土佐日記 第7章
阿波の水門を渡る
正月三十日、海賊は夜は出ないと聞いて、夜中に阿波の水門(鳴門海峡)を渡り、和泉の灘に着いて海賊の心配から解放される。二月に入っても風に阻まれて進めず、船君の不器用な歌がひそかに笑われる。四日、浜の美しい貝を見て「忘れ貝」の歌が詠まれ、亡き子を思う親の心が語られる。

- 1三十日三十日みそか、、、雨雨あめ風風かぜふかふかふかずずず。。。海海かい賊賊ぞくははは夜夜よありありありきききせせせざざざなりなりなりととと聞聞ききききててて、、、夜夜よ中中なかばかりばかりばかりににに船船ふねををを出出いだしししててて阿阿あ波波はのののみとみとみとををを渡渡わたるるる。。。夜夜よ中中なかなれなれなればばば西西にしひんがしひんがしひんがしももも見見みえええずずず、、、男男おとこ女女おんな辛辛からくくく神神かみ佛佛ほとけををを祈祈いのりりりてててこのこのこのみとみとみとををを渡渡わたりりりぬぬぬ。。。寅寅とら卯卯うののの時時ときばかりばかりばかりににに、、、ぬぬぬ島島しまととといふいふいう所所ところををを過過すぎぎぎてててたなたなたな川川がわととといふいふいう所所ところををを渡渡わたるるる。。。からくからくからく急急いそぎぎぎててて和和い泉泉ずみののの灘灘なだととといふいふいう所所ところににに至至いたりりりぬぬぬ。。。今日今日きょう海海うみににに浪浪なみににに似似にたるたるたる物物ものなしなしなし。。。神神かみ佛佛ほとけののの惠惠めぐみ蒙蒙こうぶれぶれぶれるるるににに似似にたりたりたり。。。けふけふきょう船船ふねににに乘乘のりりりししし日日ひよりよりより數數かぞふれふれうればばばみそかみそかみそかあまりあまりあまり九日九日ここのかににになりなりなりにににけりけりけり。。。今今いまははは和和い泉泉ずみののの國國くにににに來來きぬれぬれぬればばば海海かい賊賊ぞくものものものならならならずずず。。。
- 2二二に月月がつ朔日朔日ついたち、、、あしたあしたあしたのののままま雨雨あめ降降ふるるる。。。午午うまののの時時ときばかりばかりばかりにににやみやみやみぬれぬれぬればばば、、、和和い泉泉ずみののの灘灘なだととといふいふいう所所ところよりよりより出出いでででゝゝて漕漕こぎぎぎ行行ゆくくく。。。海海うみのののうへうへうえ昨日昨日きのうののの如如ごとくくく風風かぜ浪浪なみ見見みえええずずず。。。黑黑くろ崎崎さきののの松松まつ原原ばらををを經經へててて行行ゆくくく。。。所所ところののの名名なははは黑黑くろくくく、、、松松まつののの色色いろははは靑靑あおくくく磯磯いそののの浪浪なみははは雪雪ゆきののの如如ごとくくくににに、、、貝貝かいのののいろいろいろははは蘇蘇す枋枋おうにににててて五五ご色色しきににに今今いまひとひとひといろいろいろぞぞぞ足足たらららぬぬぬ
- 3このこのこの間間あいだににに今日今日きょうははは箱箱はこののの浦浦うらととといふいふいう所所ところよりよりより綱綱つな手手でひきひきひきててて行行ゆくくく。。。かくかくかく行行ゆくくくあひだあひだあいだにににあるあるある人人ひとののの詠詠よめめめるるる歌歌うた、、、「「「玉玉たまくしげくしげくしげ箱箱はこのののうらうらうらなみなみなみたゝたゝたたぬぬぬ日日ひははは海海うみをををかゞみかゞみかがみとととたれたれたれかかか見見みざらざらざらむむん」」」。。。又又また船船ふな君君ぎみのののいはくいはくいわく「「「このこのこの月月つきまでまでまでなりなりなりぬるぬるぬることことこと」」」ととと歎歎なげきききててて苦苦くるしきしきしきににに堪堪たへへえずずずしししててて、、、人人ひともももいふいふいうことことことゝゝとててて心心こころやりやりやりにににいへいへいえるるる歌歌うた、、、「「「ひくひくひく船船ふねののの綱綱つな手手でのののながきながきながき春春はるののの日日ひをををよそかよそかよそかいかいかいかまでまでまでわれわれわれはははへへへにににけりけりけり」」」。。。
