大鏡 第37章
挙賢・義孝兄弟の死
伊尹の子の挙賢・義孝の兄弟は、父の死から三年後、天延二年の疱瘡で、兄は朝に、弟は夕べに同じ日に亡くなった。道心深い義孝は「法華経を読み終えるまで生き返るから、普通の葬儀をしないでくれ」と遺言したが、母は取り乱して枕を返してしまい、義孝は戻れなかった。のちに母や僧賀縁、実資の夢に現れて、極楽に生まれたことを告げた。生前の義孝が夜、世尊寺で紅梅の下に額づいて往生を祈った姿は、世継自身が見たという。
- 1男君男君おとこぎみ達達たちはははののの親王親王しんのうののの御女御女おおんむすめのののはらにはらにはらに。。。藏人藏人くろうど前少將前少將さきのしょうしょう後少將後少將のちのしょうしょうとてとてとて花花はなをををおりおりおり給給たまししし君達君達きんだちののの。。。殿殿どのうせうせうせ給給たまててて三年三年さんねん計計はかありてありてありて天延天延てんえん二年二年にねん甲戌甲戌きのえいぬのとしのとしのとし。。。
- 2給給たまててて。。。前少將前少將さきのしょうしょうはははあしたにあしたにあしたにうせうせうせ給給たま。。。後少將後少將のちのしょうしょうはははゆふべにかくれゆふべにかくれゆうべにかくれ給給たまひしぞかしひしぞかしいしぞかし。。。一日一日ついたちがががうちにうちにうちに二人二人ふたりののの子子こうしなひうしなひうしない給給たまへりしへりしえりし母母はは北北きた方方かたののの御心御心みこころちいかなりけむちいかなりけむちいかなりけむ。。。
- 3いとこそかなしくうけいとこそかなしくうけいとこそかなしくうけ給給たまはははりしかりしかりしか。。。後少將後少將のちのしょうしょうははは義孝義孝よしたかとぞきこえしとぞきこえしとぞきこえし。。。御御おんかたちいとめでたくおはしかたちいとめでたくおはしかたちいとめでたくおわし。。。としごろきとしごろきとしごろきはははめたるめたるめたるにぞおはしけるにぞおはしけるにぞおわしける。。。
- 4やまひおもくなるまゝにやまひおもくなるまゝにやまいおもくなるままに。。。いくいくいくべうべうべうもおぼえもおぼえもおぼえ給給たまはざりければはざりければわざりければ。。。はゝうへにはゝうへにはほうえに申給申給もうしたまけるやうけるやうけるよう。。。をのれしにをのれしにおのれしに侍侍はべぬともぬともぬとも。。。とかくれいのやうにせさせとかくれいのやうにせさせとかくれいのようにせさせ給給たまななな。。。
- 5しばししばししばし法花經法花經ほけきょう誦誦ずじじじ奉奉たてまつらんのらんのらんの本意本意ほい侍侍はべればればれば。。。かならずかへりまうでくべしとのたまうてかならずかへりまうでくべしとのたまうてかならずかえりもうでくべしとのたもうて。。。をををよみよみよみ奉奉たてまつりりり給給たまてぞてぞてぞうせうせうせ給給たまけるけるける。。。そのそのその遺言遺言ゆいごんををを母母はは北北きた方方かたわすれわすれわすれ給給たまふべきにあらねどふべきにあらねどうべきにあらねど。。。
- 6ものもおぼえでおはしければものもおぼえでおはしければものもおぼえでおわしければ。。。おもふにおもふにおもうに人人ひとのしたてまつりてけるにやのしたてまつりてけるにやのしたてまつりてけるにや。。。。。。れいのやうなるありさまどもにしてければれいのやうなるありさまどもにしてければれいのようなるありさまどもにしてければ。。。
- 7えかへりえかへりえかえり給給たまはずなりにけりはずなりにけりわずなりにけり。。。のちにのちにのちに母母はは北北きた方方かたののの御夢御夢みいめににに見見みえええ給給たまけるけるける。。。
