紫式部日記 第17章
和泉式部・赤染衛門・清少納言
作者は同時代の女流歌人を評する。和泉式部は手紙も歌も魅力的だが行いに感心できず、歌論の素養には欠ける。赤染衛門は控えめで品格ある歌詠み。清少納言は得意顔で漢字を書き散らすが中身は浅く、行く末はよくないと手厳しい。そして筆は、何の取り柄もなく生きてきた自分自身へと向かう。
- 1和和いず泉泉み式式しきととといふいふいう人人ひとこそこそこそおもしろうおもしろうおもしろうかきかきかきかはしかはしかわしけるけるける。。。されどされどされど和和いず泉泉みはははけしからけしからけしからぬぬぬかたかたかたこそこそこそあれあれあれ。。。
- 2うちとけうちとけうちとけててて文文ふみはしりはしりはしりがきがきがきたるたるたるににに、、、そのそのそのかたかたかたのののざえざえざえあるあるある人人ひと、、、はかないはかないはかない詞詞ことばのののにほひにほひにおいももも見見みえええ侍侍はべるるるめりめりめり。。。
- 3歌歌うたはははいといといとをかしきをかしきおかしきことことこと、、、物物ものおぼえおぼえおぼえ、、、歌歌うたのののことわりことわりことわり、、、まことまことまことののの歌歌うたよみよみよみざまざまざまにににこそこそこそ侍侍はべらららざざざめれめれめれ。。。口口くちにににまかせまかせまかせたるたるたる事事ことどもどもどもににに、、、必必かならずずずをかしきをかしきおかしき一一ひとふしふしふしののの目目めにににとまるとまるとまるよみよみよみそへそへそえはべりはべりはべり。。。
- 4それそれそれだにだにだに人人ひとのののよみよみよみたらたらたらむむん歌歌うたなんじなんじなんじことわりことわりことわりゐゐいたらたらたらむむんははは、、、いでやいでやいでや、、、さささまでまでまで心心こころはははえええじじじ、、、口口くちにににいといといとうたうたうたのののよまよまよまるゝるゝるるなななめりめりめりとととぞぞぞ、、、見見みえええたるたるたるすぢすぢすじににに侍侍はべるるるかしかしかし。。。はづかしげはづかしげはずかしげののの歌歌うたよみよみよみやややとととははは覺覺おぼえええ侍侍はべらららずずず。。。
- 5丹丹たん波波ば守守のかみののの北北きたのののをををばばば、、、宮宮みや、、、殿殿とのなどなどなどのののわたりわたりわたりにににははは匡匡まさ衡衡ひら衞衞え門門もんとととぞぞぞいひいひいいはべるはべるはべる。。。
- 6ことことことにににやんごとなきやんごとなきやんごとなき程程ほどならならならねねねどどど、、、まことにまことにまことにゆゑゆゑしくゆゑゆゑしくゆえゆえしく歌歌うたよみよみよみとてとてとて、、、よろづよろづよろずのののことことことにににつけつけつけててて詠詠よみみみちらさちらさちらさねねねどどど、、、聞聞きこえええたるたるたるかぎりかぎりかぎりははははかなきはかなきはかなき折節折節おりふしのののことことこともももそれそれそれこそこそこそはづかしきはづかしきはずかしき口口くちつきつきつきににに侍侍はべれれれ。。。
- 7やゝもせばやゝもせばややもせば腰腰こしはなれはなれはなれぬぬぬばかりばかりばかりをれをれおれかゝりかゝりかかりたるたるたるうたうたうたをををよみよみよみいでいでいで、、、えええもももいはいはいわぬぬぬよしばみよしばみよしばみごとごとごとしししてててももも、、、われわれわれかしこかしこかしこににに思思おもひひいたるたるたる人人ひと、、、にくゝにくゝにくくもももいとほしくいとほしくいとおしくももも覺覺おぼえええ侍侍はべるるるわざわざわざなりなりなり。。。
- 8淸淸せい少少しょう納納なこそこそこそ、、、したりしたりしたり顏顏がおにににいみじういみじういみじゅう侍侍はべりりりけるけるける人人ひと。。。さばかりさばかりさばかりさかしさかしさかしだちだちだちまなまなまな書書かきききちらしちらしちらしててて侍侍はべるるるほどほどほどももも、、、よくよくよく見見みれれればばばまだまだまだいといといと堪堪たへへえぬぬぬことことことおほかりおほかりおおかり。。。
