古典ライブラリー

大鏡 第35章

師輔の夢と貫之の歌

若いころ師輔は、朱雀門の前で両足を東西の大宮大路に広げ、内裏を抱いて立つ夢を見たが、女房に「さぞ股が痛かったでしょう」と言われたため夢がたがい、摂政・関白にはなれなかったという。また師輔が紀貫之の家を訪ねて歌を詠ませた話、冷泉天皇の物の怪のこと、師輔の子どもたちの数が語られ、巻四が結ばれる。

  1. 1くちくちくちをををしかりけることしかりけることしかりけることははは。。。いまだいとわかくおはしましけるいまだいとわかくおはしましけるいまだいとわかくおわしましける時とき時ときとき。。。夢ゆめ夢ゆめゆめにににのまへにのまへにのまえに左右さいう左右さいうさゆうのあしのあしのあしをををにしにしにしひんがしひんがしひんがしのののにさしやりてにさしやりてにさしやりて。。。
  2. 2きたむきにてきたむきにてきたむきにて内裏だいり内裏だいりだいりをををいだきてたてりとなんいだきてたてりとなんいだきてたてりとなん見み見みみえつるとおほせられけるえつるとおほせられけるえつるとおおせられけるををを。。。御前おまへ御前おまへおまえ女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの侯こう侯こうこうけるがけるがけるが。。。いかにいかにいかに御おん御おんおんまたいたくおはしましつらんとまたいたくおはしましつらんとまたいたくおわしましつらんと申まう申まうもうたりけるにたりけるにたりけるに。。。
  3. 3御夢みいめ御夢みいめみいめたがひてかくたがひてかくたがいてかく御おん御おんおんすゑすゑすえはははさかへさせさかへさせさかえさせ給たま給たまたまへどへどえど。。。攝政關白せつしやうくわんぱく攝政關白せつしやうくわんぱくせっしょうかんぱくえしおはしまさずなりにしなりえしおはしまさずなりにしなりえしおわしまさずなりにしなり。。。又また又またまた御おん御おんおんすゑにすゑにすえに思おも思おもおもはずなるさまにはずなるさまにわずなるさまに御おん御おんおん事こと事ことことのののうちまじりうちまじりうちまじり。。。
  4. 4そちどのゝそちどのゝそちどのの御おん御おんおん事こと事ことことなどもこれがたがひたるゆへになどもこれがたがひたるゆへになどもこれがたがいたるゆえに侍はべ侍はべはべるるる也なり也なりなり。。。いみじきいみじきいみじきののの夢ゆめ夢ゆめゆめ申まう申まうもうつたへてつたへてつたえて侍はべ侍はべはべ事こと事ことことなりなりなり。。。してしてして心こころ心こころこころしらざらんしらざらんしらざらん人ひと人ひとひとのまへにてのまへにてのまえにて夢ゆめ夢ゆめゆめがたりながたりながたりな。。。
  5. 5このきかせこのきかせこのきかせ給たま給たまたま人々ひとびと人々ひとびとひとびとしおはしましそしおはしましそしおわしましそ。。。今いま今いまいまゆくすゑもゆくすゑもゆくすえも九條くでう九條くでうくじょう殿どの殿どのどのののの御おん御おんおんぞぞぞうのみこそうのみこそうのみこそ。。。とにかくにつけてとにかくにつけてとにかくにつけてひろごりひろごりひろごり榮さか榮さかさかへさせへさせへさせ給たま給たまたまはははめめめ。。。
  6. 6いとおかしきいとおかしきいとおかしき事こと事ことことはははかくやらんかくやらんかくやらん。。。ことなくおはしますとのゝことなくおはしますとのゝことなくおわしますとのの。。。。。。なななをををわかわかわかはははめざましきめざましきめざましき事こと事ことことなりかしとおぼえなりかしとおぼえなりかしとおぼえ侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいしかしかしか。。。
  7. 7正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ一日ついたち一日ついたちついたちつけさせつけさせつけさせ給たま給たまたまべきべきべきたいのそこなはれたりければつくろはせたいのそこなはれたりければつくろはせたいのそこなわれたりければつくろわせ給たま給たまたまほどほどおど。。。まづまづまず貞信公ていしんこう貞信公ていしんこうていしんこうののの御おん御おんおんもとにまいらせもとにまいらせもとにまいらせ給たま給たまたまててて。。。かう〳〵かう〳〵こうこうののの事こと事ことことののの侍はべ侍はべはべればればれば。。。
