大鏡 第8章
花山院の出家
花山天皇は冷泉天皇の第一皇子で、十七歳で即位したが、在位二年、十九歳のとき、夜ひそかに内裏を出て花山寺で出家した。有明の月の明るさにためらう帝を、藤原道兼が「神璽・宝剣はもう東宮に渡った」とせきたて、自分も出家すると言いながら、帝の剃髪を見届けると「父に一目会ってくる」と逃げ帰った。だまされたと知った帝は泣いたという。
- 1六十五代六十五代ろくじゅうごだい
- 2つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど花山院天皇花山院天皇かざんいんてんのうととと申申もうききき。。。御御おんいみなもろさだいみなもろさだいみなもろさだ。。。冷泉院冷泉院れいぜいいん第一第一だいいち王子王子おうじなりなりなり。。。御母御母みわわ贈皇后宮贈皇后宮ぞうこうごうぐうととと申申もうすすす。。。太政大臣太政大臣だいじょうだいじんのおとゞののおとゞののおとどの第一第一だいいちののの女女おんななりなりなり。。。
- 3このみかどこのみかどこのみかど安和安和あんな元年元年がんねんつちのえたつつちのえたつつちのえたつ十月十月じゅうがつ廿六日廿六日にじゅうろくにち。。。母母ははかたのかたのかたの御御おんおほぢおほぢおおじ一條一條いちじょうののの御御おん家家いえにてむまれさせにてむまれさせにてむまれさせ給給たまふとあるふとあるうとあるはははのことにやのことにやのことにや。。。其日其日そのひははは冷泉院冷泉院れいぜいいんののの御時御時おおんときののの大嘗會大嘗會だいじょうえののの御御おん。。。
- 4同同おなじ二年二年にねん己巳己巳つちのとみ八月八月はちがつ十三日十三日じゅうさんにち東宮東宮とうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給給たま。。。御歲御歲おおんとし二歲二歲にさい。。。天元天元てんげん五年五年ごねん壬午壬午みずのえうま二月二月にがつ十九日十九日じゅうくにち御元服御元服ごげんぷくせさせせさせせさせ給給たま。。。御歲御歲おおんとし十五十五じゅうご。。。永觀永觀えいかん二年二年にねん甲申甲申きのえさる八月八月はちがつ廿八日廿八日にじゅうはちにち位位くらいにつかせにつかせにつかせ給給たま。。。
- 5御歲御歲おおんとし十七十七じゅうしち。。。寬和寬和かんな二年二年にねん丙戌丙戌ひのえいぬ六月六月ろくがつ廿二日廿二日にじゅうににちののの夜夜よあさましくあさましくあさましく候候そうらししし事事ことははは。。。人人ひとにもしられさせにもしられさせにもしられさせ給給たまはははでみそかにでみそかにでみそかににおはしましてにおはしましてにおわしまして。。。御出家御出家ごしゅっけ入道入道にゅうどうせさせせさせせさせ給給たまへりしとぞへりしとぞえりしとぞ。。。
- 6御年御年おおんとし十九十九じゅうく。。。よよよをををたもたせたもたせたもたせ給事給事たまうこと二年二年にねん。。。其後其後そののち廿二年廿二年にじゅうにねんはははおはしましきおはしましきおわしましき。。。
- 7あはれなるあはれなるあわれなる事事ことはははおりおはしましけるよおりおはしましけるよおりおわしましけるよははは。。。うへのうへのうえの御御おんつぼねのつぼねのつぼねのよりいでさせよりいでさせよりいでさせ給給たまけるにけるにけるに。。。有明有明ありあけののの月月つきのいみじうあかゝりければのいみじうあかゝりければのいみじゅうあかかりければ。。。
- 8にこそありけれにこそありけれにこそありけれ。。。いかゞあるべからむとおほせられけるいかゞあるべからむとおほせられけるいかがあるべからむとおおせられけるををを。。。さりとてとまらせさりとてとまらせさりとてとまらせ給給たまべきべきべきやうやうよう侍侍はべらずらずらず。。。わたりわたりわたり給給たまぬるにぬるにぬるにはははととと。。。
