万葉集 巻第十三 3339〜3343番
玉桙の 道に出で立ち
備後国の神島の浜で、調使首が行き倒れの死者を見て、山野や川を越え、恐ろしい神の渡りの波の寄せる浜辺に、高い山を隔てとし入江の淵を枕にして伏している人は、父母の愛し子であり妻もあるだろうに、家も名も告げない、誰の言葉をいとしく思って荒海を渡ったのか、と詠む長歌と反歌四首。
題詞備後國の神島の濱にて、調使首、屍を見て作れる歌一首并に短歌
- 1玉玉たま桙桙ほこののの道道みちににに出出いででで立立たちちち玉桙之 道爾出立長歌
- 2あしひきあしひきあしひきののの野野ぬ行行ゆききき山山やま行行ゆききき葦引乃 野行山行
- 3潦潦みなぎらふふう川川かは往往ゆききき渉渉わたりりり潦 川往渉
- 4鯨魚鯨魚いさな取取とりりり海海うみ路路じににに出出いでででててて鯨名取 海路丹出而
- 5吹吹ふくくく風風かぜももものどのどのどにににははは吹吹ふかかかずずず吹風裳 箆跡丹者不吹
- 6立立たつつつ浪浪なみももものどのどのどにににははは立立たたたたずずず立浪裳 箆跡丹者不起
- 7恐恐かしこきききややや神神かみののの渡渡わたりののの恐耶 神之渡乃
- 8重重しき浪浪なみののの寄寄よするするする濱濱はま邊邊べににに敷浪乃 寄濱邊丹
- 9高高たか山山やまををを隔隔へだてににに置置おきききててて高山矣 部立丹置而
- 10汭汭うら潭潭ふちををを枕枕まくらににに纏纏まきききててて汭潭矣 枕丹卷而
- 11うらうらうらももも無無なくくく偃偃こやせせせるるる君君きみははは占裳無 偃爲公者
- 12母母おも父父ちちののの愛愛まな子子ごにににもももあらあらあらむむん母父之 愛子丹裳在將
- 13稚稚わか草草くさののの妻妻つまもももあらあらあらむむんととと稚草之 妻裳將有等
- 14家家いえ問問とへへへどどど家家いえ道道じもももいはいはいわずずず家問跡 家道裳不云
- 15名名なををを問問とへへへどどど名名なだにだにだにももも告告のらららずずず名矣問跡 名谷裳不告
- 16誰誰たががが言言ことをををいとほしみいとほしみいとおしみかもかもかも誰之言矣 勞鴨
- 17腫腫たか浪浪なみののの恐恐かしこききき海海うみををを直直ただ渉渉わたりりりけむけむけん腫浪能 恐海矣 直渉異將
- 18母母おも父父ちちももも母父裳反歌
- 19妻妻つまももも子子こどもどもどもももも妻裳子等裳
- 20高高たか高高だかににに高高丹
- 21來來こむむむととと待待まつつつらむらむらん來將跡待
- 22人人ひとののの悲悲かなしさしさしさ人乃悲
- 23家家いえ人人びとののの家人乃反歌
- 24待待まつつつらむらむらんものものものををを將待物矣
- 25つれつれつれもももなきなきなき津煎裳無
- 26荒荒あり磯磯そををを纏纏まきききててて荒礒矣卷而
- 27偃偃ふせせせるるる公公きみかもかもかも偃有公鴨
- 28汭汭うら潭潭ふちににに汭潭反歌
- 29偃偃こやせせせるるる公公きみををを偃爲公矣
- 30今日今日きょう今日今日きょうととと今日今日跡
- 31來來こむむむととと待待まつつつらむらむらん將來跡將待
- 32妻妻つまししし悲悲かなしもしもしも妻之可奈思母
- 33汭汭うら浪浪なみののの汭浪反歌
- 34來來き寄寄よするするする濱濱はまににに來依濱丹
- 35つれつれつれもももなくなくなく津煎裳無
- 36偃偃ふしししたるたるたる公公きみががが偃有公賀
- 37家家いえ道道じ知知しらららずずずももも家道不知裳
現代語訳
〔3339〕(玉桙の)道に出で立って、(あしひきの)野を行き山を行き、水のあふれる川を行き渡り、(鯨魚取り)海路に出て、吹く風も穏やかには吹かず、立つ波も穏やかには立たない、恐ろしい神の渡りの、重なり寄せる波の寄る浜辺に、高い山を隔てとして置き、入江の淵を枕にして、何の心もなく伏している君は、父母のかわいい子でもあろう。(稚草の)妻もあるだろうと、家を尋ねても家路も言わず、名を尋ねても名さえも告げない。誰の言葉をいとしく思ってか、高波の恐ろしい海を、まっすぐに渡ったのだろう。
〔3340〕父母も妻も子どもも、今か今かと帰って来るのを待っているだろう、その人の悲しさよ。
〔3341〕家の人が待っているだろうに、ゆかりもない荒磯を枕にして伏している君であることよ。
〔3342〕入江の淵に伏している君を、今日か今日かと、帰って来るのを待っているだろう妻が悲しいことだ。
〔3343〕入江の波が寄せて来る浜に、ゆかりもなく伏している君が、家への道もわからずにいることよ。
意訳
備後国の神島の浜で、調使首が行き倒れの死者を見て詠んだ長歌と反歌である。山野や川を越え、荒れた海を渡って来た人が、浜辺で入江の淵を枕に伏している。父母や妻もあるだろうに、家も名も告げないその人を思い、帰りを待つ家族の悲しみを反歌でくり返し詠む。3336〜3338番と表現が重なり、同じ歌の異伝とも考えられる。
語釈・文法注
文法・本文
- 潦ふ
- 「みなぎらふ」。水があふれる。
- 重浪
- 「しきなみ」。重なって寄せる波。
- 隔
- 「へだて」。隔て。
- 汭潭
- 「うらふち」。入江の淵。
- 偃せる
- 「こやせる」。横たわっている。
- 腫浪
- 「たかなみ」。高波。
- つれもなき
- ゆかりもない。
和歌
- 作者
- 調使首(生没年未詳)
伝未詳。巻十三に、備後国の神島の浜で行き倒れた人の屍を見て作った長歌と反歌を残す。 - 出典
- 『万葉集』巻第十三・挽歌・3339〜3343番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 挽歌。調使首(つきのおびと)が備後国の神島の浜で行き倒れの死者を見て作った歌。
修辞
- 対句
- 「家問へど家道もいはず」と「名を問へど名だにも告らず」など。
- 類歌
- 3335〜3338番と表現が重なる。
解説
神島は今の広島県福山市の神島とも、岡山県笠岡市の神島ともいう。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、524頁(コマ55)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、604頁(コマ66)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日