいどののの中中なかにころびにころびにころび入入いるるる。。。そのそのその詞詞ことばのあやまらざることのあやまらざることのあやまらざることををを人人ひとみなみなみな感感かんずずず。。。
- 4いまだいまだいまだにおはしましゝにおはしましゝにおわしましし頃頃ごろ、、、御所御所ごしょなりしになりしになりしに、、、伺候伺候しこうししし給給たまひしひしいし御御おんさうじへさうじへそうじえ御用御用ごようありてありてありて參參まいりたりしにりたりしにりたりしに、、、論語論語ろんごののの四五六四五六しごろくののの卷卷まきをををくりくりくりひろげひろげひろげ給給たまひてひていて、、、「「「たゞたゞただ今御所今御所いまごしょにてにてにて、、、ののの朱朱あけうばふことうばふことうばうことををを惡惡あむといふむといふむという文文ふみををを御覽御覽ごらんぜられたきことありてぜられたきことありてぜられたきことありて、、、御本御本ごおんををを御御ごらんずれどもらんずれどもらんずれども御覽御覽ごらんじじじ出出いだされぬなりされぬなりされぬなり。。。なほよくひきなほよくひきなおよくいき見見みよとよとよと仰仰おおせせせ事事ことにてにてにて求求もとむるなりむるなりむるなり」」」ととと仰仰おおせらるゝにせらるゝにせらるるに、、、「「「九九くののの卷卷まきのそこそこののそこそこののそこそこのほどにほどにほどに侍侍はべるるる」」」ととと申申もうしたりしかばしたりしかばしたりしかば、、、「「「あなうれしあなうれしあのうれし」」」とてもてまゐらせとてもてまゐらせとてもてまいらせ給給たまひきひきいき。。。
- 5かかかほどのことほどのことほどのことははは、、、ちごどもゝちごどもゝちごどもも常常つねのことなれどのことなれどのことなれど、、、昔昔むかしののの人人ひとはははいさゝかのこといさゝかのこといささかのことをもをもをも、、、いみじくいみじくいみじく自讚自讚じさんしたるなりしたるなりしたるなり。。。後鳥羽院後鳥羽院ごとばのいんののの御歌御歌みゅうたににに、、、「「「袖袖そでととと袂袂たもとととと一首一首いっしゅのののうちにあしかりなむやうちにあしかりなむやうちにあしかりなむや」」」とととにたづねにたづねにたずね仰仰おおせられたるにせられたるにせられたるに、、、「「「秋秋あきののの野野のののの草草くさのたもとかのたもとかのたもとか花花はなすゝきすゝきすすきほにほにほに出出いでてまねくてまねくてまねく袖袖そでとみゆらむととみゆらむととみゆらむとはべればはべればはべれば、、、何事何事なにごとかさふらふべきかさふらふべきかさうらうべき」」」ととと申申もうされたることもされたることもされたることも、、、「「「時時ときにあたりてにあたりてにあたりてををを覺悟覺悟かくごすすす、、、道道みちののの冥加冥加みょうがなりなりなり。。。高運高運こううんなりなりなり」」」などことごとしくなどことごとしくなどことごとしく記記しるしおかれしおかれしおかれ侍侍はべるなりるなりるなり。。。
- 6のののにもにもにも、、、ことなることなることなる事事ことなきなきなき題目題目だいもくをもをもをも書書かきのせてきのせてきのせて、、、自讚自讚じさんせられたりせられたりせられたり。。。
- 7のつきのつきのつき鐘鐘かねののの銘銘めいははは、、、ののの草草くさなりなりなり。。。淸書淸書せいしょしてしてして、、、うつさせむとせしにうつさせむとせしにうつさせむとせしに、、、奉行奉行ぶぎょうののの入道入道にゅうどうかのかのかの草草くさをををとりとりとり出出いでゝでゝでて見見みせせせ侍侍はべりしにりしにりしに、、、「「「花花はなののの外外ほかににに夕夕ゆうべをををおくればおくればおくれば聲百里聲百里こえひゃくりににに聞聞きこゆといふゆといふゆという句句くありありあり。。。陽唐陽唐ようとうののの韻韻いんととと見見みゆるにゆるにゆるに、、、百里百里ひゃくりあやまりかあやまりかあやまりか」」」ととと申申もうしたりししたりししたりしををを、、、「「「よくぞよくぞよくぞ見見みせせせ奉奉たてまつりけるりけるりける、、、己己おのががが高名高名こうみょうなりなりなり」」」とてとてとて筆者筆者ひっしゃののの許許もとへへへいひやりたるにいひやりたるにいいやりたるに、、、「「「あやまりあやまりあやまり侍侍はべりけりりけりりけり。。。數行數行すこうとなほさるべしとなほさるべしとなおさるべし」」」ととと返事返事へんじはははべりきべりきべりき。。。
