大鏡 第48章
為光と誠信
師輔の九男為光(法住寺殿)は太政大臣となり、五十一歳で亡くなった。娘の忯子は花山天皇の寵愛を受けたが懐妊中に亡くなった。長男の誠信は、大納言の欠員に弟の斉信に「望まないでくれ」と頼み、承諾を得たのに、道長の推しで斉信が大納言になったため、「斉信・道長にだまされた」と恨み、拳を握りしめたまま七日で死んだ。爪が手の甲まで突き抜けていたという。ほかに酒豪の誠信の失敗、歌人道信、法住寺の造営などが語られる。
- 1太政大臣太政大臣だいじょうだいじん光光ひかり
- 2是是これ九條九條くじょう殿殿どのののの御御おん九郎君九郎君くろうぎみ。。。大臣大臣だいじん位位くらいにてにてにて七年七年しちねん。。。のおとゞとのおとゞとのおとどと聞聞きこえさすえさすえさす。。。正曆正曆しょうりゃく三年三年さんねん六月六月ろくがつ十六日十六日じゅうろくにちにににうせうせうせ給給たまにきにきにき。。。御年御年おおんとし五十一五十一ごじゅういち。。。のちののちののちの御御おんいみないみないみなととと申申もうききき。。。
- 3御子御子みこおとこおとこおとこ七人七人しちにん。。。五人五人ごにんおはしきおはしきおわしき。。。女女おんな二所二所ふたところはははすけまさのすけまさのすけまさの兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの御御おんいもいもいもうとのうとのうとのはらはらはら。。。今今いま三所三所みところははは一條攝政一條攝政いちじょうのせっしょうののの御御おんむすめのむすめのむすめのはらにおはしますはらにおはしますはらにおわします。。。
- 4おとこおとこおとこ君君きみだちのだちのだちの御母御母みわわみなあみなあみなあかれ〳〵かれ〳〵かれかれにおはしましにおはしましにおわしまし。。。女君女君おんなぎみ一一ひとところところところははは花山院花山院かざんいんののの御時御時おおんときののの女御女御にょうご。。。いみじうときにおはせしいみじうときにおはせしいみじゅうときにおわせしほどにほどにほどに。。。御子御子みこはははらませらませらませ給給たまてやつきにててやつきにててやつきにてうせうせうせ給給たまにきにきにき。。。今一今一いまいととゝころとゝころとところははは入道中納言入道中納言にゅうどうちゅうなごんののの北北きた方方かたにてにてにてうせうせうせ給給たまにきにきにき。。。
- 5男君男君おとこぎみ太郎太郎たろうははは左衞門督左衞門督さえもんのかみ。。。三十八三十八さんじゅうはちにてにてにて心心こころおこしておこしておこしてうせうせうせ給給たまにしありさまにしありさまにしありさまははは。。。いとあさましかりしいとあさましかりしいとあさましかりし事事ことぞかしぞかしぞかし。。。人人ひとにこえられからいめにこえられからいめにこえられからいめ見見みることることることははは。。。
- 6さのみこそおはしあるわざなるさのみこそおはしあるわざなるさのみこそおわしあるわざなるををを。。。さるべきにこそさるべきにこそさるべきにこそはははありけめありけめありけめ。。。おなじおなじおなじ宰相納言宰相納言さいしょうなごんにおはすなどにおはすなどにおわすなど。。。弟弟おとうとにににははは人人ひとがらよおぼえのおとりがらよおぼえのおとりがらよおぼえのおとり給給たまへればにやへればにやえればにや。。。
- 7大納言大納言だいなごんあくきあくきあくきはははににに。。。われもならんとおぼしてわれもならんとおぼしてわれもならんとおぼして。。。わざとたいめしわざとたいめしわざとたいめし給給たまひてひていて。。。此此このたびのたびのたびの大納言大納言だいなごんのぞみのぞみのぞみ申給申給もうしたまななな。。。こゝにこゝにここに申申もう侍侍はべべきなりときこえべきなりときこえべきなりときこえ給給たまければければければ。。。
- 8いかでかいかでかいかでか殿殿どのののの御前御前おまえにににはははまかりなりまかりなりまかりなり侍侍はべらんらんらん。。。ましてかくましてかくましてかく仰仰おおせられけんにせられけんにせられけんにはははあるべきとならずとあるべきとならずとあるべきとならずと申給申給もうしたまければければければ。。。御心御心みこころゆきてしかゆきてしかゆきてしか覺覺おぼしていみじうしていみじうしていみじゅう申給申給もうしたまににに及及およばぬばぬばぬ程程ほどにやおはしけんにやおはしけんにやおわしけん。。。
