大鏡 第10章
後一条院と二つの鏡の歌
帝紀の最後は当代の後一条天皇。一条天皇の第二皇子で、母は道長の娘彰子。祖父の道長、叔父の頼通・教通らが後見する安泰の御代である。世継は、帝のことを先に語ったのは道長の栄華の根を示すためだと言い、繁樹は「明らかな鏡に会ったようだ」と歌を詠み、世継も「古鏡」の歌を返す。この問答が『大鏡』という書名の由来となる。
- 1六十八代六十八代ろくじゅうはちだい
- 2つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど當代當代とうだい。。。御御おんいみなあつなりいみなあつなりいみなあつなり。。。これこれこれ一條院一條院いちじょういんののの御御おん第二第二だいに王子王子おうじ也也なり。。。御母御母みわわいまのいまのいまの入道殿下入道殿下にゅうどうでんかののの第一第一だいいちののの御御おんむすめなりむすめなりむすめなり。。。皇太后宮皇太后宮こうたいごうぐうととと申申もうすすす。。。
- 3たゞたゞただ今今いまたれかたれかたれかはははおぼつかなくおぼしおぼつかなくおぼしおぼつかなくおぼし思人思人おもうひとののの侍侍はべらんらんらん。。。されどまづすべらぎのされどまづすべらぎのされどまずすべらぎの御御おん事事ことををを申申もうさまにたがへさまにたがへさまにたがえ侍侍はべらぬことらぬことらぬこと。。。寬弘寬弘かんこう五年五年ごねん戊申戊申つちのえさる九月九月くがつ十一日十一日じゅういちにちにてにてにて生生うまれさせれさせれさせ給給たまふふう。。。
- 4同同おなじ八年八年はちねん辛亥辛亥かのとい六月六月ろくがつ十三日十三日じゅうさんにち東宮東宮とうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給給たまひきひきいき。。。御歲御歲おおんとし四歲四歲しさい。。。長和長和ちょうわ五年五年ごねん丙辰丙辰ひのえたつ五月五月ごがつ廿九日廿九日にじゅうくにち位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまききき。。。御歲御歲おおんとし九歲九歲くさい。。。寬仁寬仁かんにん二年二年にねん戊午戊午つちのえうま正月正月しょうがつ三日三日みつか御元服御元服ごげんぷく。。。
- 5御歲御歲おおんとし十一十一じゅういち。。。位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまててて十年十年じゅうねんにやならせにやならせにやならせ給給たまわらむらむらむ。。。今年今年ことし二年二年にねん乙丑乙丑きのとうしとこそとこそとこそははは申申もうめれめれめれ。。。同同おなじみかどゝじみかどゝじみかどと申申もうせどもせどもせども。。。うしろみおほくたのもしくおはしますうしろみおほくたのもしくおはしますうしろみおおくたのもしくおわします。。。
- 6御御おんおほぢにてたゞおほぢにてたゞおおじにてただ今今いまののの入道殿下入道殿下にゅうどうでんか出家出家しゅっけせさせせさせせさせ給給たまへれどへれどえれど。。。よのおやよのおやよのおや一切衆生一切衆生いっさいしゅじょう一子一子いっしのとくのとくのとくはははぐゝみおはしますぐゝみおはしますぐくみおわします。。。第一第一だいいちののの御御おんおぢにてたゞおぢにてたゞおじにてただ今今いまののの左大臣左大臣さだいじん。。。
- 7一天下一天下いちてんかをををまつりごちておはしますまつりごちておはしますまつりごちておわします。。。つぎのつぎのつぎの御御おんおぢとおぢとおじと申申もうはははにてにてにて左大將左大將さだいしょうかけておはしますかけておはしますかけておわします。。。つぎのつぎのつぎの御御おんおぢとおぢとおじと申申もうははは大納言大納言だいなごんあるひあるひあるいははは東宮大夫東宮大夫とうぐうのだいぶ。。。
