大鏡 第17章
時平と笑いの話
時平の子で長生きしたのは、大臣らしいふるまいを控えて質素に暮らした顕忠だけで、ほかはみな四十前に亡くなった。世継はそれを道真を陥れた罪の報いとする。一方で時平は「大和魂」にすぐれ、醍醐天皇と示し合わせて、わざと華美な装束で参内して叱責を受け、世の贅沢をやめさせた。笑い上戸だった時平が、史の放屁に笑い崩れて政務を道真に任せた話、雷となった道真に太刀を抜いて向かった話も語られる。
- 1たゞたゞただ此此この君君きみだちのだちのだちの御御おん中中なかにににははは大納言大納言だいなごん昇昇のぼるののの卿卿きょう御女御女おおんむすめのののはらのはらのはらのおとゞのみぞおとゞのみぞおとどのみぞ右大臣右大臣うだいじんまでまでまで成成なり給給たまへるへるえる。。。そのそのその位位くらいにてにてにて六年六年ろくねんおはせしかどおはせしかどおわせしかど。。。すこしおぼすすこしおぼすすこしおぼす所所ところやありけんやありけんやありけん。。。
- 2出出でてありきてありきてありき給給たまにもにもにも家家いえのののうちにてもうちにてもうちにても。。。大臣大臣だいじんののの作法作法さほうをををふるまひふるまひふるまい給給たまはずはずわず。。。御御おんありきのおりありきのおりありきのおりははは。。。おぼろげにておぼろげにておぼろげにて御御おん給給たまはずはずわず。。。まれ〳〵まれ〳〵まれまれもももほのかにぞまいりしほのかにぞまいりしほのかにぞまいりし。。。
- 3ごぜんつかひごぜんつかひごぜんつかい給給たまはずはずわず。。。はづかにかずくなにてぞさぶらひしはづかにかずくなにてぞさぶらひしはずかにかずくなにてぞさぶらいし。。。御車御車みくるまぞぞぞひひひ四人四人しにんつがはせつがはせつがわせ給給たまはざりきはざりきわざりき。。。又又またんざうたらひにてんざうたらひにてんぞうたらいにて御手御手みてすまさずすまさずすまさず。。。
- 4寢殿寢殿しんでんのののひんがしのまにたなひんがしのまにたなひんがしのまにたなをををしてしてして。。。のつとめてごとにゆもてまいりていれければのつとめてごとにゆもてまいりていれければのつとめてごとにゆもてまいりていれければ。。。こおけにこおけにこおけにちいさきちいさきちいさきぐしてぐしてぐしてをををかれたればかれたればかれたれば。。。
- 5人人ひとしてもかけさせしてもかけさせしてもかけさせ給給たまはずはずわず。。。われわれわれ出出いださせさせさせ給給たまててて御手御手みてづからぞすましけるづからぞすましけるずからぞすましける。。。御御おんめしめしめし物物ものはははうるはしくでどころにもまいりうるはしくでどころにもまいりうるわしくでどころにもまいり。。。すべてたゞすべてたゞすべてただ御御おん。。。
- 6。。。けんやくしけんやくしけんやくし給給たましもさるべきことのおりのしもさるべきことのおりのしもさるべきことのおりの御御おんざとざとざと。。。御御おん大臣大臣だいじんとととはははみえみえみえ給給たまししし。。。かくもてなしかくもてなしかくもてなし給給たましにやしにやしにや。。。
- 7此此このおとゞのみぞおとゞのみぞおとどのみぞ御御おんぞぞぞうのうのうの中中なかににに六十六十ろくじゅう餘餘あまりまでおはせしまでおはせしまでおわせし。。。分分わ一一いちのいへにてのいへにてのいえにて大饗大饗だいきょうししし給給たまへるへるえる人人ひと也也なり。。。大臣大臣だいじんととと申申もうすすす。。。是是これよりよりより外外ほかののの君君きみだちみなだちみなだちみな卅卅みそじよよよ四十四十しじゅうにすぎにすぎにすぎ給給たまはずはずわず。。。
