新古今和歌集 巻第二十 釈教歌 1945番
おしなべて
総じてつらい身はそのように成るのだ。鳴海潟の満ち干る潮が変わるだけだろうか。
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現代語訳
〔詞書〕「水渚常不満」という心を。
総じてつらい身はそのように成るのだ。鳴海潟の満ち干る潮が変わるだけだろうか。
意訳
つらい身とはそういうものなのだ。鳴海潟の満ち引きする潮が移り変わるのと同じで、満ち足りることはない。
語釈・文法注
- なるみ
- 「成る身」と「鳴海潟」を掛ける。
和歌
- 作者
- 崇徳院(すとくいん) 1119–1164
第七十五代天皇。保元の乱(1156)に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。和歌を好み、『久安百首』を詠進させ、六番目の勅撰集『詞花和歌集』の撰集を命じた。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第二十・釈教歌・1945番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「水渚常不滿といふ心を」(「水渚常不満」という心を)。
修辞
- 掛詞
- 「なるみ」。
解説
崇徳院の歌。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、360頁(コマ190)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日