徒然草 第13章(第71段〜第76段)
そら言の多き世と蟻のごとき人々
名を聞いて思い描く面影と既視感の不思議、多すぎて品のないもの、世に語り伝えることのほとんどがうそであるという考察、蟻のように集まり走りまわる人々の営みのむなしさ、所在なさを嘆かずひとりでいることのよさを説き、華やかな家に出入りする法師を戒める。

- 1名名なををを聞聞きくよりくよりくより、、、やがてやがてやがて面影面影おもかげはははおしおしおしはははからるゝからるゝからるる心心こころちするちするちするををを、、、見見みるときるときるときははは、、、又又またかねてかねてかねて思思おもひつるまゝのひつるまゝのいつるままの顏顏かおしたるしたるしたる人人ひとこそなけれこそなけれこそなけれ。。。ををを聞聞ききてもきてもきても、、、このごろのこのごろのこのごろの人人ひとののの家家いえのそこのそこのそこほどにてぞありけむとほどにてぞありけむとほどにてぞありけむと覺覺おぼえええ、、、人人ひとももも今見今見いまみるるる人人ひとののの中中なかににに思思おもひよそへらるゝひよそへらるゝいよそえらるるははは、、、誰誰たれもかくおぼゆるにやもかくおぼゆるにやもかくおぼゆるにや。。。
- 2またいかなるまたいかなるまたいかなるをををりぞりぞりぞ、、、たゞたゞただ今人今人いまひとのいふことものいふことものいうことも、、、目目めににに見見みゆるものもゆるものもゆるものも、、、我我わががが心心こころのののうちもうちもうちも、、、かゝることのいつぞやありしかとおぼえてかゝることのいつぞやありしかとおぼえてかかることのいつぞやありしかとおぼえて、、、いつといつといつとははは思思おもひいでねどもひいでねどもいいでねども、、、まさしくありしまさしくありしまさしくありし心心こころちのするちのするちのするははは、、、我我わればかりかくばかりかくばかりかく思思おもふにやふにやうにや。。。
- 3いやしげなるものいやしげなるものいやしげなるもの、、、居居いたるあたりにたるあたりにたるあたりに調度調度ちょうどのおほきのおほきのおおき、、、硯硯すずりににに筆筆ふでのおほきのおほきのおおき、、、ににに佛佛ほとけのおほきのおほきのおおき、、、前栽前栽せんざいににに石草木石草木いしくさきのおほきのおほきのおおき、、、家家いえのののうちにうちにうちに子孫子孫しそんのおほきのおほきのおおき、、、人人ひとにあひてにあひてにあいて詞詞ことばのおほきのおほきのおおき、、、にににおほくおほくおおく書書かききき載載のせたるせたるせたる。。。おほくておほくておおくて見苦見苦みぐるしからぬしからぬしからぬははは、、、ののの文文ふみ、、、のちりのちりのちり。。。
- 4世世よにかたりにかたりにかたり傳傳つたふることふることうること、、、まことまことまことはははあいなきにやあいなきにやあいなきにや、、、多多おおくくくはははみなそらごとなりみなそらごとなりみなそらごとなり。。。あるにもあるにもあるにも過過すぎてぎてぎて人人ひとはもはもはものののをををいひなすにいひなすにいいなすに、、、ましてましてまして年月年月としつきすぎすぎすぎ、、、さかひもさかひもさかいもへだゝりぬればへだゝりぬればへだたりぬれば、、、いひたきまゝにいひたきまゝにいいたきままに語語かたりなしてりなしてりなして、、、筆筆ふでにもにもにも書書かきとゞめぬればきとゞめぬればきとどめぬれば、、、やがてやがてやがて定定さだまりぬまりぬまりぬ。。。
- 5道々道々みちみちのものゝのものゝのものの上手上手じょうずのいみじきのいみじきのいみじき事事ことなどなどなど、、、かたくなゝるかたくなゝるかたくななる人人ひとのそののそののその道知道知みちしらぬらぬらぬははは、、、そゞろにそゞろにそぞろに神神かみののの如如ごとくにいへどもくにいへどもくにいえども、、、道知道知みちしれぬれぬれぬ人人ひとはははさらにさらにさらに信信しんももも起起おこさずさずさず、、、音音おとにきくとにきくとにきくと見見みるるる時時ときとととははは、、、何事何事なにごともかはるものなりもかはるものなりもかわるものなり。。。
