徒然草 第8章(第43段〜第49段)
春の暮れの家と老いを待たぬ道
晩春の邸でひとり書物を読む若者、秋の山里で笛を吹いて宮の御所へ入っていく若い男――垣間見た美しい情景に始まり、あだ名に腹を立てて木を切った僧正、くしゃみのまじないを唱える尼、御前の食べ残しを御簾の中へ差し入れた光親卿の逸話を経て、老いを待たずに今すぐ道に励めと説く段で結ぶ。

- 1春春はるののの暮暮くれつかたつかたつかた、、、のどやかにのどやかにのどやかに艷艷えんなるそらになるそらになるそらに、、、いやしからぬいやしからぬいやしからぬ家家いえののの奧奧おくふかくふかくふかく、、、木木こだちものだちものだちものふりてふりてふりて、、、庭庭にわににに散散ちりしりしりしをををれたるれたるれたる花見過花見過はなみすぐしがたきしがたきしがたきををを、、、さしさしさし入入いりてりてりて見見みればればれば、、、ののの格子格子こうし皆皆みなおろしてさびしげなるにおろしてさびしげなるにおろしてさびしげなるに、、、東東ひんがしにむきてにむきてにむきて妻戶妻戶つまどのよきのよきのよきほどにあきたるほどにあきたるほどにあきたる、、、御簾御簾みすのやぶれよりのやぶれよりのやぶれより見見みればればれば、、、かたちよげなるかたちよげなるかたちよげなる男男おとこののの、、、年二十年二十としはたちばかりにてばかりにてばかりにてうちとけたれどうちとけたれどうちとけたれど、、、心心こころにくゝのどやかなるさましてにくゝのどやかなるさましてにくくのどやかなるさまして、、、机机つくえののの上上うえにににふみふみふみをををくりくりくりひろげひろげひろげててて見居見居みいたりたりたり。。。いかなるいかなるいかなる人人ひとなりけむなりけむなりけむ、、、たづねきかまほしたづねきかまほしたずねきかまほし。。。
- 2あやしのあやしのあやしの竹竹たけのあみのあみのあみ戶戶どのののうちよりうちよりうちより、、、いとわかきいとわかきいとわかき男男おとこののの、、、月月つきかげにかげにかげに色色いろあひさだかならねどあひさだかならねどあいさだかならねど、、、つやゝかなるつやゝかなるつややかなるににに、、、こきこきこきいといといとゆゑづきゆゑづきゆえづきたるさまにてたるさまにてたるさまにて、、、さゝやかなるさゝやかなるささやかなる童童わらわ一人一人ひとりをををぐしてぐしてぐして、、、遙遙はるかなるなるなる田田たののの中中なかののの細道細道ほそみちををを、、、稻葉稻葉いなばのつゆにそぼちつゝのつゆにそぼちつゝのつゆにそぼちつつ分分わけけけ行行ゆくくくほどほどほど、、、笛笛ふえをををえならずえならずえならず吹吹ふきすさびたるあはれときすさびたるあはれときすさびたるあわれと聞聞きききき知知しるべきるべきるべき人人ひともあらじともあらじともあらじと思思おもふにふにうに、、、行行ゆかむかたかむかたかむかた知知しらまほしくてらまほしくてらまほしくて、、、見送見送みおくりつゝりつゝりつつ行行ゆけばけばけば、、、笛笛ふえををを吹吹ふきやみてきやみてきやみて、、、山山やまのきのきのきはははににに總門總門そうもんのあるうちにのあるうちにのあるうちに入入いりぬりぬりぬ。。。
- 3にたてたるにたてたるにたてたる車車くるまののの見見みゆるもゆるもゆるも、、、都都みやこよりよりよりははは目目めとまるこゝちしてとまるこゝちしてとまるここちして、、、下人下人しもうどにとへばにとへばにとえば、、、「「「しかじかのしかじかのしかじかの宮宮みやのおはしますころにてのおはしますころにてのおわしますころにて、、、御佛事御佛事おおんぶつじなどさふらふにやなどさふらふにやなどさうらうにや」」」といふといふという。。。
- 4御堂御堂みどうのかたにのかたにのかたに法師法師ほうしどもどもども參參まいりたりりたりりたり。。。夜夜よさむのさむのさむの風風かぜにさそはれくるにさそはれくるにさそわれくる、、、物物ものののの匂匂においももも身身みにしむこゝちすにしむこゝちすにしむここちす。。。寢殿寢殿しんでんよりよりより廊廊ろうにかよふにかよふにかよう、、、女房女房にょうぼうのののよういなどよういなどよういなど、、、人人ひとめなきめなきめなき山里山里やまざとともいはずともいはずともいわず心心こころづづづかひしたりかひしたりかいしたり。。。