- 9入道殿入道殿にゅうどうどの此此このおとゞにしぶげにおとゞにしぶげにおとどにしぶげに申給申給もうしたまけるにけるにけるに。。。そこそこそこははは申申もうされぬかとのされぬかとのされぬかとの給給たませければせければせければ。。。左衞門督左衞門督さえもんのかみののの申申もうさるればいかゞさるればいかゞさるればいかがはははとしぶげにとしぶげにとしぶげに申給申給もうしたまけるにけるにけるに。。。かのかのかの左衞門督左衞門督さえもんのかみはははえならじえならじえならじ。。。
- 10又又またそこにさらずばことそこにさらずばことそこにさらずばこと人人ひとこそこそこそはははなるべかめれとのなるべかめれとのなるべかめれとの給給たまはせければはせければわせければ。。。かのかのかの左衞門督左衞門督さえもんのかみまかりなるまじくばよしなしまかりなるまじくばよしなしまかりなるまじくばよしなし。。。たふべきなりとたふべきなりとたうべきなりと申給申給もうしたまへばへばえば。。。
- 11またかくあらんことまたかくあらんことまたかくあらんこと人人ひとはははいかでかとてなりいかでかとてなりいかでかとてなり給給たまにしにしにしををを。。。いかにわれにむかひてあるまじきよしいかにわれにむかひてあるまじきよしいかにわれにむかいてあるまじきよしをををいひていひていいてはははかりけるぞとおぼすにかりけるぞとおぼすにかりけるぞとおぼすに。。。いとゞいとゞいとどあくしんあくしんあくしんおこしておこしておこしてのののあしたあしたあしたよりよりよりてててをををつよくにぎりてつよくにぎりてつよくにぎりて。。。
- 12われわれわれははははははまれぬるぞといひいりてまれぬるぞといひいりてまれぬるぞといいいりて。。。物物ものもつゆまいらずうつもつゆまいらずうつもつゆまいらずうつぶし〳〵ぶし〳〵ぶしぶし給給たまへるへるえるほどにほどにほどに。。。やまひづきてやまひづきてやまいずきて七日七日なぬかといふにといふにというにうせうせうせ給給たまひしにひしにいしに。。。
- 13にぎりたまひたりけるおよびにぎりたまひたりけるおよびにぎりたまいたりけるおよびははは。。。てててうへにこそとうへにこそとうえにこそとをををりていでりていでりていで給給たまへりけれへりけれえりけれ。。。
- 14いみじきいみじきいみじきにてぞおはせしにてぞおはせしにてぞおわせし。。。故中關白殿故中關白殿こなかのかんぱくどののののひとゝせのひとゝせのひととせの臨時客臨時客りんじきゃくににに。。。あまりゑひてあまりゑひてあまりえいて御座御座ござにゐながらたちもあへにゐながらたちもあへにいながらたちもあえ給給たまはははででで。。。ものつきものつきものつき給給たまへるにこそへるにこそえるにこそ。。。
- 15かうかうこう名名なののの御屏風御屏風おおんびょうぶにかゝりてそこなはれたんなれにかゝりてそこなはれたんなれにかかりてそこなわれたんなれ。。。
- 16このこのこの大納言大納言だいなごんになりになりになり給給たまへるへるえるははは。。。いまのいまのいまの中宮大夫中宮大夫ちゅうぐうのだいぶたゞのぶのたゞのぶのただのぶの卿卿きょういとよおぼえありいとよおぼえありいとよおぼえあり。。。よきよきよき人人ひとにておはしきにておはしきにておわしき。。。又又また權中將權中將ごんのちゅうじょう和歌和歌わかののの上手上手じょうずにてにてにて。。。
- 17心心こころにくきものにいはれにくきものにいはれにくきものにいわれ給給たましししほどにほどにほどにうせうせうせ給給たまにきにきにき。。。又又またたゞたゞただ今今いまののの左衞門督左衞門督さえもんのかみ卿卿きょう。。。法住寺法住寺ほうじゅうじののの僧都僧都そうずのきみあざりののきみあざりののきみあざりの君君きみおはすおはすおわす。。。
