徒然草 第22章(第129段〜第133段)
人を苦しめず、分を知る
幼い子をからかって怖がらせることの罪深さ、身を傷つけるより心を傷つけるほうが重いという段に始まり、物と争わず己を曲げて人に従えという勝負事への戒め、分を知ることこそ知恵であるという教え、鳥羽の作り道の名の由来、天皇の御寝所の枕の向きの故実を収める。

- 1ははは志人志人こころざしひとににに勞勞ろうををを施施ほどこさじとなりさじとなりさじとなり。。。すべてすべてすべて人人ひとををを苦苦くるしめしめしめ物物ものをををしへたぐることしへたぐることしえたぐること、、、賤賤いやしきしきしき民民たみののの志志こころざしををを奪奪うばふべからずふべからずうべからず。。。又又またいとけなきいとけなきいとけなき子子こをををすかしおどしすかしおどしすかしおどし、、、言言いひひい辱辱はじかしめてかしめてかしめて興興きょうずることありずることありずることあり。。。
- 2人人ひとははは、、、まことならねばまことならねばまことならねば事事ことにもあらずにもあらずにもあらず思思おもへどへどえど、、、幼幼おさなききき心心こころにににははは、、、身身みにしみておそろしくにしみておそろしくにしみておそろしく、、、耻耻はずかしくあさましきおもひかしくあさましきおもひかしくあさましきおもい、、、誠誠まことににに切切せつなるべしなるべしなるべし。。。
- 3これこれこれをををなやましてなやましてなやまして興興きょうずることずることずること慈悲慈悲じいののの心心こころにあらずにあらずにあらず。。。おとなしきおとなしきおとなしき人人ひとののの、、、喜喜よろこびびび怒怒いかりりり、、、悲悲かなしびびび樂樂らくむもむもむも、、、なれどもなれどもなれども、、、誰誰たれかかかののの相相そうににに着着きせざるせざるせざる。。。
- 4身身みをやをやをやぶるよりもぶるよりもぶるよりも心心こころをををいたましむるいたましむるいたましむるははは、、、人人ひとををを害害がいふことなほふことなほふことなおはははなななはははだしだしだし。。。病病やまいをををうくるうくるうくる事事ことももも、、、多多おおくくくははは心心こころよりよりよりうくうくうく、、、外外ほかよりよりより來來くるるる病病やまいはははすくなしすくなしすくなし。。。
- 5藥藥くすりををを飮飮のみてみてみて汗汗あせををを求求もとむるにむるにむるにははは、、、しるしなきことあれどもしるしなきことあれどもしるしなきことあれども、、、一旦耻一旦耻いったんはぢぢじ恐恐おそるゝことあればるゝことあればるることあれば、、、かならずかならずかならず汗汗あせををを流流ながすすすははは心心こころのしわざなりといふことのしわざなりといふことのしわざなりということををを知知しるべしるべしるべし。。。
- 6ののの額額がくをををかきてかきてかきて、、、白頭白頭はくとうののの人人ひととなりしためしなきにあらずとなりしためしなきにあらずとなりしためしなきにあらず。。。
- 7ものにあらそはずものにあらそはずものにあらそわず、、、おのれおのれおのれををを枉枉まげてげてげて人人ひとにしたがひにしたがひにしたがい、、、わがわがわが身身みををを後後のちにしてにしてにして人人ひとををを先先さきにするににするににするにはしかずはしかずはしかず。。。萬萬よろずののの遊遊あそびにもにもにも勝負勝負しょうぶををを好好このむむむ人人ひとははは、、、勝勝かちてちてちて興興きょうあらむためなりあらむためなりあらむためなり。。。
- 8己己おのががが藝藝げいのまさりたることのまさりたることのまさりたることをををよろこぶよろこぶよろこぶ。。。さればさればされば負負まけてけてけて興興きょうなくおぼゆべきことまたなくおぼゆべきことまたなくおぼゆべきことまた知知しられたりられたりられたり。。。我負我負われまけてけてけて人人ひとをををよろこばしめむとよろこばしめむとよろこばしめむと思思おもはゞはゞわば、、、更更さらにあそびのにあそびのにあそびの興興きょうなかるべしなかるべしなかるべし。。。
- 9人人ひとにににほほほ意意いなくおもはせてなくおもはせてなくおもわせて、、、わがわがわが心心こころををを慰慰なぐさまむことまむことまむこと德德とくににに背背そむけりけりけり。。。むつまじきむつまじきむつまじき中中なかにたにたにたはははぶるゝもぶるゝもぶるるも、、、人人ひとをををはははかりかりかり欺欺あざむきてきてきて、、、おのれがおのれがおのれが智智ちのまさりたることのまさりたることのまさりたることををを興興きょうとすとすとす、、、これまたこれまたこれまた禮禮れいにあらずにあらずにあらず。。。
