徒然草 第28章(第158段〜第168段)
ことばの正しさと一道にたずさわる人
杯の底を捨てる作法、みな結びの名の由来、額を「打つ」と言うのはよくないなど、言葉づかいや故実を正す短い段が続き、池の鳥を殺した承仕法師、太衝の点、無益な世間話、雪仏のたとえ、そして自分の道を誇らず他の道をうらやむ心を説き、老人が知識をひけらかす見苦しさを戒める段で結ぶ。

- 1「「「盃盃さかずきのそこのそこのそこをををすつることすつることすつることはははいかゞいかゞいかが心心こころえたるえたるえたる」」」とあるとあるとある人人ひとののの尋尋たずねさせねさせねさせ給給たまひしにひしにいしに、、、「「「ととと申申もうしししはべればはべればはべれば、、、底底そこににに凝凝こりたるりたるりたるをををすつるにすつるにすつるに候候そうろうふらむふらむうらむ」」」ととと申申もうししし侍侍はべりしかばりしかばりしかば、、、「「「さにさにさにはははあらずあらずあらず。。。なりなりなり。。。流流ながれををを殘殘のこしてしてして口口ぐちのつきたるのつきたるのつきたる所所ところをををすゝぐなりすゝぐなりすすぐなり」」」とぞとぞとぞ仰仰おおせられしせられしせられし。。。
- 2「「「ははは絲絲いとをををむすびむすびむすび重重かさねたるがねたるがねたるが、、、といふといふという貝貝かいににに似似にたればいふたればいふたればいう」」」とあるやんごとなきとあるやんごとなきとあるやんごとなき人仰人仰ひとおおせられきせられきせられき。。。になといふになといふになというはははあやまりなりあやまりなりあやまりなり。。。
- 3門門もんににに額額ひたいかくるかくるかくるををを、、、うつといふうつといふうつというはははよからぬにやよからぬにやよからぬにや。。。二品禪門二品禪門におんぜんもんははは、、、「「「額額ひたいかくるかくるかくる」」」とのたまひきとのたまひきとのたまいき。。。見物見物けんぶつののの棧敷棧敷さじきうつもよからぬにやうつもよからぬにやうつもよからぬにや、、、うつなどうつなどうつなどはははつねのつねのつねの事事ことなりなりなり。。。
- 4棧敷構棧敷構さじきかまふるなどいふべしふるなどいふべしうるなどいうべし。。。たくといふもわろしたくといふもわろしたくというもわろし。。。修修しゅするするする護摩護摩ごまするなどいふなりするなどいふなりするなどいうなり。。。「「「行法行法ぎょうぼうももも、、、法法ほうののの字字じをををすみていふわろしすみていふわろしすみていうわろし。。。濁濁にごりていふりていふりていう」」」ととと僧正僧正そうじょう仰仰おおせられきせられきせられき。。。常常つねにいふにいふにいう事事ことにかゝることのみにかゝることのみにかかることのみ多多おおししし。。。
- 5花花はなののの盛盛さかりははは、、、冬至冬至とうじよりよりより百五十日百五十日ひゃくごじゅうにちともともとも、、、ののの後七日後七日ごしちにちともいへどともいへどともいえど、、、立春立春りっしゅんよりよりより七十五日七十五日しちじゅうごにちおほやうおほやうおおようたがはずたがはずたがわず。。。
- 6ののの、、、池池いけののの鳥鳥とりををを日日ひごろかひつけてごろかひつけてごろかいつけて、、、堂堂どうののの內內うちまでまでまで餌餌えをををまきてまきてまきて、、、戶戶とひとつひとつひとつをををあけたればあけたればあけたれば、、、數數かずもしらずもしらずもしらず入入いりけるりけるりける後後のち、、、おのれもおのれもおのれも入入いりてりてりて、、、立立たててて籠籠こめてめてめて捕捕とらへつゝへつゝえつつ殺殺ころしけるよそほひしけるよそほひしけるよそおい、、、おどろおどろしくおどろおどろしくおどろおどろしく聞聞きこえけるえけるえけるををを、、、草苅草苅くさかるわらるわらるわらははは聞聞ききてきてきて人人ひとににに吿吿つげゝればげゝればげければ、、、村村むらののの男男おとこどもどもども、、、おこりておこりておこりて入入いりてりてりて見見みるにるにるに、、、大鴈大鴈おおがりどもどもどもふためきあへるふためきあへるふためきあえる中中なかににに、、、法師法師ほうしまじりてまじりてまじりてうちうちうち伏伏ふせねぢせねぢせねじ殺殺ころしければしければしければ、、、このこのこの法師法師ほうしをををとらへてとらへてとらえて、、、所所ところよりよりより使廳使廳しちょうへへへ出出いだしたりけりしたりけりしたりけり。。。