- 5心心こころのまゝにしげれるのまゝにしげれるのままにしげれる秋秋あきののの野野のらにらにらに、、、おきあまるおきあまるおきあまる露露つゆにににうづもれてうづもれてうずもれて、、、蟲蟲むしののの音音ねかごとがましくかごとがましくかごとがましく、、、遣遣やりりり水水みずののの音音おとのどやかなりのどやかなりのどやかなり。。。都都みやこののの空空そらよりよりよりははは雲雲くものゆきゝものゆきゝものゆききもはやはやはやききき心心こころちしてちしてちして、、、月月つきののの晴晴はれくもることれくもることれくもること定定さだめがたしめがたしめがたし。。。
- 6公世公世きんよののの二位二位にいのせうとにのせうとにのしょうとに僧正僧正そうじょうときこえしときこえしときこえしははは、、、きききはははめてめてめて腹腹はらあしきあしきあしき人人ひとなりけりなりけりなりけり。。。坊坊ぼうののの傍傍かたわらににに大大おおきなるえのなるえのなるえの木木きのありければのありければのありければ、、、人人ひと、、、ののの僧正僧正そうじょうとぞいひけるとぞいひけるとぞいいける。。。
- 7「「「このこのこの名名なしかるべからずしかるべからずしかるべからず」」」とてかのとてかのとてかの木木きをををきられにけりきられにけりきられにけり。。。そのそのその根根ねのありければのありければのありければ、、、きりぐひのきりぐひのきりぐいの僧正僧正そうじょうといひけりといひけりといいけり。。。いよいよはらだちていよいよはらだちていよいよわらだちて、、、きりぐひきりぐひきりぐいをををほりすてたりければほりすてたりければほりすてたりければ、、、そのそのその跡大跡大あとおおきなるなるなる堀堀ほりにてありければにてありければにてありければ、、、堀池堀池ほりいけ僧正僧正そうじょうといひけるといひけるといいける。。。
- 8柳原柳原やなぎわらののの邊邊べににに、、、强盜强盜ごうとう法印法印ほういんととと號號ごうするするする僧僧そうありけりありけりありけり。。。たびたびたびたびたびたび强盜强盜ごうとうにあひたるゆゑににあひたるゆゑににあいたるゆえに、、、このこのこの名名なをををつけにけるとぞつけにけるとぞつけにけるとぞ。。。
- 9あるあるある人人ひと淸水淸水きよみずへへへまゐりけるにまゐりけるにまいりけるに、、、老老おいたるいたるいたる尼尼あまのゆきつれたりけるがのゆきつれたりけるがのゆきつれたりけるが、、、道道みちすがらすがらすがら「「「」」」といひもてといひもてといいもて行行ゆきければきければきければ、、、「「「尼御前尼御前あまごぜ何事何事なにごとをををかくかくかくはははのたまふぞのたまふぞのたまうぞ」」」ととと問問とひけれどもひけれどもいけれども、、、いらへもせずいらへもせずいらえもせず、、、なほいひやまざりけるなほいひやまざりけるなおいいやまざりけるををを、、、たびたびとはれてたびたびとはれてたびたびとわれてうちうちうち腹腹はらだてゝだてゝだてて、、、「「「やゝやゝやや、、、はなひたるはなひたるはないたる時時ときかくまじなかくまじなかくまじなはははねばねばねば死死しぬるなりとぬるなりとぬるなりと申申もうせばせばせば、、、やしなひやしなひやしない君君きみののの比叡比叡ひえののの山山やまにおはしますがにおはしますがにおわしますが、、、たゞたゞただ今今いまもももはははなひなひない給給たまはむとおもへばはむとおもへばわむとおもえば、、、かくかくかく申申もうすぞかしすぞかしすぞかし」」」といひけりといひけりといいけり。。。ありがたきありがたきありがたき志志こころざしなりけむかしなりけむかしなりけむかし。。。
