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大鏡 第18章

仲平・忠平

時平の弟の仲平は、弟の忠平に二十年も遅れて大臣となり、忠平から梅の花に寄せた祝いの歌を贈られた。続く忠平(貞信公)は、朱雀・村上天皇の摂政・関白として二十年世を治め、実頼・師輔・師氏・師尹の子らも大臣・大納言に並んだ。邸の小一条院の石畳の話、宗像明神が位を譲ってほしいと頼んだ話、内裏で鬼の手を太刀でつかまえた話が語られ、忠平に仕えた繁樹は感きわまって涙ぐむ。

  1. 1左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん
  2. 2このおとゞこのおとゞこのおとどはははこれもとつねのおとゞのこれもとつねのおとゞのこれもとつねのおとどの次郎じらう次郎じらうじろう。。。御母みはは御母みははみわわははは本院ほんゐん本院ほんゐんほんいんののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんにおなじにおなじにおなじ。。。大臣だいじん大臣だいじんだいじんののの位くらゐ位くらゐくらいにてにてにて十三年じふさんねん十三年じふさんねんじゅうさんねんぞおはせしぞおはせしぞおわせし。。。枇杷左大臣びはのさだいじん枇杷左大臣びはのさだいじんびわのさだいじんととと申まう申まうもう。。。御子みこ御子みこみこもたせもたせもたせ給たま給たまたまはずはずわず。。。
  3. 3ががが集しふ集しふしゅうににに出で出ででててて人ひと人ひとひとにむすばれにけりなどよみにむすばれにけりなどよみにむすばれにけりなどよみ給たま給たまたまへるへるえるはははこのこのこの人ひと人ひとひとにおはすにおはすにおわす。。。よりよりよりははは御兄みあに御兄みあにみあににあたらせにあたらせにあたらせ給たま給たまたまへどへどえど。。。廿年にじふねん廿年にじふねんにじゅうねんまでまでまで大臣だいじん大臣だいじんだいじんになりおくれになりおくれになりおくれ給たま給たまたまへりしへりしえりし。。。
  4. 4つゐになりつゐになりついになり給たま給たまたまへればへればえればゝゝの御おん御おんおんよろこびのよろこびのよろこびの歌うた歌うたうた。。。
  5. 5おそくとくつゐにさきぬるむめのおそくとくつゐにさきぬるむめのおそくとくついにさきぬるむめの花はな花はなはなたがたがたがうへおきしたねにかあるらんうへおきしたねにかあるらんうえおきしたねにかあるらん
  6. 6やがてそのやがてそのやがてその花はな花はなはなををを御おん御おんおん對たい對たいたい面めん面めんめんののの日ひ日ひひよろこびよろこびよろこび給たま給たまたまへるへるえる。。。給たま給たまたまけるにもけるにもけるにも。。。よこざまにすへさせよこざまにすへさせよこざまにすえさせ給たま給たまたまけるこそけるこそけるこそ。。。としごろすこしかたはらいたくおぼされけるとしごろすこしかたはらいたくおぼされけるとしごろすこしかたわらいたくおぼされける御心みこころ御心みこころみこころとけてとけてとけて。。。
  7. 7いかにかたみにこゝろゆかせいかにかたみにこゝろゆかせいかにかたみにこころゆかせ給たま給たまたまへりけんとへりけんとえりけんと。。。御おん御おんおんあはひめでたけれあはひめでたけれあわいめでたけれ。。。このとのゝこのとのゝこのとのの御心みこころ御心みこころみこころぞまことにぞまことにぞまことにうるはしくおはしましけるうるはしくおはしましけるうるわしくおわしましける。。。みなみなみな人ひと人ひとひときゝしろしめしたるきゝしろしめしたるききしろしめしたる事こと事ことこと也なり也なりなり。。。
  8. 8まうさじまうさじもうさじ。。。歌うた歌うたうた也なり也なりなり。。。
  9. 9人ひと人ひとひとしれずやみなましかばわびつゝもなきしれずやみなましかばわびつゝもなきしれずやみなましかばわびつつもなき名な名ななぞとだにいぞとだにいぞとだにいはははましものましものましものををを
  10. 10太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん忠平ただひら忠平ただひらただいら
