万葉集 巻第十一 2834〜2840番
大和の 室原の毛桃
室原の毛桃の根元が茂るようにしきりに言ってきたのだから、実らせずにはおかない。小野の浅茅を、心からでも人が引くものか、私がいるのに。三島菅はまだ苗だ、時を待っていたらかぶれずに終わるだろう。吉野の水隈の菅を編まずに刈るだけ刈って乱れさせるのか。川上で洗う若菜が流れて来て、妹の家のあたりの瀬に寄ってほしい。こうしてなお番をするのか、浮田の杜の標でもないのに。たいして降らない雨なのに、背子の名が滝のように轟く。菓・草・標・滝に寄せた譬喩歌七首。巻第十一の終わり。
題詞(譬喩)
- 1大和大和やまとののの日本之2834
- 2室原室原むろうののの毛毛け桃桃もも室原乃毛桃
- 3本本もと繁繁しげくくく本繁
- 4言言いひひいてててしししものものものををを言大王物乎
- 5成成ならららずずずははは止止やまままじじじ不成不止
- 6眞眞ま葛葛くず延延はふふう眞葛延2835
- 7小小お野野ぬののの淺淺あさ茅茅じををを小野之淺茅乎
- 8心心こころよよよももも自心毛
- 9人人ひと引引ひかかかめめめやややももも人引目八面
- 10吾吾われ無無なけけけなくなくなくににに吾莫名國
- 11三島三島みしま菅菅すげ三島菅2836
- 12いまだいまだいまだ苗苗なえなりなりなり未苗在
- 13時時とき待待またたたばばば時待者
- 14著著きずずずやややなりなりなりなむなむなん不著也將成
- 15三島三島みしま菅菅すが笠笠がさ三島菅笠
- 16みみみ吉野吉野よしぬののの三吉野之2837
- 17水水み隈隈くまががが菅菅すげををを水具麻我菅乎
- 18編編あまままなくなくなくににに不編爾
- 19苅苅かりりりのみのみのみ苅苅かりりりててて苅耳苅而
- 20亂亂みだりりりなむなむなんとととややや將亂跡也
- 21河河かわ上上かみににに河上爾2838
- 22洗洗あらふふう若若わか菜菜なののの洗若菜之
- 23流流ながれれれ來來きててて流來而
- 24妹妹いもがががあたりあたりあたりののの妹之當乃
- 25瀨瀨せにににこそこそこそ寄寄よらららめめめ瀨社因目
- 26斯斯かくくくしししてててややや如是爲哉2839
- 27猶猶なおややや守守まもらららむむん猶八成牛鳴
- 28大大おお荒荒あら木木きののの大荒木之
- 29浮浮うき田田たののの杜杜もりののの浮田之社之
- 30標標しめならならならなくなくなくににに標爾不有爾
- 31幾多幾多ここだくももも幾多毛2840
- 32零零ふらららぬぬぬ雨雨あめゆゑゆゑゆえ不零雨故
- 33吾吾わが背背せ子子こががが吾背子之
- 34御御み名名なののの幾許幾許いくばく三名乃幾許
- 35瀧瀧たきもももとどろとどろとどろににに瀧毛動響二
現代語訳
〔2834〕大和の室原の毛桃が根元から茂るように、しきりに言い寄ってきたのだから、実らせずにはおくまい。
〔2835〕真葛の這う小野の浅茅を、自分の心からでも、人が引き抜いたりするだろうか。私というものがいるのに。
〔2836〕三島菅はまだ苗である。時が来るのを待っていたら、かぶらずに終わってしまうだろうか、三島菅の笠を。
〔2837〕吉野の水隈の菅を、編みもしないで、刈るだけ刈って乱れさせておこうというのか。
〔2838〕川上で洗う若菜が流れて来て、いとしい人の家のあたりの瀬にこそ寄ってほしい。
〔2839〕こうしてなお、私は番をしていなければならないのか。大荒木の浮田の杜の標でもないのに。
〔2840〕たいして降らない雨なのに、あなたの名が、ひどく、滝の音のように轟いていることだ。
意訳
譬喩歌の続きで、巻第十一の結びである。毛桃にたとえて必ず恋を実らせようという男の歌、自分の恋人をほかの人が奪うはずはないという歌、まだ幼い娘を三島菅の苗にたとえ時を待てば他人のものになるかという歌、菅を刈るだけで編まない、すなわち契りを結んでも妻にしない男をなじる女の歌、若菜が恋人の家のあたりに流れ寄ってほしいという願い、杜の標のように番ばかりさせられる嘆き、たいした事もないのに恋人の噂が滝のように轟くという歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 室原
- 「むろふ」。大和の地名。
- 毛桃
- 「けもも」。実に毛のある桃。
- 本繁く
- 根元が茂って。しきりに。
- 吾無けなくに
- 私がいないわけではないのに。
- 水隈
- 「みくま」。川の曲がり込んだ所。
- 大荒木の浮田の杜
- 山城の地名。標を張った神域。
- 幾多も
- 「ここだくも」。たいして。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・譬喩歌・2834〜2840番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 譬喩歌。作者未詳。左注に寄せた物(菓・草・標・瀧)を記す。
修辞
- 譬喩
- 2836番は幼い娘を三島菅の苗に、2837番は契ったまま放っておかれる女を刈られただけの菅にたとえる。
- 同音反復
- 2840番は「幾多」と「幾許」を重ねる。
解説
巻第十一は、人麻呂歌集の旋頭歌・正述心緒・寄物陳思・問答に始まり、作者未詳の正述心緒・寄物陳思・問答・譬喩歌で終わる、恋の歌ばかりの巻である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、461頁(コマ23)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、530頁(コマ29)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日