- 6かつあらはるゝもかつあらはるゝもかつあらわるるも顧顧かえりみずみずみず、、、口口くちににに任任まかせていひちらすせていひちらすせていいちらすははは、、、やがてやがてやがてうきたるうきたるうきたる事事ことときこゆときこゆときこゆ。。。又又また我我わもまことしからずもまことしからずもまことしからずははは思思おもひながらひながらいながら、、、人人ひとのいひしまゝにのいひしまゝにのいいしままに、、、鼻鼻はなのののははは、、、そのそのその人人ひとのそらごとにのそらごとにのそらごとにはははあらずあらずあらず。。。
- 7げにげにしくげにげにしくげにげにしく所々所々ところどころうちおぼめきうちおぼめきうちおぼめき、、、能能よくくく知知しらぬよししてらぬよししてらぬよしして、、、さりながらさりながらさりながら、、、合合あわせてかたるそらせてかたるそらせてかたるそら言言いはははおそろしきことなりおそろしきことなりおそろしきことなり。。。わがためわがためわがため面目面目めんぼくあるやうにいはれぬるそらあるやうにいはれぬるそらあるようにいわれぬるそら言言いははわ、、、人人ひといたくあらがはずいたくあらがはずいたくあらがわず。。。
- 8皆人皆人みないとののの興興きょうずるそらごとずるそらごとずるそらごとははは、、、一人一人ひとりさもなかりしものさもなかりしものさもなかりしものをををといはむもといはむもといわむも、、、せむなくてせむなくてせむなくて聞聞きききき居居いたるたるたるほどにほどにほどに、、、證人證人しょうにんにさへなされてにさへなされてにさえなされて、、、いとゞいとゞいとど定定さだまりぬべしまりぬべしまりぬべし。。。
- 9とにもかくにもそらとにもかくにもそらとにもかくにもそら言言ごとおほきおほきおおき世世よなりなりなり。。。たゞたゞただ常常つねにあるにあるにある珍珍めずらしからぬことのまゝにらしからぬことのまゝにらしからぬことのままに心心こころえたらむえたらむえたらむ、、、よろづたがふべからずよろづたがふべからずよろずたがうべからず。。。下下しもざまのざまのざまの人人ひとのものがたりのものがたりのものがたりははは、、、耳耳みみおどろくことのみありおどろくことのみありおどろくことのみあり。。。
- 10よきよきよき人人ひとはははあやしきあやしきあやしき事事ことををを語語かたらずらずらず。。。かくかくかくはははいへどいへどいえど、、、神佛神佛かみおとけののの奇特奇特きどく、、、ののの傳記傳記でんき、、、さのみさのみさのみ信信しんぜざるべきにもあらずぜざるべきにもあらずぜざるべきにもあらず。。。これこれこれははは世俗世俗せぞくのそらのそらのそら言言ことをををねんごろにねんごろにねんごろに信信しんじたるもをこがましくじたるもをこがましくじたるもおこがましく、、、よもあらじなどいふもせむなければよもあらじなどいふもせむなければよもあらじなどいうもせむなければ、、、大大おおかたかたかたはははまことしくあひしらひてまことしくあひしらひてまことしくあいしらいて、、、ひとへにひとへにひとえに信信しんぜずぜずぜず、、、またまたまた疑疑うたがひあざけるべからずひあざけるべからずいあざけるべからず。。。
- 11ののの如如ごとくにあつまりてくにあつまりてくにあつまりて、、、東西東西とうざいにいそぎにいそぎにいそぎ南北南北なんぼくにににはしるはしるはしる。。。たかきありいやしきありたかきありいやしきありたかきありいやしきあり。。。老老おいたるありいたるありいたるあり若若わかきありきありきあり。。。行行ゆくくく所所ところありありあり歸歸かえるるる家家いえありありあり。。。夕夕ゆうべにいねてにいねてにいねて朝朝あしたににに起起おくくく、、、いとなむいとなむいとなむ所何事所何事ところなにごとぞやぞやぞや。。。
- 12生生しょうををを貪貪むさぼりりり利利りをもをもをもとめてやむときなしとめてやむときなしとめてやむときなし。。。身身みををを養養やしなひてひていて何事何事なにごとをををかかか待待まつつつ、、、期期ごするところたゞするところたゞするところただ老老ろうととと死死じにとにありとにありとにあり。。。そのきたることすみやかにしてそのきたることすみやかにしてそのきたることすみやかにして、、、ののの間間まにとゞまらずにとゞまらずにとどまらず。。。