  8. 8うちにおそくまいるよしうちにおそくまいるよしうちにおそくまいるよしををを申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまければければければ。。。おほきおほきおおき大殿おほとの大殿おほとのおおとのおどろかせおどろかせおどろかせ給たま給たまたまててて。。。としごろもたせとしごろもたせとしごろもたせ給たま給たまたまへりけるとりいでてさせへりけるとりいでてさせえりけるとりいでてさせ給たま給たまたまててて。。。給たま給たまたまををを。。。
  9. 9ことごとくうるはしうことごとくうるはしうことごとくうるわしゅう松まつ松まつまつのえだにつけさせのえだにつけさせのえだにつけさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。そのそのその御おん御おんおんかしこまりのよろこびかしこまりのよろこびかしこまりのよろこびははは。。。御心みこころ御心みこころみこころのおよばぬにしもおはしまさゞらめどのおよばぬにしもおはしまさゞらめどのおよばぬにしもおわしまさざらめど。。。なななをををつらゆきにめさむとおぼしめしてわたりおはしましたるつらゆきにめさむとおぼしめしてわたりおはしましたるつらゆきにめさむとおぼしめしてわたりおわしましたるををを。。。まちつけまちつけまちつけ申まう申まうもうはははおろかなるべきなおろかなるべきなおろかなるべきな。。。
  10. 10ふくふくふく風かぜ風かぜかぜにこほりとけたるにこほりとけたるにこおりとけたる池いけ池いけいけのののうへうへうえをををちよまでちよまでちよまで松まつ松まつまつのかげにかくれむのかげにかくれむのかげにかくれむ。。。
  11. 11集しふ集しふしゅうにかきいれたるにかきいれたるにかきいれたるとはりとはりとわり也なり也なりなりかしなかしなかしな。。。
  12. 12いにしへよりいにしへよりいにしえより今いま今いまいまにかぎりもなくおはしますとのゝたゞれんぜいにかぎりもなくおはしますとのゝたゞれんぜいにかぎりもなくおわしますとののただれんぜい院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおんありさまのみぞありさまのみぞありさまのみぞ。。。いといといと心こころ心こころこころうくくちおしきことにてうくくちおしきことにてうくくちおしきことにてはははおはしますおはしますおわします。。。
  13. 13それそれそれはははいかでかさらでいかでかさらでいかでかさらでははは侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。そのそのその御門みかど御門みかどみかどのいでおはしましたればこそのいでおはしましたればこそのいでおわしましたればこそははは。。。ながくながくながく藤氏とうじ藤氏とうじとうじのとのばらいまにさかへおはしませのとのばらいまにさかへおはしませのとのばらいまにさかえおわしませ。。。さらざらましかばさらざらましかばさらざらましかば。。。
  14. 14このごろわづかにわれこのごろわづかにわれこのごろわずかにわれははは計ばかり計ばかりばかりになりいでゝになりいでゝになりいでて。。。ととところ〴〵ころ〴〵ころごろののの御おん御おんおん。。。入道殿にふだうどの入道殿にふだうどのにゅうどうどのはははおほせらるればおほせらるればおおせらるれば。。。
  15. 15源民部卿げんみんぶきやう源民部卿げんみんぶきやうげんみんぶきょうはははさるかたちしたるまうちぎみだちさるかたちしたるまうちぎみだちさるかたちしたるもうちぎみだち侯こう侯こうこうましかばましかばましかば。。。いかにいかにいかに見み見みみぐるしうぐるしうぐるしゅう侍はべ侍はべはべらましとこそわらひらましとこそわらひらましとこそわらい申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふなれふなれうなれ。。。かゝればかゝればかかれば大おほ大おほおおやけわたくしそのやけわたくしそのやけわたくしその御時おほんとき御時おほんときおおんときののの事こと事ことことをををためしとためしとためしと思おも思おもおもふことはりふことはりうことわり也なり也なりなり。。。
