大鏡 第29章
済時の娘の訴え
済時のもう一人の娘は、父から譲られた近江の領地を人に奪われ、恥も忘れて夜ひとりで歩いて道長の御堂に参り、念誦していた道長に直訴した。道長は哀れに思って涙を流し、領地を確かに彼女のものと定めた。帰り道に南大門で彼女を引き止めた者は、道長のひどい怒りを買った。人々は「よく訴えた」とほめたが、世継はかえって痛ましく思う。
- 1今一今一いまいとところのところのところの女君女君おんなぎみこそこそこそはははいといといとはははなななはははだしくこゝろうきだしくこゝろうきだしくこころうき御御おんありさまにておはすめれありさまにておはすめれありさまにておわすめれ。。。ちゝちゝちち大將大將だいしょうのとらせのとらせのとらせ給給たまへりけるへりけるえりけるのののあふみにありけるあふみにありけるあうみにありけるををを。。。
- 2人人ひとにとられければすべきにとられければすべきにとられければすべきやうなくてやうなくてようなくて。。。かばかりになりぬればものゝかばかりになりぬればものゝかばかりになりぬればもののはづかしさもしられずやおもはれけんはづかしさもしられずやおもはれけんはずかしさもしられずやおもわれけん。。。にまいりにまいりにまいり給給たまてててうれへうれへうれえ申給申給もうしたまひしひしいしはははとよとよとよ。。。
- 3とのゝおまへとのゝおまへとののおまえはははみだうのみだうのみどうの佛佛ほとけののの御御おん。。。夜夜よいたくふけにければいたくふけにければいたくうけにければ御御おん給給たまへるにへるにえるに。。。
- 4のもとにのもとにのもとに人人ひとのけはひのしければのけはひのしければのけわいのしければ。。。あやしとおぼしめしけるにあやしとおぼしめしけるにあやしとおぼしめしけるに。。。女女おんなのけはひにてしのびやかにのけはひにてしのびやかにのけわいにてしのびやかに物物もの申申もう候候そうらはんとはんとわんと申申しんををを。。。御御おん。。。
- 5あまたゝびになりぬればあまたゝびになりぬればあまたたびになりぬれば。。。まことなりけりとおぼしめしてまことなりけりとおぼしめしてまことなりけりとおぼしめして。。。いとあやしくいとあやしくいとあやしくはははあれどあれどあれど。。。たぞあれたぞあれたぞあれはははとゝはせとゝはせととわせ給給たまににに。。。しか〴〵しか〴〵しかじかののの人人ひとののの申申もうべきべきべき事事こと候候そうろうてまいりたるなりとてまいりたるなりとてまいりたるなりと申給申給もうしたまければければければ。。。
- 6いと〳〵いと〳〵いといとあさましくあさましくあさましくはははおぼしめせどおぼしめせどおぼしめせど。。。。。。なになになに事事ことぞとはせぞとはせぞとわせ給給たまければければければ。。。これしろしめしたるこれしろしめしたるこれしろしめしたる事事ことににに候候そうろうらんとてらんとてらんとて。。。
- 7ことのありさまこまかにことのありさまこまかにことのありさまこまかに申給申給もうしたまににに。。。いとあはれにおぼしめしていとあはれにおぼしめしていとあわれにおぼしめして。。。さらなりみなきゝたるさらなりみなきゝたるさらなりみなききたる事事こと也也なり。。。いといといとふびんふびんふびんなるなるなる事事ことにこそあなれにこそあなれにこそあなれ。。。いましかすまじきよしすみやかにいはせんいましかすまじきよしすみやかにいはせんいましかすまじきよしすみやかにいわせん。。。
- 8かくいましたるいとあるまじきことゝかくいましたるいとあるまじきことゝかくいましたるいとあるまじきことと也也なり。。。人人ひとしてこそいはせたましてこそいはせたましてこそいわせたまはははめめめ。。。とく〳〵とく〳〵とくとくかへられねとおほせられければかへられねとおほせられければかえられねとおおせられければ。。。さこそさこそさこそははは返〳〵返〳〵かえすがえすももも思思おもひひい給給たまひひい候候そうらつれどつれどつれど。。。
- 9申申もうつぐべきつぐべきつぐべき人人ひとのさらにのさらにのさらに候候そうらはははねばねばねば。。。さりともあはれとさりともあはれとさりともあわれとははは仰事仰事おおせごとににに候候そうろうなんとおもひかまへてまいりなんとおもひかまへてまいりなんとおもいかまえてまいり候候そうろうながらもながらもながらも。。。いみじくつゝましくさぶらひつるにいみじくつゝましくさぶらひつるにいみじくつつましくさぶらいつるに。。。
