徒然草 第16章(第90段〜第97段)
赤舌日と二つの矢
「頭は見ていない」と答えた童の話に始まり、赤舌日を忌む迷信を退けて「吉凶は人によりて日によらず」と説く段、二本の矢を持つなと戒めた弓の師の言葉、牛の売買の話から生を楽しむことを説く段、勅書の扱い、箱の緒の付け方、めなもみの薬効、身中の虫のように物をそこなうものを並べる。

- 1大納言法印大納言法印だいなごんほういんのめしつかひしのめしつかひしのめしつかいし、、、殿殿どのといふものといふものというものををを知知しりてりてりて、、、常常つねにゆきにゆきにゆき通通かよひしにひしにひしに、、、あるあるある時時ときいでゝかへりきたるいでゝかへりきたるいでてかえりきたるををを、、、法印法印ほういん「「「いづくいづくいずくへへへ行行ゆきつるぞきつるぞきつるぞ」」」ととと問問とひしかばひしかばいしかば、、、「「「やすらやすらやすら殿殿どののがりまかりてのがりまかりてのがりまかりて候候そうろうふふう」」」といふといふという。。。
- 2「「「そのやすらそのやすらそのやすら殿殿どのははは男男おとこかかか法師法師ほうしかかか」」」とまたとはれてとまたとはれてとまたとわれて、、、袖袖そでかきあはせてかきあはせてかきあわせて、、、「「「いかゞさふらふらむいかゞさふらふらむいかがさうらうらむ、、、かしらかしらかしらをばをばをば見候見候みそうらはずはずわず」」」ととと答答こたへへえ申申もうしきしきしき。。。などかなどかなどか頭頭かしらばかりのばかりのばかりの見見みえざりけむえざりけむえざりけむ。。。
- 3といふといふという事事こと、、、にににははは沙汰沙汰さたなきことなりなきことなりなきことなり。。。むかしのむかしのむかしの人人ひとこれこれこれををを忌忌いまずまずまず、、、このごろなにものゝこのごろなにものゝこのごろなにものの出出いでゝでゝでて忌忌いみみみはじめけるにかはじめけるにかはじめけるにか「「「このこのこの日日ひあることあることあること末末すえとほらずとほらずとおらず」」」といひてといひてといいて、、、「「「そのそのその日日ひいひたりしこといひたりしこといいたりしこと、、、したりしことかなはずしたりしことかなはずしたりしことかなわず、、、得得えたりしものたりしものたりしものははは失失うしなひひい、、、くくくはははだてたりしことだてたりしことだてたりしこと成成ならずらずらず」」」といふといふという、、、おろかなりおろかなりおろかなり。。。
- 4吉日吉日きちにちをををえらびてなしたるわざのえらびてなしたるわざのえらびてなしたるわざの末末すえとほらぬとほらぬとおらぬををを、、、かぞかぞかぞへてへてへて見見みむもまたむもまたむもまたひとしかるべしひとしかるべしひとしかるべし。。。そのそのその故故ゆえははは無常變易無常變易むじょうへんやくのさかひのさかひのさかい、、、ありとありとありと見見みるものもるものもるものも存存ぞんせずせずせず、、、始始はじあることもをはりなしあることもをはりなしあることもおわりなし。。。
- 5志志こころざしははは遂遂とげずげずげず望望のぞみははは絕絕たえずえずえず、、、人人ひとののの心不定心不定こころふじょうなりなりなり。。。ものみなものみなものみな幻化幻化げんげなりなりなり。。。何事何事なにごとかしばらくもかしばらくもかしばらくも住住すするするする。。。このこのこの理理ことわりををを知知しらざるなりらざるなりらざるなり。。。「「「吉日吉日きちにちににに惡惡あくをををなすにかならずなすにかならずなすにかならず凶凶きょうなりなりなり。。。惡日惡日あくにちににに善善ぜんををを行行おこなふにかならずふにかならずうにかならず吉吉きちなりなりなり」」」といへりといへりといえり。。。吉凶吉凶きっきょうははは人人ひとによりてによりてによりて日日ひによらずによらずによらず。。。
