古典ライブラリー

大鏡 第7章

村上天皇・冷泉院・円融院

村上天皇は醍醐天皇の第十四皇子で、朱雀天皇と同じく穏子の子。母の穏子は、最初の皇子保明親王に先立たれた悲しみと、朱雀・村上の誕生と立后の喜びとを重ねた人で、大后と呼ばれた。続いて、師輔の娘安子を母とする冷泉天皇・円融天皇の二代が語られる。

  1. 1六十二代ろくじふにだい六十二代ろくじふにだいろくじゅうにだい   
  2. 2つぎのみかどむらかみのつぎのみかどむらかみのつぎのみかどむらかみの天皇てんわう天皇てんわうてんのうととと申まう申まうもうききき。。。御おん御おんおんいみななりあきらいみななりあきらいみななりあきら。。。これだいごのみかどのこれだいごのみかどのこれだいごのみかどの第だい第だいだい十四じふし十四じふしじゅうしののの皇子みこ皇子みこみこ也なり也なりなり。。。御母みはは御母みははみわわ后きさき后きさききさき朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんののの御おん御おんおんおなじはらにおはしますおなじはらにおはしますおなじわらにおわします。。。
  3. 3このみかどこのみかどこのみかど延長えんちやう延長えんちやうえんちょう四年よねん四年よねんよねん丙戌ひのえいぬ丙戌ひのえいぬひのえいぬ六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ二日ふつか二日ふつかふつかむまれさせむまれさせむまれさせ給たま給たまたまへるとぞへるとぞえるとぞ。。。天慶てんぎやう天慶てんぎやうてんぎょう三年さんねん三年さんねんさんねん庚子かのえね庚子かのえねかのえね二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十五日じふごにち十五日じふごにちじゅうごにち御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷく。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十五じふご十五じふごじゅうご。。。同おなじ同おなじおなじ七年しちねん七年しちねんしちねん甲辰きのえたつ甲辰きのえたつきのえたつ四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿二日にじふににち廿二日にじふににちにじゅうににちににに東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう。。。
  4. 4御おほん御おほんおおんとしとしとし十九じふく十九じふくじゅうく。。。同おなじ同おなじおなじ九年くねん九年くねんくねん丙午ひのえうま丙午ひのえうまひのえうま四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿九日にじふくにち廿九日にじふくにちにじゅうくにち位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたま。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし廿一にじふいち廿一にじふいちにじゅういち。。。よよよをををしらせしらせしらせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと廿一年にじふいちねん廿一年にじふいちねんにじゅういちねん。。。
  5. 5御母みはは御母みははみわわ后きさき后きさききさき延喜えんぎ延喜えんぎえんぎ三年さんねん三年さんねんさんねん癸亥みづのとゐ癸亥みづのとゐみずのとい生うま生うまうまれさせれさせれさせ給たま給たまたま。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十九じふく十九じふくじゅうく。。。同おなじ同おなじおなじ廿年にじふねん廿年にじふねんにじゅうねん女御にようご女御にようごにょうご宣旨せんじ宣旨せんじせんじくだりくだりくだり給たま給たまたまふふう。。。御年おほんとし御年おほんとしおおんとし卅六さんじふろく卅六さんじふろくさんじゅうろく。。。同おなじ同おなじおなじ廿三年にじふさんねん廿三年にじふさんねんにじゅうさんねんみづのとのみづのとのみずのとのひつじひつじひつじ朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんむまれさせむまれさせむまれさせ給たま給たまたま。。。