  11. 11このおとゞこのおとゞこのおとどはははこれこれこれ基經もとつね基經もとつねもとつねのおとゞののおとゞののおとどの四郎しらう四郎しらうしろう君きみ君きみきみ。。。御母みはは御母みははみわわ本院ほんゐん本院ほんゐんほんいんののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんびびびはははののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんにおなじにおなじにおなじ。。。延長えんちやう延長えんちやうえんちょう八年はちねん八年はちねんはちねん十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ廿一日にじふいちにち廿一日にじふいちにちにじゅういちにち。。。攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう。。。天慶てんぎやう天慶てんぎやうてんぎょう四年よねん四年よねんよねん辛丑かのとうし辛丑かのとうしかのとうし十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかぶらせかぶらせかぶらせ給たま給たまたま。。。
  12. 12公卿くぎやう公卿くぎやうくぎょうにてにてにて四十二年しじふにねん四十二年しじふにねんしじゅうにねん。。。大臣だいじん大臣だいじんだいじんののの位くらゐ位くらゐくらいにてにてにて三十六年さんじふろくねん三十六年さんじふろくねんさんじゅうろくねん。。。よよよをををしらせしらせしらせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと廿年にじふねん廿年にじふねんにじゅうねん。。。のちののちののちの御おん御おんおんいみないみないみな貞信公ていしんこう貞信公ていしんこうていしんこうとなづけたてまつるとなづけたてまつるとなずけたてまつる。。。ののの太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんととと申まう申まうもう。。。
  13. 13朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんならびにならびにならびに村上むらかみ村上むらかみむらかみののの御おん御おんおんおぢにおはしますおぢにおはしますおじにおわします。。。このこのこの御子みこ御子みこみこ五人ごにん五人ごにんごにん。。。そのおりそのおりそのおりははは我わ我わわ御位みくらゐ御位みくらゐみくらい太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんにてにてにて。。。御太郎おほんたらう御太郎おほんたらうおおんたろう左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじんにてさねよりのおとゞにてさねよりのおとゞにてさねよりのおとど。。。宮みや宮みやみや殿どの殿どのどのととと申まう申まうもうすすす。。。
  14. 14次郎じらう次郎じらうじろう右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん師輔もろすけ師輔もろすけもろすけのおとゞのおとゞのおとど。。。これこれこれををを殿どの殿どのどのときこえさせきときこえさせきときこえさせき。。。第だい第だいだい四郎しらう四郎しらうしろう。。。大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんととと聞きこ聞きこきこえきえきえき。。。五郎ごらう五郎ごらうごろうににに又また又またまた左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん師尹もろただ師尹もろただもろただのおとゞのおとゞのおとど。。。小一條こいちでう小一條こいちでうこいちじょう殿どの殿どのどのととと申まう申まうもうきかしきかしきかし。。。
  15. 15此この此このこの四人しにん四人しにんしにんののの君きみ君きみきみだちのだちのだちの左右さいう左右さいうさゆうののの大臣だいじん大臣だいじんだいじん大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんにてさしつゞきおはしましゝにてさしつゞきおはしましゝにてさしつづきおわしましし。。。いみじかりしいみじかりしいみじかりし御おん御おんおんゑいゑいえい華はな華はなはなぞかしぞかしぞかし。。。おんなごひとところおんなごひとところおんなごいとところははは。。。先坊せんばう先坊せんばうせんぼうのみやすどころにておはしましきのみやすどころにておはしましきのみやすどころにておわしましき。。。
