土佐日記 第2章
大湊の正月
正月二日から八日まで、風と波にはばまれて一行は大湊にとどまる。七日には若菜の歌が届き、送別の歌に誰も返歌できないなか、幼い子が見事な返歌を詠む。八日の夜、海に沈む月を見て、在原業平の歌を思い出す。

- 1二日二日ふつか、、、なほなほなお大大おお湊湊みなとにににとまれとまれとまれりりり。。。講講こう師師じ、、、物物もの、、、酒酒さけなどなどなどおこせおこせおこせたりたりたり。。。
- 2三日三日みっか、、、同同おなじじじ所所ところなりなりなり。。。もしもしもし風風かぜ浪浪なみのののしばししばししばしととと惜惜おしむむむ心心こころやややあらあらあらむむん、、、心心こころもともともとなしなしなし。。。
- 3四日四日よっか、、、風風かぜ吹吹ふけけけばばばえええ出出いでででたゝたゝたたずずず。。。昌昌まさ連連つら酒酒さけよきよきよき物物ものたてまつれたてまつれたてまつれりりり。。。このこのこのかうやうかうやうこうようののの物物ものもてもてもて來來くるるるひとひとひとににになほなほなおしもしもしもえええあらあらあらでででいさゝげいさゝげいささげせせせさすさすさすものものものもももなしなしなし。。。にぎはゝしきにぎはゝしきにぎわわしきやうやうようなれなれなれどどどまくるまくるまくるこゝちこゝちここちすすす。。。
- 4五日五日いつか、、、風風かぜ浪浪なみやまやまやまねねねばばば猶猶なお同同おなじじじ所所ところにににありありあり。。。人人ひと々々びと絶絶たえええずずずとぶらひとぶらひとぶらいにににくくく。。。
- 5六日六日むいか、、、きのふきのふきのうのののごとしごとしごとし。。。
- 6七日七日なのかににになりなりなりぬぬぬ。。。同同おなじじじ湊湊みなとにににありありあり。。。今日今日きょうははは白白あおををを思思おもへへえどどどかひかひかいなしなしなし。。。たゞたゞただ浪浪なみののの白白しろきききのみのみのみぞぞぞ見見みゆるゆるゆる。。。かゝるかゝるかかる間間あいだににに人人ひとののの家家いえののの池池いけととと名名なあるあるある所所ところよりよりより鯉鯉こいはははなくなくなくててて鮒鮒ふなよりよりよりはじめはじめはじめててて川川かわのののももも、、、海海うみのののももも、、、ことことことものものものどもどもども、、、ながながながびつびつびつにににになひになひにないつゞけつゞけつづけててておこせおこせおこせたりたりたり。。。わかなわかなわかなこここににに入入いれれれててて雉雉きじなどなどなど花花はなにににつけつけつけたりたりたり。。。若若わか菜菜なぞぞぞ今日今日きょうをををばばば知知しらららせせせたるたるたる。。。歌歌うたありありあり。。。そのそのそのうたうたうた、、、「「「淺淺あさ茅茅じ生生ふののの野野の邊邊べにににしししあれあれあればばば水水みずもももなきなきなき池池いけにににつみつみつみつるつるつるわかなわかなわかななりなりなりけりけりけり」」」。。。
- 7いといといとをかしをかしおかしかしかしかし。。。このこのこの池池いけととといふいふいうははは所所ところののの名名ななりなりなり。。。よきよきよき人人ひとののの男男おとこにににつきつきつきててて下下くだりりりててて住住すみみみけるけるけるなりなりなり。。。このこのこの長長なが櫃櫃びつののの物物ものははは皆皆みな人人ひと童童わらわまでまでまでにににくれくれくれたれたれたればばば、、、飽飽あききき滿滿みちちちててて舟舟ふな子子こどもどもどもははは腹腹はら皷皷つづみをををうちうちうちててて海海うみをををさへさへさへおどろかしおどろかしおどろかしててて浪浪なみたてたてたてつつつべしべしべし。。。
