徒然草 第5章(第23段〜第29段)
飛鳥川の淵瀬と過ぎにし方の恋しさ
衰えた世にもなお神々しい宮中のことばの美しさ、野宮や神社のなまめかしさから、栄華を誇った法成寺の荒廃、移ろう人の心、譲位と諒闇のもの寂しさへと語り継ぎ、過ぎ去った日々を恋しく思う心で結ぶ。

- 1衰衰おとろへたるすゑのへたるすゑのへたるすえの世世よとととはははいへどいへどいえど、、、なほなほなおのかみさびたるありさまこそのかみさびたるありさまこそのかみさびたるありさまこそ世世よづづづかずめでたきものなれかずめでたきものなれかずめでたきものなれ。。。、、、、、、何殿何殿なにでん、、、何門何門なにもんなどなどなどははは、、、いみじともきこゆべしいみじともきこゆべしいみじともきこゆべし。。。
- 2あやしのあやしのあやしの所所ところにもありぬべきにもありぬべきにもありぬべき、、、小板敷小板敷こいたじき、、、高遣高遣たかやりりり戶戶どなどもめでたくこそきこゆれなどもめでたくこそきこゆれなどもめでたくこそきこゆれ。。。「「「陣陣じんににに夜夜よのまうけせよのまうけせよのもうけせよ」」」といふこそいみじけれといふこそいみじけれというこそいみじけれ。。。夜夜よのおとゞののおとゞののおとどのをばをばをば、、、「「「かいともしとかいともしとかいともしとうようようよ」」」などいふまためでたしなどいふまためでたしなどいうまためでたし。。。
- 3ののの陣陣じんにてにてにて行行おこなへるさまへるさまえるさまはははさらなりさらなりさらなり、、、諸司諸司しょしののの下人下人しもうどどものしたりどものしたりどものしたり顏顏がおになれたるもをかしになれたるもをかしになれたるもおかし。。。さばかりさばかりさばかり寒寒さむききき夜夜よもすがらもすがらもすがら、、、こゝかしこにねぶりこゝかしこにねぶりここかしこにねぶり居居いたるこそたるこそたるこそをををかしけれかしけれかしけれ。。。
- 4「「「ののの御鈴御鈴みすずののの音音おとはははめでたくめでたくめでたく優優ゆうなるものなりなるものなりなるものなり」」」とぞとぞとぞ德大寺德大寺とくだいじののの太政大臣太政大臣だいじょうだいじんははは仰仰おおせられけるせられけるせられける。。。
- 5ののの野宮野宮ののみやにおはしますありさまこそにおはしますありさまこそにおわしますありさまこそ、、、やさしくおもしろきことのかぎりとやさしくおもしろきことのかぎりとやさしくおもしろきことのかぎりとはははおぼえしかおぼえしかおぼえしか。。。經佛經佛きょうぶつなどいみてなどいみてなどいみて、、、、、、染紙染紙そめがみなどいふなるもをかしなどいふなるもをかしなどいうなるもおかし。。。
- 6すべてすべてすべて神神かみののの社社やしろこそこそこそ捨捨すてがたくなまめかしきものなれやてがたくなまめかしきものなれやてがたくなまめかしきものなれや。。。ものものものふりたるふりたるふりたる森森もりののの景色景色けしきもたゞならぬにもたゞならぬにもただならぬに、、、しわたしてしわたしてしわたして、、、榊榊さかきにゆふかけたるなどいみじからぬかにゆふかけたるなどいみじからぬかにゆうかけたるなどいみじからぬかははは。。。
- 7殊殊ことにをかしきにをかしきにおかしきははは、、、伊勢伊勢いせ、、、加茂加茂かも、、、春日春日かすが、、、平野平野ひらの、、、住吉住吉すみよし、、、三輪三輪みわ、、、貴船貴船きぶね、、、吉田吉田よしだ、、、大原野大原野おおはらの、、、松松まつののの尾尾を、、、梅梅うめののの宮宮みや。。。