- 8數行數行すこうもいかなるべきにかもいかなるべきにかもいかなるべきにか。。。もしもしもし數步數步すおのこゝろかのこゝろかのこころか、、、おぼつかなしおぼつかなしおぼつかなし。。。
- 9一人一人ひとりあまたあまたあまた伴伴ともなひてひていて、、、ののの事侍事侍ことはべりしにりしにりしに、、、橫川橫川よかわののの常行堂常行堂じょうぎょうどうのののうちうちうち、、、龍華院龍華院りゅうげいんととと書書かけるけるけるふるきふるきふるき額額ひたいありありあり。。。「「「、、、行成行成こうぜいののの間間まうたがひありてうたがひありてうたがいありて、、、いまだいまだいまだ决决けつせずとせずとせずと申申もうししし傳傳つたへたりへたりえたり」」」ととと堂僧堂僧どうそうことごとしくことごとしくことごとしく申申もうししし侍侍はべりしりしりしををを、、、「「「行成行成こうぜいならばならばならばあるべしあるべしあるべし。。。佐理佐理さりならばならばならば裏書裏書うらがきあるべからずあるべからずあるべからず」」」といひたりしにといひたりしにといいたりしに、、、裏裏うらははは塵塵ちりつもりつもりつもり、、、蟲蟲むしののの巢巢すにていぶせげなるにていぶせげなるにていぶせげなるををを、、、よくよくよくはははきのごひておのおのきのごひておのおのきのごいておのおの見侍見侍みはべりしにりしにりしに、、、行成位署名字年號行成位署名字年號こうぜいいしょみょうじねんごうさだかにさだかにさだかに見見みえええ侍侍はべりしかばりしかばりしかば、、、人人ひとみなみなみな興興きょうににに入入いるるる。。。
- 10一那蘭陀寺一那蘭陀寺ひとつならんだじにてにてにて道眼道眼どうげんひじりひじりひじり談義談義だんぎせしにせしにせしに、、、といふことといふことということををを忘忘わすれてれてれて、、、「「「誰誰たれかおぼえかおぼえかおぼえ給給たまふふう」」」といひしといひしといいしををを所化所化しょけみなおぼえざりしにみなおぼえざりしにみなおぼえざりしに、、、局局つぼねのののうちよりうちよりうちより、、、「「「これこれにやこれこれにやこれこれにや」」」といひといひといい出出いだしたればしたればしたれば、、、いみじくいみじくいみじく感感かんじじじ侍侍はべりきりきりき。。。
- 11ににに伴伴ともなひてひていて、、、ををを見見みはははべりしにべりしにべりしに、、、いまだいまだいまだはははてぬてぬてぬほどにほどにほどに僧正僧正そうじょうかへりてかへりてかえりて侍侍はべりしにりしにりしに、、、陣陣じんののの外外ほかまでまでまで僧都見僧都見そうずみえずえずえず。。。法師法師ほうしどもどもどもをををかへしてかへしてかへして求求もとめさするにめさするにめさするに、、、「「「おなじさまなるおなじさまなるおなじさまなる大衆多大衆多だいしゅおおくてくてくて、、、えもとめあはずえもとめあはずえもとめあわず」」」といひてといひてといいて、、、いといといと久久ひさしくてしくてしくて出出いでたりしでたりしでたりしををを、、、「「「あなわびしあなわびしあなわびし、、、それもとめておはせよそれもとめておはせよそれもとめておわせよ」」」といはれしにといはれしにといわれしに、、、かへりかへりかえり入入いりてやがてりてやがてりてやがて具具ぐしていでぬしていでぬしていでぬ。。。
