古典ライブラリー

徒然草 第37章(第220段〜第229段)

楽の音と平家物語の作者

天王寺の舞楽が都に劣らないのは聖徳太子の時代の鐘を音の基準にしているからだという伶人の話、祭の放免の飾りの移り変わり、追善には念仏より光明真言をと答えた乗願房、庭を畑にせよと勧めた陰陽師、白拍子の起こり、『平家物語』の作者は信濃前司行長であるという有名な記事、六時礼讃や千本釈迦念仏の始まり、名工の鈍い刀の話を収める。

書物をそばに置き、語りを教える行長入道と琵琶法師
第226段に語られる、『平家物語』の成立をめぐる情景。行長入道が盲人の生仏に教えて語らせたという記述をもとに、物語が声で伝わる姿を描いている。
  1. 1「「「何事なにごと何事なにごとなにごとももも邊土へんど邊土へんどへんどははは卑いや卑いやいやしくかたくななれどもしくかたくななれどもしくかたくななれども、、、ののの舞樂ぶがく舞樂ぶがくぶがくのみのみのみ都みやこ都みやこみやこににに恥は恥ははぢずぢずじず」」」といへばといへばといえば、、、天王寺てんわうじ天王寺てんわうじてんのうじののの伶人れいじん伶人れいじんれいじんののの申まう申まうもうしししはべりしはべりしはべりしははは、、、「「「當寺たうじ當寺たうじとうじののの樂がく樂がくがくはははよくよくよくをををしらべしらべしらべ合あは合あはあわせてせてせて、、、ものゝものゝものの音おと音おとおとのめでたくとゝののめでたくとゝののめでたくととのほりほりほり侍はべ侍はべはべることることること、、、外ほか外ほかほかよりもすぐれたるゆゑよりもすぐれたるゆゑよりもすぐれたるゆえははは、、、太子たいし太子たいしたいしののの御時おほんとき御時おほんときおおんときののの圖今といま圖今といまといまにににはべるはべるはべるをををはははかせとすかせとすかせとす。。。いいいはははゆるゆるゆる六時堂ろくじだう六時堂ろくじだうろくじどうののの前まへ前まへまえののの鐘かね鐘かねかねなりなりなり。。。そのこゑそのこゑそのこえのもなかなりのもなかなりのもなかなり。。。寒暑かんしよ寒暑かんしよかんしょににに隨したが隨したがしたがひてあがりさがりあるべきゆゑにひてあがりさがりあるべきゆゑにいてあがりさがりあるべきゆえに、、、よりよりよりまでのまでのまでの中間ちゆうげん中間ちゆうげんちゅうげんををを指南しなん指南しなんしなんとすとすとす。。。秘藏ひさう秘藏ひさうひそうのことなりのことなりのことなり。。。このこのこの一調子いちてうし一調子いちてうしいっちょうしをもをもをもちていづれのこゑちていづれのこゑちていずれのこえをもをもをもとゝのとゝのととのへへへ侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり」」」ととと申まう申まうもうしきしきしき。。。
  2. 2およそおよそおよそ鐘かね鐘かねかねのこゑのこゑのこえははは黃鐘調わうしきでう黃鐘調わうしきでうおうしきじょうなるべしなるべしなるべし。。。これこれこれ無常むじやう無常むじやうむじょうののの調子てうし調子てうしちょうし、、、ののの無常院むじやうゐん無常院むじやうゐんむじょういんのこゑなりのこゑなりのこえなり。。。西園寺さいをんじ西園寺さいをんじさいおんじののの鐘かね鐘かねかね、、、黃鐘調わうしきでう黃鐘調わうしきでうおうしきじょうにいらるべしとてにいらるべしとてにいらるべしとて、、、あまたゝびあまたゝびあまたたび鑄替いか鑄替いかいかへられけれどもへられけれどもえられけれども、、、かなはざりけるかなはざりけるかなわざりけるををを、、、遠國をんごく遠國をんごくおんごくよりたづねよりたづねよりたずね出いだ出いだいだされけりされけりされけり。。。法金剛院ほふこんがうゐん法金剛院ほふこんがうゐんほうこんごういんののの鐘かね鐘かねかねののの聲こゑ聲こゑこえ、、、またまたまた黃鐘調わうしきでう黃鐘調わうしきでうおうしきじょうなりなりなり。。。