- 10卿卿きょう、、、院院いんののの最勝講最勝講さいしょうこう奉行奉行ぶぎょうしてさぶらひけるしてさぶらひけるしてさぶらいけるををを、、、御前御前おまえへへへ召召めされてされてされて、、、供御供御くごをををいだされてくはせられけりいだされてくはせられけりいだされてくわせられけり。。。物物ものををを、、、御簾御簾みすののの中中なかへさしへさしへさし入入いれてまかりいでにけるれてまかりいでにけるれてまかりいでにける。。。
- 11女房女房にょうぼう「「「あなきたなあなきたなあなきたな、、、誰誰たれにとれとてかにとれとてかにとれとてか」」」などなどなど申申もうしあはれければしあはれければしあわれければ、、、「「「有職有職ゆうそくのののふるまひやんごとなきふるまひやんごとなきふるまいやんごとなき事事ことなりなりなり」」」とかへすがへすとかへすがへすとかえすがえす感感かんぜさせぜさせぜさせ給給たまひけるとぞひけるとぞいけるとぞ。。。
- 12老老おきたりてきたりてきたりて、、、始始はじめてめてめて道道みちををを行行ゆぜむとぜむとぜむと待待まつことなかれつことなかれつことなかれ。。。ふるきふるきふるき塚塚つかおほくおほくおおくはははこれこれこれ少年少年しょうねんののの人人ひとなりなりなり。。。はからざるにはからざるにはからざるに病病やまいをををうけてうけてうけて、、、忽忽たちまちにこのちにこのちにこの世世よををを去去さらむとするらむとするらむとする時時ときにこそにこそにこそ、、、はじめてはじめてはじめて過過すぎぬるぎぬるぎぬる方方かたのあやまれることのあやまれることのあやまれることははは知知しらるなれらるなれらるなれ。。。
- 13あやまりといふあやまりといふあやまりというははは他他たののの事事ことにあらずにあらずにあらず、、、速速すみやかにすべきにすべきにすべき事事ことをををゆるくしゆるくしゆるくし、、、ゆるくすべきゆるくすべきゆるくすべき事事ことををを急急いそぎてぎてぎて、、、過過すぎにしことのくやしきなりぎにしことのくやしきなりぎにしことのくやしきなり。。。そのそのその時悔時悔ときくゆともかひあらむやゆともかひあらむやゆともかいあらむや。。。
- 14人人ひとはははたゞたゞただ無常無常むじょうののの身身みにせまりぬることにせまりぬることにせまりぬることををを、、、心心こころにににひしとかけてひしとかけてひしとかけて、、、つかのまもつかのまもつかのまも忘忘わするまじきなりるまじきなりるまじきなり。。。さらばなどかこのさらばなどかこのさらばなどかこの世世よののの濁濁にごりもりもりもうすくうすくうすく、、、佛道佛道ぶつどうをををつとむるつとむるつとむる心心こころもまめやかならざらむもまめやかならざらむもまめやかならざらむ。。。
- 15「「「昔昔むかしありけるありけるありけるひじりひじりひじりははは、、、人人ひときたりてきたりてきたりて自他自他じたののの要事要事ようじをををいふときいふときいうとき、、、答答こたへていはくへていはくえていわく、、、今今いま火急火急かきゅうののの事事ことありてありてありて、、、既既すでににに朝夕朝夕あさゆうにせまれりとてにせまれりとてにせまれりとて耳耳みみをををふたぎてふたぎてふたぎて念佛念佛ねんぶつしてしてして、、、終終ついににに往生往生おうじょうををを遂遂とげゝりげゝりげけり」」」とととののの十因十因じゅういんにににはべりはべりはべり。。。
- 16心戒心戒しんかいといひけるといひけるといいけるひじりひじりひじりははは、、、あまりにこのあまりにこのあまりにこの世世よのかりそめなることのかりそめなることのかりそめなることををを思思おもひてひていて、、、しづかについゐけることだになくしづかについゐけることだになくしずかについいけることだになく、、、常常つねはははうづくまりてのみぞありけりうづくまりてのみぞありけりうずくまりてのみぞありけり。。。
現代語訳
〔第43段〕晩春のころ、のどかで優美な空のもとに、身分の低くない家の奥深く、木立が古びていて、庭に散りしおれた花が見過ごしにくかったので、入って行って見ると、南向きの部屋の格子をすべて下ろしてさびしそうな様子なのに、東向きの妻戸がほどよく開いているのを、御簾の破れ目からのぞくと、容姿の美しい男が、年は二十歳ほどで、くつろいではいるが、奥ゆかしくのどやかな様子で、机の上に書物を繰り広げて見ていた。どういう人であったのだろうか、訪ねて聞いてみたいものだ。