  6. 6同おなじ同おなじおなじ四月しぐわつ四月しぐわつしがつ廿九日にじふくにち廿九日にじふくにちにじゅうくにち后きさき后きさききさきののの宣旨せんじ宣旨せんじせんじかうぶらせかうぶらせこうぶらせ給たま給たまたま。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし三十九さんじふく三十九さんじふくさんじゅうく。。。やがてやがてやがてうみうみうみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたま。。。おなじおなじおなじ四月しぐわつ四月しぐわつしがつににに后きさき后きさききさきにもたゝせにもたゝせにもたたせ給たま給たまたまけるにやけるにやけるにや。。。四十二しじふに四十二しじふにしじゅうににてにてにて村上むらかみ村上むらかみむらかみはははむまれさせむまれさせむまれさせ給たま給たまたまけりけりけり。。。
  7. 7后きさき后きさききさきにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう日ひ日ひひ。。。前坊ぜんばう前坊ぜんばうぜんぼうののの御おん御おんおんことことことををを宮みや宮みやみやのののうちにゆかしがりてうちにゆかしがりてうちにゆかしがりて申まう申まうもういづるいづるいずる人ひと人ひとひともなかりけるにもなかりけるにもなかりけるに。。。かのかのかの御おん御おんおん。。。のきみといひけるのきみといひけるのきみといいける女房にようばう女房にようばうにょうぼうのかくよみてのかくよみてのかくよみて出いだ出いだいだしたりけるしたりけるしたりける。。。
  8. 8わびぬればわびぬればわびぬれば今いま今いまいまはははたたた物もの物ものものををを思おも思おもおもへどもこゝろににぬへどもこゝろににぬえどもこころににぬはははなみだなりけりなみだなりけりなみだなりけり
  9. 9又また又またまた御おん御おんおん法事ほふじ法事ほふじほうじはははてゝてゝてて人〳〵ひとびと人〳〵ひとびとひとびとまかりいづるまかりいづるまかりいずるひひひももも。。。かくこそかくこそかくこそはははよまれたりけれよまれたりけれよまれたりけれ。。。
  10. 10いまいまいまはははとてみとてみとてみ山やま山やまやまをををいづるいづるいずるほとゝぎすほとゝぎすほととぎすいづれのいづれのいずれの里さと里さとさとになかんとすらんになかんとすらんになかんとすらん
  11. 11五月ごぐわつ五月ごぐわつごがつののの事こと事ことことににに侍はべ侍はべはべりけりりけりりけり。。。げにいかにとおぼゆるげにいかにとおぼゆるげにいかにとおぼゆるふし〳〵ふし〳〵ふしふしすゑのすゑのすえの世よ世よよまでつたはるばかりのといふにまでつたはるばかりのといふにまでつたわるばかりのというに侍はべ侍はべはべるかしなるかしなるかしな。。。さてさてさて前東宮さきのとうぐう前東宮さきのとうぐうさきのとうぐうにおくれにおくれにおくれ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて。。。
  12. 12かぎりなくなげかせかぎりなくなげかせかぎりなくなげかせ給たま給たまたまふふう。。。同おな同おなおなじとしじとしじとし朱雀院すざくゐん朱雀院すざくゐんすざくいんむまれさせむまれさせむまれさせ給たま給たまたまふふう。。。われわれわれ后きさき后きさききさきにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまけんこそけんこそけんこそ。。。さま〴〵さま〴〵さまざま御おん御おんおんなげきなげきなげき御おん御おんおんよろこびよろこびよろこび。。。かきまぜたるかきまぜたるかきまぜたる心こころ心こころこころちつかうまつれちつかうまつれちつこうまつれ。。。ををを申まう申まうもうすすす。。。
  13. 13六十三代ろくじふさんだい六十三代ろくじふさんだいろくじゅうさんだい   
  14. 14つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかどははは冷泉院天皇れいぜいゐんてんわう冷泉院天皇れいぜいゐんてんわうれいぜいいんてんのうととと申まう申まうもうききき。。。御おん御おんおんいみないみないみなのりひらのりひらのりひら。。。是これ是これこれむらかみむらかみむらかみ天皇てんわう天皇てんわうてんのうののの第二だいに第二だいにだいにののの王子わうじ王子わうじおうじなりなりなり。。。御母みはは御母みははみわわ皇后宮くわうごうぐう皇后宮くわうごうぐうこうごうぐうととと申まう申まうもうすすす。。。右大臣うだいじん右大臣うだいじんうだいじんのおとゞののおとゞののおとどの第一だいいち第一だいいちだいいちののの御おん御おんおんむすめむすめむすめ也なり也なりなり。。。
