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大鏡 第9章

一条院・三条院

一条天皇は円融天皇の第一皇子で、母は兼家の娘詮子(東三条院)。七歳で即位し、二十五年世を治めた。三条天皇は冷泉天皇の第二皇子で、母は兼家の娘超子。三十六歳で即位したが、目の病に苦しみ、在位五年で退位した。娘の禎子内親王をかわいがった話、治療のかいもなく、物の怪の仕業とも言われた病のこと、比叡山にのぼったことなどが語られる。

  1. 1六十六代ろくじふろくだい六十六代ろくじふろくだいろくじゅうろくだい   
  2. 2つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど一條院天皇いちでうゐんてんわう一條院天皇いちでうゐんてんわういちじょういんてんのうととと申まう申まうもうききき。。。御おん御おんおんいみなやすいみなやすいみなやす人ひと人ひとひと。。。これこれこれ圓融院ゑんゆうゐん圓融院ゑんゆうゐんえんゆういんののの御門みかど御門みかどみかど第一だいいち第一だいいちだいいちののの王子わうじ王子わうじおうじ也なり也なりなり。。。御母みはは御母みははみわわ皇太后宮くわうたいこうぐう皇太后宮くわうたいこうぐうこうたいごうぐうととと申まう申まうもうききき。。。是これ是これこれ太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん兼家かねいへ兼家かねいへかねいえのおとゞののおとゞののおとどの第二だいに第二だいにだいにののの女をんな女をんなおんななりなりなり。。。
  3. 3このみかどこのみかどこのみかど天元てんげん天元てんげんてんげん三年さんねん三年さんねんさんねん庚辰かのえたつ庚辰かのえたつかのえたつ六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ一日ついたち一日ついたちついたち兼家かねいへ兼家かねいへかねいえのおとゞののおとゞののおとどの東三條ひがしさんでう東三條ひがしさんでうひがしさんじょうののの家いへ家いへいえにてにてにて生うま生うまうまれさせれさせれさせ給たま給たまたまふふう。。。東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと永觀えいくわん永觀えいくわんえいかん二年にねん二年にねんにねん甲申きのえさる甲申きのえさるきのえさる八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにち也なり也なりなり。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし五歲ごさい五歲ごさいごさい。。。
  4. 4寬和くわんな寬和くわんなかんな二年にねん二年にねんにねん丙戌ひのえいぬ丙戌ひのえいぬひのえいぬ六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ廿三日にじふさんにち廿三日にじふさんにちにじゅうさんにち位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまふふう。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし七歲しちさい七歲しちさいしちさい。。。永祚えいそ永祚えいそえいそ二年にねん二年にねんにねん庚寅かのえとら庚寅かのえとらかのえとら正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ五日いつか五日いつかいつか御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷく。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十一じふいち十一じふいちじゅういち。。。よよよをををたもたせたもたせたもたせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと廿五年にじふごねん廿五年にじふごねんにじゅうごねん。。。御母みはは御母みははみわわははは十九じふく十九じふくじゅうくにてこのみかどにてこのみかどにてこのみかどをををうみうみうみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう。。。
  5. 5東三條ひがしさんでう東三條ひがしさんでうひがしさんじょうののの女院にようゐん女院にようゐんにょういんととと是これ是これこれををを申まう申まうもうすすす。。。このこのこの御母みはは御母みははみわわはははつのかみつのかみつのかみ藤原ふぢはら藤原ふぢはらふじわらのむすめのむすめのむすめ也なり也なりなり。。。
