紫式部日記 第7章
行幸の夜の加階
日が暮れると舞楽が始まり、若宮の泣き声に「万歳楽」の声が重なる。道長は感激のあまり酔い泣きし、帝は中宮職と道長家の家司に位を授けて夜更けに還御する。翌日には若宮の家司が定まり、夜には中宮大夫斉信と亮実成が女房たちの局を訪れる。
- 1暮暮くれれれゆくゆくゆくまゝまゝままにににがくがくがくどもどもどもいといといとおもしろしおもしろしおもしろし。。。上達部上達部かんだちめおおおまへまへまえににに侍侍さぶらひひいたまふたまふたまう。。。
- 2萬萬まん歲歲ざい樂樂らく、、、太太たい平平へい樂樂らく、、、賀賀か殿殿でんなどなどなどいふいふいう舞舞まいどもどもども、、、長長ちょう慶慶げい子子しをををまかでまかでまかで音音おん聲聲じょうにににあそびあそびあそびててて、、、山山やまのののさきさきさきのののみちみちみちををを舞舞まふふう。。。
- 3ほどほどほどとほくとほくとおくなりなりなりゆくゆくゆくまゝまゝままににに、、、笛笛ふえののの音音ねももも鼓鼓つづみのののおとおとおとももも松松まつ風風かぜももも、、、こぶかくこぶかくこぶかく吹吹ふきききあはせあはせあわせててていといといとおもしろしおもしろしおもしろし。。。
- 4いといといとよくよくよく拂拂はらははわれれれたるたるたる遣遣やり水水みずのののこゝちこゝちここちゆきゆきゆきたるたるたる氣氣け色色しきしししててて、、、池池いけののの水水みず波波なみたちたちたちさわぎさわぎさわぎそゞろそゞろそぞろ寒寒さむきききににに、、、うへうへうえののの御御おおんあこめあこめあこめ、、、たゞたゞただ二二ふたつつつ奉奉たてまつりりりたまへたまへたまえりりりたりたりたり。。。
- 5左左さ京京きょうののの命命みょう婦婦ぶのののおのがおのがおのが寒寒さむかかかめるめるめるまゝまゝままににに、、、いとほしがりいとほしがりいとおしがりきこえきこえきこえさするさするさするををを、、、人人ひと々々びとはははしのびしのびしのびててて笑笑わらふふう。。。
- 6筑筑ちく前前ぜんののの命命みょう婦婦ぶははは故故このののおはしましおはしましおわしましゝゝしときときとき、、、このこのこの殿殿とのののの行行ぎょう幸幸こうはははいといといとたびたびたびたびたびたびありありありしししことことことなりなりなり。。。そのそのそのをりをりおりかのかのかのをりをりおりなどなどなど思思おもひひい出出いでででゝゝていふいふいうををを、、、
- 7ゆゝしきゆゝしきゆゆしき事事こともももありありありぬぬぬべかべかべかめれめれめればばば、、、わづらはしわづらはしわずらわしとてとてとてことことことにににあへしらはあへしらはあえしらわずずず。。。几帳几帳きちょう隔隔へだてててゝゝてあるあるあるなななめりめりめり。。。あはれあはれあわれいかなりいかなりいかなりけむけむけんなどなどなどだにだにだにいふいふいう人人ひとあらあらあらばばば、、、うちうちうちこぼしこぼしこぼしつつつべかべかべかめりめりめり。。。
- 8御御お前前まえののの御御おおんあそびあそびあそびはじまりはじまりはじまりててて、、、いといといとおもしろきおもしろきおもしろきににに、、、若若わか宮宮みやののの御御おおん聲聲こえうつくしううつくしううつくしゅう聞聞きこえええたまふたまふたまう。。。
- 9右右みぎののの「「「萬萬まん歲歲ざい樂樂らく御御おおん聲聲こえにににあひあひあいてててなむなむなん聞聞きこゆるゆるゆる」」」ととともてもてもてはやしはやしはやしきこえきこえきこえ給給たまふふう。。。
- 10左左さ衞衞え門門もんののの督督かみなどなどなど「「「萬萬まん歲歲ざい樂樂らく、、、千千せん秋秋しゅう樂樂らく」」」ととともろもろもろ聲聲ごえにににずしずしずしててて、、、
- 11あるじあるじあるじののの大大おおいいい殿殿との「「「あはれあはれあわれさきざきさきざきさきざきののの行行ぎょう幸幸こうをををなどてなどてなどてめいぼくめいぼくめいぼくありありありととと思思おもひひい給給たまへへえけむけむけん。。。かゝりかゝりかかりけるけるけることことことももも侍侍はべりりりけるけるけるものものものををを」」」ととと醉醉えひひい泣泣なきききしししたまふたまふたまう。。。
