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大鏡 第11章

大臣のはじめ

大臣列伝の序。世継は、世の始まりから今までの左大臣・右大臣・内大臣の数を挙げ、太政大臣がめったに置かれない重い官であったことを説く。孝徳天皇の代に左右大臣・内大臣が始まり、天智天皇の大友皇子が初めて太政大臣となった。良房から今の公季まで十一人の太政大臣が続いており、その源の冬嗣から語り始めると宣言する。

  1. 1世よ世よよはははじまりてのちじまりてのちじまりてのち大臣だいじん大臣だいじんだいじんみなおはしけりみなおはしけりみなおわしけり。。。されどされどされど左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん内大臣ないだいじん内大臣ないだいじんないだいじん太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんととと申位まうすくらゐ申位まうすくらゐもうすくらい天下てんが天下てんがてんがになりあつまりになりあつまりになりあつまり給たま給たまたまへるがへるがえるが。。。かずかずかずへてみなおぼえへてみなおぼえへてみなおぼえ侍はべ侍はべはべりりり。。。
  2. 2世よ世よよはははじまりてじまりてじまりて後のち後のちのちいまにいたるまでいまにいたるまでいまにいたるまで。。。左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじん三十人さんじふにん三十人さんじふにんさんじゅうにん。。。右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん五十七人ごじふしちにん五十七人ごじふしちにんごじゅうしちにん。。。内大臣ないだいじん内大臣ないだいじんないだいじん十二人じふににん十二人じふににんじゅうににんなりなりなり。。。太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんははは古いにしへ古いにしへいにしえののの御門みかど御門みかどみかどのよにのよにのよにはははたやすくおかせたやすくおかせたやすくおかせ給たま給たまたまはざりけりはざりけりわざりけり。。。
  3. 3あるひあるひあるいはははみかどのみかどのみかどの御おん御おんおんおほぢおほぢおおじ。。。あるひあるひあるいははは御門みかど御門みかどみかどののの御おん御おんおんをぢをぢおじぞなりぞなりぞなり給たま給たまたまふめるふめるうめる。。。またしかのごとくまたしかのごとくまたしかのごとく帝王ていわう帝王ていわうていおうののの御おん御おんおんおほぢおぢなどにておほぢおぢなどにておおじおじなどにて御おん御おんおんうしろうしろうしろ見み見みみししし給たま給たまたまふふう大臣だいじん大臣だいじんだいじん納言なごん納言なごんなごんかずおほくおはすかずおほくおはすかずおおくおわす。。。
  4. 4うせうせうせ給たま給たまたまてのちてのちてのち贈太政大臣ぞうだいじやうだいじん贈太政大臣ぞうだいじやうだいじんぞうだいじょうだいじんなどになりなどになりなどになり給たま給たまたまへるたぐひあまたおはすめりへるたぐひあまたおはすめりえるたぐいあまたおわすめり。。。さやうのたぐひさやうのたぐひさようのたぐい七人しちにん七人しちにんしちにんばかりやおはすらんばかりやおはすらんばかりやおわすらん。。。わざとのわざとのわざとの太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんはははなりがたくすくなくぞおはするなりがたくすくなくぞおはするなりがたくすくなくぞおわする。。。
  5. 5神武天皇じんむてんわう神武天皇じんむてんわうじんむてんのうよりよりより三十七代さんじふしちだい三十七代さんじふしちだいさんじゅうしちだいににに當あた當あたあたりりり給たま給たまたまへるへるえるととと申まう申まうもうたるみかどのたるみかどのたるみかどの御代みよ御代みよみよよりよりより。。。ならびにならびにならびに左右さいう左右さいうさゆう大臣だいじん大臣だいじんだいじん内大臣ないだいじん内大臣ないだいじんないだいじんなりなりなりはじめはじめはじめ給たま給たまたまへらんへらんえらん。。。左大臣さだいじん左大臣さだいじんさだいじんにににははは安倍あべ安倍あべあべ。。。
  6. 6右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんにににはははのやまだのいしかのやまだのいしかのやまだのいしかははは丸まる丸まるまる。。。これこれこれははは元明天皇げんめいてんわう元明天皇げんめいてんわうげんめいてんのうののの御おん御おんおんおほぢなりおほぢなりおおじなり。。。孝德天皇かうとくてんわう孝德天皇かうとくてんわうこうとくてんのう位くらゐ位くらゐくらいにつきにつきにつき給たま給たまたまててて。。。元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん乙巳きのとみ乙巳きのとみきのとみ大臣だいじん大臣だいじんだいじんになりになりになり。。。五年ごねん五年ごねんごねんつちのとのとりつちのとのとりつちのとのとり春宮とうぐう春宮とうぐうとうぐうのためにころされのためにころされのためにころされ給たま給たまたまへりとこそへりとこそえりとこそははは。。。