- 7殺殺ころすところのすところのすところの鳥鳥とりををを頸頸くびにかけさせてにかけさせてにかけさせて、、、禁獄禁獄きんごくせられにけりせられにけりせられにけり。。。基俊基俊もととし大納言大納言だいなごん別當別當べっとうのときになむのときになむのときになむ侍侍はべりけるりけるりける。。。
- 8ののの太太たののの字字じ、、、點點てんうつうたずといふことうつうたずといふことうつうたずということ、、、陰陽陰陽おんようのともがらのともがらのともがら相論相論そうろんのことありけりのことありけりのことありけり。。。入道申入道申にゅうどうもうししし侍侍はべりしりしりしははは、、、「「「ががが自筆自筆じいつののの占文占文せんもんののの裏裏うらににに書書かかれたるかれたるかれたる御記御記ぎょき、、、近衞關白殿近衞關白殿このえのかんぱくどのにありにありにあり。。。點點てんうちたるうちたるうちたるををを書書かきたりきたりきたり」」」ととと申申もうしきしきしき。。。
- 9世世よののの人相逢人相逢ひとあいあふふう時時とき、、、しばらくもしばらくもしばらくも默止默止もだすることなしすることなしすることなし、、、かならずことばありかならずことばありかならずことばあり。。。そのことそのことそのことををを聞聞きくにくにくに、、、おほくおほくおおくははは無益無益むやくののの談談だんなりなりなり。。。世間世間せけんののの浮說浮說ふせつ、、、人人ひとののの是非是非ぜい、、、自他自他じたのためにのためにのために失多失多しつおおくくく得得えすくなしすくなしすくなし。。。
- 10これこれこれをををかたるかたるかたる時時とき、、、たがひのたがひのたがいの心心こころににに無益無益むやくのことなりといふことのことなりといふことのことなりということををを知知しらずらずらず。。。
- 11あづまのあづまのあずまの人人ひとののの都都みやこののの人人ひとにまじはりにまじはりにまじわり、、、みやこのみやこのみやこの人人ひとのあづまにのあづまにのあずまに行行ゆきてきてきて身身みをををたてたてたて、、、またまたまた本寺本山本寺本山ほんじおんざんをををはははなれぬるなれぬるなれぬるののの僧僧そう、、、すべてわがすべてわがすべてわが俗俗ぞくにあらずしてにあらずしてにあらずして人人ひとにまじはれるにまじはれるにまじわれる見見みぐるしぐるしぐるし。。。
- 12人間人間にんげんののの營營いとなみあへるわざみあへるわざみあえるわざをををみるにみるにみるに、、、春春はるののの日日ひにににをををつくりてつくりてつくりて、、、そのためにそのためにそのために金銀珠玉金銀珠玉きんぎんしゅぎょくのかざりのかざりのかざりをををいとなみいとなみいとなみ、、、堂塔堂塔どうとうををを建建たてむとするにてむとするにてむとするに似似にたりたりたり。。。
- 13そのかまへそのかまへそのかまえをををまちてよくまちてよくまちてよく安置安置あんじしてむやしてむやしてむや。。。人人ひとののの命命いのちありとありとありと見見みるるるほどもほどもほども、、、下下したよりよりより消消きゆることゆることゆること雪雪ゆきのごとくなるうちにのごとくなるうちにのごとくなるうちに、、、いとなみいとなみいとなみ待待まつことつことつこと甚甚いたおほしおほしおおし。。。
- 14一道一道いちどうにたづさはるにたづさはるにたずさわる人人ひと、、、あらぬあらぬあらぬ道道みちのむしろにのぞみてのむしろにのぞみてのむしろにのぞみて、、、「「「あはれあはれあわれ我我わががが道道みちならましかならましかならましかははは、、、かくよそにかくよそにかくよそに見侍見侍みはべらじものらじものらじものををを」」」といひといひといい、、、心心こころにもにもにも思思おもへることへることえること常常つねのことなれどのことなれどのことなれど、、、よにわろくおぼゆるなりよにわろくおぼゆるなりよにわろくおぼゆるなり。。。