- 8其故其故そこゆえはははたゞことにたゞことにただことにはははあらずあらずあらず。。。此此この北野北野きたのののの御御おんなげきになむあるべきなげきになむあるべきなげきになむあるべき。。。今今いまののの三井寺三井寺みいでらののの別當別當べっとう僧都僧都そうず。。。山階寺山階寺やましなでら權別當權別當ごんのべっとう快公快公かいこう僧都僧都そうずなどなどなど。。。顯忠顯忠あきただ大臣大臣だいじん御子御子みこしげすけのしげすけのしげすけの右衞門佐右衞門佐うえもんのすけとておはせしがとておはせしがとておわせしが御子御子みこ也也なり。。。
- 9此此このきみだちこそきみだちこそきみだちこそははは物物ものししし給給たまめれめれめれ。。。あつたゞのあつたゞのあつただの中納言中納言ちゅうなごん御御おんおのこゞあまたおはしけるおのこゞあまたおはしけるおのこごあまたおわしける中中なかににに。。。兵衞佐兵衞佐ひょうえのすけなにがしのなにがしのなにがしの君君きみとかやとかやとかや申申もうししし。。。其其そのきみきみきみ出家出家しゅっけししし給給たまひてひていて往生往生おうじょうししし給給たまにきとかにきとかにきとか。。。
- 10そのそのその僧僧そうののの御子御子みこなりいはくらのなりいはくらのなりいわくらの僧都僧都そうずははは。。。敦忠敦忠あつただ公公こうののの御御おんむすめむすめむすめははは。。。はははののの大納言大納言だいなごんののの北北きたのかたにておはしきかしのかたにておはしきかしのかたにておわしきかし。。。あさましきあさましきあさましき惡事惡事あくじををを申申しんをををこなひこなひこない給給たまへりしつみによりへりしつみによりえりしつみにより。。。此此このおとゞのおとゞのおとどの御御おんすゑすゑすえはははおはせぬおはせぬおわせぬ也也なり。。。
- 11さるさるさるはははなどなどなどははは。。。いみじくおはしましたるいみじくおはしましたるいみじくおわしましたる物物ものををを。。。延喜延喜えんぎののの世間世間せけんののの作法作法さほうしたゝめさせしたゝめさせしたためさせ給給たましかどしかどしかどをををえしづめさせえしづめさせえしずめさせ給給たまはざりしにはざりしにわざりしに。。。
- 12このこのこの殿殿どのせいせいせいをやをやをやぶりたるぶりたるぶりたる御御おんさうぞくのことのさうぞくのことのそうぞくのことの外外ほかにめでたきにめでたきにめでたきをををしてしてして。。。うちにまいりうちにまいりうちにまいり給給たまててて殿上殿上てんじょうにさぶらひにさぶらひにさぶらい給給たまををを。。。御御ごらんじてらんじてらんじて。。。
- 13御御おんけしきいとあしくならせけしきいとあしくならせけしきいとあしくならせ給給たまててて。。。職事職事しきじをををめしてせけむのめしてせけむのめしてせけむの過差過差かさのせいきびしきところにのせいきびしきところにのせいきびしきところに。。。左左ひだりのおとゞののおとゞののおとどの一一いちののの人人ひとといひながらといひながらといいながら。。。美麗美麗びれいことのことのことの外外ほかにてまいれるにてまいれるにてまいれる便便びんなきとなきとなきと也也なり。。。
- 14すみやかにまかりいづべきよしおほせよとおほせられければすみやかにまかりいづべきよしおほせよとおほせられければすみやかにまかりいずべきよしおおせよとおおせられければ。。。うけうけうけ給給たまはるもいかなるはるもいかなるわるもいかなる事事ことにかとおそれおぼえけれどにかとおそれおぼえけれどにかとおそれおぼえけれど。。。まいりてまいりてまいりて。。。わなゝく〳〵わなゝく〳〵わななくわななくしかじかのしかじかのしかじかの事事ことととと申申もうければければければ。。。