- 4聞聞きくくく人人ひとののの思思おもへへえるるるやうやうよう、、、なぞなぞなぞたゞたゞただごとごとごとなるなるなるととと密密ひそかにににいふいふいうべしべしべし。。。「「「船船ふな君君ぎみののの辛辛からくくくひねりひねりひねり出出いだしししてててよしよしよしととと思思おもへへえるるる事事ことをををえええしもしもしもこそこそこそしししいへいへいえ」」」とてとてとてつゝめきつゝめきつつめきてててやみやみやみぬぬぬ。。。俄俄にはかににに風風かぜなみなみなみたかけれたかけれたかければばばとゞまりとゞまりとどまりぬぬぬ。。。
- 5二日二日ふつか、、、雨雨あめ風風かぜ止止やまままずずず。。。日日ひひとひとひとひひひ夜夜よもすがらもすがらもすがら神神かみ佛佛ほとけをををいのるいのるいのる。。。
- 6三日三日みっか、、、海海うみのののうへうへうえ昨日昨日きのうのののやうやうようなれなれなればばば船船ふねいださいださいださずずず。。。風風かぜののの吹吹ふくくくことことことやまやまやまねねねばばば岸岸きしののの浪浪なみたちたちたちかへるかへるかえる。。。これこれこれにににつけつけつけてててよめよめよめるるる歌歌うた、、、「「「緒緒おをををよりよりよりてててかひかひかいなきなきなきものものものははは落落おちちちつもるつもるつもる涙涙なみだののの玉玉たまをををぬかぬかぬかぬぬぬなりなりなりけりけりけり」」」。。。かくかくかくててて、、、今日今日きょう暮暮くれれれぬぬぬ。。。
- 7四日四日よっか、、、楫楫かじ取取とり「「「けふけふきょう風風かぜ雲雲くものののけしきけしきけしきはなはだはなはだはなはだあしあしあし」」」ととといひいひいいててて船船ふな出出でさささずずずなりなりなりぬぬぬ。。。然然しかれれれどもどもどもひねもすひねもすひねもすににに浪浪なみ風風かぜたゝたゝたたずずず。。。このこのこの楫楫かじ取取とりははは日日ひももも得得え計計はからららぬぬぬかたゐかたゐかたいなりなりなりけりけりけり。。。このこのこの泊泊とまりののの濱濱はまにににはははくさぐさくさぐさくさぐさののの麗麗うるわしきしきしき貝貝かい石石いしなどなどなど多多おおかりかりかり。。。かゝれかゝれかかればばば唯唯ただ昔昔むかしののの人人ひとをををのみのみのみ戀戀こひひいつゝつゝつつ船船ふねなるなるなる人人ひとののの詠詠よめめめるるる、、、「「「よするよするよする浪浪なみうちうちうちももも寄寄よせせせなむなむなんわがわがわが戀戀こふるふるうる人人ひとわすれわすれわすれおりおりおりてててひろはひろはひろわむむん」」」ととといへいへいえれれればばば、、、
- 8あるあるある人人ひと堪堪たへへえずずずしししててて船船ふねののの心心こころやりやりやりににによめよめよめるるる、、、「「「わすれわすれわすれ貝貝がいひろひひろひひろいしししもももせせせじじじ白白しら玉玉たまををを戀戀こふるふるうるをををだにだにだにもももかたみかたみかたみととと思思おもははわむむん」」」とととなむなむなんいへいへいえるるる。。。女女おんな兒兒ごのののためためためにににははは親親おやをさなくをさなくおさなくなりなりなりぬぬぬべしべしべし。。。玉玉たまならならならずずずもももありありありけむけむけんをををととと人人ひといはいはいわむむんややや。。。されされされどもどもども死死しにににししし子子こ顏顏かおよかりよかりよかりきききととといふいふいうやうやうようもももありありあり。。。猶猶なおおなじおなじおなじ所所ところににに日日ひををを經經ふるるることことことををを歎歎なげきききててて、、、あるあるある女女おんなのののよめよめよめるるるうたうたうた、、、「「「手手てをををひでひでひでゝゝて寒寒さむさささももも知知しらららぬぬぬ泉泉いずみにににぞぞぞ汲汲くむむむとととはははなしなしなしににに日日ひごろごろごろ經經へにににけるけるける」」」。。。
現代語訳
