万葉集 巻第十三 3305〜3309番
物念はず 道行きなむも
物思いもせずに道を行くと、青山に躑躅や桜が咲くように美しい娘よ、お前を私に、私をお前に噂で結びつけるという、荒山でも人が寄せれば寄るというのだから、お前の心も油断するな、と男が問い、だからこそ幼い頃から八年も待ってきたのだ、心長く待ってくれと答える問答と、人麻呂歌集の異伝。
題詞問答
- 1物物もの念念もはははずずず道道みち行行ゆきききなむなむなんももも物不念 道行去毛3305 問
- 2青青あお山山やまををを振振ふり放放さけけけ見見みれれればばば青山乎 振放見者
- 3躑躅躑躅つつじ花花ばな香香におえ未通女未通女おとめ茵花 香未通女
- 4櫻櫻さくら花花ばな盛盛さかえ未通女未通女おとめ櫻花 盛未通女
- 5汝汝なをををぞぞぞももも吾吾われににに依依よすすすとととふふふ汝乎曾母 吾丹依云
- 6吾吾われをををもももぞぞぞ汝汝なににに依依よすすすとととふふふ吾叫毛曾 汝丹依云
- 7荒荒あら山山やまももも人人ひとししし依依よすれすれすればばば荒山毛 人師依者
- 8依依よそるそるそるとととぞぞぞいふいふいう汝汝なががが心心こころゆめゆめゆめ余所留跡序云 汝心勤
- 9いかにいかにいかにしししててて何爲而3306 反歌
- 10戀戀こひひい止止やむむむものものものぞぞぞ戀止物序
- 11天天あめ地地つちののの天地乃
- 12神神かみををを禱禱いのれれれどどど神乎禱迹
- 13吾吾われははは思思おもひひい益益ますすす吾八思益
- 14然然しかれれれこそこそこそ歲歲としののの八八や歲歲とせををを然有社 歲乃八歲叫3307 答
- 15切切きるるる髮髮かみののの吾同子吾同子よちこををを過過すぎぎぎ鑽髮乃 吾同子叫過
- 16橘橘たちばなののの末末ほつ枝枝えををを過過すぎぎぎててて橘 末枝乎過而
- 17こここののの河河かはののの下下したにににももも長長ながくくく汝汝なががが情情こころ待待まててて此河能 下文長 汝情待
- 18天天あめ地地つちののの天地之3308 反歌
- 19神神かみをををももも吾吾われははは神尾母吾者
- 20禱禱いのりりりてててききき禱而寸
- 21戀戀こいとととふふふものものものははは戀云物者
- 22曾曾かつててて止止やまままずずずけりけりけり都不止來
- 23物物もの念念もはははずずず路路みち行行ゆきききなむなむなんももも物不念 路行去裳3309 人麻呂歌集
- 24青青あお山山やまをををふりふりふり放放さけけけ見見みれれればばば青山乎 振酒見者
- 25躑躅躑躅つつじ花花ばな香香におえ少女少女おとめ都追慈花 爾太遙越賣
- 26櫻櫻さくら花花ばな盛盛さかえ少女少女おとめ作樂花 佐可遙越賣
- 27汝汝なをををぞぞぞももも吾吾われににに依依よすすすとととふふふ汝乎叙母 吾爾依云
- 28吾吾われをををぞぞぞももも汝汝なににに依依よすすすとととふふふ吾乎叙物 汝爾依云
- 29汝汝なはははいかにいかにいかに念念おもふふうややや念念おもへへえこそこそこそ汝者如何念也 念社
- 30歲歲としののの八八や年年とせををを切切きるるる髮髮かみののの歲乃八年乎 斬髮
- 31よちこよちこよちこををを過過すぐりぐりぐり橘橘たちばなののの與知子乎過 橘之
- 32末末ほつ枝枝えををを過過すぐりぐりぐりこここののの川川かはののの末枝乎須具里 此川之
- 33下下したにににももも長長ながくくく汝汝なががが心心こころ待待まててて下母長久 汝心待
現代語訳
〔3305〕物思いもせずに道を行こうとして、青山を振り仰いで見ると、躑躅の花のように照り映える娘、桜の花のように盛りの娘よ。人はお前を私に寄せて噂するという。私をお前に寄せて噂するという。荒々しい山でさえ人が寄せれば寄るものだというのだ。お前の心も、決して油断するな。
〔3306〕どうしたら恋は止むものなのか。天地の神に祈っても、私の思いはいよいよ増すばかりだ。
〔3307〕そうだからこそ、八年もの間、切り揃えた髪の幼い頃から過ぎ、橘の上の枝を過ぎるほどに背丈も伸びて、この川の下を流れるように心の中で長く、あなたの心を待っていたのです。
〔3308〕天地の神々にも私は祈ったのに、恋というものは決して止まないものだったのだ。
〔3309〕物思いもせずに道を行こうとして、青山を振り仰いで見ると、躑躅の花のように照り映える娘、桜の花のように盛りの娘よ。人はお前を私に寄せて噂するという。私をお前に寄せて噂するという。お前はどう思うのか。思えばこそ、八年もの間、切り揃えた髪の幼い頃を過ぎ、橘の上の枝を過ぎるほどに背丈も伸びて、この川の下を流れるように長く、あなたの心を待っていたのです。
意訳
巻第十三の問答の歌の始まりである。青山の躑躅や桜のように美しい娘に、人が二人を噂で結びつけるのだから心を許すなと男が問いかけ、娘は、幼い頃から八年も心の中でずっとあなたを待っていたのだと答える。反歌は、神に祈っても恋は止まないと詠む。3309番は人麻呂歌集にある同じ問答を一首にまとめた異伝である。
語釈・文法注
文法・本文
- 香未通女
- 「にほえをとめ」。照り映える美しい娘。
- 盛未通女
- 「さかえをとめ」。盛りの美しい娘。
- 依す
- 「よす」。噂で関係づける。
- 依そる
- 「よそる」。寄り添う、関係づけられる。
- 吾同子
- 「よちこ」。同じ年頃の子、幼な子。白文3309は「與知子」と書く。
- 切る髮の
- 幼い子の切り揃えた髪の。
- 末枝
- 「ほつえ」。上の枝。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十三・相聞・3305〜3309番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 問答。作者未詳。3309番は柿本人麻呂歌集の歌。
修辞
- 対句
- 「躑躅花香未通女」と「櫻花盛未通女」、「汝をぞも吾に依すとふ」と「吾をもぞ汝に依すとふ」。
- 異伝
- 3309番は3305・3307番を一首にまとめた形。
解説
躑躅や桜にたとえた若い娘への呼びかけと、幼い頃から待っていたという娘の答えは、歌垣の掛け合いを思わせる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、516頁(コマ51)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、594頁(コマ61)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日