- 6あるあるある人弓射人弓射ひとゆみいることることることをををならふにならふにならうに、、、矢矢やをををたばさみてたばさみてたばさみて的的まとにむかふにむかふにむかう。。。師師しのいはくのいはくのいわく、、、「「「初心初心しょしんののの人人ひとふたつのふたつのふたつの矢矢やをもをもをもつことなかれつことなかれつことなかれ。。。後後のちののの矢矢やをををたのみてたのみてたのみて初初はじめののの矢矢やになほざりのになほざりのになおざりの心心こころありありあり。。。每度每度まいどたゞたゞただ得失得失とくしつなくなくなく、、、このこのこの一箭一箭いっせんににに定定さだむべしとおもへむべしとおもへむべしとおもえ」」」といふといふという。。。
- 7わづかにわづかにわずかに二二ふたつのつのつの矢矢や、、、師師しののの前前まえにてにてにて一一ひとつつつをををおろそかにせむとおろそかにせむとおろそかにせむと思思おもはむやはむやわむや。。。ののの心心こころみづからみづからみずから知知しらずといへどもらずといへどもらずといえども、、、師師しこれこれこれををを知知しるるる。。。このいましめこのいましめこのいましめ萬事萬事ばんじにわたるべしにわたるべしにわたるべし。。。
- 8道道みちををを學學がくするするする人人ひと、、、夕夕ゆうべにににははは朝朝あさあらむことあらむことあらむことをををおもひおもひおもい、、、あしたにあしたにあしたにははは夕夕ゆうあらむことあらむことあらむことををを思思おもひてひていて、、、重重かさねてねんごろにねてねんごろにねてねんごろに修修しゅせむことせむことせむことををを期期ごすすす。。。いはむやいはむやいわむやのののうちにおいてうちにおいてうちにおいて、、、懈怠懈怠けだいののの心心こころあることあることあることををを知知しらむやらむやらむや。。。
- 9なんぞたゞなんぞたゞなんぞただ今今いまののの一念一念いちねんにおいてにおいてにおいて、、、たゞちにすることのたゞちにすることのただちにすることのはははなななはははだかたきだかたきだかたき。。。
- 10「「「牛牛うしををを賣賣うるものありるものありるものあり。。。買買かふふう人人ひと、、、あすそのあたひあすそのあたひあすそのあたいをやをやをやりてりてりて牛牛うしをををとらむといふとらむといふとらむという。。。夜夜よのまにのまにのまに牛死牛死うししぬぬぬ。。。買買かはむとするはむとするわむとする人人ひとににに利利りありありあり、、、賣賣めらむとするらむとするらむとする人人ひとににに損損そんありありあり」」」とかたるとかたるとかたる人人ひとありありあり。。。
- 11これこれこれををを聞聞ききてかたへなるものゝいはくきてかたへなるものゝいはくきてかたえなるもののいわく、、、「「「牛牛うしののの主主ぬしまことにまことにまことに損損そんありといへどもありといへどもありといえども、、、又大又大またおおきなるなるなる利利りありありあり。。。そのそのその故故ゆえははは、、、生生しょうあるものあるものあるもの死死しののの近近ちかきこときこときことををを知知しらざることらざることらざること、、、牛牛うしすでにしかなりすでにしかなりすでにしかなり。。。人人ひとまたおなじまたおなじまたおなじ。。。はからざるにはからざるにはからざるに牛牛うしははは死死じにししし、、、はからざるにぬしはからざるにぬしはからざるにぬしははは存存ぞんせりせりせり。。。一日一日いちにちののの命萬金命萬金いのちまんきんよりもおもしよりもおもしよりもおもし。。。牛牛うしののの價價あたいよりもかろしよりもかろしよりもかろし。。。萬金萬金まんきんををを得得えててて一錢一錢いっせんををを失失うしなはむはむわむ人人ひと、、、損損そんありといふべからずありといふべからずありというべからず」」」といふにといふにというに、、、皆人嘲皆人嘲みなひとあざけりてりてりて、、、「「「そのそのその理理ことわりははは牛牛うしののの主主ぬしににに限限かぎるべからずるべからずるべからず」」」といふといふという。。。