  3. 3建治けんぢ建治けんぢけんじ弘安こうあん弘安こうあんこうあんのころのころのころははは、、、祭まつり祭まつりまつりののの日ひ日ひひののののつけものにのつけものにのつけものに、、、ことやうなることやうなることようなる紺こん紺こんこんののの布四五端ぬのしごたん布四五端ぬのしごたんぬのしごたんにてにてにて馬むま馬むまうまをををつくりてつくりてつくりて尾髮をがみ尾髮をがみおがみにににはははとととうじみうじみうじみをををしてしてして、、、くものいかきたるくものいかきたるくものいかきたる水干すいかん水干すいかんすいかんにつけてにつけてにつけて、、、歌うた歌うたうたののの心こころ心こころこころなどいひてわたりしことなどいひてわたりしことなどいいてわたりしこと、、、常つね常つねつねににに見及みおよ見及みおよみおよびびび侍はべ侍はべはべりしなどもりしなどもりしなども、、、興きよう興きようきょうありてしたるありてしたるありてしたる心こころ心こころこころちにてこそちにてこそちにてこそ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか」」」ととと老お老おおいたるいたるいたるどものどものどもの今日けふ今日けふきょうもかたりもかたりもかたり侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。
  4. 4このこのこの頃ごろ頃ごろごろはははつけものつけものつけもの年とし年としとしをををおくりておくりておくりて、、、過差くわさ過差くわさかさことのことのことの外ほか外ほかほかになりてになりてになりて、、、萬よろづ萬よろづよろずののの重おも重おもおもきものきものきものををを多おほ多おほおおくつけてくつけてくつけて、、、左右さいう左右さいうさゆうののの袖そで袖そでそでををを人ひと人ひとひとにもたせてみづからにもたせてみづからにもたせてみずからはははほこほこほこをををだにもたずだにもたずだにもたず、、、息いき息いきいきつきくるしむありさまいとつきくるしむありさまいとつきくるしむありさまいと見み見みみぐるしぐるしぐるし。。。
  5. 5ののの乘願房じようぐわんばう乘願房じようぐわんばうじょうがんぼう、、、へへへまゐられたりけるにまゐられたりけるにまいられたりけるに、、、「「「亡者まうじや亡者まうじやもうじゃののの追善ついぜん追善ついぜんついぜんにににははは何事なにごと何事なにごとなにごとかかか勝利しようり勝利しようりしょうりおほきおほきおおき」」」とたづねさせとたづねさせとたずねさせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、「「「寶篋印陀羅尼ほうけふいんだらに寶篋印陀羅尼ほうけふいんだらにほうきょういんだらに」」」ととと申まう申まうもうされたりけるされたりけるされたりけるををを、、、弟子でし弟子でしでしどもどもども「「「いかにかくいかにかくいかにかくははは申まう申まうもうししし給たま給たまたまひけるぞひけるぞいけるぞ。。。念佛ねんぶつ念佛ねんぶつねんぶつにまさることにまさることにまさること候さふら候さふらそうろうふまじとふまじとうまじとははは、、、などなどなど申まう申まうもうしたまはぬぞしたまはぬぞしたまわぬぞ」」」ととと申まう申まうもうしければしければしければ、、、「「「我わ我わわががが宗しう宗しうしゅうなればさこそなればさこそなればさこそ申まう申まうもうさまほしかりつれどもさまほしかりつれどもさまほしかりつれども、、、まさしくまさしくまさしく稱名しようみやう稱名しようみやうしょうみょうををを追福ついふく追福ついふくついうくににに修しゆ修しゆしゅしてしてして、、、巨益こやく巨益こやくこやくあるべしとあるべしとあるべしと說と說ととけるけるける經文きやうもん經文きやうもんきょうもんををを見及みおよ見及みおよみおよばねばばねばばねば、、、何なに何なになにににに見み見みみえたるぞとえたるぞとえたるぞと重かさ重かさかさねてねてねて問と問ととはせたまはゞはせたまはゞわせたまわば、、、いかゞいかゞいかが申まう申まうもうさむとさむとさむと思おも思おもおもひてひていて、、、本經ほんぎやう本經ほんぎやうほんぎょうのたしかなるにつきてのたしかなるにつきてのたしかなるにつきて、、、このこのこの眞言陀羅尼しんごんだらに眞言陀羅尼しんごんだらにしんごんだらにをばをばをば申まう申まうもうしつるなりしつるなりしつるなり」」」とぞとぞとぞ申まう申まうもうされけるされけるされける。。。
  6. 6ほいどのほいどのほいどのははは、、、童名わらはな童名わらはなわらわなたづたづたず君きみ君きみきみなりなりなり。。。鶴つる鶴つるつるををを飼か飼かかひひい給たま給たまたまひけるゆゑにとひけるゆゑにといけるゆえにと申まう申まうもうすはひがすはひがすわいが事こと事ことことなりなりなり。。。
