大鏡 第44章
兼通と母后の御文
師輔の次男兼通(堀川殿)は、弟兼家に官位で先を越されて不遇だったが、妹の中宮安子から「関白は兄弟の順に」と書いてもらった手紙をお守りのように首にかけていた。兄伊尹が亡くなると、その手紙を円融天皇に見せ、孝心の深い帝は母の遺言に従って兼通を関白とした。宰相から六年で関白・太政大臣に上り、五十三歳で亡くなった。紀貫之が袴着の祝いに詠んだ歌、紅梅をかざす姿、雉を食べた話なども語られる。
- 1太政大臣太政大臣だいじょうだいじん
- 2これこれこれ九條九條くじょう殿殿どのののの二二に郎郎ろうぎみぎみぎみ。。。ほりかほりかほりかはははののの攝政攝政せっしょうととと聞聞きこえさせきえさせきえさせき。。。攝政攝政せっしょうししし給事給事たまうこと六年六年ろくねん。。。安和安和あんな二年二年にねん正月正月しょうがつ七日七日なぬか宰相宰相さいしょうにならせにならせにならせ給給たま。。。閏閏うるうさつき五月五月ごがつ廿一日廿一日にじゅういちにち宮内卿宮内卿くないきょうとこそとこそとこそははは申申もうしかしかしか。。。
- 3天祿天祿てんろく二年二年にねん壬壬うるう二月二月にがつ廿九日廿九日にじゅうくにち中納言中納言ちゅうなごんにならせにならせにならせ給給たまててて。。。大納言大納言だいなごんをばをばをばへでへでへで十一月十一月じゅういちがつ廿七日廿七日にじゅうしちにち内大臣内大臣ないだいじんにならせにならせにならせ給給たま。。。いとめでたかりしとぞいとめでたかりしとぞいとめでたかりしとぞ。。。おとおとおとうとのうとのうとの東三條殿東三條殿ひがしさんじょうどのののの中納言中納言ちゅうなごん殿殿どのにおはしましゝににおはしましゝににおわしまししに。。。
- 4まだまだまだ此此この殿殿どのははは宰相宰相さいしょうにていとからきことにおぼしたりしにかくならせにていとからきことにおぼしたりしにかくならせにていとからきことにおぼしたりしにかくならせ給給たまししし。。。めでたかりしめでたかりしめでたかりし事事こと也也なりかしかしかし。。。天延天延てんえん二年二年にねん正月正月しょうがつ七日七日なぬか從二位從二位じゅにいせさせせさせせさせ給給たま。。。二月二月にがつ廿八日廿八日にじゅうはちにちににに太政大臣太政大臣だいじょうだいじんにならせにならせにならせ給給たま。。。
- 5やがてやがてやがて正二位正二位しょうにいせさせせさせせさせ給給たまててて。。。給給たまててて。。。三月三月さんがつ廿六日廿六日にじゅうろくにち關白關白かんぱくにならせにならせにならせ給給たまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。宰相宰相さいしょうにならせにならせにならせ給給たまししし年年としよりよりより六年六年ろくねんといふにかくならせといふにかくならせというにかくならせ給給たまにきにきにき。。。
- 6天延天延てんえん三年三年さんねん正月正月しょうがつ七日七日なぬか一位一位いちいせさせせさせせさせ給給たまてきてきてき。。。貞元貞元じょうげん二年二年にねん十一月十一月じゅういちがつ八日八日ようかうせさせうせさせうせさせ給給たまにきにきにき。。。御年御年おおんとし五十三五十三ごじゅうさん。。。同同おなじ廿日廿日はつか贈正一位贈正一位ぞうしょういちいののの宣旨宣旨せんじありありあり。。。後後のちののの御御おんいみないみないみなととと申申もうききき。。。
- 7このこのこの殿殿どのかくめでたくおはしますかくめでたくおはしますかくめでたくおわしますほどよりほどよりほどよりははは。。。ひまなくてひまなくてひまなくて大將大將だいしょうにえなりにえなりにえなり給給たまはざりしぞくちおしかりしやはざりしぞくちおしかりしやわざりしぞくちおしかりしや。。。それかやうならんためにこそあれそれかやうならんためにこそあれそれかようならんためにこそあれ。。。