- 12またいはくまたいはくまたいわく「「「さればさればされば人死人死ひとしをををにくまばにくまばにくまば生生しょうををを愛愛あいすべしすべしすべし、、、存命存命ぞんめいのよろこびのよろこびのよろこび日々日々ひびにたのしまざらむやにたのしまざらむやにたのしまざらむや。。。愚愚おろかなるなるなる人人ひとこのこのこの樂樂たのしみををを忘忘わすれてれてれて、、、いたつがはしくいたつがはしくいたつがわしく外外ほかののの樂樂たのしみをもをもをもとめとめとめ、、、このこのこの財財ざいををを忘忘わすれてあやふくれてあやふくれてあやうく他他たののの財財ざいをををむさぼるにむさぼるにむさぼるにははは、、、志滿志滿こころざしみつることなしつることなしつることなし。。。いけるいけるいける間生間生あいだしょうをををたのしまずしてたのしまずしてたのしまずして、、、死死しににに臨臨のぞみてみてみて死死じにをををおそればおそればおそれば、、、このこのこの理理りあるべからずあるべからずあるべからず。。。人人ひとみなみなみな生生しょうをををたのしまざるたのしまざるたのしまざるははは、、、死死じにをををおそれざるおそれざるおそれざる故故ゆえなりなりなり。。。死死じにをををおそれざるにおそれざるにおそれざるにはははあらずあらずあらず、、、死死しののの近近ちかきこときこときことををを忘忘わするゝなりるゝなりるるなり。。。もしまたもしまたもしまた生死生死しょうじののの相相そうにあづからずといはゞにあづからずといはゞにあずからずといわば、、、實實じつののの理理ことわりををを得得えたりといふべしたりといふべしたりというべし」」」といふにといふにというに、、、人人ひといよいよあざけるいよいよあざけるいよいよあざける。。。
- 13ののの相國出仕相國出仕しょうこくしゅっししたまひけるにしたまひけるにしたまいけるに、、、をもをもをもちたるちたるちたるあひあひあい奉奉たてまつりてりてりて、、、馬馬うまよりおりたりけるよりおりたりけるよりおりたりけるををを、、、相國後相國後しょうこくのちににに、、、「「「北面北面ほくめんなにがしなにがしなにがしははは勅書勅書ちょくしょをもをもをもちながらちながらちながら下馬下馬げばししし侍侍はべりしものなりりしものなりりしものなり。。。かかかほどのものいかでかほどのものいかでかほどのものいかでか君君きみににに仕仕つかうまつりうまつりうまつり候候そうろうふべきふべきうべき」」」ととと申申もうされければされければされければ、、、北面北面ほくめんをををはははなたれにけりなたれにけりなたれにけり。。。
- 14「「「勅書勅書ちょくしょををを馬馬うまののの上上うえながらながらながら捧捧ささげてげてげて見見みせせせ奉奉たてまつるべしるべしるべし、、、おるべからずおるべからずおるべからず」」」とぞとぞとぞ。。。
- 15「「「箱箱はこ緖緖ををををつくることつくることつくること、、、いづかたにつけいづかたにつけいずかたにつけ侍侍はべるべきぞるべきぞるべきぞ」」」とあるとあるとある有職有職ゆうそくののの人人ひとににに尋尋たずねねね申申もうししし侍侍はべりしかばりしかばりしかば、、、「「「軸軸じくにつけにつけにつけ表紙表紙ひょうしにつくることにつくることにつくること兩說兩說りょうせつなればなればなれば、、、いづれもいづれもいずれも難難なんなしなしなし。。。文文ふみののの箱箱はこはははおほくおほくおおくははは右右みぎにつくにつくにつく、、、手箱手箱てばこにににははは軸軸じくにつくるもにつくるもにつくるも常常つねのことなりのことなりのことなり」」」ととと仰仰おおせられきせられきせられき。。。
- 16草草くさありありあり。。。人人ひと、、、かのかのかの草草くさをもをもをもみてつけぬればみてつけぬればみてつけぬれば、、、すなすなすなはははちちち癒癒いゆとなむゆとなむゆとなむ、、、見知見知みしりておくべしりておくべしりておくべし。。。
- 17そのものにつきてそのものにつきてそのものにつきて、、、そのものそのものそのものををを費費ついやしそこなふものしそこなふものしそこなうもの數數かずををを知知しらずありらずありらずあり。。。身身みににに虱虱しらみありありあり、、、家家いえににに鼠鼠ねずみありありあり。。。國國くにににに賊賊ぞくありありあり、、、小人小人しょうじんににに財財ざいありありあり。。。君子君子くんしににに仁義仁義じんぎありありあり、、、僧僧そうににに法法のりありありあり。。。
現代語訳