  7. 7有宗入道ありむねにふだう有宗入道ありむねにふだうありむねにゅうどう、、、鎌倉かまくら鎌倉かまくらかまくらよりのぼりてよりのぼりてよりのぼりて尋たづ尋たづたずねまうできたりしがねまうできたりしがねもうできたりしが、、、まづさしまづさしまずさし入い入いいりてりてりて、、、「「「このこのこの庭には庭にはにわのいたづらにのいたづらにのいたずらに廣ひろ廣ひろひろきことあさましくあるべからぬことなりきことあさましくあるべからぬことなりきことあさましくあるべからぬことなり。。。道みち道みちみちををを知し知ししるものるものるものははは植う植うううることうることうることをををつとむつとむつとむ。。。ほそほそほそ道みち道みちみちひとつのこしてひとつのこしてひとつのこして、、、みなみなみな畠はたけ畠はたけはたけににに作つく作つくつくりりり給たま給たまたまへへえ」」」ととと諫いさ諫いさいさめめめ侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。
  8. 8誠まこと誠まことまことにすこしのにすこしのにすこしの地ぢ地ぢじをもをもをも、、、徒と徒ととにおかむことにおかむことにおかむことははは益えき益えきえきなきことなりなきことなりなきことなり。。。くふくふくう物藥種ものやくしゆ物藥種ものやくしゆものやくしゅなどなどなどうゑおくべしうゑおくべしうえおくべし。。。
  9. 9ががが申まう申まうもうしけるしけるしけるははは、、、舞まひ舞まひまいののの手て手ててののの中なか中なかなかににに興きよう興きようきょうあることゞもあることゞもあることどもをををえらびてえらびてえらびて、、、ののの禪師ぜんじ禪師ぜんじぜんじといひけるといひけるといいける女をんな女をんなおんなににに敎をし敎をしおしへてまはせけりへてまはせけりえてまわせけり。。。白しろ白しろしろききき水干すいかん水干すいかんすいかんをををさゝせさゝせささせ、、、烏帽子えぼうし烏帽子えぼうしえぼうしをををひきひきひき入い入いいれたりければれたりければれたりければ、、、男舞をとこまひ男舞をとこまひおとこまいとぞいひけるとぞいひけるとぞいいける。。。
  10. 10禪師ぜんじ禪師ぜんじぜんじ、、、このこのこの藝げい藝げいげいをををつげりつげりつげり。。。これこれこれののの根源こんげん根源こんげんこんげんなりなりなり。。。佛神ぶつじん佛神ぶつじんぶつじんののの本緣ほんえん本緣ほんえんほんえんをををうたふうたふうたう。。。そのそのその後源のちみなもと後源のちみなもとのちみなもとののの光行みつゆき光行みつゆきみつゆき、、、おほくのおほくのおおくの事こと事ことことをををつくれりつくれりつくれり。。。
  11. 11後鳥羽院ごとばのゐん後鳥羽院ごとばのゐんごとばのいんののの御作ぎよさく御作ぎよさくぎょさくもありもありもあり。。。ににに敎をし敎をしおしへさせへさせえさせ給たま給たまたまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ。。。
  12. 12後鳥羽院ごとばのゐん後鳥羽院ごとばのゐんごとばのいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき、、、ののの前司ぜんじ前司ぜんじぜんじ行長ゆきなが行長ゆきながゆきなが稽古けいこ稽古けいこけいこのののほまれありけるがほまれありけるがほまれありけるが、、、樂府がくふ樂府がくふがくうののの御論義みろんぎ御論義みろんぎみろんぎののの番ばん番ばんばんにめされてにめされてにめされてののの舞まひ舞まひまいををを二ふた二ふたふたつつつ忘わす忘わすわすれたりければれたりければれたりければ、、、五德ごとく五德ごとくごとくののの冠者くわんじや冠者くわんじやかんじゃととと異名いみやう異名いみやういみょうをををつきにけるつきにけるつきにけるををを、、、心こころ心こころこころうきことにしてうきことにしてうきことにして、、、學問がくもん學問がくもんがくもんをををすてゝすてゝすてて遁世とんせい遁世とんせいとんせいしたりけるしたりけるしたりけるををを、、、、、、一藝いちげい一藝いちげいいちげいあるものあるものあるものをばをばをば下部しもべ下部しもべしもべまでもまでもまでも召め召めめしおきてしおきてしおきて、、、不便ふびん不便ふびんふびんにせさせにせさせにせさせ給たま給たまたまひければひければいければ、、、このこのこの信濃入道しなののにふだう信濃入道しなののにふだうしなののにゅうどうををを扶持ふぢ扶持ふぢふじししし給たま給たまたまひけりひけりいけり。。。
