徒然草 第34章(第195段〜第208段)
有職故実の聞き書き
田の水で地蔵を洗う久我内大臣、神社での先払いの故実、定額や揚名の官、呂と律の国、呉竹と河竹、退凡と下乗、神無月の由来、靱をかける作法、拷器、起請文の起こり、牛が座敷に上がっても凶事とせずに退けた徳大寺実基、蛇の塚を掘り捨てさせた同じ大臣、経文の紐の結び方と、故実や見聞を次々に書きとめた段を収める。

- 1あるあるあるををを通通とおりけるにりけるにりけるに、、、小袖小袖こそでにににきたるきたるきたる人人ひと、、、木造木造きづくりののの地藏地藏じぞうををを田田たののの中中なかののの水水みずにににおしおしおしひたしてねんごろにあらひけりひたしてねんごろにあらひけりひたしてねんごろにあらいけり。。。心心こころえがたくえがたくえがたく見見みるるるほどにほどにほどに、、、狩衣狩衣かりぎぬののの男二三人男二三人おとこふたりみたりいできていできていできて、、、「「「こゝにおはしけりこゝにおはしけりここにおわしけり」」」とてこのとてこのとてこの人人ひとををを具具ぐしていにけりしていにけりしていにけり。。。
- 2にてぞおはしけるにてぞおはしけるにてぞおわしける。。。よのつねにおはしましけるよのつねにおはしましけるよのつねにおわしましける時時ときははは、、、神妙神妙しんみょうにやんごとなきにやんごとなきにやんごとなき人人ひとにておはしけりにておはしけりにておわしけり。。。
- 3東大寺東大寺とうだいじのののののの若宮若宮わかみやよりよりより歸座歸座きざののの時時とき、、、源氏源氏げんじののの公卿公卿くぎょうまゐられけるにまゐられけるにまいられけるに、、、このこのこの殿大將殿大將とのだいしょうにてさきにてさきにてさきをををおはれけるおはれけるおわれけるををを、、、ののの相國相國しょうこく、、、「「「社頭社頭しゃとうにてにてにていかゞいかゞいかが侍侍はべるべからむるべからむるべからむ」」」ととと申申もうされければされければされければ、、、「「「隨身隨身ずいじんのののふるまひふるまひふるまいははは、、、兵仗兵仗ひょうじょうののの家家いえががが知知しることにることにることに候候そうろうふふう」」」とばかりとばかりとばかり答答こたへへえ給給たまひけりひけりいけり。。。
- 4さてさてさて後後のちににに仰仰おおせられけるせられけるせられけるははは、、、「「「このこのこのををを見見みててて、、、ののの說說せつをををこそこそこそ知知しられざりけれられざりけれられざりけれ。。。眷屬眷屬けんぞくののの惡鬼惡神惡鬼惡神あくきあくじんををを恐恐おそるゝゆゑにるゝゆゑにるるゆえに、、、神社神社じんじゃにてにてにてははは、、、殊殊ことににに先先さきをををおふべきことわりありおふべきことわりありおうべきことわりあり」」」とぞとぞとぞ仰仰おおせられけるせられけるせられける。。。
- 5諸寺諸寺しょじののの僧僧そうのみにもあらずのみにもあらずのみにもあらず、、、のののといふことといふことということ延喜式延喜式えんぎしきににに見見みえたりえたりえたり。。。すべてすべてすべて數數かずさだまりたるさだまりたるさだまりたる公人公人くにんののの通號通號つうごうにこそにこそにこそ。。。
- 6にかぎらずにかぎらずにかぎらず、、、揚名目揚名目ようめいのさかんといふものもありといふものもありというものもあり。。。政事要略政事要略せいじようりゃくにありにありにあり。。。
- 7橫川橫川よかわののの行宣法印行宣法印ぎょうせんほういんががが申申もうしししはべりしはべりしはべりしははは、、、「「「唐土唐土もろこしはははののの國國くになりなりなり、、、律律りつののの音音おとなしなしなし。。。和國和國わこくははは單律單律たんりつののの國國くににてにてにて、、、呂呂りょののの音音おとなしなしなし」」」ととと申申もうしきしきしき。。。
- 8ははは葉葉はほそくほそくほそく、、、ははは竹竹たけははは葉葉はひろしひろしひろし。。。御溝御溝みかわにちかきにちかきにちかきはははかかかははは竹竹たけ、、、仁壽殿仁壽殿じじゅうでんののの方方かたによりてによりてによりて植植うゑられたるゑられたるえられたるははは吳竹吳竹くれたけなりなりなり。。。
- 9下乘下乘げじょうののの卒都婆卒都婆そとば、、、外外ほかなるなるなるははは下乘下乘げじょう、、、內內うちなるなるなるははは退凡退凡たいぼんなりなりなり。。。
