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大鏡 第20章

実頼の子孫

実頼の子孫の話。佐理の娘も能書家であった。実頼の三男斉敏の子からは高遠・懐平・実資が出た。実資は祖父実頼の養子となって小野宮を継ぎ、今の右大臣として重んじられている。晩年に生まれた娘「かぐや姫」を溺愛し、小野宮に壮麗な御堂を建てて、東大寺と並ぶほど工事の音が絶えないという。

  1. 1そのそのその大貳だいに大貳だいにだいに御おん御おんおんむすめいとこのむすめいとこのむすめいとこのののの左衞門督さゑもんのかみ左衞門督さゑもんのかみさえもんのかみのきたのかたにておはせしのきたのかたにておはせしのきたのかたにておわせしははは君きみ君きみきみののの母はゝ母はゝはは上うへ上うへうえ。。。大貳だいに大貳だいにだいににおとらずにおとらずにおとらず女をんな女をんなおんなてかきにておはすめるてかきにておはすめるてかきにておわすめる。。。
  2. 2第二だいに第二だいにだいにののの御おん御おんおんいもいもいもうとうとうとはははのおとゞののおとゞののおとどの北きた北きたきた方かた方かたかたにておはすにておはすにておわす。。。そのそのその御おん御おんおんはははらのらのらの女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみははは花山院くわさんゐん花山院くわさんゐんかざんいんののの御時おほんとき御時おほんときおおんときののの弘徽殿女御こきでんのにようご弘徽殿女御こきでんのにようごこきでんのにょうご。。。又また又またまた入道中納言にふだうちゆうなごん入道中納言にふだうちゆうなごんにゅうどうちゅうなごんののの北きた北きたきた方かた方かたかたにてにてにて又また又またまたおのこゞおのこゞおのこごははは今いま今いまいまののの中宮大夫ちゆうぐうのだいぶ中宮大夫ちゆうぐうのだいぶちゅうぐうのだいぶ卿きやう卿きやうきょうとぞとぞとぞ申まう申まうもうめるめるめる。。。
  3. 3小野宮をののみや小野宮をののみやおののみやのおとゞののおとゞののおとどの三郎さぶらう三郎さぶらうさぶろう。。。敦あつ敦あつあつ敏びん敏びんびん少將せうしやう少將せうしやうしょうしょうのおなじはらののおなじはらののおなじわらの君きみ君きみきみ。。。右衞門督うゑもんのかみ右衞門督うゑもんのかみうえもんのかみまでなりまでなりまでなり給たま給たまたまへりしへりしえりし。。。とぞきこえしかしとぞきこえしかしとぞきこえしかし。。。そのそのその御おん御おんおんおとこおとこおとこ君きみ君きみきみ。。。播磨守はりまのかみ播磨守はりまのかみはりまのかみこれふむのむすめのこれふむのむすめのこれうむのむすめのはらにみところおはせしはらにみところおはせしはらにみところおわせし。。。
  4. 4太郎たらう太郎たらうたろうののの君きみ君きみきみ大貳だいに大貳だいにだいににてにてにてうせうせうせ給たま給たまたまにきにきにき。。。二に二にに郎らう郎らうろう懷平かねひら懷平かねひらかねいらとてとてとて中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん右衞門督うゑもんのかみ右衞門督うゑもんのかみうえもんのかみまでなりまでなりまでなり給たま給たまたまへりしへりしえりし。。。そのそのその御おん御おんおんおのこゞおのこゞおのこご也なり也なりなり。。。いまのいまのいまの右兵衞督うひやうゑのかみ右兵衞督うひやうゑのかみうひょうえのかみののの君きみ君きみきみ。。。またまたまた侍從宰相じじゆうのさいしやう侍從宰相じじゆうのさいしやうじじゅうのさいしょうののの君きみ君きみきみ。。。
  5. 5いまのいまのいまの皇太后宮權太夫くわうたいこうぐうのごんのだいぶ皇太后宮權太夫くわうたいこうぐうのごんのだいぶこうたいごうぐうのごんのだいぶにておはすめりにておはすめりにておわすめり。。。そのたゞとしのそのたゞとしのそのただとしの君きみ君きみきみののの御おん御おんおんおとこごおとこごおとこご。。。御おん御おんおんおほぢおのゝみやのおとゞおほぢおのゝみやのおとゞおおじおののみやのおとど御子みこ御子みこみこにしにしにし給たま給たまたまててて。。。給たま給たまたまててて。。。
  6. 6いみじうかなしうしいみじうかなしうしいみじゅうかなしゅうし給たま給たまたまききき。。。このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御名な御名ななののの文字もじ文字もじもじ也なり也なりなり。。。されもじされもじされもじはははといふといふというほどもあまりざえがりたりやほどもあまりざえがりたりやほどもあまりざえがりたりや。。。わらわらわらはははなななははは丸まる丸まるまるとぞつけたりけるとぞつけたりけるとぞつけたりける。。。