- 18またまたまた一條攝政殿一條攝政殿いちじょうのせっしょうどのののの御御おんむすめのむすめのむすめのはらのはらのはらの女君女君おんなぎみだちだちだち。。。三四五三四五ごののの御方御方かたおはしますおはしますおわします。。。三三さんののの御方御方かたはははうへとてうへとてうえとて尼尼あまになりておはしますになりておはしますになりておわします。。。
- 19四四しののの御方御方かたははは今今いまののの入道殿入道殿にゅうどうどののぞくにおはしましゝのぞくにおはしましゝのぞくにおわしまししをををりのりのりの御子御子みこうみてうみてうみてうせうせうせ給給たまにきにきにき。。。五五ご君君きみははは今今いまののの皇后宮皇后宮こうごうぐうにさぶらはせにさぶらはせにさぶらわせ給給たま。。。このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御御おんありさまかくありさまかくありさまかく也也なり。。。
- 20たゞしたゞしただし法住寺法住寺ほうじゅうじをぞをぞをぞいといかめしういといかめしういといかめしゅうをををきてさせきてさせきてさせ給給たまへるへるえる。。。攝政關白攝政關白せっしょうかんぱくせさせせさせせさせ給給たまはぬはぬわぬ人人ひとののの御御おんしわざにてしわざにてしわざにてはははいとまうなりしいとまうなりしいともうなりし。。。このおとゞいとやむごとなくおはしましゝかどこのおとゞいとやむごとなくおはしましゝかどこのおとどいとやむごとなくおわしまししかど御御おんすゑほそくぞすゑほそくぞすえおそくぞ。。。
現代語訳
太政大臣為光
これは九条殿の九男。大臣の位に七年。法住寺の大臣と申し上げる。正暦三年六月十六日にお亡くなりになった。御年五十一。後の御諱を恒徳公と申し上げた。お子は男が七人、女君が五人いらっしゃった。女のお二人は佐理の兵部卿(敦敏の子の佐理)の御妹の腹、もう三人は一条摂政(伊尹)の御娘の腹でいらっしゃる。男君たちの御母はみな別々でいらっしゃって、女君のお一人は花山院の御時の女御(忯子)。たいそうご寵愛を受けていらしたころに、お子を宿されて、八か月でお亡くなりになった。もうお一人は入道中納言(義懐)の北の方としてお亡くなりになった。
男君の長男は左衛門督誠信と申し上げた方。三十八歳で悪心を起こしてお亡くなりになったありさまは、たいそうあきれたことでしたよ。人に越えられてつらい目を見ることは、そういうことばかりあることなのに、そうなるべき運命だったのでしょう。(弟の斉信と)同じ宰相・中納言でいらっしゃるなど(していたが)、弟よりは人柄や世の評判が劣っていらしたからでしょうか。大納言が空いたときに、自分もなろうとお思いになって、わざわざ(斉信と)対面なさって、「このたびの大納言はお望みになるな。私が申し出るつもりだ」と申し上げなさったので、(斉信は)「どうして殿の前に(越えて)なりましょう。ましてそのようにおっしゃったからには、あってはならないことです」と申し上げなさったので、(誠信は)満足して、そうお思いになって、たいして(自分を)推してもらう運動にも及ばないほどでいらしたのでしょうか。入道殿(道長)がこの大臣(斉信)に「あなたは申し出ないのか」とおっしゃったので、(斉信は)「左衛門督が申されるので、どうして(私が)」と気が進まないように申し上げたところ、(道長は)「あの左衛門督はなれないだろう。またあなたがならないなら、ほかの人がなるだろう」とおっしゃったので、(斉信は)「あの左衛門督がなれないのなら、つまらない。(それなら私が)なるべきです」と申し上げなさると、「ほかにこのようである人がどうしていよう」と言って、(斉信が大納言に)おなりになったのを、(誠信は)「どうして私に向かって(望まないと)あるまじきことを言ってだましたのか」とお思いになると、いっそう悪心を起こして、除目の朝から手を強く握りしめて、「私は斉信・道長にだまされたぞ」と言って奥に入って、ものも少しも召し上がらずうつ伏していらっしゃるうちに、病気になって七日目にお亡くなりになったが、握りしめていらした指(の爪)は、手の甲にまで突き抜けて出ていたのでした。
たいへんな酒好きでいらした。故中関白殿(道隆)のある年の臨時客で、ひどく酔って御座に座ったまま立つこともできず、物の怪がついたようになって、高名な弘高が描いた楽府の御屏風に寄りかかって、損ねてしまわれたそうです。