- 10十月十月かんなづきををを月月つきといひてといひてといいて、、、神事神事じんじにににはゞかるべきよしはゞかるべきよしはばかるべきよしはははしるしたるものなししるしたるものなししるしたるものなし。。。本文本文ほんもんももも見見みえずえずえず。。。たゞしたゞしただし當月諸社當月諸社とうげつしょしゃののの祭祭まつりなきゆゑになきゆゑになきゆえに、、、このこのこの名名なあるかあるかあるか。。。
- 11このこのこの月萬月萬つきよろずののの神神かみたちたちたち、、、太神宮太神宮だいじんぐうへへへ集集あつまりりり給給たまふなどいふふなどいふうなどいう說說せつあれどもあれどもあれども、、、そのそのその本說本說ほんせつなしなしなし。。。さることならばさることならばさることならば、、、伊勢伊勢いせにににははは殊殊ことににに祭月祭月さいげつとすべきにとすべきにとすべきに、、、そのそのその例例れいもなしもなしもなし。。。
- 12十月諸社十月諸社じゅうがつしょしゃののの行幸行幸ぎょうこう、、、そのそのその例例れいおほしおほしおおし。。。たゞしおほくたゞしおほくただしおおくははは不吉不吉ふきつののの例例れいなりなりなり。。。
- 13勅勘勅勘ちょっかんののの所所ところにににかくるかくるかくる作法作法さほう、、、今今いまははは絕絕たえてえてえて知知しれるれるれる人人ひとなしなしなし。。。主上主上しゅしょうののの御惱御惱ごのう、、、大大おおかたかたかた世世よののの中中なかのさわがしきのさわがしきのさわがしき時時ときははは、、、五條五條ごじょうののの天神天神てんじんににに靱靱ゆきをををかけらるかけらるかけらる。。。鞍馬鞍馬くらまにゆきのにゆきのにゆきの明神明神みょうじんといふもといふもというも、、、靱靱ゆきかけられたるかけられたるかけられたる神神かみなりなりなり。。。
- 14ののの負負おひたるひたるいたる靱靱ゆきををを、、、そのそのその家家いえにかけられぬればにかけられぬればにかけられぬれば、、、人人ひといでいでいで入入いらずらずらず。。。このこのこの事絕事絕ことたえてえてえて後後のち、、、今今いまののの世世よにににははは封封ふうをををつくることになりにけりつくることになりにけりつくることになりにけり。。。
- 15犯人犯人はんにんををを打打うつつつ時時ときははは、、、拷器拷器ごうきによせてゆひつくるなりによせてゆひつくるなりによせてゆいつくるなり。。。拷器拷器ごうきのやうものやうものようも、、、よするよするよする作法作法さほうももも今今いまはははわきまへわきまへわきまえ知知しれるれるれる人人ひとなしとぞなしとぞなしとぞ。。。
- 16比叡山比叡山ひえのやまににに大師勸請大師勸請だいしかんじょうのののといふことといふことということははは、、、書書かきききはじめはじめはじめ給給たまひけるなりひけるなりいけるなり。。。起證文起證文きしょうもんといふことといふことということ、、、法曹法曹ほうそうにににはははそのそのその沙汰沙汰さたなしなしなし。。。いにしへのいにしへのいにしえの聖代聖代せいだい、、、すべてすべてすべて起證文起證文きしょうもんにつきてにつきてにつきて行行おこなはるゝはるゝわるる政政まつりごとはははなきなきなきををを、、、近代近代きんだいこのことこのことこのこと流布流布るうしたるなりしたるなりしたるなり。。。
- 17またまたまた法令法令ほうりょうにににははは、、、水火水火すいかにけがれにけがれにけがれをををたてずたてずたてず、、、入物入物いれものにににはははけがれあるべしけがれあるべしけがれあるべし。。。
- 18、、、檢非違使檢非違使けびいしののの別當別當べっとうののの時時とき、、、中門中門ちゅうもんにてにてにて使廳使廳しちょうののの評定評定ひょうじょうおこなはれけるおこなはれけるおこなわれけるほどにほどにほどに、、、官人官人かんにん章兼章兼あきかねががが牛牛うしはははなれてなれてなれて、、、大理大理だいりののの座座ざのののまゆかのまゆかのまゆかの上上うえにのぼりてにのぼりてにのぼりて、、、うちうちうち嚙嚙かみてみてみて臥臥ふしたりけりしたりけりしたりけり。。。