- 8さてもありぬべきさてもありぬべきさてもありぬべき事事ことなりなりなり。。。たゞおぼしめせかしなたゞおぼしめせかしなただおぼしめせかしな。。。のことなきのことなきのことなきははは一條殿一條殿いちじょうどののおなじにやのおなじにやのおなじにや。。。圓融院圓融院えんゆういんののの御母御母みわわ后后きさき。。。このおとゞのいもこのおとゞのいもこのおとどのいもうとにおはしますぞうとにおはしますぞうとにおわしますぞ。。。
- 9このこのこの后后きさき村上村上むらかみののの御時御時おおんとき。。。康保康保こうほう元年元年がんねん四月四月しがつ廿九日廿九日にじゅうくにちにににうせうせうせ給給たまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。このこのこの后后きさきのいまだおはしましゝのいまだおはしましゝのいまだおわしましし時時ときににに。。。このおとゞいかゞおぼしけむこのおとゞいかゞおぼしけむこのおとどいかがおぼしけむ。。。關白關白かんぱくはははしだいのまゝにせさせしだいのまゝにせさせしだいのままにせさせ給給たまへとかゝせへとかゝせえとかかせ奉奉たてまつりてりてりて。。。
- 10とりとりとり給給たまたりけるたりけるたりける御御おんふみふみふみををを。。。まもりのやうにくびにかけてとしごろもちたりけりまもりのやうにくびにかけてとしごろもちたりけりまもりのようにくびにかけてとしごろもちたりけり。。。
- 11御御おんおとゝのおとゝのおととの東三條殿東三條殿ひがしさんじょうどのははは冷泉院冷泉院れいぜいいんののの御時御時おおんときののの藏人頭藏人頭くろうどのとうにてにてにて。。。此此この殿殿どのよりもさきによりもさきによりもさきに三位三位さんみしてしてして中納言中納言ちゅうなごんにもなりにもなりにもなり給給たまにしににしににしに。。。このこのこの殿殿どのははははづかにはづかにはずかに宰相宰相さいしょう計計ばかりにておはせしかばにておはせしかばにておわせしかば。。。
- 12世世よののの中中なかすさまじがりてすさまじがりてすさまじがりて。。。うちにもつねにいりうちにもつねにいりうちにもつねにいり給給たまねばみかどもねばみかどもねばみかどもうとくおぼしめしたりうとくおぼしめしたりうとくおぼしめしたり。。。其其その時時ときにあにのにあにのにあにの一條攝政一條攝政いちじょうのせっしょう天祿天祿てんろく三年三年さんねん十月十月じゅうがつにににうせうせうせ給給たまぬるにぬるにぬるに。。。
- 13このこのこの御御おんふみふみふみをををうちにもてまいりうちにもてまいりうちにもてまいり給給たまててて。。。御御ごらんぜさせんとおぼすらんぜさせんとおぼすらんぜさせんとおぼす程程ほどににに。。。うへうへうえのまにおはしますのまにおはしますのまにおわしますほどほどほど成成なりけりけりけり。。。おりよしとおぼしめすにおりよしとおぼしめすにおりよしとおぼしめすに。。。
- 14御御おんおぢだちのおぢだちのおじだちの中中なかにににうとくおはしますうとくおはしますうとくおわします人人ひとなればなればなれば。。。うちうちうち御御ごらんじていらせらんじていらせらんじていらせ給給たまききき。。。さしよりてそうすべきさしよりてそうすべきさしよりてそうすべき事事ことととと申給申給もうしたまへばへばえば。。。たちかへらせたちかへらせたちかえらせ給給たまへるにへるにえるに。。。
- 15此此このふみふみふみをををひきいでゝまいらせひきいでゝまいらせひきいでてまいらせ給給たまへればへればえれば。。。とりてとりてとりて御御ごらんずればらんずればらんずれば。。。むらさきのむらさきのむらさきの一一ひとかさねにかさねにかさねに。。。こここ宮宮みやののの御手御手みてにてにてにて關白關白かんぱくをばをばをばしだいのまゝにせさせしだいのまゝにせさせしだいのままにせさせ給給たまへへえ。。。