- 10かくおほせらるゝかくおほせらるゝかくおおせらるる中中なかやるかたなくうれしくやるかたなくうれしくやるかたなくうれしく候候そうろうとてとてとて手手てをををすりてなくけはひにすりてなくけはひにすりてなくけわいに。。。ゆゝしくもあはれにもおぼしめされてゆゝしくもあはれにもおぼしめされてゆゆしくもあわれにもおぼしめされて。。。殿殿どのもなかれさせもなかれさせもなかれさせ給給たまにけりにけりにけり。。。
- 11いでいでいで給給たまみちにみちにみちに南大門南大門なんだいもんににに人〳〵人〳〵ひとびとゐたるゐたるいたる中中なかをををおはしければおはしければおわしければ。。。なにがしのぬしのなにがしのぬしのなにがしのぬしのひきとゞめられけるこそいとひきとゞめられけるこそいとひきとどめられけるこそいとののの事事ことなりやなりやなりや。。。のちにのちにのちに殿殿どのもきかせもきかせもきかせ給給たま給給たまててて。。。
- 12いといといとひさしうひさしうひさしゅう御御おん。。。さてさてさて御御おんうれへのところうれへのところうれえのところはははながくながくながく論論ろんあるまじくあるまじくあるまじく。。。このこのこの人人ひとののの御領御領ごりょうにてあるべきよしおほせくだされにければにてあるべきよしおほせくだされにければにてあるべきよしおおせくだされにければ。。。
- 13もとよりもいとゞたゞかにもとよりもいとゞたゞかにもとよりもいとどただかに領領りょうしたまふしたまふしたまう。。。きききはははめていとよしめていとよしめていとよし。。。さささ計計ばかりになりなんにになりなんにになりなんにははは。。。ものゝものゝもののはぢはぢはじもももしらでありなんしらでありなんしらでありなん。。。かしこくかしこくかしこく申給申給もうしたまへるいとよきことゝへるいとよきことゝえるいとよきことと。。。
- 14くち〳〵くち〳〵くちくちほめほめほめ聞聞きこえしこそえしこそえしこそ中〳〵中〳〵なかなかにおぼえにおぼえにおぼえ侍侍さぶらいしかしかしか。。。大門大門だいもんにてとらへたりしにてとらへたりしにてとらえたりし人人ひとははは。。。式部太夫式部太夫しきぶのたいう也也なり。。。さばかりさばかりさばかりにおはしけんにおはしけんにおわしけん御御おんすゑこそすゑこそすえこそ。。。すこしすこしすこしはははかく〳〵かく〳〵かくかくしきしきしき人人ひとなけれなけれなけれ。。。
現代語訳
もうお一人の女君(済時の娘)こそは、たいそうひどく情けないご様子でいらっしゃるようです。父の大将がお譲りになった処分の領地が近江にあったのを、人に奪われたので、どうしようもなくて、これほどになってしまうと、恥ずかしさもわからなくなったのでしょうか、夜、徒歩で御堂に参って訴え申しなさったのですよ。殿(道長)は御堂の仏の御前で念誦していらっしゃいますよ。夜がたいそう更けたので、脇息に寄りかかって少しうとうとしていらしたところ、犬防ぎのところに人の気配がしたので、妙だとお思いになると、女の気配で、忍びやかに「申し上げたいことがございます」と申すのを、聞き違いかとお思いになったが、何度もになったので、本当だったのだとお思いになって、たいそう妙ではあるけれど、「誰だ、あれは」とお尋ねになると、「これこれの者が、申し上げるべきことがございまして参ったのです」と申しなさったので、たいそうあきれたことだとお思いになったが、そっけなくおっしゃるのもさすがに気の毒で、「何事か」とお尋ねになったところ、「これはご存じのことでございましょう」と言って、事情をこまごまと申し上げなさるので、たいそう気の毒にお思いになって、「言うまでもない。みな聞いていることだ。たいへん気の毒なことだ。今後そのようなことはしないよう、すぐに言わせよう。こうしていらしたのは、まったくあってはならないことだ。人をやってお言わせになればよいのに。早く早くお帰りなさい」とおっしゃったので、「そのようにはかえすがえすも思いましたけれど、取り次いでくれる人がまったくおりませんので、それでもかわいそうにとはおっしゃってくださるだろうと思いを決めて参りながらも、たいそう気がひけておりましたのに、このようにおっしゃってくださるのが、言いようもなくうれしゅうございます」と言って、手をすり合わせて泣く気配に、(道長は)不吉なほどにも気の毒にもお思いになって、殿もお泣きになったのでした。