- 8中宮權大夫中宮權大夫ちゅうぐうのごんのだいぶ。。。中納言中納言ちゅうなごんなどなどなど樣〴〵樣〴〵さまざまにておはしますにておはしますにておわします。。。かくのごとくにおはしませばかくのごとくにおはしませばかくのごとくにおわしませば御御おんうしろみおほくもおはしますうしろみおほくもおはしますうしろみおおくもおわします。。。むかしもむかしもむかしも今今いまもみかどかしこしともみかどかしこしともみかどかしこしと申申もうせどせどせど。。。
- 9臣臣じんあまたしてかたぶけたてまつるあまたしてかたぶけたてまつるあまたしてかたぶけたてまつる時時ときはははかたぶきかたぶきかたぶき給給たまものものもの也也なり。。。さればたゞさればたゞさればただ一天下一天下いちてんかはははわがわがわが御御おんうしろみのかぎりにておはしませばうしろみのかぎりにておはしませばうしろみのかぎりにておわしませば。。。いとたのもしくめでたきいとたのもしくめでたきいとたのもしくめでたき事事ことなりなりなり。。。
- 10むかしむかしむかし一條一條いちじょうののの院院いんののの御御おんなやみのおりおほせられけるなやみのおりおほせられけるなやみのおりおおせられけるははは。。。すべからくすべからくすべからくははは次第次第ついでのまゝにのまゝにのままにのみこのみこのみこをををなむなむなん春宮春宮とうぐうとすべけれどとすべけれどとすべけれど。。。うしろみすべきうしろみすべきうしろみすべき人人ひとなきによりなきによりなきにより思思おもひかけずひかけずいかけず。。。
- 11さればさればされば二二にののの宮宮みやをばをばをばたてたてまつるなりとおほせられけるもたてたてまつるなりとおほせられけるもたてたてまつるなりとおおせられけるも此此このたうだいのたうだいのとうだいの御御おんことよことよことよ。。。げにさるげにさるげにさる事事ことぞかしぞかしぞかし。。。
- 12帝王帝王ていおうののの御御おん次第次第しだいははは申申もうさずともありぬべけれどさずともありぬべけれどさずともありぬべけれど。。。入道殿下入道殿下にゅうどうでんかののの御御おん榮花榮花えいがもなにゝよりもなにゝよりもなにによりひらけひらけひらけ給給たまぞとぞとぞと思思おもへばへばえば。。。まづまづまず御門御門みかど后后きさきののの御御おんありさまありさまありさまををを申申もうなりなりなり。。。
- 13木木きはははねねねをををおほしてつくろひおほしたてつればこそおほしてつくろひおほしたてつればこそおおしてつくろいおおしたてつればこそ。。。えだもしげりてこのみえだもしげりてこのみえだもしげりてこのみをもをもをもむすべやむすべやむすべや。。。しかあればまづしかあればまづしかあればまず帝王帝王ていおうののの御御おんつゞきつゞきつづきをををおぼえておぼえておぼえて。。。つぎにつぎにつぎに大臣大臣だいじんののの御御おんつゞきつゞきつづきはははあかさんとなりといへばあかさんとなりといへばあかさんとなりといえば。。。
- 14おおおほいぬほいぬほいぬ丸丸まるおとこおとこおとこ。。。いで〳〵いで〳〵いでいでいといみじうめでたしやいといみじうめでたしやいといみじゅうめでたしや。。。こゝらのすべらぎのこゝらのすべらぎのここらのすべらぎの御御おんありさまありさまありさまををををををかけかけかけ給給たまへるにへるにえるに。。。ましてましてまして大臣大臣だいじんなどのなどのなどの御御おん事事ことはははとしごろやみにむかひたるにとしごろやみにむかひたるにとしごろやみにむかいたるに。。。
- 15あさあさあさ日日ひのののうら〳〵うら〳〵うらうらとさしとさしとさし出出でたるにあへらむこゝちもするかなたるにあへらむこゝちもするかなたるにあえらむここちもするかな。。。又又またおきならがおきならがおきならが家家いえののの女女おんなどものもとなるどものもとなるどものもとなる。。。。。。