- 15いみじくおどろきていみじくおどろきていみじくおどろきて。。。かしこまりかしこまりかしこまりうけうけうけ給給たまはははりてりてりて。。。御隨身御隨身みずいじんのみさきまいるもせいしのみさきまいるもせいしのみさきまいるもせいし給給たまててて。。。いそぎまかりいでいそぎまかりいでいそぎまかりいで給給たまへばへばえば。。。御前御前おまえどもゝあやしとどもゝあやしとどももあやしと思思おもひてなむひてなむいてなむ。。。
- 16さてさてさて本院本院ほんいんのみかどのみかどのみかど一月一月いちがつ程程ほどさゝせてみすのとにもいでさゝせてみすのとにもいでささせてみすのとにもいで給給たまはずはずわず。。。人人ひとなどのまいるともなどのまいるともなどのまいるとも。。。をもをもをもければとてあはせければとてあはせければとてあわせ給給たまはざりけりはざりけりわざりけり。。。さりしにこそよのさりしにこそよのさりしにこそよの中中なかににに過差過差かさはははたいらぎたりしかたいらぎたりしかたいらぎたりしか。。。
- 17うち〳〵うち〳〵うちうちによくうけによくうけによくうけ給給たまはははりしりしりしははは。。。さてばかりぞしづまらむとてさてばかりぞしづまらむとてさてばかりぞしずまらむとて。。。みかどゝみかどゝみかどと御心御心みこころあはせさせあはせさせあわせさせ給給たまへりけるとぞへりけるとぞえりけるとぞ。。。
- 18此此この左大臣左大臣さだいじんものゝおかしさぞものゝおかしさぞもののおかしさぞ。。。えねむぜさせたまはざりけるえねむぜさせたまはざりけるえねむぜさせたまわざりける。。。わらひたゝせわらひたゝせわらいたたせ給給たまぬればぬればぬれば。。。すこぶるすこぶるすこぶる事事こともみだれけるがもみだれけるがもみだれけるが。。。北野北野きたのによによによをををまつりごたせまつりごたせまつりごたせ給給たまふあひだふあひだうあいだ。。。
- 19ひだうなるひだうなるひどうなる事事ことおほせられければおほせられければおおせられければ。。。さすがにやむごとなくてせちにしさすがにやむごとなくてせちにしさすがにやむごとなくてせちにし給給たまふことふことうことをばをばをばいかゞいかゞいかがはははとおぼしてとおぼしてとおぼして。。。このおとゞのしたまふことなればこのおとゞのしたまふことなればこのおとどのしたまうことなれば。。。
- 20ふびんなりとみれどふびんなりとみれどふびんなりとみれど。。。いかゞすべからむとなげきいかゞすべからむとなげきいかがすべからむとなげき給給たまひけるひけるいけるををを。。。なにがしのなにがしのなにがしのがとにもがとにもがとにも侍侍はべらずらずらず。。。をのれがかまへにてをのれがかまへにておのれがかまえにて。。。かのかのかの御御おん事事ことをををとゞめとゞめとどめ侍侍はべらんとらんとらんと申申もうければければければ。。。
- 21いとあるまじきいとあるまじきいとあるまじき事事こと。。。いかにしてかいかにしてかいかにしてかはははなんとのなんとのなんとの給給たまはせけるはせけるわせけるををを。。。たゞたゞただ御御ごらんぜよとてらんぜよとてらんぜよとて。。。ざにつきてことにきびしくさだめのゝしりざにつきてことにきびしくさだめのゝしりざにつきてことにきびしくさだめののしり給給たまににに。。。このこのこの史史さかん。。。
- 22ふみふみふみはははさみてさみてさみて。。。ふるまひてふるまひてふるまいて。。。このおとゞにたてまつるとてこのおとゞにたてまつるとてこのおとどにたてまつるとて。。。いとたかやかにならしていとたかやかにならしていとたかやかにならして侍侍はべりけるにりけるにりけるに。。。おとゞふみもえとらずしてわなゝきておとゞふみもえとらずしてわなゝきておとどうみもえとらずしてわななきて。。。