- 12さらさらさらなるなるなることことことなれなれなれどどど御御おおんみづからみづからみずからもももおぼしおぼしおぼししるしるしるこそこそこそいといといとめでたけれめでたけれめでたけれ。。。
- 13殿殿とのはははあなたあなたあなたににに出出いでででさせさせさせたまふたまふたまう。。。うへうへうえははは入入いらららせせせ給給たまひひいててて、、、右右みぎのののおとゞおとゞおとどををを御御お前前まえににに召召めしししててて筆筆ふでとりとりとりててて書書かきききたまふたまふたまう。。。宮宮みやづかさづかさづかさ、、、殿殿とのののの家家け司司いしのののさるべきさるべきさるべきかぎりかぎりかぎり加加かすすす。。。
- 14頭頭とうののの辨辨べんしししてててあないあないあないははは奏奏そうせせせさせさせさせ給給たまふふうめりめりめり。。。
- 15あたらしきあたらしきあたらしき宮宮みやののの御御おおんよろこびよろこびよろこびににに、、、うちうちうちののの上達部上達部かんだちめひきひきひき連連つれれれててて拜拜はいししし奉奉たてまつりりりたまふたまふたまう。。。藤藤ふじ原原はらながらながらながら門門かど分分わかれれれたるたるたるははは、、、列列れつにににもももたちたちたち給給たまははわざりざりざりけりけりけり。。。
- 16次次つぎににに別別べつ當當とうににになりなりなりたるたるたる右右う衞衞え門門もんののの督督かみ、、、大大おお宮宮みやののの大大だい夫夫ぶよよよ宮宮みやのののすけすけすけ、、、加加か階階かいしししたるたるたる侍侍じ從從じゅうののの宰宰さい相相しょうつぎつぎつぎつぎつぎつぎののの人人ひと舞舞ぶ踏踏とうすすす。。。
- 17宮宮みやののの御御おおんかたかたかたににに入入いらららせせせ給給たまひひいててて程程ほどもももなきなきなきににに夜夜よいたういたういとうふけふけふけぬぬぬ。。。御御み輿輿こしよすよすよすとととのゝしれのゝしれののしればばば、、、いでいでいでさせさせさせ給給たまひひいぬぬぬ。。。
- 18またまたまたのののあしたあしたあしたににに、、、內內うちののの御御おおん使使つかい、、、朝朝あさ霧霧ぎりもももはれはれはれぬぬぬににに參參まいれれれりりり。。。うちうちうちやすみやすみやすみすぐしすぐしすぐしててて見見みずずずなりなりなりにににけりけりけり。。。
- 19今日今日きょうぞぞぞ始始はじめめめてててそひそひそい奉奉たてまつらららせせせたまふたまふたまう。。。ことさらことさらことさらににに行行ぎょう幸幸こうののの後後のちとてとてとて、、、またまたまたののの日日ひ宮宮みやののの家家け司司いし、、、別別べつ當當とう、、、おもとおもとおもと人人びとなどなどなど職職しき事事じさだまりさだまりさだまりけりけりけり。。。かねてかねてかねてもももきかきかきかでででねたきねたきねたきことことこと多多おおかりかりかり。。。
- 20日日ひ頃頃ごろののの御御おおんしつらひしつらひしつらい例例れいならならならずずずやつれやつれやつれたりたりたりしししををを、、、あらたまりあらたまりあらたまりててて御御お前前まえのののありさまありさまありさまいといといとあらまほしあらまほしあらまほし。。。
- 21年年とし頃頃ごろ心心こころもとなくもとなくもとなく見見み奉奉たてまつりりり給給たまひひいけるけるける御御おおんことことことのののうちうちうちあひあひあいててて、、、あけあけあけたてたてたてははは殿殿とののののうへうへうえももも參參まいりりり給給たまひひいつゝつゝつつもてもてもてかしづきかしづきかしずき聞聞きこえええたまふたまふたまう。。。にほひにほひにおいいといといと心心こころことことことなりなりなり。。。