- 16とぐとぐとぐわざもしらずわざもしらずわざもしらずうちうちうちはははさめてさめてさめてをををきたるにならひてきたるにならひてきたるにならいて。。。あかくみがけるかゞみにむかひてあかくみがけるかゞみにむかひてあかくみがけるかがみにむかいて。。。わがわがわが身身みのかたちのかたちのかたちををを見見みるにるにるに。。。かつかつかつはははかげかげかげはづかしくはづかしくはずかしく。。。
- 17又又またいとめづらしきにもむかへりやいとめづらしきにもむかへりやいとめずらしきにもむかえりや。。。あなけうありのわざやなあなけうありのわざやなあなきょうありのわざやな。。。おきないまおきないまおきないま十廿年十廿年さんじゅうねんのいのちのいのちのいのちはははけふけふきょうのびぬるのびぬるのびぬる心地心地ここちししし侍侍はべををを。。。
- 18みきくみきくみきく人〳〵人〳〵ひとびとおこがましうおかしけれどもおこがましうおかしけれどもおこがましゅうおかしけれども。。。いひつゞくるいひつゞくるいいつづくる事事ことどもどもどもはははおろかならずおそろしければおろかならずおそろしければおろかならずおそろしければ。。。物物ものもいもいもいはははでみなきゝゐたりでみなきゝゐたりでみなききいたり。。。おおおほいぬまるおとこいできゝほいぬまるおとこいできゝほいぬまるおとこいできき給給たまややや。。。
- 19うたうたうたひとつくりてひとつくりてひとつくりて侍侍はべりといふめればりといふめればりというめれば。。。よつぎいとかむあることなりとてよつぎいとかむあることなりとてよつぎいとかむあることなりとて。。。うけうけうけ給給たまはははらんといふらんといふらんという。。。しげきいとやさしげにいひいづしげきいとやさしげにいひいづしげきいとやさしげにいいいず。。。
- 20あきらけきかゞみにあへばあきらけきかゞみにあへばあきらけきかがみにあえば過過すにしもいまゆくすゑのこともにしもいまゆくすゑのこともにしもいまゆくすえのことも見見みえけりえけりえけり
- 21といふめればといふめればというめれば。。。よつぎいたくかむじてあまたゝびよつぎいたくかむじてあまたゝびよつぎいたくかむじてあまたたび誦誦ずじてじてじてうめきてうめきてうめきて返返かえししし。。。
- 22すべらぎのあともすべらぎのあともすべらぎのあともつぎ〳〵つぎ〳〵つぎつぎかくれなくあらたにかくれなくあらたにかくれなくあらたに見見みゆるゆるゆるふるかゞみふるかゞみふるかがみかもかもかも
- 23今今いまはははながたのかゞみながたのかゞみながたのかがみ。。。まきゑらでんのまきゑらでんのまきえらでんのはははこにいれたるにむかひたるこにいれたるにむかひたるこにいれたるにむかいたる心心こころちしちしちし給給たまややや。。。いでやそれいでやそれいでやそれはははさきらめけどさきらめけどさきらめけど。。。くもりやすきところあるやくもりやすきところあるやくもりやすきところあるや。。。
- 24いかにいにしへのこだいのかゞみいかにいにしへのこだいのかゞみいかにいにしえのこだいのかがみははは。。。かねしろくてかねしろくてかねしろくて人人ひと手手てふれねどかくぞあかきなどふれねどかくぞあかきなどふれねどかくぞあかきなど。。。したりがほにわらふかほつきしたりがほにわらふかほつきしたりがおにわらうかおつき。。。ゑにかゝまほしくみゆゑにかゝまほしくみゆえにかかまほしくみゆ。。。
- 25あやしながらさすがなるけつきてあやしながらさすがなるけつきてあやしながらさすがなるけつきて。。。おかしくまことにめづらかになんおかしくまことにめづらかになんおかしくまことにめずらかになん。。。
- 26よつぎよしなしよつぎよしなしよつぎよしなし事事ことよりよりよりはははまめやかなるまめやかなるまめやかなる事事ことををを申申もういでんいでんいでん。。。よく〳〵よく〳〵よくよくたたたれも〳〵れも〳〵れもれもきこしめせきこしめせきこしめせ。。。けふけふきょうのかうじののかうじののこうじの說法說法せっぽうははは。。。ぼだいのためとおぼしぼだいのためとおぼしぼだいのためとおぼし。。。
