大鏡 第46章
朝光と北の方
兼通の子朝光(閑院大将)は、父の存命中に兄顕光を越えて出世し、容姿も心ばえもすぐれた華やかな人で、水晶の筈の胡籙を考案した。しかし父の死後は衰え、大将も辞して四十五歳で亡くなった。娘は花山天皇に入内したが、一か月ほどで寵愛を失って退出した。朝光は美しく高貴な本妻を捨てて、財産目当てに年上の醜い女と結婚し、その女は大将を手厚くもてなしたので、世間の評判を落とした。世継は「翁でもそんなことはしない」と笑う。
- 1又又また堀川堀川ほりかわののの攝政攝政せっしょう殿殿どのののの御御おん次郎次郎じろう兵部卿兵部卿ひょうぶきょう。。。このこのこの親王親王しんのうののの御御おんむすめのむすめのむすめのはらのはらのはらの君君きみ。。。中宮中宮ちゅうぐうののの御御おんひとつはらにひとつはらにひとつわらにはははおはせずおはせずおわせず。。。これこれこれははは又又また閑院左大將閑院左大將かんいんのさだいしょう申申もうしてしてして。。。
- 2父父ちちおとゞのおはしましゝおりおとゞのおはしましゝおりおとどのおわしまししおり。。。このかみのこのかみのこのかみの大臣大臣だいじん宰相宰相さいしょうにておはしけるにておはしけるにておわしけるほどにほどにほどに。。。このこのこの殿殿どのははは中納言中納言ちゅうなごんにておはしけるにておはしけるにておわしける。。。ひきこされひきこされひきこされ給給たまけるぞめでたくけるぞめでたくけるぞめでたく。。。
- 3其其そのころなどすべていみじかりしころなどすべていみじかりしころなどすべていみじかりし御御おんよおぼえにてよおぼえにてよおぼえにて。。。かたちもかたちもかたちも心心こころもすぐれもすぐれもすぐれ給給たまへりへりえり。。。御御おんまじらひのまじらひのまじらいのほどなどとのほどなどとのほどなどとのほかにきらめきほかにきらめきほかにきらめき給給たまききき。。。のののののの。。。
- 4此此この殿殿どののおもひよりしいでのおもひよりしいでのおもいよりしいで給給たまへるなりへるなりえるなり。。。なにごとのなにごとのなにごとの行幸行幸ぎょうこうにつかうまつりにつかうまつりにつこうまつり給給たまへりしにへりしにえりしに。。。このやなぐひこのやなぐひこのやなぐいをををひひひ給給たまへりしへりしえりしははは。。。あさあさあさ日日ひのののひかりにかゞやきてさるめでたきひかりにかゞやきてさるめでたきひかりにかがやきてさるめでたき事事ことやけやけやけ侍侍さぶらいししし。。。
- 5いまいまいまはははめなれにたればめづらしからずめなれにたればめづらしからずめなれにたればめずらしからず人人ひともおもひてもおもひてもおもいて侍侍しぞぞぞ。。。なになになに事事ことにつけてもにつけてもにつけてもはははなやかにもていでさせなやかにもていでさせなやかにもていでさせ給給たまへりしとのゝへりしとのゝえりしとのの。。。ちゝどのゝうせちゝどのゝうせちちどののうせ給給たまにしかばにしかばにしかば。。。
- 6世世よののの中中なかおとろへなどしておとろへなどしておとろえなどして。。。御御おんやまひもおもくてやまひもおもくてやまいもおもくて大將大將だいしょうもじゝもじゝもじし給給たまてしこそくちおしかりしかてしこそくちおしかりしかてしこそくちおしかりしか。。。さてたゞさてたゞさてただとぞとぞとぞ聞聞きこえさせしえさせしえさせし。。。和歌和歌わかなどこそいとおかしくあそばしゝかなどこそいとおかしくあそばしゝかなどこそいとおかしくあそばししか。。。四十五四十五しじゅうごにてにてにてうせうせうせ給給たまにきにきにき。。。
- 7北北きた方方かたにににははは貞觀殿貞觀殿じょうがんでんののの内侍内侍ないしのかみののかみののかみの御御おんははは式部卿式部卿しきぶきょうののの宮宮みやののの御御おんひめぎみひめぎみひめぎみぞぞぞおはせしかしおはせしかしおわせしかし。。。そのそのその御御おんはははらにおとこらにおとこらにおとこ君君きみ三人三人さんにんのかゞやくとなるおはせしのかゞやくとなるおはせしのかがやくとなるおわせし。。。