- 19重重おもききき怪異怪異けいなりとてなりとてなりとて、、、牛牛うしををを陰陽師陰陽師おんようじのののもともともとへへへつかはすべきよしつかはすべきよしつかわすべきよし、、、おのおのまうしけるおのおのまうしけるおのおのもうしけるををを、、、父父ちちののの相國相國しょうこくきゝたまひてきゝたまひてききたまいて、、、「「「牛牛うしににに分別分別ふんべつなしなしなし。。。足足あしあればいづくあればいづくあればいずくへへへかかかのぼらざらむのぼらざらむのぼらざらむ。。。尫弱尫弱おうじゃくののの官人官人かんにん、、、たまたまたまたまたまたま出仕出仕しゅっしののの微牛微牛びぎゅうをををとらるべきとらるべきとらるべきやうなしやうなしようなし」」」とてとてとて牛牛うしをばをばをばぬしにかへしてぬしにかへしてぬしにかえして、、、臥臥ふしたりけるしたりけるしたりける疊疊たたみをばをばをばかへられにけりかへられにけりかえられにけり。。。
- 20あへてあへてあえて凶事凶事きょうじなかりけるとなむなかりけるとなむなかりけるとなむ。。。「「「怪怪けををを見見みてあやしまざるてあやしまざるてあやしまざる時時ときははは、、、あやしみかへりてやぶるあやしみかへりてやぶるあやしみかえりてやぶる」」」といへりといへりといえり。。。
- 21龜山殿龜山殿かめやまどのたてられむとてたてられむとてたてられむとて、、、地地じをををひかれけるにひかれけるにひかれけるに、、、大大おおきなるなるなる蛇數蛇數くちなわかずもしらずこりあつまりたるもしらずこりあつまりたるもしらずこりあつまりたる塚塚つかありけりありけりありけり。。。此所此所ここののの神神かみなりといひてなりといひてなりといいて、、、事事ことのよしのよしのよしををを申申もうしければしければしければ「「「いかゞあるべきいかゞあるべきいかがあるべき」」」ととと勅問勅問ちょくもんありけるにありけるにありけるに、、、「「「ふるくよりこのふるくよりこのふるくよりこの地地じををを占占しめたるものならばめたるものならばめたるものならば、、、さうなくさうなくそうなく堀堀ほりりり捨捨すてられがたしてられがたしてられがたし」」」とみなとみなとみな人申人申ひともうされけるにされけるにされけるに、、、このこのこの大臣一人大臣一人おとどひとり、、、「「「王土王土おうどににに居居おらむらむらむ蟲蟲むし、、、皇居皇居こうきょををを建建たてられむにてられむにてられむに何何なにのたゝりのたゝりのたたりをををかなすべきかなすべきかなすべき。。。鬼神鬼神きじんはははよこしまなしよこしまなしよこしまなし。。。咎咎とがむべからずむべからずむべからず。。。たゞたゞただ皆皆みなほりすつべしほりすつべしほりすつべし」」」ととと申申もうされたりければされたりければされたりければ、、、塚塚つかをををくづしてくづしてくずして蛇蛇くちなわをばをばをば大井川大井川おおいがわににに流流ながしてけりしてけりしてけり。。。更更さらにたゝりなかりけりにたゝりなかりけりにたたりなかりけり。。。
- 22經文經文きょうもんなどのなどのなどの紐紐ひもをををゆふにゆふにゆうに、、、上下上下かみしもよりたすきにちがへてよりたすきにちがへてよりたすきにちがえて、、、二二ふたすぢのすぢのすじの中中なかよりよりより、、、わなのかしらわなのかしらわなのかしらををを橫橫よこざまにざまにざまにひきひきひき出出いだすことすことすことはははつねのことなりつねのことなりつねのことなり。。。さやうにしたるさやうにしたるさようにしたるをばをばをば、、、華嚴院華嚴院けごんいんのののきてなほさせけりきてなほさせけりきてなおさせけり。。。
- 23「「「これこれこれはははこのこのこの頃頃ころやうのことなりやうのことなりようのことなり。。。いとにくしいとにくしいとにくし。。。うるはしくうるはしくうるわしくははは、、、たゞくるくるとたゞくるくるとただくるくると卷卷まきてきてきて、、、上上うえよりよりより下下しもへへへわなのさきわなのさきわなのさきをををさしさしさしはははさむべしさむべしさむべし」」」ととと申申もうされけりされけりされけり。。。
- 24ふるきふるきふるき人人ひとにてかやうのことにてかやうのことにてかようのこと知知しれるれるれる人人ひとになむになむになむ侍侍はべりけるりけるりける。。。
現代語訳
〔第195段〕ある人が久我縄手を通ったところ、小袖に大口袴を着た人が、木造の地蔵を田の中の水に浸して、ていねいに洗っていた。わけがわからないと思って見ていると、狩衣の男が二、三人出てきて、「ここにいらっしゃった」と言って、この人を連れて去っていった。久我内大臣殿でいらっしゃったのである。ふだん正気でいらっしゃったときは、殊勝で立派な方でいらっしゃった。