- 23やがてわらいてやがてわらいてやがてわらいて。。。けふけふきょうははは。。。右右みぎのおとゞにまかせのおとゞにまかせのおとどにまかせ申申もうとだにいひやりとだにいひやりとだにいいやり給給たまはざりければはざりければわざりければ。。。それにこそすがはらのおとゞのそれにこそすがはらのおとゞのそれにこそすがわらのおとどの心心こころのまゝにまつりごちのまゝにまつりごちのままにまつりごち給給たまけれけれけれ。。。
- 24またまたまたのかみにならせのかみにならせのかみにならせ給給たまててて。。。いとおそろしくいとおそろしくいとおそろしく神神かみなりなりなりひらめきひらめきひらめき。。。せいりやうでんにおちかゝりぬとせいりやうでんにおちかゝりぬとせいりょうでんにおちかかりぬと見見みえけるにえけるにえけるに。。。本院本院ほんいんのおとゞたちのおとゞたちのおとどたちをををぬきさげてぬきさげてぬきさげて。。。
- 25いきてもわがつぎにこそものしいきてもわがつぎにこそものしいきてもわがつぎにこそものし給給たましかしかしか。。。けふけふけう神神かみとなりとなりとなり給給たまともともとも。。。此此この世世よにににはははわれにところおきわれにところおきわれにところおき給給たまべしべしべし。。。いかでかさらでいかでかさらでいかでかさらではははあるべきぞとにらみやりてのあるべきぞとにらみやりてのあるべきぞとにらみやりての給給たまひけるひけるいける。。。
- 26一一いちどどどはははしづまらせしづまらせしずまらせ給給たまへりけるとぞよのへりけるとぞよのえりけるとぞよの人申人申ひともう侍侍さぶらいししし。。。されどそれされどそれされどそれはははかのおとゞのいみじくおはするにかのおとゞのいみじくおはするにかのおとどのいみじくおわするにはははあらずあらずあらず。。。わうゐのかぎりなくおはしますによりてわうゐのかぎりなくおはしますによりておういのかぎりなくおわしますによりて。。。をををしめさせしめさせしめさせ給給たまへるなりへるなりえるなり。。。
現代語訳
ただ、このお子たちの中では、大納言源昇卿の御娘の腹の顕忠公だけが右大臣までおなりになった。その位に六年いらしたが、少しお考えになるところがあったのだろうか、外出なさるときにも家の中でも、大臣としての作法をおふるまいにならなかった。外出のときは、並々ならぬ時でなければ前駆をおつけにならない。たまにつけても、ひかえめに先払いをした。御前(前駆の者)はお使いにならず、わずかに数少なくお仕えしていた。御車副は四人おつけにならなかった。また半挿や盥でお手をお洗いにならない。寝殿の東の間に棚を作って、仕丁が毎朝湯を持ってきて入れておくと、小桶に小さな提子を添えて置いてあるので、人にかけさせることもなさらず、ご自分で出てこられて、ご自分の手でお洗いになった。お召し上がり物は、きちんと台所にも参らせるが、すべてただ素焼きの器で、台なども用いず、折敷に取り据えて差し上げた。倹約をなさったが、しかるべき儀式のときの御座と御盤所とでだけは、大臣らしく見えなさった。
このようにふるまわれたからだろうか、この大臣だけが一族の中で六十余歳まで生きていらした。四分一の家で大饗をなさった人である。富小路の大臣と申し上げる。これ以外のお子たちはみな三十余り、四十を過ぎることがなかった。その理由はほかでもない。この北野の御嘆き(道真の恨み)のせいに違いない。今の三井寺の別当心誉僧都、山階寺の権別当快公僧都などは、顕忠大臣の御子で重輔の右衛門佐といった方のお子である。このお子たちこそは(今も)いらっしゃるようです。敦忠中納言には男のお子がたくさんいらした中で、兵衛佐なにがしの君とか申した方が、出家なさって往生なさったとか。その僧のお子で岩倉の文慶僧都という方(もいる)。敦忠公の御娘は、枇杷の大納言(延光)の北の方でいらっしゃったのですよ。あさましい悪事を申し行いなさった罪によって、この大臣(時平)の御子孫はいらっしゃらないのです。