  7. 7其その其そのその君きみ君きみきみこそこそこそ今いま今いまいまののの小野宮をののみや小野宮をののみやおののみやののの右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんととと申まう申まうもうててて。。。いとやむいとやむいとやむ事こと事ことことなくておはすめりなくておはすめりなくておわすめり。。。このおとゞのこのおとゞのこのおとどの御子みこ御子みこみこのなきなげきのなきなげきのなきなげきをををししし給たま給たまたまててて。。。わがわがわが御おん御おんおんをををひのひのひの資平すけひら資平すけひらすけいらののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうをやをやをやしなひしなひしない給たま給たまたまめりめりめり。。。
  8. 8又また又またまたすゑにみやづかへすゑにみやづかへすえにみやずかえ人ひと人ひとひとをををおぼしけるおぼしけるおぼしけるはらはらはらににに。。。いでおはしたるおのこゞいでおはしたるおのこゞいでおわしたるおのこごははは法師ほふし法師ほふしほうしにてにてにて。。。内供ないぐ内供ないぐないぐ君きみ君きみきみとておはすとておはすとておわす。。。
  9. 9又また又またまたさぶらひけるさぶらひけるさぶらいける女房にようばう女房にようばうにょうぼうをををめしつかひめしつかひめしつかい給たま給たまたまけるけるけるほどにほどにほどに。。。をのづからむまれをのづからむまれおのずからむまれ給たま給たまたまへりけるへりけるえりける女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみとぞとぞとぞ申まう申まうもうけるけるける。。。このこのこの女をんな女をんなおんなはははよりさだのよりさだのよりさだの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょうのめのとごのめのとごのめのとご。。。
  10. 10北きた北きたきた方かた方かたかたははは花山院くわさんゐん花山院くわさんゐんかざんいんののの女御にようご女御にようごにょうご式部卿しきぶきやう式部卿しきぶきやうしきぶきょうののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ。。。院ゐん院ゐんいんそむかせそむかせそむかせ給たま給たまたまててて。。。後のち後のちのち中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう申給まうしたま申給まうしたまもうしたまににに。。。このこのこの殿どの殿どのどのにまいりにまいりにまいり給たま給たまたまゐるゐるいるををを聞きこ聞きこきこててて。。。中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうきこえきこえきこえ給たま給たまたまひしぞかしひしぞかしいしぞかし。。。
  11. 11うれしきうれしきうれしきはははいかばかりかいかばかりかいかばかりかはははおもふらむうきおもふらむうきおもうらむうきはははみにしむみにしむみにしむ心こころ心こころこころちこそすれちこそすれちこそすれ
  12. 12このこのこの女御にようご女御にようごにょうご。。。殿どの殿どのどのにさぶらひたまひしにさぶらひたまひしにさぶらいたまいし。。。このこのこの女君をんなぎみ女君をんなぎみおんなぎみ日ひ日ひひのかうおこなひのかうおこなひのこうおこない給たま給たまたま。。。資家すけいへ資家すけいへすけいえ中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんのののうへのうへのうえのはらなりはらなりはらなり。。。兼賴かねより兼賴かねよりかねよりののの中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごん北きた北きたきた方かた方かたかたにてにてにてうせうせうせ給たま給たまたまにきにきにき。。。
  13. 13おおおほかたほかたほかた子ご子ごごかたくおはしけるぞかたくおはしけるぞかたくおわしけるぞうにやうにやうにや。。。これもこれもこれも中宮ちゆうぐう中宮ちゆうぐうちゅうぐうののの權ごん權ごんごん太夫たいふ太夫たいふたいうのののうへもまゝうへもまゝうえもまま子こ子ここをやをやをやしなひしなひしない給たま給たまたまへるへるえる。。。小野をの小野をのおののみやのしむのみやのしむのみやのしむ殿どの殿どのどのののの東面ひがしおもて東面ひがしおもてひがしおもてににに。。。帳ちやう帳ちやうちょうゆかたてゝいみじうかしづきすゑたてまつりゆかたてゝいみじうかしづきすゑたてまつりゆかたてていみじゅうかしずきすえたてまつり。。。いかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとかかか御おん御おんおんむことなりむことなりむことなり給たま給たまたまはんとすらんはんとすらんわんとすらん。。。