  6. 6六十七代ろくじふしちだい六十七代ろくじふしちだいろくじゅうしちだい   
  7. 7つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど三條院さんでうゐん三條院さんでうゐんさんじょういんのみかどゝのみかどゝのみかどと申まう申まうもうききき。。。御おん御おんおんいみないさだいみないさだいみないさだ。。。これこれこれ冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいん第二だいに第二だいにだいにののの王子わうじ王子わうじおうじなりなりなり。。。御母みはは御母みははみわわ贈皇后宮ぞうくわうごうぐう贈皇后宮ぞうくわうごうぐうぞうこうごうぐうととと申まう申まうもうききき。。。太政大臣だいじやうだいじん太政大臣だいじやうだいじんだいじょうだいじん兼家かねいへ兼家かねいへかねいえのおとゞののおとゞののおとどの第一だいいち第一だいいちだいいちののの御女おほんむすめ御女おほんむすめおおんむすめなりなりなり。。。
  8. 8このみかどこのみかどこのみかどははは貞元ぢやうげん貞元ぢやうげんじょうげん元年ぐわんねん元年ぐわんねんがんねん丙子ひのえね丙子ひのえねひのえね正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ三日みつか三日みつかみつか生うま生うまうまれさせれさせれさせ給たま給たまたまふふう。。。寬和くわんな寬和くわんなかんな二年にねん二年にねんにねん丙戌ひのえいぬ丙戌ひのえいぬひのえいぬ七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ十六日じふろくにち十六日じふろくにちじゅうろくにち東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせたまふにたゝせたまふにたたせたまう。。。おなじおなじおなじ日ひ日ひひ御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷくなりなりなり。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十一じふいち十一じふいちじゅういち。。。寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう八年はちねん八年はちねんはちねん辛亥かのとゐ辛亥かのとゐかのとい六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ十三日じふさんにち十三日じふさんにちじゅうさんにち位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまふふう。。。
  9. 9御おほん御おほんおおんとしとしとし卅六さんじふろく卅六さんじふろくさんじゅうろく。。。よよよをををたもたせたもたせたもたせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと五年ごねん五年ごねんごねん。。。院ゐん院ゐんいんにならせにならせにならせ給たま給たまたまててて御目みめ御目みめみめををを御ご御ごごらんぜざりしこそいといみじかりしらんぜざりしこそいといみじかりしらんぜざりしこそいといみじかりし。。。ことことこと人ひと人ひとひとのみたてまつるにのみたてまつるにのみたてまつるにははは。。。いさゝかかはらせいさゝかかはらせいささかかわらせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことおはしまさゞりければおはしまさゞりければおわしまさざりければ。。。
  10. 10そらそらそら事こと事ことことのやうにぞおはしけるのやうにぞおはしけるのようにぞおわしける。。。御おん御おんおんまなこなどもいときよらにおはしますばかりまなこなどもいときよらにおはしますばかりまなこなどもいときよらにおわしますばかり。。。いかなるおりにかいかなるおりにかいかなるおりにかとき〴〵とき〴〵ときどきははは御ご御ごごらんずるらんずるらんずる時とき時ときときもありけりもありけりもありけり。。。
  11. 11みすのあみみすのあみみすのあみをををのみゆるなどもおほせられてのみゆるなどもおほせられてのみゆるなどもおおせられて。。。ののぼらせののぼらせののぼらせ給たま給たまたまへりけるにへりけるにえりけるに。。。弁べん弁べんべんのめのとののめのとののめのとの御供おほんとも御供おほんともおおんともににに候さふらふ候さふらふそうろうががが。。。さしぐしさしぐしさしぐしををを左ひだり左ひだりひだりにさゝれたりければにさゝれたりければにさされたりければ。。。