- 10さればさればさればはじめはじめはじめよりよりより起起おこりてりてりて、、、長長ながきききうらみうらみうらみををを結結むすぶぶぶ類類たぐいおほしおほしおおし。。。これこれこれ皆皆みなあらそひあらそひあらそいををを好好このむむむ失失うしななりなりなり。。。人人ひとにまさらむことにまさらむことにまさらむことををを思思おもはゞはゞわば、、、たゞたゞただ學問學問がくもんしてしてして、、、そのそのその智智ちををを人人ひとにまさらむとにまさらむとにまさらむと思思おもふべしふべしうべし。。。
- 11道道みちををを學學まなぶとならばぶとならばぶとならば、、、善善ぜんにににほこらずほこらずほこらず、、、ともがらにともがらにともがらに爭爭あらそふべからずといふことふべからずといふことうべからずということををを知知しるべきゆゑなりるべきゆゑなりるべきゆえなり。。。大大おおきなるなるなる職職しょくをもをもをも辭辭じししし、、、利利りををを捨捨すつるつるつるははは、、、たゞたゞただ學問學問がくもんののの力力ちからなりなりなり。。。
- 12貧貧まずしきものしきものしきものははは財財ざいをもをもをもててて禮禮れいとしとしとし、、、老老おいたるものいたるものいたるものははは力力ちからをもをもをもててて禮禮れいとすとすとす。。。おのがおのがおのがををを知知しりてりてりて及及およばざるばざるばざる時時ときははは速速すみやかにやむにやむにやむををを智智ちといふべしといふべしというべし。。。許許ゆるさゞらむさゞらむさざらむははは人人ひとのあやまりなりのあやまりなりのあやまりなり。。。
- 13分分わををを知知しらずしてらずしてらずして强强しひてひてひて勵勵はげむむむはははおのれがあやまりなりおのれがあやまりなりおのれがあやまりなり。。。貧貧まずしくてしくてしくて分分わををを知知しらざればぬすみらざればぬすみらざればぬすみ、、、力衰力衰ちからおとろへてへてへて分分わををを知知しらざればらざればらざれば病病やまいをををうくうくうく。。。
- 14のつくりのつくりのつくり道道みちははは、、、鳥羽殿建鳥羽殿建とばどのたてられててられててられて後後のちののの號號ごうにににはははあらずあらずあらず、、、むかしよりのむかしよりのむかしよりの名名ななりなりなり。。。、、、ののの聲聲こえはははなななはははだだだ殊勝殊勝しゅしょうにしてにしてにして、、、大極殿大極殿だいごくでんよりよりより鳥羽鳥羽とばのつくりのつくりのつくり道道どうまでまでまで聞聞きこえけるよしえけるよしえけるよし、、、ののの記記きににに侍侍はべるとかやるとかやるとかや。。。
- 15「「「のおとゞのおとゞのおとどははは東御枕東御枕ひんがしおおんまくらなりなりなり。。。大大おおかたかたかた東東ひんがしををを枕枕まくらとしてとしてとして、、、陽氣陽氣ようきををを受受うくべきゆゑにくべきゆゑにくべきゆえに、、、孔子孔子こうしももも東首東首とうしゅししし給給たまへりへりえり。。。寢殿寢殿しんでんのしつらひのしつらひのしつらい、、、或或あるいははは南枕常南枕常みなみまくらつねのことなりのことなりのことなり。。。白川院白川院しらかわのいんははは北首北首ほくしゅににに御寢御寢ぎょしんなりけりなりけりなりけり。。。北北きたははは忌忌いむことなりむことなりむことなり。。。またまたまた伊勢伊勢いせははは南南みなみなりなりなり。。。太神宮太神宮だいじんぐうののの御方御方おおんかたををを、、、御跡御跡おおんあとにせさせにせさせにせさせ給給たまふこといかゞふこといかゞうこといかが」」」ととと人申人申ひともうしけりしけりしけり。。。
- 16たゞしたゞしただし太神宮太神宮だいじんぐうののの遙拜遙拜ようはいははは、、、向向むかはせはせわせ給給たまふふう。。。南南みなみにににはははあらずあらずあらず。。。
現代語訳
〔第129段〕顔回は、志として人に苦労をかけまいとした。およそ人を苦しめ、物をしいたげることは、身分の低い民であっても、その志を奪ってはならない。また、幼い子をだましたり脅したり、からかって恥をかかせたりして面白がることがある。大人は、本当のことではないから何でもないと思うが、幼い心には、身にしみて恐ろしく、恥ずかしく、情けない思いが、まことに痛切であるにちがいない。これを悩ませて面白がるのは、慈悲の心ではない。大人が喜んだり怒ったり、悲しんだり楽しんだりするのも、みな実体のないものだけれども、だれが実在するものと思いこまないだろうか。体を傷つけるよりも、心を傷つけるほうが、人を害することがいっそうはなはだしい。病気になるのも、多くは心から起こるもので、外から来る病気は少ない。薬を飲んで汗を出そうとしても、効き目のないことがあるが、ひとたび恥じたり恐れたりすることがあると、必ず汗を流すのは、心のしわざであるということを知るべきである。凌雲台の額を書いて、白髪の人になった例もないわけではない。