  14. 14かのかのかの殿どの殿どのどの人ひと人ひとひとにおはしますにおはしますにおわします。。。故こ故ここ小野宮をののみや小野宮をののみやおののみやのそこばくのたからののそこばくのたからののそこばくのたからの庄園しやうゑん庄園しやうゑんしょうえんははは。。。みなこのみなこのみなこの殿どの殿どのどのにこそにこそにこそはははあらめあらめあらめ。。。殿との殿とのとのづくりせられたるさまいとめでたしやづくりせられたるさまいとめでたしやずくりせられたるさまいとめでたしや。。。
  15. 15對たい對たいたい寢殿しんでん寢殿しんでんしんでん渡殿わたどの渡殿わたどのわたどのはははれいのれいのれいの事こと事ことことなりなりなり。。。方かた方かたかたににに三間四面さんげんしめん三間四面さんげんしめんさんげんしめんののの御堂みだう御堂みだうみどうたてられてたてられてたてられて。。。めぐりらうめぐりらうめぐりろうはははみなみなみな供僧ぐそう供僧ぐそうぐそうののの坊ばう坊ばうぼうにせられたりにせられたりにせられたり。。。おほきなるおほきなるおおきなるふたつふたつふたつぬりすへられてけぶりたえぬぬりすへられてけぶりたえぬぬりすえられてけぶりたえぬ日ひ日ひひなしなしなし。。。
  16. 16御堂みだう御堂みだうみどうにににははは金色佛こんじきぶつ金色佛こんじきぶつこんじきぶつおほくおはしますおほくおはしますおおくおわします。。。供米くまい供米くまいくまい卅さんじふ卅さんじふさんじゅう石いし石いしいしぢやうきとにおかれてたゆるぢやうきとにおかれてたゆるじょうきとにおかれてたゆる事こと事ことことなしなしなし。。。世よ世よよののの中なか中なかなかににに御堂みだう御堂みだうみどうにまいるみちににまいるみちににまいるみちにははは。。。御前おまへ御前おまへおまえのののいけよりあなたいけよりあなたいけよりあなたをををはる〴〵はる〴〵はるばるとのにつくらしめとのにつくらしめとのにつくらしめ給たま給たまたまててて。。。
  17. 17時〳〵ときどき時〳〵ときどきときどきののの花はな花はなはなもみぢもみぢもみじをををうへさせうへさせうえさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。又また又またまた船ふね船ふねふねにのりていけよりこぎてもまいるにのりていけよりこぎてもまいるにのりていけよりこぎてもまいる。。。これよりこれよりこれよりほかにほかにほかに道みち道みちみちなしなしなし。。。住す住すす僧そう僧そうそうはやはやはやむむん事こと事ことことなしなしなし。。。智者ちしや智者ちしやちしゃ或あるい或あるいあるい眞言師しんごんし眞言師しんごんししんごんしなんどゞもになんなんどゞもになんなんどどもになん。。。
  18. 18これにこれにこれに夏なつ夏なつなつ冬ふゆ冬ふゆふゆののの法服ほふぶく法服ほふぶくほうぶくをををたまひたまひたまい供料くれう供料くれうくりょうをををあてあてあて給たま給たまたま。。。わがわがわが滅罪生善めつざいしやうぜん滅罪生善めつざいしやうぜんめつざいしょうぜんののの御おん御おんおんいのりいのりいのり。。。又また又またまたひめひめひめ君きみ君きみきみののの御おん御おんおん息災そくさい息災そくさいそくさいをををいのらしめいのらしめいのらしめ給たま給たまたま。。。このこのこの小せう小せうしょうのゝみやのゝみやののみやをををあけくれつくらせあけくれつくらせあけくれつくらせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと。。。
  19. 19日ひ日ひひにたゝみのにたゝみのにたたみの七八人はちにん七八人はちにんはちにんたゆるたゆるたゆる時とき時ときときなしなしなし。。。世よ世よよののの中なか中なかなかにてにてにてをををのゝのゝののをををとするとするとする所ところ所ところところははは。。。東大寺とうだいじ東大寺とうだいじとうだいじとこのとこのとこのをををのゝみやとこそのゝみやとこそののみやとこそははは侍はべ侍はべはべれれれ。。。御おん御おんおんおほぢおおほぢおおおじおほいほいほい殿どの殿どのどののとりわきのとりわきのとりわき給たま給たまたまししるしししるしししるしはははおはするおはするおわする殿どの殿どのどの也なり也なりなり。。。
  20. 20まとこのまとこのまとこの御おん御おんおんおのこゞおのこゞおのこごははは。。。。。。ひめひめひめ君きみ君きみきみののの御おん御おんおんひとつばらにひとつばらにひとつばらにはははあらずあらずあらず。。。いづれにかありけんいづれにかありけんいずれにかありけん。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