とはいえ、(時平は)大和魂などは、たいそうすぐれていらっしゃったのに。延喜の御代に世間の決まりを引き締めなさったが、贅沢をおさえることがおできにならなかったところ、この殿が、禁制を破った御装束で格別にすばらしいものを着て、内裏に参上なさって殿上に控えていらしたのを、帝が小蔀からご覧になって、ご機嫌がひどく悪くなられて、蔵人をお召しになって、「世間の贅沢の禁制が厳しいときに、左大臣が第一の人とはいえ、ことのほか華美な姿で参内したのは不都合である。すぐに退出するように申し伝えよ」とおっしゃったので、承った者も、どういうことかと恐ろしく思ったが、参って、震え震え「しかじかのことです」と申し上げたところ、(時平は)ひどく驚いて、恐縮してお受けして、御随身の先払いも止めなさって、急いで退出なさったので、御前の者どもも妙だと思ったのでした。そうして本院の門を一か月ほど閉ざして、御簾の外にもお出にならない。人などが参っても、「勅勘が重いので」と言ってお会いにならなかった。そうしてこそ世の中の贅沢はおさまったのでした。内々によく承ったところでは、そうしてこそおさまるだろうと、帝と示し合わせなさったことだということです。
この左大臣は、おかしいことにはこらえることがおできにならなかった。笑い出しなさると、まったく何事もめちゃくちゃになってしまったが、北野(道真)と世の政治を執っていらしたあいだ、(時平が)道理に合わないことを言い出されたので、(道真は)さすがに高貴な方が強く主張なさることをどうしたものかとお思いになって、この大臣のなさることなので、困ったことだと思うけれど、どうしたらよいだろうと嘆いていらしたのを、なにがしの史が、「なんでもございません。私の工夫で、あのことを止めてみせましょう」と申したので、「とんでもないこと。どうやってするのか」とおっしゃったが、「ただご覧ください」と言って、(時平が)座に着いて、ことのほか厳しく評定して大声で言い立てていらしたところ、この史が、文挟みに文書をはさんで、ことさらに仰々しくふるまって、この大臣に差し上げるといって、たいそう高らかに(屁を)鳴らしましたところ、大臣は文書も受け取れずに震えて、そのまま笑い出して、「今日はどうにもならない。右大臣にお任せ申す」とさえ言い終えることがおできにならなかったので、それでこそ菅原の大臣の思いどおりに政治をお執りになったのでした。
また、北野(の道真)が雷神におなりになって、たいそう恐ろしく雷が鳴りひらめき、清涼殿に落ちかかってきたと見えたときに、本院大臣は太刀を抜き放って、「生きているときも私の次の位でいらしたではないか。今日神におなりになっても、この世では私に遠慮なさるべきだ。どうしてそうでなくてよかろうか」と、にらみつけておっしゃった。(それで雷は)一度はおさまりなさったと、世の人は申しました。けれどもそれは、あの大臣が偉くていらっしゃるのではない。王威が限りなくいらっしゃるので、(時平が)理非をはっきりお示しになったのである。
意訳
時平の子孫のうち、ただ一人長生きしたのが顕忠である。大臣になっても前駆を控え、自分で手を洗い、素焼きの器で食事をした。世継はその質素なふるまいに長寿の理由を見る。そして、ほかの子孫が四十歳にもならずに亡くなったのは「北野の御なげき」のためだと断言する。道真を陥れた罪の報いが、時平の家系にふりかかったというのである。
しかし世継は、時平をただの悪人としては描かない。時平には「やまとだましひ」、つまり実務の才覚と機転があった。贅沢を禁じても世間が従わないので、醍醐天皇と相談のうえ、自分がわざと華美な装束で参内し、帝に叱られて一か月謹慎してみせた。最高位の大臣が叱られたのを見て、人々はたちまち贅沢をやめた。