- 8ののの淵瀨淵瀨ふちせ常常つねならぬならぬならぬ世世よにしあればにしあればにしあれば、、、時時ときうつりうつりうつり事事ことさりさりさり、、、たのしびかなしびゆきかひてたのしびかなしびゆきかひてたのしびかなしびゆきかいて、、、華華はなやかなりしあたりもやかなりしあたりもやかなりしあたりも、、、人人ひとすまぬのらとなりすまぬのらとなりすまぬのらとなり、、、かはらぬすみかかはらぬすみかかわらぬすみかははは人人ひとあらたまりぬあらたまりぬあらたまりぬ。。。
- 9桃李桃李とうり物物ものいいいはははねばねばねば誰誰たれとともにかとともにかとともにか昔昔むかしをををかたらむかたらむかたらむ、、、ましてましてまして見見みぬいにしへのやんごとなかりけむぬいにしへのやんごとなかりけむぬいにしえのやんごとなかりけむ跡跡あとのみぞいとのみぞいとのみぞいとはははかなきかなきかなき。。。京極殿京極殿きょうごくどの、、、などなどなど見見みるこそるこそるこそ志志こころざしとゞまりとゞまりとどまり事變事變ことへんじにけるさまじにけるさまじにけるさまはははあはれなれあはれなれあわれなれ。。。
- 10御堂殿御堂殿みどうどのののの作作つくりりり磨磨みがかせかせかせ給給たまひてひていて、、、庄園庄園しょうえんおほくおほくおおく寄寄よせられせられせられ、、、我我わががが御御おんぞぞぞうのみうのみうのみ御門御門みかどののの御御おんうしろみうしろみうしろみ、、、世世よのかためにてのかためにてのかためにて、、、行行ゆくくく末末すえまでとおぼしおきしまでとおぼしおきしまでとおぼしおきし時時とき、、、いかならむいかならむいかならむ世世よにもにもにも、、、かばかりあせかばかりあせかばかりあせはははてむとてむとてむとはははおぼしてむやおぼしてむやおぼしてむや。。。
- 11大門大門だいもん金堂金堂こんどうなどなどなど近近ちかくまでありしかどくまでありしかどくまでありしかど、、、正和正和しょうわのころのころのころ南門南門なんもんははは燒燒やけぬけぬけぬ。。。金堂金堂こんどうはははそのそのその後後のちたふれたふれたおれふしふしふしたるまゝにてたるまゝにてたるままにて、、、とりたつるわざもなしとりたつるわざもなしとりたつるわざもなし。。。無量壽院無量壽院むりょうじゅいんばかりぞそのかたとてばかりぞそのかたとてばかりぞそのかたとて殘殘のこりたるりたるりたる。。。
- 12ののの佛九體佛九體ほとけくたい、、、いといといとたふとたふととうとくてならびおはしますくてならびおはしますくてならびおわします。。。行成行成こうぜい大納言大納言だいなごんののの額額ひたい、、、ががが書書かけるけるける扉扉とびら、、、あざやかにあざやかにあざやかに見見みゆるぞあはれなるゆるぞあはれなるゆるぞあわれなる。。。法花堂法花堂ほっけどうなどもいまだなどもいまだなどもいまだ侍侍はべるめりるめりるめり。。。
- 13これもまたいつまでかあらむこれもまたいつまでかあらむこれもまたいつまでかあらむ。。。かばかりのなごりだになきかばかりのなごりだになきかばかりのなごりだになき所々所々ところどころははは、、、おのづからいしづゑばかりおのづからいしづゑばかりおのずからいしずえばかり殘殘のこるもあれどさだかにるもあれどさだかにるもあれどさだかに知知しれるれるれる人人ひともなしもなしもなし。。。
- 14さればよろづにさればよろづにさればよろずに見見みざらむざらむざらむ世世よまでまでまでををを、、、思思おもひおきてむこそひおきてむこそいおきてむこそはははかなかるべけれかなかるべけれかなかるべけれ。。。
