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大鏡 第44章

兼通と母后の御文

師輔の次男兼通(堀川殿)は、弟兼家に官位で先を越されて不遇だったが、妹の中宮安子から「関白は兄弟の順に」と書いてもらった手紙をお守りのように首にかけていた。兄伊尹が亡くなると、その手紙を円融天皇に見せ、孝心の深い帝は母の遺言に従って兼通を関白とした。宰相から六年で関白・太政大臣に上り、五十三歳で亡くなった。紀貫之が袴着の祝いに詠んだ歌、紅梅をかざす姿、雉を食べた話なども語られる。

  1. 1太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん
  2. 2これこれこれ九條くでう九條くでうくじょう殿どの殿どのどのののの二に二にに郎らう郎らうろうぎみぎみぎみ。。。ほりかほりかほりかはははののの攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうととと聞きこ聞きこきこえさせきえさせきえさせき。。。攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうししし給事たまふこと給事たまふことたまうこと六年ろくねん六年ろくねんろくねん。。。安和あんな安和あんなあんな二年にねん二年にねんにねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ七日なぬか七日なぬかなぬか宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうにならせにならせにならせ給たま給たまたま。。。閏うるふさつき閏うるふさつきうるうさつき五月ごぐわつ五月ごぐわつごがつ廿一日にじふいちにち廿一日にじふいちにちにじゅういちにち宮内卿くないきやう宮内卿くないきやうくないきょうとこそとこそとこそははは申まう申まうもうしかしかしか。。。
  3. 3天祿てんろく天祿てんろくてんろく二年にねん二年にねんにねん壬うるふ壬うるふうるう二月にぐわつ二月にぐわつにがつ廿九日にじふくにち廿九日にじふくにちにじゅうくにち中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんにならせにならせにならせ給たま給たまたまててて。。。大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんをばをばをばへでへでへで十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ廿七日にじふしちにち廿七日にじふしちにちにじゅうしちにち内大臣ないだいじん内大臣ないだいじんないだいじんにならせにならせにならせ給たま給たまたま。。。いとめでたかりしとぞいとめでたかりしとぞいとめでたかりしとぞ。。。おとおとおとうとのうとのうとの東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん殿どの殿どのどのにおはしましゝににおはしましゝににおわしまししに。。。
  4. 4まだまだまだ此この此このこの殿どの殿どのどのははは宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうにていとからきことにおぼしたりしにかくならせにていとからきことにおぼしたりしにかくならせにていとからきことにおぼしたりしにかくならせ給たま給たまたまししし。。。めでたかりしめでたかりしめでたかりし事こと事ことこと也なり也なりなりかしかしかし。。。天延てんえん天延てんえんてんえん二年にねん二年にねんにねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ七日なぬか七日なぬかなぬか從二位じゆにゐ從二位じゆにゐじゅにいせさせせさせせさせ給たま給たまたま。。。二月にぐわつ二月にぐわつにがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにちににに太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんにならせにならせにならせ給たま給たまたま。。。
  5. 5やがてやがてやがて正二位しやうにゐ正二位しやうにゐしょうにいせさせせさせせさせ給たま給たまたまててて。。。給たま給たまたまててて。。。三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつ廿六日にじふろくにち廿六日にじふろくにちにじゅうろくにち關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにならせにならせにならせ給たま給たまたまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうにならせにならせにならせ給たま給たまたまししし年とし年としとしよりよりより六年ろくねん六年ろくねんろくねんといふにかくならせといふにかくならせというにかくならせ給たま給たまたまにきにきにき。。。
