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大鏡 第13章

基経

基経は長良の三男で、良房の跡を継いで陽成天皇の摂政、宇多天皇の関白となった。若いころ、宴の席で雉の脚を落とされた時康親王(光孝天皇)が、とっさに灯を消して配膳の者をかばったのを見て感心し、陽成天皇の退位の後、源融の野心を退けて親王を帝に推した。住まいの堀川院と閑院、四人の息子(時平・仲平・兼平・忠平)のことも語られる。

  1. 1太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん
  2. 2このおとゞこのおとゞこのおとどははは長良ながら長良ながらながら中納言ちゆうなごん中納言ちゆうなごんちゅうなごんののの三郎さぶらう三郎さぶらうさぶろうにおはすにおはすにおわす。。。此この此このこのもとつねのおとゞのもとつねのおとゞのもとつねのおとどの御おん御おんおんむすめむすめむすめ醍醐だいご醍醐だいごだいごののの御時おほんとき御時おほんときおおんときののの后きさき后きさききさき。。。朱雀院天皇すざくゐんてんわう朱雀院天皇すざくゐんてんわうすざくいんてんのうならびにならびにならびに村上むらかみ村上むらかみむらかみ二代にだい二代にだいにだいののの御母みはは御母みははみわわ后きさき后きさききさきにおはしますにおはしますにおわします。。。
  3. 3此この此このこのおとゞのおとゞのおとどの御母みはは御母みははみわわ贈太政大臣ぞうだいじやうだいじん贈太政大臣ぞうだいじやうだいじんぞうだいじょうだいじん總繼ふさつぐ總繼ふさつぐふさつぐののの女をんな女をんなおんな。。。贈正一位ぞうしやういちゐ贈正一位ぞうしやういちゐぞうしょういちい大夫たいふ大夫たいふたいう人ひと人ひとひと春はる春はるはるなりなりなり。。。陽成院やうぜいゐん陽成院やうぜいゐんようぜいいん位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまててて攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょう宣旨せんじ宣旨せんじせんじをををかうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたま。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし四十一しじふいち四十一しじふいちしじゅういち。。。寬平くわんぴやう寬平くわんぴやうかんぴょう御時おほんとき御時おほんときおおんとき仁和にんな仁和にんなにんな三年さんねん三年さんねんさんねん丁未ひのとひつじ丁未ひのとひつじひのとひつじ十一月じふいちぐわつ十一月じふいちぐわつじゅういちがつ廿一日にじふいちにち廿一日にじふいちにちにじゅういちにち關白くわんぱく關白くわんぱくかんぱくにならせにならせにならせ給たま給たまたま。。。
  4. 4御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし五十六ごじふろく五十六ごじふろくごじゅうろくにてにてにて。。。寬平くわんぴやう寬平くわんぴやうかんぴょう三年さんねん三年さんねんさんねん正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ十三日じふさんにち十三日じふさんにちじゅうさんにちうせうせうせ給たま給たまたまにきにきにき。。。御おん御おんおんいみないみないみなととと申まう申まうもうすすす。。。公卿くぎやう公卿くぎやうくぎょうにてにてにて廿七年にじふしちねん廿七年にじふしちねんにじゅうしちねん。。。大臣だいじん大臣だいじんだいじんののの位くらゐ位くらゐくらいにてにてにて廿年にじふねん廿年にじふねんにじゅうねん。。。よよよをををしらせしらせしらせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと十じふ十じふじゅうよねんかとぞおぼえよねんかとぞおぼえよねんかとぞおぼえ侍はべ侍はべはべれれれ。。。