- 8しかばかりちぎりしものしかばかりちぎりしものしかばかりちぎりしものをををはははかへるかへるかえるほどにほどにほどにはははわするべしやわするべしやわするべしやははは。。。
- 9とぞよみとぞよみとぞよみ給給たまへりけるへりけるえりける。。。いかなるいかなるいかなる心心こころちしちしちし給給たまひけんなひけんないけんな。。。さてのちさてのちさてのちほどへてほどへてほどえて。。。ととと申申もう僧僧そうののの夢夢ゆめににに。。。此此この君達君達きんだちふたりおはしけるがふたりおはしけるがふたりおわしけるが。。。あにのあにのあにの前少將前少將さきのしょうしょうはははいたうものおもへるさまにてみえいたうものおもへるさまにてみえいとうものおもえるさまにてみえ給給たま。。。
- 10此此この後少將後少將のちのしょうしょうはははいといといと心心こころちよげなるさまにてみえちよげなるさまにてみえちよげなるさまにてみえ給給たまければければければ。。。阿闍梨阿闍梨あざり。。。君君きみはははなどなどなど心心こころちよげにておはするちよげにておはするちよげにておわする。。。母母ははうへうへうえははは君君きみをををこそあにこそあにこそあに君君きみよりよりよりはははいみじうこひきこえいみじうこひきこえいみじゅうこいきこえ給給たまめれときこえければめれときこえければめれときこえければ。。。いとあたはぬさまのけしきにていとあたはぬさまのけしきにていとあたわぬさまのけしきにて。。。
- 11しぐれとしぐれとしぐれとはははちぐさのちぐさのちぐさの花花はなぞちりまがふなにぞちりまがふなにぞちりまがうなにふるふるふる里里さとににに袖袖そでぬらすらんぬらすらんぬらすらん。。。
- 12などなどなどうちよみうちよみうちよみ給給たまけるけるける。。。さてのちさてのちさてのち小野宮小野宮おののみやのさねすけのおとゞののさねすけのおとゞののさねすけのおとどの御御おんゆめにゆめにゆめに。。。おもしろきおもしろきおもしろき花花はなのかげにおはしけるのかげにおはしけるのかげにおわしけるををを。。。うつゝにもかたらひうつゝにもかたらひうつつにもかたらい給給たまへりしへりしえりし御御おんなかにてなかにてなかにて。。。
- 13いかでかくいかでかくいかでかくはははいづくにてかなどゞいづくにてかなどゞいずくにてかなどどふらしがりふらしがりふらしがり申給申給もうしたまければければければ。。。御御おんいらへにかくなんいらへにかくなんいらえにかくなん。。。
- 14昔昔むかし契契ちぎり萊萊萊宮宮みや裏裏裏月月つき。。。今今いま遊遊あそび極極ごく樂樂樂界界界中中なか風風かぜ。。。
- 15とぞのとぞのとぞの給給たまけるけるける。。。極樂極樂ごくらくにむまれにむまれにむまれ給給たまへるにぞあなるへるにぞあなるえるにぞあなる。。。かやうにもゆめなどしめいかやうにもゆめなどしめいかようにもゆめなどしめい給給たまはずともはずともわずとも。。。このこのこの人人ひとののの御御おんをををうたがひうたがひうたがい申申もうべきにあらずべきにあらずべきにあらず。。。
- 16よのつねのよのつねのよのつねの君達君達きんだちのやうにのやうにのようにうちわたりなどにてもうちわたりなどにてもうちわたりなどにても。。。をのづからをのづからおのずから女房女房にょうぼうとかたらひとかたらひとかたらい。。。はかなきことはかなきことはかなきことをををだにのたまはせざりけるにだにのたまはせざりけるにだにのたまわせざりけるに。。。いかなるおりにかありけんいかなるおりにかありけんいかなるおりにかありけん。。。