- 8花山院花山院かざんいんののの御時御時おおんときにまいらせにまいらせにまいらせ給給たまててて。。。一月一月いちがつばかりいみじうばかりいみじうばかりいみじゅう時時ときめかせめかせめかせ給給たましししををを。。。いかにしてけるとにかありけんいかにしてけるとにかありけんいかにしてけるとにかありけん。。。まうのぼりまうのぼりもうのぼり給事給事たまうこともとゞまりもとゞまりもとどまり。。。みかどもわたらせみかどもわたらせみかどもわたらせ給事給事たまうこととたえてとたえてとたえて。。。
- 9御御おんふみだにみえきこえずなりにしかばふみだにみえきこえずなりにしかばふみだにみえきこえずなりにしかば。。。一二月一二月にがつさぶらひわびてこそさぶらひわびてこそさぶらいわびてこそははは出出いださせさせさせ給給たまにしかにしかにしか。。。またさあさましかりしとやまたさあさましかりしとやまたさあさましかりしとやはははありしありしありし。。。御御おんかたちなどのよのつねならずおかしげにておぼしなげくかたちなどのよのつねならずおかしげにておぼしなげくかたちなどのよのつねならずおかしげにておぼしなげく見見み奉奉たてまつりりり給給たま。。。
- 10ちゝのちゝのちちの大將大將だいしょう御御おんせうとのせうとのしょうとの君君きみだちいかゞだちいかゞだちいかがはははおぼしけんおぼしけんおぼしけん。。。そのそのその御御おんひとつばらのおとこひとつばらのおとこひとつばらのおとこ君君きみ三三みところところところ。。。太郎太郎たろう君君きみはははいまのといまのといまのとううう中納言中納言ちゅうなごん卿卿きょうにおはすめりにおはすめりにおわすめり。。。
- 11人人ひとにおもくおもはれにおもくおもはれにおもくおもわれ給給たまへりへりえり。。。二二に郎郎ろう三郎三郎さぶろう君君きみはははむまのかみむまのかみむまのかみ少將少將しょうしょうなどにてみななどにてみななどにてみな出家出家しゅっけしつつうせしつつうせしつつうせ給給たまにきにきにき。。。このむまのこのむまのこのむまの入道入道にゅうどうののの御御おんをををのこなりのこなりのこなり。。。今今いまののの右京右京うきょうののの大夫大夫たいうははは。。。
- 12このこのこの閑院閑院かんいんののの大將殿大將殿だいしょうどのははは。。。のちにのちにのちにはははこのこのこの君達君達きんだちのののはははゝゝはをばをばをばさりてさりてさりて。。。びびびはははののの大納言大納言だいなごん卿卿きょうのののうせうせうせ給給たまにしのちにしのちにしのち。。。そのそのそのうへのとしうへのとしうえのとし老老おてかたちなどわろくおはしけるにやてかたちなどわろくおはしけるにやてかたちなどわろくおわしけるにや。。。
- 13ことなることなることなる事事こときこえきこえきこえ給給たまはざりしはざりしわざりしをぞをぞをぞすみすみすみ給給たまししし。。。給給たまへるとぞへるとぞえるとぞ世人世人よいと申申もうししし。。。さてよおぼえもおとりさてよおぼえもおとりさてよおぼえもおとり給給たまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。もとのもとのもとのうへうへうえ御御おんかたちもいとかたちもいとかたちもいとうつくしくうつくしくうつくしく。。。
- 14人人ひとののの程程ほどもやむごとなくおはしましゝかどもやむごとなくおはしましゝかどもやむごとなくおわしまししかど。。。。。。かゝるいまかゝるいまかかるいま北北きた方方かたをををまうけてさりまうけてさりもうけてさり給給たまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。