(女君が)お帰りになる道で、南大門に人々がいる中をいらしたので、なにがしのぬしが引き止められたのは、たいへんな不心得なことですよ。のちに殿もお聞きになったので、たいそうお怒りになって、(その人は)長いあいだ謹慎していたのでした。さて訴えの領地は、長く争いのないように、この人の御領とするようにと仰せ下されたので、もとよりもいっそう確かに領有なさる。まことに結構なことだ。「それほどになってしまったら、恥も知らずにいるのがよいだろう。賢く訴えなさったのはたいそうよいことだ」と、口々にほめ申し上げたのが、かえって(痛ましく)思われました。大門でつかまえた人は、式部大夫正長の父である。あれほど体面を重んじていらした(済時の)御子孫には、少しもしっかりした人がいないことよ。
意訳
師尹の章の最後は、済時のもう一人の娘の話である。敦道親王に捨てられ、父も亡くした彼女は、父から相続した近江の領地まで人に奪われた。頼る人もない彼女は、夜ひとりで歩いて道長の御堂に行き、仏前で念誦していた道長に、犬防ぎの外から直接訴えた。
道長は驚きながらも、事情を聞いて哀れに思い、領地を確かに彼女のものと定めてやった。手をすり合わせて泣く女君の気配に、道長も涙を流したという。権力者の慈悲深い一面を伝える話である。帰り道、南大門で彼女を引き止めた男は、道長の怒りを買って長く謹慎させられた。
人々は「落ちぶれたら恥も構っていられない。賢く訴えたものだ」とほめたが、世継は「かえって痛ましい」と言う。そして、あれほど体面を気にした済時の子孫に、しっかりした人がいないことを嘆いて、師尹の家の物語を閉じる。名聞を重んじた済時と、恥を忘れて夜道を歩いた娘との対比が鮮やかである。
語釈・文法注
- 處分
- 財産の譲与、遺産の分配。
- 領所
- 所領、荘園。
- かち
- 徒歩。貴族の女性が夜に歩いて外出するのは異例のことだった。
- 御堂
- 道長が建立した法成寺(無量寿院)の御堂。
- ねんじゆ
- 念誦。経文や仏の名を唱えること。
- けうそく
- 脇息。座ったときに肘をかけてもたれる道具。
- いぬふせぎ
- 犬防ぎ。仏堂の内陣と外陣を仕切る低い格子の柵。
- ひがみゝ
- 僻耳。聞き違い。
- わらく
- 意味未詳。そっけなく、軽々しくの意か。
- ふあひ
- 不合か。不都合、不心得なこと。
- むづからせ
- 「むつかる」はひどく機嫌を悪くする。
- 御かしこまり
- 謹慎、蟄居。
- まさなが
- 正長。伝未詳。式部大夫。
- 倭
- ここでは、体面を重んじること、外聞を気にすることの意か。
文法
- しられずやおもはれけん
- 「や〜けん」は疑問。わからなくなったのだろうか。
- たぞあれは
- 「たぞ」は「誰ぞ」。誰だ、あれは。
- いはせたまはめ
- 「め」は「む」の已然形で「こそ」の結び。言わせなさるのがよい。
- かへられね
- 「られ」は尊敬、「ね」は完了「ぬ」の命令形。早くお帰りなさい。
- ありなん
- 「な」は強意、「ん」は推量・適当。いるのがよいだろう。
- 人なけれ
- 「こそ〜けれ」の係り結び。人がいないことよ。
解説
済時の娘の訴えは、道長が晩年に法成寺の造営に力を注いでいた時期のことと考えられる。『大鏡』は道長の権勢をたたえる一方で、このように慈悲深い一面も描いて、その人柄の大きさを示している。
世継が最後に「済時の子孫にしっかりした人がいない」と言うのは、前に語られた済時の「名聞」好きと照応する。体裁ばかり気にした済時の子孫が、体裁もかまわず夜道を歩くことになったという、皮肉な結末である。
底本の「倭におはしけん」の「倭」は、「やまと」と読んで、外聞を重んじること、律儀なことの意に解されることがあるが、確かではない。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、531〜533頁(コマ281–282)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日