- 17ほそどのにたちよりほそどのにたちよりほそどのにたちより給給たまへればへればえれば。。。れいならずめづらしくてれいならずめづらしくてれいならずめずらしくて物語物語ものがたり聞聞きこえさせけるにえさせけるにえさせけるに。。。やう〳〵やう〳〵ようよう夜中夜中よなかなどにもなりやしぬらんとおもふなどにもなりやしぬらんとおもふなどにもなりやしぬらんとおもうほどにたちのきほどにたちのきほどにたちのき給給たまををを。。。
- 18いづかたへかとゆかしうていづかたへかとゆかしうていずかたえかとゆかしゅうて。。。人人ひとつけたてまつりてつけたてまつりてつけたてまつりて見見みせたりければせたりければせたりければ。。。北北きたののの陣陣じんよりいでよりいでよりいで給給たまけるけるける程程ほどよりよりより。。。法花經法花經ほけきょうをををいみじくたうとくいみじくたうとくいみじくとうとく誦誦ずししし給給たま。。。
- 19大宮大宮おおみやのぼりにおはしてのぼりにおはしてのぼりにおわして。。。世尊寺世尊寺せそんじにおはしましつきぬにおはしましつきぬにおわしましつきぬ。。。なななををを見見みればればれば東對東對ひがしのたいのつまなるのつまなるのつまなる紅梅紅梅こうばいのいみじうさかりにさきたるしたにたせたまひてのいみじうさかりにさきたるしたにたせたまひてのいみじゅうさかりにさきたるしたにたせたまいて。。。
- 20ををを西西にしにむかひてあまたゝびつかせにむかひてあまたゝびつかせにむかいてあまたたびつかせ給給たまけりけりけり。。。かへりかへりかえり侍侍はべててて御御おんありさまかたりければありさまかたりければありさまかたりければ。。。いと〳〵いと〳〵いといとあはれにきゝたてまつらぬあはれにきゝたてまつらぬあわれにききたてまつらぬ人人ひとなしなしなし。。。
- 21このおきなもそのころこのおきなもそのころこのおきなもそのころ大宮大宮おおみやなるなるなる所所ところにやどりてにやどりてにやどりて侍侍はべりしかばりしかばりしかば。。。御御おんこゑにこそおどろきていといみじうこゑにこそおどろきていといみじうこえにこそおどろきていといみじゅう承承うけたまわしかばしかばしかば。。。おきないでゝおきないでゝおきないでて見見み奉奉たてまつりしかばりしかばりしかば。。。
- 22空空そらはははかすみわたりたるにかすみわたりたるにかすみわたりたるに。。。月月つきはははいみじうあかくていみじうあかくていみじゅうあかくて。。。御御おんなななをををしのいとしろきにしのいとしろきにしのいとしろきに。。。こきこきこき御御おん。。。よいよいよいほどにほどにほどに御御おんくゝりあげてくゝりあげてくくりあげて。。。なにいろにかいろあるなにいろにかいろあるなにいろにかいろある御御おんぞどものゆたちよりおほくこぼれいでゝぞどものゆたちよりおほくこぼれいでゝぞどものゆたちよりおおくこぼれいでて侍侍はべりしりしりし御御おんやうだいなどよやうだいなどよようだいなどよ。。。
- 23御御おんかほのかほのかおの色色いろ月影月影つきかげにににはははえていとしろうえていとしろうえていとしろう見見みえさせえさせえさせ給給たましにしにしに。。。びんくきのけちえむにめでたくこそまことにおはしましかびんくきのけちえむにめでたくこそまことにおはしましかびんくきのけちえむにめでたくこそまことにおわしましか。。。やがてみやがてみやがてみつぎ〳〵つぎ〳〵つぎつぎにおほんともにまいりてにおほんともにまいりてにおおんともにまいりて。。。
