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大鏡 第47章

兼通の最後の除目

兼通は弟兼家を憎み、理由もなく官位を奪ったため、兼家は長歌で円融天皇に嘆きを訴えた。死に際の兼通は、関白を兼家ではなく従兄弟の頼忠に譲った。若侍はその真相を語る。危篤の兼通は、兼家の車が見舞いに来たと思って待っていたが、素通りして内裏へ向かったと知って激怒し、病床から起きて参内、帝の前で関白を頼忠に譲り、兼家の右大将を奪う「最後の除目」を行って、まもなく亡くなった。

  1. 1このおとゞすべてこのおとゞすべてこのおとどすべて御心みこころ御心みこころみこころぞおはしましゝぞおはしましゝぞおわしましし。。。かばかりすゑたえずさかへおはしましけるかばかりすゑたえずさかへおはしましけるかばかりすえたえずさかえおわしましける東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのををを。。。ゆへなきことによりゆへなきことによりゆえなきことにより御おん御おんおんつかさつかさつかさ位くらゐ位くらゐくらいをををとりとりとり奉たてまつ奉たてまつたてまつまつりまつりまつり給たま給たまたまへりしへりしえりし。。。
  2. 2いかにあくじなりしかばいかにあくじなりしかばいかにあくじなりしかば。。。もやすからずおぼしめしけんもやすからずおぼしめしけんもやすからずおぼしめしけんををを。。。其その其そのそのおりのおりのおりの御門みかど御門みかどみかど圓融院ゑんゆうゐん圓融院ゑんゆうゐんえんゆういんにぞおはしましゝにぞおはしましゝにぞおわしましし。。。東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのかゝるなげきのよしかゝるなげきのよしかかるなげきのよしをををうたによみてうたによみてうたによみて奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりしかばへりしかばえりしかば。。。
  3. 3みかどのみかどのみかどの御おん御おんおんかへりかへりかえり。。。。。。しばししばししばし計けい計けいけいをををおぼしなげきしぞかしおぼしなげきしぞかしおぼしなげきしぞかし。。。
  4. 4ほりほりほり川がは川がはがわ殿どの殿どのどのはははてててはははわれわれわれうせうせうせ給たま給たまたまはんとてはんとてわんとてははは。。。關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくをばをばをば御おん御おんおん給たま給たまたましこそしこそしこそ。。。よよよ人ひと人ひとひといみじきいみじきいみじきひがとひがとひがとそしりそしりそしり申まう申まうもうしかしかしか。。。
  5. 5此この此このこのむかひむかひむかいをををるさぶらひのいふやうるさぶらひのいふやうるさぶらいのいうよう。。。東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどののつかさなどとりたてまつらせのつかさなどとりたてまつらせのつかさなどとりたてまつらせ給たま給たまたましししほどのとほどのとほどのとははは。。。ことはりとこそことはりとこそことわりとこそうけうけうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。をのれがおほぢおやをのれがおほぢおやおのれがおおじおやははは。。。
  6. 6かのかのかの殿どの殿どのどのののの年とし年としとしごろのものにてごろのものにてごろのものにて侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいしかばしかばしかば。。。こまかにこまかにこまかにうけうけうけ給たまは給たまはたまわりしりしりしははは。。。このこのこの殿との殿とのとのだちのあにおとゝのだちのあにおとゝのだちのあにおととの御おん御おんおん中なか中なかなか。。。としごろのつかさとしごろのつかさとしごろのつかさ位み位みみのののをををとりまさりのとりまさりのとりまさりのほどにほどにほどに。。。
  7. 7御おん御おんおん中なか中なかなかあしくてすぎさせあしくてすぎさせあしくてすぎさせ給たま給たまたましあひだにしあひだにしあいだに。。。ほりほりほり川がは川がはがわ殿どの殿どのどのやまひやまひやまいをもをもをもくならせくならせくならせ給たま給たまたまててて。。。今いま今いまいまはははかぎりにておはしましゝかぎりにておはしましゝかぎりにておわしまししほどにほどにほどに。。。をををふおとのすればふおとのすればふおとのすれば。。。