〔第196段〕東大寺の神輿が、東寺の若宮から帰座するとき、源氏の公卿たちが参られたが、この殿(久我内大臣)が大将として先払いをさせておられたのを、土御門の相国が「神社の前で警蹕(先払いの声)はいかがなものでしょうか」と申されたので、「随身のふるまいは、武官の家の者が知っていることです」とだけお答えになった。そして後におっしゃったことには、「この相国は『北山抄』を見て、西宮の説を知られなかったのだ。眷属の悪鬼悪神を恐れるので、神社では特に先払いをするべき理由があるのだ」とおっしゃった。
〔第197段〕諸寺の僧だけでなく、定額の女嬬ということが『延喜式』に見える。すべて、数の定まっている公の役人の通称なのである。
〔第198段〕揚名介に限らず、揚名目というものもある。『政事要略』にある。
〔第199段〕横川の行宣法印が申しましたことには、「唐土は呂の国で、律の音がない。日本は単律の国で、呂の音がない」と申した。
〔第200段〕呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。御溝水に近いのは河竹、仁寿殿の方に寄って植えられているのは呉竹である。
〔第201段〕退凡・下乗の卒塔婆は、外にあるのが下乗、内にあるのが退凡である。
〔第202段〕十月を神無月と言って、神事をはばかるべきだということは、書きしるしたものがない。典拠も見えない。ただし、この月は諸社の祭がないので、この名があるのだろうか。この月、すべての神々が大神宮へお集まりになるなどという説もあるが、その典拠はない。そういうことならば、伊勢ではとりわけ祭の月とするはずなのに、その例もない。十月に諸社へ行幸された例は多い。ただし、多くは不吉の例である。
〔第203段〕勅勘を受けた所に靱をかける作法は、今は絶えて知っている人もない。天皇のご病気や、だいたい世の中の騒がしいときは、五条の天神に靱をかけられる。鞍馬の靱の明神というのも、靱をかけられた神である。看督長の背負った靱をその家にかけられてしまうと、人は出入りしない。このことが絶えて後、今の世では封をつけることになった。
〔第204段〕罪人を笞で打つときは、拷器に寄せて縛りつけるのである。拷器の形も、寄せる作法も、今はわきまえ知っている人はないということだ。
〔第205段〕比叡山に大師勧請の起請文というものは、慈恵僧正が書き始められたのである。起請文ということは、法律家の間では取り上げられない。昔の聖代には、すべて起請文によって行われる政治はなかったのに、近代このことが広まったのである。また、法令では、水や火にけがれを認めず、器物にはけがれがあるとする。
〔第206段〕徳大寺右大臣殿(公孝)が検非違使の別当であったとき、中門で検非違使庁の評定が行われていたときに、官人章兼の牛が放れて、庁舎の中に入り、大理(別当)の座の浜床の上に上って、反芻しながら寝そべっていた。重大な怪異だというので、牛を陰陽師のもとへ送るべきだと、みなが申したのを、父の相国(実基)がお聞きになって、「牛に分別はない。足があるのだから、どこへでも上らないことがあろうか。貧弱な官人が、たまたま出仕に使うやせ牛を、取り上げてよいはずがない」と言って、牛を持ち主に返して、寝そべっていた畳を替えさせられた。まったく凶事はなかったということだ。「怪しいことを見ても怪しまないときは、怪しいことはかえって壊れる」と言われている。
〔第207段〕亀山殿を建てようとして地ならしをされたところ、大きな蛇が数も知れないほど固まり集まっている塚があった。この土地の神だと言って、事情を申しあげたところ、(院が)「どうしたらよいか」とお尋ねになったので、「昔からこの土地を占めているものならば、むやみに掘り捨てることはできません」とみなが申されたのに、この大臣(実基)ひとりが、「王の土地に住む虫が、皇居をお建てになるのに、何のたたりをなすことがあろうか。鬼神は道にはずれたことはしない。とがめることはないだろう。ただ全部掘り捨てるべきだ」と申されたので、塚を崩して、蛇は大井川に流してしまった。まったくたたりはなかった。