- 16ゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめたがへさせたがへさせたがえさせ給給たまなとかゝせなとかゝせなとかかせ給給たまへるへるえる。。。御御ごらんずるまゝにいとあはれげにおぼしめしたるらんずるまゝにいとあはれげにおぼしめしたるらんずるままにいとあわれげにおぼしめしたる御御おんけしきにてけしきにてけしきにて。。。こみやのこみやのこみやの御御おんてよなとおほせられてよなとおほせられてよなとおおせられ。。。
- 17御文御文おおんふみをばをばをばとりていらせとりていらせとりていらせ給給たまにけりとこそにけりとこそにけりとこそははは。。。さてかくいでさてかくいでさてかくいで給給たまへるとこそへるとこそえるとこそはははきこえきこえきこえ侍侍はべりしかりしかりしか。。。いといといと心心こころかしこくおぼしけるかしこくおぼしけるかしこくおぼしける事事ことにてにてにて。。。さるべきさるべきさるべき御御おんすぐせとすぐせとすぐせとははは申申もうながらながらながら。。。
- 18圓融院圓融院えんゆういんふかくおはしましてふかくおはしましてふかくおわしまして。。。はゝはゝはは宮宮みやののの御御おんゆいごんたるべしとてなしたてまつらせゆいごんたるべしとてなしたてまつらせゆいごんたるべしとてなしたてまつらせ給給たまへりけるへりけるえりける。。。いとあはれなるいとあはれなるいとあわれなる事事ことなりなりなり。。。
- 19そのそのその時時とき右右みぎにておはしましゝかばにておはしましゝかばにておわしまししかば。。。だうりのまゝならばだうりのまゝならばどうりのままならば。。。このおとゞのしこのおとゞのしこのおとどのし給給たまふべきにてありしにふべきにてありしにうべきにてありしに。。。このこのこのふみにてかくありけるとこそふみにてかくありけるとこそふみにてかくありけるとこそはははきこえきこえきこえ侍侍さぶらいしかしかしか。。。
- 20東三條殿東三條殿ひがしさんじょうどのもこのもこのもこのほりほりほり川川がわ殿殿どのよりよりよりははは上上のぼらうにておはしましゝかばらうにておはしましゝかばろうにておわしまししかば。。。いみじうおぼしめしよりたるいみじうおぼしめしよりたるいみじゅうおぼしめしよりたる事事ことぞかしぞかしぞかし。。。御御おんはははてのなきてのなきてのなきははは一條殿一條殿いちじょうどののおなじにやのおなじにやのおなじにや。。。
- 21このこのこの殿殿どのののの御御おんかまぎにかまぎにかまぎに貞信公貞信公ていしんこうののの御御おんもとにまいりもとにまいりもとにまいり給給たまへるへるえるををを。。。ものにそへさせものにそへさせものにそえさせ給給たまとてとてとて。。。貫之貫之つらゆきのぬしにめしたりしかばのぬしにめしたりしかばのぬしにめしたりしかば。。。たてまつられたりしたてまつられたりしたてまつられたりし歌歌うたぞかしぞかしぞかし。。。
- 22ことにことにことに出出でてこゝろのてこゝろのてこころのうちにしらるゝうちにしらるゝうちにしらるるはははかみのすぢなはぬけるなりけりかみのすぢなはぬけるなりけりかみのすじなわぬけるなりけり。。。
- 23ひきいでひきいでひきいで物物ものにとにとにとをををせさせせさせせさせ給給たまへるにやへるにやえるにや。。。御御おんかたちいときよげにきらゝかになどぞおはしましゝかたちいときよげにきらゝかになどぞおはしましゝかたちいときよげにきららかになどぞおわしましし。。。
- 24堀川院堀川院ほりかわいんにすませにすませにすませ給給たましころしころしころ。。。口口くちしんしんしん殿殿どののすみののすみののすみの紅梅紅梅こうばいさかりにさきたるさかりにさきたるさかりにさきたるををを。。。とはてゝとはてゝとはててうへうへうえまいらせまいらせまいらせ給給たまふまゝにふまゝにうままに。。。花花はなののの下下したににに立立だてよらせよらせよらせ給給たまててて。。。