  8. 8御おん御おんおんまへにまへにまえに候さふら候さふらそうら人ひと人ひとひとだちだちだち。。。たれぞなどいふたれぞなどいふたれぞなどいう程ほど程ほどほどににに。。。東三條ひがしさんでう東三條ひがしさんでうひがしさんじょうののの大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのまいらせまいらせまいらせ給たま給たまたまととと人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうければければければ。。。殿どの殿どのどのきかせきかせきかせ給たま給たまたまててて。。。としごろなからいよからずしてすぎつるにとしごろなからいよからずしてすぎつるにとしごろなからいよからずしてすぎつるに。。。
  9. 9今いま今いまいまはははかぎりになりたるときゝてかぎりになりたるときゝてかぎりになりたるとききて。。。とぶらひにおはするにこそとぶらひにおはするにこそとぶらいにおわするにこそはははとてとてとて。。。おまへなるくるしきものとりやりおまへなるくるしきものとりやりおまえなるくるしきものとりやり。。。おとのごもりたるおとのごもりたるおとのごもりたる所ところ所ところところひきつくろひなどしてひきつくろひなどしてひきつくろいなどして。。。
  10. 10いれいれいれ奉たてまつ奉たてまつたてまつらむとてまちらむとてまちらむとてまち給たま給たまたまににに。。。はやくすぎてはやくすぎてはやくすぎてうちへまいらせうちへまいらせうちえまいらせ給たま給たまたまぬとぬとぬと人ひと人ひとひとののの申まう申まうもうににに。。。いとあさましくいとあさましくいとあさましく心こころ心こころこころうくてうくてうくて。。。おまへにおまへにおまえに候さふら候さふらそうら人々ひとびと人々ひとびとひとびともおこがましくおもふらんもおこがましくおもふらんもおこがましくおもうらん。。。
  11. 11おはしたらばおはしたらばおわしたらば關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくなどゆづるとなどなどゆづるとなどなどゆずるとなど申まう申まうもうさんとこそさんとこそさんとこそ思おも思おもおもひつるにひつるにいつるに。。。かゝればこそとしごろなからひよからでずぎつれかゝればこそとしごろなからひよからでずぎつれかかればこそとしごろなからいよからでずぎつれ。。。あさましくやすからぬあさましくやすからぬあさましくやすからぬ事こと事ことことなりとてなりとてなりとて。。。
  12. 12かぎりのさまにてかぎりのさまにてかぎりのさまにてふしふしふし給たま給たまたまへるへるえる人ひと人ひとひとののの。。。かきおこせとのかきおこせとのかきおこせとの給たま給たまたまへばへばえば。。。人〳〵ひとびと人〳〵ひとびとひとびとあやしとおもふあやしとおもふあやしとおもうほどにほどにほどに。。。車くるま車くるまくるまにさうぞくせよにさうぞくせよにそうぞくせよ。。。御前おまへ御前おまへおまえもよほせとおほせらるればもよほせとおほせらるればもよおせとおおせらるれば。。。
  13. 13物もの物ものもののつかせのつかせのつかせ給たま給たまたまへるかへるかえるか。。。うつしうつしうつし心こころ心こころこころはははなくておほせらるゝかとあやしくなくておほせらるゝかとあやしくなくておおせらるるかとあやしく見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる程ほど程ほどほどににに。。。御おん御おんおんかぶりめしよせてさうぞくなどせさせかぶりめしよせてさうぞくなどせさせかぶりめしよせてそうぞくなどせさせ給たま給たまたまてててうちへまいらせうちへまいらせうちえまいらせ給たま給たまたまててて。。。
  14. 14陣ぢん陣ぢんじんのののうちうちうちはははきんだちにかゝりてきんだちにかゝりてきんだちにかかりて。。。たきぐちのぢんのかたよりたきぐちのぢんのかたよりたきぐちのじんのかたより御前おまへ御前おまへおまえへへへまいらせまいらせまいらせ給たま給たまたまててて。。。給たま給たまたまへるにへるにえるに。。。
  15. 15御おん御おんおんざにざにざに東三條大將ひがしさんでうのだいしやう東三條大將ひがしさんでうのだいしやうひがしさんじょうのだいしょう御前おまへ御前おまへおまえににに候さふら候さふらそうら給程たまふほど給程たまふほどたまうほどなりけりなりけりなりけり。。。此この此このこの大將殿だいしやうどの大將殿だいしやうどのだいしょうどのははは堀川殿ほりかはどの堀川殿ほりかはどのほりかわどのすでにすでにすでにうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまぬときかせぬときかせぬときかせ給たま給たまたまててて。。。うちにうちにうちに關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの事こと事ことこと申まう申まうもうさんとさんとさんと思おも思おもおもひひい給たま給たまたまててて。。。