  5. 5よのよのよの人ひと人ひとひとののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんととと申まう申まうもうすすす。。。小松こまつ小松こまつこまつののの御門みかど御門みかどみかどののの御母みはは御母みははみわわ。。。このこのこの殿どの殿どのどのののの御母みはは御母みははみわわのののはらからにおはしますはらからにおはしますはらからにおわします。。。
  6. 6さてちごよりこまつのさてちごよりこまつのさてちごよりこまつの御門みかど御門みかどみかどをををしたしくしたしくしたしく見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまててて。。。とにとにとにををを。。。あはれあはれあわれ君きみ君きみきみかなとかなとかなと見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまけるがけるがけるが。。。よしふさよしふさよしふさのおとゞののおとゞののおとどの大おほ大おほおお。。。
  7. 7むかしむかしむかしはははみこだちかならずつかせみこだちかならずつかせみこだちかならずつかせ給事たまふこと給事たまふことたまうことにてわたらせにてわたらせにてわたらせ給たま給たまたまへるにへるにえるに。。。はははかならずかならずかならず大饗だいきやう大饗だいきやうだいきょうにもるにもるにもる物もの物ものものにてありけるにてありけるにてありけるををを。。。御前おまへ御前おまへおまえにとりおとしてけりにとりおとしてけりにとりおとしてけり。。。
  8. 8人ひと人ひとひとみこのおまへのみこのおまへのみこのおまえのをををとりてとりてとりて。。。まどひてそむじやのおまへにすうるまどひてそむじやのおまへにすうるまどいてそむじやのおまえにすうるををを。。。いかゞおぼしめしけむいかゞおぼしめしけむいかがおぼしめしけむ。。。おまへにともしたるおまへにともしたるおまえにともしたる御おほん御おほんおおんとのあぶらとのあぶらとのあぶらををを。。。
  9. 9やややをををらかいけたせらかいけたせらかいけたせ給たま給たまたまけるけるける。。。このおとゞこのおとゞこのおとどはははそのおりそのおりそのおりはははげらうにてげらうにてげろうにて。。。ざのすゑにてざのすゑにてざのすえにて見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまににに。。。いみじくもせさせいみじくもせさせいみじくもせさせ給たま給たまたま物もの物ものものかなとかなとかなと。。。いよ〳〵いよ〳〵いよいよ見み見みみめでたてまつらせめでたてまつらせめでたてまつらせ給たま給たまたまててて。。。
  10. 10陽成院やうぜいゐん陽成院やうぜいゐんようぜいいんおりさせおりさせおりさせ給たま給たまたまべきさだめにさぶらはせべきさだめにさぶらはせべきさだめにさぶらわせ給たま給たまたま。。。大臣だいじん大臣だいじんだいじんやんごとなくてやんごとなくてやんごとなくて位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまはむといふはむといふわむという御心みこころ御心みこころみこころふかくてふかくてふかくて。。。ちかきちかきちかきをををたづねばたづねばたずねば。。。
  11. 11とほるらもとほるらもとおるらも侍さぶら侍さぶらさぶらはははといひいでといひいでといいいで給たま給たまたまへるへるえるををを。。。このこのこの大臣だいじん大臣だいじんだいじん。。。王胤わういん王胤わういんおういんなれどしやうなれどしやうなれどしょうををを給たま給たまたまはははりてりてりて只人ただうど只人ただうどたどうどにてつかへてにてつかへてにてつかえて。。。位くらゐ位くらゐくらいにつきたるためしやあるとにつきたるためしやあるとにつきたるためしやあると申出まうしいで申出まうしいでもうしいで給たま給たまたまへればへればえれば。。。