  7. 7是これ是これこれはははあまりあがりたるあまりあがりたるあまりあがりたる事こと事ことことゝなりゝなりなり。。。内大臣ないだいじん内大臣ないだいじんないだいじんにににははは大中臣おほなかとみ大中臣おほなかとみおおなかとみののののむらじなりのむらじなりのむらじなり。。。彼時かのとき彼時かのときかのとき年號ねんがう年號ねんがうねんごうあらざればあらざればあらざれば月日つきひ月日つきひつきい申まう申まうもうにくしにくしにくし。。。又また又またまた卅九代さんじふくだい卅九代さんじふくだいさんじゅうくだいにあたりにあたりにあたり給たま給たまたまへるへるえる御門みかど御門みかどみかど天智天皇てんぢてんわう天智天皇てんぢてんわうてんじてんのうこそこそこそははははじめてはじめてはじめて太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんをばをばをばなしなしなし給たま給たまたまへりけれへりけれえりけれ。。。
  8. 8それそれそれはやはやはやがてわががてわががてわが第二だいに第二だいにだいにののの王子わうじ王子わうじおうじにおはしけるにおはしけるにおわしける王子わうじ王子わうじおうじなりなりなり。。。正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつににに太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんになりになりになり給たま給たまたまへりへりえり。。。天智天皇てんぢてんわう天智天皇てんぢてんわうてんじてんのう十年じふねん十年じふねんじゅうねん二月にぐわつ二月にぐわつにがつ三日みつか三日みつかみつかうせうせうせ給たま給たまたまてのちてのちてのち。。。大友おほとも大友おほともおおともののの王子わうじ王子わうじおうじわれわれわれ位くらゐ位くらゐくらいにつかむとてしにつかむとてしにつかむとてし給たま給たまたまひしにひしにいしに。。。
  9. 9六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ廿六日にじふろくにち廿六日にじふろくにちにじゅうろくにち此この此このこの王子わうじ王子わうじおうじををを王子わうじ王子わうじおうじ位くらゐ位くらゐくらいにつきにつきにつき給たま給たまたまててて天武天皇てんむてんわう天武天皇てんむてんわうてんむてんのうととと申給まうしたま申給まうしたまもうしたまききき。。。よよよをををしらせしらせしらせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと十五年じふごねん十五年じふごねんじゅうごねん。。。神武天皇じんむてんわう神武天皇じんむてんわうじんむてんのうよりよりより四十一代しじふいちだい四十一代しじふいちだいしじゅういちだいにあたらせにあたらせにあたらせ給たま給たまたまふふう持統天皇ぢとうてんわう持統天皇ぢとうてんわうじとうてんのう。。。
  10. 10又また又またまた太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん王子わうじ王子わうじおうじをををなしなしなし給たま給たまたまへりへりえり。。。天武天皇てんむてんわう天武天皇てんむてんわうてんむてんのうののの王子わうじ王子わうじおうじゝなりゝなりなり。。。此この此このこの二人ふたり二人ふたりふたりののの太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんはやはやはやがてみかどゝがてみかどゝがてみかどと成なり成なりなり給たま給たまたまへりへりえり。。。高市たけち高市たけちたけち王子わうじ王子わうじおうじ大臣だいじん大臣だいじんだいじんながらうせながらうせながろうせ給たま給たまたまにけりにけりにけり。。。
  11. 11そのゝちそのゝちそののち太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんいといといとひさしくひさしくひさしくたえたえたえ給たま給たまたまへりへりえり。。。たゞしたゞしただしにににははは太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんにににはははおぼろげのおぼろげのおぼろげの人ひと人ひとひとはははなすべからずなすべからずなすべからず。。。もしそれなくばたゞにもしそれなくばたゞにもしそれなくばただにをををかるべしとこそありければかるべしとこそありければかるべしとこそありければ。。。おぼろげのおぼろげのおぼろげの位くらゐ位くらゐくらいにににはははあらぬにやあらぬにやあらぬにや。。。
  12. 12四十二代しじふにだい四十二代しじふにだいしじゅうにだいにあたりにあたりにあたり給たま給たまたまふふう文武天皇もんむてんわう文武天皇もんむてんわうもんむてんのうののの御時おほんとき御時おほんときおおんときににに。。。年號ねんがう年號ねんがうねんごうさだまりてさだまりてさだまりて元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねんといふといふという。。。文德天皇もんとくてんわう文德天皇もんとくてんわうもんとくてんのうのすゑののすゑののすえの年とし年としとし齊衡さいかう齊衡さいかうさいこう四年よねん四年よねんよねん丁丑ひのとうし丁丑ひのとうしひのとうし二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十九日じふくにち十九日じふくにちじゅうくにちみかどのみかどのみかどの御おん御おんおんおほぢおほぢおおじ。。。