- 25一枝一枝ひとえだをををしおりてしおりてしおりて御御おん。。。けしきけしきけしき計計はかうちかなでさせうちかなでさせうちかなでさせ給給たまへりしへりしえりし日日ひなどなどなどははは。。。いとこそめでたくみえさせいとこそめでたくみえさせいとこそめでたくみえさせ給給たまひしかひしかいしか。。。このこのこの殿殿どのにににはははにににめすめすめすののの御御おんさかなにさかなにさかなにははは。。。
- 26たゞたゞただ今今いまころしたるきじころしたるきじころしたるきじをぞをぞをぞまいらせまいらせまいらせをををけるけるける。。。もてまいりあふべきならねばもてまいりあふべきならねばもてまいりあうべきならねば。。。よひよりぞまうけてよひよりぞまうけてよいよりぞもうけてをををかれけるかれけるかれける。。。
- 27をををのぬしのまだのぬしのまだのぬしのまだ六位六位ろくいにてにてにてはじめてまいらるゝはじめてまいらるゝはじめてまいらるる夜夜よ。。。御御おん。。。ひつのひつのひつのうちにうちにうちに物物もののののほと〳〵ほと〳〵ほとほととしけるがあやしさにとしけるがあやしさにとしけるがあやしさに。。。
- 28暗暗くらきまぎれなればやきまぎれなればやきまぎれなればやをををらほろめにあけてらほろめにあけてらおろめにあけて見見み給給たまければければければ。。。きじのおとりきじのおとりきじのおとりはははかゞまりかゞまりかがまりをををるるる物物ものかかか。。。人人ひとのいふのいふのいう事事ことはははまとなりけりとあさましくてまとなりけりとあさましくてまとなりけりとあさましくて。。。
- 29人人ひとのねにけるおりにやのねにけるおりにやのねにけるおりにやをををらとりいでゝつらとりいでゝつらとりいでてつ。。。ふところにさしふところにさしふところにさし入入いててて冷泉院冷泉院れいぜいいんののの山山やまににに放放はなちたりしかばちたりしかばちたりしかば。。。ほろ〳〵ほろ〳〵ほろほろととびてこそいにしかととびてこそいにしかととびてこそいにしか。。。としえたりしとしえたりしとしえたりし心心こころちちちはははいみじかりしものかないみじかりしものかないみじかりしものかな。。。
- 30それにぞそれにぞそれにぞ我我われはははかうかうこう人人ひと也也なりけりとけりとけりとはははおぼえしかとなんかたられけるおぼえしかとなんかたられけるおぼえしかとなんかたられける。。。殺生殺生せっしょうはははとのばらのみなせさせとのばらのみなせさせとのばらのみなせさせ給事給事たまうことなれどなれどなれど。。。これはむげのむやくこれはむげのむやくこれわむげのむやく事事ことなりなりなり。。。
現代語訳
太政大臣兼通
これは九条殿の次男。堀川の摂政と申し上げた。摂政(関白)をなさったのは六年。安和二年正月七日に宰相におなりになる。閏五月二十一日、宮内卿と申し上げたのでした。天禄二年閏二月二十九日に中納言におなりになって、大納言を経ずに十一月二十七日に内大臣におなりになる。たいそうめでたかったということです。弟の東三条殿(兼家)が中納言でいらしたときに、まだこの殿は宰相で、たいそうつらいことにお思いになっていたのに、このようにおなりになった。めでたかったことですよ。天延二年正月七日に従二位におなりになる。二月二十八日に太政大臣におなりになる。すぐに正二位におなりになって、輦車を許されて、三月二十六日に関白におなりになったのですよ。宰相におなりになった年から六年でこのようにおなりになったのである。天延三年正月七日に一位におなりになった。貞元二年十一月八日にお亡くなりになった。御年五十三。同二十日に贈正一位の宣旨がある。後の御諱を忠義公と申し上げた。