  12. 12さもあるさもあるさもある事こと事ことことなればなればなれば。。。このこのこの大臣だいじん大臣だいじんだいじんのさだめによりてのさだめによりてのさだめによりて。。。小松こまつ小松こまつこまつのみかどのみかどのみかどははは位くらゐ位くらゐくらいにつかせたまへるなりにつかせたまへるなりにつかせたまえるなり。。。みかどのみかどのみかどの御おん御おんおんすゑもすゑもすえもはるかにつたはりはるかにつたはりはるかにつたわり。。。大臣だいじん大臣だいじんだいじんのすゑもつたはりつゝうしろみのすゑもつたはりつゝうしろみのすえもつたわりつつうしろみ申給まうしたま申給まうしたまもうしたま。。。
  13. 13さるべくさるべくさるべくはははちぎりおかせちぎりおかせちぎりおかせ給たま給たまたまへるへるえる御おん御おんおん中なか中なかなかにやとぞにやとぞにやとぞ思おも思おもおもひひい侍はべ侍はべはべるるる。。。おとゞうせおとゞうせおとどうせ給たま給たまたまてててふかくさのふかくさのふかくさの山やま山やまやまにおさめたてまつるよにおさめたてまつるよにおさめたてまつるよ。。。僧都そうづ僧都そうづそうずのよみたまへるのよみたまへるのよみたまえる。。。
  14. 14はははからからからををを見み見みみつゝもなぐさめつつゝもなぐさめつつつもなぐさめつふかくさのふかくさのふかくさの山やま山やまやまけぶりだにたてけぶりだにたてけぶりだにたて
  15. 15又また又またまたかづつけのかづつけのかずつけのといひしといひしといいし人ひと人ひとひとのよみたるのよみたるのよみたる。。。ことしばかりことしばかりことしばかりはすみぞめにさけなどもはすみぞめにさけなどもはすみぞめにさけなども古今こきん古今こきんこきんににに侍はべ侍はべはべるとどもぞかしるとどもぞかしるとどもぞかし。。。
  16. 16御おん御おんおんいへいへいえははは堀川院ほりかはゐん堀川院ほりかはゐんほりかわいんととと閑院かんゐん閑院かんゐんかんいんとにすませとにすませとにすませ給たま給たまたましししををを。。。ほりほりほり川院かはゐん川院かはゐんかわいんをばをばをばさるべきさるべきさるべき事こと事ことことのののおりおりおりはれ〳〵はれ〳〵はれはれしきれうにせさせしきれうにせさせしきりょうにせさせ給たま給たまたまひひい。。。閑院かんゐん閑院かんゐんかんいんをばをばをば御物おほんもの御物おほんものおおんものいみやいみやいみや又また又またまたうときうときうとき人ひと人ひとひとなどなどなどはははまいらぬまいらぬまいらぬ所ところ所ところところにてにてにて。。。
  17. 17さるべくむつまじくおぼすさるべくむつまじくおぼすさるべくむつまじくおぼす人にん人にんにんばかりばかりばかりををを。。。御供おほんとも御供おほんともおおんともにさぶらはせてわたらせにさぶらはせてわたらせにさぶらわせてわたらせ給たま給たまたまふおりもおはしましけるふおりもおはしましけるうおりもおわしましける。。。ほりほりほり川院かはゐん川院かはゐんかわいんははは地形ちぎやう地形ちぎやうちぎょうのいといみじきのいといみじきのいといみじき也なり也なりなり。。。
  18. 18大饗だいきやう大饗だいきやうだいきょうのおりのおりのおり殿との殿とのとのばらのばらのばらの御車みくるま御車みくるまみくるまのたちやうなどよのたちやうなどよのたちょうなどよ。。。尊者そんじや尊者そんじやそんじゃののの御車みくるま御車みくるまみくるまははは川がは川がはがわよりよりよりひんがしにたてひんがしにたてひんがしにたて。。。うしうしうしはははみはしのみはしのみわしのひらきばしらにひらきばしらにひらきばしらにひきつなぎひきつなぎひきつなぎ。。。ことかんだちめのくるまことかんだちめのくるまことかんだちめのくるまをばをばをば川がは川がはがわよりよりより西にし西にしにしにたてたるがにたてたるがにたてたるが。。。
  19. 19めでたきめでたきめでたきをばをばをば尊者そんじや尊者そんじやそんじゃののの御車みくるま御車みくるまみくるまのべちにことにのべちにことにのべちにことに見み見みみゆるゆるゆる事こと事ことことははは。。。ことことこと所ところ所ところところははは侍はべ侍はべはべらぬものらぬものらぬものをやをやをやととと見み見みみ給たま給たまたまふるにふるにうるに。。。此この此このこの院殿ゐんどの院殿ゐんどのいんどのにこそおされにてにこそおされにてにこそおされにてはべるめれはべるめれはべるめれ。。。