  16. 16つねにつねにつねに此この此このこの三人さんにん三人さんにんさんにんののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんだちのまいらせだちのまいらせだちのまいらせ給たま給たまたまふふうれうれうりょうににに。。。小一條こいちでう小一條こいちでうこいちじょうのみなみのみなみのみなみ。。。ははは。。。をぞをぞをぞせられたりしがまだせられたりしがまだせられたりしがまだ侍し侍ししぞかしぞかしぞかし。。。
  17. 17明神みやうじん明神みやうじんみょうじんおはしませばおはしませばおわしませば。。。洞院とうゐん洞院とうゐんとういんこじろのつじよりおりさせこじろのつじよりおりさせこじろのつじよりおりさせ給たま給たまたまひしにひしにいしに。。。あめなどのあめなどのあめなどのふるふるふる日ひ日ひひのれうとぞのれうとぞのりょうとぞうけたまはりしうけたまはりしうけたまわりし。。。おおおほかたそのほかたそのほかたその一ひと一ひとひと町まち町まちまちははは人ひと人ひとひとまかりありかざりきまかりありかざりきまかりありかざりき。。。
  18. 18いまいまいまはははあやしきあやしきあやしき物もの物ものものもむまもむまもむま車くるま車くるまくるまにのりつゝにのりつゝにのりつつ。。。みし〳〵みし〳〵みしみしとありきとありきとありき侍はべ侍はべはべるるるはははとよとよとよ。。。むかしのなごりにいとかたじけなくこそむかしのなごりにいとかたじけなくこそむかしのなごりにいとかたじけなくこそ見み見みみ給たま給たまたまふれふれうれ。。。おきなどもおきなどもおきなどもははは今いま今いまいまもおぼろげにてもおぼろげにてもおぼろげにてはははとほりとほりとおり侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。
  19. 19今日けふ今日けふきょうもまゐるらんがこしのいたくもまゐるらんがこしのいたくもまいるらんがこしのいたく侍はべ侍はべはべつればつればつれば。。。術すべ術すべすべなくてまかりとほりつれどなくてまかりとほりつれどなくてまかりとおりつれど。。。なななをををいしだゝみいしだゝみいしだたみをばをばをばよきてぞまかりつるよきてぞまかりつるよきてぞまかりつる。。。南みなみ南みなみみなみのつらのいとあしきのつらのいとあしきのつらのいとあしき泥でい泥でいでいをばをばをばふみこみてふみこみてふみこみて候さふら候さふらそうらつればつればつれば。。。
  20. 20きたなきものもかくなりてきたなきものもかくなりてきたなきものもかくなりて侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいなりとてなりとてなりとてひきいでゝひきいでゝひきいでて見み見みみすすす。。。先祖せんぞ先祖せんぞせんぞののの御物おほんもの御物おほんものおおんものはははなにもおしけれどなにもおしけれどなにもおしけれど。。。小一條こいちでう小一條こいちでうこいちじょうのみなんようにのみなんようにのみなんように侍はべ侍はべはべらぬらぬらぬ。。。人ひと人ひとひとははは子こ子ここうみしぬるれうにこそうみしぬるれうにこそうみしぬるりょうにこそ家いへ家いへいえもももほしくほしくほしく侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいににに。。。
  21. 21さやうのおりさやうのおりさようのおりはははほかへわたらんところほかへわたらんところほかえわたらんところはははなににかはせんなににかはせんなににかわせん。。。亦また亦またまたおおおほかたつねにもたゆみなくおそろしとぞほかたつねにもたゆみなくおそろしとぞほかたつねにもたゆみなくおそろしとぞ。。。彼か彼かか入道殿にふだうどの入道殿にふだうどのにゅうどうどのにににははは仰おほ仰おほおおせらるゝなれせらるゝなれせらるるなれ。。。