  15. 15此この此このこの御門みかど御門みかどみかど天曆てんりやく天曆てんりやくてんりゃく四年よねん四年よねんよねん庚戌かのえいぬ庚戌かのえいぬかのえいぬ五月ごぐわつ五月ごぐわつごがつ廿四日にじふよつか廿四日にじふよつかにじゅうよっかのおとゞのいまだのおとゞのいまだのおとどのいまだ從五位下じゆごゐのげ從五位下じゆごゐのげじゅごいのげにてにてにて備前介びぜんのすけ備前介びぜんのすけびぜんのすけときこえまつりしおりのときこえまつりしおりのときこえまつりしおりの。。。五條ごでう五條ごでうごじょうののの家いへ家いへいえにてにてにて生うま生うまうまれさせれさせれさせ給たま給たまたまへりへりえり。。。同おなじ同おなじおなじ年とし年としとし七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ廿三日にじふさんにち廿三日にじふさんにちにじゅうさんにち東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまふふう。。。
  16. 16應和おうわ應和おうわおうわ三年さんねん三年さんねんさんねん癸亥みづのとゐ癸亥みづのとゐみずのとい二月にぐわつ二月にぐわつにがつ廿八日にじふはちにち廿八日にじふはちにちにじゅうはちにち御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷく。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十四じふし十四じふしじゅうし。。。康保かうほう康保かうほうこうほう四年よねん四年よねんよねん丁卯ひのとう丁卯ひのとうひのとう五月ごぐわつ五月ごぐわつごがつ廿五日にじふごにち廿五日にじふごにちにじゅうごにち御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十八じふはち十八じふはちじゅうはちにてにてにて位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまふふう。。。よよよをををたもたせたもたせたもたせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと二年にねん二年にねんにねん。。。寬弘くわんこう寬弘くわんこうかんこう八年はちねん八年はちねんはちねん辛亥かのとゐ辛亥かのとゐかのとい十月じふぐわつ十月じふぐわつじゅうがつ廿四日にじふよつか廿四日にじふよつかにじゅうよっか御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし六十ろくじふ六十ろくじふろくじゅうにてかくれおはしましけるにてかくれおはしましけるにてかくれおわしましけるををを。。。
  17. 17三條院さんでうゐん三條院さんでうゐんさんじょういん位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまとしてとしてとして。。。大嘗會だいじやうゑ大嘗會だいじやうゑだいじょうえなどののびけるなどののびけるなどののびけるをぞをぞをぞ。。。人申ひとまう人申ひとまうひともうけるけるける。。。
  18. 18六十四代ろくじふしだい六十四代ろくじふしだいろくじゅうしだい   
  19. 19つぎのみかどつぎのみかどつぎのみかど圓融院天皇ゑんゆうゐんてんわう圓融院天皇ゑんゆうゐんてんわうえんゆういんてんのうととと申まう申まうもうききき。。。御おん御おんおんいみないみないみなもりひらもりひらもりひら。。。是これ是これこれ村上むらかみ村上むらかみむらかみのみかどののみかどののみかどの第だい第だいだい五ご五ごご王子わうじ王子わうじおうじ也なり也なりなり。。。御母みはは御母みははみわわ冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいんののの同おな同おなおなじじじ腹はら腹はらはらにおはしますにおはしますにおわします。。。此この此このこのみかどみかどみかど天德てんとく天德てんとくてんとく三年さんねん三年さんねんさんねん己未つちのとひつじ己未つちのとひつじつちのとひつじ三月さんぐわつ三月さんぐわつさんがつ二日ふつか二日ふつかふつかむまれさせむまれさせむまれさせ給たま給たまたま。。。
  20. 20此この此このこの御門みかど御門みかどみかどののの東宮とうぐう東宮とうぐうとうぐうにたゝせにたゝせにたたせ給たま給たまたまほどほどおどははは。。。事こと事ことことどもこそどもこそどもこそ侍はべ侍はべはべれなれなれな。。。これこれこれはははみなみなみな人ひと人ひとひとのしろしめしたるのしろしめしたるのしろしめしたる事こと事ことことなればなればなれば。。。事こと事ことこともながしとゞめもながしとゞめもながしとどめ侍はべ侍はべはべりぬりぬりぬ。。。