  6. 6天延てんえん天延てんえんてんえん三年さんねん三年さんねんさんねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ七日なぬか七日なぬかなぬか一位いちゐ一位いちゐいちいせさせせさせせさせ給たま給たまたまてきてきてき。。。貞元ぢやうげん貞元ぢやうげんじょうげん二年にねん二年にねんにねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ八日やうか八日やうかようかうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたまにきにきにき。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし五十三ごじふさん五十三ごじふさんごじゅうさん。。。同おなじ同おなじおなじ廿日はつか廿日はつかはつか贈正一位ぞうしやういちゐ贈正一位ぞうしやういちゐぞうしょういちいののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじありありあり。。。後のち後のちのちののの御おん御おんおんいみないみないみなととと申まう申まうもうききき。。。
  7. 7このこのこの殿どの殿どのどのかくめでたくおはしますかくめでたくおはしますかくめでたくおわしますほどよりほどよりほどよりははは。。。ひまなくてひまなくてひまなくて大將だいしやう大將だいしやうだいしょうにえなりにえなりにえなり給たま給たまたまはざりしぞくちおしかりしやはざりしぞくちおしかりしやわざりしぞくちおしかりしや。。。それかやうならんためにこそあれそれかやうならんためにこそあれそれかようならんためにこそあれ。。。
  8. 8さてもありぬべきさてもありぬべきさてもありぬべき事こと事ことことなりなりなり。。。たゞおぼしめせかしなたゞおぼしめせかしなただおぼしめせかしな。。。のことなきのことなきのことなきははは一條殿いちでうどの一條殿いちでうどのいちじょうどののおなじにやのおなじにやのおなじにや。。。圓融院ゑんゆうゐん圓融院ゑんゆうゐんえんゆういんののの御母みはは御母みははみわわ后きさき后きさききさき。。。このおとゞのいもこのおとゞのいもこのおとどのいもうとにおはしますぞうとにおはしますぞうとにおわしますぞ。。。
  9. 9このこのこの后きさき后きさききさき村上むらかみ村上むらかみむらかみののの御時おほんとき御時おほんときおおんとき。。。康保かうほう康保かうほうこうほう元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿九日にじふくにち廿九日にじふくにちにじゅうくにちにににうせうせうせ給たま給たまたまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。このこのこの后きさき后きさききさきのいまだおはしましゝのいまだおはしましゝのいまだおわしましし時とき時ときときににに。。。このおとゞいかゞおぼしけむこのおとゞいかゞおぼしけむこのおとどいかがおぼしけむ。。。關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくはははしだいのまゝにせさせしだいのまゝにせさせしだいのままにせさせ給たま給たまたまへとかゝせへとかゝせえとかかせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて。。。
  10. 10とりとりとり給たま給たまたまたりけるたりけるたりける御おん御おんおんふみふみふみををを。。。まもりのやうにくびにかけてとしごろもちたりけりまもりのやうにくびにかけてとしごろもちたりけりまもりのようにくびにかけてとしごろもちたりけり。。。
  11. 11御おん御おんおんおとゝのおとゝのおととの東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのははは冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんときののの藏人頭くらうどのとう藏人頭くらうどのとうくろうどのとうにてにてにて。。。此この此このこの殿どの殿どのどのよりもさきによりもさきによりもさきに三位さんみ三位さんみさんみしてしてして中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんにもなりにもなりにもなり給たま給たまたまにしににしににしに。。。このこのこの殿どの殿どのどのははははづかにはづかにはずかに宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう計ばかり計ばかりばかりにておはせしかばにておはせしかばにておわせしかば。。。