〔第44段〕粗末な竹の編み戸の内から、たいそう若い男が、月の光で色合いははっきりしないが、つややかな狩衣に濃い紫の指貫をつけ、まことに由緒ありげな様子で、小柄な童を一人連れて、はるかに続く田の中の細道を、稲葉の露にぬれながら分けて行くとき、笛を何ともいえずすばらしく吹き興じているのを、しみじみと聞き知る人もあるまいと思うにつけ、行く先を知りたくて、見送りながらついて行くと、笛を吹きやめて、山の際にある総門のうちに入ってしまった。榻に立てかけてある牛車が見えるのも、都よりは目にとまる気がして、下男に尋ねると、「これこれの宮様がいらっしゃるころで、御仏事などがあるのでしょうか」と言う。御堂の方に法師たちが参上している。夜寒の風に誘われてくる空薫物の香りも、身にしみる気がする。寝殿から廊へ通う女房の追い風の心づかいなど、人目もない山里とも思わず、心を配っている。思いのままに茂った秋の野は、置き余る露にうずもれて、虫の声も恨みがましく、遣水の音ものどかである。都の空よりは雲の行き来も速いような気がして、月が晴れたり曇ったりするのも定めがたい。
〔第45段〕公世の二位の兄で良覚僧正と申した方は、たいへん怒りっぽい人であった。僧坊のそばに大きな榎の木があったので、人々は「榎木の僧正」と呼んだ。「この名はけしからん」と言って、その木を切ってしまわれた。その根が残っていたので、「きりくいの僧正」と言った。ますます腹を立てて、切り株を掘って捨てたところ、その跡が大きな堀になっていたので、「堀池の僧正」と言ったのだった。
〔第46段〕柳原のあたりに、強盗法印と呼ばれる僧がいた。たびたび強盗にあったので、この名をつけたのだということだ。
〔第47段〕ある人が清水寺へお参りしたときに、年老いた尼が道連れになったが、道すがら「くさめ、くさめ」と言いながら行くので、「尼御前、何をそのようにおっしゃるのですか」と尋ねたけれども、返事もせず、なおも言いやまないので、何度も尋ねられて腹を立てて、「ええい、くしゃみをしたときにこうまじないをしないと死ぬと申しますから、私がお育てした若君が比叡山にいらっしゃるのが、ちょうど今もくしゃみをなさっているかと思うので、こう申すのですよ」と言った。めったにない真心であったろう。
〔第48段〕光親卿が、院の最勝講の奉行としてお仕えしていたのを、御前にお召しになって、食事を出してお食べさせになった。(光親は)食べ散らかした衝重を、御簾の中へ差し入れて退出した。女房たちが「まあ汚い、だれに片づけろというのでしょう」などと言い合ったところ、(院は)「有職の者のふるまいとして、すばらしいことだ」と、繰り返し感心なさったということだ。
〔第49段〕年老いてから初めて仏道を修行しようと、時を待ってはならない。古い墓の多くは、若くして死んだ人のものである。思いがけず病気にかかって、たちまちこの世を去ろうとするときになって、はじめて過ぎ去った日々の誤りがわかるものである。誤りというのはほかのことではない。早くすべきことをのんびりやり、ゆっくりすべきことを急いで、過ぎたことを悔やむことである。その時になって悔やんでも、何のかいがあろうか。人はただ、無常がわが身に迫っていることを心にしっかりと刻んで、少しの間も忘れてはならないのである。そうすれば、どうしてこの世の濁りも薄くならず、仏道に励む心もまじめにならないことがあろうか。「昔いたある聖は、人が来て自分や他人の大事な用件を言うと、答えて、『今さし迫った事があって、もう朝か夕かに迫っているのだ』と言って、耳をふさいで念仏して、ついに往生を遂げた」と、『往生拾因』にある。心戒という聖は、あまりにこの世が仮のものであることを思って、静かに腰をおろすことさえなく、いつもうずくまってばかりいたのだった。
意訳