  20. 20四町よまち四町よまちよまちにてにてにて四面しめん四面しめんしめんおほぢなるおほぢなるおおじなる京中きやうぢゆう京中きやうぢゆうきょうじゅうののの家け家けけははは冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいんのみとこそのみとこそのみとこそ思おも思おもおもひさぶらひつれひさぶらひつれいさぶらいつれ。。。よのすゑになるまゝにまさるよのすゑになるまゝにまさるよのすえになるままにまさる事こと事ことことのみこそいでまうでくめれのみこそいでまうでくめれのみこそいでもうでくめれ。。。
  21. 21このこのこの昭宣公せうせんこう昭宣公せうせんこうしょうせんこうのおとゞのおとゞのおとどははは陽成天皇やうぜいてんわう陽成天皇やうぜいてんわうようぜいてんのうののの御おん御おんおんをぢをぢおじにてにてにて。。。うだのみかどのうだのみかどのうだのみかどの御時おほんとき御時おほんときおおんとき准三宮じゆさんぐう准三宮じゆさんぐうじゅさんぐうののの位くらゐ位くらゐくらいにてにてにて年官年爵ねんくわんねんしやく年官年爵ねんくわんねんしやくねんかんねんしゃくをををえええ給たま給たまたま。。。朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんならびにむらかみのおほぢにておはしましならびにむらかみのおほぢにておはしましならびにむらかみのおおじにておわしまし。。。
  22. 22よおぼえやむごとなしとよおぼえやむごとなしとよおぼえやむごとなしと申まう申まうもうせばおろかなりやせばおろかなりやせばおろかなりや。。。御おん御おんおんおのこゞおのこゞおのこご四人しにん四人しにんしにんおはしきおはしきおわしき。。。太郎たらう太郎たらうたろう左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん時平ときひら時平ときひらときいら。。。次郎じらう次郎じらうじろう左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん仲平なかひら仲平なかひらなかひら。。。四郎しらう四郎しらうしろう太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん忠平ただひら忠平ただひらただいらといふにといふにというに。。。
  23. 23しげきがけしきことになりてしげきがけしきことになりてしげきがけしきことになりて。。。まづうしろのまづうしろのまずうしろの人ひと人ひとひとのかほうちのかほうちのかおうち見み見みみ渡わた渡わたわたしてしてして。。。それぞこのいそれぞこのいそれぞこのいははは。。。貞信公ていしんこう貞信公ていしんこうていしんこうにおはしますとてにおはしますとてにおわしますとて。。。
  24. 24あふぎあふぎおうぎうちつかふかほもちことにおかしうちつかふかほもちことにおかしうちつかうかおもちことにおかし。。。三郎さぶらう三郎さぶらうさぶろうにあたらせにあたらせにあたらせ給たま給たまたましししははは。。。從三位じゆさんみ從三位じゆさんみじゅさんみしてしてして宮内卿くないきやう宮内卿くないきやうくないきょうののの君きみ君きみきみととと申まう申まうもうてててうせうせうせ給たま給たまたまにきにきにき。。。さるさるさるははは御母みはは御母みははみわわいとあてにおはすいとあてにおはすいとあてにおわす。。。
  25. 25みつよしのみつよしのみつよしの式部卿しきぶきやう式部卿しきぶきやうしきぶきょうのみこののみこののみこの御おん御おんおんむすめにてむすめにてむすめにて。。。かかかへす〴〵へす〴〵へすべすもやむごとなくおはすべかりしかどもやむごとなくおはすべかりしかどもやむごとなくおわすべかりしかど。。。このこのこの三人さんにん三人さんにんさんにんののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんだちだちだちをををよのよのよの人ひと人ひとひとととと申まう申まうもうききき。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