  12. 12世よ世よよののの中なか中なかなかすさまじがりてすさまじがりてすさまじがりて。。。うちにもつねにいりうちにもつねにいりうちにもつねにいり給たま給たまたまねばみかどもねばみかどもねばみかどもうとくおぼしめしたりうとくおぼしめしたりうとくおぼしめしたり。。。其その其そのその時とき時ときときにあにのにあにのにあにの一條攝政いちでうのせつしやう一條攝政いちでうのせつしやういちじょうのせっしょう天祿てんろく天祿てんろくてんろく三年さんねん三年さんねんさんねん十月じふぐわつ十月じふぐわつじゅうがつにににうせうせうせ給たま給たまたまぬるにぬるにぬるに。。。
  13. 13このこのこの御おん御おんおんふみふみふみをををうちにもてまいりうちにもてまいりうちにもてまいり給たま給たまたまててて。。。御ご御ごごらんぜさせんとおぼすらんぜさせんとおぼすらんぜさせんとおぼす程ほど程ほどほどににに。。。うへうへうえのまにおはしますのまにおはしますのまにおわしますほどほどほど成なり成なりなりけりけりけり。。。おりよしとおぼしめすにおりよしとおぼしめすにおりよしとおぼしめすに。。。
  14. 14御おん御おんおんおぢだちのおぢだちのおじだちの中なか中なかなかにににうとくおはしますうとくおはしますうとくおわします人ひと人ひとひとなればなればなれば。。。うちうちうち御ご御ごごらんじていらせらんじていらせらんじていらせ給たま給たまたまききき。。。さしよりてそうすべきさしよりてそうすべきさしよりてそうすべき事こと事ことことととと申給まうしたま申給まうしたまもうしたまへばへばえば。。。たちかへらせたちかへらせたちかえらせ給たま給たまたまへるにへるにえるに。。。
  15. 15此この此このこのふみふみふみをををひきいでゝまいらせひきいでゝまいらせひきいでてまいらせ給たま給たまたまへればへればえれば。。。とりてとりてとりて御ご御ごごらんずればらんずればらんずれば。。。むらさきのむらさきのむらさきの一ひと一ひとひとかさねにかさねにかさねに。。。こここ宮みや宮みやみやののの御手みて御手みてみてにてにてにて關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくをばをばをばしだいのまゝにせさせしだいのまゝにせさせしだいのままにせさせ給たま給たまたまへへえ。。。
  16. 16ゆめ〳〵ゆめ〳〵ゆめゆめたがへさせたがへさせたがえさせ給たま給たまたまなとかゝせなとかゝせなとかかせ給たま給たまたまへるへるえる。。。御ご御ごごらんずるまゝにいとあはれげにおぼしめしたるらんずるまゝにいとあはれげにおぼしめしたるらんずるままにいとあわれげにおぼしめしたる御おん御おんおんけしきにてけしきにてけしきにて。。。こみやのこみやのこみやの御おん御おんおんてよなとおほせられてよなとおほせられてよなとおおせられ。。。
  17. 17御文おほんふみ御文おほんふみおおんふみをばをばをばとりていらせとりていらせとりていらせ給たま給たまたまにけりとこそにけりとこそにけりとこそははは。。。さてかくいでさてかくいでさてかくいで給たま給たまたまへるとこそへるとこそえるとこそはははきこえきこえきこえ侍はべ侍はべはべりしかりしかりしか。。。いといといと心こころ心こころこころかしこくおぼしけるかしこくおぼしけるかしこくおぼしける事こと事ことことにてにてにて。。。さるべきさるべきさるべき御おん御おんおんすぐせとすぐせとすぐせとははは申まう申まうもうながらながらながら。。。
  18. 18圓融院ゑんゆうゐん圓融院ゑんゆうゐんえんゆういんふかくおはしましてふかくおはしましてふかくおわしまして。。。はゝはゝはは宮みや宮みやみやののの御おん御おんおんゆいごんたるべしとてなしたてまつらせゆいごんたるべしとてなしたてまつらせゆいごんたるべしとてなしたてまつらせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける。。。いとあはれなるいとあはれなるいとあわれなる事こと事ことことなりなりなり。。。
  19. 19そのそのその時とき時ときとき右みぎ右みぎみぎにておはしましゝかばにておはしましゝかばにておわしまししかば。。。だうりのまゝならばだうりのまゝならばどうりのままならば。。。このおとゞのしこのおとゞのしこのおとどのし給たま給たまたまふべきにてありしにふべきにてありしにうべきにてありしに。。。このこのこのふみにてかくありけるとこそふみにてかくありけるとこそふみにてかくありけるとこそはははきこえきこえきこえ侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいしかしかしか。。。
  20. 20東三條殿ひがしさんでうどの東三條殿ひがしさんでうどのひがしさんじょうどのもこのもこのもこのほりほりほり川がは川がはがわ殿どの殿どのどのよりよりよりははは上のぼ上のぼのぼらうにておはしましゝかばらうにておはしましゝかばろうにておわしまししかば。。。いみじうおぼしめしよりたるいみじうおぼしめしよりたるいみじゅうおぼしめしよりたる事こと事ことことぞかしぞかしぞかし。。。御おん御おんおんはははてのなきてのなきてのなきははは一條殿いちでうどの一條殿いちでうどのいちじょうどののおなじにやのおなじにやのおなじにや。。。