- 8かくかくかくてててこのこのこの間間あいだににに事事ことおほかりおほかりおおかり。。。けふけふきょうもたもたもたせせせてててきききたるたるたる人人ひと、、、そのそのその名名ななどなどなどぞぞぞややや、、、今今いま思思おもひひい出出いでででむむん。。。このこのこの人人ひと歌歌うたよまよまよまむむんととと思思おもふふう心心こころありありありてててなりなりなりけりけりけり。。。とかくとかくとかくいひいひいいいひいひいいててて浪浪なみののの立立たつつつなるなるなることことことゝゝと憂憂うれへへえいひいひいいててて詠詠よめめめるるる歌歌うた、、、「「「ゆくゆくゆくさきさきさきにににたつたつたつ白白しら浪浪なみののの聲聲こえよりよりよりもももおくれおくれおくれててて泣泣なかかかむむんわれわれわれやややまさらまさらまさらむむん」」」とととぞぞぞ詠詠よめめめるるる。。。いといといと大大おお聲聲ごえなるなるなるべしべしべし。。。持持もてててきききたるたるたる物物ものよりよりより歌歌うたはははいかゞいかゞいかがあらあらあらむむん。。。
- 9このこのこの歌歌うたををを此此これ彼彼かれあはれあはれあわれがれがれがれどもどもども一一ひと人人りももも返返かへしししせせせずずず。。。しししつつつべきべきべき人人ひとももも交交まじれれれゝゝれどどどこれこれこれをををのみのみのみいたがりいたがりいたがり物物ものをををのみのみのみくひくひくいててて夜夜よ更更ふけけけぬぬぬ。。。このこのこの歌歌うたぬしぬしぬしなむなむなん「「「またまたまたまからまからまからずずず」」」ととといひいひいいてててたちたちたちぬぬぬ。。。あるあるある人人ひとののの子子こののの童童わらわなるなるなる密密ひそかにににいふいふいう「「「まろまろまろこのこのこの歌歌うたののの返返かへしししせせせむむん」」」ととといふいふいう。。。驚驚おどろきききててて「「「いといといとをかしきをかしきおかしきことことことかなかなかな。。。よみよみよみてててむむんやややははは。。。詠詠よみみみつつつべくべくべくばばばはやはやはやいへいへいえかしかしかし」」」ととといふいふいう。。。「「「まからまからまからずずずとてとてとて立立たちちちぬるぬるぬる人人ひとををを待待まちちちてててよまよまよまむむん」」」とてとてとて求求もとめめめけるけるけるををを、、、夜夜よ更更ふけけけぬぬぬとととにににやややありありありけむけむけん、、、やがてやがてやがていにいにいにけりけりけり。。。
- 10「「「そもそもそもそもそもそもいかゞいかゞいかが詠詠よんんんだるだるだる」」」ととといぶかしいぶかしいぶかしがりがりがりててて問問とふふう。。。このこのこの童童わらわさすがさすがさすがににに耻耻はぢぢじててていはいはいわずずず。。。强强しひひいててて問問とへへへばばばいへいへいえるるるうたうたうた、、、「「「ゆくゆくゆく人人ひともももとまるとまるとまるももも袖袖そでのののなみだなみだなみだ川川がわみぎはみぎはみぎわのみのみのみこそこそこそぬれぬれぬれまさりまさりまさりけれけれけれ」」」とととなむなむなん詠詠よめめめるるる。。。かくかくかくはははいふいふいうものものものかかか、、、うつくしけれうつくしけれうつくしければばばにににやややあらあらあらむむん、、、いといといと思思おもははわずずずなりなりなり。。。童童わらわごとごとごとにににてててははは何何なにかかかはははせせせむむん、、、女女おうな翁翁おきなにににをしをしをしつつつべしべしべし、、、惡惡あしくしくしくもももあれあれあれいかにいかにいかにもももあれあれあれ、、、たよりたよりたよりあらあらあらばばば遣遣やらららむむんとてとてとておかおかおかれれれぬぬぬめりめりめり。。。
- 11八日八日ようか、、、さはるさはるさわる事事ことありありありててて猶猶なお同同おなじじじ所所ところなりなりなり。。。今今こ宵宵よいののの月月つきははは海海うみにににぞぞぞ入入いるるる。。。これこれこれををを見見みててて業業なり平平ひらののの君君きみののの「「「山山やまのののはははにげにげにげててて入入いれれれずずずもももあらあらあらなむなむなん」」」ととといふいふいう歌歌うたなむなむなんおもほゆるおもほゆるおもおゆる。。。もしもしもし海海うみ邊邊べにににてててよまよまよまゝゝましかしかしかばばば「「「浪浪なみたちたちたちさへさへさえててて入入いれれれずずずもももあらあらあらなむなむなん」」」ととと詠詠よみみみてててましましましややや。。。今今いまこのこのこの歌歌うたををを思思おもひひい出出いでででゝゝてあるあるある人人ひとのののよめよめよめりりりけるけるける、、、「「「てるてるてる月月つきのののながるゝながるゝながるる見見みれれればばばあまあまあまののの川川がわいづるいづるいずるみなとみなとみなとははは海海うみにににざりざりざりけるけるける」」」とととややや。。。