- 15風風かぜももも吹吹ふきあへずうつろふきあへずうつろふきあえずうつろう人人ひとののの心心こころののの花花はなににに、、、なれにしなれにしなれにし年月年月としつきをををおもへばおもへばおもえば、、、あはれとあはれとあわれと聞聞ききしことのきしことのきしことのはははごとにごとにごとに忘忘わすれぬものかられぬものかられぬものから、、、我我わががが世世よののの外外ほかになりゆくならひこそなきになりゆくならひこそなきになりゆくならいこそなき人人ひとのわかれよりもまさりてのわかれよりもまさりてのわかれよりもまさりて悲悲かなしきものなれしきものなれしきものなれ。。。
- 16さればさればされば白白しろきいとのそまむこときいとのそまむこときいとのそまむことをををかなしびかなしびかなしび、、、道道みちのちまたのわかれむことのちまたのわかれむことのちまたのわかれむことをををなげくなげくなげく人人ひともありけむかしもありけむかしもありけむかし。。。ののの百首百首ひゃくしゅののの歌歌うたののの中中なかににに、、、
- 17「「「むかしむかしむかし見見みしいもがしいもがしいもが垣根垣根かきねはははあれにけりつばなまじりのすみれのみしてあれにけりつばなまじりのすみれのみしてあれにけりつばなまじりのすみれのみして」」」。。。
- 18さびしきけしきさびしきけしきさびしきけしき、、、さることさることさること侍侍はべりけむりけむりけむ。。。
- 19御國御國みくにゆづりのゆづりのゆずりの節會節會せちえおこなはれておこなはれておこなわれて、、、劒劒つるぎ、、、璽璽じ、、、內侍所內侍所ないしどころ、、、わたしわたしわたし奉奉たてまつらるゝらるゝらるるほどこそかぎりなうほどこそかぎりなうほどこそかぎりのう心心こころぼそけれぼそけれぼそけれ。。。のおりゐさせのおりゐさせのおりいさせ給給たまひてのひてのいての春春はる、、、よませよませよませ給給たまひけるとかやひけるとかやいけるとかや、、、
- 20「「「とのもりのとものみやつこよそにしてとのもりのとものみやつこよそにしてとのもりのとものみやつこよそにしてはらはぬはらはぬはらわぬ庭庭にわににに花花はなぞちりしくぞちりしくぞちりしく」」」。。。
- 21今今いまののの世世よのことしげきにまぎれてのことしげきにまぎれてのことしげきにまぎれて、、、院院いんにににはははまゐるまゐるまいる人人ひともなきぞさびしげなるもなきぞさびしげなるもなきぞさびしげなる。。。かゝるかゝるかかるをををりにぞりにぞりにぞ人人ひとののの心心こころもあらはれぬべきもあらはれぬべきもあらわれぬべき。。。
- 22ののの年年としばかりあはれなることばかりあはれなることばかりあわれなることはははあらじあらじあらじ。。。ののの御所御所ごしょのさまなどのさまなどのさまなど、、、板敷板敷いたじきをををさげさげさげ、、、葦葦あしののの御簾御簾みすをををかけかけかけ、、、布布ぬの、、、御調度御調度おおんちょうどどもおろそかにどもおろそかにどもおろそかに、、、みなみなみな人人ひとのさうぞくのさうぞくのそうぞく、、、太刀太刀たち、、、平緖平緖ひらおまでまでまで、、、ことやうなるぞゆゝしきことやうなるぞゆゝしきことようなるぞゆゆしき。。。
- 23しづかにおもへばしづかにおもへばしずかにおもえば、、、よろづよろづよろず過過すぎにしぎにしぎにし方方かたののの戀戀こいしさのみぞせむかたなきしさのみぞせむかたなきしさのみぞせむかたなき。。。人人ひとしづまりてしづまりてしずまりて後後のち、、、長長ながききき夜夜よのすさびにのすさびにのすさびに、、、何何なにとなきとなきとなき具足具足ぐそくとりしたゝめとりしたゝめとりしたため、、、殘殘のこしおかじとおもふしおかじとおもふしおかじとおもう反古反古ほうごなどやりすつるなどやりすつるなどやりすつる中中なかににに、、、なきなきなき人人ひとののの手手てならひならひならい、、、繪繪えかきすさびたるかきすさびたるかきすさびたる見見み出出いでたるこそでたるこそでたるこそ唯唯ただそのをりのそのをりのそのおりの心心こころちすれちすれちすれ。。。