〔第130段〕物と争わず、自分を曲げて人に従い、わが身を後にして人を先にするのに及ぶものはない。いろいろな遊びでも、勝負を好む人は、勝って面白がるためである。自分の技量がすぐれていることを喜ぶのだ。だから、負けて興ざめに感じることもまたわかっている。自分が負けて人を喜ばせようと思うなら、まったく遊びの面白みはないだろう。人に残念な思いをさせて自分の心を慰めるのは、徳に背いている。親しい間柄でふざけ合うのも、人をだまして、自分の知恵がまさっていることを面白がる。これもまた礼ではない。だから、初めは酒宴の座興から起こって、長い恨みを結ぶ例が多い。これはみな、争いを好むことの過ちである。人にまさろうと思うなら、ただ学問をして、その知恵を人にまさらせようと思うべきである。道を学ぶなら、善を誇らず、仲間と争ってはならないということを知るはずだからである。高い官職をも辞退し、利益を捨てるのは、ただ学問の力である。
〔第131段〕貧しい者は財物をもって礼とし、老いた者は体力をもって礼とする(と考える)。自分の分際を知って、力が及ばないときはすぐにやめるのを、知恵と言うべきである。(それを)許さないのは、相手の誤りである。分を知らずに無理に励むのは、自分の誤りである。貧しくて分を知らなければ盗みをし、体力が衰えて分を知らなければ病気になる。
〔第132段〕鳥羽の作り道は、鳥羽殿が建てられて後の呼び名ではない。昔からの名である。元良親王の元日の奏賀の声がたいそうみごとで、大極殿から鳥羽の作り道まで聞こえたということが、李部王の記にあるとかいうことだ。
〔第133段〕「天皇の御寝所は、東枕である。だいたい東を枕にして、陽気を受けるべきなので、孔子も東を頭にして寝られた。寝殿のしつらいは、南枕にするのが普通である。白河院は北枕でお休みになった。北は忌むことである。また伊勢は南にある。太神宮の方角を足の方にさせなさるのはいかがなものか」と、ある人が申した。ただし、太神宮の遥拝は、東南にお向きになってなさる。南ではない。
意訳
〔第129段〕幼い子をからかって怖がらせるのは、大人には冗談でも、子どもの心には深い傷になる。体より心を傷つけるほうが罪は重く、病の多くは心から起こる――子どもの心への深い理解と、心身の関係への鋭い洞察を示した段である。
〔第130段〕勝負事は、勝った者の喜びが負けた者の不快になる。親しい仲のいたずらも、相手を欺いて自分の知恵を誇ることになり、宴の座興が長い恨みを生む。人にまさりたければ学問でまされ。学問をすれば争わないことを知るからだ。
〔第131段〕自分の分を知り、及ばないときはすぐにやめるのが知恵である。分を知らずに無理をすれば、貧しい者は盗みに走り、衰えた者は病を得る。
〔第132段〕〔第133段〕鳥羽の作り道の名の由来、天皇の寝所の枕の向きと伊勢の方角についての故実を記す。
語釈・文法注
- 顏回
- 孔子の弟子(紀元前521〜前481ごろ)。徳行第一とされた。
- おとなしき人
- 大人。分別のある年長者。
- 虛妄
- うそいつわり。実体のないもの。
- 實有の相
- 実際にある姿。
- 凌雲の額
- 魏の明帝が凌雲台を建てたとき、額を書かせた韋誕が高い所に吊り上げられて書き、恐ろしさのあまり一夜で白髪になったという故事。
- 興宴
- 酒宴の座興。
- 分
- 身のほど。分際。
- 鳥羽のつくり道
- 平安京の羅城門から南の鳥羽へ通じる道。
- 元良親王
- 陽成天皇の皇子(890〜943)。百人一首の「わびぬれば」の歌の作者。声が大きかったと伝える。
- 元日奏賀
- 元日の朝賀の儀式で、天皇に祝いの言葉を申しあげること。
- 李部王の記
- 重明親王(式部卿)の日記『吏部王記』。
- 夜のおとゞ
- 夜の御殿。清涼殿の中の天皇の寝所。
- たつみ
- 辰巳。東南の方角。
文法
- 施さじとなり
- 「じ」は打消意志。施すまいと(いうこと)である。
- 誰か實有の相に着せざる
- 「か」は反語。だれが実在と思いこまないだろうか(みな思いこむ)。
- 更にあそびの興なかるべし
- 「更に…なし」で、まったく…ない。
- ほ意
- 底本は「ほ意」と書く。本意。
解説
第129段は、子どもをからかうことの残酷さを説いた段として注目される。大人には何でもない冗談が、子どもにとっては「身にしみておそろしく」と、子どもの側に立って考えている。さらに心が体に影響することを、汗や白髪の例で説明するところは、今日の心身医学にも通じる鋭い観察である。
第130段は、勝負事や争いを戒める。「萬の遊にも勝負を好む人は、勝ちて興あらむためなり」と、勝負の喜びが必ず誰かの不快の上に成り立つことを指摘する。そのうえで、まさりたいなら学問で、と言いながら、学問をすればかえって争わなくなると結ぶ論理がおもしろい。
第131段の「分を知る」ことは、『徒然草』に繰り返し現れる主題である。第134段では、自分の老いや醜さを知って身を引くことを説いている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、813〜814頁(コマ420–421)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日