  21. 21このこのこの殿どの殿どのどのののの御おん御おんおんかまぎにかまぎにかまぎに貞信公ていしんこう貞信公ていしんこうていしんこうののの御おん御おんおんもとにまいりもとにまいりもとにまいり給たま給たまたまへるへるえるををを。。。ものにそへさせものにそへさせものにそえさせ給たま給たまたまとてとてとて。。。貫之つらゆき貫之つらゆきつらゆきのぬしにめしたりしかばのぬしにめしたりしかばのぬしにめしたりしかば。。。たてまつられたりしたてまつられたりしたてまつられたりし歌うた歌うたうたぞかしぞかしぞかし。。。
  22. 22ことにことにことに出で出ででてこゝろのてこゝろのてこころのうちにしらるゝうちにしらるゝうちにしらるるはははかみのすぢなはぬけるなりけりかみのすぢなはぬけるなりけりかみのすじなわぬけるなりけり。。。
  23. 23ひきいでひきいでひきいで物もの物ものものにとにとにとをををせさせせさせせさせ給たま給たまたまへるにやへるにやえるにや。。。御おん御おんおんかたちいときよげにきらゝかになどぞおはしましゝかたちいときよげにきらゝかになどぞおはしましゝかたちいときよげにきららかになどぞおわしましし。。。
  24. 24堀川院ほりかはゐん堀川院ほりかはゐんほりかわいんにすませにすませにすませ給たま給たまたましころしころしころ。。。口くち口くちくちしんしんしん殿どの殿どのどののすみののすみののすみの紅梅こうばい紅梅こうばいこうばいさかりにさきたるさかりにさきたるさかりにさきたるををを。。。とはてゝとはてゝとはててうへうへうえまいらせまいらせまいらせ給たま給たまたまふまゝにふまゝにうままに。。。花はな花はなはなののの下した下したしたににに立だて立だてだてよらせよらせよらせ給たま給たまたまててて。。。
  25. 25一枝ひとえだ一枝ひとえだひとえだをををしおりてしおりてしおりて御おん御おんおん。。。けしきけしきけしき計はか計はかはかうちかなでさせうちかなでさせうちかなでさせ給たま給たまたまへりしへりしえりし日ひ日ひひなどなどなどははは。。。いとこそめでたくみえさせいとこそめでたくみえさせいとこそめでたくみえさせ給たま給たまたまひしかひしかいしか。。。このこのこの殿どの殿どのどのにににはははにににめすめすめすののの御おん御おんおんさかなにさかなにさかなにははは。。。
  26. 26たゞたゞただ今いま今いまいまころしたるきじころしたるきじころしたるきじをぞをぞをぞまいらせまいらせまいらせをををけるけるける。。。もてまいりあふべきならねばもてまいりあふべきならねばもてまいりあうべきならねば。。。よひよりぞまうけてよひよりぞまうけてよいよりぞもうけてをををかれけるかれけるかれける。。。
  27. 27をををのぬしのまだのぬしのまだのぬしのまだ六位ろくゐ六位ろくゐろくいにてにてにてはじめてまいらるゝはじめてまいらるゝはじめてまいらるる夜よ夜よよ。。。御おん御おんおん。。。ひつのひつのひつのうちにうちにうちに物もの物ものもののののほと〳〵ほと〳〵ほとほととしけるがあやしさにとしけるがあやしさにとしけるがあやしさに。。。
  28. 28暗くら暗くらくらきまぎれなればやきまぎれなればやきまぎれなればやをををらほろめにあけてらほろめにあけてらおろめにあけて見み見みみ給たま給たまたまければければければ。。。きじのおとりきじのおとりきじのおとりはははかゞまりかゞまりかがまりをををるるる物もの物ものものかかか。。。人ひと人ひとひとのいふのいふのいう事こと事ことことはははまとなりけりとあさましくてまとなりけりとあさましくてまとなりけりとあさましくて。。。
  29. 29人ひと人ひとひとのねにけるおりにやのねにけるおりにやのねにけるおりにやをををらとりいでゝつらとりいでゝつらとりいでてつ。。。ふところにさしふところにさしふところにさし入い入いいててて冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいんののの山やま山やまやまににに放はな放はなはなちたりしかばちたりしかばちたりしかば。。。ほろ〳〵ほろ〳〵ほろほろととびてこそいにしかととびてこそいにしかととびてこそいにしか。。。としえたりしとしえたりしとしえたりし心こころ心こころこころちちちはははいみじかりしものかないみじかりしものかないみじかりしものかな。。。
  30. 30それにぞそれにぞそれにぞ我われ我われわれはははかうかうこう人ひと人ひとひと也なり也なりなりけりとけりとけりとはははおぼえしかとなんかたられけるおぼえしかとなんかたられけるおぼえしかとなんかたられける。。。殺生せつしやう殺生せつしやうせっしょうはははとのばらのみなせさせとのばらのみなせさせとのばらのみなせさせ給事たまふこと給事たまふことたまうことなれどなれどなれど。。。これはむげのむやくこれはむげのむやくこれわむげのむやく事こと事ことことなりなりなり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

