大鏡 第27章
道長への申し出
東宮は能信に、東宮を退いて気楽に仏道修行や物詣でをしたい、院号と年官年爵をもらって暮らしたい、と道長への伝言を頼んだ。翌朝、能信は源俊賢の勧めで急いで道長に伝え、道長は大喜びして、その日のうちに東宮のもとを訪れた。人々は御匣殿の縁談かと騒ぎ、母の皇后も知らなかった。道長と対面した東宮はさすがに気後れしたが、意志を伝え、道長はその日のうちに東宮を院とする手続きを始めた。
- 1おとゞにきこゆべきおとゞにきこゆべきおとどにきこゆべき事事ことのあるのあるのあるををを。。。つたへものすべきつたへものすべきつたえものすべき人人ひとのなきにのなきにのなきに。。。まぢかきまぢかきまじかきほどなればたよりにもとほどなればたよりにもとほどなればたよりにもと思思おもひてひていて。。。せうそこしせうそこししょうそこし聞聞きこえつるなりえつるなりえつるなり。。。
- 2そのむねそのむねそのむねははは。。。かくてかくてかくて侍侍はべるこそるこそるこそははは事事ことととと思思おもひひい。。。をををかせかせかせ給給たまへるへるえる事事ことをををたがへたてまつらんもたがへたてまつらんもたがえたてまつらんも。。。かた〴〵かた〴〵かたがたにににはゞかりおもはぬにあらねどはゞかりおもはぬにあらねどはばかりおもわぬにあらねど。。。
- 3かくてあるなんかくてあるなんかくてあるなん思思おもひつゞくるにつみひつゞくるにつみいつづくるにつみふかくもおぼゆるふかくもおぼゆるふかくもおぼゆる。。。うちのうちのうちの御御おん行末行末ゆくすえはははいといといとはるかにものせさせはるかにものせさせはるかにものせさせ給給たま。。。いつともなくていつともなくていつともなくてはははかなきかなきかなき世世よにいのちもしりがたしにいのちもしりがたしにいのちもしりがたし。。。
- 4このありさまのきてこのありさまのきてこのありさまのきて心心こころにまかせておこなひにまかせておこなひにまかせておこないをもをもをもしししまうでまうでもうでをもをもをもししし。。。やすらかにてなんあらまほしきやすらかにてなんあらまほしきやすらかにてなんあらまほしきををを。。。むげにさきのむげにさきのむげにさきの東宮東宮とうぐうにてあらむにてあらむにてあらむははは見見みぐるしかるべきなんぐるしかるべきなんぐるしかるべきなん。。。
- 5ううう給給たまわををを。。。いかなるべきいかなるべきいかなるべき事事ことにかとにかとにかと。。。つたへつたへつたえ聞聞きこえられよとおほせられければえられよとおほせられければえられよとおおせられければ。。。かしこまりてまかでさせかしこまりてまかでさせかしこまりてまかでさせ給給たまぬぬぬ。。。
- 6そのよそのよそのよはははふけにければふけにければふけにければ。。。つとめてぞつとめてぞつとめてぞ殿殿どのにまいらせにまいらせにまいらせ給給たまへるにへるにえるに。。。うちへまいらせうちへまいらせうちえまいらせ給給たまはんとてはんとてわんとて御御おんさうぞくのさうぞくのそうぞくのほどなればえほどなればえほどなればえ申申もうさせさせさせ給給たまはずはずわず。。。大大おおかたにかたにかたにははは御御おおんともにまいるべきともにまいるべきともにまいるべき人〳〵人〳〵ひとびと。。。
- 7さらぬもいでさせさらぬもいでさせさらぬもいでさせ給給たまはんにげさんせんとはんにげさんせんとわんにげさんせんと。。。おほくまいりつどひておほくまいりつどひておおくまいりつどいて物物ものさささはははがしければがしければがしければ。。。御車御車みくるまににに奉奉たてまつりにおはしまさんにりにおはしまさんにりにおわしまさんに申申もうさんとてさんとてさんとて。。。そのそのその程程ほどしんしんしん殿殿どののすみのまのかうしによりかゝりてゐさせのすみのまのかうしによりかゝりてゐさせのすみのまのこうしによりかかりていさせ給給たまへるへるえるををを。。。
