紫式部日記 第2章
菊の綿と御産
九月九日、倫子から菊の着せ綿が届く。その夜から中宮は産気づき、十日は白い御帳に移って、僧や陰陽師が総がかりで祈る。十一日の明け方、北廂に移った中宮は、女房たちが涙にくれ、道長が声を張りあげる中、無事に御子を産む。
- 1九日九日ここぬか、、、菊菊きくのののををを兵兵ひょう衞衞えのののおもとおもとおもとのののもてもてもてきききててて、、、「「「これこれこれ殿殿とのののののののとりとりとりわきわきわきててて、、、いといといとようようようおいおいおいのごひのごひのごいすてすてすてたまへたまへたまえとととのたまはせのたまはせのたまわせつるつるつる」」」とととあれあれあればばば、、、
- 2「「「菊菊きくのののつゆつゆつゆわくるわくるわくるばかりばかりばかりににに袖袖そでぬれぬれぬれてててはなはなはなのののあるじあるじあるじににに千千ち代代よはははゆづらゆづらゆずらむむん」」」
- 3とてとてとてかへしかへしかへし奉奉たてまつらららむむんとととするするするほどほどほどににに、、、「「「あなたあなたあなたににに歸歸かえりりりわたらわたらわたらせせせ給給たまひひいぬぬぬ」」」とととあれあれあればばば、、、やうやうようなさなさなさにににとゞめとゞめとどめつつつ。。。
- 4そのそのその夜夜よさりさりさり御御おまへまへまえにににまゐりまゐりまいりたれたれたればばば、、、月月つきをかしきをかしきおかしきほどほどほどにてにてにて、、、はしはしはしにににみすみすみすのののしたしたしたよりよりより裳裳もののの裾裾すそなどなどなどはころびはころびはころびいづるいづるいずる、、、ほどほどほどほどほどほどににに小小こ少少しょう將將しょうののの君君きみ、、、大大だい納納な君君ごんののの君君きみなどなどなど侍侍さぶらひひいたまふたまふたまう。。。
- 5御御おおん火火ひ取取とりにににひとひとひと日日ひのののたきたきたき物物ものとうでとうでとうでゝゝて試試こころみみみさせさせさせたまふたまふたまう。。。御御おまへまへまえのののありさまありさまありさまのののをかしさをかしさおかしさ、、、蔦蔦つたののの色色いろののの心心こころもとなきもとなきもとなきなどなどなど、、、口口くち々々ぐちきこえきこえきこえさするさするさするににに、、、
- 6例例れいよりよりよりもももなやましきなやましきなやましき御御みけしきけしきけしきにににおはしませおはしませおわしませばばば、、、御御み加加か持持じどもどもどもゝゝもまゐるまゐるまいるかたかたかたなりなりなり。。。さわがしきさわがしきさわがしき心心ここちちちしししててて入入いりりりぬぬぬ。。。人人ひとののの呼呼よべべべばばば局局つぼねにににおりおりおりてててしばししばししばしととと思思おもひひいしかしかしかどどどねねねにににけりけりけり。。。夜夜よなかなかなかばかりばかりばかりよりよりより騷騷さわぎぎぎたちたちたちてててのゝしるのゝしるののしる。。。
- 7十日十日とおかのののまだまだまだほのぼのほのぼのほのぼのとととするするするににに、、、御御おおんしつらひしつらひしつらいかはるかはるかわる。。。白白しろききき御御み帳帳ちょうににに移移うつらららせせせたまふたまふたまう。。。
- 8殿殿とのよりよりよりはじめはじめはじめ奉奉たてまつりりりててて公公きん達達だち、、、四四し位位い五五ご位位いどもどもどもたちたちたちさわぎさわぎさわぎててて御御み帳帳ちょうのののかたびらかたびらかたびらかけかけかけ、、、おましおましおましどもどもどももてもてもてちがふちがふちがうほどほどほどいといといとさわがしさわがしさわがし。。。日日ひひとひひとひひといいといといと心心こころもとなげもとなげもとなげににに、、、起起おききき臥臥ふしししくらさくらさくらさせせせ給給たまひひいつつつ。。。
