大鏡 第9章
一条院・三条院
一条天皇は円融天皇の第一皇子で、母は兼家の娘詮子(東三条院)。七歳で即位し、二十五年世を治めた。三条天皇は冷泉天皇の第二皇子で、母は兼家の娘超子。三十六歳で即位したが、目の病に苦しみ、在位五年で退位した。娘の禎子内親王をかわいがった話、治療のかいもなく、物の怪の仕業とも言われた病のこと、比叡山にのぼったことなどが語られる。
- 1六十六代六十六代ろくじゅうろくだい
- 2つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど一條院天皇一條院天皇いちじょういんてんのうととと申申もうききき。。。御御おんいみなやすいみなやすいみなやす人人ひと。。。これこれこれ圓融院圓融院えんゆういんののの御門御門みかど第一第一だいいちののの王子王子おうじ也也なり。。。御母御母みわわ皇太后宮皇太后宮こうたいごうぐうととと申申もうききき。。。是是これ太政大臣太政大臣だいじょうだいじん兼家兼家かねいえのおとゞののおとゞののおとどの第二第二だいにののの女女おんななりなりなり。。。
- 3このみかどこのみかどこのみかど天元天元てんげん三年三年さんねん庚辰庚辰かのえたつ六月六月ろくがつ一日一日ついたち兼家兼家かねいえのおとゞののおとゞののおとどの東三條東三條ひがしさんじょうののの家家いえにてにてにて生生うまれさせれさせれさせ給給たまふふう。。。東宮東宮とうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給事給事たまうこと永觀永觀えいかん二年二年にねん甲申甲申きのえさる八月八月はちがつ廿八日廿八日にじゅうはちにち也也なり。。。御歲御歲おおんとし五歲五歲ごさい。。。
- 4寬和寬和かんな二年二年にねん丙戌丙戌ひのえいぬ六月六月ろくがつ廿三日廿三日にじゅうさんにち位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまふふう。。。御歲御歲おおんとし七歲七歲しちさい。。。永祚永祚えいそ二年二年にねん庚寅庚寅かのえとら正月正月しょうがつ五日五日いつか御元服御元服ごげんぷく。。。御歲御歲おおんとし十一十一じゅういち。。。よよよをををたもたせたもたせたもたせ給事給事たまうこと廿五年廿五年にじゅうごねん。。。御母御母みわわははは十九十九じゅうくにてこのみかどにてこのみかどにてこのみかどをををうみうみうみ奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。
- 5東三條東三條ひがしさんじょうののの女院女院にょういんととと是是これををを申申もうすすす。。。このこのこの御母御母みわわはははつのかみつのかみつのかみ藤原藤原ふじわらのむすめのむすめのむすめ也也なり。。。
- 6六十七代六十七代ろくじゅうしちだい
- 7つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど三條院三條院さんじょういんのみかどゝのみかどゝのみかどと申申もうききき。。。御御おんいみないさだいみないさだいみないさだ。。。これこれこれ冷泉院冷泉院れいぜいいん第二第二だいにののの王子王子おうじなりなりなり。。。御母御母みわわ贈皇后宮贈皇后宮ぞうこうごうぐうととと申申もうききき。。。太政大臣太政大臣だいじょうだいじん兼家兼家かねいえのおとゞののおとゞののおとどの第一第一だいいちののの御女御女おおんむすめなりなりなり。。。
- 8このみかどこのみかどこのみかどははは貞元貞元じょうげん元年元年がんねん丙子丙子ひのえね正月正月しょうがつ三日三日みつか生生うまれさせれさせれさせ給給たまふふう。。。寬和寬和かんな二年二年にねん丙戌丙戌ひのえいぬ七月七月しちがつ十六日十六日じゅうろくにち東宮東宮とうぐうにたゝせたまふにたゝせたまふにたたせたまう。。。おなじおなじおなじ日日ひ御元服御元服ごげんぷくなりなりなり。。。御歲御歲おおんとし十一十一じゅういち。。。寬弘寬弘かんこう八年八年はちねん辛亥辛亥かのとい六月六月ろくがつ十三日十三日じゅうさんにち位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たまふふう。。。
