紫式部日記 第19章
日本紀の御局と消息文の結び
帝が『源氏物語』を聞いて作者の学識をほめたことから、左衛門の内侍は「日本紀の御局」とあだ名を広めた。作者は、幼いころ弟より早く漢籍を覚えて父を嘆かせた思い出、学識を隠して「一」の字も書かずに過ごしてきたこと、中宮にひそかに『白氏文集』の楽府を進講したことを語り、出家への思いを述べて手紙を結ぶ。
- 1うちうちうちのののうへうへうえののの源源げん氏氏じののの物物もの語語がたり人人ひとににによまよまよませせせ給給たまひひいつゝつゝつつ聞聞きこしめししめししめしけるけるけるににに「「「このこのこの人人ひとははは日日に本本ほんをををこそこそこそよみよみよみ給給たまへへえけれけれけれ。。。誠誠まことにににざえざえざえあるあるあるべしべしべし」」」とととのたまはせのたまはせのたまわせけるけるけるををを、、、
- 2ふとふとふとおしはかりおしはかりおしはかりににに、、、「「「いみじういみじういみじゅうなむなむなんざえざえざえかかかあるあるある」」」ととと殿殿てん上上じょう人人びとなどなどなどにににいひいひいいちらしちらしちらしててて日日に本本ほん紀紀ぎののの御御み局局つぼねとととぞぞぞつけつけつけたりたりたりけるけるける。。。いといといとをかしくをかしくおかしくぞぞぞ侍侍はべるるる。。。
- 3このこのこの故故ふる里里さとののの女女おんなのののまへまへまえにてにてにてだにだにだにつゝみつゝみつつみ侍侍はべるるるものものものををを、、、さるさるさる所所ところにてにてにてざえざえざえさがしさがしさがしいでいでいで侍侍はべらららむむんよよよ。。。
- 4このこのこの式式しき部部ぶのののととといふいふいう人人ひとのののわらはわらはわらわにてにてにて、、、史史し記記きととといふいふいうふみふみふみ讀讀よみみみ侍侍はべりりりししし時時とききゝきゝききならひならひならいつゝつゝつつ、、、かのかのかの人人ひとははは遲遲おそうううよみよみよみとりとりとり忘忘わするゝるゝるる所所ところをををももも怪怪あやしきしきしきまでまでまでぞぞぞさとしさとしさとし侍侍はべりりりしかしかしかばばば、、、
- 5ふみふみふみににに心心こころ入入いりりりたるたるたる親親おやははは「「「口口くちをしうをしうおしゅう、、、をのこをのこおのこ子子ごにてにてにてもたもたもたらららぬぬぬこそこそこそさいはひさいはひさいわいなかりなかりなかりけれけれけれ」」」とととぞぞぞ常常つねににに歎歎なげかかかれれれ侍侍はべりりりししし。。。
- 6「「「それそれそれををを男男おとこだにだにだにざえざえざえがりがりがりぬるぬるぬる人人ひとはははいかにいかにいかにぞぞぞややや。。。華華はなやかやかやかならならならずずずのみのみのみ侍侍はべるるるめるめるめるよよよ」」」とととやうやうやうやうようよう人人ひとのののいふいふいうももも聞聞ききききとめとめとめててて後後のち、、、一一いちととといふいふいう文文も字字じをををだにだにだに書書かきききわたしわたしわたし侍侍はべらららずずず、、、いといといとてづゝてづゝてずつにににあさましくあさましくあさましく侍侍はべりりり。。。
- 7讀讀よみみみしししふみふみふみなどなどなどいひいひいいけむけむけんものものもの、、、目目めにににもももとゞめとゞめとどめずずずなりなりなりててて侍侍はべりりりしししににに、、、いよいよいよいよいよいよかゝるかゝるかかる事事こと聞聞きききき侍侍はべりりりしかしかしかばばば、、、いかにいかにいかに人人ひとももも傳傳つたへへえ聞聞ききききてててにくむにくむにくむらむらむらんととと、、、はづかしさはづかしさはずかしさににに、、、御御み屏屏びょう風風ぶのののかみかみかみにににかきかきかきたるたるたる事事ことをををだにだにだによまよまよまぬぬぬ顏顏かおをををししし侍侍はべりりりしししををを、、、
