おくのほそ道 第16章
笠島
鐙摺・白石を過ぎて笠島の郡に入り、藤原実方の墓を尋ねるが、五月雨で道が悪く、体も疲れていたので、遠くから眺めて通り過ぎる。「笠島はいづこさ月のぬかり道」と詠む。

- 1、、、ののの城城しろををを過過す、、、笠嶋笠嶋かさしまののの郡郡こおりににに入入いればればれば、、、ののの塚塚つかはははいづくのいづくのいずくのほどならんとほどならんとほどならんと人人ひとにとへばにとへばにとえば、、、是是これよりよりより遙右遙右はるかみぎににに見見みゆるゆるゆる山際山際やまぎわののの里里さとををを、、、笠嶋笠嶋かさしまととと云云い。。。
- 2ののの社社やしろ、、、見見みののの薄薄すすき、、、今今いまにありとにありとにありと敎敎おしえゆゆゆ。。。此比此比このごろののの五月雨五月雨さみだれににに、、、道道みちいとあしくいとあしくいとあしく、、、身身みつかれつかれつかれ侍侍はべればればれば、、、よそながらよそながらよそながら眺眺ながやりてやりてやりて過過するにるにるに、、、簑輪簑輪みのわ、、、笠嶋笠嶋かさしまももも五月雨五月雨さみだれののの折折おりにににふれたりとふれたりとふれたりと、、、
- 3笠島笠島かさしまはははいづこさいづこさいずこさ月月つきのぬかりのぬかりのぬかり道道みち
現代語訳
鐙摺・白石の城を過ぎて、笠島の郡に入ったので、藤中将実方の墓はどのあたりだろうかと人に尋ねると、「ここからはるか右に見える山際の里を、箕輪・笠島といいます。道祖神の社や、西行が詠んだ形見の薄が、今も残っています」と教えてくれる。このごろの五月雨で道がひどく悪く、体も疲れていたので、遠くから眺めるだけで通り過ぎたが、箕輪・笠島という地名も、五月雨の時節にふさわしいことだと思って、
笠島はいづこさ月のぬかり道(実方の墓のある笠島はどのあたりだろう。五月雨のぬかるみ道で、たずねて行くこともできない)
意訳
藤原実方は、宮中で藤原行成と争って陸奥守に左遷され、この地の道祖神の前を馬で通ったとき、神の怒りにふれて落馬して死んだと伝えられる。西行はその墓を訪ね、「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野の薄かたみにぞ見る」と詠んだ。
芭蕉もその墓を訪ねたかったが、雨と疲れのため断念する。行けなかった名所を、地名の「箕輪(蓑)」「笠島(笠)」が雨具に通じるという言葉遊びで受けとめ、ぬかるみ道を見やる句に仕立てた。行かなかったことさえ俳諧にしてしまう軽みがある。
語釈・文法注
- 鐙摺
- 白石市の東の、道の狭い難所。義経の家臣がここを通るとき、鐙が岩に摺れたという。
- 白石の城
- 仙台藩の支城、白石城。
- 藤中將實方
- 藤原実方(?〜998)。中古三十六歌仙の一人。宮中で藤原行成の冠を打ち落として一条天皇の怒りを買い、陸奥守に左遷されて、任地で没したと伝えられる。
- みのわ笠嶋
- 箕輪・笠島。宮城県名取市愛島の地名。
- 道祖神の社
- 佐倍乃神社(笠島道祖神)。実方はこの神の前を下馬せずに通ったため、落馬して死んだという。
- かた見の薄
- 西行が実方の墓で「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野の薄かたみにぞ見る」(新古今集)と詠んだ薄。
文法
- いづくのほどならんと
- 「ならん」は断定「なり」の未然形+推量「む」。どのあたりであろうか。
- よそながら眺やりて
- 「よそながら」は、離れたままで。遠くから眺めて。
- 五月雨の折にふれたりと
- 地名の「箕輪(蓑)」「笠島(笠)」が、雨具の蓑・笠に通じ、五月雨の季節にふさわしいということ。
発句・和歌
笠島はいづこさ月のぬかり道
- 作者
- 松尾芭蕉
- 状況
- 藤原実方の墓のある笠島を、五月雨のぬかるみ道のため訪ねられず、遠くから眺めて詠んだ句。季語は「さ月(五月)」で夏。
修辞
- 季語
- さ月(五月)。夏。
- 縁語
- 「笠」と「五月雨(さ月)」。地名の「笠島」に雨具の笠をきかせる。
解説
実方の墓は宮城県名取市愛島塩手にあり、西行の歌にちなむ「かたみの薄」も植えられている。曾良の『随行日記』によれば、五月四日、白石から岩沼に向かう途中で笠島を通っている。
名所に立ち寄れなかったことをそのまま書く章は、『おくのほそ道』の中でも珍しい。前章で病と疲れを描いたことを受け、ここでも旅の困難が名所めぐりを阻んでいる。
関連
出典
- 底本
- 藤村作編『奥の細道』 至文堂、昭和5年(1930)、11〜12頁(コマ14–15)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日