竹取物語 第11章
月を見て嘆く
帝と歌を交わして三年ほどたった春から、かぐや姫は月を見ては物思いに沈むようになる。八月十五夜を前に、姫は自分が月の都の人で、十五夜に迎えが来て帰らなければならないと翁に打ち明ける。翁は嘆き悲しみ、それを聞いた帝は使いを遣わして、迎えの者を捕らえるための兵を出すことを約束する。
- 1かやうかやうかようにににててて御御み心心こころををを互互たがいににに慰慰なぐさめめめ給給たまふふう程程ほどににに、、、三三み年年とせばかりばかりばかりありありありててて、、、春春はるののの初初はじめよりよりよりかぐやかぐやかぐや姫姫ひめ月月つきのののおもしろうおもしろうおもしろう出出いでででたるたるたるををを見見みててて、、、常常つねよりよりよりももも物物もの思思おもひひいたるたるたるさまさまさまなりなりなり。。。あるあるある人人ひとののの月月つきののの顏顏かお見見みるるるははは忌忌いむむむことことことゝゝと制制せいしししけれけれけれどもどもども、、、ともすればともすればともすればひとひとひとまままにににははは月月つきををを見見みててていみじくいみじくいみじく泣泣なききき給給たまふふう。。。ふみづきふみづきふみずきのののもちもちもちののの月月つきにににいでいでいで居居いててて、、、せちせちせちににに物物もの思思おもへへえるるるけしきけしきけしきなりなりなり。。。
- 2近近ちかくくくつかはつかはつかわるゝるゝるる人人ひと々々びと、、、竹竹たけ取取とりののの翁翁おきなににに告告つげげげててていはくいはくいわく「「「かぐやかぐやかぐや姫姫ひめ例例れいももも月月つきをををあはれあはれあわれがりがりがり給給たまひひいけれけれけれどもどもども、、、このこのこの頃頃ごろとととなりなりなりてててはははたゞたゞただごとごとごとにににももも侍侍はべらららざざざめりめりめり。。。いみじくいみじくいみじくおぼしおぼしおぼしなげくなげくなげくことことことあるあるあるべしべしべし。。。よくよくよくよくよくよく見見み奉奉たてまつらららせせせ給給たまへへえ」」」ととといふいふいうををを聞聞ききききててて、、、かぐやかぐやかぐや姫姫ひめにににいういういうやうやうよう「「「なでふなでふなでう心心ここちちちすれすれすればばばかくかくかく物物ものををを思思おもひひいたるたるたるさまさまさまにににててて月月つきををを見見み給給たまふふうぞぞぞ、、、うましきうましきうましき世世よににに」」」ととといふいふいう。。。かぐやかぐやかぐや姫姫ひめ「「「月月つきををを見見みれれればばば世世よののの中中なかこゝろこゝろこころぼそくぼそくぼそくあはれあはれあわれににに侍侍はべりりり。。。なでふなでふなでう物物ものをををかかかなげきなげきなげき侍侍はべるるるべきべきべき」」」ととといふいふいう。。。
- 3かぐやかぐやかぐや姫姫ひめのののあるあるある所所ところににに至至いたりりりててて見見みれれればばば、、、なほなほなお物物もの思思おもへへえるるるけしきけしきけしきなりなりなり。。。これこれこれををを見見みててて、、、「「「あああががが佛佛ほとけ何何なに事事ごとををを思思おもひひい給給たまふふうぞぞぞ。。。おぼすおぼすおぼすらむらむらんことことこと何何なに事事ごとぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば「「「思思おもふふうことことこともももなしなしなし。。。物物ものなむなむなん心心こころぼそくぼそくぼそく覺覺おぼゆるゆるゆる」」」ととといへいへいえばばば、、、翁翁おきな「「「月月つきななな見見み給給たまひひいそそそ。。。