- 13これこれこれををを待待まつつつ間間ま、、、何何なにのたのしみかあらむのたのしみかあらむのたのしみかあらむ。。。まどへるものまどへるものまどえるものはははこれこれこれををを恐恐おそれずれずれず、、、名利名利みょうりにおぼれてにおぼれてにおぼれて先途先途せんどののの近近ちかきこときこときことをををかへりみねばなりかへりみねばなりかえりみねばなり。。。愚愚おろかなるなるなる人人ひとはははまたこれまたこれまたこれをををかなしぶかなしぶかなしぶ、、、常住常住じょうじゅうならむことならむことならむことををを思思おもひてひていて變化變化へんげののの理理ことわりををを知知しらねばなりらねばなりらねばなり。。。
- 14つれづれつれづれつれづれわぶるわぶるわぶる人人ひとははは、、、いかなるいかなるいかなる心心こころならむならむならむ、、、まぎるゝまぎるゝまぎるる方方かたなくなくなく、、、たゞたゞただ一人一人ひとりあるのみこそよけれあるのみこそよけれあるのみこそよけれ。。。世世よにしたがへばにしたがへばにしたがえばののの塵塵ちりにににうばゝれてまどひうばゝれてまどひうばわれてまどい易易やすくくく、、、人人ひとにまじはればことばよそのにまじはればことばよそのにまじわればことばよその聞聞ききにしたがひてさながらにしたがひてさながらにしたがいてさながら心心こころにあらずにあらずにあらず。。。
- 15人人ひとにたにたにたはははぶれぶれぶれ物物ものにあらそひにあらそひにあらそい、、、一度一度ひとたびはははうらみうらみうらみ一度一度ひとたびはははよろこぶよろこぶよろこぶ、、、そのことさだまれることなしそのことさだまれることなしそのことさだまれることなし。。。分別分別ふんべつみだりにみだりにみだりに起起おこりてりてりて得失得失とくしつやむときなしやむときなしやむときなし。。。まどひのまどひのまどいの上上うえにゑへりにゑへりにええり。。。
- 16醉醉えいのののうちにうちにうちに夢夢ゆめをををなすなすなす。。。はしりていそがはしくはしりていそがはしくはしりていそがわしく、、、ほれてほれてほれて忘忘わすれたることれたることれたること、、、人皆人皆ひとみなかくのごとしかくのごとしかくのごとし。。。いまだまことのいまだまことのいまだまことの道道みちををを知知しらずともらずともらずとも、、、緣緣えんををを離離はなれてれてれて身身みををを閑閑しずかにしにしにし、、、事事ことにあづからずしてにあづからずしてにあずからずして心心こころををを安安やすくせむこそくせむこそくせむこそ暫暫しばらくたのしむともいひつべけれくたのしむともいひつべけれくたのしむともいいつべけれ。。。
- 17「「「生活生活しょうかつ、、、人事人事にんじ、、、伎能伎能ぎのう、、、學問等學問等がくもんとうののの諸緣諸緣しょえんをやをやをやめよめよめよ」」」とこそとこそとこそにもにもにもはべれはべれはべれ。。。
- 18世世よのおぼえのおぼえのおぼえ華華はなやかなるあたりにやかなるあたりにやかなるあたりに、、、なげきもよろこびもありてなげきもよろこびもありてなげきもよろこびもありて人人ひとおほくゆきとぶらふおほくゆきとぶらふおおくゆきとぶらう中中なかににに、、、聖法師聖法師ひじりほうしのまじりてのまじりてのまじりて、、、いひいひいい入入いれたゝずみたるこそさらずともとれたゝずみたるこそさらずともとれたたずみたるこそさらずともと見見みゆれゆれゆれ。。。
- 19さるべきゆゑありともさるべきゆゑありともさるべきゆえありとも、、、法師法師ほうしははは人人ひとにににうとくてありなむうとくてありなむうとくてありなむ。。。
現代語訳
