徒然草 第31章(第177段〜第186段)
松下禅尼と馬乗りの心得
雨の後の鞠の庭に鋸屑を敷いた佐々木入道をほめる人々と、乾いた砂を用意するのが故実だと言った吉田中納言、宝剣の故実を心得た古参の典侍、那爛陀寺の門の向き、さぎちょうやふれふれこゆきの由来、干鮭の献上の是非と、短い故実の段が続き、障子の破れを自ら繕って倹約を教えた松下禅尼、馬の扱いを心得た泰盛と吉田の馬乗りの話を収める。

- 1ののの中書王中書王ちゅうしょおうにてにてにて御鞠御鞠おおんまりありけるにありけるにありけるに、、、雨雨あめふりてふりてふりて後後のちいまだいまだいまだ庭庭にわのかわかざりければのかわかざりければのかわかざりければ、、、いかゞせむといかゞせむといかがせむと沙汰沙汰さたありけるにありけるにありけるに、、、隱岐入道隱岐入道おきのにゅうどう、、、鋸鋸のこぎりののの屑屑くずををを車車くるまににに積積つみておほくみておほくみておおく奉奉たてまつりたりければりたりければりたりければ、、、一庭一庭いっていににに敷敷しかれてかれてかれて泥土泥土でいどのわづらひなかりけりのわづらひなかりけりのわずらいなかりけり。。。
- 2「「「とりためけむとりためけむとりためけむ用意用意よういありがたしありがたしありがたし」」」ととと人感人感ひとかんじあへりけりじあへりけりじあえりけり。。。このこのこの事事ことをををあるあるある者者もののかたりいでたりしにのかたりいでたりしにのかたりいでたりしに、、、ののの、、、「「「ののの用意用意よういやややはははなかりけるなかりけるなかりける」」」とのたまひたりしかばとのたまひたりしかばとのたまいたりしかば、、、はづかしかりきはづかしかりきはずかしかりき。。。
- 3いみじといみじといみじと思思おもひけるひけるいける鋸鋸のこぎりののの屑屑くず、、、賤賤いやしくことやうのことなりしくことやうのことなりしくことようのことなり。。。庭庭にわののの儀儀ぎををを奉行奉行ぶぎょうするするする人人ひと、、、かわきかわきかわき砂砂すなをををまうくるまうくるもうくるははは故實故實こじつなりとぞなりとぞなりとぞ。。。
- 4あるあるある所所ところのさぶらひどものさぶらひどものさぶらいども、、、內侍所內侍所ないしどころののの御神樂御神樂みかぐらををを見見みててて人人ひとにかたるとてにかたるとてにかたるとて「「「をばをばをばそのそのその人人ひとぞもちぞもちぞもち給給たまへるへるえる」」」などいふなどいふなどいうををを聞聞ききてきてきて、、、うちなるうちなるうちなる女房女房にょうぼうののの中中なかににに「「「別殿別殿べつでんののの行幸行幸ぎょうこうにににはははののの御劔御劔みはかしにてこそあれにてこそあれにてこそあれ」」」ととと忍忍しのびやかにいひたりしびやかにいひたりしびやかにいいたりし心心こころにくかりきにくかりきにくかりき。。。そのそのその人人ひとふるきふるきふるきなりけるとかやなりけるとかやなりけるとかや。。。
- 5入宋入宋にっそうののの沙門沙門しゃもん上人上人しょうにん、、、一切經一切經いっさいきょうををを持來持來じらいしてしてして、、、六波羅六波羅ろくわらのあたりやけのあたりやけのあたりやけ野野のといふといふという所所ところににに安置安置あんじしてしてして、、、殊殊ことににに首楞嚴經首楞嚴經しゅりょうごんきょうををを講講こうじてじてじて、、、ととと號號ごうすすす。。。そのそのその聖聖ひじりののの申申もうされしされしされしははは、、、「「「那爛陀寺那爛陀寺ならんだじははは大門大門だいもん北北きたむきなりとむきなりとむきなりと、、、ののの說說ととていひつたへたれどとていひつたへたれどとていいつたえたれど、、、西域傳西域傳さいいきでん法顯傳法顯傳ほっけんでんなどにもなどにもなどにも見見みえずえずえず、、、さらにさらにさらに所見所見しょけんなしなしなし。。。江帥江帥ごうそつはははいかなるいかなるいかなる才覺才覺さいかくにてにてにて申申もうされけむされけむされけむ。。。おぼつかなしおぼつかなしおぼつかなし。。。唐土唐土もろこしののの西明寺西明寺さいみょうじははは北北きたむきむきむき勿論勿論もちろんなりなりなり」」」ととと申申もうしきしきしき。。。