- 8よりおはしてよりおはしてよりおわして。。。などかくてなどかくてなどかくてはははおはしますときこえさせおはしますときこえさせおわしますときこえさせ給給たまへばへばえば。。。このこのこの殿殿どのにににはははかくしきこえさせかくしきこえさせかくしきこえさせ給給たまべきことにもあらねばべきことにもあらねばべきことにもあらねば。。。しか〳〵しか〳〵しかしかののの事事ことのあるのあるのあるををを。。。
- 9人〳〵人〳〵ひとびとのさぶらふめればのさぶらふめればのさぶらうめれば。。。えええ申申もうさぬなりとのさぬなりとのさぬなりとの給給たまはするにはするにわするに。。。御御おんけしきけしきけしき打打うかはりてかはりてかわりて。。。このこのこの殿殿どのもおどろきもおどろきもおどろき給給たま。。。いみじうかしこきいみじうかしこきいみじゅうかしこき事事ことこそあなれこそあなれこそあなれ。。。
- 10たゞとくきかせたてまつらせたゞとくきかせたてまつらせただとくきかせたてまつらせ給給たまへへえ。。。うちにまいらせうちにまいらせうちにまいらせ給給たまなばなばなば。。。いとゞいとゞいとど人人ひとがちにてえがちにてえがちにてえ申申もうさせさせさせ給給たまはじとあればはじとあればわじとあれば。。。げにとおぼしておはしますかたにまいりげにとおぼしておはしますかたにまいりげにとおぼしておわしますかたにまいり給給たまへればへればえれば。。。
- 11さならんとさならんとさならんと御心御心みこころえさせえさせえさせ給給たまててて。。。すみのまにすみのまにすみのまに出出いださせさせさせ給給たまててて。。。東宮東宮とうぐうにまいりたりつるかととはせにまいりたりつるかととはせにまいりたりつるかととわせ給給たまへばへばえば。。。よべのよべのよべの御御おんせうそせうそしょうそくはしくくはしくくわしく申申もうさせさせさせ給給たまににに。。。
- 12さらなりやおろかにおぼしめさんやさらなりやおろかにおぼしめさんやさらなりやおろかにおぼしめさんやははは。。。おしておろしたてまつらんおしておろしたてまつらんおしておろしたてまつらん事事ことはははゞかりおぼしめしつるにゞかりおぼしめしつるにばかりおぼしめしつるに。。。かゝるかゝるかかる事事ことのいできぬるのいできぬるのいできぬる御御おんよろこびなよろこびなよろこびなをををつきせずつきせずつきせず。。。
- 13まづいみじかりけるまづいみじかりけるまずいみじかりける大宮大宮おおみやののの御御おん世世よかなとおぼしめすかなとおぼしめすかなとおぼしめす。。。
- 14民部卿殿民部卿殿みんぶきょうどのににに申申もうあはせさせあはせさせあわせさせ給給たまへばへばえば。。。唯唯ただとく〳〵とく〳〵とくとくせさせせさせせさせ給給たまべきべきべき也也なり。。。なにかなにかなにかよきよきよきひひひもももとらせとらせとらせ給給たま。。。すこしものびすこしものびすこしものびはははおぼしおぼしおぼし返返かえしてしてして。。。さらでありなんとあらんさらでありなんとあらんさらでありなんとあらんをばをばをば。。。
- 15いかゞはせさせいかゞはせさせいかがわせさせ給給たまはんとはんとわんと申申もうさせさせさせ給給たまへばへばえば。。。さるさるさる事事こととおぼしてとおぼしてとおぼして御御おん御御ごらんずるにらんずるにらんずるに。。。けふけふきょうもあしきもあしきもあしき日日ひにもあらざりけりにもあらざりけりにもあらざりけり。。。やがてやがてやがてもまいらせもまいらせもまいらせ給給たまへるへるえるほどにほどにほどに。。。