- 9はははだのおとゞさだのおとゞさだのおとどさはははがしがしがし申給申給もうしたまけるとけるとけるとははは。。。まだまだまだ御門御門みかど出出いださせさせさせ給給たまけざりけるさきにけざりけるさきにけざりけるさきに。。。しんじほうけんしんじほうけんしんじおうけん手手てづからとりてづからとりてずからとりて東宮東宮とうぐうののの御方御方かたににに渡渡わたししし奉奉たてまつりりり給給たまてければてければてければ。。。
- 10かへりいらせかへりいらせかえりいらせ給給たまはんはんわん事事ことはははあるまじくおぼしてしかあるまじくおぼしてしかあるまじくおぼしてしか申申もうさせさせさせ給給たまけるとぞけるとぞけるとぞ。。。さやけきかげさやけきかげさやけきかげをををまばゆくおぼしめしつるまばゆくおぼしめしつるまばゆくおぼしめしつる程程ほどににに。。。月月つきのかほにむらのかほにむらのかおにむら雲雲くものかゝりてすこしくらがりゆきければのかゝりてすこしくらがりゆきければのかかりてすこしくらがりゆきければ。。。
- 11わがわがわが出家出家しゅっけははは成就成就じょうじゅするなりけりとおほせられてあゆみいでさせするなりけりとおほせられてあゆみいでさせするなりけりとおおせられてあゆみいでさせ給程給程たまうほどににに。。。殿殿どのののの女御女御にょうごののの御御おんふみのふみのふみの日日ひごろやりのこしてごろやりのこしてごろやりのこして御身御身みみもももはははなたずなたずなたず御御ごらんじけるらんじけるらんじけるをををおぼしめしいでゝおぼしめしいでゝおぼしめしいでて。。。
- 12しばしとてとりにいらせしばしとてとりにいらせしばしとてとりにいらせ給給たまけるけるける程程ほどぞかしぞかしぞかし。。。あああはははだだだ殿殿どのいかにかくいかにかくいかにかくはははおぼしめしなりぬるぞおぼしめしなりぬるぞおぼしめしなりぬるぞ。。。たゞたゞただ今今いますぎなばすぎなばすぎなばをのづからをのづからおのずから給給たまひけるひけるいけるははは。。。
- 13さてさてさてみかどよりみかどよりみかどよりひんがしざまにおはしますにひんがしざまにおはしますにひんがしざまにおわしますに。。。がいへのまへがいへのまへがいえのまえをををわたらせわたらせわたらせ給給たまへばへばえば。。。みづからのこへにてみづからのこへにてみずからのこえにて手手てをををおびたゞしくおびたゞしくおびただしくはた〳〵はた〳〵はたはたとととうつなるうつなるうつなる。。。
- 14みかどおりさせみかどおりさせみかどおりさせ給給たまとみゆるとみゆるとみゆるありつるがありつるがありつるが。。。すでになりにけりとすでになりにけりとすでになりにけりと見見みゆるかなゆるかなゆるかな。。。まいりてまいりてまいりて奏奏そうせんせんせん。。。車車くるまにさうぞくとにさうぞくとにそうぞくとうせよといふこゑきかせうせよといふこゑきかせうせよというこえきかせ給給たまけんけんけんははは。。。
- 15さりともあはれにさりともあはれにさりともあわれにはははおぼしめしけんかしおぼしめしけんかしおぼしめしけんかし。。。かつ〳〵かつ〳〵かつかつ神神かみ一人一人ひとりだいりにまいれとだいりにまいれとだいりにまいれと申申もうければければければ。。。めにめにめにははは見見みえぬものゝとをしあけてえぬものゝとをしあけてとおしあけていづいづいず。。。御御おんうしろうしろうしろをやをやをや見見みまいらせけむまいらせけむまいらせけむ。。。