  13. 13このこのこの行長入道ゆきながにふだう行長入道ゆきながにふだうゆきながにゅうどう平家物語へいけものがたり平家物語へいけものがたりへいけものがたりををを作つく作つくつくりてりてりて、、、といひけるといひけるといいける盲目まうもく盲目まうもくもうもくににに敎をし敎をしおしへてかたらせけりへてかたらせけりえてかたらせけり。。。さてさてさて山門さんもん山門さんもんさんもんのことのことのことををを殊こと殊ことことにゆゝしくかけりにゆゝしくかけりにゆゆしくかけり。。。九郞判官くらうはうぐわん九郞判官くらうはうぐわんくろうほうがんのことのことのことははは委くは委くはくわしくしくしく知し知ししりてりてりて書か書かかききき載の載ののせたりせたりせたり。。。
  14. 14蒲冠者かばのくわんじや蒲冠者かばのくわんじやかばのかんじゃのことのことのことはははよくよくよく知し知ししらざりけるにやらざりけるにやらざりけるにや、、、多おほ多おほおおくのくのくの事こと事ことことどもどもどもをををしるしもらせりしるしもらせりしるしもらせり。。。武士ぶし武士ぶしぶしのことのことのこと弓馬きうば弓馬きうばきゅうばのわざのわざのわざははは、、、生佛東國しやうぶつとうごく生佛東國しやうぶつとうごくしょうぶつとうごくのものにてのものにてのものにて、、、武士ぶし武士ぶしぶしににに問と問ととひひい聞き聞きききてかゝせけりきてかゝせけりきてかかせけり。。。
  15. 15かのかのかの生佛しやうぶつ生佛しやうぶつしょうぶつがががうまれつきのうまれつきのうまれつきの聲こゑ聲こゑこえををを、、、今いま今いまいまののの琵琶法師びはほふし琵琶法師びはほふしびわほうしははは學まな學まなまなびたるなりびたるなりびたるなり。。。
  16. 16ははは、、、法然ほふねん法然ほふねんほうねん上人しやうにん上人しやうにんしょうにんののの弟子でし弟子でしでし安樂あんらく安樂あんらくあんらくといひけるといひけるといいける僧そう僧そうそう、、、經文きやうもん經文きやうもんきょうもんををを集あつ集あつあつめてめてめて作つく作つくつくりてつとめにしけりりてつとめにしけりりてつとめにしけり。。。そのそのその後太秦のちうづまさ後太秦のちうづまさのちうずまさののの善觀房ぜんくわんばう善觀房ぜんくわんばうぜんかんぼうといふといふという僧そう僧そうそう、、、ふしふしふしはははかせかせかせををを定さだ定さださだめてめてめて聲明しやうみやう聲明しやうみやうしょうみょうになせりになせりになせり。。。
  17. 17一念いちねん一念いちねんいちねんののの念佛ねんぶつ念佛ねんぶつねんぶつののの最初さいしよ最初さいしよさいしょなりなりなり。。。後嵯峨院ごさがのゐん後嵯峨院ごさがのゐんごさがのいんののの御代みよ御代みよみよよりよりよりはじまれりはじまれりはじまれり。。。法事讃ほふじさん法事讃ほふじさんほうじさんももも、、、おなじくおなじくおなじく善觀房ぜんくわんばう善觀房ぜんくわんばうぜんかんぼうはははじめたるなりじめたるなりじめたるなり。。。
  18. 18釋迦念佛しやかねんぶつ釋迦念佛しやかねんぶつしゃかねんぶつははは、、、文永ぶんえい文永ぶんえいぶんえいのころのころのころ如輪によりん如輪によりんにょりん上人しやうにん上人しやうにんしょうにんこれこれこれをををはじめられけりはじめられけりはじめられけり。。。
  19. 19よきよきよき細工さいく細工さいくさいくははは、、、少すこ少すこすこしにぶきしにぶきしにぶき刀かたな刀かたなかたなをををつかふといふつかふといふつかうという。。。ががが刀かたな刀かたなかたなはははいたくたゝずいたくたゝずいたくたたず。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔第220段〕「何事も田舎は卑しく粗野だけれども、天王寺の舞楽だけは都に劣らない」と言うと、天王寺の楽人が申しましたことには、「当寺の楽は、よく音の基準を調べ合わせて、楽器の音がすばらしく整っておりますことが、よそよりすぐれているわけは、聖徳太子の御時の基準が今も残っておりますのを手本としているからです。いわゆる六時堂の前の鐘です。その音は、黄鐘調のちょうど真ん中です。寒さ暑さにしたがって高くなったり低くなったりするはずなので、二月の涅槃会から聖霊会までの間の音を手本とします。秘伝のことです。この一つの調子をもとにして、どの音も整えるのでございます」と申した。およそ鐘の音は黄鐘調であるべきである。これは無常の調子で、祇園精舎の無常院の鐘の音である。西園寺の鐘を、黄鐘調に鋳ようとして、何度も鋳かえられたけれども、うまくいかなかったので、遠国から探し出された。法金剛院の鐘の音も、また黄鐘調である。