太政大臣兼通

これは九条殿の次男。堀川の摂政と申し上げた。摂政(関白)をなさったのは六年。安和二年正月七日に宰相におなりになる。閏五月二十一日、宮内卿と申し上げたのでした。天禄二年閏二月二十九日に中納言におなりになって、大納言を経ずに十一月二十七日に内大臣におなりになる。たいそうめでたかったということです。弟の東三条殿(兼家)が中納言でいらしたときに、まだこの殿は宰相で、たいそうつらいことにお思いになっていたのに、このようにおなりになった。めでたかったことですよ。天延二年正月七日に従二位におなりになる。二月二十八日に太政大臣におなりになる。すぐに正二位におなりになって、輦車を許されて、三月二十六日に関白におなりになったのですよ。宰相におなりになった年から六年でこのようにおなりになったのである。天延三年正月七日に一位におなりになった。貞元二年十一月八日にお亡くなりになった。御年五十三。同二十日に贈正一位の宣旨がある。後の御諱を忠義公と申し上げた。この殿はこのようにめでたくいらっしゃったわりには、暇がなくて大将におなりになれなかったのは残念でしたね。それはこうなるためだったのです。それでもよいことです。ただお思いください。御母が(伊尹と)異ならないのは、一条殿(伊尹)と同じでしょうか。円融院の御母后(安子)は、この大臣の妹でいらっしゃるのですよ。この后は村上天皇の御時、康保元年四月二十九日にお亡くなりになったのですよ。この后がまだご存命だったときに、この大臣はどうお思いになったのか、「関白は兄弟の順のままになさいませ」と(后に)お書かせ申し上げて、お取りになっていた御文を、お守りのように首にかけて長年持っていた。

弟の東三条殿は冷泉院の御時の蔵人頭で、この殿よりも先に三位になって中納言にもおなりになったのに、この殿はわずかに宰相ほどでいらしたので、世の中をおもしろくなく思って、内裏にもいつもは参内なさらないので、帝も疎遠にお思いになっていた。その時に兄の一条摂政(伊尹)が天禄三年十月にお亡くなりになったので、この御文を内裏に持って参上なさって、ご覧に入れようとお思いになるころ、帝は鬼の間にいらっしゃるときだった。ちょうどよいとお思いになったが、(帝にとって)御叔父たちの中で疎遠でいらっしゃる人なので、ちらりとご覧になって(奥へ)お入りになった。(兼通が)寄って「奏上すべきことがございます」と申し上げなさると、立ち戻りなさったところに、この文を引き出して差し上げなさると、取ってご覧になると、紫の薄様一重ねに、故宮のご筆跡で「関白は順序のとおりになさいませ。決して違えなさいますな」とお書きになっている。ご覧になるにつれてたいそうしみじみとお思いになるご様子で、「亡き宮のご筆跡だなあ」とおっしゃって、御文を取って(奥へ)お入りになったということです。そうしてこのように(関白に)おなりになったと聞いております。たいそう賢くお思いついたことで、そうなるべきご宿運とは申しながら、円融院は孝養の心が深くていらっしゃって、母宮のご遺言であるはずだとして、(兼通を関白に)おなし申し上げなさったのは、たいそうしみじみとしたことである。その時、頼忠の大臣が右大臣でいらっしゃったので、道理のとおりなら、この大臣がなさるはずだったのに、この文によってこうなったのだと聞いております。東三条殿もこの堀川殿よりは上位でいらっしゃったので、たいそうよくお思いついたことですよ。(ご子孫の)最後が(栄え)ないのは一条殿と同じでしょうか。この殿の袴着に貞信公のもとに参上なさったとき、贈り物に添えなさるといって、貫之のぬしにお召しになったところ、差し上げたのがこの歌ですよ。

ことに出でて心のうちに知らるるは神の筋なはぬけるなりけり

贈り物(の飾り)に(縄を)お通しになったのでしょうか。ご容貌はたいそう清らかで華やかなどでいらっしゃった。

堀川院に住んでいらしたころ、臨時客の日、寝殿の隅の紅梅が盛りに咲いているのを、(宴が)果てて帝のもとに参上なさるときに、花の下にお立ち寄りになって、一枝を折って冠にお挿しになって、少しばかり(舞の)しぐさをなさった日などは、たいそうすばらしくお見えになりました。この殿には、後夜(夜明け前)に召し上がる坊主(饗膳)の肴には、ちょうど今殺した雉を差し上げることになっていた。その時に持ってくることはできないので、宵から用意しておかれた。