その大弐(佐理)の御娘で、いとこの懐平の左衛門督の北の方でいらしたのは、経任の君の母上である。大弐に劣らない、女の能書家でいらっしゃるようです。

(実頼の)二番目の妹は、法住寺の大臣(為光)の北の方でいらっしゃる。その御腹の女君は、花山院の御時の弘徽殿女御(忯子)、また入道中納言(義懐)の北の方で、男の子は今の中宮大夫斉信卿と申し上げるようです。

小野宮の大臣の三男は、敦敏の少将と同じ腹の君で、右衛門督までおなりになった。斉敏と申し上げたのですよ。その御男君は、播磨守尹文の娘の腹に三人いらした。長男の高遠の君は大弐で亡くなった。次男は懐平といって、中納言・右衛門督までおなりになった。そのお子が、今の右兵衛督経通の君、また侍従宰相資平の君で、今の皇太后宮権大夫でいらっしゃるようです。その斉敏の君の(三番目の)男子を、祖父の小野宮の大臣が御養子になさって、実資とお名づけ申し上げて、たいそうかわいがりなさった。(「実」は)この大臣の御名の文字である。この名の文字を、という点もいささか学者ぶったことですなあ。幼名は「大学丸」とつけたのでした。その君こそが、今、小野宮の右大臣と申し上げて、たいそう重々しくいらっしゃるようです。この大臣(実資)は、お子がないことを嘆かれて、ご自分の甥の資平の宰相を養子にしていらっしゃるようです。また、晩年に宮仕え人をご寵愛になった腹にお生まれになった男子は法師で、内供の良円君といっていらっしゃる。

また、仕えていた女房を召し使っていらしたうちに、自然とお生まれになった女君を「かぐや姫」と申し上げた。この女房は、頼定の宰相の乳母子である。(実資の)北の方は、花山院の女御で、為平式部卿の御娘(婉子女王)である。院がご出家なさったのち、道信の中将も恋文をさし上げていらしたが、この殿(実資)のもとに参って住まわれたのを聞いて、中将が申し上げなさったのですよ。

うれしきはいかばかりかは思ふらむ憂きは身にしむ心地こそすれ

この女御は、殿のもとにいらした。この女君(かぐや姫)のために、千日の講を行わせなさる。(女君は)資家中納言の上(女房)の腹である。兼頼の中納言の北の方としてお亡くなりになった(人もいる)。だいたいお子に恵まれにくくていらっしゃる一族なのであろうか。これも中宮権大夫の上も、継子を養っていらっしゃる。小野宮の寝殿の東面に、帳台を立ててたいそう大切に住まわせ申し上げている。どんな人が婿におなりになろうとするのでしょう。

あの殿(実資)はたいへんなお金持ちでいらっしゃる。故小野宮(実頼)のたくさんの宝や荘園は、みなこの殿のものになっているのでしょう。お屋敷の造営をなさったさまは、たいそうすばらしいことよ。対屋・寝殿・渡殿はいつものとおりである。東南の方角に三間四面の御堂を建てられて、周りの廊はみな供僧の坊にされている。湯屋には大きな鼎を二つ塗り据えられて、煙が絶えない日はない。御堂には金色の仏がたくさんいらっしゃる。供米三十石を定期に置かれて絶えることがない。御堂に参る道は、御前の池からあちらを、はるばると野のように造らせなさって、季節ごとの花や紅葉をお植えになっている。また舟に乗って池から漕いで参る。これより他に道はない。住む僧は尊い人たちである。智者、あるいは持経者・真言師などであろう。これらの僧に夏冬の法服を与え、供料をあてがわれる。ご自身の滅罪生善のご祈禱、また姫君の息災を祈らせなさる。この小野宮を明け暮れ造営なさることといったら、毎日大工が七、八人絶えるときがない。世の中で斧の音がする所は、東大寺とこの小野宮くらいのものでございましょう。御祖父の太政大臣(実頼)が特別にかわいがりなさったかいがあった殿である。本当のお子の男子は、伯耆守資頼と申し上げるようです。姫君とは同じ腹ではない。どちらの腹であったのでしょう。

