大鏡 第41章
義懐と花山天皇の御代
伊尹の子で花山天皇の叔父の義懐は、帝の在位中は藤原惟成とともに政治を執ったが、帝の出家を知るとすぐ花山寺に駆けつけて出家した。花山天皇は賀茂の臨時祭の日、舞人の馬を朝餉の壺に引き入れて自ら乗ろうとし、義懐がとっさに自分で乗ってみせて取り繕った。源俊賢は「冷泉院の狂いより花山院の狂いのほうが手に負えない」と言い、道長は笑った。義懐の出家は惟成の勧めによるという。
- 1又又また一條攝政殿一條攝政殿いちじょうのせっしょうどのののの御御おんおとこおとこおとこ花山院花山院かざんいんののの御時御時おおんときみかどのみかどのみかどの御御おんをぢをぢおじ中納言中納言ちゅうなごんととと聞聞きこえしえしえし少將少將しょうしょうだちのだちのだちの御御おんをををなじはらよなじはらよなじわらよ。。。そのそのその御時御時おおんときはははいみじういみじういみじゅうはははなやぎなやぎなやぎ給給たましにしにしに。。。
- 2みかどみかどみかど出家出家しゅっけせさせせさせせさせ給給たまてしかばてしかばてしかば。。。やがてわれもやがてわれもやがてわれもをををくれたてまつらじとてくれたてまつらじとてくれたてまつらじとて。。。花山寺花山寺かざんじまでたづねまいりてまでたづねまいりてまでたずねまいりて中日中日なかび一日一日ついたちをををはははさめてさめてさめて法師法師ほうしになりになりになり給給たまききき。。。
- 3給給たまひしひしいし。。。そのそのその中納言中納言ちゅうなごんはははおはせしかどおはせしかどおわせしかど。。。御心御心みこころたましゐいとかしこくいうそくにおはしてたましゐいとかしこくいうそくにおはしてたましいいとかしこくいうそくにおわして。。。
- 4花山院花山院かざんいんののの御時御時おおんときのまつりごとのまつりごとのまつりごとははは。。。たゞこのたゞこのただこの殿殿どの辨辨べんとしておこなひとしておこなひとしておこない給給たまへればいといみじかりしぞかしへればいといみじかりしぞかしえればいといみじかりしぞかし。。。そのみかどそのみかどそのみかどをばをばをば人申人申ひともうししし。。。
- 5冬冬ふゆののののまつりののまつりののまつりの日日ひのくるゝのくるゝのくるるののの時時ときににに人〳〵人〳〵ひとびとまいれとせんじくださせまいれとせんじくださせまいれとせんじくださせ給給たまををを。。。さぞおほせらるともみむまのさぞおほせらるともみむまのさぞおおせらるともみむまの時時ときにぞおはしますらんなどおもひにぞおはしますらんなどおもひにぞおわしますらんなどおもい給給たまへりけるにへりけるにえりけるに。。。
- 6人人ひとのきんだちさうぞくのきんだちさうぞくのきんだちそうぞく給給たまはははりにまいりおりにまいりおりにまいりおはははさうじたりければさうじたりければそうじたりければ。。。みかどみかどみかどははは御御おんさうぞくさうぞくそうぞく奉奉たてまつりてりてりて。。。たゝせおはしましたりけるたゝせおはしましたりけるたたせおわしましたりける。。。このこのこの入道殿入道殿にゅうどうどのもまひもまひもまい人人ひとにておはしましければにておはしましければにておわしましければ。。。
- 7此此この比比ごろかたらせかたらせかたらせ給給たまなるなるなるをををつたへてつたへてつたえてうけうけうけ給給たまはるなりはるなりわるなり。。。あかくおほぢなどわたるがよかるべきにやとおもふにあかくおほぢなどわたるがよかるべきにやとおもふにあかくおおじなどわたるがよかるべきにやとおもうに。。。みかどむまみかどむまみかどむまをををいみじうけうぜさせいみじうけうぜさせいみじゅうきょうぜさせ給給たまければければければ。。。
- 8まひまひまい人人ひとののの馬馬うまをををかうらうかうらうこうろう殿殿どのののの北北きたをををさせさせさせ給給たまててて。。。ひきおろさせひきおろさせひきおろさせ給給たまててて。。。殿上人殿上人てんじょうびとどもどもどもをををのせてのせてのせて御御ごらんずるらんずるらんずるをををだにだにだに。。。