- 12一二月十五日月一二月十五日月ひとつにがつじゅうごにちつきあかきあかきあかき夜夜ようちふけてうちふけてうちうけて、、、ののの寺寺てらにまうでゝにまうでゝにもうでて、、、うしろよりうしろよりうしろより入入いりてりてりて一人顏一人顏ひとりかおふかくかくしてふかくかくしてふかくかくして聽聞聽聞ちょうもんししし侍侍はべりしにりしにりしに、、、優優ゆうなるなるなる女女おんなののの、、、すがたにほひすがたにほひすがたにおい人人ひとよりことなるがよりことなるがよりことなるが、、、わけわけわけ入入いりてりてりて膝膝ひざににに居居いかゝればかゝればかかれば、、、にほひなどもにほひなどもにおいなどもうつるばかりなればうつるばかりなればうつるばかりなれば、、、びんあしとびんあしとびんあしと思思おもひてすりのきたるにひてすりのきたるにいてすりのきたるに、、、なほなほなお居寄居寄いよりておなじさまなればりておなじさまなればりておなじさまなれば立立たちぬちぬちぬ。。。
- 13そのそのその後後うしろあるあるある御所御所ごしょさまのさまのさまのふるきふるきふるき女房女房にょうぼうののの、、、そゞろごといはれしついでにそゞろごといはれしついでにそぞろごといわれしついでに、、、「「「むげにむげにむげに色色いろなきなきなき人人ひとにおはしけりとにおはしけりとにおわしけりと見見みおとしおとしおとし奉奉たてまつることなむありしることなむありしることなむありし。。。なさけなしとなさけなしとなさけなしとうらみうらみうらみ奉奉たてまつるるる人人ひとなむあるなむあるなむある」」」とのたまひとのたまひとのたまい出出いだしたるにしたるにしたるに、、、「「「更更さらにこそにこそにこそ心心こころえええはべらねはべらねはべらね」」」ととと申申もうしてしてして止止やみぬみぬみぬ。。。
- 14このこのこの事後事後ことのちににに聞聞きききき侍侍はべりしりしりしははは、、、かのかのかの聽聞聽聞ちょうもんののの夜夜よ、、、御局御局みつぼねのののうちよりうちよりうちより人人ひとののの御覽御覽ごらんじしりてじしりてじしりて、、、さぶらふさぶらふさぶらう女房女房にょうぼうをををつくりたてゝいだしつくりたてゝいだしつくりたてていだし給給たまひてひていて、、、「「「びんよくばことばなどかけむものぞびんよくばことばなどかけむものぞびんよくばことばなどかけむものぞ。。。そのありさまそのありさまそのありさま參參まいりてりてりて申申もうせせせ、、、興興きょうあらむあらむあらむ」」」とてとてとてはははかりかりかり給給たまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ。。。
- 15八月十五日八月十五日はちがつじゅうごにち、、、九月十三日九月十三日くがつじゅうさんにちはははなりなりなり。。。このこのこの宿淸明宿淸明しゅくせいめいなるゆゑになるゆゑになるゆえに、、、月月つきをもをもをもてあそぶにてあそぶにてあそぶに良夜良夜りょうやとすとすとす。。。
現代語訳
〔第238段〕御随身の近友が自慢話といって、七か条を書きとどめたものがある。みな馬術のことで、大したことではないものばかりである。その例を思って、(私にも)自慢のことが七つある。
一つ。人を大勢連れて花見に歩いたときに、最勝光院のあたりで、男が馬を走らせているのを見て、「もう一度馬を走らせたら、馬が倒れて落ちるだろう。しばらく見ていなさい」と言って立ち止まっていると、また馬を走らせた。止めるところで馬を引き倒して、乗っていた人は泥の中に転げ落ちた。その言葉がはずれなかったことに、人々はみな感心した。
一つ。今上(後醍醐天皇)がまだ東宮でいらっしゃったころ、万里小路殿が御所であったときに、堀川大納言殿が伺候しておられた御曹司へ用事があって参上したところ、(大納言殿は)『論語』の四・五・六の巻を繰り広げておられて、「たった今、御所で、『紫の朱を奪ふことを悪む』という文をご覧になりたいことがあって、ご本をご覧になるけれども、お見つけになれないのだ。『もっとよく探して見よ』とのお言葉で探しているのだ」とおっしゃるので、「九の巻のどこそこのあたりにございます」と申しあげたところ、「ああ、うれしい」と言って、持って参上なさった。これくらいのことは、子どもでもよくあることだが、昔の人は、ちょっとしたことでも、たいそう自慢したものである。