- 15此此この今今いまのののうへのうへのうえの御御おんもとにもとにもとにははは。。。女房女房にょうぼう卅人卅人さんじゅうにん。。。えもいはずさうぞきてすへならべてえもいはずさうぞきてすへならべてえもいわずそうぞきてすえならべて。。。しつらひありさまよりしつらひありさまよりしつらいありさまよりはじめてめでたくしたてゝはじめてめでたくしたてゝはじめてめでたくしたてて。。。
- 16かしづききこゆるとかしづききこゆるとかしずききこゆると限限かぎりなしりなしりなし。。。大將大將だいしょうありきてかへりありきてかへりありきてかえり給給たまおりおりおりははは。。。冬冬ふゆははは火火ひおほらかにおほらかにおおらかにうづみてうづみてうずみて。。。たきものおほきにつくりてたきものおほきにつくりてたきものおおきにつくりて。。。をををきてけにきてけにきてけに着着き給給たま御御おんぞぞぞをばをばをば。。。
- 17あたゝかにてぞきせあたゝかにてぞきせあたたかにてぞきせ奉奉たてまつりりり給給たま。。。ひさげひさげひさげ廿廿にじゅう計計けいをををすへてすへてすえて。。。さま〴〵さま〴〵さまざまのくすりのくすりのくすりをををきならべてまいりきならべてまいりきならべてまいり給給たま。。。又又またねねね給給たまふたゝみのふたゝみのうたたみのうううはははむしろにむしろにむしろに。。。
- 18わたいれてぞしかせたてまつらせわたいれてぞしかせたてまつらせわたいれてぞしかせたてまつらせ給給たま。。。ねねね給給たまふときにふときにうときにはははおほきなるのしもちたるおほきなるのしもちたるおおきなるのしもちたる女房女房にょうぼう三四人三四人しにん計計はかいできていできていできて。。。かのおとのごもるむしろかのおとのごもるむしろかのおとのごもるむしろをばをばをばあたゝかにのしなでゝぞねさせあたゝかにのしなでゝぞねさせあたたかにのしなでてぞねさせ奉奉たてまつりりり給給たま。。。
- 19あまりなるあまりなるあまりなる御御おんようゐなりしかばようゐなりしかばよういなりしかば。。。おおおほかたのしつらひありさまほかたのしつらひありさまほかたのしつらいありさま。。。女房女房にょうぼうのさうぞくなどのさうぞくなどのそうぞくなどはははめでたけれどもめでたけれどもめでたけれども。。。このこのこの北北きた方方かたはははのののきぬきぬきぬのののわたわたわたあつきあつきあつきふたつふたつふたつ計計ばかりににに。。。
- 20しろばかまうちきてぞおはしけるしろばかまうちきてぞおはしけるしろばかもうちきてぞおわしける。。。としとしとし四十四十しじゅうよよよ計計ばかりなるなるなる人人ひとののの。。。大將大將だいしょうにににはははをやをやをやばかりぞおはしけるばかりぞおはしけるばかりぞおわしける。。。いろくろくていろくろくていろくろくてひたいにひたいにひたいにはははながたうちつきてながたうちつきてながとうちつきて。。。
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- 22さばかりのさばかりのさばかりの人人ひとののの北北きた方方かたととと申申もうべくもみへざりけれどべくもみへざりけれどべくもみえざりけれど。。。もとのもとのもとの北北きた方方かたしげあきらのしげあきらのしげあきらの式部卿式部卿しきぶきょうののの宮宮みやののの姫宮姫宮ひめみや。。。ちやうくちやうくちょうくはははんでんのんでんのんでんの内侍内侍ないしのかみののかみののかみの御腹御腹みわら。。。
- 23やむやむやむ事事ことなきなきなき人人ひとととと申申もうながらながらながら。。。かたちありさまめでたくおはしけるにかたちありさまめでたくおはしけるにかたちありさまめでたくおわしけるに。。。かゝるかゝるかかる人人ひとにおぼしうつりてさりたてまつらせにおぼしうつりてさりたてまつらせにおぼしゅうつりてさりたてまつらせ給給たまけんけんけんほどおもひほどおもひほどおもい侍侍はべ。。。
- 24たゞとくのありてかくもてかしづきゝこゆるにたゞとくのありてかくもてかしづきゝこゆるにただとくのありてかくもてかしずききこゆるに思思おもひのおはしけるにやひのおはしけるにやいのおわしけるにや。。。やむごとなきやむごとなきやむごとなき人人ひとだにこそかくだにこそかくだにこそかくはははおはしけれおはしけれおわしけれ。。。