  16. 16このこのこの殿どの殿どのどのののの門もん門もんもんをををとととをををりてまいりてりてまいりてりてまいりて申まう申まうもう奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる程ほど程ほどほどににに。。。ほりほりほり川がは川がはがわ殿どの殿どのどののめのめのめをををつゞらかにさしいでてつゞらかにさしいでてつづらかにさしいでて給たま給たまたまへるにへるにえるに。。。みかどもみかどもみかども大將だいしやう大將だいしやうだいしょうもいとあさましくおぼしめすもいとあさましくおぼしめすもいとあさましくおぼしめす。。。
  17. 17大將だいしやう大將だいしやうだいしょうはははうちうちうち見み見みみるまゝにたちておにのまのかたにおはしぬるまゝにたちておにのまのかたにおはしぬるままにたちておにのまのかたにおわしぬ。。。關白殿くわんぱくどの關白殿くわんぱくどのかんぱくどの御おん御おんおんまへについゐまへについゐまえについい給たま給たまたまててて。。。御おん御おんおんけしきいとあしくてけしきいとあしくてけしきいとあしくて。。。さいごのさいごのさいごのをををこなひにまいりこなひにまいりこないにまいり侍はべ侍はべはべるなりとてるなりとてるなりとて。。。
  18. 18藏人頭くらうどのとう藏人頭くらうどのとうくろうどのとうめしてめしてめして關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにににははは賴忠よりただ賴忠よりただよりただのおとゞのおとゞのおとど。。。東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのののの大將だいしやう大將だいしやうだいしょうををを取と取ととててて。。。小一條こいちでう小一條こいちでうこいちじょう中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんををを大將だいしやう大將だいしやうだいしょうになしきこゆるになしきこゆるになしきこゆる宣旨せんじ宣旨せんじせんじ下くだ下くだくだしてしてして。。。東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのをばをばをばになしきこえていでさせになしきこえていでさせになしきこえていでさせ給たま給たまたまててて。。。ほどなくうせほどなくうせほどなくうせ給たま給たまたましぞかししぞかししぞかし。。。
  19. 19いぢにておはせしいぢにておはせしいじにておわせし殿どの殿どのどのにてにてにて。。。さばかりかぎりにおはせしにさばかりかぎりにおはせしにさばかりかぎりにおわせしに。。。ねたさにねたさにねたさにうちにまいりてうちにまいりてうちにまいりて申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまししし程ほど程ほどほど。。。ことことこと人ひと人ひとひとすべてもなかりしすべてもなかりしすべてもなかりし事こと事ことことぞかしぞかしぞかし。。。
  20. 20さればさればされば東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのつかさとりつかさとりつかさとり給たま給たまたまふふう事こと事ことことももも。。。ひたぶるにひたぶるにひたぶるにほりほりほり川がは川がはがわ殿どの殿どのどののののひざうのひざうのひぞうの御心みこころ御心みこころみこころにもにもにも侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。とのゆへとのゆへとのゆえはははかくなりかくなりかくなり。。。關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくははは次第ついで次第ついでついでのまゝにといふのまゝにといふのままにという御おん御おんおんふみおぼしめしよりふみおぼしめしよりふみおぼしめしより。。。
  21. 21御おん御おんおんいもいもいもうとのうとのうとの宮みや宮みやみやににに申まう申まうもうてとりてとりてとり給たま給たまたまへるもへるもえるも。。。さいごにおぼすさいごにおぼすさいごにおぼす事こと事ことことどもしてどもしてどもしてうせうせうせ給たま給たまたまへるへるえる程ほど程ほどほどももも。。。思おも思おもおもひひい侍はべ侍はべはべるにるにるに心こころ心こころこころづづづよくかしこくおはしましけるよくかしこくおはしましけるよくかしこくおわしましける殿どの殿どのどの也なり也なりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