  13. 13右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじん從一位じゆいちゐ從一位じゆいちゐじゅいちい藤原ふぢはら藤原ふぢはらふじわら良房よしふさ良房よしふさよしうさのおとゞのおとゞのおとど太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんになりになりになり給たま給たまたまふふう。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし五十四ごじふし五十四ごじふしごじゅうし。。。このおとゞこそこのおとゞこそこのおとどこそははははじめてはじめてはじめて攝政せつしやう攝政せつしやうせっしょうもしもしもし給たま給たまたまつればつればつれば。。。やがてやがてやがて此この此このこの殿どの殿どのどのよりしてよりしてよりして今いま今いまいまののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんまでまでまで太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん十一人じふいちにん十一人じふいちにんじゅういちにんつゞきつゞきつづき給たま給たまたまへりへりえり。。。
  14. 14たゞしこれよりたゞしこれよりただしこれより以前いぜん以前いぜんいぜん。。。大友おほとも大友おほともおおとも皇子みこ皇子みこみこ高市たけち高市たけちたけちののの皇子みこ皇子みこみこくくくはははへへへ。。。すべてすべてすべてははは十三人じふさんにん十三人じふさんにんじゅうさんにんののの太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんなりなりなり。。。太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんになりになりになり給たま給たまたまぬるぬるぬる人ひと人ひとひとはははうせうせうせ給たま給たまたまててて後のち後のちのち申まう申まうもうものものもの有あり有ありありけりけりけり。。。
  15. 15しかりといへどしかりといへどしかりといえど大友おほとも大友おほともおおとも皇子みこ皇子みこみこやがてやがてやがて御門みかど御門みかどみかどにたちにたちにたち給たま給たまたまへりへりえり。。。高市たけち高市たけちたけち王子わうじ王子わうじおうじののの御おん御おんおんいみなおぼつかなしいみなおぼつかなしいみなおぼつかなし。。。またまたまた太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんといへどといへどといえど出家しゆつけ出家しゆつけしゅっけしつるしつるしつるはははいみななしいみななしいみななし。。。
  16. 16さればこのさればこのさればこの十一人じふいちにん十一人じふいちにんじゅういちにんつゞかせつゞかせつづかせ給たま給たまたまたるたるたる二所ふたところ二所ふたところふたところははは出家しゆつけ出家しゆつけしゅっけししし給たま給たまたまつればいみなおはせずつればいみなおはせずつればいみなおわせず。。。
  17. 17このこのこの十一人じふいちにん十一人じふいちにんじゅういちにんののの大政大臣だいじやうだいじん大政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじんだちのだちのだちの御おん御おんおんしだいありさましだいありさましだいありさまはじめはじめはじめをををはりはりはり申まう申まうもう侍はべ侍はべはべらんとらんとらんと思おもひ思おもひおもいなりなりなり。。。ながれながれながれをををくみてみなもとくみてみなもとくみてみなもとをををたづねてこそたづねてこそたずねてこそはははよくよくよく侍はべ侍はべはべるべきるべきるべきををを。。。
  18. 18よりよりよりはじめたてまつりてはじめたてまつりてはじめたてまつりて申まう申まうもうべけれどそれべけれどそれべけれどそれはははあまりあがりてのよのあまりあがりてのよのあまりあがりてのよの事こと事ことこと也なり也なりなり。。。このきかせこのきかせこのきかせ給たま給たまたまはんはんわん人〳〵ひとびと人〳〵ひとびとひとびともあなづりごとにもあなづりごとにもあなずりごとにははは侍はべ侍はべはべれどれどれど。。。なにともおぼされざらんものからなにともおぼされざらんものからなにともおぼされざらんものから。。。
  19. 19ことおほくてことおほくてことおおくて講師かうじ講師かうじこうじおはしなばおはしなばおわしなば。。。こととさめこととさめこととさめ侍はべ侍はべはべりてくちおしりてくちおしりてくちおし。。。さればたゞさればたゞさればただ帝王ていわう帝王ていわうていおうののの御おん御おんおん事こと事ことことももも文德もんとく文德もんとくもんとくののの御時おほんとき御時おほんときおおんときよりよりより申まう申まうもうててて侍はべ侍はべはべればればれば。。。ふゆつぐのおとゞよりふゆつぐのおとゞよりふゆつぐのおとどより申まう申まうもうすぞすぞすぞ。。。
  20. 20そのみかどのそのみかどのそのみかどの御おん御おんおんおほぢおほぢおおじ冬嗣ふゆつぐ冬嗣ふゆつぐふゆつぐのおとゞとのおとゞとのおとどと申まう申まうもうはははかまたりのおとゞよりかまたりのおとゞよりかまたりのおとどよりははは第だい第だいだい六ろく六ろくろくにあたりにあたりにあたり給たま給たまたまふふう。。。よのよのよの人ひと人ひとひとははは申まう申まうもうめれめれめれ。。。そのそのその冬嗣ふゆつぐ冬嗣ふゆつぐふゆつぐののの大臣だいじん大臣だいじんだいじんよりよりより申まう申まうもう侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。そのそのその中なか中なかなかににに思おも思おもおもふにふにうに只今ただいま只今ただいまただいまののの入道殿にふだうどの入道殿にふだうどのにゅうどうどのすぐれさせすぐれさせすぐれさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