〔第43段〕〔第44段〕晩春の邸で机に書物を広げる若者、秋の月夜に笛を吹きながら田の細道を行き、山際の宮の御所に入っていく若い男。偶然目にした美しい情景を、物語の一場面のように描く。人目のない山里でも女房たちが香の心づかいを怠らないことに、兼好は感じ入っている。
〔第45段〕〔第46段〕あだ名に腹を立てて木を切ると「切り株の僧正」、株を掘ると「堀池の僧正」――怒るほどにあだ名が増えていく良覚僧正の話は、短い笑話として名高い。強盗にあってばかりで「強盗法印」と呼ばれた僧の話も同じ趣である。
〔第47段〕〔第48段〕遠く比叡山にいる養い君のために、道々くしゃみのまじないを唱え続ける尼の真心。食べ残しの膳を御簾の中へ差し入れて退出した光親を、作法を知る者のふるまいと院がほめた話。どちらも、一見奇妙なふるまいの奥にある心や故実を書きとめている。
〔第49段〕年をとってから修行しようと思ってはいけない。死はいつ来るかわからず、若くして死ぬ人も多い。後回しにしたことを悔やまないよう、無常を片時も忘れず、今すぐ道に励め。用件を持ちこまれても「急用がある」と耳をふさいで念仏した聖の話は、その極端な実例である。
語釈・文法注
- 南面
- 寝殿の南向きの正面の部屋。
- 狩衣
- 貴族のふだん着。もとは鷹狩のときの服。
- 指貫
- すそをひもでくくる袴。
- 榻
- 牛車から牛をはずしたとき、轅(ながえ)の先をのせておく台。
- そらだき物
- 空薫物。どこからともなく香るように、部屋にたきしめる香。
- 追風よういなど
- 追風用意。通り過ぎたあとに香りが漂うように、衣に香をたきしめておく心づかい。
- 良覺僧正
- 藤原公世の兄。天台宗の僧。
- 榎の僧正
- 「榎木(えのき)の僧正」。榎は大木になる木。
- くさめくさめ
- くしゃみをしたときに唱えたまじないの言葉。くしゃみをすると命が縮むと信じられていた。
- 光親卿
- 藤原光親(1176〜1221)。後鳥羽院の近臣。承久の乱の首謀者の一人として処刑された。
- ついがさね
- 衝重。食器をのせる、白木の台。
- 禪林の十因
- 永観(禅林寺の僧)の著『往生拾因』。念仏による往生の根拠を十あげた書。
文法
- 見居たり
- 「居(ゐ)たり」は、座っている。机に向かって座ったまま書物を見ている。
- 聞き知るべき人もあらじと思ふに
- 笛の音をしみじみと聞きとる人もいないだろうと思うのに、の意。
- きりぐひ
- 切り杭。切り株。
- たゞ今もはなひ給はむとおもへば
- 「はなひ」は「鼻ひる」の連用形で、くしゃみをすること。
- などかこの世の濁りもうすく…ならざらむ
- 「などか…ざらむ」の反語。どうして…ないことがあろうか、いや必ずそうなる。
解説
第43段と第44段は、兼好が垣間見た美しい情景を、物語の一場面のように描いている。とくに第44段は、月の光、笛の音、田の中の細道、香の香り、虫の声と、視覚・聴覚・嗅覚に訴える描写を重ねて、『源氏物語』の世界を思わせる。兼好の王朝趣味が、もっとも濃く表れた段の一つである。
第45段の良覚僧正の話は、腹を立てるほどにあだ名が増えていくおかしさを、淡々と書くことで笑いを生んでいる。第46段とともに、人の名にまつわる短い笑話である。
第48段の光親は、後鳥羽院に仕えた有能な官僚で、承久の乱(1221)の後に処刑された。食べ残しを御簾の中へ返すのは、ご馳走を下されたことへの礼の作法であったと考えられ、それを知る院と知らない女房たちとの対比がおもしろい。
第49段は、第41段・第59段などとともに、無常を自覚して今すぐ道に励めと説く段である。「速にすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事を急ぎて、過ぎにしことのくやしきなり」という言葉は、仏道に限らず、人生の時間の使い方への戒めとして読むこともできる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、779〜782頁(コマ403–405)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日