〔第90段〕大納言法印の召し使っていた乙鶴丸が、やすら殿という者と知り合って、いつも通っていたが、ある時出かけて帰ってきたのを、法印が「どこへ行ってきたのか」と尋ねたところ、「やすら殿のところへ参っておりました」と言う。「そのやすら殿は、俗人か法師か」とまた尋ねられて、袖をかき合わせて、「さあ、どうでございましょうか。頭は見ておりません」とお答え申しあげた。どうして頭だけが見えなかったのだろう。
〔第91段〕赤舌日ということは、陰陽道では問題にしないことである。昔の人はこれを忌まなかった。このごろ、だれが言い出して忌みはじめたのだろうか、「この日にあることは、最後まで続かない」と言って、「その日に言ったこと、したことはかなわず、手に入れたものは失い、計画したことは成就しない」と言うのは、愚かである。吉日を選んでしたことで最後まで続かないものを数えてみても、また同じくらいだろう。そのわけは、無常で移り変わるこの世では、あると見えるものも存在せず、始めのあることも終わりはない。志は遂げられず、望みは絶えない。人の心は定まらない。物はみな幻のようなものである。何がしばらくでもとどまっていようか。この道理を知らないのである。「吉日に悪事をすれば必ず凶であり、悪日に善事を行えば必ず吉である」と言われている。吉凶は人によるのであって、日によるのではない。
〔第92段〕ある人が弓を射ることを習うのに、二本の矢を手にはさみ持って的に向かった。師が言うには、「初心の人は、二本の矢を持ってはいけない。後の矢を頼みにして、初めの矢をいいかげんにする心が生まれる。毎回、当たりはずれを考えず、この一本で決めようと思え」と言う。わずか二本の矢で、師の前で一本をおろそかにしようと思うだろうか。怠けの心は、自分では気づかなくても、師はこれを見抜いている。この戒めは、すべてのことに通じるだろう。道を学ぶ人は、夕べには翌朝があることを思い、朝には夕べがあることを思って、あとでもう一度念を入れて修行しようと心づもりする。まして、一瞬のうちに怠けの心があることに気づくだろうか。どうして、ただ今の一瞬において、すぐに実行することは、こんなにもむずかしいのか。
〔第93段〕「牛を売る者がいた。買う人が、明日その代金を払って牛を受け取ろうと言う。夜の間に牛が死んでしまった。買おうとする人には利益があり、売ろうとする人には損がある」と語る人がいた。これを聞いて、そばにいた者が言うには、「牛の持ち主は、ほんとうに損をしたけれど、また大きな得もある。そのわけは、命あるものが死の近いことを知らないのは、牛がまさにそうである。人もまた同じだ。思いがけず牛は死に、思いがけず持ち主は生きている。一日の命は万金よりも重い。牛の値は鵞鳥の羽よりも軽い。万金を得て一銭を失った人を、損をしたと言うべきではない」と言うと、みなが嘲って、「その理屈は、牛の持ち主に限らない」と言う。(その者は)また言うには、「だから、人が死を憎むなら、生を愛すべきである。生きている喜びを、日々楽しまないでいられようか。愚かな人は、この楽しみを忘れて、苦労して外の楽しみを求め、この宝を忘れて、危うく他の宝をむさぼるので、満足することがない。生きている間に生を楽しまないで、死に臨んで死を恐れるならば、この道理は成り立たない。人がみな生を楽しまないのは、死を恐れないからである。死を恐れないのではない。死の近いことを忘れているのだ。もしまた、生死の差別にとらわれないと言うならば、まことの道理を得たと言うべきだろう」と言うと、人々はいっそう嘲った。
〔第94段〕常磐井の相国(西園寺実氏)が出仕なさったとき、勅書を持った北面の武士がお会いして、馬からおりたのを、相国は後で、「北面の何某は、勅書を持ちながら下馬した者です。この程度の者が、どうして君にお仕えできましょうか」と申しあげたので、(その)北面は解任されてしまった。「勅書は、馬に乗ったまま捧げてお見せ申しあげるべきで、おりてはならない」ということである。
〔第95段〕「箱の繰形に緒をつけるのは、どちら側につけるのがよいのでしょうか」と、ある有職の方にお尋ね申しあげましたところ、「軸につけるのと表紙につけるのと両説あるので、どちらでも差しつかえない。文箱はたいてい右につける。手箱には軸につけるのも普通のことだ」とおっしゃった。