- 24このごろあるこのごろあるこのごろある人人ひとののの文文ふみだにだにだに久久ひさしくなりてしくなりてしくなりて、、、いかなるいかなるいかなるをををりりり、、、いつのいつのいつの年年としなりけむとなりけむとなりけむと思思おもふふうはははあはれなるぞかしあはれなるぞかしあわれなるぞかし。。。手手てなれしなれしなれし具足具足ぐそくなどもなどもなども、、、心心こころもなくかはらずもなくかはらずもなくかわらず久久ひさしきいとかなししきいとかなししきいとかなし。。。
現代語訳
〔第23段〕衰えた末の世とはいっても、やはり宮中の神々しい様子は、俗世離れしていてすばらしいものである。露台、朝餉、何々殿、何々門などは、すばらしく聞こえるにちがいない。粗末な家にもありそうな小蔀、小板敷、高遣戸なども、すばらしく聞こえる。「陣に夜の設けをせよ」と言うのはすばらしい。夜の御殿のことを「かいともし、とうよ」などと言うのもまたすばらしい。上卿が陣で政務をとり行う様子は言うまでもなく、諸役所の下役人たちが得意顔で物慣れているのもおもしろい。あれほど寒い夜通し、あちらこちらで居眠りをしているのもおもしろい。「内侍所の御鈴の音は、すばらしく優美なものだ」と、徳大寺の太政大臣はおっしゃった。
〔第24段〕斎宮が野宮にいらっしゃるご様子こそ、優美で趣深いことの極みと思われた。「経」「仏」などの言葉を忌んで、「なかご」「染紙」などと言うのもおもしろい。すべて神社というものは、捨てがたく優美なものではないか。どことなく古びた森の様子もただならぬ趣があるのに、玉垣をめぐらして、榊に木綿をかけてあるのなど、すばらしくないことがあろうか。とりわけ趣のあるのは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松尾、梅宮である。
〔第25段〕飛鳥川の淵と瀬のように、定めのない世であるから、時が移り、物事が去り、楽しみと悲しみが行き交って、はなやかだったあたりも人の住まない野原となり、変わらない住まいでも住む人は入れ替わってしまう。桃や李はものを言わないので、だれとともに昔を語ろうか。まして見たこともない昔の、尊かったであろう遺跡ばかりは、まことにはかない。京極殿や法成寺などを見ると、志だけがとどまって、物事がすっかり変わってしまったさまは、しみじみとしたものである。御堂殿(藤原道長)が造り磨かせなさって、荘園を多く寄進させ、わが一族だけが帝の後見となり、世の支えとして、いつまでもと思い定めておかれたとき、どのような世になっても、これほどまでに荒れはててしまおうとはお思いになっただろうか。大門や金堂なども近年まであったけれど、正和のころ南門は焼けてしまった。金堂はその後倒れたままで、建て直すこともない。無量寿院だけがその名残として残っている。一丈六尺の仏が九体、まことに尊くお並びになっている。行成大納言の書いた額、兼行が書いた扉の文字が、あざやかに見えるのはしみじみとしたものだ。法華堂なども、まだあるようだ。これもまた、いつまであるだろうか。これほどの名残さえない所々は、たまたま礎石だけが残っているものもあるけれど、はっきりと知っている人もない。だから、何事につけても、自分の見ないであろう後の世のことまで思い定めておくのは、はかないことである。