後鳥羽院のお歌で、「袖と袂とを一首の中に詠んだら、よくないだろうか」と定家卿にお尋ねになったところ、「『秋の野の草のたもとか花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらむ』という歌がございますので、何の差しつかえがございましょう」と申しあげたことも、「時に臨んで本歌を覚えていたのは、歌道の冥加である。幸運である」などと、大げさに書き記しておかれております。九条相国伊通公の款状にも、とくに変わったことでもない事柄まで書き載せて、自慢しておられる。
一つ。常在光院の撞き鐘の銘は、在兼卿の草稿である。行房朝臣が清書して、鋳型に写させようとしたときに、奉行の入道がその草稿を取り出して見せましたので、「『花の外に夕を送れば声百里に聞こゆ』という句がある。陽唐の韻と見えるのに、『百里』は誤りではないか」と申したところ、「よくぞお見せしたものだ。わたしの手柄だ」と言って、筆者のもとへ言ってやったところ、「誤りでした。『数行』と直すべきです」と返事がありました。「数行」もどうであろうか。もしや「数歩」の意味だろうか。不審である。
一つ。人を大勢連れて、比叡山の三塔を巡礼したことがありましたが、横川の常行堂の中に、「龍華院」と書いた古い額がある。「佐理か行成か、疑いがあって、いまだに決着していないと言い伝えています」と、堂の僧がもったいぶって申しましたのを、「行成ならば裏書があるはずだ。佐理ならば裏書はないはずだ」と言ったところ、裏は塵が積もり、虫の巣で汚らしかったのを、よく掃きぬぐって、みなで見ましたところ、行成の位署・名字・年号がはっきりと見えましたので、人々はみな感じ入った。
一つ。那蘭陀寺で、道眼聖が談義をしたときに、八災ということを忘れて、「だれか覚えておられるか」と言ったのを、弟子たちがだれも覚えていなかったので、(私が)聴聞席の局の中から、「これこれではありませんか」と言い出したところ、たいそう感心されました。
一つ。賢助僧正に伴って、加持香水の儀式を見ましたが、まだ終わらないうちに、僧正が帰ってしまわれたところ、陣の外まで(お供の)僧都の姿が見えない。法師たちを引き返させて探させたところ、「同じような格好をした僧が大勢いて、探し出せません」と言って、ずいぶん長くたってから出てきたのを、「ああ、困った。あなたが探していらっしゃい」と言われたので、(私が)引き返して入って、すぐに連れて出てきた。
一つ。二月十五日、月の明るい夜ふけに、千本の寺に参詣して、後ろから入って、ひとり顔を深く隠して聴聞しておりましたところ、優美な女で、姿も香りも人よりすぐれている者が、分け入ってきて膝に寄りかかってくるので、香りなども移るほどだったので、具合が悪いと思って身をずらしたのに、なおもすり寄ってきて同じようにするので、立ち去った。その後、ある御所の古参の女房が、とりとめもない話をなさったついでに、「ひどく情趣のわからない方でいらっしゃると、見下げ申しあげたことがありました。情けないとお恨み申しあげている人がいます」とおっしゃり出したので、「まったく心当たりがございません」と申してそのままになった。このことを後で聞きましたのは、あの聴聞の夜、御局の中から(ある方が私を)見知っておられて、お仕えしている女房を着飾らせてお出しになって、「うまくいけば、言葉などかけるだろう。その様子を参って報告せよ。おもしろかろう」と言って、たくらまれたのだということだ。
〔第239段〕八月十五日、九月十三日は、婁宿にあたる。この宿は清明なので、月を賞する良い夜とする。
意訳
〔第238段〕随身の近友が馬術の自慢を七か条書き残したのにならって、兼好も自分の自慢話を七つ並べる。落馬の予言、『論語』の文の所在の即答、鐘の銘の韻の誤りの指摘、額の裏書による筆者の判定、忘れられた仏教用語の助け舟、見失われた僧都の発見、そして念仏の夜に言い寄ってきた美女を避けたこと。最後の一つは、実はある貴人が兼好を試すために仕組んだいたずらだったという落ちがつく。
