大鏡 第18章
仲平・忠平
時平の弟の仲平は、弟の忠平に二十年も遅れて大臣となり、忠平から梅の花に寄せた祝いの歌を贈られた。続く忠平(貞信公)は、朱雀・村上天皇の摂政・関白として二十年世を治め、実頼・師輔・師氏・師尹の子らも大臣・大納言に並んだ。邸の小一条院の石畳の話、宗像明神が位を譲ってほしいと頼んだ話、内裏で鬼の手を太刀でつかまえた話が語られ、忠平に仕えた繁樹は感きわまって涙ぐむ。
- 1左大臣左大臣さだいじん
- 2このおとゞこのおとゞこのおとどはははこれもとつねのおとゞのこれもとつねのおとゞのこれもとつねのおとどの次郎次郎じろう。。。御母御母みわわははは本院本院ほんいんののの大臣大臣だいじんにおなじにおなじにおなじ。。。大臣大臣だいじんののの位位くらいにてにてにて十三年十三年じゅうさんねんぞおはせしぞおはせしぞおわせし。。。枇杷左大臣枇杷左大臣びわのさだいじんととと申申もう。。。御子御子みこもたせもたせもたせ給給たまはずはずわず。。。
- 3ががが集集しゅうににに出出でててて人人ひとにむすばれにけりなどよみにむすばれにけりなどよみにむすばれにけりなどよみ給給たまへるへるえるはははこのこのこの人人ひとにおはすにおはすにおわす。。。よりよりよりははは御兄御兄みあににあたらせにあたらせにあたらせ給給たまへどへどえど。。。廿年廿年にじゅうねんまでまでまで大臣大臣だいじんになりおくれになりおくれになりおくれ給給たまへりしへりしえりし。。。
- 4つゐになりつゐになりついになり給給たまへればへればえればゝゝの御御おんよろこびのよろこびのよろこびの歌歌うた。。。
- 5おそくとくつゐにさきぬるむめのおそくとくつゐにさきぬるむめのおそくとくついにさきぬるむめの花花はなたがたがたがうへおきしたねにかあるらんうへおきしたねにかあるらんうえおきしたねにかあるらん
- 6やがてそのやがてそのやがてその花花はなををを御御おん對對たい面面めんののの日日ひよろこびよろこびよろこび給給たまへるへるえる。。。給給たまけるにもけるにもけるにも。。。よこざまにすへさせよこざまにすへさせよこざまにすえさせ給給たまけるこそけるこそけるこそ。。。としごろすこしかたはらいたくおぼされけるとしごろすこしかたはらいたくおぼされけるとしごろすこしかたわらいたくおぼされける御心御心みこころとけてとけてとけて。。。
- 7いかにかたみにこゝろゆかせいかにかたみにこゝろゆかせいかにかたみにこころゆかせ給給たまへりけんとへりけんとえりけんと。。。御御おんあはひめでたけれあはひめでたけれあわいめでたけれ。。。このとのゝこのとのゝこのとのの御心御心みこころぞまことにぞまことにぞまことにうるはしくおはしましけるうるはしくおはしましけるうるわしくおわしましける。。。みなみなみな人人ひときゝしろしめしたるきゝしろしめしたるききしろしめしたる事事こと也也なり。。。
- 8まうさじまうさじもうさじ。。。歌歌うた也也なり。。。
- 9人人ひとしれずやみなましかばわびつゝもなきしれずやみなましかばわびつゝもなきしれずやみなましかばわびつつもなき名名なぞとだにいぞとだにいぞとだにいはははましものましものましものををを
- 10太政大臣太政大臣だいじょうだいじん忠平忠平ただいら
- 11このおとゞこのおとゞこのおとどはははこれこれこれ基經基經もとつねのおとゞののおとゞののおとどの四郎四郎しろう君君きみ。。。御母御母みわわ本院本院ほんいんののの大臣大臣だいじんびびびはははののの大臣大臣だいじんにおなじにおなじにおなじ。。。延長延長えんちょう八年八年はちねん十一月十一月じゅういちがつ廿一日廿一日にじゅういちにち。。。攝政攝政せっしょう。。。天慶天慶てんぎょう四年四年よねん辛丑辛丑かのとうし十一月十一月じゅういちがつ關白關白かんぱくののの宣旨宣旨せんじかぶらせかぶらせかぶらせ給給たま。。。