- 22暮暮くれれれててて月月つきいといといとおもしろきおもしろきおもしろきににに、、、宮宮みやののの女房女房にょうぼうにににあひあひあいててて、、、とりわきとりわきとりわきたるたるたるよろこびよろこびよろこびももも啓啓けいせせせさせさせさせむむんとととにににやややあらあらあらむむん、、、
- 23妻妻つま戶戶どのののわたりわたりわたりももも御御おおん湯湯ゆ殿殿どののののけはひけはひけわいにににぬれぬれぬれ人人ひとののの音音おともももせせせざりざりざりけれけれければばば、、、このこのこの渡渡わた殿殿どのののの東東ひんがしのののつまつまつまなるなるなる宮宮みやののの內內ない侍侍しののの局局つぼねににに立立たちちち寄寄よりりりててて、、、「「「こゝこゝここにににややや」」」とととあああ內內ないしししたまふたまふたまう。。。
- 24宰宰さい相相しょうははは中中なかのののまままににによりよりよりててて、、、まだまだまださゝさゝささぬぬぬ格格こう子子しのののかみかみかみおしおしおしあけあけあけててて、、、「「「おはすおはすおわすややや」」」などなどなどあれあれあれどどど、、、いでいでいでぬぬぬににに、、、
- 25大大だい夫夫ぶののの「「「こゝこゝここにににややや」」」とととのたまふのたまふのたまうにににさへさへさへ、、、聞聞ききききしのばしのばしのばむむんもももことごとしきことごとしきことごとしきやうやうようなれなれなればばば、、、はかなきはかなきはかなきいらへいらへいらえなどなどなどすすす。。。いといといと思思おもふふうことことことなげなげなげなるなるなる御御みけしきけしきけしきどもどもどもなりなりなり。。。
- 26「「「我我わががが御御おおんいらへいらへいらえはははせせせずずず、、、大大だい夫夫ぶををを心心こころことことことにににもてなしもてなしもてなしきこゆきこゆきこゆ、、、ことわりことわりことわりながらながらながらわろしわろしわろし。。。かゝるかゝるかかる所所ところににに上上じょう臈臈ろうのののけちめけちめけちめ、、、いたういたういとうはははわくわくわくものものものかかか」」」とととあはめあはめあわめ給給たまふふう。。。
- 27「「「けふけふきょうのののたふとさたふとさとうとさなどなどなど聲聲こえをかしうをかしうおかしゅううたふうたふうたう。。。夜夜よふくるふくるふくるまゝまゝままににに月月つきいといといとあかしあかしあかし。。。
- 28「「「格格こう子子しのののもともともととりとりとりさげさげさげよよよ」」」とととせめせめせめ給給たまへへえどどど、、、いといといとくだりくだりくだりててて上達部上達部かんだちめののの居居い給給たまははわむむんももも、、、所所ところととといひいひいいながらながらながらかたはらかたはらかたわらいたしいたしいたし。。。
- 29わかやかわかやかわかやかなるなるなる人人ひとこそこそこそ、、、物物もののののほどほどほど知知しらららぬぬぬやうやうようにににあさへあさへあさえたるたるたるももも罪罪つみゆるさゆるさゆるさるれるれるれ、、、なにかなにかなにかあされあされあされがましがましがましととと思思おもへへえばばば放放はなたたたずずず。。。
現代語訳
日が暮れてゆくにつれて、楽の音がたいそう趣深い。上達部は帝の御前にお控えになっている。
万歳楽、太平楽、賀殿などという舞があり、長慶子を退出の楽として演奏して、築山の先の道を舞いながら去ってゆく。
遠ざかってゆくにつれて、笛の音も鼓の音も松風も、木深いところで吹き合わされて、たいそう趣がある。
たいそうよく手入れされた遣水が気持ちよさそうに流れて、池の水面が波立ち、なんとなく寒いのに、帝は御衵をたった二枚お召しになっていた。
左京の命婦が自分が寒いものだから(帝を)お気の毒がり申し上げるのを、女房たちはこっそり笑う。
筑前の命婦は、「故院(円融院)がご在世のときには、この殿への行幸はたびたびあったのですよ。あの折この折は」などと思い出して話すのを、
縁起でもない(涙を誘う)ことになりかねないので、面倒だと思って、とくに相手にもならない。几帳を隔てていたからだろう。「ああ、どんなでしたでしょう」などとでも言う人があれば、きっと泣きだしてしまいそうだった。