- 27又又またおきならがとくとおきならがとくとおきならがとくとははは。。。をををきくとおぼすきくとおぼすきくとおぼす許許ゆるぞかしといへばぞかしといへばぞかしといえば。。。僧僧そう俗俗ぞくげにげにげに說經說經せっきょう說法說法せっぽうおほくうけおほくうけおおくうけ給給たまはれどはれどわれど。。。かくめづらしきかくめづらしきかくめずらしき事事ことののの給給たまふふう人人ひとははは。。。
- 28さらにおはせぬなりとてさらにおはせぬなりとてさらにおわせぬなりとて。。。としとしとしをををいたるあまほうしどもいたるあまほうしどもいたるあまおうしども。。。ひたひにひたひにひたいに手手てをををあてゝしんあてゝしんあててしんをををなしつゝきゝゐたりなしつゝきゝゐたりなしつつききいたり。。。
- 29よつぎよつぎよつぎはははいとおそろしきいとおそろしきいとおそろしき翁翁おきなににに侍侍はべりりり。。。眞實眞實まさでののの心心こころおはせんおはせんおわせん人人ひとははは。。。などかなどかなどかはづかしとおぼさゞらんはづかしとおぼさゞらんはずかしとおぼさざらん。。。世中世中よのなかををを見見みしりしりしりうかべたてゝもちてうかべたてゝもちてうかべたててもちて侍翁侍翁はべるおきななりなりなり。。。
- 30目目めにもみゝにもきゝあつめてにもみゝにもきゝあつめてにもみみにもききあつめて侍侍はべるるる。。。よろづのよろづのよろずの事事ことののの中中なかにたゞいまのにたゞいまのにただいまの入道殿下入道殿下にゅうどうでんかのありさまのありさまのありさま。。。いにしへいにしへいにしえをををきゝきゝきき今今いまををを見侍見侍みわべにもにもにも。。。二二ふたつもなくつもなくつもなく又又また三三みつもなくつもなくつもなく。。。
- 31ならびなくならびなくならびなくはははかりなくおはしますかりなくおはしますかりなくおわします。。。たとへばたとへばたとえばのごとしのごとしのごとし。。。御御おんありさまのありさまのありさまの返〳〵返〳〵かえすがえすめでたきなりめでたきなりめでたきなり。。。世間世間せけんののの太政大臣太政大臣だいじょうだいじん攝政關白攝政關白せっしょうかんぱくととと申申もうせどせどせど。。。
- 32はじめはじめはじめをををはりとめでたきはりとめでたきはりとめでたき事事ことはははえおはしまさぬえおはしまさぬえおわしまさぬ事事こと也也なり。。。法文法文ほうもん聖敎聖敎しょうぎょうのなかにもののなかにもののなかにもの給給たまなるなるなるははは。。。うううをををのこおのこおのこおほかれどほかれどほかれど。。。まとのまとのまとのうううをををとなるとなるとなる事事ことはははかたしかたしかたし。。。
- 33といふうへといふうへといううえ木木きあれどあれどあれど。。。このみこのみこのみをををむすぶむすぶむすぶ事事ことかたしとこそかたしとこそかたしとこそはははときときとき給給たまへれへれえれ。。。天下天下てんか大臣大臣だいじん公卿公卿くぎょうののの御御おん中中なかににに。。。このたからのこのたからのこのたからの君君きみのみこぞよにめづらかにおはすめれのみこぞよにめづらかにおはすめれのみこぞよにめずらかにおわすめれ。。。
- 34いまゆくすゑもたれのいまゆくすゑもたれのいまゆくすえもたれの人人ひとかかばかりかかばかりかかばかりはははおはせんおはせんおわせん。。。いとありがたきいとありがたきいとありがたき御御おん事事こと也也なりややや。。。誰誰たれもこゝろもこゝろもこころをををひとつにてきこしめせひとつにてきこしめせひとつにてきこしめせ。。。よにあるよにあるよにある事事ことはははなになになに事事ことをををかかかははは。。。