これこれこれををを見見み給給たまへへえばばば物物ものおぼすおぼすおぼすけしきけしきけしきはははあるあるあるぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「いかでいかでいかでかかか月月つきををを見見みずずずてててはははあらあらあらむむん」」」とてとてとて、、、なほなほなお月月つき出出いづれづれずればばば、、、いでいでいで居居いつゝつゝつつなげきなげきなげき思思おもへへえりりり。。。夕夕ゆう暗暗やみにににははは物物もの思思おもははわぬぬぬけしきけしきけしきなりなりなり。。。月月つきののの程程ほどににになりなりなりぬれぬれぬればばば、、、獨獨ひとり時時とき々々どきはははうちうちうちなげきなげきなげきなきなきなきなどなどなどすすす。。。是是これをををつかふつかふつかうものものものどもどもども、、、「「「猶猶なお物物ものおぼすおぼすおぼすことことことあるあるあるべしべしべし」」」とととさゝやけさゝやけささやけどどど親親おやををを始始はじめめめててて何何なに事事ごととととももも知知しらららずずず。。。
- 4はつきはつきはつきもちもちもちばかりばかりばかりののの月月つきにににいでいでいで居居いててて、、、かぐやかぐやかぐや姫姫ひめいといといといたくいたくいたく泣泣なききき給給たまふふう。。。人人ひとめめめももも今今いまははは包包つつみみみ給給たまははわずずず泣泣なききき給給たまふふう。。。これこれこれををを見見みててて、、、親親おやどもどもどもゝゝも「「「何何なに事事ごとぞぞぞ」」」ととと問問とひひい騒騒さわぐぐぐ。。。かぐやかぐやかぐや姫姫ひめなくなくなくなくなくなくいふいふいう、、、「「「さきざきさきざきさきざきももも申申もうさささむむんととと思思おもひひいしかしかしかどもどもども、、、かならずかならずかならず心心こころ惑惑まどはしはしわし給給たまははわむむんものものものぞぞぞととと思思おもひひいててて、、、今今いままでまでまですぐしすぐしすぐし侍侍はべりりりつるつるつるなりなりなり。。。さささのみのみのみやややはははとてとてとてうちうちうち出出いででで侍侍はべりりりぬるぬるぬるぞぞぞ。。。おのおのおのががが身身みはははこのこのこの國國くにののの人人ひとにににもももあらあらあらずずず。。。月月つきののの都都みやこののの人人ひとなりなりなり。。。それそれそれををを昔昔むかしののの契契ちぎりなりなりなりけるけるけるににによりよりよりてててなむなむなん、、、このこのこの世世せ界界かいにににはははまうでまうでもうで來來きたりりりけるけるける。。。今今いまははは歸歸かえるるるべきべきべきににになりなりなりにににけれけれければばば、、、このこのこの月月つきのののもちもちもちににに、、、かのかのかのもともともとののの國國くによりよりより迎迎むかへへえににに人人ひと々々びとまうでまうでもうでこここむずむずむず。。。さらずさらずさらずまかりまかりまかりぬぬぬべけれべけれべければばば、、、おぼしおぼしおぼしなげかなげかなげかむむんががが悲悲かなしきしきしきことことことををを、、、このこのこの春春はるよりよりより思思おもひひいなげきなげきなげき侍侍はべるるるなりなりなり」」」ととといひいひいいててていみじくいみじくいみじく泣泣なくくく。。。
- 5翁翁おきな「「「こここはははなでふなでふなでうことことことをををののの給給たまふふうぞぞぞ。。。竹竹たけののの中中なかよりよりより見見みつけつけつけ聞聞きこえええたりたりたりしかしかしかどどど、、、なたねなたねなたねののの大大おおきききさささおはせおはせおわせしししををを、、、我我わがたけたけたけたちたちたち並並ならぶぶぶまでまでまで養養やしなひひい奉奉たてまつりりりたるたるたる我我わががが子子こををを、、、何何なに人人びとかかか迎迎むかへへえ聞聞きこえええむむん。。。まさにまさにまさに許許ゆるさささむむんややや」」」ととといひいひいいててて、、、「「「我我われこそこそこそ死死しなななめめめ」」」とてとてとて、、、泣泣なきききのゝしるのゝしるののしることことこといといといと堪堪たへへえがたがたがたげげげなりなりなり。。。
