万葉集 巻第十三 3280〜3283番
妾が背子は 待てど來まさず
待っても夫は来ず、夜が更けて嵐が吹き、立ち止まって待つ袖に降る雪は凍りつく。今さら来はしまいが、後に逢おうと心を慰め、床を払って待つ、現実には逢えないので、せめて夢に逢うと見えてほしい、と詠む長歌、或本の長歌、反歌二首。
題詞(相聞)
- 1妾妾わががが背背せ子子こははは待待まてててどどど來來きまままさささずずず妾背兒者 雖待不來益長歌
- 2天天あまののの原原はらふりふりふり放放さけけけ見見みれれればばば天原 振左氣見者
- 3ぬばたまぬばたまぬばたまののの夜夜よもももふけふけふけにににけりけりけり黑玉之 夜毛深去來
- 4さささ夜夜よふけふけふけててて嵐嵐あらしののの吹吹ふけけけばばば左夜深而 荒風乃吹者
- 5立立たちちちとまりとまりとまり待待まつつつわわわががが袖袖そでににに立留 待吾袖爾
- 6ふるふるふる雪雪ゆきははは凍凍こおりりりわたりわたりわたりぬぬぬ零雪者 凍渡奴
- 7今今いま更更さらににに君君きみ來來きまままさささめめめややや今更 公來座哉
- 8さなさなさな葛葛かずら後後のちももも逢逢あははわむむんととと左奈葛 後毛相得
- 9慰慰なぐさむるむるむる心心こころををを持持もちちちててて名草武類 心乎持而
- 10みみみ袖袖そで持持もちちち床床とこうちうちうち拂拂はらひひい三袖持 床打拂
- 11現現うつつにににははは君君きみにににははは逢逢あははわずずず卯管庭 君爾波不相
- 12夢夢いめにににだにだにだに逢逢あふふうととと見見みえええこそこそこそ天天あめののの足足たり夜夜よににに夢谷 相跡所見社 天之足夜乎
- 13吾吾わが背背せ子子こははは待待まてててどどど來來きたらたらたらずずず吾背子者 待跡不來或本の歌
- 14鴈鴈かりががが音音ねもももとよみとよみとよみててて寒寒さむししし鴈音文 動而寒
- 15ぬばたまぬばたまぬばたまののの夜夜よもももふけふけふけにににけりけりけり烏玉乃 宵毛深去來
- 16さささ夜夜よ深深ふくくくととと嵐嵐あらしののの吹吹ふけけけばばば左夜深跡 阿下乃吹者
- 17立立たちちち待待まつつつにににわわわががが衣衣ころも手手でににに立待爾 吾衣袖爾
- 18置置おくくく霜霜しもももも氷氷ひににに冴冴さえええ渡渡わたりりり置霜文 氷丹左叡渡
- 19降降ふるるる雪雪ゆきももも凍凍こおりりり渡渡わたりりりぬぬぬ落雪母 凍渡奴
- 20今今いま更更さらににに君君きみ來來きたらたらたらめめめややや今更 君來目八
- 21さなさなさな葛葛かずら後後のちももも逢逢あははわむむんととと左奈葛 後文將會常
- 22大大おお舟舟ぶねののの思思おもひひいたのめたのめたのめどどど大舟乃 思憑迹
- 23現現うつつにににははは君君きみにににははは逢逢あははわずずず現庭 君者不相
- 24夢夢いめにににだにだにだに逢逢あふふうととと見見みえええこそこそこそ天天あめののの足足たり夜夜よににに夢谷 相所見欲 天之足夜爾
- 25衣衣ころも手手でににに衣袖丹反歌
- 26あらしあらしあらしののの吹吹ふきききててて山下吹而
- 27寒寒さむききき夜夜よををを寒夜乎
- 28君君きみ來來きたらたらたらずずずははは君不來者
- 29獨獨ひとりかもかもかも寢寢ねむむむ獨鴨寢
- 30今今いま更更さらににに今更反歌
- 31戀戀こふふうともともとも君君きみににに戀友君爾
- 32逢逢あははわめめめやもやもやも相目八毛
- 33眠眠ぬるるる夜夜よををを闕闕おちちちずずず眠夜乎不落
- 34夢夢いめににに見見みえええこそこそこそ夢所見欲
現代語訳
〔3280〕私の夫は待っても来てくださらない。天の原を振り仰いで見ると、(ぬばたまの)夜も更けてしまった。夜が更けて嵐が吹くので、立ち止まって待つ私の袖に降る雪は、一面に凍りついてしまった。今さらあなたが来てくださるだろうか。(さな葛)後にでも逢おうと心を慰めて、袖で床を払い清めて待つ。現実にはあなたに逢えない。せめて夢の中でだけでも逢うと見えてほしい。天の足りた夜に。
〔3281〕私の夫は待っても来ない。雁の声もとどろいて寒い。(ぬばたまの)夜も更けてしまった。夜が更けたと嵐が吹くので、立って待っていると、私の袖に置く霜も氷のように冷え冷えとし、降る雪も一面に凍りついた。今さらあなたが来るだろうか。(さな葛)後にでも逢おうと(大舟の)頼みにしているけれど、現実にはあなたに逢えない。せめて夢にでも逢うと見えてほしい。天の足りた夜に。
〔3282〕衣の袖に嵐が吹いて寒い夜を、あなたが来ないなら、私は独りで寝るのだろうか。
〔3283〕今さら恋い慕っても、あなたに逢えようか。寝る夜は一夜も欠かさず、夢に見えておくれ。
意訳
雪の降る嵐の夜、来ない夫を戸口に立って待ち続け、袖に降る雪が凍りつくまで待っても来ないので、せめて夢で逢いたいと願う女の長歌である。或本の長歌は雁の声や霜を加えた異伝で、反歌では寒い夜の独り寝のわびしさと、夢に毎夜現れてほしいという願いを詠む。
語釈・文法注
文法・本文
- ふり放け見れば
- 振り仰いで遠く見ると。
- 慰むる
- 「なぐさむる」。心を慰める。
- み袖持ち床うち拂ひ
- 袖で床を払い清めて、恋人を迎える用意をする。
- 天の足夜
- 「あめのたりよ」。満ち足りた夜。
- とよみて
- とどろいて。
- 冴え渡り
- 一面に冷え冷えとして。
- あらし
- 白文は「山下」と書く。山から吹きおろす風。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十三・相聞・3280〜3283番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 相聞。作者未詳。
修辞
- 異伝
- 3280・3281番は同じ歌の異伝で、細部が異なる。
- 枕詞
- 「ぬばたまの」「さな葛」「大舟の」。
解説
3280番と3281番は、口誦の間に変化した同じ歌の二つの形を並べて伝えており、万葉集の歌の伝承のあり方を示している。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、510頁(コマ48)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、588頁(コマ58)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日