- 9御御おおんものものものゝゝのどもどもどもかりかりかりうつしうつしうつしかぎりかぎりかぎりなくなくなくさわぎさわぎさわぎのゝしるのゝしるののしる。。。月月つきごろごろごろそこらそこらそこら侍侍さぶらひひいつるつるつる殿殿とののののうちうちうちののの僧僧そうをををばばばさらさらさらにににもももいはいはいわずずず、、、山山やま々々やま寺寺てら々々でらをををたづねたづねたずねててて、、、ととといふいふいうかぎりかぎりかぎりはははのこりのこりのこりなくなくなく參參まいりりりつどひつどひつどい、、、三三みよよよののの佛佛ほとけもももいかにいかにいかにかかか聞聞きききき給給たまふふうらむらむらんととと思思おもひひいやらやらやらるるる。。。
- 10陰陰おん陽陽よう師師じとてとてとて世世よにににあるあるあるかぎりかぎりかぎり召召めししし集集あつめめめててて、、、八八や百百ほ萬萬よろずののの神神かみももも耳耳みみ振振ふりりり立立たてててぬぬぬはははあらあらあらじじじととと見見みえええ聞聞きこゆゆゆ。。。みずみずみず經經きょうののの使使つかいたちたちたち、、、さわぎさわぎさわぎくらしくらしくらし、、、そのそのその夜夜よもももあけあけあけぬぬぬ。。。
- 11御御み帳帳ちょうのののひんがしひんがしひんがしおもておもておもてははは、、、うちうちうちののの女房女房にょうぼう參參まいりりり集集つどひひいてててさぶらふさぶらふさぶらう。。。西西にしにににははは御御おおんものものものゝゝのけけけうつりうつりうつりたるたるたる人人ひと々々びと、、、御御み屏屏びょう風風ぶひとひとひとよろひよろひよろいをををひきひきひき、、、局局つぼね々々つぼね口口ぐちにににははは几帳几帳きちょうをををたてたてたてつゝつゝつつ、、、けんざけんざけんざあつかりあつかりあつかりあつかりあつかりあつかりのゝしりのゝしりののしり居居いたりたりたり。。。
- 12南南みなみにににはははやんごとなきやんごとなきやんごとなき僧僧そう正正じょう僧僧そう都都ずかさなりかさなりかさなり居居いててて、、、不不ふ動動どう尊尊そんののの生生いききき給給たまへへえるるるかたちかたちかたちをををももも呼呼よびびび出出いででであらはしあらはしあらわしつべうつべうつびょう、、、賴賴たのみみみゝゝみ恨恨うらみみみゝゝみ聲聲こえ皆皆みなかれかれかれわたりわたりわたりにににたるたるたる、、、いといといといみじういみじういみじゅうきこゆきこゆきこゆ。。。
- 13北北きたののの御御み曹曹ぞう司司しととと御御み帳帳ちょうとととのののはざまはざまはざま、、、いといといとせばきせばきせばきほどほどほどににに、、、四四し十十じゅう餘餘よ人人にんぞぞぞ後後のちににに算算かぞふれふれうればばば居居いたりたりたりけるけるける。。。いさゝかいさゝかいささかみじろぎみじろぎみじろぎもももせせせられられられずずず、、、氣氣けあがりあがりあがりてててものものものぞぞぞ覺覺おぼえええぬぬぬややや。。。
- 14今今いま里里さとよりよりよりまゐるまゐるまいる人人ひと々々びとははは、、、中中なか々々なか居居い籠籠こめめめられられられずずず、、、裳裳もののの裾裾すそきぬきぬきぬののの袖袖そでゆづらゆづらゆずらむむんかたかたかたももも知知しらららずずず。。。さるべきさるべきさるべきおとなおとなおとななどなどなどははは忍忍しのびびびててて泣泣なきききまどふまどふまどう。。。