- 9かくかくかく人人ひとににに異異ことならならならむむんととと思思おもひひい好好このめるめるめる人人ひとははは、、、必必かならずずず見見みおとりおとりおとりししし行行ゆくくく末末すえうたてうたてうたてのみのみのみはべれはべれはべればばば、、、
- 10えんえんえんににになりなりなりぬるぬるぬる人人ひとははは、、、いといといとすごうすごうすごうすゞろすゞろすずろなるなるなるをりをりおりももも、、、ものものものゝゝの哀哀あわれれれにににすゝみすゝみすすみ、、、をかしきをかしきおかしき事事ことももも見見みすぐさすぐさすぐさぬぬぬほどほどほどににに、、、おのづからおのづからおのずからさるさるさるまじくまじくまじくあだあだあだなるなるなるさまさまさまにににもももなるなるなるににに侍侍はべるるるべしべしべし。。。そのそのそのあだあだあだににになりなりなりぬるぬるぬる人人ひとのののはてはてはて、、、いかでいかでいかでかかかはははよくよくよくはべらはべらはべらむむん。。。
- 11かくかくかくかたかたかたかたかたかたにににつけつけつけててて一一ひとふしふしふしのののおもひおもひおもいいでいでいでとるとるとるべきべきべき事事ことなくなくなくててて過過すぐしぐしぐし侍侍はべりりりぬるぬるぬる人人ひとののの、、、殊殊ことにににゆくすゑゆくすゑゆくすえのののたのみたのみたのみもももなきなきなきこそこそこそ慰慰なぐさめめめおもふおもふおもう方方かただにだにだに侍侍はべらららねねねどどど、、、心心こころすごうすごうすごうもてなすもてなすもてなす身身みぞぞぞとととだにだにだに思思おもひひい侍侍はべらららじじじ。。。
- 12そのそのその心心こころなほなほなお失失うせせせぬぬぬにににややや、、、物物ものおもひおもひおもいまさるまさるまさる秋秋あきののの夜夜よももも、、、はしはしはしにににいでいでいでゐゐいてててながめながめながめばばば、、、いとゞいとゞいとど月月つきやややいにしへいにしへいにしえをををめでめでめでけむけむけんととと見見みえええたるたるたるありさまありさまありさまををを催催もよおすすすやうやうようににに侍侍はべるるるべしべしべし。。。
- 13世世よののの人人ひとののの忌忌いむむむととといひいひいい侍侍はべるるるとがとがとがをををももも必必かならずずずわたりわたりわたり侍侍はべりりりなななむむんととと憚憚はばかららられれれててて、、、すこしすこしすこし奥奥おくにににひきひきひき入入いりりりてててぞぞぞさすがさすがさすがににに心心こころのののうちうちうちにににははは盡盡つきききせせせずずず思思おもひひいつゞけつゞけつづけられられられ侍侍はべるるる。。。
- 14風風かぜののの凉凉すずしきしきしき夕夕ゆう暮暮ぐれ、、、きゝきゝききよからよからよからぬぬぬひとりひとりひとりことことことをををかきかきかきならしならしならしてててははは、、、嘆嘆なげきききくはゝるくはゝるくわわるととと聞聞ききききしるしるしる人人ひとやややあらあらあらむむんととと、、、ゆゝしくゆゝしくゆゆしくなどなどなど覺覺おぼえええ侍侍はべるるるこそこそこそをこをこおこにににもももあはれあはれあわれにににももも侍侍はべりりりけれけれけれ。。。
- 15さるさるさるはははあやしうあやしうあやしゅう黑黑くろみみみすゝけすゝけすすけたるたるたる曹曹ぞう司司しににに、、、さうさうそうののの琴琴こと、、、和和わ琴琴ごんしらべしらべしらべながらながらながら心心こころににに入入いれれれててて雨雨あめふるふるふる日日ひ琴琴ことぢぢじたふせたふせたおせなどなどなどもももいひいひいい侍侍はべらららぬぬぬまゝまゝままににに、、、ちりちりちり積積つもりりりててて、、、