〔第96段〕めなもみという草がある。蝮にかまれた人が、その草をもんでつければ、すぐに治るという。見知っておくのがよい。
〔第97段〕そのものに取りついて、そのものを損ない消耗させるものは、数知れずある。体には虱がおり、家には鼠がおり、国には賊がおり、小人には財産があり、君子には仁義があり、僧には仏法がある。
意訳
〔第90段〕「やすら殿は俗人か法師か」と問われて、「頭は見ておりません」と答えた童。いつも通っていたのに頭を見なかったはずはない――とぼけた答えのおかしさを、短く書きとめる。
〔第91段〕赤舌日に始めたことは成就しないという迷信を、兼好は退ける。そもそも無常の世では、吉日に始めたことも続かない。「吉凶は人によりて日によらず」――迷信に対する、兼好の合理的な態度が表れた段である。
〔第92段〕弓の師は、初心者に「二本目の矢を持つな」と言った。次があると思えば、今の一本がおろそかになる。後でもう一度と思う怠け心は、自分では気づかない。今この一瞬に全力を尽くすことのむずかしさを説く、よく知られた段である。
〔第93段〕夜のうちに死んだ牛を売りそこねた持ち主は、損をしたのではない、自分は生きているのだから――命の尊さに気づけば、生きる喜びを日々味わえるはずだ。周りの人は笑うが、兼好はこの言葉に深い真理を見ている。
〔第94段〜第97段〕勅書を持ったまま下馬した北面の失態、箱の緒をつける位置、蝮の毒に効く草、そのものを損なうもの(虱・鼠・賊・財・仁義・法)――故実と見聞の小品が並ぶ。
語釈・文法注
- 乙鶴丸
- 大納言法印に仕えた童。
- やすら殿
- 伝未詳。
- 赤舌日
- 陰陽道で、赤舌神が人を害するので万事に凶とされた日。
- 陰陽道
- 天文・暦・占いなどによって吉凶を判断する学問。
- もろ矢
- 甲矢と乙矢の二本ひと組の矢。
- 懈怠
- 怠けること。
- 一刹那
- きわめて短い時間。一瞬。
- 鵝毛
- 鵞鳥の羽。きわめて軽いもののたとえ。
- 常磐井の相國
- 西園寺実氏(1194〜1269)。太政大臣。
- 北面
- 院の御所の北側に詰めて警護した武士。北面の武士。
- 勅書
- 天皇の命令を記した文書。
- くりかた
- 繰形。箱の側面にあけた、緒(ひも)を通すための穴。
- めなもみ
- キク科の草。
- くちばみ
- 蝮。
文法
- などか頭ばかりの見えざりけむ
- 「などか…けむ」で、どうして…だったのだろう。
- 何事かしばらくも住する
- 「か」は反語。何がしばらくでもとどまっていようか。
- 思はむや
- 「や」は反語。思うだろうか、いや思いはしない。
- たのしまざらむや
- 「や」は反語。楽しまないでいられようか。
- 見知りておくべし
- 「べし」は適当。見知っておくのがよい。
解説
第91段は、迷信を退ける兼好の合理精神を示す段である。ただし、その根拠は単なる合理主義ではなく、「無常変易のさかひ」という仏教の世界観にある。吉日も凶日も、無常の前では意味を持たないという論法である。
第92段の弓の師の教えは、『徒然草』の中でもっとも広く知られた教訓の一つである。「懈怠の心みづから知らずといへども、師これを知る」という指摘は鋭く、後半では弓から離れて、修行者が「後で」と思う心にまで話を広げている。「なんぞたゞ今の一念において、たゞちにすることのはなはだかたき」という結びは、自分自身への問いかけでもある。
第93段は、死んだ牛の話を手がかりに、生を楽しむことの大切さを説く。周囲の人々が嘲るのは、話がずれていると感じたからだろうが、兼好はこの言葉を書きとめることで、ひそかに賛意を示している。第7段・第74段などの無常観が、生の肯定へと転じていく、重要な段である。
第97段は、中国の書物の言い回しにならった警句である。財産が小人を損ない、仁義が君子を縛り、仏法が僧を損なうという指摘には、形式にとらわれることへの皮肉がこめられている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、798〜801頁(コマ413–414)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日