- 9御御おおんとしとしとし卅六卅六さんじゅうろく。。。よよよをををたもたせたもたせたもたせ給給たまふふう事事こと五年五年ごねん。。。院院いんにならせにならせにならせ給給たまててて御目御目みめををを御御ごらんぜざりしこそいといみじかりしらんぜざりしこそいといみじかりしらんぜざりしこそいといみじかりし。。。ことことこと人人ひとのみたてまつるにのみたてまつるにのみたてまつるにははは。。。いさゝかかはらせいさゝかかはらせいささかかわらせ給給たまふふう事事ことおはしまさゞりければおはしまさゞりければおわしまさざりければ。。。
- 10そらそらそら事事ことのやうにぞおはしけるのやうにぞおはしけるのようにぞおわしける。。。御御おんまなこなどもいときよらにおはしますばかりまなこなどもいときよらにおはしますばかりまなこなどもいときよらにおわしますばかり。。。いかなるおりにかいかなるおりにかいかなるおりにかとき〴〵とき〴〵ときどきははは御御ごらんずるらんずるらんずる時時ときもありけりもありけりもありけり。。。
- 11みすのあみみすのあみみすのあみをををのみゆるなどもおほせられてのみゆるなどもおほせられてのみゆるなどもおおせられて。。。ののぼらせののぼらせののぼらせ給給たまへりけるにへりけるにえりけるに。。。弁弁べんのめのとののめのとののめのとの御供御供おおんともににに候候そうろうががが。。。さしぐしさしぐしさしぐしををを左左ひだりにさゝれたりければにさゝれたりければにさされたりければ。。。
- 12はははあしくさしたるぞとこそおほせられけれあしくさしたるぞとこそおほせられけれあしくさしたるぞとこそおおせられけれ。。。此此この宮宮みやをををことのことのことのほかにかなしうしたてまつらせほかにかなしうしたてまつらせほかにかなしゅうしたてまつらせ給給たまててて。。。御御おんぐしのいとおかしげにおはしますぐしのいとおかしげにおはしますぐしのいとおかしげにおわしますをををさぐりさぐりさぐり申申もうさせさせさせ給給たまてててははは。。。
- 13かくうつくしうおはするかくうつくしうおはするかくうつくしゅうおわする御御おんぐしぐしぐしをををえみえみえみ奉奉たてまつらぬこそらぬこそらぬこそ心心こころうけれくちおしけれとてうけれくちおしけれとてうけれくちおしけれとて。。。ほろ〳〵ほろ〳〵ほろほろとなかせとなかせとなかせ給給たまけるこそあはれにけるこそあはれにけるこそあわれに侍侍はべれれれ。。。わたらせわたらせわたらせ給給たまふたびごとにふたびごとにうたびごとにはははさるべきさるべきさるべき物物ものをををかならずかならずかならず奉奉たてまつらせらせらせ給給たまふふう。。。
- 14三條院三條院さんじょういんのののをををぐしてかへりわたらせぐしてかへりわたらせぐしてかえりわたらせ給給たまへりけるへりけるえりけるををを。。。入道殿入道殿にゅうどうどの御御ごらんじてかしこくおはしけるらんじてかしこくおはしけるらんじてかしこくおわしける宮宮みやかなかなかな。。。おさなきおさなきおさなき御心御心みこころにににとおぼしてとおぼしてとおぼして打打うすてさせすてさせすてさせ給給たまはははででで。。。
- 15もてもてもて渡渡わたらせらせらせ給給たまへるよとへるよとえるよと興興きょうじじじ申申もうさせさせさせ給給たまければければければ。。。まさなくもまさなくもまさなくも申申もうさせさせさせ給給たまふものかなとふものかなとうものかなと。。。御御おんめのとだちわらひめのとだちわらひめのとだちわらい申申もうさせさせさせ給給たまけるけるける。。。冷泉院冷泉院れいぜいいんももも奉奉たてまつらせらせらせ給給たまけれどけれどけれど。。。
- 16むかしよりみかどのむかしよりみかどのむかしよりみかどの御領御領ごりょうにてのみさぶらふところにてのみさぶらふところにてのみさぶらうところををを。。。今更今更いまさらにわたくしのにわたくしのにわたくしの物物ものになりになりになり侍侍はべらんらんらんははは便便びんなきなきなき事事ことなりなりなり。。。おほやけものにておほやけものにておおやけものにて候候そうろうべきなりとてかへしべきなりとてかへしべきなりとてかえし申申もうさせさせさせ給給たまければければければ。。。
- 17代々代々よよのわたりのわたりのわたり物物ものにてにてにて。。。朱雀院朱雀院すざくいんのおなじのおなじのおなじ事事ことににに侍侍はべるべきにこそるべきにこそるべきにこそ。。。