  21. 21安和あんな安和あんなあんな二年にねん二年にねんにねん己巳つちのとみ己巳つちのとみつちのとみ八月はちぐわつ八月はちぐわつはちがつ十三日じふさんにち十三日じふさんにちじゅうさんにちにこそにこそにこそははは位くらゐ位くらゐくらいにつかせにつかせにつかせ給たま給たまたまけれけれけれ。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十一じふいち十一じふいちじゅういちとぞとぞとぞ。。。さてさてさて天祿てんろく天祿てんろくてんろく三年さんねん三年さんねんさんねん壬申みづのえさる壬申みづのえさるみずのえさる正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ三日みつか三日みつかみつか御元服ごげんぷく御元服ごげんぷくごげんぷく。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし十四じふし十四じふしじゅうし。。。よよよををを保たも保たもたもたせたせたせ給事たまふこと給事たまふことたまうこと十五年じふごねん十五年じふごねんじゅうごねん。。。
  22. 22惱なや惱なやなやわりてわりてわりて御出家ごしゆつけ御出家ごしゆつけごしゅっけ。。。法名ほふみやう法名ほふみやうほうみょうこんがこんがこんがうほうとうほうとうおうと申まう申まうもうききき。。。正曆しやうりやく正曆しやうりやくしょうりゃく二年にねん二年にねんにねん二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十二日じふににち十二日じふににちじゅうににちうせさせうせさせうせさせ給たま給たまたま。。。御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし卅三さんじふさん卅三さんじふさんさんじゅうさん。。。母后ははきさき母后ははきさきははきさき御歲おほんとし御歲おほんとしおおんとし廿三四にじふさんし廿三四にじふさんしにじゅうさんしにてにてにて。。。うちつゞきこのみかどうちつゞきこのみかどうちつづきこのみかど冷泉院れいぜいゐん冷泉院れいぜいゐんれいぜいいんとととうみうみうみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへりへりえり。。。
  23. 23いとやむごとなきいとやむごとなきいとやむごとなき御おん御おんおんすくせなりすくせなりすくせなり。。。御母みはは御母みははみわわかたのおほぢかたのおほぢかたのおおじ出雲守いづものかみ出雲守いづものかみいずものかみ從五位下じゆごゐのげ從五位下じゆごゐのげじゅごいのげ藤原ふぢはら藤原ふぢはらふじわら人ひと人ひとひとなりなりなり。。。すゑのよにすゑのよにすえのよにはははさうせさせさうせさせそうせさせ給たま給たまたまてこそてこそてこそははは贈ぞう贈ぞうぞう三さん三さんさんゐしゐしいし給たま給たまたましかしかしか。。。
  24. 24いまさぬいまさぬいまさぬ跡あと跡あとあとなれどなれどなれど。。。このよのこのよのこのよのひかりひかりひかりはははいとめいぼくありかしいとめいぼくありかしいとめいぼくありかし。。。おほきさきとおほきさきとおおきさきと申まう申まうもうすすす此この此このこの御おん御おんおん事こと事ことこと也なり也なりなり。。。女十宮をんなじふのみや女十宮をんなじふのみやおんなじゅうのみやうみうみうみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまたびかくれさせたびかくれさせたびかくれさせ給たま給たまたまへりしへりしえりし御おん御おんおんなげきこそいとかなしくうけなげきこそいとかなしくうけなげきこそいとかなしくうけ給たま給たまたまはははりしかりしかりしか。。。
  25. 25村上むらかみ村上むらかみむらかみののの御日記おほんにき御日記おほんにきおおんにき御ご御ごごらんじたるらんじたるらんじたる人ひと人ひとひともおはしますらんもおはしますらんもおわしますらん。。。ほの〴〵ほの〴〵ほのぼのつたへつたへつたえうけうけうけ給たま給たまたまはれどもはれどもわれども。。。をよばぬをよばぬおよばぬ心こころ心こころこころにもいとあはれにかたじけなうさぶらふなにもいとあはれにかたじけなうさぶらふなにもいとあわれにかたじけのうさぶらうな。。。そのとゞまりおはしますそのとゞまりおはしますそのとどまりおわします女をんな女をんなおんな宮みや宮みやみやこそこそこそははは齋院さいゐん齋院さいゐんさいいんよよよ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