帝の御前での管絃の遊びが始まって、たいそう趣深いところに、若宮のお声がかわいらしく聞こえてくる。
右の大臣(顕光)が「万歳楽が若宮のお声に合って聞こえる」ともてはやし申し上げる。
左衛門の督(公任)などが「万歳楽、千秋楽」と声を合わせて朗詠して、
主人の大殿(道長)は「ああ、これまでの行幸を、どうして名誉なことだと思ったのでしょう。このようなこと(若宮の誕生)もあったのに」と、酔い泣きをなさる。
言うまでもないことだが、殿ご自身もそれを身にしみて感じていらっしゃるのが、たいそうすばらしい。
殿はあちらにお出ましになる。帝は奥にお入りになって、右の大臣を御前に召して、筆をとって(加階の名簿を)お書きになる。中宮職の役人や、殿の家司のしかるべき人々がみな位を授けられる。
頭の弁を通して、その次第は(帝に)奏上させなさったようだ。
新しい宮(若宮)の御慶びとして、藤原氏の上達部が連れだって拝舞し申し上げる。同じ藤原でも門流の分かれた人々は、列にもお加わりにならなかった。
次に、別当になった右衛門の督(斉信)、中宮の大夫(斉信)と中宮の亮、加階した侍従の宰相(実成)など、次々の人が拝舞する。
帝が中宮さまの御方にお入りになってほどなく、夜がたいそう更けた。御輿を寄せると大声で言うので、お帰りになった。
翌朝、内裏からのお使いが、朝霧も晴れないうちに参上した。わたしはつい寝過ごして見ずじまいだった。
今日初めて若宮の御髪を削ぎ添えなさる。わざわざ行幸の後にということで、次の日に若宮の家司、別当、侍女などの職員が定まった。前もって聞いていなかったので、残念なことが多かった。
この数日の(産後の)しつらいがいつもと違って簡素だったのを改めて、御前のようすはたいそう申し分ない。
長年待ち遠しく思い申し上げていたこと(皇子の誕生)がかなって、殿の北の方も夜が明けると参上なさっては、大切にお世話申し上げなさる。その輝くようなようすはまことに格別である。
暮れて月がたいそう美しいころ、中宮の亮が女房に会って、特別な(加階の)お礼も啓上させようというのだろうか、
妻戸のあたりも、御湯殿の湯気でぬれて、人の気配もしなかったので、この渡殿の東の端にある宮の内侍の局に立ち寄って、「ここにいるか」と案内を求めなさる。
宰相(実成)は中の間に寄って、まだ閉めていない格子の上を押し開けて、「いらっしゃるか」などと言うけれど、出て行かないでいると、
大夫(斉信)が「ここにいるか」とおっしゃるのにまで、聞き流すのもおおげさなようなので、ちょっとした返事などをする。お二人ともまことに何の悩みもなさそうなご様子である。
「わたしには返事をしないで、大夫を特別にもてなし申し上げる。もっともだが、よくないね。こんな所で上臈の区別を、ひどくつけるものか」と非難なさる。
「今日の尊さ」などと声おもしろく謡う。夜が更けるにつれて、月がたいそう明るい。
「格子の下の戸を取り外せ」と責めなさるけれど、たいそう身を落として上達部が(局の端に)お座りになるのも、場所がらとはいえ見苦しい。
若々しい人なら、物の程をわきまえないようにくだけたふるまいをしても罪は許されようが、何のためにふざけたまねをしようかと思うので、格子は外さない。
意訳
日暮れとともに舞楽が始まる。
舞人は最後の曲を奏しながら、築山の向こうへ舞いながら去ってゆく。
遠ざかる楽の音と松風とが溶け合う。音で場面を描く、冒頭と同じ書き方である。
寒い夜なのに帝は薄着でいる。
自分が寒いのにかこつけて帝を気づかう命婦を、女房たちはおかしがる。
筑前の命婦は、円融院の時代の行幸を懐かしんで語る。
亡き院の思い出は涙を誘うので、作者たちは相手にしない。だれかが相づちを打てば、命婦は泣きだしてしまうだろうという。
管絃の遊びの中、若宮の泣き声が聞こえる。
右大臣顕光は、若宮の声が「万歳楽」に合っていると持ち上げる。
公任らが「万歳楽、千秋楽」と朗詠して祝う。