- 6かぐやかぐやかぐや姫姫ひめのののいはくいはくいわく、、、「「「月月つきののの都都みやこののの人人ひとにににててて父父ちち母母はわありありあり。。。片片かた時時ときのののまままとてとてとてかのかのかの國國くによりよりよりまうでまうでもうでこここしかしかしかどもどもども、、、かくかくかくこのこのこの國國くににににははは數數あま多多たののの年年としををを經經へぬるぬるぬるににになむなむなんありありありけるけるける。。。かのかのかの國國くにののの父父ちち母母はわののの事事こともももおぼえおぼえおぼえずずず、、、こゝこゝここにににはははかくかくかく久久ひさしくしくしく遊遊あそびびび聞聞きこえええてててならひならひならい奉奉たてまつれれれりりり。。。いみじからいみじからいみじからむむん心心ここちちちもももせせせずずず、、、悲悲かなしくしくしくのみのみのみなむなむなんあるあるある。。。されされされどどど己己おのががが心心こころならならならずずず罷罷まかりりりなむなむなんとととするするする」」」ととといひいひいいててて諸諸もろ共共ともにににいみじういみじういみじゅう泣泣なくくく。。。つかはつかはつかわるゝるゝるる人人ひと々々びとももも年年とし頃頃ごろならひならひならいててて、、、立立たちちち別別わかれれれなむなむなんことことことををを、、、心心こころばへばへばえなどなどなどあてあてあてやかやかやかににに美美うつくしかりくしかりくしかりつるつるつることことことををを見見みならひならひならいててて、、、戀戀こいしからしからしからむむんことことことののの堪堪たへへえがたくがたくがたく、、、湯湯ゆ水水みずももも飮飮のまままれれれずずず、、、同同おなじじじ心心こころににになげかしかりなげかしかりなげかしかりけりけりけり。。。
- 7このこのこの事事ことををを帝帝みかどきこしめしきこしめしきこしめしててて、、、竹竹たけ取取とりががが家家いえににに御御お使使つかいつかはさつかはさつかわさせせせ給給たまふふう。。。御御お使使つかいににに竹竹たけ取取とりいでいでいで逢逢あひひいててて、、、泣泣なくくくことことこと限限かぎりりりなしなしなし。。。このこのこの事事ことををを歎歎なげくくくににに、、、髪髪かみももも白白しろくくく腰腰こしもももかゞまりかゞまりかがまり目目めもももたゞれたゞれただれにににけりけりけり。。。翁翁おきな今今こ年年としははは五五ご十十じゅうばかりばかりばかりなりなりなりけれけれけれどもどもども、、、物物もの思思おもいにににははは片片かた時時ときににになむなむなん老老おいににになりなりなりにににけりけりけりととと見見みゆゆゆ。。。御御お使使つかい仰仰おおせせせごとごとごととてとてとて翁翁おきなにににいはくいはくいわく「「「いといといと心心こころ苦苦ぐるししし物物もの思思おもふふうなるなるなるはははまことまことまことにににかかかととと仰仰おおせせせ給給たまふふう」」」。。。竹竹たけ取取とりなくなくなくなくなくなく申申もうすすす、、、「「「このこのこのもちもちもちににになむなむなん月月つきののの都都みやこよりよりよりかぐやかぐやかぐや姫姫ひめののの迎迎むかへへえにににまうでまうでもうでくくくなるなるなる。。。問問とはははせせせ給給たまふふう。。。このこのこのもちもちもちにににははは人人ひと々々びとたまはりたまはりたまわりててて、、、月月つきののの都都みやこののの人人ひとまうでまうでもうで來來こばばば捕捕とらへへえさせさせさせむむん」」」ととと申申もうすすす。。。