- 16よせよせよせたてたてたてたりたりたりしししづしづしずしととと柱柱はしらのののはざまはざまはざまににに、、、くびくびくびさしさしさし入入いれれれつゝつゝつつ、、、琵琵び琶琶わもももひだりひだりひだり右右みぎにににたてたてたて侍侍はべりりり。。。
- 17おほきおほきおおきなるなるなる厨厨ず子子し一一ひとよろひよろひよろいにににひまひまひまもももなくなくなく積積つみみみててて侍侍はべるるるものものもの、、、一一ひとつつつにににはははふるふるふる歌歌うた物物ものかたりかたりかたりのののえええもももいはいはいわずずず蟲蟲むしののの巢巢すににになりなりなりわたるわたるわたる、、、むつかしくむつかしくむつかしくはひはひはいちれちれちればばばあけあけあけてててみるみるみる人人ひとももも侍侍はべらららずずず。。。
- 18かたつかたつかたつ方方かたにににふみふみふみどもどもども、、、わざとわざとわざとおきおきおきかさねかさねかさねししし人人ひとももも侍侍はべらららずずずなりなりなりにににしししのちのちのち手手て觸觸ふるゝるゝるる人人ひとももも殊殊ことににになしなしなし。。。
- 19それらそれらそれらをををつれづれつれづれつれづれせめてせめてせめてあまりあまりあまりぬるぬるぬるときときとき、、、一一ひとつつつ二二ふたつつつひきひきひきいでいでいでゝゝて見見み侍侍はべるるるををを、、、女房女房にょうぼう集集あつまりりりててて、、、
- 20「「「おおおまへまへまえはははかくかくかくおはすれおはすれおわすれどどど御御おおんさいはひさいはひさいわいははは少少すくなきききなりなりなり。。。なでふなでふなじょう女女おんながががまんなまんなまんなふみふみふみはははよむよむよむ。。。昔昔むかしははは經經きょうよむよむよむをををだにだにだに人人ひとははは制制せいしししききき」」」とととしりうごちしりうごちしりうごちいふいふいうををを聞聞ききききはべるはべるはべるにににももも、、、
- 21物物もの忌忌いみみみけるけるける人人ひとののの行行ゆくくく末末すえ命命いのちながゝるながゝるながかるめるめるめるよしよしよしともともともみえみえみえぬぬぬためしためしためしなりなりなりととといはいはいわまほしくまほしくまほしく侍侍はべれれればばば、、、思思おもひひいくまくまくまなきなきなきやうやうようなりなりなり。。。
- 22ことことことはたはたはたさささもももありありあり、、、萬萬よろずののの事事こと人人ひとににによりよりよりてててことごとことごとことごとなりなりなり。。。ほこりかほこりかほこりかにににきらきらしくきらきらしくきらきらしく心心ここちちちよげよげよげににに見見みゆるゆるゆる人人ひとありありあり。。。
現代語訳
和泉式部という人こそ、趣深く手紙を書き交わしたものです。けれども、和泉には感心できない面があります。
気軽に手紙をさらさらと書いたものには、その方面の才能のある人で、ちょっとした言葉にもつややかな美しさが見えるようです。
歌はたいそう趣深いのですが、古歌の知識や歌の理論など、本格的な歌人のようではございません。口にまかせて詠んだ歌の中に、かならず趣深い一点の、目にとまる詠みぶりがそえてあります。
それでも、人の詠んだ歌を非難したり批評したりしているのは、さあ、それほどよくわかってはいないでしょう、口をついて自然に歌が詠まれるのだろうと見える類の人でございますよ。こちらが気後れするほどの歌人とは思われません。
丹波守(大江匡衡)の北の方を、中宮さまや殿のあたりでは匡衡衛門と呼んでいます。
特に高貴な家柄というわけではないけれど、本当に風格があって、歌人だからといって何にでも詠み散らすことはしないけれど、知られている限りの歌は、ちょっとした折のものでも、それこそこちらが気後れするような詠みぶりです。
ともすると、腰の句が離れてしまうほど腰折れの歌を詠み出して、何とも言えない気どったことをしてまで、自分は賢いと思っている人は、憎らしくも気の毒にも思われることです。