- 25あはれおきならがあはれおきならがあわれおきならが心心こころにだににだににだに。。。いみじきたからいみじきたからいみじきたからをををふらしてあつかふらしてあつかふらしてあつかはははんといふんといふんという人人ひとありともありともありとも。。。としごろのとしごろのとしごろの女女おんなどもどもどもをををうちすてゝまからんうちすてゝまからんうちすててまからんははは。。。いとおかしかりぬべきにいとおかしかりぬべきにいとおかしかりぬべきに。。。
- 26さばかりにやむごとなくおはしますさばかりにやむごとなくおはしますさばかりにやむごとなくおわします人人ひとははは。。。ふがふがふがうにおはすといふともうにおはすといふともうにおわすというとも。。。おきながやどりのやうにおきながやどりのやうにおきながやどりのように侍侍はべらんやらんやらんやははは。。。此此このいまいまいま北北きた方方かたとによのとによのとによの人人ひとにもかろくおもはれにもかろくおもはれにもかろくおもわれ。。。
- 27よおぼえもおとりよおぼえもおとりよおぼえもおとり給給たまわらしらしらし。。。いとくちおしきとにいとくちおしきとにいとくちおしきとに侍侍さぶらいややや。。。さばかりのさばかりのさばかりの事事ことおぼしわかぬやうおぼしわかぬやうおぼしわかぬよう侍侍はべべしやべしやべしや。。。あやしのあやしのあやしの翁翁おきならがらがらが心心こころにおとらせにおとらせにおとらせ給給たまはんやはんやわんやはははととと思思おもひひい給給たまれどれどれど。。。
- 28くちおしくくちおしくくちおしく思思おもひひい給給たまふるふるうる事事ことなりしかばなりしかばなりしかば申申もうぞやとてぞやとてぞやとて。。。ほほほをををゑむけしきゑむけしきえむけしきはづかしげなりはづかしげなりはずかしげなり。。。さばかりのさばかりのさばかりの人人ひとだにかくおはしましければだにかくおはしましければだにかくおわしましければ。。。それよりそれよりそれよりつぎ〳〵つぎ〳〵つぎつぎののの人人ひとのいかなるのいかなるのいかなるふるまひもせんとはりなりやふるまひもせんとはりなりやふるまいもせんとわりなりや。。。
- 29おきならおきならおきなら心心こころちのとしちのとしちのとし頃頃ごろあやしのやどりにあやしのやどりにあやしのやどりに。。。わりなきよわりなきよわりなきよをををねんじすごしてねんじすごしてねんじすごして侍侍はべつるこそありがたくおぼえつるこそありがたくおぼえつるこそありがたくおぼえ侍侍はべつれつれつれ。。。心心こころよくうちすみたりしかほけしきこそいとおかしかりしかよくうちすみたりしかほけしきこそいとおかしかりしかよくうちすみたりしかおけしきこそいとおかしかりしか。。。
- 30さてさてさて時〳〵時〳〵ときどきもとのもとのもとのうへのうへのうえの御御おんもとへおはしまさんとてもとへおはしまさんとてもとえおわしまさんとて。。。牛牛うしかいかひかひかい車車くるまぞぞぞひなどにひなどにひなどに。。。そなたへそなたへそなたえ車車くるまをやをやをやれとておほせられけれどさらにきかざりけりれとておほせられけれどさらにきかざりけりれとておおせられけれどさらにきかざりけり。。。
- 31此此この今今いま北北きた方方かたさぶらひざうしきずいじんくるまぞさぶらひざうしきずいじんくるまぞさぶらいぞうしきずいじんくるまぞひなどにひなどにひなどに。。。さうぞくものとらするさうぞくものとらするそうぞくものとらする事事ことはははさるものにてさるものにてさるものにて。。。日日ひごとにさけごとにさけごとにさけをををいだしてのませあそばせいだしてのませあそばせいだしてのませあそばせ。。。