- 8宮宮みやのののおおおまへまへまえにてにてにて文文もんののの所所ところ々々どころよまよまよませせせ給給たまひひいなどなどなどしししててて、、、さるさるさるさまさまさまのののことことことしろしめさしろしめさしろしめさせせせまほしげまほしげまほしげにににおぼいおぼいおぼいたりたりたりしかしかしかばばば、、、
- 9いといといとしのびしのびしのびててて、、、人人ひとのののさぶらはさぶらはさぶらわぬぬぬものものものゝゝのひまひまひまひまひまひまににに、、、をとゝしをとゝしおととしののの夏夏なつごろごろごろよりよりより樂樂がととといふいふいうふみふみふみ二二にくわんくわんかんをををぞぞぞしどけなくしどけなくしどけなくかうかうこうをしへをしへおしえ、、、たへたへたえ聞聞きこえええさせさせさせててて侍侍はべるるるももも隱隱かくしししはべりはべりはべり。。。
- 10宮宮みやももも忍忍しのびびびさせさせさせ給給たまひひいしかしかしかどどど、、、殿殿とのもももうちうちうちもももけしきけしきけしきをををしらしらしらせせせ給給たまひひいててて、、、御御おおんふみふみふみどもどもどもをををめでたうめでたうめでとう書書かかかかせせせ給給たまひひいてててぞぞぞ殿殿とのははは奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふう。。。
- 11まことにまことにまことにかうかうこうよまよまよませせせ給給たまひひいなどなどなどするするすることことこと、、、はたはたはたかのかのかの物物ものいひいひいいののの內內ない侍侍しはははえええ聞聞きかかかざるざるざるべしべしべし。。。しりしりしりたらたらたらばばばいかにいかにいかに謗謗そしりりり侍侍はべらららむむんものものものととと、、、すべてすべてすべて世世よののの中中なか事事ことわざわざわざしげくしげくしげくうきうきうきものものものににに侍侍はべりりりけりけりけり。。。
- 12いかにいかにいかに今今いまはははこといみこといみこといみししし侍侍はべらららじじじ。。。人人ひとととといふいふいうともともともかくかくかくいふいふいうともともとも、、、唯唯ただ阿阿あ彌彌み陀陀だ佛佛ぶつにににたゆみたゆみたゆみなくなくなく經經きょうをををならひならひならい侍侍はべらららむむん。。。
- 13世世よのののいとはしきいとはしきいとわしきことことことははは、、、すべてすべてすべて露露つゆばかりばかりばかり心心こころもももとまらとまらとまらずずずなりなりなりにににててて侍侍はべれれればばば、、、ひじりひじりひじりにににならならならむむんにににけたいけたいけたいすすすべうべうびょうももも侍侍はべらららずずず、、、たゞたゞただひたみちひたみちひたみちににに背背そむきききてててももも、、、雲雲くもにににのぼらのぼらのぼらぬぬぬ程程ほどのののたゆたふたゆたふたゆたうべきべきべきやうやうようなむなむなん侍侍はべるるるべかべかべかなるなるなる。。。
- 14それそれそれにににやすらひやすらひやすらい侍侍はべるるるなりなりなり、、、年年としもももはたはたはたよきよきよき程程ほどににになりなりなりもてもてもてまかるまかるまかる。。。いたういたういとうこれこれこれよりよりよりおいおいおいぼれぼれぼれててて、、、はははためためためづらづらずらとととぞぞぞ經經きょうよまよまよまずずず。。。心心こころもももいとゞいとゞいとどたゆさたゆさたゆさまさりまさりまさり侍侍はべらららむむんものものものををを、、、
- 15心心こころ深深ふかききき人人ひとまねまねまねのののやうやうようににに侍侍はべれれれどどど、、、今今いまはははたゞたゞただかゝるかゝるかかるかたかたかたののの事事ことをををぞぞぞ思思おもひひい給給たまふるふるうる。。。それそれそれ罪罪つみふかきふかきふかき人人ひとははは又又また必必かならずずずしもしもしもかなひかなひかない侍侍はべらららじじじ。。。さきさきさきののの世世よしらしらしらるゝるゝるることことことのみのみのみ多多おおくくく侍侍はべれれればばば、、、よろづよろづよろずにににつけつけつけてててぞぞぞかなしうかなしうかなしゅう侍侍はべるるる。。。