- 6ははは、、、正月正月しょうがつにににををを、、、眞言院眞言院しんごんいんよりよりよりへへへ出出いだしてしてして燒燒やきあぐるなりきあぐるなりきあぐるなり。。。法成就法成就ほうじょうじゅののの池池いけにこそとにこそとにこそとはやはやはやすすすははは、、、神泉苑神泉苑しんぜんえんののの池池いけをををいふなりいふなりいうなり。。。
- 7「「「ふれふれこゆきたんばのこゆきといふふれふれこゆきたんばのこゆきといふふれうれこゆきたんばのこゆきという事事こと、、、よねよねよね搗搗つきききふるひたるにふるひたるにふるいたるに似似にたればたればたれば粉雪粉雪こゆきといふといふという。。。たまれこゆきといふべきたまれこゆきといふべきたまれこゆきというべきををを、、、あやまりてたんばのとあやまりてたんばのとあやまりてたんばのとはははいふなりいふなりいうなり。。。かきやかきやかきや木木きのまたにとのまたにとのまたにとうたふべしうたふべしうたうべし」」」とあるものしりとあるものしりとあるものしり申申もうしきしきしき。。。
- 8昔昔むかしよりいひけることにやよりいひけることにやよりいいけることにや。。。鳥羽院鳥羽院とばのいんをををさなくおはしましてさなくおはしましてさなくおわしまして、、、雪雪ゆきののの降降ふるにかくるにかくるにかく仰仰おおせられけるよしせられけるよしせられけるよし、、、のすけがのすけがのすけが日記日記にっきにかきたりにかきたりにかきたり。。。
- 9四條大納言四條大納言しじょうのだいなごん隆親隆親たかちか卿卿きょう、、、ををを、、、供御供御くごにまゐらせられたりけるにまゐらせられたりけるにまいらせられたりけるををを、、、「「「かくあやしきものまゐるやうあらじかくあやしきものまゐるやうあらじかくあやしきものまいるようあらじ」」」ととと人人ひとののの申申もうしけるしけるしけるををを聞聞ききてきてきて、、、大納言大納言だいなごん、、、「「「鮭鮭さけといふといふという魚魚うおまゐらぬことにてあらむにこそあれまゐらぬことにてあらむにこそあれまいらぬことにてあらむにこそあれ、、、鮭鮭さけのしらぼしなんでふことかあらむのしらぼしなんでふことかあらむのしらぼしなんでうことかあらむ。。。鮎鮎あゆのしらぼしのしらぼしのしらぼしはははまゐらぬかまゐらぬかまいらぬかははは」」」ととと申申もうされけりされけりされけり。。。
- 10人人ひとつくつくつく牛牛うしをばをばをば角角つのをををきりきりきり、、、人人ひとくふくふくう馬馬うまをばをばをば耳耳みみをををきりてそのしるしとすきりてそのしるしとすきりてそのしるしとす。。。しるししるししるしをををつけずしてつけずしてつけずして人人ひとをやをやをやぶらせぬるぶらせぬるぶらせぬるははは、、、ぬしのとがなりぬしのとがなりぬしのとがなり。。。人人ひとくふくふくう犬犬いぬをばをばをば養養やしなひひい飼飼かふべからずふべからずうべからず。。。これみなとがありこれみなとがありこれみなとがあり。。。のいましめなりのいましめなりのいましめなり。。。
- 11時賴時賴ときよりののの母母ははははは、、、とぞとぞとぞ申申もうしけるしけるしける。。。守守かみをををいれいれいれ申申もうさるゝことありけるにさるゝことありけるにさるることありけるに、、、障子障子しょうじのやぶればかりのやぶればかりのやぶればかりををを、、、禪尼禪尼ぜんに手手てづからづからずから小刀小刀こがたなしてしてして、、、きりまはしつゝはられければきりまはしつゝはられければきりまわしつつわられければ、、、せうとのせうとのしょうとの義景義景よしかげ、、、そのそのその日日ひのけいめいしてのけいめいしてのけいめいして候候そうらひけるがひけるがいけるが、、、「「「給給たまはははりてりてりて、、、なにがしなにがしなにがし男男おとこにににはらせはらせはらせ候候そうらはむはむわむ。。。さやうのさやうのさようの事事ことににに心心こころえたるものにえたるものにえたるものに候候そうろうふふう」」」ととと申申もうされければされければされければ、、、「「「そのそのその男尼男尼おとこあまががが細工細工さいくによもまさりによもまさりによもまさり侍侍はべらじらじらじ」」」とてなほとてなほとてなお一間一間ひとまづゝづゝずつはられけるはられけるはられけるををを、、、義景義景よしかげ「「「皆皆みなをををはりかへはりかへはりかえ候候そうらはむはむわむははは、、、遙遙はるかにたやすくにたやすくにたやすく候候そうろうふべしふべしうべし。。。