- 8御御お使使つかいかへりかへりかえり參參まいりりりててて、、、翁翁おきなのののありさまありさまありさま申申もうしししててて奏奏そうしししつるつるつる事事ことどもどもども申申もうすすすををを聞聞きこししし召召めしししてててのたまふのたまふのたまう。。。「「「一一ひと目目め見見み給給たまひひいししし御御み心心こころにににだにだにだに忘忘わすれれれ給給たまははわぬぬぬににに明明あけ暮暮くれ見見み馴馴なれれれたるたるたるかぐやかぐやかぐや姫姫ひめをををやりやりやりてててはははいかゞいかゞいかが思思おもふふうべきべきべき」」」。。。
現代語訳
このようにして、帝とかぐや姫がお互いにお心を慰め合っていらっしゃるうちに、三年ほどたって、その年の春の初めごろから、かぐや姫は、月が美しく出ているのを見て、いつもよりも物思いにふけっている様子である。ある人が「月の顔を見るのは不吉なことです」と止めたけれども、ともすれば人のいないときには月を見て、ひどくお泣きになる。七月十五日の月に縁先に出て座って、しきりに物思いにふけっている様子である。
近くで使われている人々が竹取の翁に知らせて言うには、「かぐや姫は、いつも月をしみじみと眺めていらっしゃいましたが、このごろはただごとではないようでございます。ひどく思い嘆くことがおありなのでしょう。よくよく気をつけてお見守りください」と言うのを聞いて、翁がかぐや姫に言うには、「どういうお気持ちで、こんなに物思いにふける様子で月をご覧になるのか。結構な暮らしをしているのに」と言う。かぐや姫は「月を見ると、世の中が心細く、しみじみと悲しく思われるのです。どうして何を嘆いたりしましょう」と言う。
翁がかぐや姫のいる所に行って見ると、やはり物思いにふけっている様子である。これを見て、「私の大切な仏様、何を思い悩んでいらっしゃるのか。思っていらっしゃることは何事か」と言うと、「思い悩むことなどありません。なんとなく心細く思われるのです」と言うので、翁は「月をご覧なさるな。これをご覧になると、物思いにふける様子が見えるのだ」と言うと、「どうして月を見ないでいられましょう」と言って、やはり月が出ると、縁先に出て座っては嘆き悲しんでいる。月の出ていない夕闇のころには物思いをしない様子である。月の出るころになると、一人で時々ため息をつき、泣いたりする。これを召し使う者たちは「やはり何かお悩みのことがあるにちがいない」とささやき合うが、親をはじめとして、誰も何事かはわからない。
八月十五日に近い月の夜に縁先に出て座って、かぐや姫はたいそうひどくお泣きになる。人目も今ははばからずにお泣きになる。これを見て、親たちも「何事か」と尋ねて騒ぐ。かぐや姫が泣く泣く言うには、「前々から申し上げようと思っていましたが、きっとお心をお乱しになるだろうと思って、今まで過ごしてきたのです。そう黙ってばかりもいられないと思って、打ち明けるのです。私の身はこの国の人ではありません。月の都の人です。それなのに、前世の約束があったので、この世界にやって来たのです。今はもう帰らなければならない時になったので、今月の十五日に、あのもとの国から迎えに人々がやって来るでしょう。どうしても行かなければならないので、お嘆きになるだろうことが悲しくて、この春から思い嘆いていたのです」と言ってひどく泣く。
翁は「これはなんということをおっしゃるのか。竹の中から見つけ申し上げたけれど、菜種ほどの大きさでいらっしゃったのを、私の背丈と並ぶほどまでお育て申し上げたわが子を、いったい誰がお迎えできようか。決して許すものか」と言って、「私こそ死んでしまいたい」と言って、泣きわめく様子は、まったく耐えがたそうである。