〔第71段〕名を聞くとすぐに、その人の面影は推し量られるような気がするのに、実際に会ってみると、前もって思っていたとおりの顔をしている人はいないものだ。昔の物語を聞いても、今のあの人の家のあのあたりのことであったろうと思われ、登場人物も、今見ている人の中のだれかになぞらえて思われるのは、だれでもそう感じるのだろうか。また、どういう折であったか、たった今人の言っていることも、目に見えるものも、自分の心の中も、こういうことがいつだったかあったなあと思われて、いつとは思い出せないけれども、たしかにあったような気がするのは、自分だけがこう思うのだろうか。
〔第72段〕品のないもの。座っているあたりに道具の多いこと。硯に筆の多いこと。持仏堂に仏像の多いこと。庭の植え込みに石や草木の多いこと。家の中に子や孫の多いこと。人に会って口数の多いこと。願文に自分の善行を多く書き連ねること。多くても見苦しくないのは、文車の書物、ごみ捨て場のちり。
〔第73段〕世に語り伝えることは、真実はおもしろくないのだろうか、多くはみなうそである。実際以上に人は話をこしらえて言うものなのに、まして年月がたち、場所も遠く隔たってしまうと、言いたいように語りつくって、文字にも書きとめてしまうと、そのまま事実として定まってしまう。それぞれの道の名人のすばらしいことなど、物の道理のわからない人で、その道を知らない人は、むやみに神のようにほめそやすが、その道を知っている人は、まったく信じもしない。噂に聞くのと実際に見るのとでは、何事も違うものである。
一方ではうそがばれるのもかまわず、口から出まかせに言い散らすのは、すぐに根拠のないことだとわかる。また、自分でも本当らしくないとは思いながら、人の言ったとおりに、鼻のあたりをうごめかして得意げに言うのは、その人がついたうそではない。いかにも本当らしく、ところどころぼかして、よく知らないふりをして、それでいて、つじつまを合わせて語るうそは、恐ろしいものである。自分にとって面目の立つように言われたうそは、人はあまり反論しない。みんなが興じているうそは、自分ひとり「そうではなかったのに」と言うのもしかたがないので、黙って聞いているうちに、証人にまでされて、ますます事実として定まってしまうだろう。とにかく、うその多い世の中である。ただ、いつもある珍しくもないことのままだと心得ておけば、何事もまちがいはないだろう。身分の低い者の話は、耳を驚かすことばかりである。よい人は、怪しいことを語らない。こうは言っても、神仏の霊験や、仏菩薩の化身の伝記を、そうむやみに信じないわけにもいかない。これは、世間のうそを心から信じるのもばかげているし、「まさかそんなことはあるまい」などと言うのもしかたがないので、だいたいは本当のこととして対応し、ひたすら信じこむのでもなく、また疑ったりあざけったりしてはならない。
〔第74段〕蟻のように集まって、東西に急ぎ、南北に走る。身分の高い者もあり、低い者もある。老いた者もあり、若い者もある。行く所もあり、帰る家もある。夜に寝て朝に起きる。いったい何を営んでいるのか。生を貪り、利を求めて、やむ時がない。わが身を養って何を待つのか。期待するのは、ただ老いと死だけである。それがやって来るのは速く、一瞬一瞬のうちにとどまることがない。これを待つ間に、何の楽しみがあろうか。迷っている者はこれを恐れない。名利におぼれて、行く先の近いことを顧みないからである。愚かな人はまたこれを悲しむ。いつまでも変わらないことを願って、変化の理を知らないからである。
〔第75段〕所在なさを嘆く人は、どういう心なのだろう。気を紛らすものもなく、ただひとりでいるのこそよいのだ。世間に従えば、心は外界の塵に奪われて迷いやすく、人と交われば、言葉はよその人の耳を気にして、まったく本心ではなくなる。人とふざけ、物を争い、恨んだり喜んだりして、心が定まることがない。分別がむやみに起こって、損得を考えることがやまない。迷いの上に酔っている。酔いの中で夢を見ている。走りまわって忙しく、ぼんやりして大事なことを忘れているのは、人はみなこのようである。まだ真の道を知らなくても、周りの縁から離れて身を静かにし、世事に関わらないで心を安らかにすることこそ、しばらくは楽しむとも言えるだろう。「生活、人事、伎能、学問などのもろもろの縁をやめよ」と、『摩訶止観』にもあります。