- 12公卿公卿くぎょうにてにてにて四十二年四十二年しじゅうにねん。。。大臣大臣だいじんののの位位くらいにてにてにて三十六年三十六年さんじゅうろくねん。。。よよよをををしらせしらせしらせ給事給事たまうこと廿年廿年にじゅうねん。。。のちののちののちの御御おんいみないみないみな貞信公貞信公ていしんこうとなづけたてまつるとなづけたてまつるとなずけたてまつる。。。ののの太政大臣太政大臣だいじょうだいじんととと申申もう。。。
- 13朱雀院朱雀院すざくいんならびにならびにならびに村上村上むらかみののの御御おんおぢにおはしますおぢにおはしますおじにおわします。。。このこのこの御子御子みこ五人五人ごにん。。。そのおりそのおりそのおりははは我我わ御位御位みくらい太政大臣太政大臣だいじょうだいじんにてにてにて。。。御太郎御太郎おおんたろう左大臣左大臣さだいじんにてさねよりのおとゞにてさねよりのおとゞにてさねよりのおとど。。。宮宮みや殿殿どのととと申申もうすすす。。。
- 14次郎次郎じろう右大臣右大臣うだいじん師輔師輔もろすけのおとゞのおとゞのおとど。。。これこれこれををを殿殿どのときこえさせきときこえさせきときこえさせき。。。第第だい四郎四郎しろう。。。大納言大納言だいなごんととと聞聞きこえきえきえき。。。五郎五郎ごろうににに又又また左大臣左大臣さだいじん師尹師尹もろただのおとゞのおとゞのおとど。。。小一條小一條こいちじょう殿殿どのととと申申もうきかしきかしきかし。。。
- 15此此この四人四人しにんののの君君きみだちのだちのだちの左右左右さゆうののの大臣大臣だいじん大納言大納言だいなごんにてさしつゞきおはしましゝにてさしつゞきおはしましゝにてさしつづきおわしましし。。。いみじかりしいみじかりしいみじかりし御御おんゑいゑいえい華華はなぞかしぞかしぞかし。。。おんなごひとところおんなごひとところおんなごいとところははは。。。先坊先坊せんぼうのみやすどころにておはしましきのみやすどころにておはしましきのみやすどころにておわしましき。。。
- 16つねにつねにつねに此此この三人三人さんにんののの大臣大臣だいじんだちのまいらせだちのまいらせだちのまいらせ給給たまふふうれうれうりょうににに。。。小一條小一條こいちじょうのみなみのみなみのみなみ。。。ははは。。。をぞをぞをぞせられたりしがまだせられたりしがまだせられたりしがまだ侍侍しぞかしぞかしぞかし。。。
- 17明神明神みょうじんおはしませばおはしませばおわしませば。。。洞院洞院とういんこじろのつじよりおりさせこじろのつじよりおりさせこじろのつじよりおりさせ給給たまひしにひしにいしに。。。あめなどのあめなどのあめなどのふるふるふる日日ひのれうとぞのれうとぞのりょうとぞうけたまはりしうけたまはりしうけたまわりし。。。おおおほかたそのほかたそのほかたその一一ひと町町まちははは人人ひとまかりありかざりきまかりありかざりきまかりありかざりき。。。
- 18いまいまいまはははあやしきあやしきあやしき物物ものもむまもむまもむま車車くるまにのりつゝにのりつゝにのりつつ。。。みし〳〵みし〳〵みしみしとありきとありきとありき侍侍はべるるるはははとよとよとよ。。。むかしのなごりにいとかたじけなくこそむかしのなごりにいとかたじけなくこそむかしのなごりにいとかたじけなくこそ見見み給給たまふれふれうれ。。。おきなどもおきなどもおきなどもははは今今いまもおぼろげにてもおぼろげにてもおぼろげにてはははとほりとほりとおり侍侍はべらずらずらず。。。