- 16とく〳〵とく〳〵とくとくとそゝのかしとそゝのかしとそそのかし申申もうさせさせさせ給給たま。。。まづいかにもまづいかにもまずいかにも大宮大宮おおみやににに申申もうてこそてこそてこそはははとてとてとて。。。うちにおはしますうちにおはしますうちにおわしますほどなればほどなればほどなれば。。。まいらせまいらせまいらせ給給たまてかくなんときかせたてまつらせたまへばてかくなんときかせたてまつらせたまへばてかくなんときかせたてまつらせたまえば。。。ましてあるのましてあるのましてあるの御心御心みこころはははいかゞいかゞいかがはははおぼしめされけんおぼしめされけんおぼしめされけん。。。
- 17かうかうこう申事申事もうすことははは寬仁寬仁かんにん元年元年がんねん八月八月はちがつ六日六日むいか事事こと也也なり。。。御御おんこどものこどものこどもの殿殿とのばらばらばら。。。またれいもまたれいもまたれいも御御おおんともにまいりともにまいりともにまいり給給たま上達部上達部かんだちめ殿上人殿上人てんじょうびとひきぐせさせひきぐせさせひきぐせさせ給給たまへればへればえれば。。。いとこちたくひゞきことにておはしますいとこちたくひゞきことにておはしますいとこちたくいびきことにておわしますををを。。。
- 18まちつけさせまちつけさせまちつけさせ給給たまへるへるえる宮宮みやののの御心御心みこころちちちははは。。。さりともすこしさりともすこしさりともすこしはしうはしうはしゅうおぼしめされけんかしおぼしめされけんかしおぼしめされけんかし。。。心心こころもしらぬもしらぬもしらぬ人人ひとははは。。。つゆまいりよるつゆまいりよるつゆまいりよる人人ひとだになきにだになきにだになきに。。。昨日昨日きのうのまいりのまいりのまいり給給たまへりしだにあやしとおもふにへりしだにあやしとおもふにえりしだにあやしとおもうに。。。
- 19又又また今日今日きょうかくおびたゞしくかくおびたゞしくかくおびただしく。。。御御おんさきのさきのさきのをををともともともおどろ〳〵おどろ〳〵おどろおどろしうひゞきてまいらせしうひゞきてまいらせしゅういびきてまいらせ給給たまへるへるえるをををいかなるいかなるいかなる事事ことぞとあきるゝにぞとあきるゝにぞとあきるるに。。。
- 20すこしよろしきすこしよろしきすこしよろしき程程ほどのもののもののものははは。。。みくしげみくしげみくしげ殿殿どのののの御御おん事事こと申申もうさせさせさせ給給たまになんめりとおもふになんめりとおもふになんめりとおもうはははさもにつかはしやさもにつかはしやさもにつかわしや。。。むげにむげにむげに思思おもひやりなききひやりなききいやりなききはははのもののもののものははは。。。
- 21又又また我我わ心心こころにかゝるまゝににかゝるまゝににかかるままに。。。うちのいかにおはしますぞなどまでうちのいかにおはしますぞなどまでうちのいかにおわしますぞなどまで。。。こゝろさこゝろさこころさはははぎしあへりけるこそあさましうゆゝしけれぎしあへりけるこそあさましうゆゝしけれぎしあえりけるこそあさましゅうゆゆしけれ。。。
- 22母母ははののの宮宮みやだにもしらせだにもしらせだにもしらせ給給たまはざりけりはざりけりわざりけり。。。かくこのかくこのかくこの御方御方かたににに物物ものさささはははがしきがしきがしきををを。。。いかなるいかなるいかなる事事ことぞとあやしくおぼしてぞとあやしくおぼしてぞとあやしくおぼして。。。ないしないしないし申申もうさせさせさせ給給たまへどへどえど。。。殿殿どのにににはははとしごろおぼしめしつるとしごろおぼしめしつるとしごろおぼしめしつる事事ことなどなどなど。。。こまかにきこえさせこまかにきこえさせこまかにきこえさせ給給たまてけりてけりてけり。。。