- 18このこのこの御御おんめのためにもめのためにもめのためにも。。。よろづにつくろひおはしましけれどよろづにつくろひおはしましけれどよろずにつくろいおわしましけれど。。。そのしるしあるともなきいといみじきそのしるしあるともなきいといみじきそのしるしあるともなきいといみじき事事ことにてにてにて。。。もとよりもとよりもとよりをもをもをもくおはしますにくおはしますにくおわしますに。。。
- 19くすしどものくすしどものくすしどものののの水水みずををを御御おんぐしにいさせぐしにいさせぐしにいさせ給給たまへとへとえと申申もうければければければ。。。こほりこほりこおりふたがりふたがりふたがりたるたるたる水水みずをををおほくかけさせおほくかけさせおおくかけさせ給給たまけるにけるにけるに。。。いといみじくいといみじくいといみじくふるひふるひふるいわなゝかせわなゝかせわななかせ給給たまひてひていて。。。
- 20御御おんいろもたがひおはしいろもたがひおはしいろもたがいおわし給給たまひたりけるなんひたりけるなんいたりけるなん。。。いとあはれにかなしくいとあはれにかなしくいとあわれにかなしく人々人々ひとびと見見みまいらせまいらせまいらせ給給たまけるとぞけるとぞけるとぞうけうけうけ給給たまはははりしりしりし。。。御御おんやまひによりやまひによりやまいによりといふといふという藥藥くすりをををめしたりけるめしたりけるめしたりけるををを。。。
- 21そのそのその藥藥くすりくひたるくひたるくいたる人人ひとはははかくかくかく目目めをををなんやむなどなんやむなどなんやむなど人人ひとははは申申もうしかどしかどしかど。。。まことにまことにまことにはははののの御御おんものゝけにあらはれてものゝけにあらはれてもののけにあらわれて申申もうけるけるけるははは。。。御御おんくびにのりゐてくびにのりゐてくびにのりいて左右左右さゆうのののはははねねねをををうちおほひうちおほひうちおおい申申もうたるにたるにたるに。。。
- 22うちうちうちはぶきはぶきはぶきうごかすおりにすこしうごかすおりにすこしうごかすおりにすこし御御ごらんずるなりとこそいひらんずるなりとこそいひらんずるなりとこそいい侍侍はべりけれりけれりけれ。。。御位御位みくらいさらせさらせさらせ給給たまししし事事こともおほくもおほくもおおくはははにのぼらせにのぼらせにのぼらせ給給たまはんとなりはんとなりわんとなり。。。のぼらせのぼらせのぼらせ給給たまてさらにそのてさらにそのてさらにその驗驗げんおはしまさゞりしこそくちおしかりしかおはしまさゞりしこそくちおしかりしかおわしまさざりしこそくちおしかりしか。。。
- 23やがておこたらせおはしまさずともすこしのしるしやがておこたらせおはしまさずともすこしのしるしやがておこたらせおわしまさずともすこしのしるしはははあるべかりしあるべかりしあるべかりし事事ことよよよ。。。さればいとゞやまのさればいとゞやまのさればいとどやまののののしたてまつるとこそしたてまつるとこそしたてまつるとこそさま〴〵さま〴〵さまざまにきこえにきこえにきこえはべるめれはべるめれはべるめれ。。。
- 24給給たまへりきへりきえりき。。。さてさてさて佛佛ほとけののの前前まえよりよりよりひんがしのひんがしのひんがしの。。。御御おんえぼうしせさせえぼうしせさせえぼうしせさせ給給たまへりけるへりけるえりけるははは。。。にこそいとよくにたてまつりにこそいとよくにたてまつりにこそいとよくにたてまつり給給たまへりけれへりけれえりけれ。。。
- 25御心御心みこころさへいとなつかしうおひらかにおはしましてさへいとなつかしうおひらかにおはしましてさえいとなつかしゅうおいらかにおわしまして。。。よのよのよの人人ひといみじうこひいみじうこひいみじゅうこい申申もうめりめりめり。。。のくだらせのくだらせのくだらせ給給たま御御おんぐしさゝせぐしさゝせぐしささせ給給たまてててははは。。。かたみにかたみにかたみに見見みかへらせかへらせかえらせ給給たまはぬはぬわぬ事事ことををを。。。
- 26思思おもひかけぬにひかけぬにいかけぬに此院此院このいんはははむかせむかせむかせ給給たまへりしへりしえりし。。。あやしとあやしとあやしとははは見見み奉奉たてまつりしりしりし物物ものをををとぞとぞとぞ入道殿入道殿にゅうどうどのおほせられけるおほせられけるおおせられける。。。
現代語訳
六十六代 一条院