- 16たゞたゞただ今今いまこれよりすぎさせおはしますといらへけりとかやこれよりすぎさせおはしますといらへけりとかやこれよりすぎさせおわしますといらえけりとかや。。。其家其家そのいえははは御御おんみちなりけりみちなりけりみちなりけり。。。
- 17花山寺花山寺かざんじにおはしましつきてにおはしましつきてにおわしましつきて。。。御御おんぐしおろさせぐしおろさせぐしおろさせ給給たまてのちにぞてのちにぞてのちにぞ。。。あああはははだだだ殿殿どのはははまかりいでゝまかりいでゝまかりいでて。。。おとゞにもかはらぬすがたおとゞにもかはらぬすがたおとどにもかわらぬすがた今一度今一度いまひとたびみえみえみえ。。。かくとあんないもかくとあんないもかくとあんないも申申もうててて。。。
- 18かならずまいりかならずまいりかならずまいり侍侍はべらんとらんとらんと申給申給もうしたまひければひければいければ。。。われわれわれをばをばをばはははかるなりけりとこそなかせかるなりけりとこそなかせかるなりけりとこそなかせ給給たまひけれひけれいけれ。。。あはれにかなしきことなりなあはれにかなしきことなりなあわれにかなしきことなりな。。。ひごろかくひごろかくひごろかく御御おん弟子弟子でしにてさぶらにてさぶらにてさぶらはははんとちぎりすかしんとちぎりすかしんとちぎりすかし申給申給もうしたまけんがおそろしさよけんがおそろしさよけんがおそろしさよ。。。
- 19はもはもはもしさるしさるしさる事事ことやしやしやし給給たまふとあやうさにふとあやうさにうとあようさに。。。さるべくおとなしきさるべくおとなしきさるべくおとなしき人々人々ひとびと何何なにがしかがしといふいみじきがしかがしといふいみじきがしかがしといういみじき源氏源氏げんじののの武者武者むしゃだちだちだちをををこそこそこそ御御おんをををくりにそへられたりけれくりにそへられたりけれくりにそえられたりけれ。。。
- 20京京きょうのののほどほどほどははは渡渡わたりよりぞりよりぞりよりぞうちいでまいりけるうちいでまいりけるうちいでまいりける。。。てらなどにててらなどにててらなどにてははは。。。もしもしもしをををしてしてして人人ひとなどやなしなどやなしなどやなし奉奉たてまつるとてるとてるとて。。。一尺許一尺許いっしゃくばかりのかたなどものかたなどものかたなどもをををぬきかけてまもりぬきかけてまもりぬきかけてまもり申申もうけるとぞけるとぞけるとぞ。。。
現代語訳
六十五代 花山院
次の帝を花山院天皇と申し上げた。御諱は師貞。冷泉院の第一皇子である。御母は贈皇后宮懐子と申し上げる。太政大臣伊尹公の第一の御娘である。この帝は安和元年戊辰十月二十六日、母方の祖父(伊尹)の一条のお屋敷でお生まれになったとあるのは、世尊寺のことであろうか。その日は冷泉院の御時の大嘗会の御禊があった。同二年己巳八月十三日に東宮にお立ちになる。御年二歳。天元五年壬午二月十九日にご元服なさる。御年十五。永観二年甲申八月二十八日に位にお即きになる。御年十七。寛和二年丙戌六月二十二日の夜、驚きあきれたことでございましたのは、人にも知られずにひそかに花山寺にいらっしゃって、ご出家・入道なさったということです。御年十九。世をお治めになること二年。その後二十二年ご存命であった。