  22. 22此この此このこの貞信公ていしんこう貞信公ていしんこうていしんこうははは宗むね宗むねむね像ざう像ざうぞう明神みやうじん明神みやうじんみょうじんうつゝにものなどうつゝにものなどうつつにものなど申給まうしたま申給まうしたまもうしたまけりけりけり。。。我われ我われわれよりよりよりははは御位みくらゐ御位みくらゐみくらいたかくてゐさせたかくてゐさせたかくていさせ給たま給たまたまへるなんくるしきとへるなんくるしきとえるなんくるしきと申給まうしたま申給まうしたまもうしたまければければければ。。。いといといとふびんなるふびんなるふびんなる御おん御おんおん事こと事ことことなるかなとてなるかなとてなるかなとて。。。神かみ神かみかみののの御位みくらゐ御位みくらゐみくらいははは申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまへるへるえる也なり也なりなり。。。
  23. 23彼か彼かか殿どの殿どのどのいづれのいづれのいずれの御時おほんとき御時おほんときおおんときとととはははおぼへおぼへおぼえ侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。思もひ思もひもいににに延喜えんぎ延喜えんぎえんぎ朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんののの御おん御おんおんほどにこそほどにこそほどにこそははは侍はべ侍はべはべりけめりけめりけめ。。。宣旨せんじ宣旨せんじせんじうけうけうけ給たま給たまたまはははらせらせらせ給たま給たまたまててて。。。おこなひにおこなひにおこないにののの座ざ座ざざざまにおはしますみちにざまにおはしますみちにざまにおわしますみちに。。。
  24. 24御帳みちやう御帳みちやうみちょうのののうしろのうしろのうしろのほどとほどとほどとをををらせらせらせ給たま給たまたまほどにほどにおどに。。。ものゝけはひしてものゝけはひしてもののけわいして御おん御おんおんをををとらへたりければとらへたりければとらえたりければ。。。いとあやしくてさぐらせいとあやしくてさぐらせいとあやしくてさぐらせ給たま給たまたまににに。。。
  25. 25けけけはははむく〳〵むく〳〵むくむくとおひたるとおひたるとおいたる手て手ててののの。。。つめつめつめはははながくかたなのながくかたなのながくかたなのはははのやうなるにのやうなるにのようなるに。。。。。。おくしたるさまみえじとねんぜさせおくしたるさまみえじとねんぜさせおくしたるさまみえじとねんぜさせ給たま給たまたまててて。。。
  26. 26おほやけのおほやけのおおやけの勅ちよく勅ちよくちょく定さだ定さださだうけうけうけ給たま給たまたまててて。。。さだめにまいるさだめにまいるさだめにまいる人ひと人ひとひととらふるとらふるとらうるはははなにものぞなにものぞなにものぞ。。。ゆるさずゆるさずゆるさずはははあしかりなんとてあしかりなんとてあしかりなんとて。。。御おん御おんおんたちたちたちをををひきぬきてかれがひきぬきてかれがひきぬきてかれが手て手ててをををとらへさせとらへさせとらえさせ給たま給たまたまへりければへりければえりければ。。。
  27. 27まどひてまどひてまどいてうちはなちてうちはなちてうちはなちてこそこそこそ。。。思おも思おもおもふにふにうに夜よ夜よよののの事こと事ことことなりけんかしなりけんかしなりけんかし。。。ことことこと殿との殿とのとのばらのばらのばらの御おほん御おほんおおんとよりもとよりもとよりも。。。このこのこの殿どの殿どのどのののの御おん御おんおん事こと事ことこと申まう申まうもうはははかたじけなくもあはれにもかたじけなくもあはれにもかたじけなくもあわれにも侍さぶらひ侍さぶらひさぶらいかなとてかなとてかなとて。。。
  28. 28こゑこゑこえうちかはりてうちかはりてうちかわりてはなはなはなたび〳〵たび〳〵たびたびうちかむめりうちかむめりうちかむめり。。。いかなりけることにかいかなりけることにかいかなりけることにか七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつにてむまれさせにてむまれさせにてむまれさせ給たま給たまたまへるとこそへるとこそえるとこそ申まう申まうもうつたへたれつたへたれつたえたれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

