大鏡 第32章
為平親王の子の日と大斎院
不遇の為平親王にも、一度だけ晴れの日があった。村上天皇が催させた子の日の遊びで、供の上達部・殿上人の狩装束や馬を内裏に入れてご覧になり、見物の車が大宮大路を埋めた。安子の産んだ女宮のうち、十の宮選子内親王は今も賀茂の斎院として五代の帝に仕え、仏道にも篤く、祭りの日の見物人とともに成仏しようと誓った。頼通の御禊の供奉に小袿を与えた機転、幼い後一条・後朱雀天皇に扇の端を見せた心ばえ、彰子との歌の贈答が語られる。
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- 5。。。わざとなくこぼれいでゝわざとなくこぼれいでゝわざとなくこぼれいでて。。。后后きさきののの宮宮みやうちのうちのうちの御御おんまへなどさしならびまへなどさしならびまえなどさしならび。。。みすのみすのみすのうちにおはしましてうちにおはしましてうちにおわしまして御御ごらんぜしにらんぜしにらんぜしに。。。
- 6御御おんまへとまへとまえとをををりしなんりしなんりしなんたふれたふれたおれぬべきぬべきぬべき心心こころちせしとこそのちせしとこそのちせしとこその給給たまけれけれけれ。。。又又またそれのみかそれのみかそれのみかははは。。。おほぢにもおほぢにもおおじにも宮宮みやのののばかりばかりばかりをばをばをば。。。ひきつゞけてたてられたりしひきつゞけてたてられたりしひきつづけてたてられたりしははは。。。
- 7一一ひと町町ちょうかねてかねてかねてはははあたりにあたりにあたりに人人ひともかけらずもかけらずもかけらず。。。瀧口瀧口たきぐちさぶらひのさぶらひのさぶらいの御前御前おまえどもにどもにどもに。。。えりとゝのえりとゝのえりととのへさせへさせへさせ給給たまへりしさるべきものゝへりしさるべきものゝえりしさるべきものの子子こどもにてどもにてどもにて。。。心心こころのかぎりけふのかぎりけふのかぎりけうはははわがよとわがよとわがよと人人ひとはははらはせらはせらわせ。。。
- 8。。。よそひよそひよそいとまとにとまとにとまとにいみじうこそいみじうこそいみじゅうこそ見侍見侍みわべしかとてしかとてしかとて。。。車車くるまのきぬののきぬののきぬの色色いろなどなどなどをををさへかたりゐたるぞあさましきやさへかたりゐたるぞあさましきやさえかたりいたるぞあさましきや。。。
- 9さてこのさてこのさてこの御御おんはははらにおはしましゝらにおはしましゝらにおわしましし女女おんな宮宮みや一人一人ひとりははは。。。いといといとはははかなくうせかなくうせかなくうせ給給たまにしぞかしにしぞかしにしぞかし。。。又又また女女おんな七七しちののの宮宮みやははは。。。御物御物おおんもののけこはくてのけこはくてのけこわくてうせうせうせ給給たまぬらんぬらんぬらん。。。ははは今今いま入道入道にゅうどう一品宮一品宮いっぽんのみやとてとてとて三條三條さんじょうにおはしましきにおはしましきにおわしましき。。。
- 10うせうせうせ給給たまててて十四年十四年じゅうよねんにやならせにやならせにやならせ給給たまぬらんぬらんぬらん。。。うみうみうみをををきたてまつらせきたてまつらせきたてまつらせ給給たましたびのしたびのしたびの十十じゅうののの宮宮みやこそこそこそははは今今いまののの齋院齋院さいいんにおはしませにおはしませにおわしませ。。。宮宮みやよにおほくおはしませどよにおほくおはしませどよにおおくおわしませど。。。
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- 21なななををを心心こころばせめでたくおはするゐんばせめでたくおはするゐんばせめでたくおわするいん也也なりややや。。。かゝるしるしかゝるしるしかかるしるしををを見見みせせせ給給たまはずはずわずははは。。。いかでかいかでかいかでかはははみたてまつらせみたてまつらせみたてまつらせ給給たまわらんともしらましとこそらんともしらましとこそらんともしらましとこそははは。。。かんじたてまつらせかんじたてまつらせかんじたてまつらせ給給たまけれけれけれ。。。さてさてさて齋院齋院さいいんよりよりより大宮大宮おおみやにきこえさせにきこえさせにきこえさせ給給たまへるへるえる。。。
- 22ひかりひかりひかり出出ずををを見見みてしよりとしつみけるもてしよりとしつみけるもてしよりとしつみけるもうれしかりけりうれしかりけりうれしかりけり。。。
- 23御返御返おおんかえしししし。。。
- 24二葉二葉ふたばながらにながらにながらに君君きみにかくあふにかくあふにかくあう日日ひややや神神かみのしるしなるらんのしるしなるらんのしるしなるらん。。。
現代語訳