しみじみと心を打たれるのは、退位なさった夜、藤壺の上の御局の小戸からお出ましになったところ、有明の月がたいそう明るかったので、「あまりにも明るすぎて人目につくことよ。どうしたものだろう」とおっしゃったのを、「そうかといって、とりやめなさるわけにはまいりません。神璽・宝剣がもう(東宮に)お渡りになってしまったからには」と、粟田殿(道兼)がせきたて申し上げなさったというのは、まだ帝がお出ましにならなかった前に、(粟田殿が)神璽と宝剣を自分の手で取って東宮の御方にお渡し申し上げてしまっていたので、(帝が内裏に)お帰りになることはあってはならないとお思いになって、そう申し上げなさったのだということです。明るい月の光をまぶしくお思いになっていたうちに、月の面にむら雲がかかって少し暗くなっていったので、「私の出家は成就するのだなあ」とおっしゃって歩き出しなさったところで、弘徽殿の女御(忯子)のお手紙で、日ごろ破り捨てずに残して、御身から離さずご覧になっていたのを思い出しなさって、「しばらく待て」と言って取りにお入りになろうとしたときのことですよ。粟田殿が、「どうしてそのようにお思いになってしまわれるのですか。今この時を過ごしたら、自然と差し障りも出てまいりましょう」と、うそ泣きをなさったのは。
さて土御門大路から東の方へいらっしゃると、晴明の家の前をお通りになったところ、(晴明が)自分の声で、手をしきりにぱちぱちと打っているのが聞こえる。「帝がご退位なさると見える天変があったが、もう事は成ってしまったと見えるぞ。参内して奏上しよう。車の支度を早くせよ」という声をお聞きになったのは、そうはいってもしみじみとお思いになったことでしょう。(晴明が)「とりあえず式神を一人、内裏に参れ」と申したところ、目には見えないものが戸を押し開けて出て、(帝の)御後ろ姿を見申し上げたのでしょうか、「ちょうど今ここをお通りになっていらっしゃいます」と答えたとかいうことです。その家は土御門大路と町口小路の交わる所にあったので、(帝の)お通りの道だったのです。
花山寺にお着きになって、御髪をお下ろしになったあとで、粟田殿は「退出して、父の大臣にも(出家前の)変わらない姿をもう一度見せ、こうこうと事情も申し上げて、必ず戻ってまいります」と申し上げなさったので、(帝は)「私をだましたのだな」とお泣きになったということです。なんとも悲しいことですなあ。日ごろ、自分もご弟子としてお仕えしようと約束して、だまし申し上げなさったとは、恐ろしいことよ。東三条殿(兼家)は、もしや(道兼が本当に出家するようなことを)なさるのではないかと心配で、しかるべき思慮深い者たち、なにがし、かれがしという立派な源氏の武者たちを、お見送りの役としておつけになったのでした。京の中は隠れて(お供し)、鴨川の堤のあたりから姿を現してお供申し上げたのでした。寺などでは、もし無理に人が(道兼を)出家させ申し上げたりしないかと、一尺ほどの刀などを抜きかけて守り申し上げたということです。
意訳
花山天皇の出家は、『大鏡』の中でもとりわけ有名な場面である。寛和二年(986)六月二十二日の夜、十九歳の帝は、寵愛していた女御忯子の死を嘆いて出家を思い立ち、藤原道兼にともなわれて内裏を抜け出し、東山の花山寺(元慶寺)で髪を下ろした。
世継の語りは、映画のようにいくつもの場面を重ねる。明るすぎる有明の月にためらう帝。もう神器は東宮に渡したとせきたてる道兼。月にむら雲がかかって「わが出家は成就するなりけり」とつぶやく帝。女御の手紙を取りに戻ろうとする帝を、うそ泣きで引き止める道兼。そして、出家を見届けるや「父に一目会ってくる」と逃げ出す道兼に、帝が「私をだましたのだな」と泣く。帝のいじらしさと道兼のずるさが、きわだった対照をなしている。
その裏には、外孫の東宮懐仁親王(一条天皇)を早く即位させたい兼家の計略があった。兼家は道兼が本当に出家させられないよう、源氏の武者に護衛させている。途中、陰陽師安倍晴明が天変を見て帝の退位を知り、式神に後を追わせるという不思議な話もはさまれ、事件の運命的な性格を強めている。
語釈・文法注
- 花山院