- 15十一日十一日じゅういちにちののの曉曉あかつきににに、、、北北きたののの御御みざうしざうしぞうし二二ふたまままはなちはなちはなちてててひさしひさしひさしにににうつらうつらうつらせせせ給給たまふふう。。。みすみすみすなどなどなどもももえええかけかけかけあへあへあえねねねばばば、、、御御み几帳几帳きちょうをををおしおしおし重重かさねねねててておはしますおはしますおわします。。。
- 16僧僧そう正正じょう、、、ぎやうてふぎやうてふぎょうちょう僧僧そう都都ず、、、法法ほう務務む僧僧そう都都ずなどなどなど侍侍さぶらひひいててて、、、加加か持持じまゐるまゐるまいる。。。
- 17院院いん源源げん僧僧そう都都ずきのふきのふきのう書書かかかかせせせ給給たまひひいししし御御おおん願願がん書書しょににに、、、いみじきいみじきいみじきことことことゞゞどももも書書かききき加加くわへへえててて讀讀よみみみあげあげあげ續續つづけけけたるたるたることことことののの葉葉はののの、、、哀哀あわれににに尊尊とうとくくくたのもしげたのもしげたのもしげなるなるなることことことかぎりかぎりかぎりなきなきなきににに、、、
- 18殿殿とののののうちうちうちそへそへそえててて佛佛ほとけ念念ねんじじじ聞聞きこえええ給給たまふふうほどほどほどのののたのもしくたのもしくたのもしく、、、さりともさりともさりともとととははは思思おもひひいながらながらながらいみじういみじういみじゅう悲悲かなしきしきしきににに、、、人人ひと々々びと涙涙なみだをををえええほしほしほしあへあへあえずずずゆゝしうゆゝしうゆゆしゅうかうかうこうなどなどなどかたみかたみかたみにににいひいひいいながらながらながらぞぞぞえええせきせきせきあへあへあえざりざりざりけるけるける。。。
- 19「「「人人ひとげげげおほくおほくおおくこみこみこみてててはははいとゞいとゞいとど御御み心心ここちちちももも苦苦くるしうしうしゅうおはしますおはしますおわしますらむらむらん」」」とてとてとて南南みなみ東東ひんがしおもておもておもてににに出出いださささせせせ給給たもうううててて、、、さるべきさるべきさるべきかぎりかぎりかぎりこのこのこの二二ふたまままのののもともともとにににはははさぶらふさぶらふさぶらう。。。
- 20殿殿とのののの上上うえ、、、讃讃さぬ岐岐きととと宰宰さい相相しょうののの君君きみ、、、くらくらくらののの命命みょう婦婦ぶ、、、御御み几帳几帳きちょうののの內內うちににに仁仁にん和和な寺寺じののの僧僧そう都都ずののの君君きみ、、、三三み井井い寺寺でらのののないぐないぐないぐののの君君きみももも召召めししし入入いれれれたりたりたり。。。
- 21殿殿とののののよろづよろづよろずにににのゝしらのゝしらののしらせせせ給給たまふふう御御おおん聲聲こえににに、、、僧僧そうもももけたけたけたれれれててて音音おとせせせぬぬぬやうやうようなりなりなり。。。
- 22今今いま一一ひと座座まににに居居いたるたるたる人人ひと々々びと、、、大大だい納納な言言ごんののの君君きみ、、、小小こ少少しょう將將しょうののの君君きみ、、、宮宮みやののの內內ない侍侍し、、、辨辨べんののの內內ない侍侍し、、、中中なか務務つかさののの君君きみ、、、大大たい夫夫ふののの命命みょう婦婦ぶ、、、大大おお式式しき部部ぶのののおもとおもとおもと、、、殿殿とのののの宣宣せん旨旨じよよよ。。。