- 16御御おおん文文ふみにににえええかきかきかきつゞけつゞけつづけ侍侍はべらららぬぬぬことことことををを、、、よきよきよきもももあしきあしきあしきももも、、、世世よにににあるあるある事事こと身身みののの上上うえのののうれへうれへうれえにてにてにてももも、、、殘殘のこらららずずずきこえきこえきこえさせさせさせおかおかおかまほしうまほしうまほしゅう侍侍はべるるるぞぞぞかしかしかし。。。けしからけしからけしからぬぬぬ人人ひとををを思思おもひひい聞聞きこえええさすさすさすとてとてとてももも、、、かゝるかゝるかかるべきべきべきことことことやややははは侍侍はべるるる。。。
- 17されどされどされどつれづれつれづれつれづれにににおはしますおはしますおわしますらむらむらん。。。またまたまたつれづれつれづれつれづれののの心心こころををを御御ごらんらんらんぜぜぜよよよ。。。又又またおぼさおぼさおぼさむむんことことことのののいといといとかうかうこうやくやくやくなしなしなしことことことおほからおほからおおからずずずともともともかゝかゝかかせせせたまへたまへたまえ。。。見見み給給たまへへえむむん
- 18夢夢ゆめにてにてにてもももちりちりちり侍侍はべらららばばばいといといといみじからいみじからいみじからむむん。。。またまたまたまたまたまたもももおほくおほくおおくぞぞぞ侍侍はべるるる。。。このこのこの頃頃ころほんごほんごほんごどもどもども皆皆みなやりやりやりやきやきやきうしなひうしなひうしない、、、ひゝなひゝなひいななどなどなどのののやややつくりつくりつくりににに、、、このこのこの春春はるしししはべりはべりはべりにににししし後後のち、、、人人ひとのののふみふみふみももも侍侍はべらららずずず。。。
- 19かみかみかみにににわざとわざとわざとかゝかゝかかじじじとととおもひおもひおもい侍侍はべるるるぞぞぞいといといとやつれやつれやつれたるたるたる。。。事事ことわろきわろきわろきかたかたかたにににははは侍侍はべらららずずず。。。ことさらことさらことさらににに御御ご覽覽らんじじじてててははは疾疾とうううたまはらたまはらたまわらむむん、、、えええよみよみよみ侍侍はべらららぬぬぬ所所ところ々々どころ、、、文文も字字じおとしおとしおとしぞぞぞ侍侍はべらららむむん。。。それそれそれははは何何なにかかかははは御御ご覽覽らんじじじももももらさもらさもらさせせせ給給たまへへえかしかしかし。。。
- 20かくかくかく世世よののの人人ひとことことことのののうへうへうえををを思思おもひひい思思おもひひい、、、はてはてはてにににとぢめとぢめとじめ侍侍はべれれればばば、、、身身みををを思思おもひひいすてすてすてぬぬぬ心心こころのののさささもももふかうふかうふこう侍侍はべるるるべきべきべきかなかなかな。。。何何なにせせせむむんとととにににかかか侍侍はべらららむむん。。。
現代語訳
帝が『源氏物語』を人に読ませてお聞きになっていたときに、「この人は日本紀を読んでいるにちがいない。本当に学才があるのだろう」とおっしゃったのを、
(左衛門の内侍は)ふと当て推量で、「たいそう学才があるのを鼻にかけている」と殿上人などに言いふらして、「日本紀の御局」とあだ名をつけたのでした。まったく笑止なことでございます。
自分の家の侍女の前でさえ(学問のあることを)隠していますのに、そのような宮中で、どうして学識をひけらかしたりいたしましょうか。
この式部の丞という人(弟の惟規)が子どもで、『史記』という書物を読んでおりましたとき、わたしはそばで聞き覚えていて、弟は読み取るのが遅く、忘れるところも、わたしは不思議なほどすらすらと理解しましたので、
学問に熱心だった父は、「残念なことだ。この子を男の子として持たなかったのが、わたしの不運だ」といつも嘆いておられました。
それなのに、「男でさえ学識を鼻にかける人はどうでしょうか。ぱっとしないことばかりのようですよ」としだいに人が言うのを聞きとめてからは、「一」という文字さえ書きもせず、たいそう不調法で、あきれるほどでございます。