- 32いみじきいみじきいみじき心心こころざしどもをしけるざしどもをしけるざしどもおしける。。。そのけにやかくしけるそのけにやかくしけるそのけにやかくしけるををを。。。それそれそれ又又またいとあやしきいとあやしきいとあやしき御心御心みこころ也也なりややや。。。ざうしきざうしきぞうしきうしかひうしかひうしかいののの心心こころににに任任まかせてせてせて。。。それによりてえおはしまさゞりけんよそれによりてえおはしまさゞりけんよそれによりてえおわしまさざりけんよ。。。
- 33さることやさることやさることやははは侍侍さぶらいななな。。。さばさばさば此此この大將大將だいしょうははは御心御心みこころばへもかたちもばへもかたちもばえもかたちも人人ひとにすぐれてめでたくおはせしにすぐれてめでたくおはせしにすぐれてめでたくおわせし人人ひと也也なり。。。
- 34又又またほりほりほり川川がわどのゝどのゝどのの御子御子みこ大藏卿大藏卿おおくらきょう。。。御御おんむすめむすめむすめ源帥殿源帥殿げんそちどのののの御御おんなかのなかのなかの君君きみののの御御おんはははらのぞかしらのぞかしらのぞかし。。。今今いまののの皇太后宮皇太后宮こうたいごうぐうのみくしげのみくしげのみくしげ殿殿どのとてさぶらひとてさぶらひとてさぶらい給給たま。。。
- 35たゞたゞただ今今いまののの左兵衞督左兵衞督さひょうえのかみののの北北きた方方かた。。。またかんづけのさきのかみかねさだのまたかんづけのさきのかみかねさだのまたかんずけのさきのかみかねさだの君君きみぞかしぞかしぞかし。。。まとやまとやまとや北面北面ほくめんののの中納言中納言ちゅうなごんとかやよにとかやよにとかやよに人人ひとののの申申もうしししははは。。。卿卿きょうそれそれそれ。。。
- 36又又また右京右京うきょうのかみにておはせしのかみにておはせしのかみにておわせし。。。このこのこの右京右京うきょうのかみののかみののかみの御子御子みこぞかしぞかしぞかし。。。今今いまののの仁和寺別當仁和寺別當にんなじのべっとうりつしえんせいりつしえんせいりつしえんせい君君きみ。。。ほりほりほり川川がわ殿殿どのののの御御おんすゑかばかりかすゑかばかりかすえかばかりか。。。
現代語訳
また、堀川の摂政殿(兼通)の御次男は、兵部卿有明親王の御娘の腹の君で、中宮(媓子)とは同じ腹ではいらっしゃらない。これは閑院の左大将朝光と申し上げて、父の大臣がご存命だったとき、兄の大臣(顕光)が宰相でいらしたころに、この殿は中納言でいらっしゃった。(兄を)越えなさったのはめでたく、そのころなどはすべてたいそうな世の評判で、容姿も心ばえもすぐれていらっしゃった。宮仕えのさまなども格別に華やいでいらっしゃった。胡籙の水晶の筈も、この殿が思いついて作り出しなさったのである。何かの行幸にお仕えになったときに、この胡籙を背負っていらしたのは、朝日の光に輝いて、あれほどすばらしいことがございましたかなあ。今は見慣れてしまったので、珍しくもないと人も思っておりますよ。何事につけても華やかに振る舞っていらっしゃった殿が、父殿がお亡くなりになってしまったので、世の中の勢いも衰えなどして、ご病気も重くなって大将も辞任なさったのは残念でした。そうしてただ藤大納言と申し上げた。和歌などはたいそう趣深くお詠みになった。四十五でお亡くなりになった。
北の方には、貞観殿の尚侍(登子)の御腹の、重明式部卿の宮の中の姫君がいらっしゃったのですよ。その御腹に男君三人、女君で(評判の)輝くばかりの方がいらした。花山院の御時に入内させなさって、一か月ほどたいそうご寵愛を受けなさったのを、どうしたことであったのか、参上なさることもとまり、帝もお渡りになることが途絶えて、お手紙さえ見えも聞こえもしなくなったので、一、二か月控えあぐねて退出させなさったのでした。またあれほどあきれたことがあったでしょうか。ご容貌なども世の常でなくかわいらしくて、(女御が)嘆いていらっしゃるのを見申し上げなさって、父の大将や御兄の君たちはどうお思いになったでしょう。その同じ腹の男君三人。長男は今の頭中納言朝経の卿でいらっしゃるようです。人に重んじられていらっしゃる。次男・三男は馬頭・少将などで、みな出家しつつお亡くなりになった。今の右京大夫は、この馬頭入道の御子である。