- 23いといといと年年としへへへたるたるたる人人ひと々々びとのののかぎりかぎりかぎりにてにてにて、、、心心こころをををまどはしまどはしまどわしたるたるたるけしきけしきけしきどもどもどもののの、、、いといといとことわりことわりことわりなるなるなるににに、、、まだまだまだ見見み奉奉たてまつりりり馴馴なるゝるゝるるほどほどほどなけれなけれなけれどどど、、、類類たぐひひいなくなくなくいみじいみじいみじととと心心こころひとつひとつひとつにににおぼゆおぼゆおぼゆ。。。
- 24又又またこのこのこのうしろうしろうしろのののきはきはきわににに立立たてててたるたるたる几帳几帳きちょうのののとととににに、、、內內ない侍侍しのののかみかみかみののの中中なか務務つかさのののめのとめのとめのと、、、姫姫ひめ君君ぎみののの少少しょう納納な言言ごんのののめのとめのとめのと、、、いといといと姫姫ひめ君君ぎみののの小小こ式式しき部部ぶのののめのとめのとめのとなどなどなどおしおしおし入入いりりり來來きててて御御み帳帳ちょう二二ふたつつつがががうしろうしろうしろののの細細ほそ道道みちををを、、、えええ人人ひとももも通通とおらららずずず。。。
- 25行行ゆきききちがひちがひちがいみじろくみじろくみじろく人人ひと々々びとはははそのそのその顏顏かおなどなどなどももも見見みわかわかわかれれれずずず。。。
- 26殿殿とののののきんきんきん達達だち、、、宰宰さい相相しょう中中ちゅう將將じょう兼兼かね隆隆たか、、、四四し位位いののの少少しょう將將しょうまさまさまさ通通みちなどなどなどをををばばば更更さらにににもももいはいはいわずずず、、、左左ひだり宰宰さい相相しょうののの中將中將ちゅうじょう經經つね房房ふさ、、、宮宮みやののの大大だい夫夫ぶなどなどなど、、、
- 27例例れいはははけどほきけどほきけどおき人人ひと々々びとさへさへさへ御御み几帳几帳きちょうのののかみかみかみよりよりよりともすれともすれともすればばばのぞきのぞきのぞきつゝつゝつつ、、、腫腫はれれれたるたるたる目目めどもどもどもををを見見みゆるゆるゆるもももよろづよろづよろずはぢはぢはじわすれわすれわすれたりたりたり。。。
- 28いたゞきいたゞきいただきにににはははをををゆきゆきゆきのののやうやうようにににふりふりふりかゝりかゝりかかり、、、おしおしおししぼみしぼみしぼみたるたるたるきぬきぬきぬのののいかにいかにいかに見見みぐるしかりぐるしかりぐるしかりけむけむけんととと、、、のちのちのちにににぞぞぞをかしきをかしきおかしき。。。
- 29御御おおんいたゞきいたゞきいただきののの御御みぐしぐしぐしおろしおろしおろしたてまつりたてまつりたてまつり、、、御御おおんうけうけうけさせさせさせたてまつりたてまつりたてまつり給給たまふふうほどほどほど、、、くれくれくれまどひまどひまどいたるたるたる心心ここちちちにににこここはははいかなるいかなるいかなることことことゝゝとあさましうあさましうあさましゅう悲悲かなしきしきしきににに、、、
- 30たひらかたひらかたいらかにににせせせさせさせさせたまひたまひたまいててて、、、後後のちのののことことことまだしきまだしきまだしきほどほどほど、、、さばかりさばかりさばかり廣廣ひろきききもやもやもやののの南南みなみののの廂廂ひさし、、、高高こう欄欄らんのののほどほどほどまでまでまで立立たちちちこみこみこみたるたるたる僧僧そうももも俗俗ぞくももも、、、今今いまひとりひとりひとりとととよみよみよみてててぬかぬかぬかをををつくつくつく。。。