左大臣仲平

この大臣も基経公の次男。御母は本院の大臣(時平)と同じ。大臣の位に十三年いらっしゃった。枇杷左大臣と申し上げる。お子はお持ちにならなかった。伊勢の集に出ている、(伊勢が)「人に結ばれにけり」などと詠んだのは、この方のことである。貞信公(忠平)よりは兄にあたられるのに、二十年も大臣になるのが遅れていらした。ついに(大臣に)おなりになったので、太政大臣(忠平)のお祝いの歌。

遅く疾くつひに咲きぬる梅の花たが植ゑおきし種にかあるらむ

すぐにその花を髪に挿して、ご対面の日にお喜びになった。廂の大饗をなさったときにも、(忠平を)横の座にお据えになったとは、長年少し気がかりにお思いになっていたお心がとけて、どんなにお互いに満足なさったことだろうと、お二人の仲がすばらしい。この殿(仲平)のお心は、本当に端正でいらっしゃった。みなさんご存じのことである。申しますまい。この大臣に伊勢の御息所が忘れられて詠んだ歌である。

人知れずやみなましかばわびつつもなき名ぞとだに言はましものを

太政大臣忠平

この大臣は基経公の四男。御母は本院の大臣・枇杷の大臣と同じ。延長八年十一月二十一日、摂政。天慶四年辛丑十一月、関白の宣旨をお受けになる。公卿として四十二年、大臣の位に三十六年。世をお治めになったこと二十年。亡くなられてのちの諡を貞信公とお名づけ申し上げる。小一条の太政大臣と申し上げる。朱雀院と村上(天皇)の御叔父でいらっしゃる。このお子は五人。そのとき、ご自身の位は太政大臣で、ご長男は左大臣で実頼公、この方は小野宮殿と申し上げる。次男は右大臣師輔公、この方を九条殿と申し上げた。四男の師氏は大納言と申し上げた。五男にまた左大臣師尹公、小一条殿と申し上げたのですよ。この四人の君たちが、左右の大臣・大納言として並んでいらっしゃった。すばらしいご栄華ですよ。女のお子のお一人は、先坊(保明親王)の御息所でいらっしゃった。

いつもこの三人の大臣たちが参上なさる用に、小一条の南、勘解由小路には石畳をお作りになっていたのが、まだございますよ。宗像の明神がいらっしゃるので、洞院・勘解由小路の辻で(車から)お降りになったが、雨などの降る日の用心にと承りました。そもそもその一町は、人が(勝手に)通り歩くことはありませんでした。今では身分の低い者も馬や車に乗って、ずかずかと通り歩いておりますよ。昔のなごりに、たいへん恐れ多いことと拝見しております。翁どもは今でも、いいかげんな気持ちでは通りません。今日も参りましたが、腰がひどく痛みましたので、しかたなく通りましたけれど、やはり石畳はよけて通りました。南側のひどくぬかるんだ泥を踏み込んでまいりましたので、汚いものもこんなになってしまいました」と言って、(足を)引き出して見せる。「ご先祖の物は何でも惜しいけれど、小一条だけはよいとは思いません。人は子を産んだり死んだりするためにこそ家もほしいのに、そういうときは他所へ移らねばならない所は、何になりましょう。また、だいたいいつも油断できず恐ろしいと、あの入道殿(道長)はおっしゃっているようです。

この貞信公には、宗像明神が実際に姿を現してものなどを申しなさった。「私より御位が高くていらっしゃるのがつらいのです」と申しなさったので、(貞信公は)「たいへんお気の毒なことだ」と言って、神の御位を(朝廷に)申し上げて上げさせなさったのである。

あの殿が、いつの御代のことかは覚えておりません。思いますに、延喜・朱雀院のころのことでしょう。宣旨を承りなさって、政務のために陣の座の方へいらっしゃる途中、南殿の御帳台の後ろのあたりをお通りになったところ、何かの気配がして、御太刀の石突きをつかんだので、たいそう妙だと思って手さぐりなさると、毛がむくむくと生えた手で、爪は長く、刀の刃のようなので、鬼だったのだとたいそう恐ろしくお思いになったが、おじけづいた様子を見せまいと我慢なさって、「朝廷の勅命を承って、評定に参る人をつかまえるのは何者か。放さないとただではすまぬぞ」と言って、御太刀を引き抜いて、その手をおつかまえになったので、(鬼は)あわてて手を放して、丑寅(北東)の隅の方へ逃げていったのでした。思いますに、夜のことだったのでしょう。ほかの殿方のことよりも、この殿のことを申し上げるのは、恐れ多くもしみじみとすることでございますなあ」と言って、声が変わって、何度も鼻をかむようでした。どういうことだったのか、七か月でお生まれになったと申し伝えています。

意訳

仲平は兄の時平、弟の忠平にはさまれて目立たないが、心のまっすぐな人として描かれる。弟の忠平に二十年も先を越されたが、ついに大臣になったとき、忠平は「遅く早く、ついに咲いた梅の花は、誰が植えておいた種なのだろう(父基経の遺徳です)」と祝い、仲平はその花を髪に挿して喜んだ。兄弟の仲のよさがほほえましい。

