大鏡 第21章
頼忠
実頼の次男頼忠(三条殿)は、円融・花山天皇の関白を九年務めた。賀茂詣でに検非違使を従えることなど、多くの先例を始めた人だが、灯の油の残りまで回収させるほどの倹約家でもあった。外戚でない「よそ人」の関白として慎み深く、直衣で参内することはなかった。娘の遵子は円融天皇の中宮となったが皇子に恵まれず、多くの法会を営んだ。
- 1太政大臣太政大臣だいじょうだいじん
- 2このおとゞこのおとゞこのおとどははは小野宮小野宮おののみや實賴實賴さねより大臣大臣だいじん次郎次郎じろうなりなりなり。。。御母御母みわわ時平時平ときいら大臣大臣だいじん御御おんむすめむすめむすめ。。。敦敦あつ敏敏びん少將少將しょうしょうおなじはらおなじはらおなじわら也也なり。。。大臣大臣だいじんののの位位くらいにてにてにて十九年十九年じゅうくねん。。。關白關白かんぱくにてにてにて九年九年くねん。。。このこのこの生生じょうははは極極ごくせさせせさせせさせ給給たまへるへるえる人人ひとぞかしぞかしぞかし。。。
- 3三條三條さんじょうよりよりよりははは北北きた西洞院西洞院にしのとういんよりよりよりははは東東ひがしににに住住す給給たましかばしかばしかば殿殿どのととと申申もう。。。このおとゞいみじきこのおとゞいみじきこのおとどいみじき事事ことどもしどもしどもしをををききき給給たまへるへるえる人人ひとなりなりなり。。。車車くるまのしりにぐするのしりにぐするのしりにぐする事事こと。。。
- 4又又また馬馬うまののの四人四人しにんつがひつがひつがいはじむるはじむるはじむる事事ことももも。。。このこのこの殿殿どののしいでのしいでのしいで給給たまへりへりえり。。。いにしへいにしへいにしえははは物物もののののふしのかぎりふしのかぎりふしのかぎり一人一人ひとりづゝありてづゝありてずつありてふさうふさうふそうはははなくてなくてなくて侍侍さぶらいししし也也なり。。。
- 5一一いちののの人人ひとおはすなどおはすなどおわすなど見見みゆるゆるゆる事侍事侍ことわべらざりけりらざりけりらざりけり。。。かならずかくかならずかくかならずかく侍侍はべるなりけるとなりかしるなりけるとなりかしるなりけるとなりかし。。。あまりよろづしたゝめあまりあまりよろづしたゝめあまりあまりよろずしたためあまり給給たまててて。。。殿殿どののののうちによひにともしたるあぶらうちによひにともしたるあぶらうちによいにともしたるあぶらををを。。。
- 6又又またをもをもをもたせてたせてたせて。。。女房女房にょうぼうのつぼねまでめぐりてのつぼねまでめぐりてのつぼねまでめぐりて。。。のこりたるのこりたるのこりたるをををかへしかへしかへし入入いててて。。。又又また今日今日きょうのあぶらにくのあぶらにくのあぶらにくはははへてともさせへてともさせへてともさせ給給たまけりけりけり。。。あまりにあまりにあまりに事事ことなりやなりやなりや。。。
- 7一條院一條院いちじょういん位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまにしかばにしかばにしかば。。。よそよそよそ人人ひとにてにてにて關白關白かんぱくはははのかせのかせのかせ給給たまにきにきにき。。。たゞおほきおたゞおほきおただおおきおほいほいほい殿殿どのととと申申もうててて。。。にこそにこそにこそはははひとつにすませひとつにすませひとつにすませ給給たましかしかしか。。。
- 8それにこのそれにこのそれにこのははは。。。時時ときののの一一いちののの人人ひとののの御孫御孫みまごにてえもいはずにてえもいはずにてえもいわずはははなやきなやきなやき給給たましにしにしに。。。殿殿どのののの御御おんむこにておはせしかばむこにておはせしかばむこにておわせしかば。。。つねにつねにつねに西洞院西洞院にしのとういんのぼりにありきのぼりにありきのぼりにありき給給たまををを。。。