「世が始まってのち、大臣は(いつの世も)みなおいでになった。けれども左大臣・右大臣・内大臣・太政大臣と申す位が天下にそろい集まってからのことを、数えてみなおぼえております。世が始まってから今に至るまで、左大臣は三十人、右大臣は五十七人、内大臣は十二人である。太政大臣は、昔の帝の御代にはたやすくお置きにならなかったのです。あるいは帝の外祖父、あるいは帝の叔父がおなりになるようです。また、そのように帝の外祖父・叔父などとして後見をなさる大臣・納言は数多くいらっしゃる。亡くなられてのち贈太政大臣などにおなりになった方々は、たくさんいらっしゃるようです。そういう方々が七人ほどもいらっしゃるでしょうか。正式の太政大臣は、なるのが難しく、少ないのです。

神武天皇から三十七代目にあたられる孝徳天皇と申し上げた帝の御代から、八省百官と左右大臣・内大臣がそろって置かれ始めたのでしょう。左大臣には阿倍倉梯麻呂。右大臣には蘇我山田石川麻呂。この人は元明天皇の外祖父である。孝徳天皇が位にお即きになって、元年乙巳に大臣になり、五年己酉に、東宮(中大兄皇子)によって殺されなさったということです。これはあまりにも昔のことです。内大臣には大中臣の鎌子連(中臣鎌足)である。そのころは年号がなかったので、月日は申しにくい。また三十九代にあたられる帝、天智天皇こそが、初めて太政大臣をお置きになったのです。それはそのまま、ご自分の第二皇子でいらした大友皇子である。正月に太政大臣におなりになった。天智天皇が十年二月三日(十二月三日)にお亡くなりになってのち、大友皇子は自分が位に即こうとなさったが、六月二十六日にこの皇子を殺して、大海人皇子が位にお即きになって天武天皇と申し上げた。世をお治めになること十五年。神武天皇から四十一代にあたられる持統天皇が、また太政大臣に高市皇子をおつけになった。天武天皇の皇子である。この二人の太政大臣は、そのまま帝におなりになった(とも伝えるが)、高市皇子は大臣のままお亡くなりになった。その後、太政大臣は長いこと絶えていらした。ただし職員令には「太政大臣には、なみなみの人を任じてはならない。もしその人がいなければ、空席のまま置いておけ」とあるので、並大抵の位ではないのでしょう。

四十二代にあたられる文武天皇の御時に、年号が定まって大宝元年という。文徳天皇の末年、斉衡四年丁丑二月十九日に、帝の外祖父である右大臣従一位藤原良房公が太政大臣におなりになる。御年五十四。この大臣こそが初めて摂政もなさったので、そのままこの殿から今の閑院大臣(公季)まで、太政大臣は十一人続いていらっしゃいます。ただし、これより前の大友皇子・高市皇子を加えて、全部で十三人の太政大臣である。太政大臣におなりになった人は、亡くなられたのち必ず諡(おくりな)というものがあったのです。けれども大友皇子はそのまま帝にお立ちになった(とされる)。高市皇子の諡ははっきりしない。また太政大臣といっても出家した方には諡はない。だから、この十一人続いていらっしゃる中のお二人(兼家・道長)は出家なさったので、諡がおありでない。