  12. 12はははあしくさしたるぞとこそおほせられけれあしくさしたるぞとこそおほせられけれあしくさしたるぞとこそおおせられけれ。。。此この此このこの宮みや宮みやみやをををことのことのことのほかにかなしうしたてまつらせほかにかなしうしたてまつらせほかにかなしゅうしたてまつらせ給たま給たまたまててて。。。御おん御おんおんぐしのいとおかしげにおはしますぐしのいとおかしげにおはしますぐしのいとおかしげにおわしますをををさぐりさぐりさぐり申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまてててははは。。。
  13. 13かくうつくしうおはするかくうつくしうおはするかくうつくしゅうおわする御おん御おんおんぐしぐしぐしをををえみえみえみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらぬこそらぬこそらぬこそ心こころ心こころこころうけれくちおしけれとてうけれくちおしけれとてうけれくちおしけれとて。。。ほろ〳〵ほろ〳〵ほろほろとなかせとなかせとなかせ給たま給たまたまけるこそあはれにけるこそあはれにけるこそあわれに侍はべ侍はべはべれれれ。。。わたらせわたらせわたらせ給たま給たまたまふたびごとにふたびごとにうたびごとにはははさるべきさるべきさるべき物もの物ものものをををかならずかならずかならず奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまふふう。。。
  14. 14三條院さんでうゐん三條院さんでうゐんさんじょういんのののをををぐしてかへりわたらせぐしてかへりわたらせぐしてかえりわたらせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるををを。。。入道殿にふだうどの入道殿にふだうどのにゅうどうどの御ご御ごごらんじてかしこくおはしけるらんじてかしこくおはしけるらんじてかしこくおわしける宮みや宮みやみやかなかなかな。。。おさなきおさなきおさなき御心みこころ御心みこころみこころにににとおぼしてとおぼしてとおぼして打う打ううすてさせすてさせすてさせ給たま給たまたまはははででで。。。
  15. 15もてもてもて渡わた渡わたわたらせらせらせ給たま給たまたまへるよとへるよとえるよと興きよう興きようきょうじじじ申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまければければければ。。。まさなくもまさなくもまさなくも申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまふものかなとふものかなとうものかなと。。。御おん御おんおんめのとだちわらひめのとだちわらひめのとだちわらい申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまけるけるける。。。冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいんももも奉たてまつ奉たてまつたてまつらせらせらせ給たま給たまたまけれどけれどけれど。。。
  16. 16むかしよりみかどのむかしよりみかどのむかしよりみかどの御領ごりやう御領ごりやうごりょうにてのみさぶらふところにてのみさぶらふところにてのみさぶらうところををを。。。今更いまさら今更いまさらいまさらにわたくしのにわたくしのにわたくしの物もの物ものものになりになりになり侍はべ侍はべはべらんらんらんははは便びん便びんびんなきなきなき事こと事ことことなりなりなり。。。おほやけものにておほやけものにておおやけものにて候さふらふ候さふらふそうろうべきなりとてかへしべきなりとてかへしべきなりとてかえし申まう申まうもうさせさせさせ給たま給たまたまければければければ。。。
  17. 17代々よよ代々よよよよのわたりのわたりのわたり物もの物ものものにてにてにて。。。朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんのおなじのおなじのおなじ事こと事ことことににに侍はべ侍はべはべるべきにこそるべきにこそるべきにこそ。。。
  18. 18このこのこの御おん御おんおんめのためにもめのためにもめのためにも。。。よろづにつくろひおはしましけれどよろづにつくろひおはしましけれどよろずにつくろいおわしましけれど。。。そのしるしあるともなきいといみじきそのしるしあるともなきいといみじきそのしるしあるともなきいといみじき事こと事ことことにてにてにて。。。もとよりもとよりもとよりをもをもをもくおはしますにくおはしますにくおわしますに。。。