この閑院の大将殿は、のちにはこの君たちの母(本妻)を離縁して、枇杷の大納言延光の卿が亡くなったのち、その北の方で年老いて容姿なども悪くいらしたのでしょうか、別段の評判もなかった人のもとにお通いになった。財産につきなさったのだと世の人は申した。そうして世の評判も落ちなさったのですよ。もとの北の方はご容貌もたいそう美しく、人の家柄も高貴でいらっしゃったが、貧しくていらっしゃるというので、このような今の北の方を迎えて離縁なさったのですよ。
この今の北の方のもとには、女房三十人ほどにも唐衣を着せて、言いようもなく装わせて並ばせ、しつらいの様子から始めてすばらしく整えて、大切にお世話申し上げることは限りない。大将が外出から帰りなさるときは、冬は火をたっぷり埋めて、薫物を大きく作って、伏籠を置いて(香を焚きしめ)、ふだんお召しになる御衣を温めてお着せ申し上げなさる。炭櫃に銀の提子を二十ほど据えて、さまざまの薬を置き並べて差し上げなさる。またお休みになる畳の上筵には綿を入れて敷かせ申し上げなさった。お休みになるときには、大きな火のしを持った女房が三、四人ほど出てきて、そのお休みになる筵を温かく火のしで撫でてからお寝かせ申し上げなさった。あまりの心づかいだったので、だいたいのしつらいの様子や女房の装束などはすばらしかったけれど、この北の方は練色の衣の綿の厚いもの二枚ほどに、白袴をはいていらっしゃった。年は四十余りほどの人で、大将には親ほどでいらっしゃった。色が黒くて額には皺が寄って、髪は縮れていらっしゃった。ご容貌のほどを思い知って、それに合った装束とお思いになったのでしょうか。本当にそのご装束こそ容貌に合って見えた。あれほどの人の北の方と申し上げるべくも見えなかったが、もとの北の方は重明式部卿の宮の姫宮で、貞観殿の尚侍の御腹、高貴な人であるうえに、容貌や様子もすばらしくていらしたのに、このような人にお心を移して離縁申し上げなさったとは、どんなことかと思います。ただ財産があって、このようにもてなしお世話申し上げることに、思い(愛情)がおありになったのでしょうか。高貴な人でさえこうでいらっしゃったのですよ。
ああ、翁どもの心でさえ、たいへんな宝を降らせて世話しようと言う人があっても、長年の女どもを捨てて行くのは、たいへんおかしなことでしょうに、あれほど高貴でいらっしゃる人は、貧しくいらっしゃるといっても、翁の住まいのようでございましょうか。この今の北の方のことで世の人にも軽く思われ、世の評判も落ちなさったようです。たいへん残念なことでございますよ。それほどのことをわきまえなさらないことがございましょうか。卑しい翁どもの心に劣りなさることがあろうかと思いますが、残念に存じますことだったので申し上げるのですよ」と言って、ほほえむ様子は気恥ずかしくなるほどである。あれほどの人でさえこのようでいらっしゃったのだから、それより下々の人がどんなふるまいをするのも、もっともなことですよ。翁らが、長年の卑しい住まいで、苦しい世をこらえて過ごしてまいりましたことこそ、めったにないことと思われます」と、気持ちよく澄ましていた顔つきは、たいそうおかしかった。
さて、(大将が)ときどきもとの北の方のもとへいらっしゃろうとして、牛飼いや車副などに「そちらへ車をやれ」とおっしゃったけれど、まったく聞かなかった。この今の北の方が、侍・雑色・随身・車副などに装束の物を与えることはもちろんのこと、毎日酒を出して飲ませ遊ばせ、たいへんな心づかいをしていた。そのせいでしょうか、そうしたのを(大将が許したのは)、それもまたたいそう妙なお心ですなあ。雑色や牛飼いの心に任せて、それによっていらっしゃれなかったのでしょうよ。そんなことがありましょうか。それでもこの大将は、お心ばえも容姿も人にすぐれてすばらしくいらした人である。