かぐや姫が言うには、「月の都の人として父母がいます。ほんの少しの間ということで、あの国からやって来たのですが、このようにこの国では多くの年を過ごしてしまいました。あの国の父母のことも覚えておらず、ここでは、こうして長い間楽しく過ごさせていただいて、慣れ親しみ申し上げました。月に帰るのをうれしいとも思わず、ただ悲しいばかりです。けれども、自分の心のままにならず、去って行こうとしているのです」と言って、翁たちと一緒にひどく泣く。召し使われている人々も、長年慣れ親しんで、別れてしまうことを思い、姫の気だてなどが上品でかわいらしかったのを見慣れているので、恋しく思うだろうことが耐えがたく、湯水も喉を通らず、翁たちと同じ気持ちで嘆き悲しんだ。
このことを帝がお聞きになって、竹取の家にお使いを遣わしなさる。お使いに竹取の翁が出て会って、泣くことこの上ない。このことを嘆いたために、髪も白くなり、腰も曲がり、目もただれてしまった。翁は今年五十ほどであったけれど、物思いのために、わずかの間にすっかり年老いてしまったように見える。お使いが帝のおおせとして翁に言うには、「たいそう気の毒にも思い悩んでいるというのは本当か、とおおせです」。竹取の翁が泣く泣く申し上げるには、「今月の十五日に、月の都からかぐや姫の迎えがやって来るそうです。ありがたくもお尋ねくださいました。この十五日には人々を遣わしていただいて、月の都の人がやって来たら捕らえさせましょう」と申し上げる。
お使いは帰参して、翁の様子を申し上げ、翁が奏上した事柄を申し上げるのを、帝がお聞きになっておっしゃる。「一目ご覧になっただけのお心にさえ忘れられないのに、明け暮れ見慣れているかぐや姫を手放しては、翁はどんなに悲しく思うだろうか」。
意訳
物語は最後の局面に入る。帝との歌のやりとりが三年続いたころ、かぐや姫は月を見ては泣くようになる。翁が心配して尋ねても、はじめは「心細いだけ」とはぐらかしていたが、八月十五夜が近づくと、ついに自分が月の都の人であり、迎えが来て帰らなければならないと打ち明ける。姫は「月の父母のことは覚えておらず、ここで親しんだ日々が悲しくて離れがたい」と語り、もはや地上の人々との別れを惜しむ一人の娘として描かれる。かつて求婚者たちを冷たく退けた姫が、育ての親との絆によって人間らしい情をもつようになったことが、この場面の大きな転換である。翁はわずかの間に老いこみ、帝も翁の悲しみを思いやって、迎えを阻むための兵を送る決意をする。
語釈・文法注
- たふとく
- 「尊く」。ありがたく、もったいなくも。
文法
- 「月の顏見るは忌むこと」
- 月を見ることを不吉とする考え方は、当時広く見られた。『源氏物語』「宿木」の巻にも「月見るは忌み侍るものを」とある。
- 「月な見給ひそ」
- 禁止の「な〜そ」。月をご覧なさるな。
- 「まうでこむず」
- 「むず」は推量の助動詞「むとす」がつづまったもの。やって来るでしょう。
- 「我こそ死なめ」
- 係助詞「こそ」と推量(意志)の助動詞「む」の已然形「め」の係り結び。私こそ死んでしまおう。
解説
かぐや姫が自分の素性を明かすこの場面から、物語は「昇天」の段に入る。月を見て泣くかぐや姫の姿は、平安時代の人々が月に寄せた思い(月は美しくもあり、不吉でもあった)を背景にしている。
かぐや姫が地上に来たのは「昔の契り」(前世からの約束)によるとされ、のちの天人の言葉では「罪をつくり給へりければ」とも語られる。罪を償うために地上に下された天女の話は、仏教的な因果の考え方を反映していると考えられる。
翁の年齢は、冒頭部分では「七十に余りぬ」と語られていたが、ここでは「五十ばかり」とされている。物語の中の年齢の食い違いは古くから指摘されており、諸本の伝わり方や成立の事情とも関係づけて論じられている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部三 雑上(竹取物語) 板倉屋書房、明治36年(1903)、21–24頁(コマ14–16)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日