(藤原)斉敏のぬし(なりとお)がまだ六位で初めて参上された夜、御沓櫃のそばに座っておられたところ、櫃の中で何かがことことと音を立てるのが不思議で、暗い紛れなので、そっと少し開けてご覧になると、雉の雄鳥がうずくまっているではないか。「人の言うことは本当だったのだ」とあきれて、人が寝てしまったときに、そっと取り出して懐に入れて、冷泉院の築山に放したところ、ほろほろと飛んでいったのでした。(生き物の命を救った)手柄を立てた心地はすばらしかったものだ。それで自分は徳のある人間なのだと思ったと語られたということです。殺生は殿方がみななさることだが、これはまったく無用なことである。

意訳

師輔の次男兼通は、弟の兼家に官位で先を越され、宰相のまま不遇をかこっていた。しかし兼通には切り札があった。妹の中宮安子が生前に書いた「関白は兄弟の順に」という手紙である。兼通はそれをお守りのように首にかけて持ち歩いていた。

兄伊尹が亡くなると、兼通はこの手紙を円融天皇に見せた。母の筆跡を見た帝は感じ入り、母の遺言に従って兼通を関白とした。順序からいえば右大臣の頼忠や、上位の兼家がなるはずだったのを、手紙一通で覆したのである。世継は兼通の機転を「たいそう賢い」とほめ、母を思う円融天皇の孝心をたたえる。

後半は兼通の人柄を伝える逸話である。袴着の祝いに紀貫之が歌を詠んだこと、臨時客の日に紅梅を冠に挿して舞うしぐさをした優雅な姿、そして夜明け前の食事のために、生きた雉を沓櫃に入れておかせた話。若い斉敏(なりとお)がこっそり雉を逃がしてやり、自分は徳のある人間だと思ったという話には、ほのかなおかしみがある。世継は「むやみな殺生」と批判する。

語釈・文法注

太政大臣兼通
藤原兼通(925〜977)。師輔の次男。円融天皇の関白・太政大臣。堀川殿と呼ばれた。
てぐるま
輦車(てぐるま)。手で引く車。宮中で乗ることを許されるのは特別の待遇だった。
忠義公
兼通の諡。
圓融院の御母后
藤原安子。師輔の娘で、兼通の妹。
鬼のま
鬼の間。清涼殿の西南の部屋。
うすやう
薄様。薄く漉いた鳥の子紙。
けうやう
孝養。親孝行。
たゞのおとゞ
頼忠の大臣。底本は「たゞの」。藤原頼忠。当時右大臣。
御はかまぎ
袴着。幼児が初めて袴をつける祝いの儀式。
りんじかく
臨時客。正月に摂関家などで、臨時に客を招いて催した宴。
御かざし
挿頭。冠に挿す花や枝。
後夜
夜半から明け方までの時刻。また、その時の勤行。
ばうす
意味未詳。食膳をいうか。
なりとをのぬし
藤原斉敏(なりとお)か。伝未詳。
御くつびつ
沓櫃。沓を入れておく箱。

文法

えなり給はざりしぞくちおしかりしや
「え〜ず」は不可能。おなりになれなかったのは残念でしたね。
おぼしめせかしな
「かし」は念押し。お思いくださいね。
たがへさせ給な
「な」は禁止。お違えなさいますな。
ありしに
あったのに。
かゞまりをる物か
「ものか」は驚き。うずくまっているではないか。

和歌・漢詩

ことに出てこゝろのうちにしらるゝはかみのすぢなはぬけるなりけり

作者
紀貫之
状況
兼通の袴着の祝いに、貞信公(忠平)が贈り物に添えるため貫之に詠ませた歌。言葉に出して、心のうちに思い知られるのは、神の筋(家柄)が縄を通すように貫いているからなのだなあ。

修辞

掛詞
「かみのすぢ」に「神の筋(家筋)」と「髪の筋」を、「ぬける」に「貫ける」をかけるか。

解説

兼通が安子の手紙で関白となった話は『大鏡』の名場面の一つ。実際には天禄三年(972)に伊尹が亡くなると、兼通は内大臣・関白となり、のち太政大臣に上った。兼家との不仲は深刻で、兼通は死の直前に兼家の右大将の官を奪っている(第47章)。

円融天皇は安子の子で、安子は天皇が五歳のときに亡くなっている。母の筆跡に心を動かされたという描写は、天皇の孝心とともに、母を早く失った帝の寂しさをも感じさせる。

雉を逃がした「なりとをのぬし」が誰かは明らかでない。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、570〜573頁(コマ301–302)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日