- 15知知しらぬらぬらぬ道道みちのののうらやましくおぼえばうらやましくおぼえばうらやましくおぼえば、、、「「「あなうらやましあなうらやましあのうらやまし。。。などかならはざりけむなどかならはざりけむなどかならわざりけむ」」」といひてありなむといひてありなむといいてありなむ。。。我我わががが智智ちをををとりとりとり出出いでゝでゝでて人人ひとににに爭爭あらそふふうははは、、、角角つのあるものゝあるものゝあるものの角角つのをををかたぶけかたぶけかたぶけ、、、牙牙きばあるものゝあるものゝあるものの牙牙きばをををかみいだすたぐひなりかみいだすたぐひなりかみいだすたぐいなり。。。
- 16人人ひととしてとしてとしてははは善善ぜんにににほこらずほこらずほこらず、、、物物ものととと爭爭あらそはざるはざるわざるををを德德とくとすとすとす。。。他他たにまさることのあるにまさることのあるにまさることのあるははは大大おおきなるなるなる失失うしななりなりなり。。。品品しなのたかさにてものたかさにてものたかさにても、、、才藝才藝さいげいのすぐれたるにてものすぐれたるにてものすぐれたるにても、、、先祖先祖せんぞのののほまれにてもほまれにてもほまれにても、、、人人ひとにまされりとにまされりとにまされりと思思おもへるへるえる人人ひとははは、、、たとひたとひたとい詞詞ことばににに出出いでゝこそいでゝこそいでてこそいはははねどもねどもねども內心內心ないしんにそこばくのとがありにそこばくのとがありにそこばくのとがあり、、、謹謹つつしみてこれみてこれみてこれをををわするべしわするべしわするべし。。。
- 17をこにもをこにもおこにも見見みえええ、、、人人ひとにもいひけたれにもいひけたれにもいいけたれ、、、わざはひわざはひわざわいをもをもをも招招まねくくくはははたゞこのたゞこのただこの慢心慢心まんしんなりなりなり。。。一道一道いちどうにもまことににもまことににもまことに長長ちょうじぬるじぬるじぬる人人ひとははは、、、みづからあきらかにそのみづからあきらかにそのみずからあきらかにその非非ひををを知知しるゆゑにるゆゑにるゆえに、、、志常志常こころざしつねにみたずしてにみたずしてにみたずして、、、つひにものにつひにものについにものにほこることなしほこることなしほこることなし。。。
- 18年老年老としおいたるいたるいたる人人ひとののの、、、一事一事いちじすぐれたるすぐれたるすぐれたる才能才能さいのうありてありてありて、、、「「「このこのこの人人ひとののの後後のちにににははは誰誰たれにかにかにか問問とはむはむわむ」」」などいはゞなどいはゞなどいわば、、、老老おいのかたうどにてのかたうどにてのかとうどにて生生いけるもいたづらならずけるもいたづらならずけるもいたずらならず。。。
- 19さささはははあれどそれもすたれたるあれどそれもすたれたるあれどそれもすたれたる所所ところのなきのなきのなきははは、、、一生一生いっしょうこのこのこの事事ことにてにてにて暮暮くれにけりとれにけりとれにけりと拙拙つたなくくく見見みゆゆゆ。。。今今いまははは忘忘わすれにけりといひてありなむれにけりといひてありなむれにけりといいてありなむ。。。大大おおかたかたかたははは知知しりたりともりたりともりたりとも、、、すゞろにいひちらすすゞろにいひちらすすずろにいいちらすははは、、、さばかりのさばかりのさばかりの才才さいにににはははあらぬにやとあらぬにやとあらぬにやと聞聞きこえええ、、、おのづからあやまりもありぬべしおのづからあやまりもありぬべしおのずからあやまりもありぬべし。。。
- 20「「「さだかにもさだかにもさだかにも辨辨わきまへへへ知知しらずらずらず」」」などいひたるなどいひたるなどいいたるははは、、、なほまことになほまことになおまことに道道みちのあるじともおぼえぬべしのあるじともおぼえぬべしのあるじともおぼえぬべし。。。ましてしらぬことましてしらぬことましてしらぬこと、、、したりがほにしたりがほにしたりがおに、、、おとなしくもどきぬべくもあらぬおとなしくもどきぬべくもあらぬおとなしくもどきぬべくもあらぬ人人ひとのいひきかするのいひきかするのいいきかするををを、、、さもあらずとさもあらずとさもあらずと思思おもひながらひながらいながら、、、聞聞きききき居居いたるいとわびしたるいとわびしたるいとわびし。。。
現代語訳