- 23殿殿どのにににはれいのはれいのはれいの女房女房にょうぼうのまいるみちのまいるみちのまいるみちをををかためさせかためさせかためさせ給給たまてければてければてければ。。。まとになりぬるおりまとになりぬるおりまとになりぬるおりははは。。。いかになりぬるいかになりぬるいかになりぬる事事ことぞとさすがにぞとさすがにぞとさすがに御心御心みこころさささはははがせがせがせ給給たまぬぬぬ。。。
- 24むかひきこえさせむかひきこえさせむかいきこえさせ給給たまてててははは。。。方〳〵方〳〵かたがたにおくせられにおくせられにおくせられ給給たまにけるとやにけるとやにけるとや。。。たゞたゞただ昨日昨日きのうのおなじさまにのおなじさまにのおなじさまに中〳〵中〳〵なかなか事事ことずくなにおほせらるゝずくなにおほせらるゝずくなにおおせらるる御御おんおりおりおりははは。。。さりともいかにかくさりともいかにかくさりともいかにかくはははおぼしめしよりぬるぞなどやうにおぼしめしよりぬるぞなどやうにおぼしめしよりぬるぞなどように申申もうさせさせさせ給給たまけむかしなけむかしなけむかしな。。。
- 25御御おんけしきのけしきのけしきの心心こころぐるしさぐるしさぐるしさをををかつかつかつははは見見みたてまつらせたてまつらせたてまつらせ給給たまててて。。。すこしおしのごはせすこしおしのごはせすこしおしのごわせ給給たまててて。。。さらばさらばさらばけふけふきょうよきよきよき日日ひなりとてなりとてなりとて。。。院院いんになしたてまつらせになしたてまつらせになしたてまつらせ給給たまててて。。。
- 26やがてやがてやがて事事ことどもどもどもはじめさせはじめさせはじめさせ給給たま日日ひ。。。よろづのよろづのよろずの事事ことさだめおこなはせさだめおこなはせさだめおこなわせ給給たま。。。にににははは宮宮みやづかさどもづかさどもずかさども藏人藏人くろうどなどかはるべきにあらずなどかはるべきにあらずなどかわるべきにあらず。。。にににははは中宮中宮ちゅうぐうののの權權ごん太夫太夫たいうをををなしたてまつりなしたてまつりなしたてまつり給給たまへればへればえれば。。。
- 27おはしておはしておわしていしいしいし申申もうさせさせさせ給事給事たまうことどもさだまりどもさだまりどもさだまりはははてぬればてぬればてぬれば。。。いでさせいでさせいでさせ給給たまぬぬぬ。。。
現代語訳
(東宮は能信に)「大臣(道長)に申し上げたいことがあるのに、伝えてくれる人がいないので、近くに住んでいるからつてにと思って、便りを差し上げたのだ。その趣旨は、こうして(東宮で)いるのが本来の望みどおりのことだとも思い、故院(三条院)が定めておかれたことに背き申し上げるのも、あれこれ遠慮されないわけではないが、こうしているのは、思い続けると罪深くも思われる。帝の御行く末はたいそう長くいらっしゃる。(私は)いつ(即位できる)ともわからず、はかない世で命もわからない。この(東宮の)身分を退いて、心のままに仏道修行もし、物詣でもして、気楽に暮らしたいのだが、まったくの前の東宮というのでは見苦しいだろう。院号をいただいて、年ごとの受領(年官年爵)などがあってほしいのだが、どうしたものかと、伝え申し上げてくれ」とおっしゃったので、(能信は)かしこまって退出なさった。