まだらにまだらにまだらに候候そうろうふもふもうも見苦見苦みぐるしくやしくやしくや」」」とかさねてとかさねてとかさねて申申もうされければされければされければ、、、「「「尼尼あまももも後後のちはははさわさわとさわさわとさわさわとはりかへむとはりかへむとはりかえむと思思おもへどもへどもえども、、、今日今日きょうばかりばかりばかりはははわざとかくてあるべきなりわざとかくてあるべきなりわざとかくてあるべきなり。。。物物ものははは破破やぶれたるれたるれたる所所ところばかりばかりばかりををを修理修理しゅりしてしてして用用もちゐることぞとゐることぞといることぞと若若わかききき人人ひとににに見見みならはせてならはせてならわせて、、、心心こころづづづけむためなりけむためなりけむためなり」」」ととと申申もうされけるされけるされける、、、いとありがたかりけりいとありがたかりけりいとありがたかりけり。。。
- 12世世よををを治治おさむるむるむる道儉約道儉約みちけんやくををを本本もととすとすとす。。。女性女性にょしょうなれどもなれどもなれども聖人聖人しょうにんののの心心こころにかよへりにかよへりにかよえり。。。天下天下てんかをををたもつたもつたもつほどのほどのほどの人人ひとををを子子こにてもたれけるにてもたれけるにてもたれける、、、誠誠まことにたゞにたゞにただ人人ひとにににはははあらざりけるとぞあらざりけるとぞあらざりけるとぞ。。。
- 13泰盛泰盛やすもりははは、、、さうなきさうなきそうなき馬乘馬乘うまのりなりけりなりけりなりけり。。。馬馬うまをををひきいださせけるにひきいださせけるにひきいださせけるに、、、足足あしををををををゆらりとゆらりとゆらりと超超こゆるゆるゆるををを見見みてててははは、、、「「「これこれこれはははいさめるいさめるいさめる馬馬うまなりなりなり」」」とてとてとて鞍鞍くらをををおきかへさせけりおきかへさせけりおきかえさせけり。。。
- 14またまたまた足足あしををを延延のべてしきみべてしきみべてしきみををを蹴蹴けあてぬればあてぬればあてぬれば、、、「「「これこれこれはははにぶくしてあやまちあるべしにぶくしてあやまちあるべしにぶくしてあやまちあるべし」」」とてとてとて乘乘のらざりけりらざりけりらざりけり。。。道道みちををを知知しらざらむらざらむらざらむ人人ひと、、、かばかりおそれなむやかばかりおそれなむやかばかりおそれなむや。。。
- 15吉田吉田よしだととと申申もうすすす馬乘馬乘うまのりののの申申もうししし侍侍はべりしりしりしははは、、、「「「馬馬うまごとにこごとにこごとにこはははきものなりきものなりきものなり。。。人人ひとののの力爭力爭ちからあらそふべからずとふべからずとうべからずと知知しるべしるべしるべし。。。乘乘のるべきるべきるべき馬馬うまをばをばをばまづよくまづよくまずよく見見みててて、、、强强つよききき所所ところ弱弱よわききき所所ところををを知知しるべしるべしるべし。。。次次つぎににに轡鞍轡鞍くつわくらののの具具ぐににに危危あやうきことやあるときことやあるときことやあると見見みててて、、、心心こころにかゝることあらばにかゝることあらばにかかることあらば、、、そのそのその馬馬うまををを馳馳はすべからずすべからずすべからず。。。このこのこの用意用意よういををを忘忘わすれざるれざるれざるををを、、、馬乘馬乘うまのりとととははは申申もうすなりすなりすなり。。。これこれこれ秘藏秘藏ひそうのことなりのことなりのことなり」」」ととと申申もうしきしきしき。。。
現代語訳
〔第177段〕鎌倉の中書王(宗尊親王)の御所で蹴鞠の会があったとき、雨が降った後でまだ庭が乾かなかったので、どうしようかと相談していたところ、佐々木隠岐入道が、鋸の屑を車に積んでたくさん献上したので、庭一面に敷かれて、泥の不都合はなかった。「取りためておいた用意は、めったにないことだ」と、人々は感心し合った。このことをある者が話したところ、吉田中納言が、「乾いた砂の用意はなかったのか」とおっしゃったので、恥ずかしかった。すばらしいと思っていた鋸の屑は、下品で変わったものだったのだ。庭の儀式をとり行う人が、乾いた砂を用意しておくのは故実だということだ。