〔第26段〕風も吹かないうちに散ってしまう花のように移ろう人の心の花に、慣れ親しんだ年月を思うと、しみじみと聞いた言葉の一つ一つは忘れないものの、その人が自分とは別の世界の人になってゆくのは、死に別れよりもまさって悲しいものである。だから、白い糸が何色にも染まってしまうのを悲しみ、道の分かれ道を嘆いた人もあったのだろう。堀河院の百首の歌の中に、
「昔見た恋人の家の垣根は荒れてしまった。茅花にまじってすみればかりが咲いていて」。
さびしい様子である。そのようなことがあったのだろう。
〔第27段〕御譲位の節会が行われて、宝剣・神璽・内侍所をお渡し申しあげる時こそ、この上なく心細い。新院(花園院)が位をおりなさった春に、お詠みになったとかいう、
「主殿寮の役人たちもよそごとのように、掃き清めない庭に花が散り敷いている」。
今の世の忙しさにまぎれて、院にはまいる人もないのがさびしそうである。このような折にこそ、人の心も表れるにちがいない。
〔第28段〕諒闇の年ほどしみじみとしたことはないだろう。倚廬の御所の様子など、板敷を低くし、葦の簾をかけ、布の帽額も粗末で、お道具類も質素で、すべての人の装束や太刀、平緒まで、ふだんとはちがっているのは、おそれ多いことである。
〔第29段〕静かに思うと、何事につけても、過ぎ去ったことの恋しさだけはどうしようもない。人が寝静まった後、長い夜の慰みに、何ということもない道具類を整理して、残しておくまいと思う手紙の書き損じなどを破り捨てる中に、亡くなった人の手習いや、絵を描き散らしたものを見つけたのは、ただもうその時の気持ちがする。今生きている人の手紙でさえ、時がたって、どんな折の、いつの年のものだったろうかと思うのは、しみじみとしたものだ。使い慣れた道具なども、心もなく変わらずに長く残っているのは、まことに悲しい。
意訳
〔第23段〕〔第24段〕世は衰えても、宮中の言葉や儀式には神々しい美しさが残っている。野宮で「経」を「なかご」と言いかえる斎宮の暮らし、古びた森に玉垣をめぐらした神社のたたずまい――兼好の、王朝の伝統への憧れがあふれる二段である。
〔第25段〕道長が子孫の繁栄を願って建てた法成寺も、今は金堂が倒れ、無量寿院の九体の仏だけが残る。いつまでもと思い定めたものほど、はかなく消えてゆく。自分の見ない後の世のことまで計画するのは、むなしいことだ。
〔第26段〕人の心は、風が吹かないうちに散る花のように移ろう。親しかった人が他人になってゆくのは、死別よりも悲しい。荒れた垣根にすみれが咲く堀河院百首の歌が、そのさびしさを伝える。
〔第27段〕〔第28段〕譲位の儀式の心細さ、退位した院のもとに人が来なくなるさびしさ、天皇の喪の年の質素なしつらい――皇室の盛衰にも、人の心の移ろいが表れる。
〔第29段〕夜、古い手紙を整理していて、亡き人の手習いを見つける。そのときの気持ちがよみがえり、持ち主がいなくなっても変わらずに残る道具が、かえって悲しい。過ぎ去った日々への思いを、静かに語った段である。
語釈・文法注
- 九重
- 宮中。中国の王城が門を九重にめぐらしたことから。
- 露臺
- 紫宸殿と仁寿殿の間にあった、屋根のない板敷の台。
- 朝餉
- 朝餉の間。清涼殿の西側にあり、天皇が日常の食事をとった部屋。
- 小蔀
- 清涼殿の殿上の間にあった小さな蔀戸。
- 上卿
- 朝廷の儀式や政務の責任者となる公卿。
- 內侍所
- 宮中で神鏡(八咫鏡の写し)をまつった所。温明殿にあった。
- 齋宮
- 伊勢神宮に仕えた未婚の皇女。任命されるとまず野宮にこもって身を清めた。
- なかご
- 斎宮の忌み詞で、「経」の言いかえ。「仏」は「中子」、「経」は「染紙」とする説もある。
- 玉垣
- 神社のまわりにめぐらした垣。
- 飛鳥川