現代語訳
二日。やはり大湊に泊まっている。国分寺の講師が、食べ物や酒などを届けてくれた。
三日。同じ所である。もしかすると、風や波が、私たちとの別れを「もうしばらく」と惜しむ心があるのだろうか、気がかりだ。
四日。風が吹くので出発できない。まさつらが酒や結構な食べ物を差し上げた。このようにして物を持って来る人に、そのままではいられないで、ちょっとしたお返しをさせるような品物もない。にぎやかなようだけれど、負けたような気持ちがする。
五日。風も波もやまないので、やはり同じ所にいる。人々が絶えず見舞いにやって来る。
六日。昨日と同じである。
七日になった。同じ港にいる。今日は白馬の節会の日だと思うが、どうにもならない。ただ波の白いのばかりが見える。こうしているうちに、「池」という名の所にある人の家から、鯉はなくて、鮒をはじめとして、川の物も海の物も、そのほかの物も、長櫃にかつぎ続けて届けてくれた。若菜を籠に入れて、雉などを花の枝に付けてある。若菜こそが、今日が七日であることを知らせてくれた。歌がある。その歌は、「浅茅の生えた野原なので、水もない『池』で摘んだ若菜なのですよ」。
たいそう趣がある。この「池」というのは土地の名である。身分のある人が、夫について土佐に下って住んでいたのである。この長櫃の物は、みな人々や子どもにまで分け与えたので、みな飽きるほど満腹して、船頭たちは腹鼓を打って、海までも驚かせて波を立ててしまいそうだ。
こうしてこのあいだにいろいろなことがあった。今日、弁当を持たせてやって来た人は、その名は何といったか、今に思い出そう。この人は歌を詠もうと思う気持ちがあって来たのだった。あれこれ言い続けて、「波が立つようですね」と心配そうに言って詠んだ歌は、「これから進んで行く先に立つ白波の音よりも、あとに残されて泣く私の泣き声のほうが大きいでしょう」と詠んだ。ずいぶん大きな声であるにちがいない。持って来た食べ物に比べて、歌はどうだろうか。
この歌を、誰もがほめはするけれど、一人も返歌をしない。返歌をしそうな人もまじっているが、この歌ばかりをほめて、食べ物ばかり食べて夜が更けた。この歌の作者は、「まだ帰りません」と言って席を立った。ある人の子で幼い子どもが、こっそり「ぼくがこの歌の返歌をしよう」と言う。驚いて、「たいそう面白いこと。詠めるのかしら。詠めそうなら早く言いなさいな」と言う。「『まだ帰らない』と言って立った人を待って詠もう」と言って、その人を捜したけれど、夜が更けたからだろうか、そのまま帰ってしまった。
「いったいどんなふうに詠んだの」と気になって尋ねる。この子どもは、さすがに恥ずかしがって言わない。無理に尋ねると、言った歌は、「去って行く人も、とどまる人も、袖を濡らす涙は川のようで、その水際ばかりがますます濡れることです」と詠んだ。こんなふうに詠めるものだろうか。かわいらしいからだろうか、まったく思いがけないことだ。子どもの歌としてはどうしようもないから、老女か翁の歌として押しつけてしまおう。下手でもなんでも、ついでがあったら送ろう、と言って、取っておかれたようだ。
八日。差し支えることがあって、やはり同じ所にいる。今夜の月は海に沈む。これを見て、業平の君の「山の端が逃げて、月を入れないでほしい」という歌が思い出される。もし海辺で詠んだのだったら、「波が立ちふさがって、月を入れないでほしい」と詠んだだろうか。今この歌を思い出して、ある人が詠んだのは、「照る月が流れて行くのを見ると、天の川の流れ出る河口は、海であったのだなあ」とか。
意訳
風と波に足止めされた大湊の七日間は、退屈で心細い船待ちの日々である。書き手は「風や波が別れを惜しんでいるのか」と気をもみ、到来物へのお返しもできない身を「負けたような気持ち」と自嘲する。正月七日の白馬の節会も、海の上では白い波しか見えないと嘆いてみせる。