この大納言におなりになった方(斉信)は、今の中宮大夫斉信の卿で、たいそう世の評判がある。よい人でいらっしゃる。また権中将道信の君はすばらしい和歌の上手で、奥ゆかしい人と言われなさっていたうちにお亡くなりになった。また今の左衛門督公信の卿、法住寺の僧都の君、阿闍梨の君がいらっしゃる。
また一条摂政殿の御娘の腹の女君たち、三・四・五の御方がいらっしゃる。三の御方は鷹司殿の上(北の方)といって、尼になっていらっしゃる。四の御方は今の入道殿(道長)が俗人でいらしたころのお子を産んでお亡くなりになった。五の君は今の皇后宮(娍子)にお仕えしていらっしゃる。この大臣のご様子はこのようである。ただし法住寺をたいそう立派にお定め置きになった。摂政・関白をなさらない人のなさりようとしては、たいそう立派だった。この大臣はたいそう尊くていらっしゃったけれど、ご子孫は細くて(栄えなかった)。
意訳
師輔の九男為光は太政大臣まで上ったが、摂政・関白にはならず、子孫も振るわなかった。娘忯子は花山天皇に寵愛されたが懐妊中に亡くなり、それが花山天皇の出家のきっかけとなった(第8章)。
この章の中心は、長男誠信の悲劇である。大納言の欠員を前に、誠信は弟の斉信に「今回は望まないでくれ」と頼み、斉信も「兄を越えるなどとんでもない」と約束した。ところが道長に「誠信はなれない。ならないならほかの人がなる」と言われた斉信は、結局自分が大納言になった。だまされたと思った誠信は、除目の朝から拳を握りしめて「斉信と道長にだまされた」と言い、何も食べずに七日目に死んだ。握りしめた指の爪は手の甲まで突き抜けていたという。凄まじい怨念の描写である。
一方、大納言となった斉信は「よき人」と評され、道長の側近として栄えた。誠信の酒の上の失敗、早世した歌人道信のことなども語られ、為光の一族の明暗が描かれる。
語釈・文法注
- 太政大臣爲光
- 藤原為光(942〜992)。師輔の九男。太政大臣。法住寺を建てた。
- 恒德公
- 為光の諡。
- 女君一ところ
- 藤原忯子(969〜985)。為光の娘。花山天皇の女御。懐妊中に亡くなった。
- さねのぶ
- 藤原誠信(964〜1001)。為光の長男。参議・左衛門督。
- あく心
- 悪心。人を恨む心。
- たゞのぶ
- 藤原斉信(967〜1035)。為光の子。大納言・中宮大夫。一条朝の四納言の一人。
- ぢもく
- 除目。官職任命の儀式。
- 上戸
- 酒好き、酒に強い人。
- もろたか
- 巨勢弘高。宮廷の絵師。底本は「もろたか」。
- 樂府
- 楽府。ここでは白居易の新楽府などを題材にした屏風絵。
- みちのぶ
- 藤原道信(972〜994)。為光の子。歌人。
- きんのぶ
- 藤原公信(977〜1026)。為光の子。
- たかつかさどの
- 鷹司殿。ここでは鷹司殿と呼ばれた邸に住んだ人の北の方。
- 法住寺
- 為光が建てた寺。京都の東山七条付近にあった。
文法
- さのみこそおはしあるわざなるを
- そのようなことばかりあることなのに。
- あるべきとならず
- あってはならないことです。
- えならじ
- 「え〜じ」は不可能の推量。なれないだろう。
- なるべかめれ
- 「なるべかるめれ」の撥音便の無表記。なるだろう。
- はまれぬるぞ
- 「はめられぬるぞ」の意か。だまされたぞ。
- いで給へりけれ
- 「こそ〜けれ」の係り結び。
解説
誠信の死は長保三年(1001)九月、斉信が権大納言に任じられた直後のことで、『大鏡』のほか『古事談』などにも見える。
弟の斉信は道長の信任を得て大納言・中宮大夫となり、清少納言とも親しく、『枕草子』に「頭中将」としてしばしば登場する。
為光の娘のうち「四の御方」は道長との間に子を産んで亡くなったとされる。道長の妻としては倫子と明子が知られるが、ほかにも関係を持った女性がいたことを伝える記事である。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、582〜584頁(コマ307–308)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日