清少納言こそ、得意顔をしてひどく偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字を書き散らしていますその程度も、よく見ればまだたいそう足りないことが多い。
このように人と違っていようと好む人は、かならず見劣りがして、行く末はいやなことばかりになりますので、
風流ぶるようになってしまった人は、たいそうもの寂しくつまらないときでも、しみじみとした情趣に浸り、趣深いことも見逃すまいとするうちに、自然とあってはならない浮ついたありさまにもなるのでしょう。その浮ついてしまった人の行く末が、どうしてよいことがございましょう。
このように、あれこれにつけて一つも思い出となるようなこともなく過ごしてまいりましたわたしが、特に将来の頼みもないのは、慰めに思うことさえございませんが、(それでも)心寂しくふるまう身だとだけは思いますまい。
そうした(風流を好む)心がやはり失せないのでしょうか、物思いのまさる秋の夜も、端近くに出て座って眺めていると、いっそう、月が昔の(自分の若いころを)めでていたのかと思われるようなありさまを、誘い出すようでございます。
世の人が忌むという(月を見る)とがめにも、きっと当たってしまうだろうと気がひけて、少し奥に引っこんでは、それでもやはり心の中では尽きることなく思い続けられるのでございます。
風の涼しい夕暮れに、聞きよくもない独り弾きを掻き鳴らしては、「嘆きを加える」と聞き知る人がいるかもしれないと、縁起でもないなどと思われるのは、ばかげてもいるし、しみじみともしたことでした。
とはいえ、みすぼらしく黒くすすけた部屋に、箏の琴と和琴とを調子を合わせたまま、心をこめて「雨の降る日は琴柱を倒せ」などとも言わないままに、塵が積もって、
立てかけておいた厨子と柱のあいだに、首をさし入れたまま、琵琶も左右に立ててあります。
大きな厨子一対にすきまもなく積んでありますものは、一方には古歌や物語の本で、言いようもなく虫の巣になってしまっていて、気味悪く虫がはい散るので、開けて見る人もございません。
もう一方には漢籍類で、わざわざ大切に積み重ねておいた人(亡き夫)もいなくなってしまったあとは、手を触れる人も特にいない。
それらを、所在なさがひどくつのったときに、一つ二つ引き出して見ておりますと、女房たちが集まって、
「奥さまはこんなふうでいらっしゃるから、ご幸運が少ないのです。どうして女が漢文の書物を読むのでしょう。昔はお経を読むことさえ人は止めたものです」と陰口を言うのを聞きますにつけても、
縁起をかついだ人が、行く末長生きしたらしいということも見えない例ですよと言いたくなりますが、(それを言っては)思いやりがないようです。
それはまたもっともなこともあり、万事は人によってそれぞれ違うものです。得意げにきらびやかで、気持ちよさそうに見える人もいます。
意訳
最初に取りあげるのは和泉式部。手紙のやりとりは見事だが、恋愛遍歴など行いには感心できない、という。
気軽な手紙の文章には天性の才能がにじむ。
歌も魅力的だが、古歌の知識や歌論に裏打ちされたものではない。それでも、口から出まかせの歌にもかならず光る一節がある。
そのわりに人の歌を批評するのは、歌の理論がわかっていないからだろう、と作者は言う。天性の歌人と認めつつ、学識の面では評価しない。
次に赤染衛門。夫の大江匡衡の名から、匡衡衛門と呼ばれていた。
赤染衛門は身分は高くないが品格があり、むやみに歌を詠み散らさない。その歌は、こちらが気後れするほどすぐれている。作者の評価はもっとも高い。
一方、下手な歌を得意げに詠む人は、憎らしくも気の毒でもあると、比較のために付け加える。
そして清少納言。得意顔で漢字を書き散らしているが、よく見れば未熟なところが多いと厳しく批判する。
人と違っていようとする人は、かならず見劣りがして、行く末はよくない。
風流を気どって情趣に浸ろうとすると、浮ついた軽薄な人になってしまう。そんな人の行く末がよいはずがない、と結ぶ。清少納言への評としては、きわめて手厳しい。