- 9あさましうあさましうあさましゅう人〳〵人〳〵ひとびとおもふにおもふにおもうに。。。はてはてはてはははのらんとさへせさせのらんとさへせさせのらんとさえせさせ給給たまににに。。。すべきかたもなくてさぶらひあひすべきかたもなくてさぶらひあひすべきかたもなくてさぶらいあい給給たまへるへるえる程程ほどににに。。。さるべきにやさるべきにやさるべきにや侍侍はべりけんりけんりけん。。。
- 10入道中納言入道中納言にゅうどうちゅうなごんさしいでさしいでさしいで給給たまへりけるにへりけるにえりけるに。。。みかどみかどみかど御御おんおもていとあかくならせおもていとあかくならせおもていとあかくならせ給給たまててて。。。ずちなげにおもほしめしたりずちなげにおもほしめしたりずちなげにおもおしめしたり。。。中納言中納言ちゅうなごんもいとあさましうもいとあさましうもいとあさましゅう見見み奉奉たてまつりりり給給たまへどへどえど。。。
- 11人〳〵人〳〵ひとびとののの見見みるにせいしるにせいしるにせいし申申もうさんもさんもさんも中〳〵中〳〵なかなかににに見見みぐるしければぐるしければぐるしければ。。。もてもてもてはやはやはやしけうじしけうじしきょうじ申給申給もうしたまさまにもてなしつゝさまにもてなしつゝさまにもてなしつつ。。。はははさみてのりさみてのりさみてのり給給たまぬぬぬ。。。
- 12さばかりせばきつぼにおりまはしおもしろうあげさばかりせばきつぼにおりまはしおもしろうあげさばかりせばきつぼにおりまわしおもしろうあげ給給たまへばへばえば。。。御御おんけしきなけしきなけしきなをををりておもしろしとおぼしめしてりておもしろしとおぼしめしてりておもしろしとおぼしめして。。。いみじうけうぜさせいみじうけうぜさせいみじゅうきょうぜさせ給給たまけるけるけるををを。。。
- 13中納言中納言ちゅうなごんあさましうもあはれにおぼさるゝあさましうもあはれにおぼさるゝあさましゅうもあわれにおぼさるる御御おんけしきけしきけしきははは。。。おなじおなじおなじ御心御心みこころによからぬによからぬによからぬ事事ことをををはやはやはやししし申給申給もうしたまとととははは見見みえずえずえず。。。たれもさぞかしとたれもさぞかしとたれもさぞかしとははは見見みしりしりしり聞聞きこえさするえさするえさする人人ひともありければこそもありければこそもありければこそはははかくかくかく申申もうつたへたれなつたへたれなつたえたれな。。。
- 14又又またみづからのりみづからのりみずからのり給給たままでまでまではははあまりなりといふあまりなりといふあまりなりという人人ひともありけりもありけりもありけり。。。これならずこれならずこれならずひたぶるにいろにひたぶるにいろにひたぶるにいろにはははいたくもいたくもいたくも見見みえずえずえず。。。たゞたゞただ御本上御本上ごほんじょうのけしからぬさまにのけしからぬさまにのけしからぬさまに見見みえさせえさせえさせ給給たまへばいとへばいとえばいと大事大事だいじにぞにぞにぞ。。。
- 15さればさればされば源民部卿源民部卿げんみんぶきょうははは冷泉院冷泉院れいぜいいんのくるひよりのくるひよりのくるいよりははは。。。花山院花山院かざんいんのくるひこそすぢなきのくるひこそすぢなきのくるいこそすじなき物物ものなれとなれとなれと申給申給もうしたまければければければ。。。入道殿入道殿にゅうどうどのはははいといといとふびなるふびなるふびなる事事ことをもをもをも申申もうさるゝかなとおほせられながらさるゝかなとおほせられながらさるるかなとおおせられながら。。。いみじうわらはせいみじうわらはせいみじゅうわらわせ給給たまけりけりけり。。。
- 16よしちかのよしちかのよしちかの中納言中納言ちゅうなごんののの御出家御出家ごしゅっけ。。。これしげのこれしげのこれしげの辨辨べんのすゝめきこえられたりけるとぞのすゝめきこえられたりけるとぞのすすめきこえられたりけるとぞ。。。いみじういたりありけるいみじういたりありけるいみじゅういたりありける人人ひとにてにてにて。。。今更今更いまさらによそによそによそ人人ひとにてまじらひにてまじらひにてまじらい給給たまはんはんわんほどほどほど。。。
- 17見見みぐるしかりなんときこえさせければぐるしかりなんときこえさせければぐるしかりなんときこえさせければ。。。げにさもといとゞおぼしてなりげにさもといとゞおぼしてなりげにさもといとどおぼしてなり給給たまにしにしにしををを。。。もとよりおこしもとよりおこしもとよりおこし給給たまへるどうしんならねばへるどうしんならねばえるどうしんならねば。。。いかゞといかゞといかがと人人ひとおもひおもひおもい聞聞きこえしかどえしかどえしかど。。。