- 9ことことこと人人ひとならばことかたよりもよぎゝてもおはすべきならばことかたよりもよぎゝてもおはすべきならばことかたよりもよぎきてもおわすべきををを。。。大后大后おおきさき太政大臣太政大臣だいじょうだいじんのおはしますまへのおはしますまへのおわしますまえををを馬馬うまにてわたりにてわたりにてわたり給給たま。。。おほきおとゞいとやすからずおぼせどもおほきおとゞいとやすからずおぼせどもおおきおとどいとやすからずおぼせども。。。
- 10いかゞはせさせいかゞはせさせいかがわせさせ給給たまはんはんわん。。。なななをををいかやうにてかとゆかしくおぼしていかやうにてかとゆかしくおぼしていかようにてかとゆかしくおぼして。。。御御おんひもひもひもをををしのけてしのけてしのけて雜色雜色ぞうしき二三十人二三十人さんじゅうにん計計ばかりににに。。。北北きたののの廊廊ろうのののよりのぞかせよりのぞかせよりのぞかせ給給たまへばへばえば。。。
- 11いみじういみじういみじゅうはやはやはやるるる馬馬うまにてにてにて。。。中門中門ちゅうもんのののふぎたかくつかひてとふぎたかくつかひてとふぎたかくつかいてとをををりりり給給たまををを。。。あさましくおぼせどあさましくおぼせどあさましくおぼせど中〳〵中〳〵なかなかなるなるなる事事ことなればなればなれば。。。ことおほくものたまことおほくものたまことおおくものたまはははででで。。。
- 12たゞなさけなげなるおのこにこそありけれとばかりぞたゞなさけなげなるおのこにこそありけれとばかりぞただなさけなげなるおのこにこそありけれとばかりぞ申給申給もうしたまけるけるける。。。非常非常ひじょうののの事事こと也也なりややや。。。さるさるさるははは帥中納言殿帥中納言殿そちのちゅうなごんどののののうへのうへのうえの六條六條ろくじょう殿殿どのひめひめひめ君君きみははは。。。母母ははははは三條三條さんじょう殿殿どの姫君姫君ひめぎみにおはすればにおはすればにおわすれば御孫御孫みまごぞかしぞかしぞかし。。。
- 13さればさればされば人人ひとよりよりよりはははまいりつかうまつりだにこそまいりつかうまつりだにこそまいりつこうまつりだにこそ給給たまべかりしがべかりしがべかりしが。。。
- 14此此この賴忠賴忠よりただおとゞおとゞおとど一一いちののの人人ひとにおはしましゝかどにおはしましゝかどにおわしまししかど。。。御御おんなななをををしにてしにてしにてうちにまいりうちにまいりうちにまいり給事給事たまうこと侍侍はべらざりきらざりきらざりき。。。そうせさせそうせさせそうせさせ給事給事たまうことあるあるあるをををりりりははは。。。にてぞまいりにてぞまいりにてぞまいり給給たま。。。
- 15さてさてさて殿上殿上てんじょうににに候候そうらはせはせわせ給給たま。。。中中なか行事行事ぎょうじののの御御おん障子障子しょうじのもとにてさるべきのもとにてさるべきのもとにてさるべき職事職事しきじくらくらくら人人ひとなどしてぞそうせさせなどしてぞそうせさせなどしてぞそうせさせ給給たま。。。又又またうけうけうけ給給たまたまひてけるたまひてけるたまいてける。。。又又またあるおりあるおりあるおりははは御門御門みかどのまにいでさせのまにいでさせのまにいでさせ給給たまてめしあるおりぞまいらせてめしあるおりぞまいらせてめしあるおりぞまいらせ給給たまししし。。。關白關白かんぱくししし給給たまへどよそのへどよそのえどよその人人ひとにておはしましければにやにておはしましければにやにておわしましければにや。。。