- 31ひんがしひんがしひんがしおもておもておもてなるなるなる人人ひと々々びとははは殿殿てん上上じょう人人びとにににまじりまじりまじりたるたるたるやうやうようにてにてにて、、、二二に中中ちゅう將將じょうののの君君きみののの左左ひだりののの頭頭とう中中ちゅう將將じょうににに見見み合合あわせせせてててあきれあきれあきれたりたりたりしししさまさまさまをををのちのちのちにににぞぞぞ人人ひと々々びといひいひいい出出いでででゝゝて笑笑わらふふう。。。
- 32けさうけさうけそうなどなどなどのののたゆみたゆみたゆみなくなくなくなまめかしきなまめかしきなまめかしき人人ひとにてにてにて、、、曉曉あかつきににに顏顏かおづくりづくりずくりしししたりたりたりけるけるけるををを、、、泣泣なききき腫腫はれれれ涙涙なみだにににところどころところどころところどころぬれぬれぬれそこなはそこなはそこなわれれれてててあさましうあさましうあさましゅうそのそのその人人ひととととなむなむなん見見みえええざりざりざりししし。。。
- 33宰宰さい相相しょうののの君君きみののの顏顏かおかはりかはりかわりししし給給たまへへえるるるさまさまさまなどなどなどこそこそこそいといといとめづらかめづらかめずらかににに侍侍はべりりりしかしかしか。。。ましてましてましていかなりいかなりいかなりけむけむけん。。。されどされどされどそのそのそのきはきはきわににに見見みししし人人ひとののの心心こころありさまありさまありさまのののかたみかたみかたみににに覺覺おぼえええざりざりざりしししなむなむなんかしこかりかしこかりかしこかりししし。。。
現代語訳
九日、菊の着せ綿を兵衛のおもとが持って来て、「これは殿の北の方(倫子)さまが、特別に、よくよく老いをぬぐい捨てなさいとおっしゃって(あなたに)くださったものです」と言うので、
「菊の露には、若返ろうと袖をちょっとふれる程度にとどめて、千年の寿命は花の持ち主であるあなたさまにお譲りいたしましょう」
と詠んで、綿をお返し申し上げようとしているうちに、「あちらにお帰りになりました」と言うので、むだになってしまったので、手もとにとどめてしまった。
その夜、中宮さまの御前に参上すると、月が趣深い時分で、端近くの簾の下から裳の裾などがこぼれ出ている、そのあたりに小少将の君や大納言の君などが控えていらっしゃる。
中宮さまは御火取に、先日の薫物を取り出して試させなさる。御前の庭のようすの趣深さや、蔦の紅葉がまだ色づかずじれったいことなどを、女房たちが口々に申し上げるが、
中宮さまはいつもよりおつらそうなご様子でいらっしゃるので、御加持をしに参る時刻でもある。気ぜわしい心地がして、わたしは奥へ下がった。人が呼ぶので局に下りて、少しだけと思ったが寝てしまった。夜中ごろから人々が騒ぎだし、大声で取りしきる。
十日のまだほの暗いうちに、お部屋のしつらいを改める。中宮さまは白い御帳台にお移りになる。
殿をはじめとして、ご子息がたや四位・五位の者たちが立ち騒いで、御帳台の帷子をかけ、御座所の調度を運びこんだりするあいだ、たいそう騒がしい。中宮さまは一日じゅうたいそう不安そうに、起きたり横になったりして過ごされた。
御物の怪を憑坐に駆り移して、限りなく大声で騒ぎたてる。この数か月、大勢お仕えしてきた邸の僧は言うまでもなく、山々寺々を訪ね求めて、験者という験者は一人残らず参り集まり、三世の仏もどんなふうにお聞きになっていることかと思いやられる。
陰陽師も世にいる限りを召し集めて、八百万の神々も耳を振り立てて聞かないことはあるまいと見え、聞こえる。御誦経の使いたちが騒ぎ暮らして、その夜も明けた。
御帳台の東面には、帝付きの女房たちが参り集まって控えている。西面には物の怪の移った憑坐の人々が、御屏風を一双ずつ立てまわし、局の入り口には几帳を立てて、験者がそれぞれ受け持って大声で祈り続けている。