この章の中心は、二つの歌の対比である。見送りの人が「あなたがたの船出の波の音より、私の泣き声のほうが大きい」と大げさな歌を詠んで、誰も返歌をしないまま帰ってしまう。ところが子どもが「去る人も残る人も、涙の川の水際ばかりが濡れる」と、別れる双方の悲しみを詠んで、大人たちを驚かせる。書き手は「持って来た食べ物より歌はどうか」と皮肉りつつ、素直な子どもの歌をほめている。歌の上手下手を見分けようとする目は、歌人紀貫之ならではのものである。
八日の夜には、海に沈む月から、業平の「山の端逃げて入れずもあらなむ」を思い出し、海辺なら「波立ちさへて」と詠んだろうかと戯れる。古歌を下敷きにして旅先の景を詠みかえる、教養ある遊びである。
語釈・文法注
- いさゝげわざ
- 「いささけわざ」とも。ちょっとした事。ここでは、物をもらったことへのささやかな返礼。
- 白馬
- 白馬の節会(あおうまのせちえ)。正月七日に、天皇が紫宸殿で左右馬寮の白馬を見る宮中の行事。もとは「青馬」と書き、のちに白い馬を用いても「あおうま」と読んだ。
- わりご
- 「破子・破籠」。中に仕切りのある、檜の薄板で作った弁当箱。また、その弁当。
文法
- 「浪の立つなることゝ」
- 「なる」は推定の助動詞「なり」。波が立つようですね、と言って。
- 「よみてむやは」
- 「て」は強意の助動詞「つ」の未然形、「む」は推量、「やは」は反語。詠めるかしら(詠めないでしょう)。
- 「女翁にをしつべし」
- 「をし」は「押し」。子どもの歌では仕方がないから、老女か翁の作ということにして押しつけよう、の意。
- 「海にざりける」
- 「にぞありける」がつづまったもの。海であったのだなあ。
和歌
淺茅生の野邊にしあれば水もなき池につみつるわかななりけり
- 詠者
- 池という所に住む人
- 状況
- 正月七日、若菜を贈るのに添えた歌。
修辞
- 掛詞
- 「池」に地名の「池」と水をたたえた池をかけ、浅茅の野原なので水もない池だとおどける。
ゆくさきにたつ白浪の聲よりもおくれて泣かむわれやまさらむ
- 詠者
- 弁当を持って来た人
- 状況
- 見送りに来た人が、別れを惜しんで詠んだ歌。書き手は大げさだと皮肉っている。
修辞
- 比較
- 波の音と自分の泣き声を比べ、泣き声のほうが大きいと誇張する。
ゆく人もとまるも袖のなみだ川みぎはのみこそぬれまさりけれ
- 詠者
- ある人の子(童)
- 状況
- 誰も返歌をしなかった前の歌に、子どもがこっそり詠んだ返歌。
修辞
- 見立て
- 袖を濡らす涙を川に見立て、「みぎは」(水際)を縁語として用いる。
てる月のながるゝ見ればあまの川いづるみなとは海にざりける
- 詠者
- ある人
- 状況
- 八日の夜、海に沈む月を見て、業平の歌を思い出して詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 月が天の川を流れて海に入るように見えることから、天の川の河口は海だったのだと詠む。
解説
業平の歌は『古今和歌集』雑上と『伊勢物語』八十二段に見える「あかなくにまだきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ」。惟喬親王の狩りの供をした夜の歌で、のちの渚の院の場面(第9章)でも業平と惟喬親王の思い出が語られる。
正月七日は、宮中では白馬の節会が行われ、民間では七種の若菜を食べて長寿を祈る日であった。船の上で節日を迎えた一行には、地元の人の贈る若菜が、都の暦を思い出させるものとなっている。
見送りの人の大仰な歌と、子どもの素直な歌を並べるところには、和歌の良し悪しを論じる歌人としての筆者の姿が透けて見える。『土佐日記』には、人々の歌に対するこうした評がたびたび書き込まれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(土佐日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、4–6頁(コマ5–6)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日