その夜は更けてしまったので、翌朝、殿(道長)のところに参上なさったが、(道長は)内裏に参上なさろうとしてご装束をなさっている最中なので、申し上げられない。ふだんからお供に参るはずの人々や、そうでない人も「お出ましになるときにお目にかかろう」と、大勢集まってきて騒がしいので、「御車にお乗りにいらっしゃるときに申し上げよう」と思って、その間、寝殿の隅の間の格子に寄りかかって座っていらっしゃったのを、源民部卿(俊賢)が寄っていらして、「どうしてこうしていらっしゃるのか」と申し上げなさると、この殿(俊賢)には隠し申し上げるべきことでもないので、「これこれのことがあるのに、人々が控えているようなので申し上げられないのだ」とおっしゃると、(俊賢は)顔色が変わって、この殿も驚きなさる。「たいへん恐れ多いことだ。ただ早くお聞かせ申し上げなさいませ。内裏に参上なさったら、いっそう人が多くなって申し上げられないでしょう」と言うので、なるほどとお思いになって、(道長の)いらっしゃる方に参上なさると、(道長は)そうだろうとお察しになって、隅の間にお出ましになって、「東宮に参上したのか」とお尋ねになるので、昨夜のお言葉をくわしく申し上げなさる。
言うまでもなく、(道長が)おろそかにお思いになるはずがあろうか。無理にお下ろし申し上げることは憚られるとお思いになっていたところに、こういうことが起こったお喜びは、やはり尽きない。まず、なんとすばらしい大宮(彰子)のご運勢よ、とお思いになる。
民部卿殿にご相談なさると、「ただ早く早くなさるべきです。どうして吉日などをお選びになるのですか。少しでも延びたら(東宮が)お考え直しになって、『そうでなくてもよい』とおっしゃったら、どうなさるのですか」と申し上げなさるので、もっともなことだとお思いになって暦をご覧になると、今日も悪い日ではなかった。そのうちに関白殿(頼通)も参上なさったので、「早く早く」とお勧め申し上げなさる。「まずなんとしても大宮に申し上げてから」と言って、(大宮は)内裏にいらっしゃるときなので、参上なさってこうこうとお聞かせ申し上げなさると、まして(大宮の)お心はどんなにお思いになったことでしょう。
このように申すことは、寛仁元年八月六日のことである。お子の殿方や、いつものようにお供に参る上達部・殿上人を引き連れていらっしゃったので、たいそう仰々しく、評判も格別でいらっしゃるのを、待ち受けなさる宮(東宮)のお気持ちは、そうはいってもいくらかは心強くお思いになったでしょうよ。事情を知らない人は、「少しも参り寄る人さえいないのに、昨日二位中納言殿(能信)が参上なさったのさえ妙だと思うのに、また今日このように大勢で、賀茂詣でなどのように前駆の声も仰々しく響いて参上なさったのは、どういうことか」とあきれていたが、少しましな身分の者は、「御匣殿のことを申し上げなさるのだろう」と思ったのは、いかにもそれらしいことよ。まったく思慮のない身分の者は、また自分の心にかかるままに、「帝がどうかなさったのか」などとまで心配して騒ぎあったのは、あきれた、不吉なことであった。
母の宮(娍子)さえご存じなかったのでした。このように東宮の御方が騒がしいのを、どういうことかと不思議にお思いになって、内侍が(事情を)申し上げなさったけれど、(東宮は)殿(道長)には長年思っていらしたことなどを、こまごまと申し上げなさったのでした。
殿は、いつもの女房が参る通り道を固めさせなさっていたので、いざ本当にそうなったときには、(東宮は)どうなってしまうのかとさすがにお心が騒ぎなさった。向かい合い申し上げなさっては、あれこれと気後れなさったとか。ただ昨日と同じように、かえって言葉少なにおっしゃるそのときは、(道長も)「それにしても、どうしてこうお思い立ちになったのですか」などと申し上げなさったでしょうよ。ご様子のお気の毒さを一方では見申し上げなさって、少し(涙を)押しぬぐいなさって、「それでは、今日はよい日です」と言って、院におなし申し上げなさって、そのまま諸事をお始めになる日として、万事を決めて行わせなさった。判官代には東宮坊の役人や蔵人などが変わるはずもない。別当には中宮権大夫(能信)をおつけ申し上げなさったので、(能信が)いらして拝舞申し上げなさる。諸事が決まり終わったので、(道長は)お帰りになった。