〔第221段〕「建治・弘安のころは、祭の日の放免のつけ物に、変わった紺の布四、五反で馬を作って、尾やたてがみには灯心を使い、蜘蛛の巣を描いた水干につけて、歌の心などを言いながら練り歩いたことを、いつも見ておりましたが、それも趣があってやっている気がしたものでした」と、年老いた道志たちが、今でも語っております。このごろは、つけ物が年を追ってぜいたくになり、何でも重いものをたくさんつけて、左右の袖を人に持たせて、自分は鉾さえ持たず、息を切らして苦しんでいる様子は、まことに見苦しい。

〔第222段〕竹谷の乗願房が東二条院へ参上されたところ、「亡くなった人の追善には、何がいちばん功徳が多いか」とお尋ねになったので、「光明真言と宝篋印陀羅尼でございます」と申されたのを、弟子たちが「どうしてそのように申されたのですか。念仏にまさるものはございますまいと、なぜ申しあげなかったのですか」と申したところ、「わが宗派だから、そう申しあげたかったのだが、念仏を追善のために修めて大きな功徳があると説いた経文を見たことがないので、『何に書いてあるのか』と重ねてお尋ねになったら、何と申しあげようかと思って、典拠のたしかなものによって、この真言と陀羅尼を申しあげたのだ」と申された。