道長は、これまでの行幸を名誉と思っていたが、今日に比べれば何でもなかったと言って、酔い泣きする。孫の誕生を迎えた喜びが、涙となってあふれる。
作者は、道長自身がその幸せを深くかみしめているのを、すばらしいと讃える。
帝は中宮職と道長家の家司に位を授ける。祝賀の加階である。
その次第を頭の弁が奏上した。
藤原氏の公卿たちが若宮の誕生を祝って拝舞する。ただし道長と門流の異なる藤原氏は加わらなかった。一族の中の微妙な関係がうかがえる。
若宮の別当となった斉信や、加階した人々が次々に拝舞する。
夜更けに帝は内裏へ還御する。
翌朝、帝の使いが来たが、作者は寝過ごして見逃した。作者は自分の失敗も書きとめる。
若宮の髪を削ぎ添える儀があり、翌日には若宮付きの職員が定められた。作者は事前に知らされず、見逃したことを悔しがる。
産後の簡素なしつらいが改められ、御前は晴れやかになる。
待ち望んだ皇子の誕生に、倫子も毎朝中宮のもとへ通い、世話をする。
加階のお礼を伝えようと、中宮の亮(実成)が女房を訪ねてくる。
実成は宮の内侍の局に立ち寄り、案内を求める。
実成は格子を押し開けて声をかけるが、作者は出て行かない。
中宮大夫斉信にまで声をかけられて、作者は少しだけ返事をする。二人とも加階の喜びで上機嫌である。
実成は、自分には返事をせず大夫だけを大事にするのは身分で人を分けるものだ、と冗談まじりに責める。
二人は催馬楽の「今日の尊さ」を謡う。月の明るい夜である。
格子の下の戸を外せと言われるが、作者は、上達部が局の端に座るのは見苦しいと思う。
若い人なら許されるだろうが、自分がふざけたまねをする必要はないと、作者は格子を外さない。自分の立場をわきまえ、軽々しくふるまうまいとする作者の姿勢が表れる。
語釈・文法注
- 故院
- 円融院(959〜991)。一条天皇の父。在位中、道長の父兼家の邸にたびたび行幸した。
- 右のおとゞ
- 右大臣藤原顕光(944〜1021)。
- 加階
- 位階を一つ上げること。慶事にあたって、関係者に恩賞として授けられた。
- 宮のすけ
- 中宮亮。このときは藤原実成(975〜1044)。侍従の宰相とも呼ばれる。
- 「けふのたふとさ」
- 催馬楽「あな尊(たふと)」の一節。「あな尊、今日の尊さや、いにしへもはれ、かくやありけむや」と、めでたい日をたたえる歌。
文法
- 「まかで音聲」
- 退出のときに奏する楽。舞人は長慶子を奏しながら退場した。
- 「奉りたまへりたり」
- 底本のまま。「奉りたまへり」に「たり」が重なった形。
- 「あへしらはず」
- 「あへしらふ」は、応対する、相手になるの意。
- 「大宮の大夫よ宮のすけ」
- 底本のまま。「中宮の大夫と中宮の亮」の意に解した。
- 「あ內したまふ」
- 「あない(案内)」に同じ。取り次ぎを求める。
- 「あさへたる」「あされがまし」
- 底本のまま。「あざれ(戯れ)」と同じで、ふざける、くだけたふるまいをするの意。
解説
行幸の後半、日暮れからの舞楽と管絃の遊び、加階と拝舞、そして帝の還御までを描く。道長の「酔い泣き」の場面は、外孫の皇子を得て栄華の頂点に立った道長の心情を伝えるものとして名高い。
藤原氏の公卿たちが拝舞する中、「門分かれたる」人々が列に加わらなかったという記述は、道長の家と他の藤原氏との距離を示している。作者は儀式の表面だけでなく、その中にひそむ人間関係にも目を向けている。
後半の、斉信・実成が女房の局を訪れる場面では、作者は格子を外せという誘いを断る。年齢と立場をわきまえて、軽々しいふるまいを避けようとする作者の姿勢がよく表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(紫式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、386–388頁(コマ205–206)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日