この大臣(兼通)は、すべて非常識なお心をお持ちでいらっしゃった。これほど子孫が絶えず栄えていらっしゃる東三条殿(兼家)を、理由もないことで官位をお取り上げ申しなさったのは、どんなに悪事であったので、天道も心穏やかでなくお思いになったでしょうに。その時の帝は円融院でいらっしゃった。東三条殿がこのような嘆きの旨を長歌に詠んで差し上げなさったところ、帝の御返事に「稲舟の(しばし)」とおっしゃったので、しばらくは嘆いていらしたのですよ。

堀川殿は、最後に自分が亡くなろうとするときに、関白を従兄弟の頼忠の大臣にお譲りになったのを、世の人はひどい間違いだと非難申し上げた。

この向かいに座っている侍が言うことには、「東三条殿の官などをお取り上げ申しなさったときのことは、もっともなことと承りました。私の祖父・親は、あの殿(兼通)の長年の家人でございましたので、くわしく承ったところでは、この殿方の兄弟のお仲は、長年の官位の劣り勝りのことで、お仲が悪いまま過ごしていらしたあいだに、堀川殿のご病気が重くなられて、今はもうこれまでというご様子でいらしたときに、東の方で前駆の声がしたので、御前に控えている人たちが『誰か』などと言っているうちに、『東三条の大将殿がおいでになる』と人が申したので、殿がお聞きになって、『長年仲がよくなくて過ごしてきたが、今はもうこれまでになったと聞いて、見舞いにいらっしゃるのだな』と言って、御前の見苦しいものを片づけ、お休みになっている所を整えなどして、お入れ申し上げようとお待ちになっていたところ、『とっくに通り過ぎて内裏へ参上なさった』と人が申したので、たいそうあきれて情けなくて、『御前に控えている人々もばかげたことと思うだろう。いらしたら関白などを譲ることなどを申そうと思っていたのに。こうだからこそ長年仲がよくないまま過ごしてきたのだ。あきれた、心穏やかでないことだ』と言って、臨終の様子で臥していらっしゃった人が『抱き起こせ』とおっしゃるので、人々が妙だと思っているうちに、『車の支度をせよ。前駆を集めよ』とおっしゃるので、物の怪がおつきになったのか、正気ではなくておっしゃるのかと不思議に拝見しているうちに、冠を取り寄せて装束などをつけさせなさって、内裏へ参上なさって、陣の内は君たちに寄りかかって、滝口の陣の方から御前に参上なさって、昆明池の障子のもとに出ていらっしゃったところ、昼の御座に東三条の大将が御前に控えていらっしゃるところだった。この大将殿は、堀川殿がもうお亡くなりになったとお聞きになって、帝に関白のことを申し上げようとお思いになって、この殿の門を通って参上して申し上げているところに、堀川殿が目をぎょろりとさせて出ていらっしゃったので、帝も大将もたいそうあきれたことにお思いになる。大将は見るやいなや立って鬼の間の方にいらっしゃった。関白殿は御前に膝をついてお座りになって、ご機嫌がたいそう悪くて、『最後の除目を行いに参ったのです』と言って、蔵人頭を召して、関白には頼忠の大臣を(任じ)、東三条殿の大将を取って、小一条の済時の中納言を大将になし申し上げる宣旨を下して、東三条殿を治部卿になし申し上げて退出なさって、まもなくお亡くなりになったのですよ。