〔第223段〕鶴の大臣殿は、幼名が「たづ君」である。鶴を飼っておられたからというのは、まちがいである。

〔第224段〕陰陽師の有宗入道が、鎌倉から上京して訪ねてきたが、まず(わが家に)入ってくるなり、「この庭がむやみに広いのはあきれたことで、あってはならないことだ。道を知る者は、物を植えることに努める。細い道一つを残して、みな畑にしなさい」と諫めました。ほんとうに、わずかな土地でも、むだにしておくのは益のないことである。食べる物や薬草などを植えておくのがよい。

〔第225段〕多久助が申したことには、通憲入道(信西)が、舞の手の中で趣のあるものを選んで、磯の禅師という女に教えて舞わせた。白い水干に鞘巻をささせ、烏帽子をかぶらせたので、男舞と言った。禅師の娘の静という者が、この芸を継いだ。これが白拍子の起こりである。仏や神の由来を歌う。その後、源光行が多くの歌を作った。後鳥羽院のお作りになったものもある。亀菊にお教えになったということだ。

〔第226段〕後鳥羽院の御時、信濃前司行長は、学問の誉れがあったが、楽府の論議の番に召されて、七徳の舞のうち二つを忘れてしまったので、「五徳の冠者」とあだ名をつけられたのを、つらいことに思って、学問を捨てて遁世してしまったのを、慈鎮和尚(慈円)は、一芸のある者は下の者まで召しかかえて大事にしておられたので、この信濃入道を扶養なさった。この行長入道が『平家物語』を作って、生仏という盲人に教えて語らせた。そして比叡山のことをとりわけ立派に書いた。九郎判官(義経)のことは詳しく知っていて書き載せた。蒲冠者(範頼)のことはよく知らなかったのだろうか、多くのことを書きもらしている。武士のことや弓馬の技は、生仏が東国の者で、武士に尋ね聞いて書かせた。あの生仏の生まれつきの声を、今の琵琶法師はまねているのである。

〔第227段〕六時礼讃は、法然上人の弟子の安楽という僧が、経文を集めて作って、勤行にしたものである。その後、太秦の善観房という僧が、節回しを定めて声明とした。一念の念仏の最初である。後嵯峨院の御代から始まった。法事讃も、同じく善観房が始めたものである。

〔第228段〕千本の釈迦念仏は、文永のころ、如輪上人がこれを始められた。

〔第229段〕よい細工師は、少し切れ味の鈍い刀を使うという。妙観の刀は、たいして切れない。

意訳

〔第220段〕天王寺の舞楽が都に劣らないのは、聖徳太子の時代の鐘の音を基準にしているからだ。鐘の音はみな黄鐘調であるべきで、それは祇園精舎の無常の響きでもある。

〔第221段〕〔第222段〕昔の祭の放免の飾りは趣があったが、今は重いばかりで見苦しい。追善に念仏を勧めなかった乗願房は、経典の根拠のないことは言わないという誠実さを示した。

〔第223段〜第225段〕「鶴の大臣」の名の由来の誤り、庭を畑にして食べ物や薬草を植えよと勧めた陰陽師の言葉、信西が磯の禅師に舞を教え、その娘の静御前が継いだという白拍子の起こりを記す。