- 16故故こ中務宮中務宮なかつかさのみや御御おん娘娘むすめののの腹腹はらににに。。。御御おんむすめむすめむすめ二人二人ふたり男男おとこ一人一人ひとりおはしましておはしましておわしまして。。。姫君姫君ひめぎみははは。。。圓融院圓融院えんゆういんののの御時御時おおんとき女御女御にょうごにてにてにて中宮中宮ちゅうぐうととと申申もうききき。。。御年御年おおんとし廿六廿六にじゅうろく。。。
- 17みこむまれおはせずみこむまれおはせずみこむまれおわせず。。。四條四條しじょうののの宮宮みやとぞとぞとぞ申申もうめりしめりしめりし。。。いみじきいみじきいみじき有有あり識識しきにぞいはれにぞいはれにぞいわれ給給たまししし。。。功德功德くどくももも御御おんいのりもいのりもいのりも如法如法にょほうにおこなはせにおこなはせにおこなわせ給給たまししし。。。としごとのとしごとのとしごとの季御讀經季御讀經きのみどきょうなどもつねのなどもつねのなどもつねの事事ことともおぼしめしたらずともおぼしめしたらずともおぼしめしたらず。。。
- 18四日四日よっかがががほどほどほど廿人廿人にじゅうにんのそうのそうのそうををを坊坊ぼうのかざりめでたうてかしづきすへさせのかざりめでたうてかしづきすへさせのかざりめでとうてかしずきすえさせ給給たま。。。ゆあむしゆあむしゆあむし時時ときなどかぎりなくなどかぎりなくなどかぎりなく如法如法にょほうににに供養供養くようせさせせさせせさせ給給たまひひい。。。御前御前おまえよりもまたとりよりもまたとりよりもまたとりはははきさるべききさるべききさるべき物物ものどもいださせどもいださせどもいださせ給給たま。。。
- 19御身御身みみづからもよきづからもよきずからもよき御御おんぞたてまつりぞたてまつりぞたてまつり。。。かぎりなくきよまはらせかぎりなくきよまはらせかぎりなくきよまわらせ給給たまててて。。。そうにそうにそうに給給たまはははらするものどもらするものどもらするものどもははは。。。まづまづまず御前御前おまえにとりすへさせておがませにとりすへさせておがませにとりすえさせておがませ給給たまてぞのちにつかはしけるてぞのちにつかはしけるてぞのちにつかわしける。。。
- 20のののせられけるせられけるせられけるをををりもりもりも。。。京中京中きょうじゅうにこぞりていみじきにこぞりていみじきにこぞりていみじき御時御時おおんときをををまうけつゝまいりしにまうけつゝまいりしにもうけつつまいりしに。。。このこのこの宮宮みやよりよりよりはははうたせうたせうたせ給給たまへりしかばこそへりしかばこそえりしかばこそ。。。
- 21かくてかくてかくてはははあまりみぐるしとてあまりみぐるしとてあまりみぐるしとて。。。僧都僧都そうず乞食乞食こつじきとやめとやめとやめ給給たまてきてきてき。。。ひめひめひめ君君きみははは。。。華山院華山院かざんいん御時御時おおんときののの女御女御にょうごにてにてにて。。。四條四條しじょうののの宮宮みやにあまにておはしますめりにあまにておはしますめりにあまにておわしますめり。。。
現代語訳
太政大臣頼忠
この大臣は小野宮実頼大臣の次男である。御母は時平大臣の御娘。敦敏の少将と同じ腹である。大臣の位に十九年、関白として九年。この生涯は(位を)極めなさった人ですよ。三条大路より北、西洞院大路より東に住んでいらしたので、三条殿と申し上げる。この大臣は、すばらしい決まりごとをいろいろ定めておかれた人である。賀茂詣でに検非違使を車の後ろに従えること、また馬上の随身を四人そろえることを始めたのも、この殿が始めなさった。昔は、物の節(儀式の行列)のときだけ一人ずつ(随身が)いて、二人そろうことはなかったのです。一の人(摂関)がいらっしゃるなどと見えることはございませんでした。必ずこうする(今の決まり)ようになったのですよ。(倹約も)何事につけても度を越して始末なさって、お屋敷の中で宵にともした灯の油を、翌朝、侍に油瓶を持たせて女房の局まで回って、残ったのを返し入れて、また今日の油に加えてともさせなさった。あまりにもいやなことですなあ。