この殿はこのようにめでたくいらっしゃったわりには、暇がなくて大将におなりになれなかったのは残念でしたね。それはこうなるためだったのです。それでもよいことです。ただお思いください。御母が(伊尹と)異ならないのは、一条殿(伊尹)と同じでしょうか。円融院の御母后(安子)は、この大臣の妹でいらっしゃるのですよ。この后は村上天皇の御時、康保元年四月二十九日にお亡くなりになったのですよ。この后がまだご存命だったときに、この大臣はどうお思いになったのか、「関白は兄弟の順のままになさいませ」と(后に)お書かせ申し上げて、お取りになっていた御文を、お守りのように首にかけて長年持っていた。
弟の東三条殿は冷泉院の御時の蔵人頭で、この殿よりも先に三位になって中納言にもおなりになったのに、この殿はわずかに宰相ほどでいらしたので、世の中をおもしろくなく思って、内裏にもいつもは参内なさらないので、帝も疎遠にお思いになっていた。その時に兄の一条摂政(伊尹)が天禄三年十月にお亡くなりになったので、この御文を内裏に持って参上なさって、ご覧に入れようとお思いになるころ、帝は鬼の間にいらっしゃるときだった。ちょうどよいとお思いになったが、(帝にとって)御叔父たちの中で疎遠でいらっしゃる人なので、ちらりとご覧になって(奥へ)お入りになった。(兼通が)寄って「奏上すべきことがございます」と申し上げなさると、立ち戻りなさったところに、この文を引き出して差し上げなさると、取ってご覧になると、紫の薄様一重ねに、故宮のご筆跡で「関白は順序のとおりになさいませ。決して違えなさいますな」とお書きになっている。ご覧になるにつれてたいそうしみじみとお思いになるご様子で、「亡き宮のご筆跡だなあ」とおっしゃって、御文を取って(奥へ)お入りになったということです。そうしてこのように(関白に)おなりになったと聞いております。たいそう賢くお思いついたことで、そうなるべきご宿運とは申しながら、円融院は孝養の心が深くていらっしゃって、母宮のご遺言であるはずだとして、(兼通を関白に)おなし申し上げなさったのは、たいそうしみじみとしたことである。その時、頼忠の大臣が右大臣でいらっしゃったので、道理のとおりなら、この大臣がなさるはずだったのに、この文によってこうなったのだと聞いております。東三条殿もこの堀川殿よりは上位でいらっしゃったので、たいそうよくお思いついたことですよ。(ご子孫の)最後が(栄え)ないのは一条殿と同じでしょうか。この殿の袴着に貞信公のもとに参上なさったとき、贈り物に添えなさるといって、貫之のぬしにお召しになったところ、差し上げたのがこの歌ですよ。
ことに出でて心のうちに知らるるは神の筋なはぬけるなりけり
贈り物(の飾り)に(縄を)お通しになったのでしょうか。ご容貌はたいそう清らかで華やかなどでいらっしゃった。
堀川院に住んでいらしたころ、臨時客の日、寝殿の隅の紅梅が盛りに咲いているのを、(宴が)果てて帝のもとに参上なさるときに、花の下にお立ち寄りになって、一枝を折って冠にお挿しになって、少しばかり(舞の)しぐさをなさった日などは、たいそうすばらしくお見えになりました。この殿には、後夜(夜明け前)に召し上がる坊主(饗膳)の肴には、ちょうど今殺した雉を差し上げることになっていた。その時に持ってくることはできないので、宵から用意しておかれた。
(藤原)斉敏のぬし(なりとお)がまだ六位で初めて参上された夜、御沓櫃のそばに座っておられたところ、櫃の中で何かがことことと音を立てるのが不思議で、暗い紛れなので、そっと少し開けてご覧になると、雉の雄鳥がうずくまっているではないか。「人の言うことは本当だったのだ」とあきれて、人が寝てしまったときに、そっと取り出して懐に入れて、冷泉院の築山に放したところ、ほろほろと飛んでいったのでした。(生き物の命を救った)手柄を立てた心地はすばらしかったものだ。それで自分は徳のある人間なのだと思ったと語られたということです。殺生は殿方がみななさることだが、これはまったく無用なことである。