- 18おりゐおりゐおりい給給たまへるへるえる御心御心みこころののの本本ほん上上うえなればなればなれば。。。けだいなくおこなひけだいなくおこなひけだいなくおこない給給たまてててうせうせうせ給給たまへしぞかしへしぞかしえしぞかし。。。そのそのその御子御子みこはははたゞたゞただ今今いまのいひむろのいひむろのいいむろ僧都僧都そうずののの君君きみ。。。又又またゑあじやりのゑあじやりのえあじやりの君君きみ。。。
- 19入道中將入道中將にゅうどうちゅうじょうののの君君きみなりなりなり。。。このこのこの三人三人さんにんははは備中守備中守びっちゅうのかみががが女女おんなのののはらなりはらなりはらなり。。。そのそのその中將中將ちゅうじょうののの御女御女おおんむすめははは定經定經さだつねぬしのみめにてこそぬしのみめにてこそぬしのみめにてこそはははおはすめれおはすめれおわすめれ。。。一條殿一條殿いちじょうどのののの御御おんぞぞぞうううははは。。。いかなるいかなるいかなる事事ことにかにかにか御御おんいのちみじかくぞおはしますめるいのちみじかくぞおはしますめるいのちみじかくぞおわしますめる。。。
現代語訳
また、一条摂政殿(伊尹)の男君で、花山院の御時に帝の御叔父として、義懐の中納言と申し上げた方は、(挙賢・義孝の)少将たちと同じ腹ですよ。その御時はたいそう華やいでいらしたが、帝がご出家なさったので、すぐに自分も遅れ申すまいと言って、花山寺まで尋ねて参って、中一日をおいて法師におなりになった。飯室というところでたいそう尊く修行して、亡くなられたのでした。その中納言も(才学は)並み程度でいらしたが、お心や知恵はたいそう賢く、故実に通じていらして、花山院の御時の政治は、ただこの殿と惟成の弁とで行っていらしたので、たいそうすばらしかったのですよ。その帝を、「内劣りの外めでた(内は劣るが外見はすばらしい)」と世の人は申した。
冬の臨時の祭の日、「(午前の)辰の時に人々は参れ」と宣旨をお下しになったのを、「そうおっしゃっても巳や午の時にはおいでになるだろう」などと思っていたところ、舞人の君たちが装束をいただきに参上していらっしゃると、帝はお召し物をおつけになって、お立ちになっていらしたのでした。この入道殿(道長)も舞人でいらしたので、近ごろお話しになったのを伝え承ったのです。明るく大路などを渡るのがよいのではないかと思っていると、帝は馬をたいそうおもしろがりなさって、舞人の馬を弘徽殿の北の馬道から通させなさって、朝餉の壺に引き下ろさせなさって、殿上人たちを乗せてご覧になるのでさえ、あきれたことだと人々は思うのに、しまいにはご自分が乗ろうとまでなさるので、どうしようもなくて控えていらっしゃるうちに、そうなる運命だったのでしょうか、入道中納言(義懐)が出ていらしたところ、帝はお顔をたいそう赤くなさって、どうしようもなさそうにお思いになった。中納言もたいそうあきれたことと拝見なさったが、人々が見ている前でお止め申し上げるのもかえって見苦しいので、もてはやしおもしろがり申し上げなさるようなふりをしながら、自分で下襲の裾をはさんで(馬に)お乗りになった。あれほど狭い壺で乗り回して、おもしろく(馬の脚を)上げなさったので、(帝の)ご機嫌は直って、おもしろいとお思いになって、たいそう興じなさったのを、中納言があきれもし、しみじみともお思いになったご様子は、同じお心でよくないことをもてはやし申しなさったとは見えない。誰もそうだと見知り申し上げる人もいたからこそ、このように申し伝えているのですよ。また、自分で乗りなさるまではやりすぎだと言う人もいた。これに限らず、(帝のご乱心は)ひたすら顔色にはひどくも見えない。ただご本性がけしからぬさまにお見えになるので、たいへんなことでしたよ。
ですから源民部卿(俊賢)は「冷泉院の狂いよりは、花山院の狂いのほうが手に負えないものだ」と申しなさったので、入道殿は「たいへん不都合なことを申されるものだ」とおっしゃりながら、たいそうお笑いになった。