  16. 16御物おほんもの御物おほんものおおんもののけこはくていかゞとおぼしゝにのけこはくていかゞとおぼしゝにのけこわくていかがとおぼししに。。。大嘗會だいじやうゑ大嘗會だいじやうゑだいじょうえののの御おん御おんおんうるはしくてわたらせうるはしくてわたらせうるわしくてわたらせ給たま給たまたまにしかにしかにしか。。。それそれそれははは人ひと人ひとひとのめにあらはれてのめにあらはれてのめにあらわれて。。。九條くでう九條くでうくじょう殿との殿とのとのなんなんなん御おん御おんおんうしろうしろうしろをををいだきたてまつりていだきたてまつりていだきたてまつりて。。。
  17. 17御おん御おんおんこしのこしのこしのうちにさぶらはせうちにさぶらはせうちにさぶらわせ給たま給たまたまけるとぞけるとぞけるとぞ申まう申まうもうしゝしゝしし。。。げにげにげにうつゝにてもいとたびたびうつゝにてもいとたびたびうつつにてもいとたびたびはははみえさせみえさせみえさせ給たま給たまたまはざりしかばはざりしかばわざりしかば。。。ましておはしまさぬあとにましておはしまさぬあとにましておわしまさぬあとにはははさやうにさやうにさように御おん御おんおんまもりにてもそひまいらせまもりにてもそひまいらせまもりにてもそいまいらせ給たま給たまたまつらんつらんつらん。。。
  18. 18さらばとにさらばとにさらばとに元げん元げんげん方かた方かたかたののの卿きやう卿きやうきょう。。。桓算供奉くわんさんぐぶ桓算供奉くわんさんぐぶかんさんぐぶをぞをぞをぞをををひのけさせひのけさせひのけさせ給たま給たまたまべきべきべきははは。。。それそれそれはははまたしかるべきさきのまたしかるべきさきのまたしかるべきさきの世よ世よよののの御おん御おんおんむくひにこそむくひにこそむくいにこそはははおはしましけめおはしましけめおわしましけめ。。。さるさるさるははは御心みこころ御心みこころみこころいといといとうるはしくてうるはしくてうるわしくて。。。
  19. 19よのまつりよのまつりよのまつり事こと事ことこともかしこくせさせもかしこくせさせもかしこくせさせ給たま給たまたまつぐべかりしかばつぐべかりしかばつぐべかりしかば。。。世間せけん世間せけんせけんにいみじうあたらしきにいみじうあたらしきにいみじゅうあたらしき事こと事ことことにぞにぞにぞ申まう申まうもうめりしめりしめりし。。。
  20. 20さてまたいまさてまたいまさてまたいまははは此この此このこの九條くでう九條くでうくじょう殿御どのみけしき殿御どのみけしきどのみけしき子こ子ここどものかずどものかずどものかず。。。れいぜんゐんれいぜんゐんれいぜんいん圓融院ゑんゆうゐん圓融院ゑんゆうゐんえんゆういんののの御母みはは御母みははみわわ后きさき后きさききさき。。。貞觀殿ぢやうぐわんでん貞觀殿ぢやうぐわんでんじょうがんでんのないしのかみのないしのかみのないしのかみ。。。一條攝政いちでうのせつしやう一條攝政いちでうのせつしやういちじょうのせっしょう。。。堀川關白ほりかはのくわんぱく堀川關白ほりかはのくわんぱくほりかわのかんぱく。。。大入道殿おほにふだうどの大入道殿おほにふだうどのおおにゅうどうどの。。。たゞきみたゞきみただきみ兵衞督ひやうゑのかみ兵衞督ひやうゑのかみひょうえのかみととと六人ろくにん六人ろくにんろくにんははは。。。
  21. 21むさしのかみむさしのかみむさしのかみ從五位上じゆごゐのじやう從五位上じゆごゐのじやうじゅごいのじょうはらにおはしまさふはらにおはしまさふはらにおわしまさう。。。よのよのよの人ひと人ひとひと事こと事ことことはははこのこのこの御おほん御おほんおおんとにやとにやとにや。。。大おほ大おほおおかたかたかた御おん御おんおんはははらことなれどらことなれどらことなれど。。。
  22. 22おとこおとこおとこ君きみ君きみきみだちだちだち五人ごにん五人ごにんごにんははは。。。太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん。。。三人さんにん三人さんにんさんにんははは攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうししし給たま給たまたまへりへりえり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