意訳
師輔の次男兼通は、弟の兼家に官位で先を越され、宰相のまま不遇をかこっていた。しかし兼通には切り札があった。妹の中宮安子が生前に書いた「関白は兄弟の順に」という手紙である。兼通はそれをお守りのように首にかけて持ち歩いていた。
兄伊尹が亡くなると、兼通はこの手紙を円融天皇に見せた。母の筆跡を見た帝は感じ入り、母の遺言に従って兼通を関白とした。順序からいえば右大臣の頼忠や、上位の兼家がなるはずだったのを、手紙一通で覆したのである。世継は兼通の機転を「たいそう賢い」とほめ、母を思う円融天皇の孝心をたたえる。
後半は兼通の人柄を伝える逸話である。袴着の祝いに紀貫之が歌を詠んだこと、臨時客の日に紅梅を冠に挿して舞うしぐさをした優雅な姿、そして夜明け前の食事のために、生きた雉を沓櫃に入れておかせた話。若い斉敏(なりとお)がこっそり雉を逃がしてやり、自分は徳のある人間だと思ったという話には、ほのかなおかしみがある。世継は「むやみな殺生」と批判する。
語釈・文法注
- 太政大臣兼通
- 藤原兼通(925〜977)。師輔の次男。円融天皇の関白・太政大臣。堀川殿と呼ばれた。
- てぐるま
- 輦車(てぐるま)。手で引く車。宮中で乗ることを許されるのは特別の待遇だった。
- 忠義公
- 兼通の諡。
- 圓融院の御母后
- 藤原安子。師輔の娘で、兼通の妹。
- 鬼のま
- 鬼の間。清涼殿の西南の部屋。
- うすやう
- 薄様。薄く漉いた鳥の子紙。
- けうやう
- 孝養。親孝行。
- たゞのおとゞ
- 頼忠の大臣。底本は「たゞの」。藤原頼忠。当時右大臣。
- 御はかまぎ
- 袴着。幼児が初めて袴をつける祝いの儀式。
- りんじかく
- 臨時客。正月に摂関家などで、臨時に客を招いて催した宴。
- 御かざし
- 挿頭。冠に挿す花や枝。
- 後夜
- 夜半から明け方までの時刻。また、その時の勤行。
- ばうす
- 意味未詳。食膳をいうか。
- なりとをのぬし
- 藤原斉敏(なりとお)か。伝未詳。
- 御くつびつ
- 沓櫃。沓を入れておく箱。
文法
- えなり給はざりしぞくちおしかりしや
- 「え〜ず」は不可能。おなりになれなかったのは残念でしたね。
- おぼしめせかしな
- 「かし」は念押し。お思いくださいね。
- たがへさせ給な
- 「な」は禁止。お違えなさいますな。
- ありしに
- あったのに。
- かゞまりをる物か
- 「ものか」は驚き。うずくまっているではないか。
和歌・漢詩
ことに出てこゝろのうちにしらるゝはかみのすぢなはぬけるなりけり
- 作者
- 紀貫之
- 状況
- 兼通の袴着の祝いに、貞信公(忠平)が贈り物に添えるため貫之に詠ませた歌。言葉に出して、心のうちに思い知られるのは、神の筋(家柄)が縄を通すように貫いているからなのだなあ。
修辞
- 掛詞
- 「かみのすぢ」に「神の筋(家筋)」と「髪の筋」を、「ぬける」に「貫ける」をかけるか。
解説
兼通が安子の手紙で関白となった話は『大鏡』の名場面の一つ。実際には天禄三年(972)に伊尹が亡くなると、兼通は内大臣・関白となり、のち太政大臣に上った。兼家との不仲は深刻で、兼通は死の直前に兼家の右大将の官を奪っている(第47章)。
円融天皇は安子の子で、安子は天皇が五歳のときに亡くなっている。母の筆跡に心を動かされたという描写は、天皇の孝心とともに、母を早く失った帝の寂しさをも感じさせる。
雉を逃がした「なりとをのぬし」が誰かは明らかでない。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、570〜573頁(コマ301–302)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日