以前読んだ書物などというものも、目にもとめなくなっておりましたのに、ますますこのような噂を聞きましたので、どんなに人も伝え聞いて憎むだろうかと恥ずかしくて、御屏風の上に書いてある漢詩さえ読めない顔をしておりましたのに、
中宮さまが御前で『白氏文集』のところどころを(わたしに)読ませなさったりして、そうした方面のことを知りたそうにお思いになっていたので、
たいそう人目を忍んで、女房たちが控えていない合間合間に、一昨年の夏ごろから、「楽府」という巻を二巻、たどたどしいながらお教え申し上げておりますことも、隠しております。
中宮さまもお隠しになっていたけれど、殿も帝もそのようすをお知りになって、(楽府の)御本などを見事に書かせて、殿は中宮さまに差し上げなさる。
本当にこうして(中宮さまが漢籍を)お読みになったりしていることは、まさかあの口さがない内侍は聞いていないでしょう。知ったらどんなに悪口を言うことでしょうと思うと、すべて世の中はわずらわしく、つらいものでございます。
もう今は言葉を慎むこともいたしますまい。人が何と言おうと、ただ阿弥陀仏に向かって、怠りなく経を習いましょう。
世の中のいとわしいことには、すっかり露ほども心がひかれなくなっておりますので、出家することにためらいもございませんが、ただひたすら世を捨てても、(極楽へ迎えの)雲に乗るまでのあいだは、心が揺らぐこともきっとございましょう。
それでためらっているのです。年もまたちょうどよいころになってゆきます。これからひどく老いぼれては、目もかすんで経も読めないでしょう。心もいっそう怠りがちになるでしょうから、
思慮深い人のまねのようですが、今はただこうした(仏道の)ことばかりを思っております。とはいえ、罪の深い身は、また必ずしも願いがかなわないでしょう。前世の宿縁の悪さを思い知らされることばかり多くございますので、何かにつけて悲しゅうございます。
お手紙には書き続けられないことを、よいことも悪いことも、世の中のことも身の上の嘆きも、残らず申し上げておきたいのでございます。けしからぬ人のことを申し上げるにしても、こんなことでよいものでしょうか。
けれども、所在なくしていらっしゃるでしょう。またわたしの所在ない心の中もご覧ください。また、お思いになることを、こんなに役に立たないことでなくても、お書きください。拝見しましょう。
(この手紙が)万一にも人の目に散ったら、たいそう困ります。ほかにも言いたいことはたくさんございます。このごろは、反故もみな破ったり焼いたりして、雛遊びの家作りにこの春使ってしまってからは、人の手紙もございません。
(新しい)紙にわざわざは書くまいと思っておりますのは、たいそうみすぼらしいことです。(でも)悪気があってのことではございません。わざわざご覧になったら、早くお返しください。読みにくいところや、字の抜けたところもございましょう。それはどうか見過ごしてください。
こうして世の人のことをあれこれ思い続けて、最後に(自分のことで)結びますと、自分を思い捨てられない心は、こんなにも深いものなのですね。いったいどうしようというのでしょう。
意訳
一条天皇は『源氏物語』を読ませて聞き、作者は日本紀(正史)を読んでいるにちがいないと、その学識をほめた。
それを聞いた左衛門の内侍は、作者が学識を鼻にかけていると言いふらし、「日本紀の御局」というあだ名をつけた。作者は「いとをかしく」と皮肉をこめて書く。
自宅の侍女の前でさえ学識を隠しているのに、宮中でひけらかすはずがない、と作者は反論する。
作者は幼いころの思い出を語る。弟の惟規が『史記』を習っていたとき、そばで聞いていた作者のほうが早く覚えてしまった。
学者の父為時は、この子が男であったらと嘆いた。作者の並はずれた才能を伝える、名高い逸話である。
しかし、学識をひけらかす人は男でもうまくいかないと聞いてからは、「一」の字さえ書かないようにしてきた。
「日本紀の御局」の噂を聞いてからは、屏風の漢詩も読めないふりをした。