本当に、この式部卿の宮(為平親王)が世に恵まれたかいのあった折が一度おありだったのは、子の日の遊びの日ですよ。弟の皇子たちもまだ幼くていらして、あの宮が大人でいらっしゃるころだったので、世の評判も帝のおもてなしも、格別にお思い申し上げなさるあまりに、その日は、お供の上達部・殿上人などの狩装束や馬・鞍まで内裏の中に召し入れてご覧になったのは、またとないことと承っております。滝口を除いて、布衣の者が内裏に参ることは、賢い帝の御時にもこういうことがあったのでしょうか。だいたいすばらしかった日の見物ですよ。
見物の車は、大宮大路に(停める)場所などありましたでしょうか。あれほどのことは、その時代にはございません。殿方がおっしゃったことには、「大路を通るのはいつものことだ。藤壺の上の御局に集う(女房たちの)、言いようもない打出(の衣)どもが、わざとらしくなくこぼれ出ていて、后の宮(安子)や帝の御前などが並んで御簾の内にいらっしゃってご覧になったので、御前を通ったときは倒れてしまいそうな気持ちがした」とおっしゃった。またそればかりか、大路にも宮の出車十両ばかりを引き続けて立てられたのは、一町先からあたりに人も寄りつかない。滝口や侍の前駆たちに、選び整えさせなさった、しかるべき家の子弟たちで、心のかぎり「今日は我が世」と人払いをさせ、きらめきあっていた装束どもなど、装いのひとまとまりが、たいへんすばらしく見えましたよ」と言って、車の衣の色などまで語っているのは、あきれたことよ。
さて、この(安子の)御腹にいらした女宮のお一人は、たいへんはかなくお亡くなりになったのですよ。また女七の宮は、物の怪が強くてお亡くなりになったのでしょう。九の宮は今の入道一品宮(資子内親王)といって三条にいらっしゃった。お亡くなりになって十四年におなりになったでしょうか。(安子が)産み残し申し上げなさった十の宮(選子内親王)こそ、今の斎院でいらっしゃる。斎(いつき)の宮は世にたくさんいらっしゃるけれど、この方はとりわけ揺るぎなく、長く(斎院の地位を)保っていらっしゃるのも、ただこの(九条殿の)御血筋がこのように栄えなさるはずのしるしと見申し上げております。帝はたびたびお亡くなりになったけれど、この斎院は揺るぎなくいらっしゃるのです。仏経などのことは、昔の斎宮・斎院は忌まれたものですが、この宮は仏法までもあがめ申し上げなさって、朝ごとのご念誦を欠かしなさらない。この御寺(法成寺)の行事のたびには、決まってお布施をお贈りになるようです。たいそう早くから神に仕える身におなりになって、どうしてこのようなことをお思い寄りになったのだろうと思われますのは、賀茂の祭の日、一条大路にたくさん集まった人々を、そのまま一緒に仏になろうとお誓いになったということこそ、やはり驚くべきことでございます。そうかといって、また現世のご栄華を整えなさらないことがあろうか。御禊から始まって三日間の作法や出車などのすばらしさは、だいたいご様子がたいそう優雅で格調高くいらっしゃったのですよ。
今の関白殿(頼通)が兵衛佐で御禊の前駆をなさったとき、たいそう幼くていらしたので、いつもは本院(斎院の御所)にお帰りになってから人々に禄などをお与えになるのに、このときは(賀茂の)河原からお出しになったので、思いがけないことで、しかるべきご用意もなかったので、御前にお召しになってご対面などなさって、お召しになっていた小袿をお与えになった。入道殿(道長)がお聞きになって、「たいそう趣深いことをなさったものだ。禄がないのも不都合で、取りに行かせなさるのも時間がかかってしまうので、特別な扱いをお見せになったのだろう。並みの者では思いつかないことだろう」と申しなさった。
この当帝(後一条天皇)や東宮(敦良親王)などがまだ宮でいらしたとき、(道長が)祭をお見せ申し上げなさったが、(斎院の行列が)御桟敷の前をお過ぎになるとき、殿の御膝にお二人ともお据え申し上げて、「この宮たちをご覧ください」と申し上げなさると、(斎院は)神輿の帷から、赤い色の御扇の端をさし出しなさった。殿をはじめとして、「やはり心ばえのすばらしい院だなあ。このようなしるしをお見せにならなかったら、どうしてご覧になっているとも知ることができただろうか」と、感心申し上げなさった。さて斎院から大宮(彰子)に申し上げなさった(歌)。
ひかり出づる葵のかげを見てしより年つみけるもうれしかりけり
御返し。
もろかづら二葉ながらに君にかく葵(あふひ)や神のしるしなるらむ
意訳
東宮の座を弟に奪われた為平親王にも、一度だけ華やかな日があった。村上天皇が親王のために催させた子の日の遊び(康保三年=966年)である。供の者たちの狩装束や馬まで内裏に入れて天皇が見物し、大路は見物の車で埋まった。世継は、その日の装束の色まで語りつくす。為平親王の後の不遇を思えば、その晴れやかさはいっそう印象深い。