  19. 19くすしどものくすしどものくすしどものののの水みづ水みづみずををを御おん御おんおんぐしにいさせぐしにいさせぐしにいさせ給たま給たまたまへとへとえと申まう申まうもうければければければ。。。こほりこほりこおりふたがりふたがりふたがりたるたるたる水みづ水みづみずをををおほくかけさせおほくかけさせおおくかけさせ給たま給たまたまけるにけるにけるに。。。いといみじくいといみじくいといみじくふるひふるひふるいわなゝかせわなゝかせわななかせ給たま給たまたまひてひていて。。。
  20. 20御おん御おんおんいろもたがひおはしいろもたがひおはしいろもたがいおわし給たま給たまたまひたりけるなんひたりけるなんいたりけるなん。。。いとあはれにかなしくいとあはれにかなしくいとあわれにかなしく人々ひとびと人々ひとびとひとびと見み見みみまいらせまいらせまいらせ給たま給たまたまけるとぞけるとぞけるとぞうけうけうけ給たま給たまたまはははりしりしりし。。。御おん御おんおんやまひによりやまひによりやまいによりといふといふという藥くすり藥くすりくすりをををめしたりけるめしたりけるめしたりけるををを。。。
  21. 21そのそのその藥くすり藥くすりくすりくひたるくひたるくいたる人ひと人ひとひとはははかくかくかく目め目めめをををなんやむなどなんやむなどなんやむなど人ひと人ひとひとははは申まう申まうもうしかどしかどしかど。。。まことにまことにまことにはははののの御おん御おんおんものゝけにあらはれてものゝけにあらはれてもののけにあらわれて申まう申まうもうけるけるけるははは。。。御おん御おんおんくびにのりゐてくびにのりゐてくびにのりいて左右さいう左右さいうさゆうのののはははねねねをををうちおほひうちおほひうちおおい申まう申まうもうたるにたるにたるに。。。
  22. 22うちうちうちはぶきはぶきはぶきうごかすおりにすこしうごかすおりにすこしうごかすおりにすこし御ご御ごごらんずるなりとこそいひらんずるなりとこそいひらんずるなりとこそいい侍はべ侍はべはべりけれりけれりけれ。。。御位みくらゐ御位みくらゐみくらいさらせさらせさらせ給たま給たまたまししし事こと事ことこともおほくもおほくもおおくはははにのぼらせにのぼらせにのぼらせ給たま給たまたまはんとなりはんとなりわんとなり。。。のぼらせのぼらせのぼらせ給たま給たまたまてさらにそのてさらにそのてさらにその驗げん驗げんげんおはしまさゞりしこそくちおしかりしかおはしまさゞりしこそくちおしかりしかおわしまさざりしこそくちおしかりしか。。。
  23. 23やがておこたらせおはしまさずともすこしのしるしやがておこたらせおはしまさずともすこしのしるしやがておこたらせおわしまさずともすこしのしるしはははあるべかりしあるべかりしあるべかりし事こと事ことことよよよ。。。さればいとゞやまのさればいとゞやまのさればいとどやまののののしたてまつるとこそしたてまつるとこそしたてまつるとこそさま〴〵さま〴〵さまざまにきこえにきこえにきこえはべるめれはべるめれはべるめれ。。。
  24. 24給たま給たまたまへりきへりきえりき。。。さてさてさて佛ほとけ佛ほとけほとけののの前まへ前まへまえよりよりよりひんがしのひんがしのひんがしの。。。御おん御おんおんえぼうしせさせえぼうしせさせえぼうしせさせ給たま給たまたまへりけるへりけるえりけるははは。。。にこそいとよくにたてまつりにこそいとよくにたてまつりにこそいとよくにたてまつり給たま給たまたまへりけれへりけれえりけれ。。。
  25. 25御心みこころ御心みこころみこころさへいとなつかしうおひらかにおはしましてさへいとなつかしうおひらかにおはしましてさえいとなつかしゅうおいらかにおわしまして。。。よのよのよの人ひと人ひとひといみじうこひいみじうこひいみじゅうこい申まう申まうもうめりめりめり。。。のくだらせのくだらせのくだらせ給たま給たまたま御おん御おんおんぐしさゝせぐしさゝせぐしささせ給たま給たまたまてててははは。。。かたみにかたみにかたみに見み見みみかへらせかへらせかえらせ給たま給たまたまはぬはぬわぬ事こと事ことことををを。。。
  26. 26思おも思おもおもひかけぬにひかけぬにいかけぬに此院このゐん此院このゐんこのいんはははむかせむかせむかせ給たま給たまたまへりしへりしえりし。。。あやしとあやしとあやしとははは見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりしりしりし物もの物ものものをををとぞとぞとぞ入道殿にふだうどの入道殿にふだうどのにゅうどうどのおほせられけるおほせられけるおおせられける。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

