万葉集 巻第十三 3310〜3313番
隱口の 泊瀬の國に
泊瀬の国に妻問いに来ると、雪が降り雨が降り、雉も鶏も鳴いて夜が明けてしまった、入って寝よう、戸を開けておくれ、と男が呼びかけ、奥の床に母が、外の床に父が寝ているので、起きれば母が、出れば父が気づく、夜が明けてしまった、思うようにならない忍び妻よ、と女が答える問答と、反歌二首。
題詞(問答)
- 1隱口隱口こもりくののの泊瀨泊瀨はつせののの國國くにににに隱口乃 泊瀨乃國爾3310 問
- 2さささ結婚結婚よばいににに吾吾わががが來來くれれればばば左結婚丹 吾來者
- 3たなぐもりたなぐもりたなぐもり雪雪ゆきはははふりふりふり來來く棚雲利 雪者零來奴
- 4さささ曇曇ぐもりりり雨雨あめははは降降ふりりり來來く左雲理 雨者落來
- 5野野ぬつつつ鳥鳥とり雉雉きぎしとよみとよみとよみ野鳥 雉動
- 6家家いえつつつ鳥鳥とり鷄鷄かけももも鳴鳴なくくく家鳥 可鷄毛鳴
- 7さささ夜夜よははは明明あけけけこここののの夜夜よははは明明あけけけぬぬぬ左夜者明 此夜者旭奴
- 8入入いりりりててて且且かつ眠眠ねむむむこここののの戸戸と開開ひらかかかせせせ入而且將眠 此戸開爲
- 9隱口隱口こもりくののの隱來乃3311 反歌
- 10泊瀨泊瀨はつせ少少お國國ぐにににに泊瀨少國爾
- 11妻妻つましししあれあれあればばば妻有者
- 12石石いしははは履履ふめめめどもどもども石者履友
- 13猶猶なおぞぞぞ來來きにににけるけるける猶來來
- 14隱口隱口こもりくののの長谷長谷はつせ小小お國國ぐにににに隱口乃 長谷小國3312 答
- 15結婚結婚よばい爲爲せすすす吾吾わがががすめろぎすめろぎすめろぎよよよ夜延爲 吾大皇寸與
- 16奧奧おく床床どこににに母母ははははは睡睡ねたりたりたり奧床仁 母者睡有
- 17外外と床床どこににに父父ちちははは寢寢ねたりたりたり外床丹 父者寢有
- 18起起おききき立立たたたたばばば母母はは知知しりりりぬぬぬべしべしべし起立者 母可知
- 19出出いででで行行ゆかかかばばば父父ちち知知しりりりぬぬぬべしべしべし出行者 父可知
- 20ぬばたまぬばたまぬばたまののの夜夜よははは明明あけけけ行行ゆきききぬぬぬ野干玉之 夜者昶去奴
- 21幾許幾許ここだくももも念念おもふふう如如ごとならならならぬぬぬ隱隱しぬびびび夫夫づまかもかもかも幾許雲 不念如 隱孋香聞
- 22川川かはののの瀨瀨せののの川瀨之3313 反歌
- 23石石いしふみふみふみ渡渡わたりりり石迹渡
- 24ぬばたまぬばたまぬばたまののの野干玉之
- 25黑黑くろ馬馬まののの來來くるるる夜夜よははは黑馬之來夜者
- 26常常つねにににあらあらあらぬぬぬかもかもかも常二有沼鴨
現代語訳
〔3310〕(隱口の)泊瀬の国に妻問いに私がやって来ると、一面に曇って雪は降って来る。曇って雨は降って来る。野の鳥の雉は鳴き騒ぎ、家の鳥の鶏も鳴く。夜は明け、この夜は明けてしまった。入って共寝しよう。この戸を開けておくれ。
〔3311〕(隱口の)泊瀬の小さな国に妻がいるので、石の道を踏んで難儀はするけれど、やはりやって来たことだ。
〔3312〕(隱口の)泊瀬の小さな国に妻問いをなさる、私の大切なお方よ。奥の床には母が寝ている。外の床には父が寝ている。起き上がったら母が気づくでしょう。出て行ったら父が気づくでしょう。(ぬばたまの)夜は明けてしまった。こんなにも思うようにならない、忍び妻であることよ。
〔3313〕川の瀬の石を踏み渡って、(ぬばたまの)黒馬に乗ってあなたが来る夜は、いつもであってくれないものか。
意訳
泊瀬の里に妻問いに来た男と、親の目を気にする女の問答である。男は雪や雨の中をやって来て、雉や鶏が鳴き夜が明けたから戸を開けてくれと呼びかけ、女は、奥の床に母、外の床に父が寝ているので出られない、思うようにならない忍び妻の身だと答える。反歌では、石の道を難儀しても妻のもとに来る男の心と、黒馬で来る夜が毎晩であってほしいと願う女の心を詠む。古事記の八千矛神の歌謡と似た発想を持つ。
語釈・文法注
文法・本文
- 隱口の
- 「こもりくの」。「泊瀬」にかかる枕詞。
- さ結婚
- 「さよばひ」。妻問い。
- 野つ鳥
- 野の鳥。「雉」にかかる。
- 家つ鳥
- 家の鳥。「鷄」にかかる。
- 且眠む
- 「かつねむ」。ともかく共寝しよう。
- 少國
- 「をぐに」。小さな国。
- すめろぎ
- ここでは恋人を敬って呼ぶ語。
- 奧床
- 「おくどこ」。奥の寝床。
- 隱び夫
- 「しぬびづま」。人目を忍ぶ夫。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十三・相聞・3310〜3313番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 問答。作者未詳。
修辞
- 対句
- 「たなぐもり雪はふり來」と「さ曇り雨は降り來」、「奧床に母は睡たり」と「外床に父は寢たり」など。
- 類歌
- 古事記の八千矛神の歌謡と表現が近い。
解説
3310番の雉や鶏の声で夜明けを知る場面は、古事記の八千矛神の妻問いの歌と同じ発想で、古い歌謡の伝統を伝える。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、517頁(コマ51)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、596頁(コマ62)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日