- 19今日今日きょうもまゐるらんがこしのいたくもまゐるらんがこしのいたくもまいるらんがこしのいたく侍侍はべつればつればつれば。。。術術すべなくてまかりとほりつれどなくてまかりとほりつれどなくてまかりとおりつれど。。。なななをををいしだゝみいしだゝみいしだたみをばをばをばよきてぞまかりつるよきてぞまかりつるよきてぞまかりつる。。。南南みなみのつらのいとあしきのつらのいとあしきのつらのいとあしき泥泥でいをばをばをばふみこみてふみこみてふみこみて候候そうらつればつればつれば。。。
- 20きたなきものもかくなりてきたなきものもかくなりてきたなきものもかくなりて侍侍さぶらいなりとてなりとてなりとてひきいでゝひきいでゝひきいでて見見みすすす。。。先祖先祖せんぞののの御物御物おおんものはははなにもおしけれどなにもおしけれどなにもおしけれど。。。小一條小一條こいちじょうのみなんようにのみなんようにのみなんように侍侍はべらぬらぬらぬ。。。人人ひとははは子子こうみしぬるれうにこそうみしぬるれうにこそうみしぬるりょうにこそ家家いえもももほしくほしくほしく侍侍さぶらいににに。。。
- 21さやうのおりさやうのおりさようのおりはははほかへわたらんところほかへわたらんところほかえわたらんところはははなににかはせんなににかはせんなににかわせん。。。亦亦またおおおほかたつねにもたゆみなくおそろしとぞほかたつねにもたゆみなくおそろしとぞほかたつねにもたゆみなくおそろしとぞ。。。彼彼か入道殿入道殿にゅうどうどのにににははは仰仰おおせらるゝなれせらるゝなれせらるるなれ。。。
- 22此此この貞信公貞信公ていしんこうははは宗宗むね像像ぞう明神明神みょうじんうつゝにものなどうつゝにものなどうつつにものなど申給申給もうしたまけりけりけり。。。我我われよりよりよりははは御位御位みくらいたかくてゐさせたかくてゐさせたかくていさせ給給たまへるなんくるしきとへるなんくるしきとえるなんくるしきと申給申給もうしたまければければければ。。。いといといとふびんなるふびんなるふびんなる御御おん事事ことなるかなとてなるかなとてなるかなとて。。。神神かみののの御位御位みくらいははは申申もうさせさせさせ給給たまへるへるえる也也なり。。。
- 23彼彼か殿殿どのいづれのいづれのいずれの御時御時おおんときとととはははおぼへおぼへおぼえ侍侍はべらずらずらず。。。思思もいににに延喜延喜えんぎ朱雀院朱雀院すざくいんののの御御おんほどにこそほどにこそほどにこそははは侍侍はべりけめりけめりけめ。。。宣旨宣旨せんじうけうけうけ給給たまはははらせらせらせ給給たまててて。。。おこなひにおこなひにおこないにののの座座ざざまにおはしますみちにざまにおはしますみちにざまにおわしますみちに。。。
- 24御帳御帳みちょうのののうしろのうしろのうしろのほどとほどとほどとをををらせらせらせ給給たまほどにほどにおどに。。。ものゝけはひしてものゝけはひしてもののけわいして御御おんをををとらへたりければとらへたりければとらえたりければ。。。いとあやしくてさぐらせいとあやしくてさぐらせいとあやしくてさぐらせ給給たまににに。。。