- 大和国の川。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集)の歌から、無常のたとえとされた。
- 法成寺
- 藤原道長が京極の東に建てた大寺院。道長は御堂関白と呼ばれた。鎌倉時代末にはすっかり荒れていた。
- 丈六
- 一丈六尺(約4.8メートル)の仏像。
- 兼行
- 藤原兼行。平安中期の能書家。
- 堀川院の百首
- 堀河天皇のときに、歌人たちが百首ずつ詠んだ『堀河院百首』。
- 新院
- ここでは花園院(1297〜1348)。文保二年(1318)に譲位した。
- 諒闇
- 天皇が父母の喪に服する期間。
- 倚廬
- 諒闇のとき、天皇がこもる仮の御所。
- もかう
- 帽額。御簾の上部に横に張る布。
文法
- いみじともきこゆべし
- 「べし」は推量。すばらしく聞こえるにちがいない。
- かいともしとうよ
- 「掻い灯し疾うよ」。灯火を早くともせ、の意の宮中の言葉。
- 桃李物いはねば
- 唐の詩人の詩句による。桃や李は物を言わないので、昔のことを語る相手にならない。
- おぼしてむや
- 「て」は強意の助動詞「つ」の未然形、「む」は推量、「や」は反語。お思いになっただろうか、いやお思いにならなかっただろう。
- 白きいとのそまむことをかなしび
- この句は、白い糸が何色にも染まるのを嘆いた墨子の故事、「道のちまたのわかれむことをなげく」は、分かれ道で泣いた楊朱の故事による。
和歌
むかし見しいもが垣根はあれにけりつばなまじりのすみれのみして
- 詠者
- 藤原公実
- 状況
- 『堀河院百首』の歌。第26段で、人の心が移ろったあとのさびしさを表す歌として引かれる。
修辞
- 体言止めに近い結び
- 「すみれのみして」と言いさして、荒れた庭のさびしさを余韻として残す。
とのもりのとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞちりしく
- 詠者
- 花園院
- 状況
- 譲位した翌年の春に詠んだ歌。第27段で、退位した院のもとを人が訪れなくなるさびしさを示す歌として引かれる。
修辞
- 擬人
- 主殿寮の役人たちが「よそにして」と、院の庭の掃除をよそごとにしているさまを詠み、人の心の移ろいを示す。
解説
第23段から第29段までは、宮中や神社の伝統へのあこがれと、時の流れによる衰えや人の心の移ろいへの思いとが、交互に語られている。兼好は、王朝の言葉や儀式の美しさを愛しながらも、それがすでに過去のものになりつつあることをよく知っていた。
第25段の法成寺の描写は、鎌倉時代末の京都の様子を伝える貴重な記録である。藤原道長が栄華の頂点で建てた寺も、兼好のころには金堂が倒れ、無量寿院だけが残っていた。「さればよろづに見ざらむ世までを、思ひおきてむこそはかなかるべけれ」は、第6段の子孫への執着を否定する考えと通じている。
第27段の「新院」は、文保二年(1318)に譲位した花園院とされる。院のもとを訪れる人が少なくなるさまを、兼好は「かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき」と評している。兼好はかつて後二条天皇に仕えており、皇位の移り変わりを身近に見ていた。
第29段は、夜ふけに古い手紙を整理する、ごく個人的な場面を描く。亡き人の筆跡に触れて、その時の気持ちがよみがえる経験は、時代を超えて共感を呼ぶものだろう。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、772〜774頁(コマ400–401)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日