新古今和歌集 巻第十六 雑歌上 1456番
なれ〳〵て
慣れ親しんで見たのは名残の春だとも、どうして知らなかったのか、白河の花の下陰よ。
場面イラスト(準備中)
- 1最勝寺最勝寺さいしょうじののの櫻櫻さくらははは、、、鞠鞠まりのかゝりにてのかゝりにてのかかりにて久久ひさしくなりにしをしくなりにしをしくなりにしお、、、そのそのその木木き年年としふりてふりてふりて、、、風風かぜににに倒倒たおれたるれたるれたる由由よし聞聞きききき侍侍はべりしかばりしかばりしかば、、、をのこどもにをのこどもにおのこどもに仰仰おおせてせてせて、、、異木異木こときをををそのそのその跡跡あとににに移移うつししし植植うゑさせしゑさせしえさせし時時とき、、、まかりてまかりてまかりて見見み侍侍はべればればれば、、、數多數多あまたののの年々年々としどし、、、暮暮くれにしれにしれにし春春はるまでまでまで立立たちなれけることなどちなれけることなどちなれけることなど思思おもひひい出出いでてよみでてよみでてよみ侍侍はべりけるりけるりける詞書
- 2なれ〳〵てなれ〳〵てなれなれて初句
- 3見見みしはしはしは名殘名殘なごりののの二句
- 4春春はるぞともぞともぞとも三句
- 5などしらなどしらなどしら河河かわののの四句
- 6花花はなののの下下した蔭蔭かげ結句
現代語訳
〔詞書〕最勝寺の桜は蹴鞠の懸かりの木として長くなっていたが、その木が古くなって風に倒れたと聞きましたので、男たちに命じて別の木を跡に移し植えさせた時、出かけて見ますと、多くの年々、暮れた春まで立ち慣れていたことなどを思い出して詠みました歌。
慣れ親しんで見たのは名残の春だとも、どうして知らなかったのか、白河の花の下陰よ。
意訳
長年慣れ親しんで見ていた白河の桜の下陰。あれが最後の春だと、どうして知らなかったのだろう。
語釈・文法注
- しら
- 「知ら」と「白河」を掛ける。
- 鞠のかかり
- 蹴鞠の庭の四隅に植える木。
和歌
- 作者
- 藤原雅経(飛鳥井雅経)(ふじわらのまさつね) 1170–1221
藤原頼経の子。『新古今和歌集』の撰者の一人。蹴鞠の名手で、和歌と蹴鞠の家である飛鳥井家の祖となった。鎌倉に下って源実朝とも交わった。 - 出典
- 『新古今和歌集』巻第十六・雑歌上・1456番
- 歌体
- 短歌
- 状況
- 詞書「最勝寺の櫻は、鞠のかゝりにて久しくなりにしを、その木年ふりて、風に倒れたる由聞き侍りしかば、をのこどもに仰せて、異木をその跡に移し植ゑさせし時、まかりて見侍れば、數多の年々、暮れにし春まで立ちなれけることなど思ひ出でてよみ侍りける」(最勝寺の桜は蹴鞠の懸かりの木として長くなっていたが、その木が古くなって風に倒れたと聞きましたので、男たちに命じて別の木を跡に移し植えさせた時、出かけて見ますと、多くの年々、暮れた春まで立ち慣れていたことなどを思い出して詠みました歌)。
修辞
- 掛詞
- 「しら」に「知ら」と「白河」。
- 体言止め
- 体言止め。
解説
雅経の歌。
関連
出典
- 底本
- 『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、264〜265頁(コマ142)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日