六十六代 一条院

次の帝を一条院天皇と申し上げた。御諱は懐仁。これは円融院の帝の第一の皇子である。御母は皇太后宮詮子と申し上げた。この方は太政大臣兼家公の第二の娘である。この帝は天元三年庚辰六月一日、兼家公の東三条の邸でお生まれになる。東宮にお立ちになったのは永観二年甲申八月二十八日である。御年五歳。寛和二年丙戌六月二十三日に位にお即きになる。御年七歳。永祚二年庚寅正月五日にご元服。御年十一。世をお治めになること二十五年。御母は十九歳でこの帝をお産み申し上げなさる。東三条の女院とこの方を申し上げる。この御母(詮子)の御母は、摂津守藤原中正の娘である。

六十七代 三条院

次の帝を三条院の帝と申し上げた。御諱は居貞。これは冷泉院の第二の皇子である。御母は贈皇后宮超子と申し上げた。太政大臣兼家公の第一の御娘である。この帝は貞元元年丙子正月三日にお生まれになる。寛和二年丙戌七月十六日に東宮にお立ちになる。同じ日にご元服である。御年十一。寛弘八年辛亥六月十三日に位にお即きになる。御年三十六。世をお治めになること五年。院におなりになって、お目がご覧になれなかったのは、たいへんお気の毒なことでした。ほかの人がお見上げするには、少しもお変わりになったところがおありでなかったので、うそのようでいらっしゃいました。御瞳などもたいそう澄んでいらっしゃるばかりで。どういうときにか、ときどきはご覧になれるときもあったのでした。「御簾の編み目が見える」などともおっしゃって。一品宮(禎子内親王)が参上なさったときに、弁の乳母がお供に控えていたが、挿し櫛を左に挿していたので、「あこよ、どうして櫛を悪く挿しているのか」とおっしゃったということです。

この宮を格別にかわいがり申し上げなさって、御髪がたいそうかわいらしくていらっしゃるのを手でさぐって確かめなさっては、「こんなにかわいらしくいらっしゃる御髪を見申し上げられないのが、情けなく残念だ」と言って、ほろほろとお泣きになったのは、しみじみと胸を打たれることでございます。(宮が)お渡りになるたびに、しかるべき物を必ず差し上げなさる。三条院の券(荘園の証文)を持ってお帰りになったのを、入道殿(道長)がご覧になって、「賢くいらっしゃる宮だな。幼いお心で、古い反故紙とお思いになって捨てたりなさらずに、持っていらっしゃったことよ」と面白がって申しなさったので、「とんでもないことを申しなさるものですね」と、御乳母たちは笑い申しなさった。冷泉院にも(この券を)差し上げなさったけれど、「昔から帝の御領地としてばかりございました所を、今さら私の物になりますのは不都合なことです。朝廷の物としておくべきです」と言ってお返し申し上げなさったので、代々伝わる物で、朱雀院(の領地)と同じことでございましょうよ。

このお目のためにも、いろいろと治療をなさったけれど、その効き目があるとも思われない、たいへんお気の毒なことで、もともと御風病が重くていらっしゃったところに、医師たちが「大寒・小寒のころの水を御頭におかけなさいませ」と申したので、氷の張った水を大量におかけになったところ、ひどく震えわななかれて、お顔の色も変わってしまわれたのを、人々は気の毒に悲しく見申し上げたと承りました。ご病気のために金液丹という薬をお飲みになったのを、「その薬を飲んだ人は、このように目を病むのです」などと人は申したけれど、本当は、桓算供奉が物の怪として現れて申したことには、「(帝の)御首に乗っていて、左右の羽で(目を)覆い申し上げているが、羽ばたいて動かすときに、少しご覧になれるのだ」と言ったということです。退位なさったのも、多くは比叡山の根本中堂にお上りになろうとしてのことであった。お上りになったけれども、まったくその効き目がおありにならなかったのは残念なことでした。すぐに全快なさらないまでも、少しくらいの効果はあってよかったはずのことですよ。それで、いよいよ山の天狗がしたことだと、さまざまに噂されているようです。太秦にもおこもりになった。それで仏の前から東の廂に組入れ天井を作られたのです。

御烏帽子をおつけになったお姿は、大入道殿(兼家)にたいそうよく似ていらっしゃいました。お心までたいへん親しみやすくおおらかでいらっしゃって、世の人は(亡くなった今も)ひどく恋しがり申し上げているようです。斎宮が(伊勢へ)お下りになる別れの御櫛をお挿しになったあとは、互いに振り返りなさらないことになっているのに、思いがけずこの院は振り向きなさった。「妙なことだと拝見していたのに」と、入道殿がおっしゃったのでした。

意訳

一条天皇については、生まれと即位、在位年数を記すだけで、ほとんど逸話がない。一条朝は道長が権力を確立し、紫式部・清少納言らの女房文学が花開いた時代だが、世継はそれを語らない。母の詮子(東三条院)が道長の姉で、道長の出世の後ろ盾になったことは、道長の章で語られる。