一条院が位にお即きになったので、(外戚でない)よその人として関白はお退きになった。ただ太政大臣と申し上げて、(娘の)四条宮と一緒に住んでいらした。ところが、この前帥殿(伊周)は、時の一の人(兼家)の御孫として、言いようもなく華やいでいらしたが、六条殿(源重光)の婿でいらしたので、いつも西洞院大路を北へ通っていらしたのを、ほかの人なら別の道を通ってよけていらっしゃるはずなのに、大后(遵子)と太政大臣(頼忠)のいらっしゃる前を馬でお通りになる。太政大臣はたいそう心穏やかでなくお思いになったが、どうなさることができましょう。それでもどんな様子かと見たくお思いになって、紐を解き(くつろいだ姿で)、雑色二、三十人ほどに(守らせて)、北の廊の遣戸からのぞきなさると、たいそう勇み立つ馬で、中門の前を足を高く上げさせて通っていかれるのを、あきれたことだとお思いになったが、なまじ言うと面倒なことなので、多くはおっしゃらず、「ただ思いやりのない男だったのだなあ」とだけ申しなさった。とんでもないことですよ。実は、帥中納言殿の北の方の六条殿の姫君は、母が三条殿(頼忠)の姫君でいらっしゃるので、(頼忠の)孫なのですよ。ですから、人一倍参上してお仕え申し上げなさるべきだったのに。
この頼忠大臣は、一の人でいらっしゃったけれど、直衣姿で内裏に参上なさることはございませんでした。奏上なさることがあるときは、布袴で参上なさった。そうして殿上の間にお控えになる。年中行事の御障子のもとで、しかるべき職事・蔵人などを通して奏上させなさった。また(勅答も)そこで承りなさった。またあるときは、帝が鬼の間にお出ましになってお召しがあるときに参上なさった。関白をなさっても、(帝の)よその人でいらしたからでしょうか。
故中務宮代明親王の御娘の腹に、娘が二人、男が一人いらして、大姫君(遵子)は円融院の御時に女御から中宮と申し上げた。御年二十六。皇子はお生まれにならなかった。四条の宮と申し上げたようです。たいへん思慮深く、故実に通じた方と言われなさった。功徳もご祈禱も作法どおりに行わせなさった。毎年の季の御読経なども、普通のことともお思いにならない。四日間、二十人の僧を、坊の飾りもすばらしくして手厚くお迎えなさる。(僧が)湯浴みをするときなどは、このうえなく作法どおりに供養なさり、御前からもまた特別にしかるべき物どもをお出しになる。ご自身もよいお召し物をお召しになり、このうえなく身をお清めになって、僧に与えるものどもは、まず御前に取り据えさせて拝みなさってから、のちに遣わしたのでした。恵心僧都が頭陀行をなさったときも、京中がこぞってすばらしいお斎(とき)を用意して参ったが、この宮からはきちんと金属の碗を打たせてお与えになったので、こうでは(乞食行としては)あまりに見苦しいと言って、僧都は乞食をおやめになったのでした。もうお一人の姫君(諟子)は、花山院の御時の女御で、四条の宮で尼としていらっしゃるようです。
意訳
頼忠は実頼の次男で、円融・花山天皇の関白を務めた。しかし天皇の外戚ではなく、一条天皇が即位すると関白を兼家に譲った。世継は頼忠を、儀式の先例をいくつも定めた人として評価しつつ、灯の油の残りまで集めさせた度を越した倹約ぶりには「あまりにうたてある事」と苦言を呈する。