南面には、尊い僧正・僧都が重なり合うように座って、不動明王の生きているお姿をも呼び出して現しそうなほど、頼みにしたり恨んだりして、声がみなすっかりかれてしまっているのが、ひどく切実に聞こえる。
北の御曹司と御帳台とのあいだのたいそう狭いところに、後で数えると四十人余りが座っていた。少しも身動きできず、のぼせてしまって何もわからない。
いま里から参上した女房たちは、かえって中に入れず、裳の裾や衣の袖をどこへやったらいいかもわからない。しかるべき年配の女房などは、声を忍んで泣きまどっている。
十一日の明け方、北の御障子を二間分取り払って、廂の間にお移りになる。簾なども掛けきれないので、御几帳を重ねて立てた中にいらっしゃる。
僧正、勝算僧都、法務僧都などがお仕えして、加持を申し上げる。
院源僧都が、昨日殿がお書かせになった御願文に、尊いことをいくつも書き加えて読みあげ続けた言葉が、しみじみと尊く頼もしいことこのうえないうえに、
殿が声を合わせて仏をお祈り申し上げなさるようすが頼もしく、いくらなんでも(ご無事だろう)とは思いながらもたいそう悲しいので、女房たちは涙をこらえきれず、「縁起でもない」「こんなに(泣いては)」などと互いに言いながら、涙をせきとめることができなかった。
「人が多くたてこんでいては、いっそうご気分もお苦しいだろう」と言って、(殿は人々を)南面や東面にお出しになって、しかるべき人だけがこの二間の所に控えている。
殿の北の方、讃岐の宰相の君、内蔵の命婦が(御帳の中に)、御几帳の内には仁和寺の僧都の君、三井寺の内供の君もお召し入れになった。
殿があれこれと大声で指図なさる御声に、僧の声もかき消されて聞こえないかのようである。
もう一間に控えている人々は、大納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大輔の命婦、大式部のおもと(殿の宣旨)である。
たいそう年功を積んだ人々ばかりで、心を乱しているようすが、まったくもっともなので、わたしはまだお仕えしてなじんでいるわけでもないけれど、またとなく大変なことだと心ひそかに思われる。
また、この後ろの境に立てた几帳の外側に、尚侍(妍子)の乳母の中務の乳母、姫君(威子)の乳母の少納言の乳母、幼い姫君(嬉子)の乳母の小式部の乳母などが押し入って来て、二つの御帳台の後ろの細い通路を、人も通れない。
行き違ったり身動きしたりする人々は、その顔なども見分けられない。
殿のご子息がた、宰相中将兼隆、四位の少将雅通などは言うまでもなく、左の宰相の中将経房や中宮の大夫など、
ふだんはあまり親しくない人々までが、御几帳の上からともすればのぞきこんで、泣き腫らした目を見られるのも、すっかり恥を忘れている。
頭には魔よけの散米が雪のように降りかかり、着くずれた衣がどんなに見苦しかっただろうと、後になって思うとおかしい。
中宮さまの頭頂の御髪を少し下ろし申し上げ、御受戒をおさせ申し上げるあいだ、悲しみにくれた心地で、これはどうしたことかとあきれるほど悲しかったが、
無事にご出産なさって、後産がまだのあいだ、あれほど広い母屋の南の廂から高欄のあたりまで立ちこんでいる僧も俗人も、もう一度声をそろえて大声で祈り、額を床につけて拝む。
東面にいた女房たちは殿上人に混じったようなかっこうで、小中将の君が左の頭中将と顔を見合わせて呆然としていたようすを、後で人々が言い出しては笑う。
(小中将の君は)化粧などを怠りなく優美にする人で、明け方に顔を作っていたのが、泣き腫らした涙でところどころぬれて崩れて、あきれたことにその人とも見分けられなかった。