- 25けけけはははむく〳〵むく〳〵むくむくとおひたるとおひたるとおいたる手手てののの。。。つめつめつめはははながくかたなのながくかたなのながくかたなのはははのやうなるにのやうなるにのようなるに。。。。。。おくしたるさまみえじとねんぜさせおくしたるさまみえじとねんぜさせおくしたるさまみえじとねんぜさせ給給たまててて。。。
- 26おほやけのおほやけのおおやけの勅勅ちょく定定さだうけうけうけ給給たまててて。。。さだめにまいるさだめにまいるさだめにまいる人人ひととらふるとらふるとらうるはははなにものぞなにものぞなにものぞ。。。ゆるさずゆるさずゆるさずはははあしかりなんとてあしかりなんとてあしかりなんとて。。。御御おんたちたちたちをををひきぬきてかれがひきぬきてかれがひきぬきてかれが手手てをををとらへさせとらへさせとらえさせ給給たまへりければへりければえりければ。。。
- 27まどひてまどひてまどいてうちはなちてうちはなちてうちはなちてこそこそこそ。。。思思おもふにふにうに夜夜よののの事事ことなりけんかしなりけんかしなりけんかし。。。ことことこと殿殿とのばらのばらのばらの御御おおんとよりもとよりもとよりも。。。このこのこの殿殿どのののの御御おん事事こと申申もうはははかたじけなくもあはれにもかたじけなくもあはれにもかたじけなくもあわれにも侍侍さぶらいかなとてかなとてかなとて。。。
- 28こゑこゑこえうちかはりてうちかはりてうちかわりてはなはなはなたび〳〵たび〳〵たびたびうちかむめりうちかむめりうちかむめり。。。いかなりけることにかいかなりけることにかいかなりけることにか七月七月しちがつにてむまれさせにてむまれさせにてむまれさせ給給たまへるとこそへるとこそえるとこそ申申もうつたへたれつたへたれつたえたれ。。。
現代語訳
左大臣仲平
この大臣も基経公の次男。御母は本院の大臣(時平)と同じ。大臣の位に十三年いらっしゃった。枇杷左大臣と申し上げる。お子はお持ちにならなかった。伊勢の集に出ている、(伊勢が)「人に結ばれにけり」などと詠んだのは、この方のことである。貞信公(忠平)よりは兄にあたられるのに、二十年も大臣になるのが遅れていらした。ついに(大臣に)おなりになったので、太政大臣(忠平)のお祝いの歌。
遅く疾くつひに咲きぬる梅の花たが植ゑおきし種にかあるらむ
すぐにその花を髪に挿して、ご対面の日にお喜びになった。廂の大饗をなさったときにも、(忠平を)横の座にお据えになったとは、長年少し気がかりにお思いになっていたお心がとけて、どんなにお互いに満足なさったことだろうと、お二人の仲がすばらしい。この殿(仲平)のお心は、本当に端正でいらっしゃった。みなさんご存じのことである。申しますまい。この大臣に伊勢の御息所が忘れられて詠んだ歌である。
人知れずやみなましかばわびつつもなき名ぞとだに言はましものを
太政大臣忠平
この大臣は基経公の四男。御母は本院の大臣・枇杷の大臣と同じ。延長八年十一月二十一日、摂政。天慶四年辛丑十一月、関白の宣旨をお受けになる。公卿として四十二年、大臣の位に三十六年。世をお治めになったこと二十年。亡くなられてのちの諡を貞信公とお名づけ申し上げる。小一条の太政大臣と申し上げる。朱雀院と村上(天皇)の御叔父でいらっしゃる。このお子は五人。そのとき、ご自身の位は太政大臣で、ご長男は左大臣で実頼公、この方は小野宮殿と申し上げる。次男は右大臣師輔公、この方を九条殿と申し上げた。四男の師氏は大納言と申し上げた。五男にまた左大臣師尹公、小一条殿と申し上げたのですよ。この四人の君たちが、左右の大臣・大納言として並んでいらっしゃった。すばらしいご栄華ですよ。女のお子のお一人は、先坊(保明親王)の御息所でいらっしゃった。