太政大臣基経

この大臣は長良中納言の三男でいらっしゃる。この基経公の御娘(穏子)は醍醐の御時の后で、朱雀院天皇と村上(天皇)の二代の御母后でいらっしゃる。この大臣の御母は、贈太政大臣総継の娘、贈正一位大夫人乙春である。陽成院が位にお即きになって、摂政の宣旨をお受けになる。御年四十一。寛平の御時(宇多天皇の代)、仁和三年丁未十一月二十一日に関白におなりになる。御年五十六で、寛平三年正月十三日にお亡くなりになった。御諱を昭宣公と申し上げる。公卿として二十七年、大臣の位に二十年。世をお治めになったのは十余年かと思われます。世の人は堀川の大臣と申し上げる。小松の帝(光孝天皇)の御母(沢子)は、この殿の御母(乙春)の姉妹でいらっしゃる。

さて(基経は)幼いころから小松の帝を親しく見申し上げなさって、何かにつけて立派でいらっしゃるのを、「ああ、すばらしい君だ」と見申し上げていらっしゃったが、良房公の大饗のときであったろうか、昔は親王たちが必ずお着きになることになっていて、いらっしゃっていたところ、雉の脚は必ず大饗に盛るものであったのに、どうしたことか、尊者(正客)の御前の分を取り落としてしまった。配膳する人が、親王の御前の分を取って、あわてて尊者の御前に据えたのを、(親王は)どうお思いになったのか、御前にともしてあった灯火の油を、そっとかき消しなさった。この大臣はそのころはまだ身分が低くて、末座で見申し上げていらしたが、「見事になさるものだなあ」と、ますます感心申し上げなさって、陽成院が退位なさるべき評定に(基経が)お控えになった(とき)、融の大臣(源融)が、たいそう身分が高く、位にお即きになろうというお気持ちが深くて、「近い皇族の血筋をたずねるなら、融らもおりますぞ」と言い出しなさったのを、この大臣が「皇胤ではあっても、姓を賜って臣下としてお仕えして、位に即いた例があるか」と申し出しなさったので、それももっともなことなので、この大臣の決定によって、小松の帝は位にお即きになったのである。帝の御子孫もはるかに伝わり、大臣の子孫も伝わり続けて(帝を)後見申し上げなさる。そうなるべき前世からの約束がおありだった御仲なのだろうと思います。

大臣がお亡くなりになって、深草の山に葬り申し上げた夜、勝延僧都がお詠みになった歌。

うつせみは殻を見つつもなぐさめつ深草の山煙だにたて

また上野峯雄といった人が詠んだ「今年ばかりは墨染めに咲け」なども、古今集にございますよ。お屋敷は堀川院と閑院とにお住みになっていたが、堀川院はしかるべき儀式のときの晴れの場所となさり、閑院は御物忌みのときや、また親しくない人などは参らない所として、しかるべく親しくお思いになる人だけをお供につけて、お渡りになるときもあった。堀川院は地形がたいそうすばらしいのです。大饗のときの殿方の御車の立て方などよ。尊者の御車は堀川の東に立て、牛は御階の開き柱につなぎ、そのほかの上達部の車は堀川の西に立てたのが、すばらしく、尊者の御車の格別さがきわだって見えることは、ほかの所にはございませんでしょうと拝見しておりますが、この高陽院殿にこそ(今は)圧倒されているようです。方四町で四面が大路に面した京中の家は冷泉院だけだと思っておりましたのに。世が末になるにつれて、まさることばかりが出てくるようです。

この昭宣公は陽成天皇の叔父として、宇多の帝の御時に准三宮の位となって年官年爵を得なさった。朱雀院と村上(天皇)の外祖父でいらっしゃって、世の信望が重いと申しても言い足りないほどです。男のお子は四人いらした。長男が左大臣時平、次男が左大臣仲平、四男が太政大臣忠平」と言うと、繁樹の様子がいつもと変わって、まず後ろの人々の顔を見渡して、「それこそ、いわゆる翁の宝の君、貞信公でいらっしゃる」と言って、扇を使う顔つきが格別におかしい。「三男にあたられた方は、従三位で宮内卿兼平の君と申して亡くなられた。じつは(この方の)御母はたいへん高貴でいらっしゃる。人康式部卿の親王の御娘で、かえすがえすも尊くいらっしゃるはずだったのに。この三人の大臣たちを、世の人は三平と申し上げた」

意訳

基経は、叔父良房の養子となって摂関家を継いだ人である。陽成天皇の摂政となり、のちに陽成天皇を退位させて光孝天皇を立て、宇多天皇のとき最初の関白となった。

この章の中心は、光孝天皇の即位にまつわる二つの話である。一つは、まだ若く身分の低かった基経が、宴の末座から時康親王(光孝天皇)のふるまいを見ていた話。尊者の皿の雉の脚が落ち、配膳係があわてて親王の分をそちらに回すと、親王は何も言わず灯火を消して、その失態を人目から隠してやった。この思いやりと機転に、基経は親王の器を見抜いたのである。