宰相の君の顔が変わってしまったさまなどは、たいそうめずらしいものでございました。まして(わたしの顔は)どんなだったことだろう。けれども、そのときに見た人のようすを、互いに覚えていなかったのは幸いなことだった。
意訳
重陽の節句の朝、道長の妻倫子から、菊の露を含ませた着せ綿が届く。これで顔をぬぐうと老いが除かれるとされた。「よく老いを拭い捨てよ」という言葉には、親しみと冗談が混じっている。
作者の歌は、自分は少しだけ若返らせていただき、千年の寿命は花の主である倫子さまにお譲りしますと応える。贈り主をたてる、礼儀にかなった返しである。
ところが倫子はもう自室に帰ってしまい、歌は届けられずに終わる。日記には、こうした小さな行き違いも書きとめられている。
その夜、中宮の御前には女房たちが月を楽しむように控えている。のどかな情景である。
中宮は薫物を試させ、女房たちは庭の景色を話題にする。しかし中宮の体調はすぐれない。
いつもより苦しそうな中宮のために加持が始まり、作者は局に下がってうたた寝をしてしまう。夜中、邸じゅうが騒ぎだす。陣痛が始まったのである。
翌朝、産所が白一色の調度に改められる。お産のときは室内を白でしつらえるのが習わしだった。
道長以下が総出で産所の準備に追われる。中宮は一日じゅう不安な様子で過ごす。
物の怪を憑坐に移して調伏しようと、験者たちが大声で祈る。都じゅうの験者が集められ、三世の仏もさぞ聞き入っているだろうと作者は思う。
陰陽師も残らず集め、八百万の神々も耳をそばだてるだろうという。誇張した言い方で、祈りの声の大きさを伝えている。
御帳台を中心に、東・西・南・北にどんな人々が控えていたかを、作者は方角ごとに整理して書いていく。西には物の怪を移された憑坐たちがいる。
南には高僧たちが座り、不動明王を目の前に呼び出しそうな勢いで、頼んだり責めたりしながら祈り、声もかれている。
北の狭い場所には四十人余りが押し込まれ、身動きもできない。作者自身もその中にいて、のぼせて何もわからなかったという。
遅れて来た女房は中に入れず、年配の女房は声を忍んで泣いている。
十一日の明け方、中宮は北廂へ移る。障子を外し、簾も掛けきれずに几帳で囲んだ。急なことであったのがわかる。
僧たちが加持を続ける。
院源僧都が道長の願文を読みあげる。言葉の尊さと頼もしさに、皆の心が動かされる。
道長も声を合わせて仏に祈る。女房たちは不吉だと互いにたしなめ合いながらも、涙をこらえられない。
道長は人が多すぎると中宮が苦しいだろうと気づかい、人払いをする。
御帳台の中には倫子と、宰相の君・内蔵の命婦が付き添い、几帳の内には高僧が召し入れられた。
道長の大きな声に、僧の読経もかき消されるほどである。道長の必死さが伝わる。
隣の間に控えた古参の女房たちの名を、作者は一人ずつ書きとめる。
出仕して日の浅い作者は、古参の女房たちの取り乱しようを見て、事の重大さを心の中でかみしめる。
道長のほかの姫君たちの乳母までが押し寄せ、通路は人でふさがれる。
人がひしめいて、顔も見分けられない。
頼通・教通の兄弟や公卿たちまでもが産所のそばに来ている。
ふだん女房たちと距離のある公卿までが几帳越しにのぞきこむ。泣き腫らした顔を見られても、もう恥ずかしさなど忘れている。
魔よけにまく米が雪のように頭に降りかかり、衣も乱れた。後になって思えばおかしいと、作者は少し距離をおいて振り返る。
出産が難しいときには、形ばかり髪を下ろして受戒させ、仏の加護を求めた。作者はその様子を見て悲しみに打ちのめされる。
ついに無事に出産する。後産を待つあいだ、廂から高欄まであふれる人々が、もう一度声を合わせて祈り、額ずく。