次の帝を一条院天皇と申し上げた。御諱は懐仁。これは円融院の帝の第一の皇子である。御母は皇太后宮詮子と申し上げた。この方は太政大臣兼家公の第二の娘である。この帝は天元三年庚辰六月一日、兼家公の東三条の邸でお生まれになる。東宮にお立ちになったのは永観二年甲申八月二十八日である。御年五歳。寛和二年丙戌六月二十三日に位にお即きになる。御年七歳。永祚二年庚寅正月五日にご元服。御年十一。世をお治めになること二十五年。御母は十九歳でこの帝をお産み申し上げなさる。東三条の女院とこの方を申し上げる。この御母(詮子)の御母は、摂津守藤原中正の娘である。
六十七代 三条院
次の帝を三条院の帝と申し上げた。御諱は居貞。これは冷泉院の第二の皇子である。御母は贈皇后宮超子と申し上げた。太政大臣兼家公の第一の御娘である。この帝は貞元元年丙子正月三日にお生まれになる。寛和二年丙戌七月十六日に東宮にお立ちになる。同じ日にご元服である。御年十一。寛弘八年辛亥六月十三日に位にお即きになる。御年三十六。世をお治めになること五年。院におなりになって、お目がご覧になれなかったのは、たいへんお気の毒なことでした。ほかの人がお見上げするには、少しもお変わりになったところがおありでなかったので、うそのようでいらっしゃいました。御瞳などもたいそう澄んでいらっしゃるばかりで。どういうときにか、ときどきはご覧になれるときもあったのでした。「御簾の編み目が見える」などともおっしゃって。一品宮(禎子内親王)が参上なさったときに、弁の乳母がお供に控えていたが、挿し櫛を左に挿していたので、「あこよ、どうして櫛を悪く挿しているのか」とおっしゃったということです。
この宮を格別にかわいがり申し上げなさって、御髪がたいそうかわいらしくていらっしゃるのを手でさぐって確かめなさっては、「こんなにかわいらしくいらっしゃる御髪を見申し上げられないのが、情けなく残念だ」と言って、ほろほろとお泣きになったのは、しみじみと胸を打たれることでございます。(宮が)お渡りになるたびに、しかるべき物を必ず差し上げなさる。三条院の券(荘園の証文)を持ってお帰りになったのを、入道殿(道長)がご覧になって、「賢くいらっしゃる宮だな。幼いお心で、古い反故紙とお思いになって捨てたりなさらずに、持っていらっしゃったことよ」と面白がって申しなさったので、「とんでもないことを申しなさるものですね」と、御乳母たちは笑い申しなさった。冷泉院にも(この券を)差し上げなさったけれど、「昔から帝の御領地としてばかりございました所を、今さら私の物になりますのは不都合なことです。朝廷の物としておくべきです」と言ってお返し申し上げなさったので、代々伝わる物で、朱雀院(の領地)と同じことでございましょうよ。
このお目のためにも、いろいろと治療をなさったけれど、その効き目があるとも思われない、たいへんお気の毒なことで、もともと御風病が重くていらっしゃったところに、医師たちが「大寒・小寒のころの水を御頭におかけなさいませ」と申したので、氷の張った水を大量におかけになったところ、ひどく震えわななかれて、お顔の色も変わってしまわれたのを、人々は気の毒に悲しく見申し上げたと承りました。ご病気のために金液丹という薬をお飲みになったのを、「その薬を飲んだ人は、このように目を病むのです」などと人は申したけれど、本当は、桓算供奉が物の怪として現れて申したことには、「(帝の)御首に乗っていて、左右の羽で(目を)覆い申し上げているが、羽ばたいて動かすときに、少しご覧になれるのだ」と言ったということです。退位なさったのも、多くは比叡山の根本中堂にお上りになろうとしてのことであった。お上りになったけれども、まったくその効き目がおありにならなかったのは残念なことでした。すぐに全快なさらないまでも、少しくらいの効果はあってよかったはずのことですよ。それで、いよいよ山の天狗がしたことだと、さまざまに噂されているようです。太秦にもおこもりになった。それで仏の前から東の廂に組入れ天井を作られたのです。
御烏帽子をおつけになったお姿は、大入道殿(兼家)にたいそうよく似ていらっしゃいました。お心までたいへん親しみやすくおおらかでいらっしゃって、世の人は(亡くなった今も)ひどく恋しがり申し上げているようです。斎宮が(伊勢へ)お下りになる別れの御櫛をお挿しになったあとは、互いに振り返りなさらないことになっているのに、思いがけずこの院は振り向きなさった。「妙なことだと拝見していたのに」と、入道殿がおっしゃったのでした。
意訳