もう一つは、陽成天皇の退位後の後継を決める評定で、嵯峨天皇の皇子で臣籍に下った源融が「自分も皇族だ」と名のり出たのを、基経が「臣下になった者が即位した例はない」と退けた話。こうして五十五歳の時康親王が即位した。世継は、光孝天皇の子孫が帝となり、基経の子孫がそれを後見し続けていることを「さるべき契り」とたたえる。最後に、基経の四人の息子の名が挙がると、忠平に仕えた繁樹が誇らしげに周りを見回す。世継の語りに繁樹が割り込む、生き生きとした場面である。

語釈・文法注

太政大臣基經
藤原基経(836〜891)。
乙春
藤原乙春。総継の娘で、長良の妻。基経・高子の母。
昭宣公
基経の諡。
堀川の大臣
基経のこと。堀川院に住んだことから。
きやうさく
警策。すぐれていること。立派なこと。
大きやう
大饗。大臣の就任や正月に、大臣家で催した大宴会。
雉足
雉の脚。大饗で必ず出された料理。
そむじや
尊者。大饗の正客。
はいぜん
陪膳。食膳を運んで給仕すること。
とほるの大臣
源融(822〜895)。嵯峨天皇の皇子で臣籍に下った。左大臣。河原院を造り、『源氏物語』の光源氏のモデルの一人ともされる。
王胤
天皇の血筋。
勝延僧都
比叡山の僧。
うつせみ
空蟬。蟬の抜け殻。ここでは亡骸のたとえ。
峯雄
上野峯雄(かむつけのみねお)。歌人。
かやう院殿
高陽院(かやのいん)。藤原頼通の邸。治安元年(1021)に造営された、方四町の大邸宅。
ほう四町
方四町。四町四方の広さ。普通の貴族の邸は一町(約120メートル四方)。
たからのきみ
宝の君。繁樹が仕えた忠平を大切に思って言う。
兼平
藤原兼平(875〜935)。基経の三男。宮内卿。
三平
時平・仲平・忠平の三兄弟。名にみな「平」がつくことから。

文法

見奉らせ給ける
「奉ら」は親王への謙譲、「せ給ひ」は基経への尊敬。
かいけたせ給ける
「かい」は「掻き」の音便。「けた」は「消つ」の未然形。
いみじくもせさせ給物かな
見事になさるものだなあ。「させ給ふ」は最高敬語。
位につきたるためしやある
「や」は反語。位に即いた例があろうか、いやない。
ちぎりおかせ給へる御中にや
「にや」の下に「あらむ」が省略。約束しておおきになった御仲なのであろうか。
おされにてはべるめれ
圧倒されてしまっているようだ。
申せばおろかなりや
「おろかなり」は言い足りない。言っても言い尽くせない。

和歌・漢詩

うつせみはからを見つゝもなぐさめつふかくさの山けぶりだにたて

作者
勝延僧都
状況
基経を深草の山に葬った夜に詠んだ歌。『古今集』哀傷に載る。蟬の抜け殻のような亡骸でも、見ているあいだは心をなぐさめることができた。(葬られて見えなくなった今は)深草の山よ、せめて煙だけでも立ってくれ。

修辞

見立て
亡骸を蟬の抜け殻(うつせみ)にたとえる。
表現
「だに」は、せめて〜だけでも。

解説

基経は陽成天皇の摂政であったが、天皇との関係が悪化し、元慶八年(884)に陽成天皇を退位させた。その後継に、皇統を遡って仁明天皇の皇子で五十五歳の時康親王を立てたのは、基経との縁が深かったからと考えられる。光孝天皇は即位すると、政治をすべて基経に任せた。これが関白の始まりとされる。

源融が即位を望んだ話は、『大鏡』のこの箇所で初めて見えるもので、史実かどうかはわからない。融は嵯峨天皇の子で、光孝天皇よりは天皇の血筋に近かったが、臣籍に下っていた。

高陽院は、もとは桓武天皇の皇子賀陽親王の邸で、頼通が大規模に造り替えた。世継は昔の堀川院の壮麗さを語ったうえで、今の高陽院にはかなわないと言い、「よのすゑになるまゝにまさる事のみ」と、道長・頼通の時代の豪奢さに話をつなげる。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、490〜492頁(コマ261–262)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日