義懐の中納言のご出家は、惟成の弁がお勧め申し上げたのだということです。(惟成は)たいそう思慮の深い人で、「今さらよその人として(新帝の朝廷に)交わりなさるのは見苦しいでしょう」と申し上げたので、本当にそうだと、いっそうお思いになって出家なさったのを、もともと起こしなさった道心ではないので、どうかと人は思い申し上げたが、(いったん)退かれたお心の本性なので、怠りなく修行なさって亡くなったのですよ。そのお子は、今の飯室の僧都守禅の君、また恵阿闍梨の君、入道中将成房の君である。この三人は備中守為雅の娘の腹である。その中将の御娘は、定経ぬしの妻でいらっしゃるようです。一条殿(伊尹)のご一族は、どういうことか、お命が短くていらっしゃるようです。
意訳
伊尹の子義懐は、甥の花山天皇の外戚として、藤原惟成とともに新しい政治を進めた。世継は、その政治はたいそう立派で、帝は「内劣りの外めでた」(内面は劣るが外見はすばらしい)と言われたと伝える。しかし花山天皇が兼家・道兼の策略で出家すると(第8章)、義懐もすぐ後を追って出家した。
花山天皇の奇行を示す話が挙げられる。賀茂の臨時祭の日、天皇は朝早くから装束をつけて待ち、舞人の馬を清涼殿の狭い壺庭に引き入れさせて殿上人を乗せ、ついには自分も乗ろうとした。居合わせた人々が困り果てていたところへ義懐が来て、帝を止めるのではなく、自分が乗ってみせて場を収めた。帝は機嫌を直したという。世継は、義懐は帝と一緒になって悪ふざけをしたのではなく、あきれながらも帝の体面を守ったのだと弁護する。
源俊賢は「冷泉院の狂いより花山院の狂いのほうがどうしようもない」と言い、道長は「とんでもないことを言う」と言いながら大笑いした。義懐の出家は惟成の勧めによるもので、最初から道心があったわけではなかったが、怠らず修行して亡くなった。世継は最後に「一条殿の一族はなぜか命が短い」と嘆き、前章の朝成の怨霊とも響き合わせる。
語釈・文法注
- よしちかの中納言
- 藤原義懐(957〜1008)。伊尹の五男。花山天皇の叔父。権中納言。天皇の出家に従って出家した。
- いひむろ
- 飯室。比叡山横川の別所。
- むまう
- 無能か。底本の表記で意味ははっきりしない。
- これしげの辨
- 藤原惟成(953〜989)。花山天皇の乳母子で、義懐とともに政治を担った。天皇の出家とともに出家した。
- うちおとりのとめでた
- 内劣りの外めでた。内面は劣るが外見はすばらしいこと。花山天皇を評したことば。
- 冬の臨時のまつり
- 賀茂の臨時祭。十一月の下の酉の日。
- あしたつの時
- 辰の時。午前八時ごろ。底本は「あしたつの時」で、「あしたの辰の時」の意か。
- まひ人
- 舞人。臨時祭で東遊びを舞う人。
- めだう
- 馬道(めどう)。殿舎の間を通る板敷きの通路。
- あさがれゐのつぼ
- 朝餉の壺。清涼殿の朝餉の間の前の小さな庭。
- したがさね
- 下襲。束帯の袍の下に着る衣で、長い裾を引く。
- 守禪
- 守禅。義懐の子。比叡山の僧。
- なりふさ
- 藤原成房(982〜?)。義懐の子。左近中将のとき出家した。
- 爲雅
- 藤原為雅。備中守。
文法
- をくれたてまつらじ
- 「じ」は打消意志。遅れ申し上げまい。
- おはしますらん
- 「らむ」は現在推量。いらっしゃるだろう。
- 見えず
- 見えない。
- すぢなき物なれ
- 「こそ〜なれ」の係り結び。手に負えないものだ。
- まじらひ給はんほど
- お交わりになるような時は。
解説
義懐と惟成は花山朝(984〜986)で荘園整理令や物価統制などの新政を推進したが、天皇の突然の出家で失脚した。義懐は花山寺で天皇の出家を見届けると、すぐに自らも出家した。
花山天皇の奇行の話は『大鏡』に多く、冷泉天皇とともに「狂気」の帝として描かれる。ここでは義懐が帝の体面を守ったことに重点が置かれている。
「一条殿の御ぞうは御いのちみじかく」は、伊尹自身・挙賢・義孝の早世をふまえ、前章の朝成の怨霊の話と結びつけて語られている。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、563〜565頁(コマ297–298)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日