ところどころに「昔の人はささいなことも大げさに自慢した」と定家や伊通の例を挙げて照れ隠しをしながら、学識と観察眼と品行を誇る。厳しい人生論を書いてきた兼好が、ふと見せる人間らしい一面として、読者に親しまれてきた段である。
〔第239段〕八月十五夜と九月十三夜が月見によいのは、婁宿という澄んだ星宿にあたるからだという。
語釈・文法注
- 御隨身近友
- 中臣近友。白河院の随身で、馬術にすぐれた。
- 自讚
- 自分で自分をほめること。自慢。
- 最勝光院
- 京都の東山にあった寺。後白河院の女御建春門院の御願寺。
- 當代
- 今上天皇。ここでは後醍醐天皇。
- 坊
- 東宮(皇太子)の御所。また皇太子。
- 萬里小路殿
- 万里小路にあった御所。
- 堀川大納言殿
- 堀川具親(1294〜?)とされる。
- 紫の朱うばふことを惡む
- 『論語』陽貨篇の言葉。中間色の紫が正色の朱の地位を奪うことを憎む。
- 定家卿
- 藤原定家(1162〜1241)。
- 本歌
- 和歌を作る際に、もとにした古歌。
- 九條相國伊通公
- 藤原伊通(1093〜1165)。太政大臣。
- 款狀
- 自分の功績を述べて官位などを願う文書。
- 常在光院
- 京都の東山にあった寺。
- 在兼卿
- 菅原在兼(1249〜1321)。学者。
- 行房朝臣
- 世尊寺行房。能書家。
- いかた
- 鋳型。
- 三塔
- 比叡山の東塔・西塔・横川。
- 佐理
- 藤原佐理(944〜998)。三蹟の一人。
- 裏書
- 額の裏に書いた、筆者の位・名・年月などの記載。
- 八災
- 禅定を妨げる八つのわざわい。
- 賢助僧正
- 真言宗の僧(1280〜1325)。
- 加持香水
- 正月の後七日御修法で、香水を加持する儀式。
- 千本の寺
- 京都の千本にある大報恩寺。二月十五日の涅槃会に念仏が行われた。
- 婁宿
- 二十八宿の一つ。
文法
- あしかりなむや
- 「な」は強意、「む」は推量、「や」は疑問。よくないだろうか。
- 何事かさふらふべき
- 「か…べき」は反語。何の差しつかえがございましょうか。
- 數行もいかなるべきにか
- 「か」の下に「あらむ」が省略されている。「数行」もどうであろうか。
- ほに出て
- 底本は「ほに出て」と書く。通行の本歌は「穂に出でて」。
- びんあし
- 便悪し。具合が悪い。都合が悪い。
- びんよくば
- 便よくば。うまくいけば。
和歌
秋の野の草のたもとか花すゝきほに出てまねく袖とみゆらむ
- 詠者
- 在原棟梁
- 状況
- 『古今和歌集』秋上の歌。第238段で、袖と袂を一首に詠んでよいかという後鳥羽院の問いに、藤原定家が先例として答えた本歌。
修辞
- 見立て
- 風になびく花すすきを、秋の野が着ている草の衣の袂と見立て、さらに人を招く袖と見る。
- 掛詞
- 「ほに出て」に、すすきの「穂に出づ」と、思いが「表に出る」をかける。
解説
第238段は、兼好が自分の自慢話を七つ並べた、『徒然草』の中でも異色の段である。随身近友の自讃の七か条にならうという形をとり、「昔の人はいささかのことをも、いみじく自讃したるなり」と定家や伊通の例を挙げて、自慢することへの照れを示しながら、学識・観察力・機転を語っている。
最後の七つ目の話は、念仏の夜に言い寄ってきた美女を避けたという話で、実はある高貴な女性が兼好を試すために仕組んだいたずらだったという落ちがつく。兼好が宮中の女房たちの間で知られた存在であったことがうかがえ、ユーモラスな結びとなっている。
第239段は、八月十五夜と九月十三夜の月見の由来を、星宿によって説明する短い段である。九月十三夜の月見は日本独自の風習とされる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、854〜857頁(コマ441–442)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日