続いて安子の産んだ皇女たちが語られる。中でも十の宮選子内親王は、生まれてまもなく母を失ったが、円融天皇から後一条天皇まで五代、五十年以上も賀茂の斎院をつとめ、「大斎院」と呼ばれた。神に仕える身でありながら仏法にも篤く、賀茂祭の見物人をみな仏に導こうと誓ったという。世継は、その長い在任を九条殿の血筋の繁栄のしるしと見る。
大斎院の心ばえを示す話が二つ添えられる。一つは、幼い頼通が御禊の前駆を務めたとき、褒美の用意がなかったので、自分の着ていた小袿を与えたという機転。もう一つは、道長が膝に抱いた幼い孫たちに「ご覧ください」と言うと、神輿の帷から赤い扇の端をそっと見せたという話。そして彰子との間に、葵(あふひ=逢ふ日)をかけた歌の贈答が交わされる。
語釈・文法注
- 御子日
- 子の日の遊び。正月の初子の日に、野に出て小松を引き、若菜を摘んで長寿を祝う行事。為平親王の子の日の遊びは康保三年(966)。
- かりさうぞく
- 狩装束。狩衣などの軽装。
- たきぐち
- 滝口の武士。清涼殿の東北の滝口に詰めた警護の武士。
- 布衣
- 狩衣。また狩衣を着た六位以下の者。正装でない者は内裏に入れなかった。
- 大宮のぼり
- 大宮大路を北へ。行列の通り道。
- うちいで
- 打出。御簾の下から女房の衣の袖や裾を出して飾ること。
- 出車
- 女房の乗る車で、簾の下から衣の端を出して飾ったもの。
- そくども
- 装束ども。
- 九宮
- 資子内親王(955〜1015)。村上天皇の第九皇女。一品。のち出家した。
- 十の宮
- 選子内親王(964〜1035)。村上天皇の第十皇女。母安子は出産の直後に亡くなった。円融から後一条まで五代の斎院をつとめ、大斎院と呼ばれた。歌人。
- いつきの宮
- 斎の宮。伊勢の斎宮と賀茂の斎院。神に仕える未婚の皇女。
- 御念誦
- 念誦。仏の名や経文を唱えること。
- 神人
- 神に仕える人。
- 御禊
- 斎院が賀茂祭の前に賀茂川で行うみそぎ。
- 兵衞佐
- 兵衛府の次官。頼通が兵衛佐であったのは長徳年間、十歳前後のころ。
- 御こうちぎ
- 小袿。女性の略式の上着。
- ゑせもの
- 似非者。つまらない者、凡人。
- 御さじき
- 桟敷。祭の行列を見物するための高い席。
- かたびら
- 帷。神輿や車にかける布。
- あふひ
- 葵。賀茂祭で飾る双葉葵。「逢ふ日」をかける。
- もろかづら
- 諸葛。葵と桂を組み合わせた賀茂祭の飾り。
文法
- かひあるをり一度おはしましたるは
- 世に恵まれたかいのある折が一度おありになったのは。
- 所やは侍し
- 「やは」は反語。場所がありましたでしょうか、いやなかった。
- たふれぬべき
- 「ぬべき」は強意+推量。倒れてしまいそうな。
- ならんとちかはせ給けん
- なろうとお誓いになったという。
- とゝのへさせ給はぬかは
- 「かは」は反語。整えなさらないことがあろうか。
- えおもひよらじかし
- 「え〜じ」は不可能の推量。思いつかないだろうよ。
- しらましとこそは
- 反実仮想。知ることができただろうか。
和歌・漢詩
ひかり出るあふひのかげを見てしよりとしつみけるもうれしかりけり
- 作者
- 選子内親王(大斎院)
- 状況
- 賀茂祭の日、幼い宮たち(後一条・後朱雀天皇)を拝見したのちに、彰子に贈った歌。光り輝く葵(お二人の宮)の姿を見てからは、年を重ねて老いたこともうれしく思われることです。
修辞
- 掛詞
- 「あふひ」に「葵」と「逢ふ日」をかける。
- 寓意
- 光り出る葵に、将来の帝となる二人の宮をたとえる。
もろかづら二葉ながらに君にかくあふ日や神のしるしなるらん
- 作者
- 藤原彰子
- 状況
- 大斎院への返歌。諸葛の二葉(二人の宮)がそろって、このようにあなたにお会いできた日こそ、神のご加護のしるしなのでしょう。
修辞
- 掛詞
- 「あふ日」に「葵」と「逢ふ日」、「かく」に「懸く」と「斯く」をかける。
- 寓意
- 「二葉」に、後一条・後朱雀の二人の宮をたとえる。
解説
為平親王の子の日の遊びは、康保三年(966)閏八月とも伝え、村上天皇の後宮の華やかさを伝える行事として『栄花物語』月の宴の巻にも描かれている。
選子内親王(964〜1035)は天延三年(975)に斎院となり、長元四年(1031)に退くまで五十七年間在任した。斎院の御所は和歌の文化サロンとしても知られ、紫式部は『紫式部日記』で斎院の女房たちと中宮彰子の女房たちとを比べている。
神に仕える斎院が仏道を信仰することは本来はばかられたが、選子内親王は『発心和歌集』を著すなど、仏教への信仰が篤かった。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、539〜541頁(コマ285–286)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日