また堀川殿の御子で大蔵卿正光と申し上げた方が(いて)、御娘は源帥殿(源伊陟か)の中の君の御腹の方ですよ。今の皇太后宮の御匣殿としてお仕えしていらっしゃる。今の左兵衛督の北の方。また上野の前司兼定の君ですよ。「まとや北面の中納言」とか世の人が申したのは、時光の卿である。また右京大夫でいらっしゃった。この右京大夫の御子ですよ、今の仁和寺の別当律師延清の君は。堀川殿の御子孫はこれくらいでしょうか。
意訳
兼通の次男朝光は、父の威光で兄顕光を追い越して出世し、容姿も才能もすぐれた華やかな貴公子だった。胡籙の矢筈を水晶で飾る趣向は朝光の考案で、朝日に輝くその姿は評判になったという。しかし父の死後は勢いを失い、病もあって大将を辞し、四十五歳で亡くなった。
朝光の娘は花山天皇に入内したが、一か月ほどで寵愛を失い、手紙も来なくなって退出した。花山天皇の気まぐれに翻弄された女御の悲しみがにじむ。
この章の中心は、朝光の再婚の話である。朝光は、高貴で美しい本妻を「貧しいから」と離縁し、亡き延光の未亡人で、年上で色黒、額に皺のある裕福な女のもとに移った。その女は女房三十人に唐衣を着せ、帰宅した大将のために衣を温め、薬を並べ、夜具を火のしで温めて寝かせるという手厚さだった。世継は「翁でも長年の妻を捨てて財産に走ることはしない」と言い、ほほえむ。家来たちまで酒や装束で手なずけられ、大将が本妻のもとへ行こうとしても車を出さなかったという話には、皮肉なおかしみがある。
語釈・文法注
- 兵部卿ありあきら
- 有明親王(910〜961)。醍醐天皇の皇子。兵部卿。
- あさみつ
- 藤原朝光(951〜995)。兼通の次男。大納言・左大将。閑院大将と呼ばれた。歌人。
- やなぐひ
- 胡籙。矢を入れて背負う武具。
- すひさう
- 水晶(すいしょう)。
- はず
- 筈。矢の末端の、弦にかける部分。
- 藤大納言
- 藤原氏の大納言の通称。
- なかひめぎみ
- 中の姫君。重明親王の娘。
- 女君
- 藤原姚子。朝光の娘。花山天皇の女御。
- ともつね
- 藤原朝経(973〜1029)。朝光の子。権中納言。
- のぶみつの卿
- 源延光。枇杷大納言。第17章参照。
- とく
- 徳。財産。
- ふかう
- 不幸。ここでは貧しいこと。
- からぎぬ
- 唐衣。女房の正装の上着。
- ふせご
- 伏籠。香炉の上にかぶせ、衣を掛けて香を焚きしめる籠。
- すびつ
- 炭櫃。火鉢。
- のし
- 火熨斗。炭火を入れて布のしわを伸ばす道具。
- ねりいろ
- 練色。薄い黄みを帯びた白。
- まさみつ
- 藤原正光(957〜1014)。兼通の子。大蔵卿。
- ときみつ
- 藤原時光(948〜1015)。兼通の子。中納言。
文法
- ひきこされ給けるぞめでたく
- (兄を)越えなさったのはめでたく。
- じゝ給てしこそくちおしかりしか
- 「辞し給ひてし」。「こそ〜しか」の係り結び。
- とにかありけん
- ことであったのだろうか。
- とやはありし
- 「やは」は反語。ことがあっただろうか。
- 侍らんやは
- 「やは」は反語。ございましょうか、いやございますまい。
- えおはしまさゞりけんよ
- 「え〜ず」は不可能。いらっしゃれなかったのだろうよ。
解説
朝光は兼通の生前、兄顕光より先に中納言・大納言となった。兼通の死後は兼家の世となって勢いを失い、長徳元年(995)の疫病で亡くなった。
朝光の再婚相手は、源延光の妻だった女性で、裕福だったと伝えられる。高貴な本妻を捨てて裕福な未亡人のもとに移った朝光の話は、平安貴族の経済事情を伝える話としても興味深い。
この段は世継の語りの中に繁樹の言葉が入りまじるような書き方で、どこまでが誰のことばかははっきりしない。このページの訳は一つの解釈である。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、575〜579頁(コマ303–305)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日