- 24御御おんぬかつかせぬかつかせぬかつかせ給給たましもしもしも見見みたてまつりたてまつりたてまつり侍侍しききき。。。いとかなしくあはれにこそいとかなしくあはれにこそいとかなしくあわれにこそ侍侍さぶらいしかしかしか。。。御御おおんともにわらはともにわらはともにわらわひとりぞひとりぞひとりぞ候候そうろうめりしめりしめりし。。。
- 25又又また殿上殿上てんじょう侍侍はべりしときさらなりりしときさらなりりしときさらなり。。。ことことこと人人ひとはははみなみなみな心〳〵心〳〵こころごころにかりさうぞくめでたうせられたりけるににかりさうぞくめでたうせられたりけるににかりそうぞくめでとうせられたりけるに。。。このこのこの殿殿どのはははいたうまたれたまひていたうまたれたまひていとうまたれたまいて。。。
- 26しろきしろきしろき御御おん。。。うすうすうす色色いろののの御御おんかりばかまかりばかまかりばかま。。。はなやかならぬあはひにてさしいではなやかならぬあはひにてさしいではなやかならぬあわいにてさしいで給給たまひけるこそひけるこそいけるこそ。。。中〳〵中〳〵なかなか心心こころをををつくしたるつくしたるつくしたる人人ひとよりよりよりはははいみじうおはしけれいみじうおはしけれいみじゅうおわしけれ。。。
- 27つねのつねのつねの御御おん事事ことなればなればなれば法花經法花經ほけきょう御御おんくちにつぶやきてくちにつぶやきてくちにつぶやきて。。。ののの御御おんずゞのずゞのずずの水精水精すいしょうのののさうぞくしたるさうぞくしたるそうぞくしたるひきかくしてひきかくしてひきかくしてもちもちもち給給たまへりけりへりけりえりけり。。。御用意御用意ごよういなどのゆうにこそおはしましけれなどのゆうにこそおはしましけれなどのゆうにこそおわしましけれ。。。
- 28おおおほかたほかたほかた一生精進一生精進いっしょうしょうじんはははじめじめじめ給給たまへるへるえる。。。まづまづまず有有ありがたきがたきがたき事事ことぞかしぞかしぞかし。。。なを〳〵なを〳〵なおなおおなじおなじおなじ事事ことのやうにのやうにのように侍侍はべれどいみじとれどいみじとれどいみじと見見み給給たまへへえ。。。きゝきゝききをををきつるきつるきつる事事ことははは申申もうさまほしくてさまほしくてさまほしくて。。。
- 29此此この殿殿どのははは御御おんかたちのありがたくかたちのありがたくかたちのありがたく。。。すゑのよにもさるすゑのよにもさるすえのよにもさる人人ひとやいでおはしましがたからんとまでこそやいでおはしましがたからんとまでこそやいでおわしましがたからんとまでこそ見見みたまへりしかたまへりしかたまえりしか。。。ゆきのいみじうゆきのいみじうゆきのいみじゅうふりたりしふりたりしふりたりし日日ひ。。。
- 30にまいらせにまいらせにまいらせ給給たまててて。。。御前御前おまえののの梅梅うめののの木木きににに雪雪ゆきのいたうつもりたるのいたうつもりたるのいとうつもりたるををををををりてりてりてうちふらせうちふらせうちうらせ給給たまへりしかばへりしかばえりしかば。。。御御おんうへにうへにうえにはら〳〵はら〳〵はらはらとかゝりたりしとかゝりたりしとかかりたりしををを。。。
- 31御御おんなななをををしのしのしのうらのうらのうらの花花はななりけるがなりけるがなりけるが。。。かへりていとまだらになりてかへりていとまだらになりてかえりていとまだらになりて侍侍さぶらいしにしにしに。。。もてもてもてはやはやはやされさせされさせされさせ給給たまへりしへりしえりし御御おんかたちこそいとめでたくおはしましゝかかたちこそいとめでたくおはしましゝかかたちこそいとめでたくおわしまししか。。。