ここから筆は自分自身に向かう。自分は何の思い出もなく、将来の頼みもないが、それでも心寂しく生きる身だとは思うまい、と言う。
それでも風流を好む心は消えない。秋の夜、月を眺めていると、昔を思い出させられる。
月を見るのは不吉だという世間の言い伝えを気にして、奥に引っこむが、心の中では思い続けてしまう。
琴を弾けば、嘆きを加えると聞きとがめる人がいるかもしれないと思う。作者は自分の行動を「をこ(ばかげている)」とも「あはれ」とも言う。
作者の部屋の描写。すすけた部屋に、琴が手入れもされず置かれている。
琵琶も立てかけたままである。
古歌や物語の本は虫に食われ、開ける人もいない。
亡き夫が大切にしていた漢籍も、手に取る人はいない。
所在ないときに、作者はその漢籍を読む。
すると侍女たちが、女が漢籍を読むから幸せが薄いのだと陰口を言う。当時、漢文は男性の学問とされていた。
作者は、縁起をかつぐ人が長生きしたためしもないと言い返したくなるが、思いやりがないと思ってやめる。
人それぞれだと考えなおす。この先、作者は自分の生き方について語ってゆく。
語釈・文法注
- 和泉式部
- 平安中期の歌人(生没年未詳)。情熱的な恋の歌で知られ、『和泉式部日記』の作者とされる。このころ中宮彰子に出仕していた。
- 丹波守の北の方
- 赤染衛門(生没年未詳)。大江匡衡の妻で、倫子・彰子に仕えた歌人。『栄花物語』正編の作者とする説がある。
- 淸少納言
- 平安中期の歌人・随筆家(生没年未詳)。一条天皇の皇后定子に仕え、『枕草子』を著した。定子は長保二年(1000)に亡くなっており、作者と同時期に宮仕えをしてはいない。
文法
- 「歌なんじことわりゐたらむは」
- 「なんじ」は「難じ(非難し)」。人の歌を非難したり批評したりしているのは、の意。
- 「腰はなれぬばかりをれかゝりたるうた」
- 腰の句(第三句)が離れてしまうほどの腰折れ歌。下手な歌のこと。
- 「まな書きちらして」
- 「まな」は真名(漢字)。女性はふつう仮名を用い、漢字は男性の文字とされた。
- 「いとゞ月やいにしへをめでけむ」
- 底本のまま。月が昔をめでたのか、と思われるほど、昔のことが思い出される、と解した。
- 「雨ふる日琴ぢたふせ」
- 雨の日は湿気で糸がゆるむので琴柱を倒しておけ、という言い習わし。
- 「なでふ女がまんなふみはよむ」
- 「なでふ」は「なにといふ」の転で、どうして。「まんなふみ」は真名書(漢籍)。
解説
消息文の中でもっとも名高い、同時代の女流文学者の評である。和泉式部については、手紙の文章や天性の歌才を認めつつ、行いと学識には感心しないとする。赤染衛門は品格のある歌人として高く評価される。そして清少納言は、得意顔で漢字を書き散らすが中身は浅いと、きわめて手厳しく批判される。
清少納言はすでに宮仕えを退いており、作者と直接の面識はなかったと考えられている。それでもこれほど厳しく批判するのは、亡き皇后定子の後宮を華やかに描いた『枕草子』の評判が、彰子の後宮にとって無視できないものだったからだとも、学識を誇る生き方への作者自身の反発からだとも言われる。
後半、作者は自分自身を語り始める。すすけた部屋で虫食いの書物に囲まれ、亡き夫の漢籍を読んでいると侍女に陰口を言われる。漢学の才を持ちながら、それを表に出すことをはばかる作者の姿は、次の章の「日本紀の御局」の話へとつながってゆく。
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出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(紫式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、408–409頁(コマ216)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日