緊張が解けたあとの笑い話。小中将の君は、頭中将と顔を見合わせて呆然としていたという。
化粧を欠かさない小中将の君の顔が、涙で崩れて別人のようになった。
宰相の君も顔が変わってしまった。作者は自分の顔はもっとひどかっただろうと言い、互いに相手の顔を覚えていなかったのは幸いだったと結ぶ。極度の緊張のあとの、ほっとした笑いが感じられる。
語釈・文法注
- 菊の綿
- 菊の着せ綿。九月九日の重陽の節句の前夜、菊の花に真綿をかぶせて露と香りを移し、その綿で顔や体をぬぐうと老いを除き長寿を保つとされた。
- 殿の上
- 道長の正妻、源倫子(964〜1053)。中宮彰子の母。
- 御ものゝけ
- 人にとりついて病や難産を起こすと考えられた死霊・生霊。験者が祈って憑坐(よりまし)に移し、調伏した。
- けんざ
- 験者。加持祈祷によって霊験を現す修験の僧。
- うちまき
- 散米。魔よけのために米をまくこと、またその米。
- 御いむこと
- 御忌むこと。受戒。難産のとき、形ばかり髪を削いで戒を受けさせ、仏の加護を願った。
文法
- 「大納君の君」
- 底本のまま。「大納言の君」の誤植と思われる。読みは「だいなごんのきみ」とした。
- 「やうなさにとゞめつ」
- 「やうなし(益なし)」の語幹に「さ」が付いた形。むだなので、の意。
- 「ゆゝしうかう」
- 底本のまま。「ゆゆし。かう(な泣きそ)」など、縁起でもない、そんなに(泣いては)と互いにたしなめ合う言葉と解した。
- 「ぎやうてふ僧都」
- 底本のまま。通行本文は「勝算僧都」。
- 「二中將の君」
- 底本のまま。通行本文は「小中将の君」。
- 「今ひとりとよみてぬかをつく」
- 底本のまま。通行本文は「今ひとたびよみてぬかをつく」。もう一度声をそろえて、と解した。
- 「かしこかりし」
- 形容詞「かしこし」は、ここでは、運がよい、幸いだの意。
和歌
菊のつゆわくるばかりに袖ぬれてはなのあるじに千代はゆづらむ
- 詠者
- 紫式部
- 状況
- 重陽の節句に、倫子から菊の着せ綿を贈られたときの返歌。届ける前に倫子が自室に帰ってしまい、贈らずに終わった。
修辞
- 縁語
- 「菊」「つゆ」「花」と、着せ綿にちなむ語を重ねる。
- 謙遜と賀
- 自分は若返る程度にとどめ、千年の齢は花の主の倫子に譲ると言って、贈り主の長寿を祝う。
解説
寛弘五年九月九日から十一日までの、敦成親王誕生の記録である。日記の中でもっとも緊迫した場面で、作者は御帳台を中心に、方角ごとにどんな人々がいて何をしていたかを記録している。こうした書き方から、この日記の前半は、道長家の慶事を記録として残すために書かれたとも考えられている。
一方で、菊の着せ綿の贈答や、緊張がとけたあとの化粧崩れの笑い話のように、作者自身が見聞きした小さな出来事も書きこまれる。公的な記録と私的な感想が一つの文章の中に共存しているのが、この日記の特色である。
当時の出産は命がけで、物の怪の仕業と考えられた難産を避けるため、修法・読経・陰陽道の祓いが総動員された。中宮の受戒(「御いむこと」)は、母子の無事を仏にすがる最後の手段だった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(紫式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、371–374頁(コマ197–199)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日