大鏡 第38章
行成の蔵人頭
義孝の子が、能書家として名高い今の侍従大納言行成である。行成はまだ地下の備後介であったとき、源俊賢の強い推挙によって異例の蔵人頭となった。自分がなると思っていた源経房(底本「さだのぶ」)は、夜に行成が参上して名のるのを聞いてあきれた。行成は俊賢の恩を忘れず、位で上回ったのちも決して上座に着かなかった。
- 1其其その義孝義孝よしたか少將少將しょうしょうもゝぞのゝもゝぞのゝももぞのの源源げん中納言中納言ちゅうなごん卿卿きょうののの女女おんなのののはらにむませはらにむませはらにむませ給給たまへりしへりしえりし君君きみぞかしぞかしぞかし。。。今今いまののの侍從大納言侍從大納言じじゅうのだいなごん卿卿きょう世世よ給給たまふふうははは。。。このとのゝこのとのゝこのとのの御御おんおのこゞおのこゞおのこご。。。
- 2たゞたゞただ今今いまののの但馬守但馬守たじまのかみののの君君きみ。。。をはりのをはりのおわりの權守權守ごんのかみののの君君きみ二人二人ふたりははは。。。泰淸泰淸やすきよ三位三位さんみののの女女おんなばらばらばら也也なり。。。むかひばらむかひばらむかいばらははは少將少將しょうしょう君君きみ。。。又又また女君女君おんなぎみははは入道殿入道殿にゅうどうどのののの御子御子みこたかまつばらのたかまつばらのたかまつばらのののの北北きた方方かたにておはせしにておはせしにておわせし。。。
- 3ひめひめひめ君君きみ十五十五じゅうごにてにてにてうせうせうせ給給たまにきかしにきかしにきかし。。。又又また今今いま君君きみののの北北きたののの方方かたにておはすにておはすにておわす。。。又又またおほひめおほひめおおいめ君君きみおはしますとかおはしますとかおわしますとか。。。
- 4このこのこの侍從侍從じじゅうののの大納言大納言だいなごん殿殿どのこそこそこそ。。。まだまだまだにておはせしにておはせしにておわせし時時とき。。。になりになりになり給給たまなれなれなれ。。。いとめづらしきいとめづらしきいとめずらしき事事ことよなよなよな。。。其其その比比ごろはははははは職事職事しきじにておはしますににておはしますににておわしますに。。。
- 5かんだちめになりかんだちめになりかんだちめになり給給たまければければければ。。。一條院一條院いちじょういん此此このつぎにつぎにつぎにははは又又またたれかなるべきとゝはせたれかなるべきとゝはせたれかなるべきととわせ給給たまければければければ。。。ゆきなりなんまかりなるべきゆきなりなんまかりなるべきゆきなりなんまかりなるべき人人ひとににに侍侍はべるとさうせさせるとさうせさせるとそうせさせ給給たまけるけるけるををを。。。
- 6地下地下じげのもののもののものはははいかゞあるべからんとのいかゞあるべからんとのいかがあるべからんとの給給たまはせければはせければわせければ。。。いとやむごとなきものにいとやむごとなきものにいとやむごとなきものに候候そうら。。。地下地下じげなどおぼしなどおぼしなどおぼしはゞからはゞからはばから給給たままじまじまじ。。。ゆくすゑにもおほやけになにゆくすゑにもおほやけになにゆくすえにもおおやけになに事事ことにもつかまつらんにたへたるものになんにもつかまつらんにたへたるものになんにもつかまつらんにたえたるものになん。。。
- 7かくやうなるかくやうなるかくようなる人人ひとををを御御ごらんじわかぬらんじわかぬらんじわかぬはははよのためよのためよのため惡事惡事あくじににに侍侍はべりりり。。。ぜんあくぜんあくぜんあくをををわきまへおはしませばこそわきまへおはしませばこそわきまえおわしませばこそ。。。人人ひとももも心心こころづづづかひかひかいはははつかうまつれつかうまつれつこうまつれ。。。このきこのきこのきはははになさせになさせになさせ給給たまはざらんはざらんわざらんははは。。。
- 8いといといと口口くちをををしきしきしき事事ことにこそさぶらにこそさぶらにこそさぶらはははめとめとめと申申もうさせさせさせ給給たまければければければ。。。だうりのだうりのどうりの事事ことといひながらなりといひながらなりといいながらなり給給たまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。おおおほかたむかしほかたむかしほかたむかしはははさきのさきのさきの頭頭とうのののによりてによりてによりて。。。