〔第178段〕ある所の侍たちが、内侍所の御神楽を見て人に話すときに、「宝剣をあの方がお持ちになっていた」などと言うのを聞いて、御簾の内の女房の中で、「別殿への行幸のときには、昼の御座の御剣でございますよ」と小声で言ったのは、奥ゆかしかった。その人は、古参の典侍であったとかいうことだ。
〔第179段〕宋に渡った僧の道眼上人は、一切経を持ち帰って、六波羅のあたりの焼野という所に安置して、とりわけ首楞厳経を講じて、那爛陀寺と名づけた。その聖が申されたことには、「那爛陀寺は大門が北向きであると、江帥の説として言い伝えているが、『西域伝』や『法顕伝』などにも見えず、まったく典拠がない。江帥はどういう考えで申されたのだろうか。不審である。唐土の西明寺は、北向きであることは言うまでもない」と申した。
〔第180段〕さぎちょうは、正月に打った毬杖を、真言院から神泉苑へ出して焼き上げるのである。「法成就の池にこそ」とはやすのは、神泉苑の池を言うのである。
〔第181段〕「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』ということは、米を搗いてふるったのに似ているので、粉雪と言う。『たまれ粉雪』と言うべきところを、まちがえて『たんばの』と言うのである。『垣や木の股に』と歌うのがよい」と、ある物知りが申した。昔から言っていたことだろうか。鳥羽院が幼くいらっしゃって、雪の降るときにこのようにおっしゃったということが、讃岐典侍の日記に書いてある。
〔第182段〕四条大納言隆親卿が、干鮭というものを天皇のお食事に差しあげられたのを、「このような卑しいものを召しあがることはあるまい」と人が申したのを聞いて、大納言は、「鮭という魚を召しあがらないというのならともかく、鮭の素干しが何の差しつかえがあろう。鮎の素干しは召しあがらないことがあろうか」と申された。
〔第183段〕人を突く牛は角を切り、人をかむ馬は耳を切って、そのしるしとする。しるしをつけないで人をけがさせたのは、持ち主の罪である。人をかむ犬は、養い飼ってはならない。これらはみな罪になる。律の戒めである。
〔第184段〕相模守時頼の母は、松下禅尼と申しあげた。守(時頼)をお招きすることがあったときに、すすけた明り障子の破れた所だけを、禅尼が自分で小刀を使って切りまわしながら張っておられたので、兄の城介義景が、その日の世話をしようとしてお仕えしていたが、「いただいて、何某という男に張らせましょう。そういうことに心得のある者でございます」と申しあげたところ、「その男は、尼の細工にまさりはしますまい」と言って、なおも一こまずつ張っておられたのを、義景が「全部を張り替えましたほうが、はるかにたやすうございましょう。まだらになっていますのも、見苦しいのではありませんか」と重ねて申しあげたので、「尼も後でさっぱりと張り替えようと思うけれど、今日だけは、わざとこうしておくべきなのです。物は破れた所だけを修理して使うものだと、若い人に見習わせて、気づかせるためなのです」と申されたのは、まことにめったにない立派なことであった。世を治める道は、倹約を基本とする。女性であるけれども、聖人の心に通じている。天下を保つほどの人を子として持たれたのは、まことに普通の人ではなかったということだ。
〔第185段〕城陸奥守泰盛は、並ぶ者のない馬乗りであった。馬を引き出させたときに、足をそろえて敷居をひらりと越えるのを見ては、「これは気の荒い馬だ」と言って、鞍を置きかえさせた。また、足を伸ばして敷居にけつまずくと、「これは鈍くて、事故を起こすだろう」と言って乗らなかった。道を知らない人が、これほど用心するだろうか。
〔第186段〕吉田という馬乗りが申しましたことには、「馬はどれも手ごわいものである。人の力では争えないと知るべきである。乗るべき馬を、まずよく見て、強い所と弱い所を知るべきである。次に、轡や鞍などの馬具に危ない所はないかと見て、気にかかることがあれば、その馬を走らせてはならない。この用心を忘れないのを、馬乗りと申すのである。これは秘伝である」と申した。