意地っ張りでいらっしゃった殿で、あれほど危篤でいらしたのに、ねたましさに内裏に参上して申し上げなさったことは、ほかの人では決してなかったことですよ。ですから、東三条殿の官をお取りになったことも、ひたすら堀川殿の非常識なお心からではございません。そのわけはこのとおりです。関白は順序のとおりにという御文をお思いつきになって、御妹の宮に申し上げてお取りになったことも、最後に思うことをしてお亡くなりになったことも、思いますに、気丈で賢くいらっしゃった殿なのです」

意訳

兼通と兼家の兄弟の確執の結末が語られる。世継は、兼通が理由もなく弟の官位を奪ったのは悪事であり、天もそれを許さなかったと言う。兼家は不遇を長歌に詠んで円融天皇に訴え、帝は「稲舟の」と、しばらく待てと答えた。

ここで若侍が「自分の祖父や親は兼通に仕えていたので、くわしく知っている」と語り出す。危篤の兼通は、門前を通る兼家の車の音を聞いて、見舞いに来たと思い、関白を譲ってもよいと考えて待っていた。ところが兼家はそのまま素通りして内裏へ向かった。兄の死を見越して、帝に関白の座を願い出に行ったのである。

激怒した兼通は、死の床から起き上がり、人に支えられて参内した。帝の前で関白を願い出ていた兼家は、死んだはずの兄が目をぎょろりとさせて現れたのを見て逃げ出した。兼通は「最後の除目」を行い、関白を従兄弟の頼忠に譲り、兼家の右大将を奪って治部卿に落とし、まもなく亡くなった。若侍は、兼通の行動は単なる非常識ではなく、気丈で賢い人だったからだと弁護する。兄弟の憎しみが、劇的な場面として鮮やかに描かれている。

語釈・文法注

ひざう
非常。常識外れなこと。
天道
天の道理。天の神。
ながうた
長歌。五七を繰り返して最後を五七七で結ぶ長い歌。
いなふねの
稲舟の。「最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」(古今集・東歌)をふまえ、「しばらく待て」の意を伝えたもの。
よりたゞのおとゞ
藤原頼忠。兼通の従兄弟。第21章参照。
さきをふ
前を追ふ。前駆が先払いの声を上げること。
こうめいしのさうじ
昆明池の障子。清涼殿の弘廂に立てられた、昆明池の絵を描いた衝立障子。
ひの御ざ
昼の御座。清涼殿の中の、天皇が日中いる座。
除目
官職を任命する儀式。
なりとき
藤原済時。師尹の子。第24章参照。
治部卿
治部省の長官。名目的な官で、右大将からの左遷であった。
心いぢ
意地っ張り、負けず嫌い。

文法

おぼしめしけんを
「けん」は過去推量、「を」は逆接。お思いになったろうに。
ひがとそしり申しか
「こそ〜しか」の係り結び。
おはするにこそはとて
「にこそは」の下に「あらめ」が省略。
申さんとこそ思ひつるに
「つる」は「こそ」の結び(本来は已然形)。
ずぎつれ
「こそ〜つれ」の係り結び。過ごしてきたのだ。
こと人すべてもなかりし事ぞかし
ほかの人には決してなかったことですよ。

解説

貞元二年(977)十月、兼通は死の直前に関白を頼忠に譲り、兼家の右大将の官を奪って済時に与え、兼家を治部卿に左遷した。兼通は翌月の十一月八日に亡くなった。兼家はこののち頼忠のもとで不遇の時期を過ごし、寛和二年(986)の花山天皇の出家(第8章)によって、ようやく摂政となった。

この話は、若侍が「祖父・親が兼通の家人だった」として語るもので、語り手が交代して真相を語るという『大鏡』の構成の巧みさを示している。

兼家が長歌を奉ったことは『拾遺集』に見え、円融天皇が「いなふねの」と返したことも伝わる。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、579〜582頁(コマ305–307)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日