これに対して三条天皇については、目の病を中心に、こまやかな逸話が重ねられる。人には普通に見える目が見えず、ときどき見えるときには、娘の乳母の櫛の挿し方をとがめる。かわいい娘の髪を手でさぐって、見ることができないと泣く。寒中の水をかぶる荒療治。比叡山の天狗、桓算供奉の霊が首に乗って羽で目をふさいでいるという噂。病に苦しむ帝の姿が、痛ましくも温かく描かれている。

三条天皇は、道長の娘妍子を中宮としたが、皇子は生まれず、道長からしきりに退位を迫られた。世継は退位の理由を「比叡山の中堂にのぼるため」とだけ言うが、背後にある道長との確執は、のちの小一条院の話でくわしく語られる。最後の「斎宮との別れの儀式で振り返ってしまった」という道長のことばには、三条天皇の不運を予感させるものがある。

語釈・文法注

一條院
第六十六代の天皇(980〜1011)。在位986〜1011。
詮子
藤原詮子(962〜1001)。兼家の娘で、円融天皇の女御。一条天皇の母。のち出家して東三条院と号し、最初の女院となった。
仲正
藤原中正。摂津守。娘の時姫が兼家の妻となり、道隆・道兼・道長・超子・詮子を産んだ。
三條院
第六十七代の天皇(976〜1017)。在位1011〜1016。
超子
藤原超子(?〜982)。兼家の長女で、冷泉天皇の女御。三条天皇の母。
一品宮
禎子内親王(1013〜1094)。三条天皇の皇女で、母は道長の娘妍子。のち後朱雀天皇の皇后となり、後三条天皇を産んだ(陽明門院)。
あこ
吾子。親しい者への呼びかけ。
御劵
券。土地の所有を示す証文。ここでは三条院(三条天皇の御所)の券。
ふるほぐ
古反故。使い古して不要になった紙。
御風
風病。神経の病や頭痛などを広く言った。
大小寒の水
小寒・大寒(寒の内)の冷たい水。
金液丹
中国伝来の仙薬。水銀などを含み、副作用があった。
桓算供奉
比叡山の僧。死後、物の怪となって三条天皇にとりついたとされる。
中堂
比叡山延暦寺の根本中堂。
天狗
山中に住むとされた妖怪。仏法を妨げるものと考えられた。
うづまさ
太秦の広隆寺。
くみいれ
組入天井。格子状に組んだ天井。
大入道殿
大入道殿。藤原兼家。
齋宮
伊勢神宮に仕える未婚の皇女。ここでは三条天皇の皇女当子内親王。
わかれの御ぐし
別れの御櫛。斎宮が伊勢に下るとき、天皇が斎宮の額髪に櫛を挿す儀式。このあと互いに振り返ってはならないとされた。

文法

御らんぜざりしこそいといみじかりし
「しこそ〜かりし」。「こそ」の結びは「いみじかりし」(本来は已然形「しか」だが、連体形で結ぶ)。
えみ奉らぬこそ心うけれ
「え〜ぬ」は不可能。見申し上げることができないのが情けない。
まさなくも申させ給ふものかな
「まさなし」はよくない、とんでもない。
あるべかりし事よ
「べかり」は当然。あってしかるべきだったことよ。
見奉りし物を
「物を」は逆接・詠嘆の接続助詞。見申し上げていたのに。

解説

三条天皇(976〜1017)は、一条天皇より年長の東宮として長く待ったのち、三十六歳で即位した。道長とは叔父・甥の関係だが、道長の外孫の敦成親王(後一条天皇)の即位を急ぐ道長と対立し、眼病を理由に退位を迫られた。長和五年(1016)に譲位し、翌年亡くなった。

三条天皇が退位を前に詠んだ「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」(百人一首六十八番)は、この時期の苦悩を伝える歌として知られる。

金液丹は、丹薬(水銀・硫黄などの鉱物を練った仙薬)の一種で、当時の貴族の間で用いられた。その毒性が眼病の原因だという噂を、世継は「人は申しかど」と紹介しつつ、物の怪説を「まことには」として語っている。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、478〜480頁(コマ255–256)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日