三十日。雨も風も吹かない。海賊は夜には出歩かないそうだと聞いて、夜中ごろに船を出して、阿波の水門を渡る。夜中なので西も東もわからず、男も女も必死に神仏に祈って、この水門を渡りきった。午前四時から六時ごろに、沼島という所を過ぎて、多奈川という所を渡る。必死に急いで、和泉の灘という所に着いた。今日は、海に波らしいものもない。神仏のお恵みをこうむったようである。今日、船に乗った日から数えると、三十九日になった。今はもう和泉の国に来たので、海賊も物の数ではない。
二月一日。朝のうちは雨が降る。正午ごろにやんだので、和泉の灘という所から出て漕いで行く。海の上は昨日と同じように、風も波も見えない。黒崎の松原を通って行く。土地の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のように白く、貝の色は蘇芳(赤)で、五色にもう一色だけ足りない。
このあいだに、今日は箱の浦という所から、綱手を引いて行く。こうして行くあいだに、ある人が詠んだ歌は、「玉くしげの箱という名の箱の浦の波が立たない日は、海を鏡と見ない人があろうか(誰もが鏡と見る)」。また、船君が言うことには、「この月にまでなってしまったことよ」と嘆いて、つらさに耐えきれずに、人も詠むことだからと、気晴らしに詠んだ歌は、「引いて行く船の綱手のように長い春の日を、四十日も五十日も私は過ごしてきたことだ」。
聞いている人が思うには、「なんとまあ、ただの言葉だこと」とひそかに言うにちがいない。「船君がやっとのことでひねり出して、よいと思っていることを、悪く言うものではない」と言って、ひそひそ言うのをやめた。急に風や波が高くなったので、とどまった。
二日。雨も風もやまない。一日中、一晩中、神仏に祈る。
三日。海の上は昨日と同じようなので、船を出さない。風の吹くことがやまないので、岸の波が寄せては返す。これにつけて詠んだ歌は、「糸をよっても、そのかいのないものは、落ちて積もる涙の玉を、糸に貫くことができないことだ」。こうして、今日も暮れた。
四日。船頭が「今日は風や雲の様子がひどく悪い」と言って、船を出さなくなった。けれども、一日中、波も風も立たない。この船頭は、天気も予測できない愚か者だったのだ。この港の浜には、いろいろな美しい貝や石などがたくさんある。それで、ただ亡くなった人のことばかりを恋しく思いながら、船にいる人が詠んだ歌は、「寄せる波よ、どうか打ち寄せてほしい。恋しい人を忘れさせるという忘れ貝を、私は浜に下りて拾おう」と詠んだので、
ある人がこらえきれずに、船旅の気晴らしに詠んだ歌は、「忘れ貝など拾いはすまい。白玉のようだったあの子を恋しく思う気持ちだけでも、せめてもの形見と思おう」と詠んだ。女の子のことになると、親は子どものようになってしまうものらしい。「玉というほどでもなかっただろうに」と人は言うだろうか。けれども、「死んだ子は顔がよかった」ということわざもある。やはり同じ所で日を過ごすことを嘆いて、ある女が詠んだ歌は、「手を浸しても冷たさも感じない『和泉』で、水を汲むというわけでもないのに、何日も過ごしてしまった」。
意訳
三十日、一行は海賊の出ない夜を選んで、難所の阿波の水門(鳴門海峡)を必死の思いで渡る。和泉の国に入って「海賊ものならず」と言い切る言葉には、長い緊張から解き放たれた安堵があふれている。翌日の黒崎の松原では、黒・青・白・赤と色を数えて「五色にあと一色足りない」と戯れるほど、心にゆとりが戻ってきている。
一方で、旅はなお風に阻まれる。船君の「四十日、五十日も過ごした」という歌は、技巧のないただの言葉だとひそかに笑われ、天気を読めない船頭は「かたゐ(愚か者)」とののしられる。
そして四日、浜の美しい貝を見た人が、恋しい人を忘れさせるという「忘れ貝」を拾おうと詠むと、別の人は「忘れ貝など拾うまい、恋しく思う心こそ形見にしよう」と返す。亡き子を忘れたい思いと、忘れたくない思い。そのあいだで揺れる親の心を、書き手は「女の子のためには親は幼くなる」「死んだ子は顔がよかったというものだ」と、少し距離をおいた言葉でいたわっている。