印象深いのは、若き日の伊周の話である。伊周は兼家の孫として飛ぶ鳥を落とす勢いで、妻の実家への道すがら、頼忠の邸の前を馬で威勢よく通り過ぎた。伊周の妻は頼忠の孫娘であったから、本来なら礼を尽くすべき相手である。頼忠は遣戸からのぞいて「情けのない男だ」とつぶやくだけだった。ここには、のちに失脚する伊周の驕りが早くも示されている。
頼忠は「よそ人」の関白であることをわきまえ、決して直衣のくだけた姿では参内しなかった。娘の遵子は円融天皇の中宮となったが皇子が生まれず、「素腹の后」とあだ名された(次の章で語られる)。その分、遵子は法会や供養に心を尽くし、源信(恵心僧都)が乞食行をやめたほどだったという。
語釈・文法注
- 太政大臣賴忠
- 藤原頼忠(924〜989)。実頼の次男。円融・花山天皇の関白。
- 三條殿
- 頼忠のこと。三条大路の北、西洞院大路の東に邸があった。
- けびゐし
- 検非違使。京の治安を守る役人。摂関の賀茂詣でに随行させるようになった。
- ずいじん
- 随身。貴人の警護のために朝廷から与えられた近衛の舎人。
- あぶらがめ
- 油瓶。灯火用の油を入れる瓶。
- うたてある
- 情けない、いやな。
- 四條宮
- 頼忠の娘遵子の御所。
- 前帥殿
- 藤原伊周(974〜1010)。道隆の長男。のちに大宰権帥に左遷されたので「帥殿」と呼ばれる。
- 六條殿
- 源重光(923〜998)。醍醐天皇の孫。その娘が伊周の妻。
- 遣子
- 遣戸(やりど)。引き戸。
- 布袴
- 略式の束帯の一種。束帯の表袴のかわりに指貫を着ける。
- 年中行事の御障子
- 清涼殿の殿上の間の前に立てられた、一年の行事を書き付けた衝立障子。
- 鬼のま
- 鬼の間。清涼殿の西南の部屋。
- よしあきらのみこ
- 代明親王(904〜937)。醍醐天皇の皇子。中務卿。
- 大姫君
- 藤原遵子(957〜1017)。頼忠の長女。円融天皇の中宮。皇子がなく、のち皇太后・太皇太后。
- 有心者
- 思慮深く、情趣を解する人。
- 惠心僧都
- 源信(942〜1017)。比叡山の僧。『往生要集』の著者。
- 頭随行
- 頭陀行(ずだぎょう)。食を乞いながら修行すること。
- ごき
- 御器。食器の碗。
- いまひとところのひめ君
- 藤原諟子。頼忠の次女。花山天皇の女御。
文法
- しをき給へる人なり
- 「しおく」は定めておく。お定めになった人である。
- よぎゝてもおはすべきを
- 「よぎく」はよけて行く。「を」は逆接。よけていらっしゃるはずなのに。
- いかゞはせさせ給はん
- 反語。どうなさることができようか。
- おのこにこそありけれ
- 「けれ」は気づきの詠嘆。男だったのだなあ。
- 給べかりしが
- なさるべきだったのに。
- おぼしめしたらず
- 「たる」は満足する。普通のことではお気持ちが満たされない。
解説
頼忠は貞元二年(977)に関白となり、円融・花山の二代に仕えた。寛和二年(986)の花山天皇の出家(第8章)によって一条天皇が即位すると、外祖父の兼家が摂政となり、頼忠は関白を退いた。
伊周(974〜1010)は道隆の長男で、若くして内大臣に上ったが、道隆の死後、叔父道長との争いに敗れ、長徳二年(996)に大宰権帥に左遷された(道隆の章で語られる)。
源信が乞食行をやめた話は、遵子の供養があまりに丁寧で、もはや乞食の行にならないと考えたためである。遵子の信仰の篤さを伝える一方、かえって修行の妨げになったという皮肉も含んでいる。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、511〜514頁(コマ271–273)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日