- 32御御おんあにのあにのあにの少將少將しょうしょうもいとよくおはしきもいとよくおはしきもいとよくおわしき。。。このおとゞこのおとゞこのおとど殿殿どののかくあまりにのかくあまりにのかくあまりにうるはしくおはしましゝうるはしくおはしましゝうるわしくおわしまししをもをもをもどきてどきてどきて。。。人人ひとにてぞおはせしにてぞおはせしにてぞおわせし。。。
現代語訳
男君たちは、代明親王の御娘の腹に、蔵人の前少将挙賢・後少将義孝といって、花を折るように華やかだった君たちが、殿(伊尹)がお亡くなりになって三年ほどたった天延二年甲戌の年、疱瘡が流行ったのにかかりなさって、前少将は朝に亡くなり、後少将は夕べに亡くなったのですよ。一日のうちに二人の子を失いなさった母北の方のお気持ちはどんなだったでしょう。まことに悲しく承りました。
後少将は義孝と申し上げた。ご容貌がたいそうすばらしくていらして、長年きわめて道心の深い方でいらっしゃった。病が重くなるにつれて、生きられそうにもお思いにならなかったので、母上に申しなさったことには、「私が死にましても、あれこれ普通の(葬儀の)ようにはなさいますな。しばらく法華経を誦し申し上げたいという本意がございますので、必ず帰ってまいります」とおっしゃって、方便品を読み申し上げながらお亡くなりになった。その遺言を母北の方はお忘れになるはずもないが、何もわからなくなっていらしたので、思うに人がしてしまったのでしょうか、枕返しなどをしたのでしょうかと、普通のようなさまにしてしまったので、(義孝は)お帰りになれなくなってしまった。のちに母北の方の御夢にお見えになった(歌)。
しかばかり契りしものを渡り川かへるほどには忘るべしやは
とお詠みになったのでした。どんなお気持ちになったことでしょうな。
その後しばらくたって、賀縁阿闍梨という僧の夢に、この君たち二人がいらしたが、兄の前少将はひどく思い悩んでいる様子にお見えになる。この後少将はたいそう気持ちよさそうな様子にお見えになったので、阿闍梨が「あなたはどうして気持ちよさそうにいらっしゃるのか。母上はあなたのことをこそ兄君よりはひどく恋しがっていらっしゃるようですよ」と申し上げると、たいそう不満そうな様子で、
時雨とは千草の花ぞ散りまがふなにふるさとに袖濡らすらむ
などとお詠みになった。その後、小野宮の実資の大臣の御夢に、趣深い花の陰にいらしたのを、生前にも親しく語り合っていらしたお仲なので、「どうしてこのように。どこにいらっしゃるのですか」などと珍しがって申しなさったところ、お答えにこう(言った)。
昔は契りき蓬萊宮の裏の月に 今は遊ぶ極楽界の中の風に
とおっしゃった。極楽に生まれていらっしゃるのでしょう。このように夢などでお示しにならなくても、この人の往生を疑い申し上げるべきではない。世の常の君たちのように、内裏のあたりなどでも、自然と女房と語らい、ちょっとしたことさえおっしゃらなかったのに、どういう折であったか、細殿に立ち寄られたので、いつもと違って珍しいので(女房たちが)お話を申し上げたところ、だんだん夜中にもなっただろうかと思うころに立ち去りなさったのを、どこへ行かれるのかと知りたくて、人をつけ申し上げて見させたところ、北の陣をお出になったところから、法華経をたいそう尊くお誦しになる。大宮大路を北へいらして、世尊寺にお着きになった。なおも見ると、東の対の端にある紅梅がたいそう盛りに咲いている下にお立ちになって、「滅罪生善、往生極楽」という額づきを、西に向かって何度もなさった。(使いの者が)帰って様子を語ったので、まことにしみじみと聞き申し上げない人はいなかった。