意訳

実頼の子孫の系譜が語られる。佐理の娘も書の名手であり、実頼の妹(為光の妻)の子には弘徽殿女御忯子や藤原斉信がいる。系譜の羅列のようだが、こうした血縁の網の目こそが、当時の政治を動かしていた。

中心となるのは、実頼の孫で養子となった実資である。物語の「今」には右大臣で、道長にも遠慮なくものを言う硬骨の人として知られた。世継は、実資が老いて女房に産ませた娘を「かぐや姫」と呼んで溺愛し、寝殿の東面に帳台を立てて大切にしているさま、そして実頼から受け継いだ莫大な財産で小野宮を壮麗に造り続けているさまを語る。池に舟を浮かべて渡る御堂、花と紅葉の植えられた道、絶えない斧の音。小野宮流の富と、娘の婿を誰にするかという世間の関心が、生き生きと伝わってくる。

「斧の音がするのは東大寺と小野宮だけ」という評は、実資の邸の造営が国家的な大寺院の工事に匹敵するほどであったことを、少し皮肉をこめて言ったものであろう。

語釈・文法注

經任
藤原経任(1000〜1066)。懐平の子。
法住寺のおとゞ
藤原為光(942〜992)。師輔の子。法住寺を建てた。
齊信
藤原斉信(967〜1035)。為光の子。一条朝の四納言の一人。
齊敏
藤原斉敏(928〜973)。実頼の三男。
高遠
藤原高遠(949〜1013)。斉敏の長男。大宰大弐。歌人。
懷平
藤原懐平(953〜1017)。斉敏の次男。権中納言。
經通
藤原経通(982〜1051)。懐平の子。
資平
藤原資平(986〜1068)。懐平の子で、実資の養子となった。
さねすけ
藤原実資(957〜1046)。斉敏の三男で、祖父実頼の養子となり小野宮流を継いだ。物語の「今」は右大臣。日記『小右記』を残した。
たいかく丸
大学丸。実資の幼名。
良圓
良円(985〜1050)。実資の子。天台の僧。
かぐやひめ
実資の娘千古(ちふる)。晩年の子で溺愛され、「かぐや姫」と呼ばれた。のち藤原兼頼(頼宗の子)と結婚した。
道信中將
藤原道信(972〜994)。為光の子。歌人。『百人一首』の「明けぬれば暮るるものとは知りながら」の作者。
ためひらの式部卿
為平親王(952〜1010)。村上天皇の皇子。その娘婉子女王は花山天皇の女御で、のち実資の妻となった。
けさう
懸想。恋い慕うこと。
千日のかう
千日講。千日間続けて法華経を講じる法会。
とく人
徳人。富裕な人。
たつみ
巽。東南の方角。
ゆや
湯屋。湯を沸かして浴びる建物。
かなへ
鼎。湯を沸かす大きな釜。
持經者
法華経を常に読誦する僧。
すけより
藤原資頼。実資の子。伯耆守。

文法

おはすめる
「める」は推量「めり」の連体形。いらっしゃるようだ。
ざえがりたりや
「ざえがる」は学者ぶる。学者ぶったことよ。
うきはみにしむ心ちこそすれ
「こそ〜すれ」の係り結び。
おはしけるぞうにや
「ぞう」は族(一族)。「にや」の下に「あらむ」が省略。
なり給はんとすらん
「らん」は現在推量。おなりになろうとするのだろう。
あらめ
「め」は推量「む」の已然形で「こそ」の結び。

和歌・漢詩

うれしきはいかばかりかはおもふらむうきはみにしむ心ちこそすれ

作者
藤原道信
状況
自分も思いを寄せていた婉子女王(花山院の女御)が実資の妻となったと聞いて、実資に贈った歌。うれしいのはあなたで、どれほどうれしく思っていることでしょう。つらいのは私で、身にしみる思いがします。

修辞

対比
「うれしき」(実資)と「うき」(道信自身)。

解説

実資(957〜1046)は、祖父実頼の養子として小野宮家の財産と家記を受け継ぎ、九十歳まで生きて右大臣を長く務めた。道長が「この世をば我が世とぞ思ふ」と詠んだことを書き留めた日記『小右記』の筆者として名高い。

この段は、実資の妻や子女の関係を語るところで、本文が錯綜しており、諸本にも異同が多い。とくに「この女御。殿にさぶらひたまひし。この女君千日のかうおこなひ給。資家中納言のうへのはらなり」のあたりは意味がとりにくい。このページの訳は一つの解釈である。

実資の娘千古は、のちに道長の孫の藤原兼頼と結婚した。実資が娘に多くの財産を譲ったことは『小右記』からもうかがえる。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、509〜511頁(コマ270–271)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日