一条天皇については、生まれと即位、在位年数を記すだけで、ほとんど逸話がない。一条朝は道長が権力を確立し、紫式部・清少納言らの女房文学が花開いた時代だが、世継はそれを語らない。母の詮子(東三条院)が道長の姉で、道長の出世の後ろ盾になったことは、道長の章で語られる。
これに対して三条天皇については、目の病を中心に、こまやかな逸話が重ねられる。人には普通に見える目が見えず、ときどき見えるときには、娘の乳母の櫛の挿し方をとがめる。かわいい娘の髪を手でさぐって、見ることができないと泣く。寒中の水をかぶる荒療治。比叡山の天狗、桓算供奉の霊が首に乗って羽で目をふさいでいるという噂。病に苦しむ帝の姿が、痛ましくも温かく描かれている。
三条天皇は、道長の娘妍子を中宮としたが、皇子は生まれず、道長からしきりに退位を迫られた。世継は退位の理由を「比叡山の中堂にのぼるため」とだけ言うが、背後にある道長との確執は、のちの小一条院の話でくわしく語られる。最後の「斎宮との別れの儀式で振り返ってしまった」という道長のことばには、三条天皇の不運を予感させるものがある。
語釈・文法注
- 一條院
- 第六十六代の天皇(980〜1011)。在位986〜1011。
- 詮子
- 藤原詮子(962〜1001)。兼家の娘で、円融天皇の女御。一条天皇の母。のち出家して東三条院と号し、最初の女院となった。
- 仲正
- 藤原中正。摂津守。娘の時姫が兼家の妻となり、道隆・道兼・道長・超子・詮子を産んだ。
- 三條院
- 第六十七代の天皇(976〜1017)。在位1011〜1016。
- 超子
- 藤原超子(?〜982)。兼家の長女で、冷泉天皇の女御。三条天皇の母。
- 一品宮
- 禎子内親王(1013〜1094)。三条天皇の皇女で、母は道長の娘妍子。のち後朱雀天皇の皇后となり、後三条天皇を産んだ(陽明門院)。
- あこ
- 吾子。親しい者への呼びかけ。
- 御劵
- 券。土地の所有を示す証文。ここでは三条院(三条天皇の御所)の券。
- ふるほぐ
- 古反故。使い古して不要になった紙。
- 御風
- 風病。神経の病や頭痛などを広く言った。
- 大小寒の水
- 小寒・大寒(寒の内)の冷たい水。
- 金液丹
- 中国伝来の仙薬。水銀などを含み、副作用があった。
- 桓算供奉
- 比叡山の僧。死後、物の怪となって三条天皇にとりついたとされる。
- 中堂
- 比叡山延暦寺の根本中堂。
- 天狗
- 山中に住むとされた妖怪。仏法を妨げるものと考えられた。
- うづまさ
- 太秦の広隆寺。
- くみいれ
- 組入天井。格子状に組んだ天井。
- 大入道殿
- 大入道殿。藤原兼家。
- 齋宮
- 伊勢神宮に仕える未婚の皇女。ここでは三条天皇の皇女当子内親王。
- わかれの御ぐし
- 別れの御櫛。斎宮が伊勢に下るとき、天皇が斎宮の額髪に櫛を挿す儀式。このあと互いに振り返ってはならないとされた。
文法
- 御らんぜざりしこそいといみじかりし
- 「しこそ〜かりし」。「こそ」の結びは「いみじかりし」(本来は已然形「しか」だが、連体形で結ぶ)。
- えみ奉らぬこそ心うけれ
- 「え〜ぬ」は不可能。見申し上げることができないのが情けない。
- まさなくも申させ給ふものかな
- 「まさなし」はよくない、とんでもない。
- あるべかりし事よ
- 「べかり」は当然。あってしかるべきだったことよ。
- 見奉りし物を
- 「物を」は逆接・詠嘆の接続助詞。見申し上げていたのに。
解説
三条天皇(976〜1017)は、一条天皇より年長の東宮として長く待ったのち、三十六歳で即位した。道長とは叔父・甥の関係だが、道長の外孫の敦成親王(後一条天皇)の即位を急ぐ道長と対立し、眼病を理由に退位を迫られた。長和五年(1016)に譲位し、翌年亡くなった。
三条天皇が退位を前に詠んだ「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」(百人一首六十八番)は、この時期の苦悩を伝える歌として知られる。
金液丹は、丹薬(水銀・硫黄などの鉱物を練った仙薬)の一種で、当時の貴族の間で用いられた。その毒性が眼病の原因だという噂を、世継は「人は申しかど」と紹介しつつ、物の怪説を「まことには」として語っている。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、478〜480頁(コマ255–256)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日