意訳
〔第177段〜第183段〕雨上がりの鞠の庭に鋸屑を敷いた機転より、乾いた砂を用意しておく故実のほうが正しい。行幸の剣の故実をさりげなく正した老女房。典拠のない説を疑った道眼上人。さぎちょうや「ふれふれこゆき」の由来、干鮭の献上の是非、人を害する牛馬への処置――故実と言葉の由来をめぐる短い段が続く。
〔第184段〕執権北条時頼を招く日、母の松下禅尼は、すすけた障子の破れた所だけを自ら切り張りした。全部張り替えればいいと言う兄に、「物は破れた所だけを繕って使うものと若い人に教えるため」と答えた。倹約こそ世を治める道――『徒然草』の中でもとりわけ有名な、母の教えの逸話である。
〔第185段〕〔第186段〕敷居をひらりと越える馬は気が荒く、けつまずく馬は鈍い――泰盛は馬の一挙手一投足に注意を払った。名人の吉田も、馬は人の力では御せないと知り、馬具の点検を怠らないことこそ馬乗りの秘訣だと言う。名人ほど慎重であるという、兼好の好む主題である。
語釈・文法注
- 鎌倉の中書王
- 宗尊親王(1242〜1274)。鎌倉幕府第六代将軍。
- 佐々木隱岐入道
- 佐々木政義。近江の武士。
- 吉田中納言
- 吉田為経(1210〜1256)。
- 乾沙
- 乾いた砂。
- 寶劔
- 三種の神器の一つ、草薙の剣。
- 晝御座
- 清涼殿の中の、天皇が昼間いる所。
- 典侍
- 内侍司の次官。古参の女官。
- 道眼上人
- 鎌倉時代の僧。宋に渡り、帰国後に那爛陀寺を開いた。
- 那爛陀寺
- もとはインドにあった仏教の大学問寺の名。
- 江帥
- 大江匡房(1041〜1111)。学者。大宰権帥をつとめた。
- さぎちやう
- 左義長。正月十五日に、毬杖などを焼く行事。
- ぎちやう
- 毬杖。毬を打つ杖。
- 神泉苑
- 平安京の大内裏の南にあった庭園。
- 讃岐のすけ
- 讃岐典侍藤原長子。『讃岐典侍日記』の作者。
- からざけ
- 干鮭。
- 律
- 律令の刑法。
- 相摸守時賴
- 北条時頼(1227〜1263)。鎌倉幕府第五代執権。
- 松下禪尼
- 安達景盛の娘。北条時氏の妻で、経時・時頼の母。
- 城介義景
- 安達義景(1210〜1253)。松下禅尼の兄弟。
- あかり障子
- 明り障子。紙を張った、光を通す障子。
- 城陸奧守泰盛
- 安達泰盛(1231〜1285)。義景の子。霜月騒動で滅んだ。
- しきみ
- 敷居。
文法
- 乾沙の用意やはなかりける
- 「やは」は疑問・反語。乾いた砂の用意はなかったのか。
- 御劔にてこそあれ
- 「こそあれ」で強調。御剣でございますよ。
- なんでふことかあらむ
- 「なんでふ」は「なにといふ」のつづまったもの。何の差しつかえがあろうか。
- まゐらぬかは
- 「かは」は反語。召しあがらないことがあろうか。
- よもまさり侍らじ
- 「よも…じ」で、まさか…ないだろう。
- かばかりおそれなむや
- 「な」は強意、「む」は推量、「や」は反語。これほど用心するだろうか。
解説
第177段は、機転を利かせた佐々木入道と、故実を知る吉田中納言とを対比する。兼好自身も最初は感心していたが、故実を知って「はづかしかりき」と恥じている。機転より正しい知識を重んじる兼好の態度がうかがえる。
第184段の松下禅尼の逸話は、『徒然草』の中でもっとも有名な話の一つで、戦前の修身の教科書にも取り上げられた。執権時頼を招く日に、わざと障子の繕いあとを見せることで、倹約の心を教えようとした母の深い配慮が描かれている。兼好は「女性なれども聖人の心にかよへり」と最大級の賛辞を送っている。
第185段と第186段は、馬術の名人の慎重さを描く。第109段の木登りの名人と同じく、名人ほど危険を知り、用心を怠らないという考えが示されている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、834〜836頁(コマ431–432)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日