一方で時平は笑い上戸で、道真と争って強引に事を進めようとしたとき、史の放屁に笑いが止まらず、「右大臣に任せる」とさえ言えないありさまになった。道真が雷神となって清涼殿に襲いかかったときには、太刀を抜いて「生前は私の次席だった」とにらみつけた。世継はこれを「時平が偉いのではなく、帝の威光があったからだ」と言い添える。ユーモアと批判をまじえた人物像が、時平の伝を締めくくる。
語釈・文法注
- 源昇
- 嵯峨源氏、源融の子。大納言。
- 顯忠
- 藤原顕忠(898〜965)。時平の次男。右大臣。富小路右大臣と呼ばれた。
- 御さき
- 前駆(さき)。貴人の行列の先に立って人払いをする者。
- はんざうたらひ
- 半挿(はんぞう)と盥。半挿は湯水をつぐ器で、柄の半分が器の中に差し込まれている。
- 仕丁
- 雑役をする下男。
- ひさげ
- 提子。湯や酒を入れる、つるの付いた器。
- 御かはらけ
- 土器。素焼きの器。
- おしき
- 折敷。食器をのせる縁のついた盆。
- 御ばんどころ
- 盤所。食膳などを整える所。
- 四分一のいへ
- 一町の四分の一の広さの家。小さな邸。
- とみのこうぢの大臣
- 富小路大臣。顕忠のこと。
- 心譽
- 心誉(957〜1029)。天台の僧。三井寺の長吏。
- 文慶
- 文慶(966〜1046)。天台の僧。岩倉の大雲寺に住んだ。
- びはの大納言
- 源延光(927〜976)。代明親王の子。権大納言。枇杷大納言と呼ばれた。
- やまとだましひ
- 大和魂。漢学の知識(才)に対して、実際の世の中で物事をうまく処理する知恵や才覚。
- 過差
- 身分を越えたぜいたく。
- こじとみ
- 小蔀。清涼殿の殿上の間をのぞく小窓。天皇がここから殿上をご覧になった。
- かむだう
- 勘当。天皇のおとがめ。
- 史
- 太政官の書記官(さかん)。文書の作成・記録をつかさどった。
- ふむばさみ
- 文挟み。文書をはさんで貴人に差し出すための杖。
- いちなく
- 仰々しく、ことさらに目立つように。
- すぢなし
- 術なし。どうしようもない。
- 北のかみ
- 北野の神。雷神となった道真。
- りひ
- 理非。道理と非道理。
文法
- おぼす所やありけん
- 「や〜けん」は疑問の係り結び。お考えになるところがあったのだろうか。
- なげとらせ給ひける
- 投げて取らせなさった。
- なむあるべき
- 「なむ」は強意の係助詞。〜であるに違いない。
- おはしましたる物を
- 「物を」は逆接・詠嘆。いらっしゃったのに。
- えしづめさせ給はざりしに
- 「え〜ず」は不可能。おさえることがおできにならなかったのに。
- えねむぜさせたまはざりける
- こらえることがおできにならなかった。「ねんず」は我慢する。
- いかでかさらではあるべきぞ
- 反語。どうしてそうでなくてよいことがあろうか。
解説
「大和魂」ということばは、『源氏物語』少女巻の「才を本としてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」が早い例で、漢才に対する実務的な才覚を言う。『大鏡』は時平を、漢才では道真に劣るが、大和魂にすぐれた人物として描いている。
贅沢の禁止をめぐる話は、延喜年間に醍醐天皇がたびたび出した過差の禁令を背景にしている。帝と大臣が示し合わせて芝居を打つという筋は、時平の政治家としての才覚を示す逸話として、後世にもよく引かれた。
時平が雷神となった道真に太刀を抜いたという話は、延長八年(930)の清涼殿落雷事件と結びつけて語られることがあるが、そのとき時平はすでに亡くなっていた。伝説として成長した話であろう。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、499〜502頁(コマ265–267)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日