いつもこの三人の大臣たちが参上なさる用に、小一条の南、勘解由小路には石畳をお作りになっていたのが、まだございますよ。宗像の明神がいらっしゃるので、洞院・勘解由小路の辻で(車から)お降りになったが、雨などの降る日の用心にと承りました。そもそもその一町は、人が(勝手に)通り歩くことはありませんでした。今では身分の低い者も馬や車に乗って、ずかずかと通り歩いておりますよ。昔のなごりに、たいへん恐れ多いことと拝見しております。翁どもは今でも、いいかげんな気持ちでは通りません。今日も参りましたが、腰がひどく痛みましたので、しかたなく通りましたけれど、やはり石畳はよけて通りました。南側のひどくぬかるんだ泥を踏み込んでまいりましたので、汚いものもこんなになってしまいました」と言って、(足を)引き出して見せる。「ご先祖の物は何でも惜しいけれど、小一条だけはよいとは思いません。人は子を産んだり死んだりするためにこそ家もほしいのに、そういうときは他所へ移らねばならない所は、何になりましょう。また、だいたいいつも油断できず恐ろしいと、あの入道殿(道長)はおっしゃっているようです。
この貞信公には、宗像明神が実際に姿を現してものなどを申しなさった。「私より御位が高くていらっしゃるのがつらいのです」と申しなさったので、(貞信公は)「たいへんお気の毒なことだ」と言って、神の御位を(朝廷に)申し上げて上げさせなさったのである。
あの殿が、いつの御代のことかは覚えておりません。思いますに、延喜・朱雀院のころのことでしょう。宣旨を承りなさって、政務のために陣の座の方へいらっしゃる途中、南殿の御帳台の後ろのあたりをお通りになったところ、何かの気配がして、御太刀の石突きをつかんだので、たいそう妙だと思って手さぐりなさると、毛がむくむくと生えた手で、爪は長く、刀の刃のようなので、鬼だったのだとたいそう恐ろしくお思いになったが、おじけづいた様子を見せまいと我慢なさって、「朝廷の勅命を承って、評定に参る人をつかまえるのは何者か。放さないとただではすまぬぞ」と言って、御太刀を引き抜いて、その手をおつかまえになったので、(鬼は)あわてて手を放して、丑寅(北東)の隅の方へ逃げていったのでした。思いますに、夜のことだったのでしょう。ほかの殿方のことよりも、この殿のことを申し上げるのは、恐れ多くもしみじみとすることでございますなあ」と言って、声が変わって、何度も鼻をかむようでした。どういうことだったのか、七か月でお生まれになったと申し伝えています。
意訳
仲平は兄の時平、弟の忠平にはさまれて目立たないが、心のまっすぐな人として描かれる。弟の忠平に二十年も先を越されたが、ついに大臣になったとき、忠平は「遅く早く、ついに咲いた梅の花は、誰が植えておいた種なのだろう(父基経の遺徳です)」と祝い、仲平はその花を髪に挿して喜んだ。兄弟の仲のよさがほほえましい。
忠平は、時平の早世の後を受けて、朱雀・村上天皇の摂政・関白として二十年政治を執った。子の実頼・師輔・師氏・師尹が左右の大臣と大納言に並び、その一門の繁栄は「いみじかりし御栄華」とたたえられる。忠平の子孫から摂関家の小野宮流と九条流が分かれていく。
ここで、忠平の小舎人童だった繁樹が話に加わる。小一条の邸の前の石畳を、今でもよけて通っていると言い、泥だらけの足を見せる。忠平が宗像明神に位を譲った話、内裏で鬼の手を太刀で押さえつけた豪胆な話を語り終えると、繁樹は声をつまらせ、何度も鼻をかむ。かつての主人を語る老人の姿に、物語は生身の人間のぬくもりを帯びる。
語釈・文法注
- 左大臣仲平