- 35みのがしきゝのこしてみのがしきゝのこしてみのがしききのこして侍侍はべらんらんらん。。。このよつぎがこのよつぎがこのよつぎが申事申事もうすことどもどもどもはしもしりはしもしりはしもしり給給たまはぬはぬわぬ人〳〵人〳〵ひとびとおほくおはすらんとなむおほくおはすらんとなむおおくおわすらんとなむ思思おもひひい侍侍はべるといふめればるといふめればるというめれば。。。すすすべて〳〵べて〳〵べてべて申申もうべきならずとてきゝあへりべきならずとてきゝあへりべきならずとてききあえり。。。
現代語訳
六十八代 後一条院
次の帝は当代(今上)である。御諱は敦成。これは一条院の第二皇子である。御母は今の入道殿下(道長)の第一の御娘である。皇太后宮彰子と申し上げる。今、誰がはっきりしないとお思いになる人がおりましょうか(みな知っていることですが)。けれども、まず帝のことを申し上げる順序に違えないように(申しましょう)。寛弘五年戊申九月十一日、土御門殿でお生まれになる。同八年辛亥六月十三日、東宮にお立ちになった。御年四歳。長和五年丙辰五月二十九日、位にお即きになった。御年九歳。寛仁二年戊午正月三日にご元服。御年十一。位にお即きになって十年におなりになるでしょうか。今年は万寿二年乙丑と申すようです。同じ帝と申し上げても、(この帝は)ご後見が多く頼もしくいらっしゃいます。御祖父である今の入道殿下は出家なさっているけれど、世の親として、一切衆生を一人子のように慈しむ徳で育んでいらっしゃいます。第一の御叔父である今の関白左大臣(頼通)は、天下の政治をとっていらっしゃいます。次の御叔父と申し上げるのは内大臣(教通)で、左大将を兼ねていらっしゃいます。次の御叔父と申し上げる方々は、大納言で、あるいは東宮大夫(頼宗)、中宮権大夫(能信)、中納言(長家)などと、さまざまでいらっしゃいます。このようでいらっしゃるので、ご後見が多くいらっしゃるのです。昔も今も帝が賢いと申しても、臣下が大勢で傾け申し上げるときには、傾いてしまわれるものです。ですから、ただ天下はご自分のご後見の方々ばかりでいらっしゃるので、たいへん頼もしくめでたいことです。
昔、一条院がご病気のときにおっしゃったことには、「本来なら順序どおりに第一皇子(敦康親王)を東宮とすべきだが、後見すべき人がいないので、思いがけないことに、第二皇子をお立て申し上げるのだ」とおっしゃったのも、この当代のことですよ。まことにもっともなことです。
帝のご次第は申し上げなくてもよいでしょうが、入道殿下のご栄華も何によって開けなさったのかと思うと、まず帝・后のご様子を申し上げるのです。植木は根を育て手入れして育て上げればこそ、枝も茂って実も結ぶのですよ。そういうわけで、まず帝のご系譜を思い起こして、次に大臣のご系譜を明らかにしようというのです」と言うと、
大犬丸の男(繁樹)が、「いやいや、まったくすばらしいことですなあ。多くの帝のご様子でさえ鏡をかけて照らし出しなさったのに、まして大臣などのお身の上は、長年闇に向かっていたところに、朝日がうららかに差し出たのに出会ったような気持ちもすることよ。また、翁の家の女どものところにある、櫛箱の鏡は、映る影も見えにくく、磨くことも知らずに(箱に)しまい込んでおいたのに慣れて、明るく磨いた鏡に向かって、わが身の姿を見ると、恥ずかしくもあり、またたいへん珍しいものにも向かっていることよ。ああ、なんとおもしろいことでしょう。翁の寿命は、今日、十年二十年延びた気がします」と、ひどく得意になっているのを、見聞きする人々はばかばかしくおかしいけれど、語り続けることどもはなみなみでなく恐れ入ることなので、ものも言わずに、みな聞き入っていた。大犬丸の男が、「さあ、お聞きになりますか。歌を一首作りました」と言うようなので、世継が「たいへん感心なことだ」と言って、「承りましょう」と言う。繁樹はたいそう優雅な様子で詠み出す。