この翁もそのころ大宮大路にある所に宿っておりましたので、お声に目を覚まして、たいへんすばらしく承りましたので、翁は出て拝見しましたところ、空は一面に霞んでいるのに、月はたいそう明るくて、白い直衣に濃い紫の指貫を、ほどよくくくり上げて、何色ともわからない色のあるお召し物の裾から、たくさんこぼれ出ておりましたお姿などよ。お顔の色は月光に映えて、たいそう白くお見えになったところに、鬢の黒さがくっきりと、まことにすばらしくいらっしゃった。そのまま見続けて、お供に参って、額づきなさるのも拝見しました。まことに悲しく、しみじみとしたことでございました。お供には童が一人お仕えしていたようでした。
また、殿上の逍遥(野遊び)がございましたときは言うまでもない。ほかの人々はみな思い思いに狩装束をすばらしく整えていらしたのに、この殿はたいそう待たれなさって、白いお召し物に香染めの狩衣、薄紫の狩袴という、華やかでない取り合わせで現れなさったのは、かえって心を尽くした人よりもすばらしくいらした。いつものことなので、法華経を口ずさんで、紫檀の数珠で水晶の飾りをつけたものを隠して持っていらした。お心づかいなどの優雅さよ。
だいたい一生精進をお始めになったこと(若くして生涯の精進を始めたこと)は、まずめったにないことですよ。やはり同じことのようでございますが、すばらしいと拝見し聞き置いたことは申し上げたくて。この殿はご容貌がめったにないほどで、後の世にもそういう人は出ていらっしゃるのは難しかろうとまで拝見しました。雪のたいそう降った日、一条左大臣殿(源雅信)のもとに参上なさって、御前の梅の木に雪がたくさん積もったのを折って振り落としなさったので、お体にはらはらとかかったのを、直衣の裏の花色が、かえってたいそうまだらになりましたのに、ひときわ映えなさったご容貌は、まことにすばらしくいらっしゃった。兄君の少将もたいそう美しくいらした。この大臣殿(弟の義孝)がこのようにあまりに端正でいらっしゃるのを非難して、少し横着でたちの悪い人でいらっしゃった。
意訳
伊尹の二人の息子、挙賢と義孝の悲劇が語られる。天延二年(974)、疱瘡(天然痘)が流行し、兄は朝に、弟は夕べに、同じ日に亡くなった。一日で二人の息子を失った母の悲しみは察するにあまりある。
義孝は若くして深く仏道を信仰していた。死を前に、「法華経を読み終えたいので、必ず生き返る。普通の葬儀はしないでほしい」と母に言い残したが、悲しみに取り乱した家人が枕を返すなどの死後の作法をしてしまい、義孝はこの世に戻れなかった。のちに母の夢に「あれほど約束したのに、三途の川から帰るまでの間に忘れてしまったのですか」と恨みの歌を詠む。
それでも義孝は極楽に往生した。僧の夢では、苦しげな兄とは対照的に晴れやかな顔で現れ、実資の夢では「昔は宮中の月の下で語り合ったが、今は極楽の風の中に遊ぶ」と漢詩で告げた。さらに世継は、若き日の義孝が夜ひそかに世尊寺の紅梅の下で西に向かって額づく姿を、自分の目で見たと語る。月光に映える白い顔、黒い鬢。世継のことばは、義孝の清らかな美しさへの讃嘆に満ちている。
語釈・文法注
- 代明の親王
- 代明親王(904〜937)。醍醐天皇の皇子。その娘恵子女王が伊尹の妻となった。
- 擧賢
- 藤原挙賢(953〜974)。伊尹の子。前少将。
- 義孝
- 藤原義孝(954〜974)。伊尹の子。後少将。歌人で、『百人一首』の「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」の作者。行成の父。