六十二代 村上天皇

次の帝を村上天皇と申し上げた。御諱は成明。これは醍醐の帝の第十四の皇子である。御母后は朱雀院と同じお腹(穏子)でいらっしゃる。この帝は延長四年丙戌六月二日にお生まれになったということだ。天慶三年庚子二月十五日にご元服。御年十五。同七年甲辰四月二十二日に東宮にお立ちになる。御年十九。同九年丙午四月二十九日に位にお即きになる。御年二十一。世をお治めになること二十一年。

御母后(穏子)は、延喜三年癸亥に前坊(保明親王)をお産みになる。御年十九。同二十年に女御の宣旨が下される。御年三十六。同二十三年癸未に朱雀院がお生まれになる。同年四月二十九日に后の宣旨をお受けになる。御年三十九。すぐに(朱雀院を)お産み申し上げなさる。同じ四月に后にもお立ちになったのであろうか。四十二歳で村上(天皇)はお生まれになったのであった。后にお立ちになる日、前坊のことを宮中で懐かしんで口に出す人もいなかったのに、あの(前坊の)乳母子で大輔の君といった女房が、こう詠んで差し出したのでした。

わびぬれば今はたものを思へども心に似ぬは涙なりけり

また(前坊の)ご法事が終わって人々が退出する日にも、こう詠んだのでした。

今はとて深山を出づるほととぎすいづれの里に鳴かむとすらむ

五月のことでございました。本当に、なんとまあと思われる、折々のことが後の世まで伝わるほどの(歌であった)というのでございますよ。さて(后は)前東宮に先立たれ申して、限りなくお嘆きになる。同じ年に朱雀院がお生まれになる。ご自身は后にお立ちになったとは、さまざまのお嘆きとお喜びとがまじりあったお気持ちだったと推察いたします。世に大后(おおきさき)とこの方を申し上げる。

六十三代 冷泉院

次の帝を冷泉院天皇と申し上げた。御諱は憲平。これは村上天皇の第二の皇子である。御母は皇后宮安子と申し上げる。右大臣師輔公の第一の御娘である。この帝は天暦四年庚戌五月二十四日、在衡公がまだ従五位下で備前介と申し上げていたころの、その五条の家でお生まれになった。同年七月二十三日に東宮にお立ちになる。応和三年癸亥二月二十八日にご元服。御年十四。康保四年丁卯五月二十五日、御年十八で位にお即きになる。世をお治めになること二年。寛弘八年辛亥十月二十四日、御年六十でお亡くなりになったので、三条院が位にお即きになって大嘗会などが延期になったのを、間の悪いことだと世の人は申しました。

六十四代 円融院

次の帝を円融院天皇と申し上げた。御諱は守平。これは村上の帝の第五皇子である。御母は冷泉院と同じお腹でいらっしゃる。この帝は天徳三年己未三月二日にお生まれになる。この帝が東宮にお立ちになったときは、たいへん聞き苦しい、ひどいことがございましたよ。これはみなさんがご存じのことなので、話も長くなるのでやめておきます。安和二年己巳八月十三日に位にお即きになった。御年十一ということだ。そうして天禄三年壬申正月三日にご元服。御年十四。世をお治めになること十五年。ご病気が重くなってご出家。法名を金剛法と申し上げた。正暦二年二月十二日にお亡くなりになる。御年三十三。

母后(安子)は御年二十三、四で、続けてこの帝と冷泉院をお産み申し上げなさった。たいへん尊いご宿縁である。御母方の祖父は、出雲守従五位下藤原経邦といった人である。後の世には贈位されて、贈三位になさったのでした。お亡くなりになったあとですが、この世の名誉としてはたいへんな面目でしょう。大后(おおきさき)と申し上げるのはこの方のことである。女十宮をお産み申し上げなさったときにお亡くなりになったときの(村上天皇の)お嘆きは、まことに悲しいものだったと承っております。村上天皇の御日記をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。ほのかに伝え聞いておりますが、私のようなとるにたらない者の心にも、たいへんしみじみと恐れ多いことでございますなあ。その後に残されておいでの女宮こそは、大斎院(選子内親王)ですよ。

意訳

村上天皇の母穏子の生涯が、二首の歌とともに語られる。穏子が最初に産んだ保明親王は醍醐天皇の皇太子となったが、二十一歳で亡くなった。人々はこれを道真の祟りと恐れた。その年、穏子は寛明親王(朱雀天皇)を産み、皇后に立てられる。息子を失った悲しみと、新しい皇子の誕生・立后の喜びが同じ年に重なったのである。世継は「さまざまの御なげき御よろこび、かきまぜたる心ち」と、その胸のうちを思いやる。

保明親王の乳母子だった大輔は、華やかな立后の日に一人亡き主を思い、「心に似ぬは涙なりけり」と詠んで差し出した。法事の果ての日には、五月のほととぎすに託して、主を失って散っていく人々を詠む。宮中の喜びのかげにある悲しみを、女房の歌がすくい上げている。

冷泉・円融天皇の母安子は、師輔の娘である。ここから九条流(師輔の子孫)が外戚となり、のちの兼家・道長へとつながる。円融天皇の立太子のとき「聞きにくくひどいこと」があったとほのめかすのは、師輔の子らが、冷泉天皇の同母弟の為平親王をさしおいて守平親王(円融天皇)を東宮に立てたことを指す(師輔の章で語られる)。