〔第158段〕「杯の底(の酒)を捨てることは、どう心得ているか」と、ある方がお尋ねになったので、「凝当と申しますので、底にたまったものを捨てるのでございましょう」と申しましたところ、「そうではない。魚道である。流れを残して、口のついた所をすすぐのである」とおっしゃった。
〔第159段〕「みな結びというのは、糸を結び重ねたのが、蜷という貝に似ているから言うのだ」と、ある高貴な方がおっしゃった。「にな」と言うのはまちがいである。
〔第160段〕門に額をかけるのを「打つ」と言うのはよくないのだろうか。勘解由小路の二品禅門(藤原経尹)は「額かくる」とおっしゃった。見物の桟敷を「打つ」と言うのもよくないのだろうか。平張りを「打つ」などというのは普通のことである。「桟敷構ふる」などと言うべきである。「護摩たく」と言うのもよくない。「修する」「護摩する」などと言うのである。「行法も、法の字を清音で言うのはよくない。濁って言う」と清閑寺僧正がおっしゃった。ふだん言うことに、このようなことばかりが多い。
〔第161段〕花の盛りは、冬至から百五十日とも、春分の後七日とも言うけれど、立春から七十五日というので、だいたい違わない。
〔第162段〕遍照寺の承仕法師が、池の鳥を日ごろ餌付けして、堂の中まで餌をまいて、戸を一つ開けておいたので、数知れず入ったあとで、自分も入って閉じこめ、捕まえては殺していた様子が、恐ろしげに聞こえたのを、草を刈る童が聞いて人に知らせたので、村の男たちが騒ぎ立って入って見ると、大きな雁どもがばたばたと騒ぎ合う中に、法師がまじって、打ち伏せ、ねじり殺していたので、この法師を捕らえて、その場から検非違使庁へ突き出した。殺した鳥を首にかけさせて、牢に入れられた。基俊大納言が検非違使の別当のときのことでございました。
〔第163段〕太衝の「太」の字に点を打つか打たないかということで、陰陽道の者たちの間で論争があった。盛親入道が申しましたことには、「吉平の自筆の占文の裏に書かれた御記が、近衛関白殿にあります。点を打ったのを書いてありました」と申した。
〔第164段〕世の人は、会ったときに、しばらくも黙っていることがなく、必ず言葉を交わす。その話を聞くと、多くは無益な話である。世間の根拠のない噂、人のよしあしの品定めなど、自分にも相手にも、失うことが多く、得ることは少ない。これを語るとき、互いの心に、無益なことだということを知らない。
〔第165段〕東国の人が都の人に交じり、都の人が東国に行って身を立て、また、本寺・本山を離れた顕教・密教の僧など、すべて自分の本来の仲間でないところで人に交じっているのは、見苦しい。
〔第166段〕人間が営み合っている仕事を見ると、春の日に雪の仏を作って、そのために金・銀・珠玉の飾りを整え、堂塔を建てようとするのに似ている。その造営ができあがるのを待って、うまく安置できようか。人の命はあると見えても、下から消えていくことは雪のようであるのに、その間に営み、期待することが、たいそう多い。
〔第167段〕一つの道に携わる人が、専門外の道の席に臨んで、「ああ、自分の道であったら、こうしてよそごととして見てはいないのに」と言い、心にも思うことはよくあることだが、たいそう感心しないことに思われる。知らない道がうらやましく思われるなら、「ああうらやましい。どうして習わなかったのだろう」と言っておけばよいだろう。自分の知恵を持ち出して人と争うのは、角のある獣が角を傾け、牙のある獣が牙をむき出すのと同類である。人としては、善を誇らず、物と争わないのを徳とする。他人よりまさっていることがあるのは、大きな欠点である。家柄の高さでも、才芸のすぐれていることでも、先祖の名誉でも、人よりまさっていると思っている人は、たとえ言葉に出しては言わなくても、心の中に多くの欠点がある。慎んでこれを忘れるべきである。愚かにも見え、人にもけなされ、災いをも招くのは、ただこの慢心である。一つの道に本当にすぐれた人は、自分ではっきりとその欠点を知っているので、志がいつも満たされず、ついに何事にも誇ることがない。