〔第208段〕経文などの紐を結ぶのに、上下からたすきにかけ違えて、二筋の間から、輪の頭を横向きに引き出すことは、普通のことである。そのようにしてあるのを、華厳院の弘舜僧正がほどいて直させた。「これはこのごろはやりのやり方だ。たいそう見苦しい。正式には、ただくるくると巻いて、上から下へ輪の先をさしはさむのがよい」と申された。古い人で、このようなことを知っている人でございました。
意訳
〔第195段〕〔第196段〕田の水で地蔵を洗っていた貴人は、正気を失った久我内大臣だった。正気のころには、神社でも先払いをすべき故実を心得ていた立派な人だった。人の心の病と、かつての見識とを対比する、哀切な二段である。
〔第197段〜第205段〕定額の女嬬、揚名の官、呂と律、呉竹と河竹、退凡と下乗、神無月の名の由来、靱をかける作法、拷器、起請文の起こり――官職、音楽、宮中の植物、寺の標識、暦、刑罰と、故実の聞き書きが次々に並ぶ。
〔第206段〕〔第207段〕役所に上がりこんだ牛を、怪異として陰陽師に送ろうとする人々に、別当公孝の父実基は「牛に分別はない」と言って持ち主に返した。その実基は、亀山殿の造営地にいた蛇の塚を、「王の土地の虫がたたるはずがない」と掘り捨てさせた。迷信に動じない父子の合理的な態度を、兼好は「怪を見て怪しまざれば怪かえって破る」の言葉とともに伝えている。
〔第208段〕経文の紐の結び方の正しい作法を、古実を知る弘舜僧正の言葉として記す。
語釈・文法注
- 久我畷
- 京都の南、久我へ通じるあぜ道。
- 大口
- 大口袴。裾の口が大きい袴。
- 久我內大臣殿
- 源通基(1240〜1308)。晩年、心の病があったという。
- 神輿
- みこし。
- 土御門の相國
- 源定実(1241〜1306)。
- 警蹕
- 貴人の通行の際、先払いの者が「おお」「しし」などと声をかけて人を退かせること。
- 北山抄
- 藤原公任が著した有職故実の書。
- 西宮
- 源高明の著した有職故実の書『西宮記』。
- 定額
- 人数の定まっていること。
- 女嬬
- 宮中で雑事をつとめた下級の女官。
- 揚名介
- 名前だけで、職務も俸禄もない国司の次官。
- 呂
- 雅楽の音階の一つ。律と対になる。
- 吳竹
- 淡竹の一種。清涼殿の東庭に植えられた。
- かは竹
- 河竹。真竹の一種。
- 退凡下乘の卒都婆
- 寺の入口に立てる標識。「下乗」は乗り物から降りよ、「退凡」は凡人は立ち入るな、の意。
- かみな月
- 神無月。陰暦十月。
- 靱
- 矢を入れて背負う武具。
- 看督長
- 検非違使の下役。犯人の捕縛などをした。
- しもと
- 笞。罪人を打つ細い木の杖。
- 起證文
- 起請文。神仏に誓いを立てて書く文書。
- 慈惠僧正
- 良源(912〜985)。天台座主。比叡山中興の祖。
- 德大寺右大臣殿
- 徳大寺公孝(1253〜1305)。のちに太政大臣。
- はまゆか
- 浜床。帳台の下に置く、方形の台。
- にれうち嚙みて
- 反芻して。
- 弘舜僧正
- 華厳院の僧。
文法
- おはしましける時は
- 正気でいらっしゃった時は、の意。
- いかゞ侍るべからむ
- いかがでございましょうか。
- いづくへかのぼらざらむ
- 「か…む」は反語。どこへ上らないことがあろうか。
- 何のたゝりをかなすべき
- 「か…べき」は反語。何のたたりをなすことがあろうか。
- 父の相國
- 公孝の父、徳大寺実基(1201〜1273)。太政大臣。第207段の「この大臣」も実基とされる。
解説
第195段から第208段までは、故実や宮中の言い伝えを集めた短い段が連続する部分である。兼好は有職故実に深い関心を持ち、古老の言葉や書物の記事を丹念に書きとめていた。これらの段は、鎌倉時代の宮廷文化を知る資料としても貴重である。
第195段と第196段は、同じ久我内大臣を扱っている。第195段の、心の病に陥った晩年の姿と、第196段の、故実に通じた見識ある姿との対比は、人の世のはかなさを静かに伝えている。
第206段と第207段の徳大寺家の大臣たちは、怪異や祟りを恐れず、合理的に判断した人物として描かれている。「怪を見てあやしまざる時は、あやしみかへりてやぶる」は、中国の古典に由来する言葉で、第91段の迷信批判と通じる兼好の考え方を示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、841〜844頁(コマ434–436)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日