あきらけき鏡にあへば過ぎにしも今行く末のことも見えけり
と言うようなので、世継はひどく感心して、何度も口ずさんで、うなって返歌(を詠む)。
すべらぎのあともつぎつぎかくれなくあらたに見ゆる古鏡かも
「今風の葵形や八花形の鏡で、蒔絵や螺鈿の箱に入れたものに向かったような気持ちがなさいますか。いや、そういうのはきらきら輝いているけれど、曇りやすいところがあるよ。どうです、昔の古代の鏡は、金属が白くて、人の手が触れなくても、このように明るい」などと、得意顔で笑う顔つきは、絵に描きたいほどに見える。身分は卑しいながらも、さすがに堂々とした様子で、おもしろく、まことにめずらしい。
世継が、「つまらないことよりは、まじめなことを申し出しましょう。よくよく、どなたもお聞きください。今日の講師の説法は菩提(極楽往生)のためとお思いになり、また翁たちの話は、日本紀を聞くのだとお思いになるだけでよいのですよ」と言うと、僧も俗人も「なるほど、説経・説法はたくさん承ったけれど、このように珍しいことをおっしゃる人は、まったくいらっしゃらなかった」と言って、年老いた尼や法師たちが、額に手を当てて信心をこめながら聞き入っていた。
「世継はたいへん恐ろしい翁でございます。真実の心をお持ちの方なら、どうして気恥ずかしいとお思いにならないことがありましょう。世の中を見知り、心に浮かべ持っております翁なのです。目にも耳にも見聞きして集めております多くの事の中で、今の入道殿下のご様子は、昔のことを聞き今を見ますにも、二つもなく、また三つもなく、並ぶものもなく、はかりしれずいらっしゃいます。たとえば一乗の法(法華経)のようなものです。ご様子がかえすがえすもすばらしいのです。世間の太政大臣・摂政・関白と申し上げても、初めから終わりまでめでたいことは、とてもいらっしゃらないものです。仏の教えの中でおっしゃっていることには、「魚の子は多いけれど、本当の魚になることは難しい。菴羅という木があるが、実を結ぶことは難しい」とお説きになっています。天下の大臣・公卿の中で、この宝の君(道長)だけが、世にめったにないほどでいらっしゃるようです。今も将来も、誰がこれほどでいらっしゃるでしょうか。まことにありがたいことですよ。どなたも心を一つにしてお聞きください。世にあることで、何を見逃し聞き残しておりましょうか。この世継が申すことどもには、ご存じない方々も多くいらっしゃるだろうと思うのです」と言うようなので、(人々は)「何もかも、言いようもない」と言って聞き合った。
意訳
帝紀の最後に、当代の後一条天皇が語られる。九歳で即位した幼帝を、祖父の道長と、頼通・教通・頼宗・能信・長家の五人の叔父が支えている。世継は「臣下が大勢で傾け申し上げれば、帝も傾いてしまうものだ。しかしこの帝は、後見がみな身内だから安泰だ」と言う。前の三条天皇の不遇を思えば、この言葉は道長の権勢をたたえつつ、皮肉な響きも帯びている。
一条天皇が、第一皇子の敦康親王(母は定子)ではなく第二皇子の敦成親王(後一条天皇)を東宮に立てた理由を「後見がいないから」と語ったという話も、定子の兄伊周が失脚し、道長がすべてを握っていた現実を映し出す。
このあと、繁樹が「あきらけき鏡にあへば」、世継が「あらたに見ゆる古鏡かも」と詠みかわす。歴史を明らかに映し出す鏡としての語り、という比喩がここで示され、『大鏡』という書名もここから来ている。今風のきらびやかな鏡よりも、古い鏡のほうが曇らないという世継の自慢は、老人の昔語りの価値を説くものでもある。そして世継は、いよいよ道長の比類のない栄華を、法華経の一乗の法にたとえて、大臣列伝へと話を進めていく。
語釈・文法注
- 後一條院
- 第六十八代の天皇(1008〜1036)。在位1016〜1036。物語の「今」の帝で、生存中だが、底本は帝紀の題に「後一條院」と記す。
- 彰子
- 藤原彰子(988〜1074)。道長の長女で、一条天皇の中宮。後一条・後朱雀天皇の母。のち上東門院。紫式部が仕えた。