〔第226段〕『平家物語』は、学問の失敗で遁世した信濃前司行長が、慈円の庇護のもとで作り、盲目の琵琶法師生仏に語らせたものだという。比叡山を立派に書き、義経に詳しく範頼に疎いのも、作者の事情による――『平家物語』の成立を伝える、もっとも古い記録として名高い段である。

〔第227段〜第229段〕六時礼讃と千本釈迦念仏の始まり、名工は少し鈍い刀を使うという話。

語釈・文法注

天王寺
四天王寺。大阪にある、聖徳太子が建てたと伝える寺。
圖
音の高さの基準。
黃鐘調
雅楽の六調子の一つ。
涅槃會
釈迦の入滅の日の二月十五日に行う法会。
聖靈會
聖徳太子の忌日の二月二十二日に行う法会。
祇園精舍の無常院
インドの祇園精舎の中で、病気の僧が死を迎えるための堂。その鐘は無常を告げたという。
放免
検非違使の下で働いた、刑を許された元罪人。賀茂祭の行列に、派手な飾りをつけて加わった。
道志
検非違使の志(さかん)のうち、明法道(法律)の家の者。
竹谷の乘願房
宗源。法然の弟子。
東二條院
後深草天皇の中宮、藤原公子(1232〜1304)。
光明眞言
密教の真言の一つ。死者の追善に唱えられた。
たづのおほいどの
藤原基家(1203〜1280)とされる。
陰陽師有宗入道
安倍有宗。鎌倉の陰陽師。
多久助
多久資。舞楽の家の楽人。
通憲入道
藤原通憲(信西、1106〜1159)。後白河院の側近。
磯の禪師
静御前の母。白拍子の祖とされる。
さうまき
鞘巻。鍔のない短い刀。
しづか
静御前。源義経の愛妾。
白拍子
平安末期から鎌倉時代に流行した歌舞。また、それを舞う女性。
龜菊
後鳥羽院に寵愛された白拍子。
信濃の前司行長
藤原(中山)行長。『平家物語』の作者とされる人物。
七德の舞
唐の太宗の徳をたたえる舞楽。白居易の新楽府の題。
慈鎭和尙
慈円(1155〜1225)。天台座主。
生佛
鎌倉時代初期の琵琶法師。東国の出身という。
六時禮讃
一日を六つに分けて、阿弥陀仏を礼拝し讃える勤行。
千本釋迦念佛
京都の千本の大報恩寺で行われる念仏会。
妙觀
奈良時代の仏師。

文法

かたくななれども
粗野であるけれども。
常に見及び侍りしなども
この段は底本では冒頭に「「」がなく、「…こそ侍りしか」」で閉じている。底本どおり。
さこそ申さまほしかりつれども
「まほし」は願望。そう申しあげたかったけれども。
異名をつきにける
底本どおり。あだ名をつけられた。
不便にせさせ給ひければ
大事にしておられたので。

解説

第226段は、『平家物語』の成立を伝える最古の記録として、文学史上きわめて重要な段である。作者を信濃前司行長とし、琵琶法師の生仏に語らせたこと、慈円の庇護があったことなどを記す。比叡山の記事が詳しいこと、義経に詳しく範頼に疎いこと、武士の記事は東国出身の生仏が武士に聞いて書かせたことなど、作品の内容の特徴まで説明しており、具体的である。もっとも、これが事実かどうかは確かめられていない。

第220段は、聖徳太子ゆかりの鐘の音を音律の基準とする天王寺の楽人の話を記し、鐘の音は無常を告げる黄鐘調であるべきだと述べる。『平家物語』の冒頭の「祇園精舎の鐘の声」とも響き合う記事である。

第222段の乗願房は、念仏宗の僧でありながら、経典に根拠のないことは言わなかった。自分の宗派への忠誠よりも、真実への誠実さを選んだ態度を、兼好は評価している。

第225段の白拍子の起源の記事も、芸能史の資料として重要である。静御前が白拍子の芸を母から継いだという話は、ここから広まった。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、849〜851頁(コマ438–439)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日