語釈・文法注

村上天皇
第六十二代の天皇(926〜967)。在位946〜967。治世は「天暦の治」とたたえられた。
前坊
前の皇太子。ここでは醍醐天皇の皇子保明親王(903〜923)。皇太子のまま二十一歳で亡くなった。
御めのとご
乳母子(めのとご)。乳母の子で、養君と兄弟のように育った。
大輔のきみ
保明親王の乳母子の女房。歌人として知られ、『後撰集』などに歌が入る。
おほきさき
大后。天皇の母后の尊称。ここでは朱雀・村上二代の母である穏子。
冷泉院
第六十三代の天皇(950〜1011)。在位967〜969。
安子
藤原安子(927〜964)。師輔の娘で、村上天皇の中宮。冷泉・円融天皇の母。
師輔
藤原師輔(909〜960)。忠平の次男。右大臣。九条殿と呼ばれ、その子孫が摂関家となった。
在衡
藤原在衡(892〜970)。のち左大臣。
おりわし
折悪し。時機が悪い。三条天皇の即位直後に冷泉院が亡くなり、大嘗会が延期されたこと。
圓融院
第六十四代の天皇(959〜991)。在位969〜984。
きゝにくゝいみじき事
円融天皇(守平親王)の立太子をめぐる事件。冷泉天皇の同母弟為平親王が有力とされたが、源高明の娘を妃としていたため、師輔の子らが守平親王を立てた。その後の安和の変(969)で高明は大宰府に左遷された。
つねくに
藤原経邦。安子の母(盛子)の父。
おほ齋院
大斎院。選子内親王(964〜1035)。村上天皇の皇女で、母安子は出産の直後に亡くなった。円融天皇から後一条天皇まで五代、五十七年にわたって賀茂の斎院をつとめた。

文法

申いづる人もなかりけるに
「けるに」は逆接。(誰も)口に出す人もいなかったのに。
よまれたりけれ
「れ」は尊敬ではなく自発・可能とも、また「こそ」の結びとして「けれ」(已然形)。詠んだのだった。
かきまぜたる心ちつかうまつれ
「つかうまつれ」は「こそ」の結び(已然形)。(そのような)お気持ちであったと推察申し上げる。
こそ侍れな
「な」は詠嘆の終助詞。
ながしとゞめ侍りぬ
話も長いのでやめておきます。

和歌・漢詩

わびぬれば今はた物を思へどもこゝろににぬはなみだなりけり

作者
大輔
状況
穏子が后に立った日、宮中の人々がみな喜びにわく中で、亡き保明親王を思って詠んだ歌。悲しみに沈んで、今はまたもの思いをしているが、心(喜ぶべきだという理性)に従わずこぼれるのは涙なのだった。

修辞

表現
「心ににぬ」は、心とうらはらに、の意。祝いの席にふさわしくない涙が止まらないことを言う。

いまはとてみ山をいづるほとゝぎすいづれの里になかんとすらん

作者
大輔
状況
保明親王の法事が終わって、仕えていた人々が退出する日に詠んだ歌。今はこれまでと深山を出ていくほととぎすは、どこの里で鳴こうとするのだろう。主を失って散っていく人々をほととぎすにたとえる。

修辞

見立て
親王に仕えていた人々を、五月の深山を出ていくほととぎすに見立てる。

解説

穏子(885〜954)は基経の娘で、醍醐天皇の後宮に入り、保明親王・朱雀天皇・村上天皇を産んだ。二人の天皇の母として「大后」と呼ばれ、兄忠平とともに宮廷で大きな力を持った。

世継は円融天皇の立太子の事情を「みな人のしろしめしたる事」として語らず、師輔の章に回している。帝紀ではなるべく帝の身の上の事実だけを記し、政治の内幕は大臣列伝で語るという分担が見える。

村上天皇の御日記(『村上天皇御記』)は、天皇自身が書いた日記で、一部が逸文として伝わる。安子が選子内親王を出産した直後に亡くなったときの天皇の嘆きも、そこに記されていたのであろう。

関連

出典

底本
経済雑誌社編『国史大系』第17巻(大鏡) 経済雑誌社、明治34年(1901)、473〜475頁(コマ252–253)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日