ところが中宮は、作者に『白氏文集』を読ませ、漢詩文を学びたいと望んだ。
作者は人目を忍んで、一昨年の夏から中宮に「新楽府」を進講してきた。中宮自身の学びたいという意志に応えたのである。
そのことは道長も帝も知るところとなり、道長は見事な写本を作らせて中宮に贈った。
このことをあの内侍が知ったらどんなに悪口を言うだろう。世の中はわずらわしいと作者は嘆く。
ここで話は大きく転じ、作者は出家の願いを語る。人が何と言おうと、阿弥陀仏に向かって経を学ぼう、と。
世俗への執着はもうないが、出家しても往生までのあいだに心が揺らぐかもしれない。
そのためにためらっている。年齢もちょうどよいころだ。もっと老いたら経も読めなくなるだろう。
今は仏道のことばかり思うが、罪深い身ではかなわないかもしれない。前世の因縁を思うと悲しい。
ここから手紙の結びに入る。手紙には書けないことを残らず伝えておきたかった、と相手に語りかける。
相手も所在ないだろうから、自分の心を見てほしい、あなたも思うことを書いてほしい、と言う。
この手紙が人に見られたら困る。反故の紙もみな雛遊びに使ってしまい、手紙もないと言う。
古い紙に書いたこの手紙を、早く返してほしい、読みにくいところは見過ごしてほしいと頼む。
人のことをあれこれ書いてきて、最後は自分のことで結んでしまう。自分を思い捨てられない心の深さに、作者は自分でもあきれている。消息文はここで終わる。
語釈・文法注
- 日本紀
- 『日本書紀』をはじめとする国史(六国史)。漢文で書かれた正史で、男性の教養とされた。
- 式部の丞
- 作者の弟(兄とする説もある)、藤原惟規(のぶのり)。
- 文集
- 『白氏文集』。唐の詩人白居易の詩文集。平安時代の貴族にもっとも愛読された漢籍。
- 樂府
- 『白氏文集』の巻三・四の「新楽府」。社会や政治を風刺した詩五十首からなる。
文法
- 「ふとおしはかりに」
- よく考えもせずに当て推量で。
- 「さる所にてざえさがしいで侍らむよ」
- 反語。どうして学識をひけらかしたりいたしましょうか。
- 「をのこ子にてもたらぬこそさいはひなかりけれ」
- 男の子として持たなかったのが不運だった。当時、漢学は男性官人の出世に必要な学問だった。
- 「てづゝ」
- 手筒(てづつ)。不器用、不調法なこと。
- 「かうをしへ、たへ聞えさせて」
- 底本のまま。通行本文は「教へたて聞こえさせて」で、お教え申し上げて、と解した。
- 「けたいすべうも」
- 「けたい(懈怠)」は、怠ること。出家をためらうことも、の意。
- 「はためづらとぞ經よまず」
- 底本のまま。通行本文は「はた目暗うて経読まず」で、目もかすんで経も読めないだろう、と解した。
- 「ひゝななどのやつくり」
- 雛遊びの人形の家作り。反故紙をその材料に使った。
解説
「日本紀の御局」の逸話は、作者の学識の深さと、それを隠して生きねばならなかった女性の立場をよく伝えるものとして名高い。幼いころ弟より早く『史記』を覚え、父に「男でないのが不運だ」と嘆かせた思い出も、この部分で語られる。
作者は学識を隠し、「一」の字も書かないようにしていたが、中宮彰子の求めに応じて、人目を忍んで『白氏文集』の新楽府を進講した。新楽府は為政者の心得を説く詩を含み、一条天皇の中宮としての教養を深めるものだった。
消息文の最後は、出家への思いと、手紙の相手への語りかけで結ばれる。人のことを書いてきながら、結局は自分のことに帰ってしまう自分を見つめる最後の一文に、この日記の内省的な性格が凝縮されている。この消息文の宛先については、娘の賢子とする説などがあるが、定かではない。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(紫式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、411–413頁(コマ217–218)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日