残念だったことは、(師輔が)まだたいそう若くていらしたとき、「夢で、朱雀門の前に、左右の足を西と東の大宮大路に差し出して、北向きに内裏を抱いて立っていると見えた」とおっしゃったのを、御前にいた生意気な女房が、「どんなにお股が痛くていらっしゃったでしょう」と申したので、御夢がたがって、このようにご子孫は栄えなさったけれど、(ご自身は)摂政・関白におなりにならずに終わったのである。また、ご子孫に思いがけない様子のことがまじり、帥殿(伊周)のことなども、これがたがったためでございます。たいそうめでたい吉兆の夢も、悪いように解くと外れると、昔から申し伝えていることです。軽はずみに、事情を知らない人の前で夢語りをしてはなりません。

これをお聞きになる方々も、なさいますなよ。今後も、九条殿のご一族だけが何事につけても広がり栄えなさることでしょう。

たいへん趣深いことはこのようなことでしょうか。何事もなくいらっしゃる殿(師輔)が、貫之のぬしの家にいらしたころのことは、やはり和歌はすばらしいものだと思われました。正月一日に(贈り物として)付けさせなさるはずの魚(鯛)がいたんでしまったので、手直しさせなさるあいだ、まず貞信公(忠平)のもとに参上なさって、「これこれのことがございますので、内裏に遅れて参ります」と申し上げなさったところ、太政大臣は驚きなさって、長年持っていらしたものを取り出させなさって、そのまま贈り物にもと差し上げなさったのを、すべてきちんと松の枝にお付けになった。その(貫之の)恐縮した喜びは、お心が及ばないということはないでしょうが、それでもやはり貫之に(歌を)作らせようとお思いになってお渡りになったのを、お待ち受け申した(貫之の)面目は、どうしておろそかなことがありましょう。

吹く風に氷とけたる池の上を千代まで松のかげに隠れむ

家集に書き入れているのも、もっともなことですよ。

昔から今まで限りなく(栄えて)いらっしゃる殿(九条殿の一族)で、ただ冷泉院のご様子だけが、たいそう情けなく残念なことでいらっしゃる。(でも)それはどうしてそうでなくていられましょう。その帝がお生まれになったからこそ、長く藤原氏の殿方は今に栄えていらっしゃるのです。そうでなかったら、「このごろ私はわずかに諸大夫ほどになり出て、あちこちの御前の雑役に使われて歩いていただろう」と入道殿(道長)はおっしゃるので、源民部卿(俊賢)は「そんな姿をした大臣たちがおりましたら、どんなに見苦しかったでしょう」とお笑い申しなさるそうです。ですから、公私ともにその御時(村上・冷泉の世)のことを先例と思うのはもっともなことです。(冷泉院は)物の怪が強くてどうかと思っていたが、大嘗会の御禊にはたいそうきちんとお出ましになった。それは人の目に見えたことで、九条殿が後ろからお抱き申し上げて、御輿の中にお控えになっていたのだと申しました。なるほど、生きていらしたときでさえ、たびたびは(そうした姿を)お見せにならなかったので、まして亡くなられた後には、そのようにお守りとしても付き添い申し上げなさったのでしょう。それならば、いっそ元方の卿や桓算供奉を追い払いなさればよいのに。それはまた、しかるべき前世の報いでいらっしゃったのでしょう。実はお心はたいへん端正で、世の政治も立派に続けてなさるはずだったので、世間ではたいへん惜しいことだと申したようです。

さてまた、今この九条殿のお子たちの数は、冷泉院・円融院の御母后(安子)、貞観殿の尚侍(登子)、一条摂政(伊尹)、堀川関白(兼通)、大入道殿(兼家)、忠君の兵衛督と六人は、武蔵守従五位上経邦の娘の腹でいらっしゃる。世の人が「御(おん)」などと言うのは、このことでしょうか。だいたいお腹は違うけれど、男君たち五人は太政大臣、三人は摂政をなさった。