- 藤原仲平(875〜945)。基経の次男。
- 伊勢が集
- 『伊勢集』。歌人伊勢の家集。伊勢は宇多天皇の中宮温子に仕えた女房で、仲平と恋愛関係にあった。
- おほきおほいどの
- 太政大臣。ここでは忠平。
- かざして
- 挿頭(かざし)にして。花を髪や冠に挿して。
- ひさしのたいきやう
- 廂の大饗。大臣に任じられたときに催す宴。
- いせのみやすどころ
- 伊勢。宇多天皇の皇子を産んだので御息所と呼ばれた。
- 貞信公
- 忠平の諡。
- おのゝ宮殿
- 小野宮殿。藤原実頼。小野宮に住んだことから。
- 九條殿
- 藤原師輔。九条に住んだことから。
- 師氏
- 藤原師氏(913〜970)。忠平の四男。大納言。
- 小一條殿
- 藤原師尹。忠平の五男で、父の小一条の邸を継いだ。
- かんでのこうぢ
- 勘解由小路。平安京の東西の小路。
- いしだゝみ
- 石畳。石を敷きつめた道。
- むながたの明神
- 宗像の明神。小一条の邸に祀られていた宗像神。福岡県の宗像大社と同じ神。
- 陣の座
- 内裏で公卿が政務を評定する座。左右近衛の陣の中にあった。
- 南殿
- 紫宸殿。内裏の正殿。
- いしづき
- 石突き。太刀の鞘の先端の金具。
- をに
- 鬼。
- うしとらのすみ
- 丑寅(北東)の隅。鬼門とされる。
文法
- なりおくれ給へりし
- (大臣に)なるのが遅れていらした。「し」の下に「を」などを補って読む。
- こゝろゆかせ給へりけん
- 「こころゆく」は満足する。満足なさったのだろう。
- まうさじ
- 申し上げるまい。
- やみなましかば〜いはましものを
- 反実仮想。人に知られずに終わっていたなら、〜と言えたのになあ。
- ように侍らぬ
- 「よう」は「よく」のウ音便。よいとは思いません。
- あしかりなん
- 「な」は強意、「ん」は推量。ただではすまないだろう。
和歌・漢詩
おそくとくつゐにさきぬるむめの花たがうへおきしたねにかあるらん
- 作者
- 藤原忠平
- 状況
- 兄の仲平がようやく大臣となったときに贈った祝いの歌。遅い早いの違いはあっても、ついに咲いた梅の花は、誰が植えておいた種なのでしょう。父基経の遺徳のおかげだと祝う。
修辞
- 寓意
- 梅の花に仲平の昇進を、種を植えた人に父基経をたとえる。
人しれずやみなましかばわびつゝもなき名ぞとだにいはましものを
- 作者
- 伊勢
- 状況
- 仲平に忘れられて詠んだ歌。『古今集』恋五に載る。二人の仲が人に知られずに終わっていたなら、つらくても、根も葉もない噂だとだけでも言えたのに。
修辞
- 反実仮想
- 「ましかば〜まし」。
解説
仲平は延喜九年に兄時平が亡くなったのちも昇進が遅れ、承平三年(933)にようやく右大臣となった。弟の忠平はすでに延喜十四年(914)に右大臣となっていた。
忠平(880〜949)は、温厚な人柄で、朱雀天皇の摂政、のち関白として政治を安定させた。日記『貞信公記』が残る。その子孫が摂関の地位を独占し、以後の藤原氏の繁栄の基礎となった。
小一条の邸に宗像神が祀られていたことは他の記録にも見える。神が「自分より位の高い人がいるのはつらい」と言い、忠平が朝廷に申請して神階を上げたという話は、忠平の威勢の大きさを示す逸話である。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、502〜505頁(コマ267–268)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日