- 9後後のちののの頭頭かしらはははなるなるなる事事ことにてにてにて侍侍さぶらいしなりしなりしなり。。。さればさればされば殿上殿上てんじょうにわれなるべしなどにわれなるべしなどにわれなるべしなど。。。民部卿中將民部卿中將みんぶきょうちゅうじょうにておはせしおりおもひにておはせしおりおもひにておわせしおりおもい給給たまへりけるへりけるえりける。。。人人ひとはははこよひときゝてまいりこよひときゝてまいりこよいとききてまいり給給たまへるにへるにえるに。。。
- 10いづこもとくかにさしあひいづこもとくかにさしあひいずこもとくかにさしあい給給たまへりけるへりけるえりけるををを。。。たれぞとゝひたれぞとゝひたれぞととい給給たまへるにへるにえるに御御おんなのりなのりなのり給給たまへばへばえば。。。おもひかけずおぼしておもひかけずおぼしておもいかけずおぼして。。。なになになに事事ことにまいりにまいりにまいり給給たまへるぞとあればへるぞとあればえるぞとあれば。。。
- 11頭頭かしらになしたびたればまいりてになしたびたればまいりてになしたびたればまいりて侍侍はべるなりとあるにるなりとあるにるなりとあるに。。。あさましとあきれてこそあさましとあきれてこそあさましとあきれてこそ。。。うごきもせでたちうごきもせでたちうごきもせでたち給給たまたりけれたりけれたりけれ。。。げにげにげに思思おもひかけずだうりなりやひかけずだうりなりやいかけずどうりなりや。。。
- 12このこのこの源民部卿源民部卿げんみんぶきょうかくかくかく申申もうなしなしなし給給たまへるへるえる事事ことをををおぼししりておぼししりておぼししりて。。。從二位從二位じゅにいのおりかとよのおりかとよのおりかとよ。。。こえこえこえ申給申給もうしたましかどしかどしかど。。。さらにかみにゐさらにかみにゐさらにかみにい給給たまはざりきはざりきわざりき。。。かのかのかの殿殿どのいでいでいで給給たま日日ひはははわれやまひわれやまひわれやまい申申もうししし。。。
- 13又又またともにいでともにいでともにいで給給たま日日ひはははむかへむかへむかえ座座ざなどにぞゐなどにぞゐなどにぞい給給たまししし。。。さてさてさて民部卿民部卿みんぶきょう正二位正二位しょうにいのおりこそのおりこそのおりこそははは。。。本本もと給給たましかしかしか。。。
現代語訳
その義孝の少将も、桃園の源中納言保光卿の娘の腹にお生まれになった君ですよ。今の侍従大納言行成卿で、世の能書家と評判でいらっしゃるのは、この殿(義孝)の御子である。(行成の子は)今の但馬守実経の君、尾張権守良経の君のお二人は、泰清三位の娘の腹である。本妻の腹は少将行経の君。また女君は、入道殿(道長)の御子で高松殿の腹の権中納言殿(長家)の北の方でいらっしゃったが、姫君は十五でお亡くなりになったのですよ。また(もう一人は)今の丹波守経頼の君の北の方でいらっしゃる。また大姫君がいらっしゃるとか。
この侍従の大納言殿こそ、備後介といって、まだ地下(昇殿を許されない身分)でいらしたとき、蔵人頭におなりになったのですよ。たいそう珍しいことですなあ。そのころ源民部卿殿(俊賢)は職事(蔵人頭)でいらっしゃったが、上達部(参議)におなりになったので、一条院が「この次にはまた誰がなるのがよいか」とお尋ねになったところ、(俊賢は)「行成こそなるべき人でございます」と奏上なさったのを、(帝が)「地下の者はどうだろうか」とおっしゃったので、「たいへんすぐれた者でございます。地下などとお憚りになってはいけません。将来も朝廷の何事にもお仕えするのに堪える者です。このような人をお見分けにならないのは、世のための悪事でございます。善悪をわきまえていらっしゃればこそ、人も心をつくしてお仕えするのです。この機会におなしにならないのは、まことに残念なことでございましょう」と申し上げなさったので、(帝も)道理のことだと言いながら、(行成は)おなりになったのですよ。