この十一人の太政大臣たちのご次第やご様子を、始めから終わりまで申し上げようと思うのです。流れを汲んで水源をたずねてこそよいのでしょうから、大織冠(鎌足)から始め申し上げて申すべきですが、それはあまりにも昔の世のことです。これをお聞きになる方々も、つまらない話だとおっしゃるかもしれず、なんともお思いにならないでしょうから、話が多くなって講師がおいでになったら、興ざめになって残念です。ですから、帝のことも文徳天皇の御時から申し上げましたので、冬嗣公から申し上げるのですよ。その帝の外祖父である冬嗣公と申し上げる方は、鎌足公から六代目にあたられる。世の人は「藤刺し」と申すようです。その冬嗣大臣から申し上げましょう。その中で思いますに、今の入道殿(道長)がすぐれていらっしゃるのです」

意訳

帝紀を語り終えた世継は、いよいよ本題の大臣列伝に入る。その前に、大臣という官の歴史をひととおり説明する。左大臣三十人・右大臣五十七人・内大臣十二人という数字を挙げてみせるところに、何でも覚えている老人の面目がある。

世継がとくに強調するのは、太政大臣が「おぼろげの人」にはなれない、きわめて重い官だということである。天智天皇の子の大友皇子、天武天皇の子の高市皇子という皇族のあとは長く空席となり、良房が人臣として初めて太政大臣・摂政となった。それ以来、今の公季まで十一人の太政大臣が続いている。

本来なら藤原氏の祖である鎌足(大織冠)から語るべきだが、昔すぎて聞く人も退屈するだろうし、講師が来てしまっては残念だと、世継は話を冬嗣から始めることにする。「その中で今の入道殿がすぐれている」と結ぶところに、すべてを道長へ収束させようとする語りの方向がはっきり示されている。

語釈・文法注

孝德天皇
第三十六代の天皇(596〜654)。大化の改新を行った。
八省百官
中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内の八省と、多くの役所。律令制の官制。
くらはしまろ
阿倍倉梯麻呂(内麻呂)。大化元年(645)に左大臣となった。
いしかは丸
蘇我倉山田石川麻呂。大化元年に右大臣となったが、大化五年、謀反の疑いをかけられて自害した。娘が天智天皇の妃となり、元明天皇の母を産んだ。
鎌子
中臣鎌子(鎌足)。大化の改新の功臣。内臣となり、死の直前に大織冠と藤原の姓を賜った。藤原氏の祖。
大友王子
大友皇子(648〜672)。天智天皇の皇子。壬申の乱で大海人皇子に敗れて自害した。明治時代に弘文天皇の名が贈られた。
おほみの王子
大海人皇子。天智天皇の弟。壬申の乱(672)に勝って天武天皇となった。
たけちの王子
高市皇子(654〜696)。天武天皇の皇子。壬申の乱で活躍し、持統天皇のもとで太政大臣となった。
職員令
養老令の編目の一つ。官職の定員と職掌を定める。太政大臣は「其の人無くば則ち闕けよ」とされた(則闕の官)。
大寶元年
701年。文武天皇の時に「大宝」の年号が建てられ、以後、年号が途切れずに続くようになった。
閑院大臣
藤原公季(957〜1029)。師輔の子。物語の「今」の太政大臣。
いみな
ここでは諡(おくりな)。死後に生前の徳をたたえて贈る名。良房の忠仁公、基経の昭宣公など。
大織冠
冠位の最高位。鎌足だけが授けられたので、鎌足その人をさす。
ふじさし
冬嗣の別称か。諸本に「ふぢさし」とあり、意味ははっきりしない。

文法

かずへてみなおぼえ侍り
「かずへ」は「数ふ」の連用形。数えてみな覚えております。
おかせ給はざりけり
「おか」は「置く」の未然形、「せ給は」は尊敬。お置きにならなかった。
ころされ給へりとこそは
「とこそは」の下に「聞け」などが省略されている。
たゞにをかるべし
空いたままに置いておくべきだ。
おぼろげの位にはあらぬにや
「おぼろげ」は普通、並み。「にや」の下に「あらむ」が省略。並大抵の位ではないのだろうか。
よく侍るべきを
「を」は逆接。よいはずなのに。

解説

世継の挙げる大臣の数(左大臣三十人・右大臣五十七人・内大臣十二人)は、孝徳天皇の代から万寿二年までのものとして、おおむね史実に合うとされる。

良房から公季までの十一人の太政大臣は、良房・基経・忠平・実頼・伊尹・兼通・頼忠・為光・兼家・道長・公季である。このうち兼家と道長は出家しているので諡がない。実際の大臣列伝は、この十一人に左右大臣・内大臣を加えて、冬嗣から道長まで二十人の伝記からなる。

大友皇子・高市皇子が「やがてみかどと成給へり」というのは、大友皇子が天智天皇の死後に即位したとする伝えによるか。高市皇子は即位していない。底本の本文のとおりに訳した。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、484〜486頁(コマ258–259)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日