- もがさ
- 疱瘡。天然痘。天延二年(974)に大流行した。
- 道心者
- 仏道を求める心の深い人。
- 方便品
- 法華経の第二品。
- まくらがへし
- 枕返し。死者の枕を北向きに直すこと。死後の作法を始めると、もう生き返れないと考えられた。
- わたりがは
- 渡り川。三途の川。
- 賀緣阿闍梨
- 賀縁。天台宗の僧。
- 蓬萊宮
- 蓬萊宮。ここでは宮中のたとえ。
- 往生
- 死後、極楽浄土に生まれること。
- 滅罪生善往生極樂
- 罪を滅ぼし善を生じ、極楽に往生したいと唱える文句。
- ぬか
- 額(ぬか)。額づくこと。拝礼。
- 御さしぬき
- 指貫。裾をくくった袴。
- せうえう
- 逍遥。野遊び。
- かうぞめ
- 香染め。丁子で染めた黄褐色。
- 紫檀
- 南方産の高級な木材。
- 一條左大臣殿
- 源雅信(920〜993)。宇多天皇の孫。左大臣。娘の倫子が道長の妻となった。
- よこうがん
- 横着。わがままで不作法なこと。
文法
- せさせ給な
- 「な〜そ」の「そ」を欠く形の禁止とも、「な」の終助詞とも。なさいますな。
- かへりまうでくべし
- 「まうでく」は「来」の謙譲語。必ず帰ってまいります。
- わするべしやは
- 「やは」は反語。忘れてよいものか。
- ぬらすらん
- 「らむ」は現在の原因推量。どうして袖を濡らしているのだろう。
- うたがひ申べきにあらず
- 疑い申し上げるべきではない。
- いでおはしましがたからん
- 出ていらっしゃるのは難しいだろう。
和歌・漢詩
しかばかりちぎりしものをわたりがはかへるほどにはわするべしやは
- 作者
- 藤原義孝
- 状況
- 死後、母の夢に現れて詠んだ歌。『後拾遺集』哀傷に載る。あれほど約束したのに、三途の川から帰ってくるまでの間に、忘れてしまってよいものでしょうか。
修辞
- 表現
- 生き返るという約束を守らなかった母への恨みを、やさしく詠む。
しぐれとはちぐさの花ぞちりまがふなにふる里に袖ぬらすらん
- 作者
- 藤原義孝
- 状況
- 賀縁阿闍梨の夢に現れて詠んだ歌。(極楽では)時雨といえば、さまざまの花が散り乱れることなのです。どうして故郷(この世)で(私を思って)袖を濡らしているのでしょう。
修辞
- 掛詞
- 「ふる里」の「ふる」に「降る」と「古る」をかけ、「しぐれ」の縁語とする。
- 対比
- 極楽の花の時雨と、この世の涙の時雨。
昔契蓬萊宮裏月。今遊極樂界中風。
- 作者
- 藤原義孝
- 状況
- 実資の夢に現れて告げた詩句。書き下しは「昔は契りき蓬萊宮の裏の月に、今は遊ぶ極楽界の中の風に」。昔は宮中の月の下であなたと親しく語り合ったが、今は極楽の風の中に遊んでいる。
修辞
- 対句
- 「昔」と「今」、「蓬萊宮」と「極楽界」、「月」と「風」。
解説
挙賢と義孝が同じ日に亡くなったことは『日本紀略』などにも見え、天延二年(974)九月十六日のことである。義孝は二十一歳であった。
義孝の往生の話は、『大鏡』のほか『今昔物語集』『発心集』『宝物集』など多くの説話集に取られ、往生者の典型として語り継がれた。
世継が自分の目で義孝の姿を見たと語るところは、語り手の実体験として話の真実味を高めている。月光の下の義孝の姿の描写は、『大鏡』の中でも美しい場面の一つである。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、554〜557頁(コマ293–294)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日