意訳
東宮は能信に、自分の思いを打ち明ける。東宮でいることは父院の遺志だが、帝はまだ若く、自分が即位できる日はいつ来るかわからない。それなら位を退いて、自由に仏道修行や物詣でをして暮らしたい。ただ、ただの「前東宮」では見苦しいから、院号と経済的な保障がほしい。率直で、どこか現実的な願いである。
翌朝、能信は道長に伝えようとするが、参内の支度で人が多くて切り出せない。源俊賢に事情を話すと、俊賢は顔色を変えて「すぐにお伝えなさい」と促す。知らせを聞いた道長は、無理に退位させることをためらっていたところだったので大喜びし、娘の彰子の運の強さを思う。俊賢は「吉日など選ばず今日のうちに。気が変わったらどうするのです」と急がせる。
道長の一行が東宮御所に乗り込むと、事情を知らない人々は御匣殿の縁談か、帝に何かあったのかと騒ぐ。母の娍子さえ知らなかった。いざ道長と向き合うと東宮は気後れしたが、その日のうちに院とされ、別当には能信が任じられた。道長が「少し涙をぬぐった」という一言に、勝者の余裕とも同情ともつかない複雑さがにじむ。
語釈・文法注
- ほんい
- 本意。もとからの望み。
- こゐん
- 故院。三条院。
- 物まうで
- 物詣で。寺社に参詣すること。
- ゐんがう
- 院号。退位した天皇や、それに准じる人に与えられる「〜院」の称号。
- ずらう
- 受領。ここでは年官年爵による収入をいうか。
- 源民部卿
- 源俊賢(960〜1027)。源高明の子。一条朝の四納言の一人で、道長に近かった。民部卿。
- すぐ世
- 宿世。前世からの因縁、運命。
- 御ごよみ
- 具注暦。日の吉凶を書き込んだ暦。
- 關白殿
- 藤原頼通。道長の長男。この年、摂政となった。
- 二位中納言殿
- 藤原能信。前日に東宮を訪れた。
- かもまうで
- 賀茂詣で。摂関が賀茂神社に参詣すること。前駆が大勢付き従い、盛大であった。
- 判官代
- 院庁の職員。
- 別當
- 院庁の長官。
- はいし
- 拝舞。任官などの礼として、舞うように拝礼すること。
文法
- あらまほしきを
- 「まほし」は願望。ありたいのだが。
- 見ぐるしかるべきなん
- 見苦しいに違いないだろう。「なん」の下に「ある」などが省略。
- 聞えられよ
- 「られ」は尊敬。申し上げてください。
- おぼしめさんやは
- 「やは」は反語。お思いになろうか、いやお思いにならない。
- おぼし返して
- 考え直して。
- 申させ給けむかしな
- 申し上げなさったでしょうよ。推量。
解説
東宮の辞退が正式に決まったのは寛仁元年(1017)八月六日(または九日)。『御堂関白記』によれば、道長は東宮に参って辞意を確かめ、ただちに後一条天皇・太皇太后彰子に奏上した。敦明親王には小一条院の院号と、上皇に准じる年官年爵・封戸が与えられた。
源俊賢が道長に即刻の実行を勧めたことは、『大鏡』だけに見える話で、俊賢の機敏さとともに、道長側の焦りを伝えている。
「御こどもの殿ばら」の前に、底本は「又れいも御ともにまいり給」の九字を「 」で囲んで衍字と示しているので、除いて翻刻した。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、525〜529頁(コマ278–280)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日