〔第76段〕世間の評判のはなやかなあたりに、悲しみごとも喜びごともあって、人が大勢訪れる中に、聖や法師がまじって、取り次ぎを頼んで立っているのは、そうでなくてもよいのにと思われる。しかるべきわけがあっても、法師は人と疎遠であるのがよいだろう。
意訳
〔第71段〕名前から思い描いた顔と実際の顔は違う。昔の物語の舞台や人物を、身近な場所や人に重ねてしまう。そして、今のこの瞬間を前にも経験したような気がする――いわゆる既視感を、七百年前に書きとめた段として知られる。
〔第72段〕道具、筆、仏像、庭石、子孫、口数、願文の善行――多すぎると品がない。多くて見苦しくないのは書物とごみだけ、というしゃれた結びが利いている。
〔第73段〕世の言い伝えはほとんどがうそだ。話は大きくなり、書きとめられると事実になる。うその種類を細かく分類したうえで、ありふれたことのままに受けとめるのがよいと説く。ただし神仏の霊験は、むやみに信じも疑いもせず、ほどよく接せよという。兼好の冷静な合理精神と、信仰への敬意とが同居している。
〔第74段〕〔第75段〕人々は蟻のように走りまわって生を貪るが、行きつく先は老いと死だけである。所在なさを嘆く必要はない。人と交われば心は乱れるから、ひとりでいることこそよい。『摩訶止観』を引いて、世の縁を断つことを勧める。
〔第76段〕にぎやかな権勢家の家に、法師が出入りしているのは見苦しい。法師は世間から離れているべきだ。
語釈・文法注
- 昔物語
- 昔の物語。また、昔の出来事を語った話。
- 持佛堂
- 自分が日ごろ拝む仏(持仏)を安置する堂や部屋。
- 願文
- 神仏に願いごとを書いて奉る文。
- 作善
- 寺を建てたり仏像を作ったりする善行。
- 文車
- 書物を運ぶための車。
- 塵塚
- ごみ捨て場。
- おごめきて
- 「おごめく」は、得意げに鼻をうごめかす。
- つまづま
- 話の端々。つじつま。
- 權者
- 仏や菩薩が人の姿をとってこの世に現れたもの。権化。
- 蟻の如くにあつまりて
- 人々の営みを蟻にたとえる。
- 念々
- 一瞬一瞬。
- 心外の塵
- 心の外の、心を汚すもの。世俗の事柄。
- 摩訶止觀
- 中国、隋の天台大師智顗の説いた書。天台宗の根本の書の一つ。
文法
- 顏したる人こそなけれ
- 「こそ…けれ」の係り結び。顔をしている人はいないものだ。
- 我ばかりかく思ふにや
- 「や」の下に「あらむ」が省略されている。自分だけがこう思うのだろうか。
- まことはあいなきにや
- 真実はおもしろくないからだろうか。
- つまづま合せてかたる
- 話のつじつまを合わせて語る。
- ありなむ
- 「な」は強意、「む」は適当。…のがよいだろう。
解説
第71段の後半は、今でいう既視感(デジャ・ヴュ)の体験を書きとめたものとして有名である。兼好は「我ばかりかく思ふにや」と自問しているが、誰もが経験する感覚を、これほど的確に言い表した古典の文章は珍しい。
第73段は、うそや噂の生まれ方、広まり方を分析した段である。人が話を大きくする心理、書かれたものが事実として固定される過程、自分に都合のよいうそは否定されないこと、みんなが楽しんでいるうそに異を唱えにくいことなど、現代にも通じる鋭い観察が並ぶ。最後に神仏については信じも疑いもしない中庸の態度を示すのは、兼好のバランス感覚をよく表している。
第74段と第75段は、漢文調の対句を重ねて、世俗の営みのむなしさを説く。第75段の「つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ」は序段の「つれづれなるままに」と響き合い、所在なさはむしろ心を静める好機であるという兼好の考えを示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、791〜793頁(コマ409–410)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日