忠平は、時平の早世の後を受けて、朱雀・村上天皇の摂政・関白として二十年政治を執った。子の実頼・師輔・師氏・師尹が左右の大臣と大納言に並び、その一門の繁栄は「いみじかりし御栄華」とたたえられる。忠平の子孫から摂関家の小野宮流と九条流が分かれていく。

ここで、忠平の小舎人童だった繁樹が話に加わる。小一条の邸の前の石畳を、今でもよけて通っていると言い、泥だらけの足を見せる。忠平が宗像明神に位を譲った話、内裏で鬼の手を太刀で押さえつけた豪胆な話を語り終えると、繁樹は声をつまらせ、何度も鼻をかむ。かつての主人を語る老人の姿に、物語は生身の人間のぬくもりを帯びる。

語釈・文法注

左大臣仲平
藤原仲平(875〜945)。基経の次男。
伊勢が集
『伊勢集』。歌人伊勢の家集。伊勢は宇多天皇の中宮温子に仕えた女房で、仲平と恋愛関係にあった。
おほきおほいどの
太政大臣。ここでは忠平。
かざして
挿頭(かざし)にして。花を髪や冠に挿して。
ひさしのたいきやう
廂の大饗。大臣に任じられたときに催す宴。
いせのみやすどころ
伊勢。宇多天皇の皇子を産んだので御息所と呼ばれた。
貞信公
忠平の諡。
おのゝ宮殿
小野宮殿。藤原実頼。小野宮に住んだことから。
九條殿
藤原師輔。九条に住んだことから。
師氏
藤原師氏(913〜970)。忠平の四男。大納言。
小一條殿
藤原師尹。忠平の五男で、父の小一条の邸を継いだ。
かんでのこうぢ
勘解由小路。平安京の東西の小路。
いしだゝみ
石畳。石を敷きつめた道。
むながたの明神
宗像の明神。小一条の邸に祀られていた宗像神。福岡県の宗像大社と同じ神。
陣の座
内裏で公卿が政務を評定する座。左右近衛の陣の中にあった。
南殿
紫宸殿。内裏の正殿。
いしづき
石突き。太刀の鞘の先端の金具。
をに
鬼。
うしとらのすみ
丑寅(北東)の隅。鬼門とされる。

文法

なりおくれ給へりし
(大臣に)なるのが遅れていらした。「し」の下に「を」などを補って読む。
こゝろゆかせ給へりけん
「こころゆく」は満足する。満足なさったのだろう。
まうさじ
申し上げるまい。
やみなましかば〜いはましものを
反実仮想。人に知られずに終わっていたなら、〜と言えたのになあ。
ように侍らぬ
「よう」は「よく」のウ音便。よいとは思いません。
あしかりなん
「な」は強意、「ん」は推量。ただではすまないだろう。

和歌・漢詩

おそくとくつゐにさきぬるむめの花たがうへおきしたねにかあるらん

作者
藤原忠平
状況
兄の仲平がようやく大臣となったときに贈った祝いの歌。遅い早いの違いはあっても、ついに咲いた梅の花は、誰が植えておいた種なのでしょう。父基経の遺徳のおかげだと祝う。

修辞

寓意
梅の花に仲平の昇進を、種を植えた人に父基経をたとえる。

人しれずやみなましかばわびつゝもなき名ぞとだにいはましものを

作者
伊勢
状況
仲平に忘れられて詠んだ歌。『古今集』恋五に載る。二人の仲が人に知られずに終わっていたなら、つらくても、根も葉もない噂だとだけでも言えたのに。

修辞

反実仮想
「ましかば〜まし」。

解説

仲平は延喜九年に兄時平が亡くなったのちも昇進が遅れ、承平三年(933)にようやく右大臣となった。弟の忠平はすでに延喜十四年(914)に右大臣となっていた。

忠平(880〜949)は、温厚な人柄で、朱雀天皇の摂政、のち関白として政治を安定させた。日記『貞信公記』が残る。その子孫が摂関の地位を独占し、以後の藤原氏の繁栄の基礎となった。

小一条の邸に宗像神が祀られていたことは他の記録にも見える。神が「自分より位の高い人がいるのはつらい」と言い、忠平が朝廷に申請して神階を上げたという話は、忠平の威勢の大きさを示す逸話である。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、502〜505頁(コマ267–268)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日