- 第六十五代の天皇(968〜1008)。在位984〜986。
- 懷子
- 藤原懐子(945〜975)。伊尹の娘で、冷泉天皇の女御。花山天皇の母。
- 伊尹
- 藤原伊尹(924〜972)。師輔の長男。摂政・太政大臣。一条摂政と呼ばれた。
- 世尊寺
- 伊尹の一条の邸を、のちに孫の行成が寺としたもの。
- 御けい
- 御禊(ごけい)。大嘗会の前に天皇が賀茂川で行うみそぎ。
- 花山寺
- 元慶寺。京都市山科区にある天台宗の寺。
- ふぢつぼのうへの御つぼね
- 藤壺(飛香舎)の上の御局。清涼殿の北にあった后妃の控えの部屋。
- 小戶
- 小さな出入口の戸。
- 見證
- 顕証(けそう)。あらわで人目につくこと。
- 神璽寶劍
- 三種の神器のうちの八坂瓊曲玉(神璽)と草薙剣(宝剣)。天皇の位のしるしで、譲位のときに新帝に渡される。
- あはだのおとゞ
- 粟田殿。藤原道兼(961〜995)。兼家の三男。粟田に山荘があった。のち関白となるがすぐ亡くなり「七日関白」と呼ばれた。
- こき殿の女御
- 弘徽殿の女御。藤原忯子(969〜985)。為光の娘。花山天皇に寵愛されたが、懐妊中に亡くなった。
- そらなき
- 空泣き。うそ泣き。
- 土みかど
- 土御門大路。平安京の東西の大路。
- 晴明
- 安倍晴明(921〜1005)。陰陽師。天文・占いの名手として多くの伝説を残す。
- 天變
- 天体の異変。日食・彗星など、地上の大事の前触れとされた。
- しき神
- 式神。陰陽師が使役する鬼神。
- まちぐち
- 町口小路(町尻小路)。
- 東三條殿
- 藤原兼家(929〜990)。道兼の父。外孫の一条天皇の即位によって摂政となる。
- つゝみの渡り
- 鴨川の堤のあたり。
文法
- あさましく候し事は
- 「あさまし」は驚きあきれるさま。「候し」は丁寧の「候ふ」に過去の「き」。
- いかゞあるべからむ
- どうしたらよかろう。「べから」は当然・適当、「む」は推量。
- とまらせ給べきやう侍らず
- おとりやめになるわけにはまいりません。
- 成就するなりけり
- 「なりけり」は、今気づいた驚きをあらわす。成就するのだなあ。
- いでまうできなん
- 「まうでく」は「来」の謙譲語。「な」は強意、「ん」は推量。出てまいりましょう。
- 御うしろをや見まいらせけむ
- 「や〜けむ」は疑問の係り結び。
- はかるなりけり
- 「はかる」はだます。だましたのだなあ。
- もしさる事やし給ふと
- 「もし〜や」は、もしかして〜するのではないかと(心配する)。
解説
花山天皇の出家(寛和の変)は、藤原兼家とその子道兼・道隆らが仕組んだ政変だった。花山天皇の外戚は伊尹の子義懐で、天皇とともに新しい政治を進めていたが、天皇の出家によって義懐も出家に追い込まれた。かわって兼家の娘詮子が産んだ懐仁親王が七歳で即位し(一条天皇)、兼家は摂政となった。
花山院は出家後も二十二年生き、熊野などで修行したほか、和歌や絵画、造園などにすぐれた風流人として知られた(伊尹の章で詳しく語られる)。
晴明が天変を見て退位を知り、式神を使いに出したという話は、安倍晴明の超人的な能力を伝える説話として、のちの『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などにも受け継がれていく晴明伝説の早い例である。
関連
出典
- 底本
- 経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、475〜477頁(コマ253–254)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日