語釈・文法注
- わすれ貝
- 「忘れ貝」。二枚貝の片方の殻。拾うと恋しい人を忘れられると考えられ、和歌によく詠まれた。
文法
- 「夜ありきせざなり」
- 「せざるなり」の撥音便「せざんなり」の「ん」を表記しないかたち。「なり」は伝聞。夜には出歩かないそうだ。
- 「海賊ものならず」
- 「ものならず」は、物の数ではない、問題にならない。
- 「えしもこそしいへ」
- 底本の本文のまま。一般には「怨(ゑ)じもこそし給へ」などとする本文が知られ、悪く言ってはお恨みになる、の意に解されている。ここでは、そうした文脈に従って訳した。
- 「親をさなくなりぬべし」
- 「ぬべし」は強意+推量。親は子どものように分別をなくしてしまうにちがいない。
和歌
玉くしげ箱のうらなみたゝぬ日は海をかゞみとたれか見ざらむ
- 詠者
- ある人
- 状況
- 二月一日、波の立たない箱の浦を綱手を引いて進みながら詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「玉くしげ」は「箱」にかかる枕詞。
- 縁語
- 「玉くしげ」「箱」「鏡」は化粧道具の縁語。
ひく船の綱手のながき春の日をよそかいかまでわれはへにけり
- 詠者
- 船君
- 状況
- 旅が二月にまで及んだことを嘆いて詠んだ歌。人々にひそかに笑われる。
修辞
- 序詞
- 「ひく船の綱手の」が「ながき」を導く。
緒をよりてかひなきものは落ちつもる涙の玉をぬかぬなりけり
- 詠者
- 詠者不明
- 状況
- 二月三日、風がやまず、岸に寄せては返す波を見て詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 涙を玉に見立て、糸に貫くことのできない玉とする。
よする浪うちも寄せなむわが戀ふる人わすれ貝おりてひろはむ
- 詠者
- 船なる人
- 状況
- 浜の美しい貝を見て、亡き子を恋しく思って詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「わすれ貝」に、恋しい人を忘れる意をこめる。
わすれ貝ひろひしもせじ白玉を戀ふるをだにもかたみと思はむ
- 詠者
- ある人
- 状況
- 前の歌に答えて、亡き子を忘れたくないという思いを詠んだ歌。
修辞
- 比喩
- 亡き子を「白玉」にたとえる。
手をひでゝ寒さも知らぬ泉にぞ汲むとはなしに日ごろ經にける
- 詠者
- ある女
- 状況
- 同じ所で何日も過ごすことを嘆いて詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「泉」に地名の「和泉」をかける。
解説
阿波の水門(鳴門海峡)は潮流の激しい難所で、一行は夜中にここを渡り、淡路島の南の沼島を過ぎて、紀伊水道を北へ横切り、和泉の国(今の大阪府南部)に入った。国司として海賊を取り締まった土佐から遠く離れ、海賊の心配がなくなったことが「海賊ものならず」の一言に表れている。
「よそかいか」は「四十日、五十日」で、出発から四十日ほどたったことをいう。船君の歌に対する人々のひそかな批評は、歌の巧拙を厳しく見る書き手の目を、ほかの人の口を借りて語ったものといえる。
「忘れ貝」の二首は、亡き子を忘れようとする思いと、忘れまいとする思いを対にしたもので、この日記のなかでも亡き子をしのぶ場面としてよく知られている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(土佐日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、14–15頁(コマ10)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日