だいたい昔は、前の頭の推挙によって後の頭はなることでございました。ですから殿上では「自分がなるはずだ」などと、さだのぶ(経房)の民部卿が中将でいらしたときに思っていらしたのに、人が「今宵(任命がある)」と聞いて参上なさると、どこもかしこも暗い所でばったり出会われたのを、「誰か」とお尋ねになると、(行成が)お名のりになったので、思いがけなくお思いになって、「何事で参られたのか」と言うと、「頭にしていただいたので参ったのです」と言うので、あきれはてて、動きもせずに立っていらしたのでした。まことに思いもよらなかったことで、もっともですよ。
(行成は)この源民部卿がこのように推挙申し上げなさったことを恩に感じて、従二位のときだったか、(官位で俊賢を)越え申しなさったけれど、まったく上座にはお着きにならなかった。あの殿(俊賢)が出仕なさる日は自分は病気と申して休み、また一緒に出仕なさる日は向かい合わせの座などにお着きになった。そうして民部卿が正二位になったときにこそ、もとのように下座におなりになったのでした。
意訳
義孝の子行成は、小野道風・藤原佐理と並ぶ三蹟の一人で、当代随一の能書家であった。ここでは、行成の異例の出世の話が語られる。
長徳元年(995)、蔵人頭だった源俊賢が参議に昇進するとき、一条天皇に後任を問われ、まだ昇殿も許されない備後介の行成を推した。帝が「地下の者はどうか」とためらうと、俊賢は「このような人を見分けないのは世のための悪事です」とまで言って強く推挙した。行成は二十四歳で蔵人頭となり、以後、一条天皇と道長の信任を得て活躍する。
自分が次の頭になると思っていた中将は、夜の殿上で見知らぬ若者と鉢合わせ、それが新任の頭だと知って立ちつくした。一方行成は、恩人俊賢を位で追い越したのちも決して上座に着かず、俊賢が出仕する日は病気と称して休んだという。恩を忘れない行成の律儀な人柄が伝わる話である。
語釈・文法注
- 保光
- 源保光(924〜995)。代明親王の子。桃園中納言と呼ばれた。行成の外祖父。
- 行成
- 藤原行成(972〜1027)。義孝の子。権大納言。書の名人で三蹟の一人。日記『権記』を残した。
- てかき
- 手書き。能書家。
- 實經
- 藤原実経(998〜1045)。行成の子。
- 良經
- 藤原良経(1001〜1058)。行成の子。
- 行經
- 藤原行経(1012〜1050)。行成の子。母は源泰清の娘とも。
- 權中納言殿
- 藤原長家(1005〜1064)。道長の子。母は源明子(高松殿)。行成の娘を妻としたが、娘は十五歳で亡くなった。
- つねより
- 源経頼(985〜1039)。丹波守。
- ひごのすけ
- 備後介。底本は「ひご」と仮名書き。
- 地下
- 昇殿を許されない身分の者。
- 藏人頭
- 蔵人所の長官。天皇の側近として奏上・伝宣にあたり、公卿への出世の道とされた。
- 源民部卿殿
- 源俊賢。高明の子。蔵人頭から参議となった。
- 擧
- 推挙。
- さだのぶの民部卿
- 底本は「さだのぶ」とするが、諸本に「つねふさ」とあり、源経房(969〜1023)か。高明の子で俊賢の弟。
- げらう
- 下臈。ここでは下座。
文法
- なり給なれ
- 「なれ」は「こそ」の結び。おなりになったのである。
- なるべきとゝはせ給ければ
- なるのがよいかとお尋ねになったので。
- おぼしはゞから給まじ
- 「まじ」は打消当然。お憚りになってはいけない。
- さぶらはめ
- 「め」は推量「む」の已然形で「こそ」の結び。
- たち給たりけれ
- 「こそ」の結び。立っていらっしゃった。
- ゐ給はざりき
- お着きにならなかった。
解説
行成の蔵人頭就任は長徳元年(995)八月。俊賢の推挙によることは、行成自身の日記『権記』にも記されている。地下からいきなり頭になるのは異例であった。
底本の「さだのぶの民部卿」は、諸本の多くが「つねふさ」とし、源経房(俊賢の弟)を指すと考えられる。経房はのちに中納言・民部卿となった。
行成は一条天皇の側近として、また道長の信頼を得て、敦成親王(後一条天皇)の立太子などに関わった。同じ日(万寿四年十二月四日)に道長と亡くなったことでも知られる。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、557〜559頁(コマ294–295)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日