〔第168段〕年老いた人で、一つのことにすぐれた才能があって、「この人の後には、だれに尋ねたらよいだろう」などと言われるならば、老人の味方となって、生きているのも無駄ではない。そうはいっても、それも衰えたところがないのは、一生このことで暮れてしまったのかとつたなく見える。「今は忘れてしまった」と言っておけばよいだろう。だいたいは知っていても、むやみに言い散らすのは、それほどの才能ではないのではないかと聞こえ、自然と誤りもあるだろう。「はっきりとはわきまえておりません」などと言っているのは、やはりほんとうにその道の第一人者とも思われるだろう。まして知らないことを、得意顔で、年配で反論もできそうにない人が言い聞かせるのを、そうではないと思いながら聞いているのは、まことにつらい。
意訳
〔第158段〜第161段〕杯の底の酒を捨てるのは「凝当」ではなく「魚道」、貝の名は「にな」ではなく「みな」、額は「打つ」ではなく「かくる」――言葉や作法の正しさにこだわる故実の段が続く。花の盛りは立春から七十五日という目安も記す。
〔第162段〕〔第163段〕寺の池の鳥を餌付けしてだまし討ちにした法師は、殺した鳥を首にかけられて投獄された。太衝の点をめぐる論争の決着も記す。
〔第164段〕〔第165段〕人は会えば必ずしゃべるが、多くは無益な噂や人の品定めである。また、自分の本来の居場所を離れて他所で生きる人は見苦しい。
〔第166段〕春の日に雪の仏を作り、それを納める堂を建てようとする――溶けゆく命の上に、大がかりな営みを重ねる人間の愚かさを、鮮やかなたとえで示す。
〔第167段〕〔第168段〕自分の専門外の席で「自分の道なら」と言うのは見苦しい。知恵を誇るのは、獣が角や牙をむくのと同じ。本当の名人は自分の欠点を知っているので誇らない。老人も、知っていることをむやみに言わず、「よくわかりません」と言うほうが、かえって奥ゆかしい。
語釈・文法注
- 凝當
- 杯の底にたまった酒を捨てること。
- 魚道
- 杯の底に少し酒を残して、口のついた所をすすいで捨てること。
- みなむすび
- 蜷結び。ひもの結び方の一つ。
- 蜷
- 巻貝の一種。
- 勘解由小路二品禪門
- 藤原経尹とされる。能書の家の人。
- ひらばり
- 平張り。幕を平らに張った日よけ。
- 護摩
- 密教で、火を焚いて仏に祈る修法。
- 淸閑寺僧正
- 道我(1284〜1343)。歌人。兼好と交流があった。
- 時正
- 春分・秋分の日。昼夜の長さが等しい日。
- 遍照寺
- 京都の広沢の池のほとりにあった寺。
- 承仕法師
- 寺で雑務をする下級の僧。
- 太衝
- 陰陽道で使う、十二の月の神の一つ。
- もりちか入道
- 陰陽師の安倍盛親か。伝未詳。
- 吉平
- 安倍吉平(954〜1027)。安倍晴明の子。陰陽師。
- 顯密
- 顕教と密教。
- 雪佛
- 雪で作った仏。
文法
- 申しはべれば
- 「申し侍れば」で、申しますので。
- すみていふわろし
- 「すみて」は清音で。清音で言うのはよくない。
- よく安置してむや
- 「て」は強意、「む」は推量、「や」は反語。うまく安置できようか、できはしない。
- ならましかは
- 底本どおり。「ならましかば」の意。反実仮想。自分の道であったならば。
- いひてありなむ
- 「な」は強意、「む」は適当。言っておけばよいだろう。
解説
第158段から第161段、第163段は、言葉や作法の故実を記した短い段である。兼好は、言葉の正しい使い方に強い関心を持っていた。第160段の「常にいふ事にかゝることのみ多し」は、日常の言葉の乱れへの嘆きでもある。
第166段の雪仏のたとえは、『徒然草』の無常観を示すたとえの中でもとくに印象的である。溶けていく雪の仏のために金銀の飾りや堂塔を用意するという、ありえない営みに、人生の営みを重ねている。
第167段と第168段は、慢心を戒め、謙虚さを説く。「一道にもまことに長じぬる人は、みづからあきらかにその非を知るゆゑに、志常にみたずして、つひにものにほこることなし」は、第150段の芸道論とも通じる、名人の心構えを示した言葉として名高い。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、827〜829頁(コマ427–428)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日