意訳

師輔が若いころに見た夢の話である。朱雀門の前で両足を東西の大宮大路にかけ、内裏を抱えて立つという、天下を掌握するかのような壮大な夢。ところが女房が「さぞ股が痛かったでしょう」と茶化したため、夢がたがい、師輔自身は摂政・関白になれず、子孫にも伊周の左遷のような不運がまじったという。世継は「事情を知らない人の前で夢語りをするな」と聞き手に戒める。夢を占いのように受け止める当時の感覚がよく表れている。

師輔が正月の贈り物を持って紀貫之の家を訪ね、歌を詠ませた話は、和歌の名人を重んじる心を伝える。父の忠平が自分の秘蔵の品を差し出して贈り物を整えさせ、貫之は「吹く風に氷とけたる池の上を千代まで松のかげに隠れむ」と、師輔の庇護を松の陰にたとえて詠んだ。

最後に冷泉天皇のことが語られる。物の怪に悩まされた冷泉天皇だが、その誕生がなければ藤原氏の繁栄はなかったと道長自身が言い、大嘗会の御禊では亡き師輔の霊が御輿の中で天皇を抱いて守っていたという。そして師輔の子どもたちのうち五人が太政大臣、三人が摂政になったことを挙げて、巻四は閉じられる。

語釈・文法注

朱雀院
底本は「朱雀院」とするが、諸本に「朱雀門」とある。大内裏の正門。
大宮
東大宮大路と西大宮大路。大内裏の東西を南北に通る大路。
なまさかしき
生賢しい。こざかしい、生意気な。
吉左右
吉報、めでたい知らせ。ここでは吉兆の夢。
あはせつれば
夢を合わせる(解く、占う)と。
荒涼して
軽はずみに、不用意に。
つらゆきのぬし
紀貫之(?〜945)。
魚たい
鯛か。正月の贈り物として松の枝に付けた魚。
おへもの
贈り物。
めいぼく
面目。名誉。
諸太夫
諸大夫。四位・五位の中級貴族。
ざうやく
雑役。
御けい
大嘗会の前に天皇が行う御禊。
つねくに
藤原経邦。武蔵守。娘の盛子が師輔の妻となり、安子・伊尹・兼通・兼家らを産んだ。
おん
意味未詳。師輔の子らを産んだ盛子の腹の子を特に「御」と呼んだことをいうか。

文法

見えつるとおほせられけるを
「つる」は完了の連体形。見えたとおっしゃったのを。
えしおはしまさずなりにしなり
「え〜ず」は不可能。おなりになれずに終わったのである。
夢がたりな
「な」は禁止の終助詞。夢語りをしてはならない。
しおはしましそ
「そ」だけの禁止。なさいますな。
さかへさせ給はめ
「め」は推量「む」の已然形で「こそ」の結び。
ありきなまし
「な」は強意、「まし」は反実仮想。歩いていただろう。
侯ましかば〜侍らまし
反実仮想。おりましたら、〜だったでしょう。

和歌・漢詩

ふく風にこほりとけたる池のうへをちよまで松のかげにかくれむ

作者
紀貫之
状況
正月、師輔が松の枝に贈り物を付けて貫之の家を訪れたときに詠んだ歌。『貫之集』に載る。春風に氷のとけた池のほとりで、千年の後まで松の陰(あなたのご庇護)に身を寄せていよう。

修辞

寓意
松の陰に、師輔の庇護をたとえる。
縁語
「松」と「千代」で長寿を祝う。

解説

師輔の夢の話は『大鏡』で名高い。師輔は右大臣止まりで、兄実頼より先に亡くなったため、摂政・関白にはなれなかった。その理由を夢の解き違えに求めるのは、説話らしい語り方である。

冷泉天皇の大嘗会の御禊(安和元年=968)で師輔の霊が天皇を抱いていたという話は、冷泉天皇が物の怪に悩まされながらも儀式を無事に終えたことを、師輔の加護によるものとして語っている。

底本はこの章のあとに「関白次第」(良房から兼家までの摂政・関白の一覧)と「世継名」(『栄花物語』の巻名の一覧)を載せる。後人の付記と考えられるので、このページには入れていない。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、546〜548頁(コマ289–290)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日