- 土御門殿
- 道長の邸。京極殿とも。
- 萬壽二年
- 1025年。この物語の「今」。
- 關白左大臣
- 藤原頼通(992〜1074)。道長の長男。後一条・後朱雀・後冷泉天皇の摂政・関白。
- 内大臣
- 藤原教通(996〜1075)。道長の五男。のち関白。
- 御うしろみ
- 後見。帝を補佐し守る人。
- 一のみこ
- 敦康親王(999〜1018)。一条天皇の第一皇子で、母は定子。定子の死後、後ろ盾を失った。
- うへ木はねをおほして
- 植木は根を育てて。帝・后という根が育ったからこそ、道長の栄華という枝葉が茂り実を結んだというたとえ。
- かゞみ
- 鏡。歴史を映し出すものとしての鏡。この問答から『大鏡』の書名が生まれた。
- くしげ
- 櫛笥。櫛などの化粧道具を入れる箱。
- ゆけする
- 得意になる、いばる。
- あふひやつはながたのかゞみ
- 葵形や八花形の鏡。縁を葵の葉や八弁の花の形にした、当時流行の鏡。
- 日本紀
- 『日本書紀』。また広く、六国史などの正式の歴史書。
- 一乘法
- 一乗の法。すべての人が仏になれると説く唯一の教え。法華経の教えを指す。
- 菴羅
- 菴羅樹。マンゴーの木。花は多いが実を結ぶことは少ないとされた。
文法
- おぼつかなくおぼし思人の侍らん
- 「かは〜ん」で反語。誰がはっきりしないと思う人がいようか、いや、いない。
- ならせ給らむ
- 「らむ」は現在推量。おなりになっているのだろう。
- かたぶき給もの也
- 傾いてしまわれるものだ。帝の位が危うくなること。
- ありぬべけれど
- 「ぬべけれ」は強意+当然。きっとよいはずだが。
- あへらむこゝち
- 「あへ」は「会ふ」の已然形(命令形)、「ら」は完了「り」の未然形、「む」は婉曲。出会ったような気持ち。
- えおはしまさぬ事也
- 「え〜ぬ」は不可能。いらっしゃることができないものだ。
- なに事をかは
- 「かは」は反語。何を見逃し聞き残しているだろうか、いや何もない。
和歌・漢詩
あきらけきかゞみにあへば過にしもいまゆくすゑのことも見えけり
- 作者
- 夏山繁樹
- 状況
- 世継の語りを聞いて、繁樹が詠んだ歌。明るく曇りのない鏡(世継の語り)に出会ったので、過ぎた昔のことも、今のことも、これから先のことまでも見えることだ。
修辞
- 見立て
- 世継の歴史語りを、すべてを映し出す鏡に見立てる。この歌が『大鏡』の書名の由来となった。
すべらぎのあともつぎ〳〵かくれなくあらたに見ゆるふるかゞみかも
- 作者
- 大宅世継
- 状況
- 繁樹の歌への返歌。帝の御代の跡も次々に隠れることなく、あらたかに映し出す古い鏡(である私の語り)だなあ。
修辞
- 掛詞
- 「つぎつぎ」に自分の名「世継」をかける。
- 掛詞
- 「あらた」に「新た」と「灼た(あらたか、はっきりしている)」をかける。
解説
後一条天皇(敦成親王)は、寛弘五年(1008)に生まれた。その誕生と、五十日の祝いのにぎわいは、母彰子に仕えた紫式部の『紫式部日記』に詳しく描かれている。
「鏡」の問答は、『大鏡』という書名の由来とされる。本来、この作品は『世継物語』『世継の翁の物語』などとも呼ばれたが、のちに「大鏡」の名が定まった。以後、『今鏡』『水鏡』『増鏡』と続く歴史物語は「鏡物」と呼ばれる。
世継は、自分の語りを「日本紀を聞く」と思えばよいと言う。正史である『日本書紀』以下の六国史は、光孝天皇の代までで終わっていた。それ以後の歴史を、仮名で、しかも裏話まで含めて語ろうとする作者の意識が、このことばにうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、480〜484頁(コマ256–258)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日